#8_小春日和
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「あ!!!帰ってきたぁ!」
「っえ!?」
もう移動するのが面倒くさいと、アキと夏月さんが〆のパスタの後にチーズとナッツを頼み始め、3本目のワインをゆっくり飲みながら居座り続けた1軒目のイタリアンは、あっという間に閉店時間を迎えた。
元カレの話を聞いてほしいと言う同じ方向へ帰るアキと、コンビニに寄ってアイスクリームを食べながら話すことさらに1時間。いつの間にかアイスクリームと一緒に買っていたハイボールを飲み干したアキを家まで送ってから、タクシーで帰路についた。
眠いなぁとやっと着いたマンションの前に、男の子が一人。
「しょーくん!?なんで!?!」
付き合ってもうすぐ3年になる年下の彼氏、翔也。
私がアキに年下の男の子を勧めたくなってしまうのは、間違いなく私がこの子がくれる幸福を知ってるからだと思う。
「だって今から帰るって言ってから遅すぎない?返事ないし、電話も出ないし!」
慌ててバッグの奥底にあるスマホを取り出すと、お店を出た22時過ぎから数十件のメッセージと数件の着信。
「ご、ごめん。全然見てなかった…。」
ケータイを携帯してなかったら意味ないでしょ!?そう言ってわざと頬を膨らませる。
携帯してなかったわけではないけど、と思いながらプスッとその頬を指で突く。
「心配するじゃん!ねぇ!!何かあったらどうすんの!!!」
帰り道はケータイ握って歩かないとダメじゃん!と言いつつも、触れた指先から怒っているアピールがだんだん柔らかくなっていくのが分かる。
「本当ごめんってば、何時から待ってたの?」
「23時くらいに1回、駅まで行って改札のとこで待ってた!」
駅まで行ったり家まで来たり心配してくれた申し訳なさで、もう泊まって行くでしょ?と言うと、さっきまであんなに怒って拗ねていたのが演技かと思うほど嬉しそうに、ポケットからコンビニのシールの貼られたオトナのマナーを出して見せびらかしてくる。
「ちょっと!バカじゃないの!?ここで出さないで!」
誰も居ないマンションのエントランスで、思わず防犯カメラを確認してしまう。それを取り上げて自分のバックに突っ込むと、彼の空いた手が私の髪と首を優しく掴み、身体が引き寄せられる。
可愛くて愛おしくて、ニヤけてしまう私の頬も、今は酔っているせいにしてしまおう。エレベーターと同じように、その熱も一緒に上がっていく。
何年一緒にいても心配性のこの子に、今夜はあまり寝かせてもらえないかもしれない。
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「ねぇハルちゃん、やっぱり一緒に住まない?」
こうやって翔也がヤキモチを妬くたび、散々言われるこのお願い。このお願いだけは、私はまだ受け入れられないでいる。
「えー?しなくていいんじゃない?今だってすぐ会える距離に住んでるじゃん。」
引っ越しするの大変だしさ、と明るく返事をする。そうはぐらかしているけれど、本音は6歳年下の翔也に結婚というプレッシャーを与えたくないからだ。
純粋で素直で、仕事も真面目に頑張る翔也だからこそ、私の年齢を考えて提案をしているつもりなんだと思う。
でも私は、一緒に暮らすことをそんな義務感にかられたように決めてほしくない。
年の差を考えると翔也のためにならないからとか、そんな綺麗事を言えるほど大人になれてるわけでもない。
この自信のなさもひっくるめて、本気で私を掻っ攫いたいと思ってくれてるなら、同棲をしようだなんて言い出す前にかっこよくプロポーズしてほしかったなんて、思ってしまう私がきっとすごく我儘なんだよね。
だから、誰にも言わない。言わなければ、この我儘もズルさも、私だけのものだから。
むーっとまた膨れる頬をまた突いて、飲み物を取りに行こうとすると、それに気づいて「ハルちゃんは寝てていいよ」と冷蔵庫まで向かってくれる。
これでいい。このまま、この幸せがずっと“普通”に、続けばいい。
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「あ。しょーくんさ、充電器持ってる?」
「ん?持ってきてないよ。」
そうだった、この子ポケットに入ってたモノしか持ってきてないんだった。
「無くしたの?」
「ううん、さっき帰り道で貸したから、充電器を充電したかっただけ。無いならいいや(笑)」
アキを送った帰り道、1駅のために地下に降りるのめんどくさいなぁと思いながら駅の方面へ向かっていると、閉店したカフェから出てきた男性と目が合った。
「あの、すみません…。iPhoneの充電器持ってませんか…?」
ありますよ!と充電器とモバイルバッテリーを渡すと、細身の身体を折りたたむ勢いで頭を下げられた。私は昔からよく人に道を聞かれたり、頼みごとをされることが多い。
話を聞くとどうやら急ぎの連絡の必要があったのにスマホの充電が切れ、このカフェにコンセントと充電器を借りられないか聞いたところ、断られたんだとか。閉店したカフェに駆け込むなんて、よっぽど困ってたんだろうなぁ。
電源が入ったスマホでその人が連絡をする間、しばらく立ち話をした。しばらくしてちょうど世間話が底をつきかけ、沈黙に気まずさを感じたとき、ちょうど通りがかったタクシーをスマートに止めたその人は「これ乗って帰ってください!足りますか?」と1000円を渡してくれた。
「え、だからタクシーで帰ってきたの?」
「うん、いい人だよね~。」
止めたタクシーの進行方向が逆だったから、回って帰るとちょっと足りなかったんだけどね。
「…なに、また怒ってるの。」
この子のヤキモチ焼きにはもう慣れたものだけど、今の顔は今日一番怒ってる。人にした親切を、そんなに言わなくても。
「…他の男に勝手に優しくしないで。」
今まで束縛しすぎて振られたことも多いらしく、もうこれ以上は言いたくないと言いたげな表情を隠すように、寝転ぶ私のお腹に顔をうずめてくる。甘えモードのときによくするけど、食べて飲んだあとはお腹出てるからやめてっていつも言ってるのに。
「どうしたらしょーちゃんのご機嫌は直るのかな~?」
逆に何考えてるか分からないと振られることが多かった私は、こんな風に嫉妬してくれるこの子のおかげで、素直になれる。
だからどうかこのまま、この幸せがずっと――。