白い雪に包まれて
「死んでしまう、このままでは死んでしまう」
そう言って、私は掌に息を吐きかけた。白い息を。
室内にいて、しかも足下では電気ストーブががんばっているのに、息が白いというのはどういう事だろう? 今、私が居るこの事務所は、多分この建物のどこよりも寒い。ああ、唯一例外があった。フリーザーの中の次に、寒い。
理由は、ひとつ。
エントランスにうずたかく積まれた商品の箱たちの為だ。そう、こやつらの為に、暖房の電源が切られた。
ちなみに、事務所とエントランスはカウンターごしに繋がっている。だから勿論、事務所の暖房も切られた。おまけに、どっかの人でなしが窓まで開けやがった。気が狂っているとしか思えない。
そんなわけで私は首を長くして待っていた。宅配便集荷のお兄さんの到来を。
それは、俗称を「バレンタインチョコ」といった。正式名称は「エンジェルガーデン」。甘さを抑えたチョコレートブラウニーを可愛らしくデコレートしたもので、うちの人気商品だ。不況のあおりを食らって傾きかけた会社にとって、クリスマスケーキに続く起死回生の一品だった。
お店売りで、限定三百個。今年はそれとは別にインターネット販売で七百個の枠を設けられた。まさか埋まるまいと思っていたその枠が、綺麗に埋まってしまったのだ。
「天使の庭」は、冷凍されて箱詰めされ、きれいに包装されてカードを同封して、今か今かと出荷の時を待っている。エントランスと事務所の暖房が切られ、窓まで全開にされた理由は、つまりそういう事だ。
今日は、二月十二日。バレンタインデーの二日前。
これは明日には購入者の元に届けられ、明後日には届けたい誰かの元に届くことになる。
その製造や包装や発送の為に、社員及び派遣さんは早朝より出勤。そして私は極寒の事務所にたったひとり残されて、電話番。
バレンタインデーを心から憎んだのは、多分初めてだっただろう。
他の人たちは良いよ。包装やら発送やらで身体を動かしているんだから。みんなでわいわい、楽しそうに……。
あっちは、人がいっぱい居るから少しは暖かいのだろうな。
そんな事を考えると、ますます恨めしくなる。そこに、積まれた商品たちが。そのパッケージに描かれた天使が。
「こら、町田。なんて眼で天使様を見てるんだよ」
気がつくと、二年先輩の小寺さんが立っていた。入社一年目の私に、仕事を教えてくれたのは、小寺さん。小寺さんの説明はとても解りやすいし、親切なので私も懐いていた。
「小寺さん、寒いです」
「そりゃあ、寒いだろ。コートでも着たら?」
「さっきまで着ていたんですけど、それで仕事していたら無茶苦茶肩が凝って」
「我が儘だなあ」
と、小寺さんが笑う。
笑ったな。よくも笑えるな。あんたが今まで、商品発送の部署に居たのを、私は知っているぞ。派遣さんに冗談言って、笑いを取っていたのも知っている。
その間、私はたったひとりでこの極寒の事務所で耐えていたというのに……。
「だから、交代。町田、包装か発送手伝っておいで」
「いいんですか?」
とりあえず、この事務所から出られるのがとても嬉しい。
「うん。行っていいよ。でも、どっちにしても心を込めてやる事」
なんとなく引っかかったので、振り返る。
小寺さんは、少し困ったように私を見ていた。
「何だよ、そのいかにも『なんじゃそりゃ』と言いたげな顔は」
え? そ、そんな顔してますか? 私。
「相手はさ、バレンタインデーのチョコだよ。誰かが、誰かに贈るもの。それに呪いを込めるのは、どうかと思うから」
「そんな、呪いなんて……」
軽く笑って流しかけて、流してはいけない事だと、気づく。
確かに私は、さっきまでこの天使のパッケージを恨んでいた。こやつらのせいで、とんでもなく寒い思いをさせられて。
私にとっては、ただの商品。でも、これは購入者にとっては「贈り物」なのだ。
「私、そんな酷い目で睨んでました?」
「うん。睨んでいた。でも、そのことは僕の心の中だけに留めておくから、今度は心を込めて包装しておいで」
深く頭を下げて、私は事務所を後にした。
とても、恥ずかしかった。
私はただの事務員で、受注の管理をしていただけ。製造にも発送にも携わっていない。うちの社員が、心を込めて作ったもの。それを大切に包装して、梱包して、発送の手配をする人たち。購入してくれたお客様だけでなく、そんな人たちにとっても、とても失礼な事をしてしまったのだ。それに、気づいたから。
「ただいま」
仕事を終えて、片づけも済ませて事務所に戻ると、コートを着込んだ小寺さんが迎えてくれた。
「お疲れ。こっちもやっと最後の便が到着だよ」
積まれていた商品たちは、次々とクール便のトラックに運び込まれて行く。
「終わりましたね」
「さて、次は来月だな」
そうだ、ホワイトデー。また、忙しくなるのかな。
聞いてみると、小寺さんは首を振った。
「ホワイトデーは、バレンタインデーほど派手じゃないし。冷蔵庫に入る量ぐらいしか発注ないだろうから」
三月となれば、春は間近。そもそも、冷蔵庫に収まる量しか製造してはならない。
さてと、と、小寺さんが時計を見た。
「定時だし、帰って良いよ」
「はい。お疲れさまです」
長い一日が終わり、ふと思いつく。思いつきのままにスーパーに立ち寄り、妄想を巡らせながらいくつかのものを買った。
明日は、お休み。そして明後日はバレンタインデーだ。
お店から出て、驚く。夜道に、白いものが舞っている。冷え込むと思っていたら、雪だ。
今年は雪が多いな、などと思っている間にも、また妄想が膨れあがる。
ホワイトチョコでも良かったかなぁ、清楚な感じで。
白い雪に包まれていると、色んなイメージが湧いて来る。喜んでくれるかなぁ。喜んでくれると良いな。「町田、作ったの? すごい」とか言ってくれるかなぁ。いいえ、言わせて見せる!
ここ数年、彼氏なしだった私にとって、久し振りのバレンタインデーが訪れようとしていたのだ。
二月十三日午前九時三十分。
私は携帯電話にたたき起こされた。
何? 会社? 今日はお休みだっていうのに。昨日の晩は、色々考えていて、あまり眠れなかったのに。
眠い目をこすりながら、電話に出る。
「あ、町田?」
おお! 小寺先輩。
私ね、今からチョコ作るんだよー。でも、明日まで内緒なのだ。
「お休みの所、ごめん。今日、会社来れる?」
どきんと胸が高鳴る。
誰もいない会社でデート? そんな、上司に見つかったら……
「雪で、商品が届かなくて」
やっと我に返った。カーテンを開けると、一面は銀世界だ。
「クレームの嵐が予想される。町田、来れる?」
電話を切り、慌てて着替えて化粧をする。
昨日のうちに下ごしらえをしておいた材料を睨んでから、私は家を出た。
白い雪に私の足跡が残される。それは昨日妄想していたホワイトチョコケーキのイメージに似ていた。
バレンタインデーが、悪いわけではない。
誰かが、誰かに何かを贈る。その気持ちはとても大切なものだし、それを商売にしている私たちにとっては忘れてはいけないもの。
でも。
バレンタインデーの神様はものすごく嫉妬深くて陰険なのだろう。
昨夜から降り続ける白い雪の中、私はそんな悪態をついた。
読んで頂きまして、ありがとうございました。
この物語、実は去年のクリスマスに書こうとしていたものでした。
時期を逸してしまったので、日の目を拝む事はないかと思っていましたら。
バレンタインデーの大雪のおかげで、日の目を見ることが出来ました。(苦笑)
神様、ありがとう。