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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ホワイトアウト

作者: 六花



 しんしんと雪が降り積もっていく。


 道端で倒れこみ横たわった自分の体の上にも。


 痛みは全身に及んでおり、もう動くことは叶わない。


 冬は寒くて苦手だったのに、あがり続ける体温のおかげで、ただただ美しい白の世界を見ていられる。初めて冬の良さを知った気がした。


 とめどなく雪が顔面に降り注いではその暑さで溶けて伝い落ちていく。


 普段なら神経質に都度拭いていただろう。


 しかし男はぼんやりと、だれでもなく、たった一人の親友を思い出していた。

 

 ーーーーやす、お前の言う通りだった。お前の言う通り、外に出て好きに生きればよかった。


 そうすれば醜い生き物に成り下がらず、胸糞悪さの中で死ぬことも無かった。


 溶けて頬を伝うのは雪か、涙か。



***




 生島(いくしま)は自分がしてしまったことをどこか他人事に感じていた。しかし右手にはしっかりとナタが握られ、その先には血痕が付いている。だからこれはきっと自分の仕業なのだろう、とは頭ではわかっていた。


 9名が在籍している小さな事業所で突然始まった殺戮に、もとから趣味がB級ホラー鑑賞であった生島は存外冷静に状況を見ていたと思う。


 その日朝から明らかに顔色の悪い様子で出勤した安西は早退を薦める声にも頑固な態度で断った。それを見て周りの迷惑を考えろよと生島は思ったものだった。それが案の定お昼を迎える前に倒れ、そこまでは予想の範囲内だったが、驚いたことに安西は倒れた彼を心配した隣の席の木下に噛み付いた。

 驚き立ち尽くす木下に何事かと近づいた大島と戸田もすぐに安西に襲撃される。

 人が人に噛み付くとは正気の沙汰ではない。焦りながらも警察に連絡を入れようとする課長の榎本だったが、運悪く昨晩から続く大雪のせいで電話線に雪が積もり切れてしまっていたのだった。


「け、警察呼んできます」


 そう事業所のトップである部長の藤田に告げて事業所から出ようとするが、いち早く現場を離れたいという目的を悟った部長がその背を追いかけ事業所の唯一の出入り口の前で取っ組み合いを始めてしまった。


「まて、俺がいく」


「いや、俺が! 部長は偉いんでここにいてください!」


「いやお前! いつもおごってやってるだろ!」


「いやいやいや、何年部長のために尽くしてきたか!」


「だから俺が行ってやる! 外は危ない!」


「いやいやいやここの方がずっとやばいでしょう!」


 そんなに情けない姿を晒す勇気があるなら、もう2人で一緒に行けばいいだろうよ、生島は目の前の喜劇に腹を抱えて大笑いしそうになった。


 そうこうしているうちに安西が2人の元に近寄り、2人ともあっという間に腕や手などを噛まれてしまった。


 さて、残りは生島と生島の歳下の上司である係長の横田である。生島と横田は運良く安西の席から一番遠くに配置されており、ここまでは全く気にされてもいなかったので傍観者としていられたのである。

 

「おい…なあ…生島ちゃんよ、お前、安西さんを捕まえろよ。そしたら俺が縄で縛るかするからさ!あそこの鉄庫にすずらんテープあるし!」


 普段自分の役職を自信にしてオラつく横田の姿はそこにはなかった。生島は白けた気持ちになる。


「あんた、俺のこといつもいびって楽しんでたくせに。 いざとなったらみっともないんですね」


「うるせぇ! お前!今回のことが落ち着いたら覚えとけよ! なあ!」


「あっはっは、 面白いです。 係長」


 横田は自分よりいくつも歳上なのに上司と折り合いが合わず万年平の生島を平素馬鹿にしており、仕事を振る時もわざわざ歳上の自分がすみません、など煽って面白がっていた。

 

 それを同じ室内にいながら見て見ぬ振りする他の連中も大嫌いだった。でもとりわけ憎いのは横田で、いつか殺してしまうのではないか、もし事故死などで突然消えてくれたら喜んで金を村中にばら撒いて歩くかもしれないと空想したことがあるほどだった。


 だから、今しようとしてることは、たぶん、ずっとしてやりたかったことだ。


「いつかやりたいようにできるなら、すっきりするって思ってたんですよ…」


 恐怖で足元からブルブル震えている横田が、ごくりと唾を飲んだ。


 その様子を確認して、生島は事務所の片隅にかけより、目当てのものを手に取った。


 それは防犯用に備えてあったさすまたと、藪の中に入る時やクマの襲撃対策に用意してあったナタである。そして迷いのない素早い動作で横田をさすまたで捉えて安西の元へ差し出した。

 猛獣の折に投げ込む肉塊のように。


「おい! やめろ!」


「やめてくれ」


「生島ー! いくしまぁー!」


 横田はパニックを起こしている。安西は飢えた乞食のように食らいついていた。


「ははは…愉快ですよ…」


 手に持ったナタで横田と安西にとどめを指す。ホラー映画を愛する生島にはわかっていた。世間ではゾンビと呼ばれる類の発生だと。


 動かなくなった横田と安西を見下ろす生島に慄いて、他の職員は呆然と自らの傷口を抑えるだけだった。

 

 やがて彼らもその傷口からウイルスに侵され、人ならざるものと化すだろう。


「では、お世話になりました。 ご達者で」


 出入り口から堂々と出た先には雪景色が広がっていた。

 

 もっと清々しいかと思ったのに、心は鉛のように重くなっていた。


 ーーー島ちゃん、お前は思い込みやすいからさ、もっと馬鹿になれよ。なれるよ


 なぜか同級生のやすの声を思い出していた。



***********


 とにかく今は村からの脱出を図るべきだと生島は考えた。幸い自動車通勤のため車を事務所すぐ側に止めてある。


 無意識で握りしめ続けていたナタを助手席に置くと、村の外に出るためのトンネルを目指す。


 事務所は村の中心部にあったため、村役場や商店街が近くにある。どこが発端かはわからないが、至る所で叫び声が聞こえる。300人ほどしかいない村人の一体どれくらいが生き延びるのか。それとも田舎ゆえの過疎さに救われ、少数の犠牲で済むのか。

 日本政府はどう対応するのか。この村だけなのか日本全域なのか。いろんな想像が頭を駆け巡る。

 

 けれど生島は、先ほどの危機を生き延びたのに、もうどうでもいいと思っていた。


 ーーやりたいことっていうのはさ、復讐してやりたいとか、そういうことじゃねぇんだよ。島ちゃん、お前誰かを助けるヒーローになりたいって言ってたじゃんよ。


 ーーそれは小学生の時の卒業文集のやつだろ?今は違うよ。俺、こんな村から出て、もっと自由に暮らしたいよ


 ーー出ればいいじゃねーか!トンネルくぐるだけだよ! 意外と怖がりで臆病だからなぁ、島ちゃんは。 村の外に出たのも卒業旅行くらいだろ?


 ーーう、うるせぇ!婆ちゃんのためだ。たった1人の家族が居なくなったら悲しむだろ。


 ーーわかるけどなぁ。ま、その気になったら俺の車に乗せて連れて行ってやるからな。そうじゃなくてもお前、いつでも"いやし"に来いよ!夕もお前のこと連れてこいって五月蝿いのなんのって。


 ーーッチ!お前のばっかり美人の嫁さん貰いやがって!


 生島の頭の中でたった1人の友人がずっと話しかけてくる。かつてのやりとりだ。


「くそっ、黙れよやすっ」


 生島は自分の頭を乱暴にかいた。


 村からトンネルまでは30キロほどある。今日は雪も積もっていたため思うように車は進まなかった。積もった雪でタイヤが埋まらないように、目を凝らし道を選びながら進めていると、足を挫いた老人がいた。おばあちゃんに育てられた生島は老人を大事にしていた。


 慌てて車を止めて降りる。手には念のためナタを持った。


「大丈夫?」


 いたわるように背中をさする。


「あ……」


 気が動転して気づかなかったが、老人は真冬なのに裸足で部屋着だった。そう、感染していた。背中に触れていない方の手を見た。赤い噛み跡がくっきりとついていた。


「ははは……馬鹿だなあ…」


 老人は生島に顔を向ける。小さな村だ。すぐに誰か分かった。白波のばあちゃんだ。親切な彼女は独り身の生島に良くお裾分けをしてくれ、気にかけてくれていた。一人暮らしの彼女は息子や孫がなかなか帰ってこなくて寂しいと漏らしていたことがある。あれから会えたのだろうか。まさかこんな姿になるなんて。


 彼女は生島を噛もうと襲いかかってくるが非力なため簡単に避けられる。生島はナタを向けることはできなかった。何もかも嫌になった生島は車も白波のばあちゃんも置いて、雪の中を駆け出した。


 途中でくぼみに足を取られ転ぶと、鷹が外れたように大声で泣きだした。


「死ぬのか…俺、まだ何もしてないのに…」


「やりたいことたくさんあったのに…」


「人助けどころか他人を殺して…」


「結局、俺は村から出られない……」



 やがて生島の意識は完全になくなり、意志の消えた肉体だけが雪の中を徘徊し始めた。



******

 


 なんの因果かゾンビとなった生島は音の大きな場所へ吸い寄せられるように、民宿いやしへとたどり着いていた。


 民宿いやしは燃え盛る炎に包まれていた。


 寒さも暑さも感じない生島や同じような屍になった村人がそこからでる轟音に誘われて集まってその中に入ろうとしている。

 


 それらは順番に燃えていっていた。それは生島も。


 肉体が燃え尽きる刹那、生島は自我を取り戻す。


 燃え盛る炎の中に、大事な女を抱いて不敵に笑う旧友がいた。ちっぽけな自分のことも見捨てないでくれたその人。


 やす


「島ちゃん…?」


 炎に焼かれていく自分を、親友は当然のように気づいた。


 ーーやす…やっぱりかっけえわ。お前。


 ーーだろ?


 二人は少年のようにニカッと笑い合った。




 雪はそれから昼夜降り続け村を真っ白に呑み込んだ。


 人のいない村は静寂に包まれ雪と木のコントラストで絵画のような息を飲む美しさがあった。


 雪の中から次々と出てくる凄惨な死体を見るまでは、誰も生存者の証言を信じなかった。







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