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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
9/17

八.

 その日は、夕食の席に行く勇気がララには出なかった。

 首にリボンを巻き、夕食を運んできたリアンを迎えた。

 リアンからキアにも部屋に食事を運んだと告げられると、顔も見たくないと言われたようで、気持ちが沈んだ。

 エレノアがララの様子を気にして、食事を一緒にと言ったのでララは部屋に迎えた。


「ララ、何かあったの?」


「いいえ、何も」


 エレノアの視線が、ララの首に向いたがララはそれに気付かないふりをした。


「そう、ならいいの」


 エレノアを好きだと思うのは、こうしていつも気が付かないふりをしてくれる所だった。

 ララが話したくなるのを待ってくれているのだ。


 ごめんなさい、エレノア。


 ララは、心の中でエレノアに謝った。


「あなた、部屋ではこんな素敵なご飯を食べているの?」


 エレノアは、その日の夕食が大皿に盛られているのを見て言った。

 しゃきしゃきのレタスにトマト、薄く切った酢漬けの玉葱に、小麦粉と卵、刻んだ玉葱を混ぜて焼いた肉汁溢れる挽肉の塊には様々な食材を煮込んだ香りの良いソースがかかっている。

 そして盛られた米には半熟の卵がのせられている。


「わたくしの特別仕様です」


 リアンが澄ました顔で言った。


「同じものをと言われましたので」


「まぁ、リアンが食事を?」


「昔は使用人もかなり減らしていましたので。ララ様もミゼウル殿の所から戻られてからも、台所の隅で食べていましたものね」


「そうなの?」


「ええ」


「お皿まで洗ってくれましたよね、ララ様」


 エレノアが目を見開いてララを見る。


「母上は私に自分の世話は自分でと言っていたので」


「まあ、ルルリナ様もなかなか厳しい方だったのね」


 ララは静かに微笑んだ。


「さあ、冷めないうちに頂きましょう」


 エレノアは、本当に何でも受け入れてくれる。

 リヴィエラと姉妹とは思えない。


「楽しんだ方がずっといいでしょう?」


 一瞬心を読まれたのかとララは思った。

 エレノアは静かに笑い、食事を始めた。


「もうすぐ花嫁衣装が届くわ。どんな仕上がりになっているのか、楽しみね」


「…そうですね」


 思わず沈んだ声が出ると、エレノアがララの顔を覗き込んできた。


「迷っているの、ララ」


 ララは目を伏せた。


「あの方は…私には勿体ない」


「そんなことはないわ。でも、あなたの幸せがわたくしには一番なの。それを覚えていて」


 そう言ってエレノアは微笑んだ。


「ねぇ、明日買い物に行かない?姉様達はいないわ。モジャウルさんと一緒よ」


「何を買うのですか?」


「香油よ」


「香油を?」


「モジャウルさんが、キア様にくさいって言われて落ち込んでいたから買ってあげようかと」


「叔父上が…キア・ティハルに?」


「喧嘩したのですって。でも、香水とかは苦手だって言っていたから。嫌な匂いじゃないのだけどね」


「叔父上の臭いが?」


「ええ。男っ!て感じの匂いよね。ミー君も悩んでいた時期があるのよ。わたくしも色々調べて香水やら香油やら試させたわ。キア様も香油を使っているそうよ。そう言えばほんのり柑橘系の匂いがするものね」


「そうなのですね」


「あの方、異国の血が入っているでしょう?バケモノ臭いって言われていたそうよ。だから匂いとか気にしていたって。この国に馴染もうと苦労されたみたい」


『僕は…バケモノ臭いと言われる』


 ララは、あの時の言葉をふと思い出した。


「あ、これはサリーちゃんがキア様のお兄様から聞いたのですって。騎士団でも皆から無視されて、舞踏会に行けば女性達が目も合わせなかったって」


 ララは驚いた。


「あんなに美しいのに?」


「ねぇ!女性達は皆見る目がないわ。なのに、バルバロット家の養子になったらその態度が一変!女性が下着姿で宿に侵入していたこともあるのですって!」


「そんなことを?いや、気を引けるのであれば私も…いや、無理か」


「ララ、何をぶつぶつ言っているの?」


「いえ、何も」


「キア様目が悪いでしょう?王都では眼鏡してなかったから、誰かいるなって程度で、そのことを覚えてもいないのですって。誰がどんな格好でいるかなんて、分からなかったみたい」


 ララは、再び思い出した。


 王都に会いに行った時、キアはただララの姿がよく見えていなかっただけなのかもしれない。

 いや、見えたところでヴィンセントだったとは気が付かなかったが。


「そのせいで、女性…いえ、女性というより人といるのが苦手みたい」


「そうなのですね。その…目はなぜ?」


「サリーちゃんと妹を助けるために、一度失明しかかったのですって」


「そんな…」


「火事で爆ぜた木が目に。それから半年は目が使えなくて、その後も見える様になるか分からなかったって」


「そんな…ことが」


「でも、かなり見える様になったのですって。お医者様がびっくりしていたそうよ。サリーちゃんも、あの人が強くて本当に良かったって」


 ララは思わず笑みを浮かべた。


「エレノアはすごいですね」


「え?わたくし?」


「私の知りたいことを全部知っている」


「やだ、わたくしもさすがに本人に聞く度胸はないわ。サリーちゃんに色々聞いてみたのよ。サリーちゃんって、キア様大好きみたい。でも、ちょっとおしゃべり過ぎるわね」


 そう言ってエレノアは微笑む。


「でも、こうして話を聞くのって面白いわよね。わたくしには、あの人が完璧な騎士に見えるの」


 エレノアはララの首筋を見つめる。


「でも、平気で女性に乱暴なことをする男性なのかもしれないわ」


「そんなことはありません」


 ララは思わずそう口にした。


「彼は立派な騎士です。私は…」


 あの時のことを思い出す。

 絶望し、首を跳ねられるかもしれない状況で現れたキアを。


「彼に救われたのです」


「わたくしには話せない…彼とのことがあるのね」


 ララははっとして、エレノアを見た。


「すみません」


「いいの。だって、わたくしはただのあなたの叔母ですもの」


 そう拗ねたようにエレノアが言うので、ララは慌てて言った。


「エ、エレノアは、大好きな叔母上で親友です」


 そう言うと、エレノアはララに向かって美しく微笑んだ。


「そうね。あなたは、わたくしにとって大大大好きな姪で大親友よ」


 ララはその言葉が嬉しくて、自然と笑顔を返した。



 次の日、ララとエレノアは、午前中にやって来たミゼウルと共に出掛けた。

 エレノアは、いつも淡い色のドレスを好む。

 今日は白地に桃色花柄の可愛らしいドレスだった。

 ララはエレノアの選んだ藤色のドレスに身を包み、首には同じ色の太めのリボンを巻いた。

 キアの噛んだ場所は、紫色の歯形を残していた。

 騎士の制服姿ではないミゼウルは、白いシャツと焦げ茶のジャケットにズボンときちんとした格好をしていた。

 来てすぐにエレノアに一輪の赤い薔薇を差し出す。


「よく眠れたかい?エレノア」


「あら、わたくしに?ありがとう、モジャウルさん」


 エレノアは笑顔で薔薇を受け取った。


「二人きりで出掛けるなんて、まるで…」


「あら、ララを誘ったのよ」


「え?」


「ララ、行くわよ」


 そう言って、エレノアは澄まして馬車へ乗り込む。


「…私は邪魔だったのでは?」


 そう言いながら、ララは馬車へ乗り込む。


「全然。…折角レチに服選んで貰ったのに」


 ミゼウルはむくれた顔で馬車へ乗り込んできた。

 エレノアが首を傾げる。


「何の話?」


「いや、なんでも。ララ、キアとちゃんと話したのか」


 ミゼウルの言葉に、ララはどきりとした。

 やはり喧嘩というのは、自分のことなのだろう。


「いいえ」


「早く話せ。俺は、ダガーを投げられて大変だったんだぞ」


「ダガーを?」


「あいつすごいぞ。あのベストの裏にダガーを六本も隠してる」


「なるほど、ベストの裏に隠す仕組みがあるのですね」


「すげぇ薄い奴。それをぼんぼん投げてきやがって」


「そんな薄いダガーがあるとは。…王都製ですかね」


「もう、あなた達の話っていつも物騒ね」


 エレノアは呆れた様にそう言った。

 街に入り一番大きなヘンデの雑貨店へ到着した。

 ララも馴染みの店だった。

 エレノアはよくこの店でララや自分の化粧品を王都から取り寄せて貰っている。

 店主のアンソニー・ヘンデに言い、いくつかの香油を用意してもらい、ミゼウルとエレノアが匂いを確認する。


「くさ。おっさんの臭いだ」


「あなたおじさんでしょう?」


「永遠のお兄さんですぅ。こんなの塗るのか。キアはこんな匂いじゃねぇよ。もっと自然なミカンみたいな…」


「嗅いでいるの?気持ち悪い」


「はぁ?違う!こうふわっとするんだよ」


「で?同じ匂いにしたいの?…気持ち悪い」


「気持ち悪い禁止!」


「あの方は、もとから臭くないそうよ。でも、色々あって気にしているの」


「な、なんでそんなこと知ってんだよ」


「サリーちゃん情報よ。むしろなんかいい感じの匂いがするって」


「キアの情報、サリーからだだ漏れだな」


「キア様の香油は、王都から取り寄せているそうよ」


「へぇ、俺もあんまり臭くないのがいいんだが」


「あなたは匂いが濃いから、もっと強い匂いのでなくては」


「…濃いって臭いってことか」


「…息子を思い出すわ」


「優しいな、エレノア。俺のこと好きだろう」


「遠回しに臭いと言ったのよ。分かっている?」


 エレノアとミゼウルの会話を、ララはやや冷めた目で見つめた。


「夫婦感…いや、もはや夫婦ではないか」


 そう呟き二人きりにしてあげようと店を出ると、レチリカと二人の騎士が街を見回っていた。


「あ、ララ姉!」


 レチリカが手を振る。

 ララも静かに手を振った。

 レチリカは、そのままララの方へ駆け寄ってきた。


「今から来ない?」


「どこへ?」


「騎士団本部の訓練場」


「レチリカ、その方は?」


 そう長い三つ編みをひとつに纏めた騎士が声を掛けてくる。

 レチリカと同じ歳くらいの少女だった。


「エル、彼女がララティナ。ララ、見習い仲間のエルシー」


「ええ?この女性が?」


「えっ?ララティナ様?」


 そう声を上げて灰色の髪を短く刈り上げた騎士が駆け寄ってくる。

 それは、ララも知っている騎士仲間だったアイザック・ヘンデだった。

 先ほどのヘンデ商店の次男で、ララと同じ歳だった。


「久しぶりだな、アイザック」


「嘘でしょ!えぇ!」


 信じられないものを見る様にアイザックが言う。

 レチリカが咎める様に言う。


「ザック、失礼だよ」


「もう五年は、騎士団に出入りしてないからな」


「い、いえ、髪を伸ばすと…印象が。それに、その恰好」


 アイザックはララの顔から足先をながめ、目が合うとぱっと目を伏せた。

 少し俯きながらアイザックが言った。


「け、怪我の具合はどうですか」


「何年前の話をしている」


「その話し方は変わりませんね」


 そう言ってアイザックは微笑んだ。


「ザック、でれでれしてる」


「うるさい、レチリカ。俺は上司だぞ」


「本当に、騎士をされていたのですか?」


 そうどこか信じられないようにエルシーが言った。


「あ、俺の妹のエルシーです」


「は、初めまして」


「初めまして、ララティナ・ガ―ディスだ。妹に会うのは初めてだな」


「兄さんの話と全然違う。あの品のいい猛獣…。あ、ごめんなさい」


「いや、構わない」


「ねぇ、どうみても令嬢様だよねぇ」


 レチリカが楽しそうに笑う。


「行こうよ、ララ姉。エルにも剣を教えてよ」


「見回り中だろう?」


「ちょっとくらいいいよね、ザック。一時間くらい」


「一時間か。…分かった。俺も久々にあなたの美しい剣裁きをみたいものですが」


 アイザックがじっとララティナを見つめる。


「なんだ」


「キア様が羨ましい」


「何の話だ?」


「こんなことなら、俺が…」


「兄さん、奥さんに言いつけますよ」


「うるさい、エル!では…」


 アイザックはなぜか名残惜しそうに見回りに戻っていった。


「じゃ、行こう!」


 レチリカが、ララの腕をぐいぐい引っ張るので、ララは諦めて言った。


「仕方ない。…ちょっと待て」


 ララは、店の中を覗き込む。

 窓越しにミゼウルへ手招きすると、店の外まで出て来てくれた。


「なんだ」


「私は、レチと行きます。エレノアと昼食でも食べて来ればいいのでは」


「なんて気の利く奴だ!なあ、ちゅーとかしても怒られないかな」


「エレノアに気持ちの悪い真似をしたら殴ります」


「…叔父様を気持ち悪いとか言うな。分かったよ。お前も気を付けろ。まぁ、お前とレチがいれば十分か」


 ミゼウルは手を振ると、店に戻っていった。


「ララ、モジャに言った?だったら早く!」


 少し離れたところでレチが手を振るので、ララは諦めてそれに続いた。


「最近叔父上しか相手にしていないのだが」


「モジャを相手にしてたなら十分でしょ?」


 エルシーが、ララの方を向いてレチリカの腕を引き耳打ちした。


「あの噂って、本当に噂なの?だって、どうみても…」


「でしょ!どう見ても、妖艶な悪女でしょ!」


 耳打ちの意味なく、レチリカが声を上げた。

 エルシーが慌てる。


「レチ!」


「でも、目の玉飛び出るから!」


 そう言って、レチリカがララに満面の笑みを浮かべる。

 ララは仕方なく苦笑を返した。



 サリーは、キアと共にガーディアス騎士団の本部に来ていた。

 訓練所も兼ねるその三階建ての建物の中を、騎士達が忙しく走り回っている。

 戦のない今では領地の防犯だけでなく、領民同士の諍いの対処、害獣駆除など中々の忙しさだ。

 三階にある団長室は普段団長であるミゼウルがいるはずなのだが、ミゼウルはじっとしておくのが苦手らしくほとんどいない。

 そのため、今日は仕事が滞っているとエリックから報告を受けたキアが、総団長という名目で色々と対処していた。

 キアは団長の席に座り、必要な書類に目を通し印を押す。


「ミゼウルさんは、今日お休みなんですね」


「逢引き」


「へ?」


「仕事を溜め込んで…呑気な」


「ですよね。キア様にはもっと大切な用事があるのに」


「ない」


「何言ってるんですか。早くララティナ様と話をしないと」


「明日にする。…たぶん」


「もおおお!」


「エリックさんにこれを」


 キアに書類の束を渡され、サリーは顔を顰めた。


「…悪いな、サリー」


 そう暗い声でキアに言われると何も言い返すことは出来ず、サリーは部屋を出た。

 二階に降り副団長室の扉を叩くと、エリックが顔を上げた。


「失礼します、エリックさん。キア様に頼まれた書類持ってきました」


「ああ、サリー君助かるよ。滞っていた仕事が半日で片付いた」


「ミゼウルさんって駄目な団長ですね」


「駄目じゃないんだよ。あいつの強さは、とんでもない。昔、王国騎士団に勧誘されたこともあるんだから」


「ええ!そんなこと一言も!」


「自分の自慢なんてしない男だ。そして、家族を守ることにしか興味がない。情に厚い人間なんだ。あのカイデン家の人間とは思えないよ」


「カイデン家って、悪いことで有名ですもんね」


「まぁ、ごろつきの親玉のようなものだからね」


「あの、エリックさんは…ララティナ様のことをご存じで?」 


 エリックは、僅かに目を見開いた。


「えっと、何のことかな」


「その、ヴィンセント様のふりをしていた時のことです」


「ああ、やっと話してくださったのか!」


 エリックは静かに胸に手を置いた。


「私もいつ問いただされるか心配で。本当のことを言えばララティナ様を、嘘を吐けばキア様を裏切ることになるから」


「ララティナ様って、どんな騎士だったのですか?あんなに綺麗な女性が騎士だなんて」


「凛とした方だったな。思わず目が追ってしまうような…。しかし、扱いは皆と変わらないよ。訓練もすべて参加され、男でもついていけない訓練に、噛り付く勢いで付いてきていた。誰にも女扱いなど許さない人だった。まぁ、ミゼウルが傍において守ってはいたけど」


「ミゼウルさんが?」


「ああ、あいつの補佐をしてくれいた。その頃は、あいつの尻を叩いて仕事をさせていたから助かっていた。…懐かしいな」


 エリックは穏やかな笑顔を浮かべた。


「だが、キア様とララティナ様が手を取り合えば、ガーディアス領はもっと良くなる」


「うーん、まだ取り合うには時間がかかりそうなのですが」


「え?そうなのかい?」


「二人ともひどく拗らせているんです」


「そ、そうか。また何か分かれば私にも教えてくれるかい?」


「分かりました。では、失礼します」


 サリーは副団長室を出た。

 再び団長室に戻ろうとすると、廊下の向こうからレチリカが歩いてくる。


「あ、サリーちゃん」


「ちゃんは止めてください、レチリカさん」


 ララティナと同じくらいかそれよりも少し高いくらいの背のレチリカだが、こうして目の前に立つと髪が短くても男には見えない。

 胸の膨らみもあるし、なによりその大きな目が可愛らしい。

 今日は耳たぶに小さな銀の輪の耳飾りを付けている。


「僕は君より年上だと思うんですけど」


「うそ、いくつ?」


「十七です」


「ほんとだ、こんなに可愛いのに」


「こらっ!年上に失礼ですよ!」


「だったら、敬語じゃなくてもいいのに」


「あ、そうか」


「ねぇ、サリーちゃん」


「だーかーらー」


「いいもの見たくない?」


「え?いいもの?」


 レチリカはそう言って、まるでいたずらを仕掛けた子どものような笑みを浮かべる。


「そ、いいもの。…訓練場においでよ」


「でも、僕は仕事を…」


「キア様も呼んで来るからさ」


 そう言って、レチリカはサリーに背中を向けると後ろ向きに手を振って三階の階段へと向かっていった。


「一体何だろう」


 サリーは仕方なく訓練場へ向かった。

 円形の建物である訓練場は、三階建ての観客席があり、年に一度は剣技大会が開かれ領民にも公開されている。

 三階からなら廊下を通り観客席から入れるが、サリーは一階から建物の外へ出て訓練場の入り口へ向かった。

 訓練場の中央には、ララティナとエルシーがいた。

 二人は練習用の剣を手に打ち合いをしていた。

 エルシーの放つ剣技をララティナは藤色のドレス姿で鮮やかに受け流し、練習相手になっているようだった。


「これは一体…」


 サリーが声を掛けると、ララティナとエルシーがこちらを見る。


「サリヴァン、君がいるということは…」


 ララティナが顔を顰める。


「あ、キア様もいます」


「レチめ。私を嵌めるつもりだな」


 ララティナは剣を下した。


「帰る」


「待ってください、ララ様!一時間の約束だったじゃないですか」


 そう言ってララの手を握ったのは、エルシーだった。


「レチよりももっと早い突きを打つ女性なんて、私初めてなんです。それに、教え方も分かりやすくて。レチに聞いても感覚的なことしか言わないから」


「必要なのは訓練だ、エルシー」


「じゃあもう少しお願いします、ララ様!」


「だが…」


「おい、ララティナ」


 そう入り口から低い男の声が響き、サリーは振り向いた。

 そこには長身の男を中心に五人の男達が立っていた。

 中心にいる男は、黒い癖毛の髪をしていた。

 整ったというよりは男らしい濃い顔立ちに、ふいに黒い瞳が陽の光を浴びて赤みを帯びる。

 似ているとは言わないがその容姿の特徴は、ミゼウルを思い出させた。


「あれが、もしかしてエドバル・カイデン?」


 サリーは思わず呟いた。

 ララティナが鋭い声で言った。


「サリヴァン、エルシー。階段を使って三階へ。廊下から本部に戻って騎士に知らせるんだ」


「は、はい」


 エルシーが走り出すと三人の男達がそれを追おうとする。

 サリーは、自分は間に合わないと判断し、練習用の人形の後ろへ隠れた。

 エルシーの行き先を守る様に、ララティナは階段の前に立ち練習用の剣を構える。


「おっと、怖いなぁ。お嬢さん」


 男達がいやらしい笑みを浮かべララティナに近づこうとする。


「気を付けろ。練習用の剣とはいえ、直接受けると痛い目に合う」


 その凛とした声に、男達は笑みを消した。


「ララティナ、俺はただお前と話したい」


 いかにも気取った声でエドバルは言った。

 ララティナは低めの声で続ける。


「どうやってここに入った、エドバル」


「どうって?お願いしただけだ。お前を追って来たから話をしたいと。快く入れてくれたぜ?」


 そんなはずはない。

 騎士団でもエドバルの存在は、警戒しているはず。

 金でも握らせたのだろうか。

 騎士本部に乗り込んでくるなんて、騎士を完全に舐めている。

 

「勝負をしないか、ララティナ」


「勝負だと?」


「そうだ。昔のように」


「断る」


「そうか。なら…」


 男達の視線がサリーの方を向く。

 サリーは鞄を探り、目潰しを入れた袋を探る。

 ララティナが口を開いた。


「分かった」


「ララティナ様、僕は大丈夫です」


「分かっている、サリヴァン。あのバケモノ騎士の弟子である君なら、こんな場面なんども遭遇しているだろう」


 その言葉に、男達がぎょっとした顔でサリーを見つめる。


「あの蹴りで首を飛ばすと噂されるキア・ティハルの弟子である君なら、素手で人の命を奪うなど容易いだろう」


 いや、弟子じゃないんですけど。


 そう言いたいのをぐっと堪えサリーは人形の後ろから姿を出す。

 ララティナが大袈裟に言って、サリーに男達を近づかせないようにしているのが分かった。

 背筋を伸ばし、胸を張る。

 声が震えないようにお腹に力を入れる。


「まぁ、本気を出せば…出来ないことはありませんが」


 そう言いながら、目潰し入りの袋を握り締めた。


「上がって来い、ララティナ」


 エドバルは、練習用の剣を手に中央にある舞台へ上がる。


「坊ちゃんやっちまえ!」


「獰猛女をぶっ倒せ!」


 男達が声を上げる中、ララティナは静かに中央にある舞台へ上がる。


「懲りない男だな、エドバル。肩は問題ないのか」


「あれはただ外れただけだ」


「鍛え方が甘いのだ」


「うるさい!」


 エドバルはララティナに向かって構えた。


「騎士団に入ったからと言って、俺が女のお前に劣るはずはない。俺だって、何度も修羅場を超えて来たのだ」


「ただの喧嘩だろう」


「舐めるな。命の取引をしてきたんだ」


 ララティナも静かに構える。


「賭けをしようぜ、ララティナ」


「賭け?」


「お前が勝てば、もうお前に手を出さない。俺が勝てば…抱かせろ」


 最低、最低男。

 サリーは心の中でそう詰る。

 ララティナは静かにエドバルを睨む。

 ふと男が一人、サリーの方へ足を踏み出す。


「いいだろう」


「じゃあ、いくぞ!」


 勝負は一瞬だった。

 それほど、エドバルとララティナの実力は違うのだろう。

 踏み込んだのはエドバルだったが、エドバルの突きを動作少なく避けたララティナの剣がエドバルの剣を握る右手を突く。

 エドバルが間の抜けた声を放ち剣を落とした瞬間、エドバルの身体の内側に踏み込んだララティナは、エドバルの左足の膝に素早く蹴りを入れる。

 エドバルはあっという間に床に膝着く。

 ララティナが、丸い剣先をエドバルの首へ向ける。


「満足したか」


 エドバルは、悔しそうに顔を顰めたがそのまま醜い笑みを浮かべた。


「いや」


 仲間の男達の一人が、何かを放り投げたのがサリーには分かった。


「ララティナ様!」


 サリーの声に反応して、ララティナが後ろへ下がった。

 しかし、エドバルは投げ入れられた本物の剣を受け取り、素早く柄から引き抜くとララティナを切りつけた。

 ララティナのドレスが大きく横に切れ、覗く左の大腿からうっすらと血が滲みだす。


「命乞いをしろ、この淫売。そうすれば、俺の女にしてやるよ」


 エドバルが言った。


「俺と一度でもベッドを共にすれば、俺から離れられない身体になる」


「断る」


 ララティナはハンカチを手にすると傷に動揺した様子もなくそう言った。

 ドレスの裾をたくし上げ、傷をハンカチで縛る。

 艶めかしい太腿が覗くと、男達からひゅーと声が上がる。

 しかし、ララティナは恥じらう様子もみせなかった。


「ドレスが汚れなくてよかった。…エレノアが悲しむからな」


 ララティナはそう呟くと、さらにドレスを捲り上げ。

 両方の大腿に巻かれた靴下止めの革のベルトから両の手で短剣素早く抜いた。

 男達が静まり返る。


「剣を抜いたというなら貴様も命を掛けるのだな、エドバル」


 短剣を両手に逆さに構えるとララティナは言った。


「最低の屑が」


 か、かっこよすぎる!


 ふいに、サリーはなにか今と同じような場面を見たことがあるような気がした。

 その時、サリーの真上の二階の観客席からキアが飛び出して来た。

 男達の背後の地面へ転がるようくるりと受け身を取るとすぐに立ち上がる。

 それは、一瞬のことで、目の前で起こったのにサリーには目で追うことさえ出来なかった。

 ただ、肌を弾くような高い音と男達の呻く声が響く。

 キアの手足が鞭のようにしなったと思うと、三人の男が倒れていた。

 一人は腹を抑ええずき出し、一人は首を抑えながら泡を吹き倒れ、一人は膝を押さえ悲鳴を上げている。

 その叫ぶ男の首をキアが打ち付けると、男は目を上転させ気を失った。

 一人がサリーに向かって走り込んで来た。

 恐らく自分を人質にするつもりなのだと察したサリーは捕まるという距離で、男の顔目掛けて目潰しを投げる。


「ぎゃっ!」


 男は顔面を抑え、悲鳴を上げながら地面を転がった。

 キアは、サリーに視線を送ると頷き残る一人の方を向く。

 残った一人は、キアを恐怖の目で見ながら訓練場を逃げ出していった。

 しかし、キアはそれを追うことはしなかった。

 キアはそのまま黙って舞台へ上がる。

 そして、無言でエドバルに近づく。

 剣の間合いも気にすることもなく足を進める。


「こ、このっ」


 エドバルが剣で突いて来た瞬間、キアはその突きを軽く避け、剣を持つエドバルの右手を握った。

 そこまで見えたが、鞭で弾くような高い音を立て、エドバルの鼻にキアの拳が打ち付けられたと思うとキアが素早く足を上げたのが分かった。


「ぐっ」


 気が付くとエドバルは足の間を押さえながら地面へ転がっていた。

 恐らく股に蹴りを入れたのであろうが、サリーの目では追えなかった。


「ひ、ひきょうだぞ…」


 鼻血を流しながら苦しそうにエドバルが呻く。

 観客席の階段からレチリカが降りて来た。

 息を切らせながら、サリーに話しかけてきた。


「すごい、キア様。二階からぽーんって。あれやりたい」


「止めた方がいいよ、絶対」


「レチ達も訓練場に向かってる途中でエルシーが来て、男達が訓練場に勝手に入ってきたって。レチ、キア様に全然追いつけなくて」


「キア様!」


 エリックを先頭に、何事かと数人の騎士達が訓練場へ飛び込んでくる。

 先ほど逃げた五人目の男が捕らえられていた。


「訓練場に不信人物が入り込んだと聞いて来ましたが…」


 キアは、地面で悶絶しているエドバルの胸倉を掴むとそのまま引きずって舞台の下へ投げた。


「全員捕えて牢へ」


「エドバル・カイデン!」


「今の時間の入り口の見張りは誰ですか」


「えっと今の時間は…」


「全員牢へ」


「え?」


「彼らと関係がないか調べてください。ただの怠慢であるのなら…後で僕が行きます」


「は、はい」


 キアの低い声にエリックは身を竦めた。

 ララティナが、大腿に短剣を納めていると舞台の上にエルシーが駆け上がる。


「大丈夫ですか、ララティナ様」


「ああ、君も無事で良かった。とんだ訓練になったが、私もまた時間を作るようにする」


「はい!ありがとうございます」


 エルシーはそれだけ言うと、騎士達の後ろを追っていった。


「ララティナ様?」


 ララティナははっとした様子でエリックの方へ向かう。


「お久しぶりです、ノーラン副隊長」


「え?あ?ララティナ様!」


 エリックはしげしげとララティナを見る。


「これは…あなたが優秀な騎士であったと言っても、誰も信じないかもしれませんね。足に怪我を?」


「問題ありません、掠り傷です。私事に騎士団を巻き込んでしまい…」


「いや」


 キアが横から口を開く。


「彼を捕らえるいい機会になった」


 そう言って、キアはエリックに視線を送る。


「金を払うと言っても応じないでください。レナウル・カイデン殿が来るまで待ちます」


「分かりました」


 エリックは軽く会釈すると、訓練場を出て行った。

 サリーは舞台に立つララティナの後ろ姿を見上げた。


「すごい速さだな。あなたが何をしたのかほとんど分からなかった。武器なしであそこまでとは…」


 ララティナは、何事もなかったかのようにキアに話しかけた。


「よく考えれば、あなたが戦う姿を見たのは初めてだ」


「横から手を出して悪かった。…腹が立って。怪我は?」


 キアも何事もなかったかのように口を開く。


「たいしたことはない。ありがとう」


「それならいい。サリー、大丈夫か」


 サリーは口を開いた。


「はい!びっくりしましたよ。エドバルさんが突然侵入してきて、それをララティナ様が…」


 ふいにサリーはララティナの横顔を下から見上げ、記憶が蘇る。

 あの帽子で顔が見えなかったが、立ち姿の美しい女性のことを。


「あ!」


 その声に、ララティナがサリーの方を向く。

 サリーは思わずララティナを指さした。


「アンナ!」


 その目が落ちそうなほど大きく目を見開く。

 慌てた様子でサリーに手を伸ばす。


「やめっ!」


「アンナ!アンナ!アンナ嬢!」


 サリーは興奮してレチリカの肩を揺らし、ぴょんぴょん飛び跳ねた。


「何言ってんの?サリー。ララティナだよ」


「違うよ!いや、そうなんだけど!」


「どうした、サリー」


「キア様!アンナ嬢ですよ。あの幻の!アルドリック様のリボンの君!」


 キアが目を見開き、ララティナを見る。


「そうですよね!」


 手を伸ばし表情が凍り付いているララティナに言う。


「なんだほら、キア様に会いに来てくれてたんじゃないですか。アルドリック様が惚れちゃうくらいの美女だったんですよ。なのに、キア様が無視するから!違うんですよ、あれは眼鏡がなくて見えてなくて。だって、この人いやらしい下着でミリアリア様が寝室でキア様を待ってたのに、普通に部屋を間違えてますよっ言って去っていったんです。僕が寝室覗いてきゃーって」


 サリーは興奮しながら続ける。


「きっと気付かれなかったから悲しかったんですよね。せっかく会えたのに」


 レチリカの肩をゆすりながら、サリーは話続ける。


「だって、戦中は会う方法なんて分からないじゃないですか。キア様ずっとあちこち行っていたし」


「サリー、キア様怒ってる」


「怒ってない、怒ってない。もともとあんな顔だから」


「でも…」


「だって、自分が先に無視したのに、全部ララティナ様のせいにしていじけているんですよ。とんだぽんこつじゃないで…」


「サリー」 


 キアの低い声に、サリーははっとして口を閉じた。

 キアが冷たい視線をサリーに送っている。


「あ、すみません。ちょっと興奮して」


 そのまま隣のレチリカに囁く。


「やっぱり、あれは怒ってたね」


「サリーってば」


 レチリカが呆れた声を出す。

 長い沈黙の後、キアがふいに口を開いた。


「ぽん…?」


「やだやだ、キア様ってば変な言葉を覚えないでくださいよ」


「言ったのは君だ」


「だって…」


 ララティナが静かに座り込んだ。

 両手で顔を覆い、震えている。

 キアが駆け寄り、隣に膝を付く。


「ララ…」



「ふふっ」


 ララティナは顔を覆い、笑い声を漏らした。

 しかし、堪えきれず声を出して笑い出した。


「はははっ、面白いな、サリヴァンは。ぽんこつって」


 キアの前でこんなに大きく口を開けて無邪気に笑う女性を、サリーは初めて見た。


「しかも、全部話してしまって。恥ずかしい!」


 今ではキアの膝を叩きながら笑い続けている。


「ふふふ、だめだ。お腹が痛い!お腹が。」


 ララティナはひとしきり笑い続け、落ち着いたと思ったがキアの顔を見て再び吹き出す。


「だめ、だめだ!」


 再び笑いだすララティナを見つめながら、キアは静かに息を吐いた。


「レチリカ、先生を呼んで来てくれるか」


「え?」


「彼らの様子を先生に。今の時間、騎士団本部の医務室にいるだろうから」


「はーい」


 レチリカは足早に訓練場を出て行った。

 ララティナはしばらくしてやっと笑いを、納め顔を上げた。


「申し訳ない」


「…僕に会いに来たのか?」


 ララティナは目を大きく見開き、恥ずかしそうに可愛らしい笑みを浮かべた。


「ああ。サリヴァンの言う通りだ。あなたに気付かれなくて…いじけたんだ。あなたはもう私など忘れたのだと。…会いたいと思っていたのは、自分だけなのだと」


「そんなこと…」


「おい、何があったんだ」


 その時、訓練場の入り口からトルニスタが入って来た。

 その隣にレチリカが立っている。


「いちおうララ姉の傷も診て貰った方がいいと思って」


 トルニスタは、舞台へ上がるとララティナは再びドレスをたくし上げる。

 サリーはキアに睨まれたので顔を背けた。


「唾でもつけとけ。もしくは、旦那に舐めてもらえ」


 ララティナが顔を顰める。


「先生、冗談はやめてください」


「もう話したのか。お前のこと」


 ララティナは一瞬口を閉じ、キアをちらりと見る。


「…気付かれてしまいました」


「本当か?あの時と全然違うのにな。どうやって…まさか風呂でも覗…」


「ヴィンセントしか知らないことを彼女が知っていた。それだけです」


 トルニスタの言葉を遮る様にキアが言った。


「なぜ皆僕を変態にしたがるのか」


 そうぼそりと呟く。


「キア君みたいな奴は、絶対助平だろう」


「すけべ。…は?」


 キアが忌々し気にトルニスタを見る。

 サリーは思わず顔がにやけ、キアに睨まれる。


「私の風呂を見る必要がなぜあるのですか?」


 ララティナもとんだ天然だなとサリーは笑いを零す。


「キア君、分かっているだろう。ララはもっと大怪我をしている。こんな小さな傷でぴりぴりするな」


「いえ、僕は牢の男達を…」


「あんた、あの後どのくらいで戦場に復帰した?」


「あの後?」


「ララに助けられた後」


「二日で」


「本当に二日で戻ったのか」 


 ララティナがぎょっとした声を出す。


「ほんとにバケモノ騎士だな」


 トルニスタが呆れたような声を出す。


「ララは、ヴィンセントを失って、落ち込んで傷の治りも悪かった。飯も食わないから、正直このまま死ぬつもりかと思った」


「…先生。そんなつもりは…」


 ララティナは困ったように言う。


「大事にしてやれよ。それより、重症って誰だ」


「あ、牢にいるよ」


 レチリカが答える。


「罪人か?」


「エドバルだよ。ほとんど動かない。股抑えて」


「なんだ、喧嘩か?案内しろ」


「はーい」


 レチリカとトルニスタが訓練場を出て行くと、ララティナがドレスの穴を気にしていた。


「裁縫道具を借りて縫っても?」


「ああ」


 キアは自分のコートを脱ぐと、ララティナの腰に結び付けた。


「いや、私は…」


「破れたところが人目につく」


「ありがとう。…本当にスカートみたいだな」


 そう言って、ララティナは舞台を降りるとサリーの方へ歩み寄る。


「サリヴァンは、平気か?」


「ええ、僕のことはサリーでいいですよ。ララティナ様」


「では、私もララでいい。あの男に何を投げたんだ?」


「えっと、胡椒とか唐辛子とかの粉です」


「それは痛そうだな。それにしても、あの時のことを覚えていたとは」


「まぁ、女の子に間違われたのにちょっと腹が立って」


「そ、それは…すまなかった」


「でも、どうしてアルドリック様はあなたを地味な女性と言っていたんでしょうか」


「そのアルドリックとは?」


「あなたが腕を捻り上げたあの騎士です」


「ああ、あの最低男か。なぜ私のリボンを持っているのか」


「たぶんララ様に一目惚…」


「彼は僕の甥だ」


 キアはサリーの言葉を遮る様に言った。


「ただの下半身腐れ男だ。君が気にする相手ではない」


 キア様ひどい。

 でも、否定はできずサリーは苦笑した。


「エドバルと同じ女好きか。…今甥と言ったか?」


「ああ、ユークリッド・バルバロット…僕の兄さんの息子だ」


「なるほど、私とレチリカのような感じか。王国騎士団の息子があれとは、残念だな」


「リボンは兄さんに言って取り上げさせる」


 そう言いながら、キアが舞台から降りてくる。


「君は、王都の舞踏会に出たのではないのか?」


「いや、舞踏会に出たことはない」


 サリーは驚いて口を挟む。


「出たことがないって…あなたの醜聞は一体何なんですか」


「さあ?私も詳しくは分からない。ただ私のふりをする女性を雇っていた。舞踏会に出ていたのは、彼女だ」


「では、彼女が不倫を?」


「彼女は違うと言っていた…らしい。しかし、エレノアの家に突然女性が乗り込んで来て、この泥棒猫とか言いながら短剣を振り回したそうだ。騎士が出動して大事になってしまったらしい」


「…どうしてそんなことになったんですか?」


「恋文が見つかったそうだ。そこには、私の名が書かれていた」


 あまり気にした様子もなく、ララは言った。


「嫌ではないのですか。濡れ衣を着せられ噂されるのは」


「当の私がこんななのだ。誰も信じないだろう」


「こんなって…噂のままですけど」


「男を惑わす悪女か?そんなことは初めて言われたな」


 ララは苦笑しながら言った。


「では、団長室を借りる」


 ララの後ろ姿を見送りながら、サリーは口を開いた。


「不思議な方ですね、ララ様って」


 サリーは思わず言った。


「あんな風にあなたの隣で笑う女性、初めてみました」


「昔からそうだ。サリー、レチリカに聞いてミゼウルがどこにいるか探してくれないか」


「あ、はい」


「それと…君の言葉は忘れない」


「もう!すみませんってば」


 サリーは逃げるように訓練場を出た。

 出てすぐの廊下にレチリカがいた。


「レチリカさん、ミゼウルさんの場所ってわかる?」


「えー?」


「えっと、逢引きに使う所とか?」


「モジャが?誰と?」


「たぶん、エレノア様かな」


「うそうそ、絶対あり得ない。あ、だから今日格好にこだわってたんだ。もしかしてアントンのお店かな」


「連れて行ってもらえる?」


「分かった。付いてきて」


 そう言って、レチリカは歩き出した。

 サリーはその後ろに続きふと思った。


「レチリカさんは、知ってたの?ララ様が出撃した時のこと」


「まあね。でも、レチ子どもだったからよく分かってなかった。ただ、ララ姉が怪我して大変ってことしかね」


「そっか。そうなんだ。…そういえば、どうしてミゼウルさんを呼び出すのかな」


 レチリカは暗い声で言った。


「レナウル兄さんが来るのかも」


「え?」


「いつもすごいお金払ってエドバルを助けてるの。ギデオン様は、解放してた」


「そんな!ミゼウルさんは、それを許してたの?」


「モジャは厳しめの罰を与えていたけど、それでもギデオン様には逆らえなくて。捕えておくことは出来なかったの。それに、お父さんが来たら…どうしようもないから」


 お父さんというのは、ダグラル・カイデンのことだろう。


「レチ、お父さんには逆らえないの。…もっと強くなりたいのに」


「だから騎士になりたいの?」


「え?」


「騎士になって、お父さんを止めたいの?」


「…違うよ」


 レチリカは振り向かずに言った。


「あたしは、騎士なんかなりたくない。でも、お父さんを見返す方法はこれしかないから。弱いただの女じゃないって。騎士になって、母さんのこともあたしのことも捨てたお父さんを見返してやるの」


 そう言いながら、レチリカはぴんと背中を伸ばしていた。

 いつもは甘えるように、自分の名を呼んで話すのに、今日は別の人のように凛として見えた。


「かっこいいな、レチリカさん」


「全然嬉しくないんですけど。…いいよね、サリーは。男なのに、キア様に守ってもらえる。優しい世界に生きているんだから」


「そうなんだ!キア様かっこいいんだから!男の僕が惚れちゃうくらい」


 レチリカは、呆れた顔で振り向いた。


「嫌味なんだけど、今の」


「え?そうなの?本当のことでしょ?」


「サリーってモジャみたい」


「え?ミゼウルさん?噓でしょ!」


「単純すぎるとこ、そっくり」


「複雑だよ。すっごい複雑」


 レチリカは鼻で笑うと再び歩きだした。


「僕は、でもキア様を守れるようになりたいな」


「キア様を?」


「うん」


「あの人は守る必要なんてないよ。強い人だも。」


「分かってるよ。でも、強いって何もかも背負って、いつか潰れてしまいそうな気がして。僕は少しでも、手伝いができればいいなっていつも思うんだけど。全然、努力出来てないんだ。剣を振るうのも怖いし、今日みたいにあんな高い所から降りるのなんて絶対ちびるでしょ」


 サリーは苦笑した。


「でも、ララ様なら…キア様を守ってくれるかな」


 レチリカが呆れたように言った。


「サリーが守るんじゃないんだ。」


「そうだね、僕がもっと強ければね。そしたら、レチリカさんのことも守ってあげるって言えるのに」


「え?」


「君みたいな可愛い女の子が無理に騎士にならなくていいように」


 レチリカは黙って歩き続けた。


「そんなの、レチより背が高くなってからいいなよ」


「あはは、確かに。…背はもう無理かもね」


「情けないなあ、サリーちゃんは」


 サリーは苦笑いしてレチリカを追い掛けた。

 レチリカには、きっと強くならなければいけない理由があるのだろう。

 いつかレチリカを守ってくれる強い騎士が現われればいいのに。

 自分がそうはなれないことを、サリーはなぜか残念に思った。

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