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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
7/17

六.

 ララはいつも通り朝六時に目を覚まし、身支度をすませた。

 ララに専属のメイドはいない。

 すべて自分でするように母から言われていたからだ。

 いつもなら裏の小屋に訓練に出掛けるが、キアが来てからはそうはいかないだろうと、部屋で簡単に身体を動かす。

 ガーディアス家には朝食室があるが、ララは朝食室で食べる習慣はない。 

 昔は厨房の隅で食べていたが、今は新しく雇った召使達が気を遣うためリアンが運んで来てくれる。

 六時半になるとリアンが扉を叩きワゴンで朝食を運んで来てくれた。


「おはようございます、ララ様」


「おはよう、リアン」


「キア様は、つい先ほど訓練場へ出掛けられました。終えて戻って来て八時頃朝食を食べるそうです」


「そうか」


「皆で、朝食室で」


「そうか」


 リアンはじっとララを見つめた。


「いいのですか」


「え?」


 リアンはあまり多弁ではない。

 何か察して欲しいのかララをじっと見る。


「今のうちに小屋に訓練に行った方がいいか?」


「そうではなく…いえ、これ以上余計なことは。失礼します」


 リアンは静かに部屋を出て行った。


「いつもながら、何が言いたいのか分からないな」


 ララは長椅子に座り、新鮮なトマトとレタス、牛乳を少し混ぜた半熟の卵の挟まったサンドイッチを頬張り紅茶を啜った。

 その日、キアは訓練を終え朝食を食べると領地を回るのだと早朝に出ていき、戻って来たのは夜遅くだったため夕食の席でさえ会うことはなかった。

 その次の日は、キアと一緒に街へ行くのだとエレノアが誘いに来たが、ララは丁重に断った。  

 皆が出て行った時間を見計らい書庫へと向かう。

 部屋に持って来た本は、もう全部読み終わってしまっていた。

 キアと出くわすこともないだろうと書庫にある長椅子に座り、部屋に持っていく本を吟味した。

 いつの間にか新しい本が入ったのか、並ぶ剣術指南書を数冊手に取り思わず読み耽る。


「おい」


 その声に驚き、顔を上げると本棚の隣に白衣を着て診察鞄を下げたトルニスタが立っていた。


「先生、驚かさないでください。どうしたのですか」


「どうしたもこうしたもない。お前、まだ話してないのか」


「何のことですか」


「キア君はヴィンセントの最期を俺に訊ねてきたぞ」


「え?」


「俺は知らないと言っておいたからな。…本当のことだ」


 ララと同時に帰還したトルニスタは確かにその最期を知らなかった。


「なんで話さない。何を気にしている」


「おじい様から言われたのです。あの傷の責任を取ってもらえと。だから…」


 トルニスタは静かに息を吐いた。


「まったく死にぞこないでも口だけは達者だな、ギデオン殿は」


「先生、口が悪いですよ」


「もはや死人だろ。気にする必要はないだろう。…お前は、どうしたい」


「どう?」


「身体張ってでも助けたかった奴だろう?何を怖がっている」


「私は…よく分かりません」


 ララは広げていた本を閉じた。

 長い沈黙の中、トルニスタが口を開く。


「また、薬草取りを手伝いに来い。ジェイも待ってる」


「ありがとうございます」


 ララは静かに微笑んだ。


「先生はどうしてここに?」


「キア君の診察だよ」


「診察?」


「目だよ。半年に一回くらいは見た方がいいだろう」


「目は一体…」


「先生」


 その声に、ララは目を見開く。トルニスタの後ろから現れたのはキアだった。


 嘘!

 出掛けたはずでは…。


 キアはララを一瞥すると、トルニスタに診察用の拡大鏡を渡す。


「忘れものです」


「おお、悪い。キア君。ああ、もうキア様と呼ぶべきなんだろうな」


「いえ。その呼び方は、懐かしいので」


 ララは机に置いていた三冊の本を纏めて、立ち上がった。


「では、わたくしはこれで」


 一体どこから話を聞いていただろうか。

 動揺しながらも、ララは澄ましてその場から立ち去ろうとした。


「お前、怪我の調子は?」


 トルニスタのその言葉に、ララは振り向かずに顔を歪めた。

 なんて意地の悪い。


「問題ありませんわ。失礼いたします」


 書庫を出て廊下を足早に歩いていると、持っていた本が一冊落ち、ララは慌てて振り向いた。  

 しかし、ララよりも早く本を拾ったのはキアだった。

 ララは目を見開く。

 キアはゆっくりと本を拾い、その本を眺める。


「…剣術指南書。剣術に興味が?」


「い、いいえ。偶然握っただけです」


 キアはどこかいぶかしげにララを見ている。


「これは、応用だ。基礎編がある」


「ああ、基礎編はこっちに…」


 ララは抱えた本の一冊を指すと、キアはさらに目を細めてこちらを睨む。


「偶然か」


「そ、そうです。新しい本があるなあと」


「僕が持って来た本だ。君が楽しめるとは思えないが」


 キアは本を差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 ララは手を伸ばしその本を掴んだが、キアはなぜか本から手を離さなかった。


「怪我を…しているのか」


 ひっと声が漏れそうなのをララは堪えた。

 ララは必死に頭を巡らせた。


「先日…転んでしまって。怪我というより…足の捻挫で、もう完治いたしました」


 よくもこう簡単に嘘が出てきたものだと自分でも感心してしまう。


「あなたは、目をどうされたのですか」


「怪我をしただけだ」


「あまり見えていないのですか」


「見えている」


 キアの素っ気ない返事に、これ以上聞くなと言われた気がしてララは口を閉じた。


「…ジェイという男は?」


「え?」


「さっき先生と話していた」


 聞こえていたのは、その辺りからだったのだろう。

 ララはほっとしながら答えた。


「ジェイは、ジェイドという先生の飼っている猫ちゃんです」


 キアは静かに息を吐いたが、まだ本から手を離さなかった。


「買い物に興味はないのか」


「今必要なものはないので」


 キアはじっとララを見つめた。

 ララは目を伏せ、再びぐっと本を引っ張ったがキアは手を離さなかった。


「あの」


「僕と顔を合わせるのは嫌か」


「え?」


「朝食にも、外出にもいないようだが」


「朝食は部屋で食べる習慣です。…わたくしがいては、不愉快でしょう」


「そんなことは…」


 キアが口を開いた瞬間手が緩んだ。

 ララはキアの手から本を引き抜く。


「…失礼します」


 ララはそのまま振り向かず、足早にその場を去った。

 キアはそれ以上追ってくることはなかった。

 ララは、部屋に戻り息を吐いた。


 後でエレノアに聞いたところ、キアは目の診察があるのだと、突然出掛けるのを断ったらしい。

 それでもサリヴァンに財布を渡してくれて、強請ったらなんでも買ってくれたと満足そうだったが。


「サリーちゃんが、ララのことをわたくしに聞いてきたのよ」


「私のことを?」


「好きな花とかお菓子とか、あと趣味とか。お花にもお菓子にも興味はあまりないって伝えておいたわ。あと趣味は…」


「ま、まさか」


「そうね。まさか剣術とは言えなかったわ。本人に聞いてと伝えておいたわ」


「ありがとうございます」


「本当、あなたったら」


 そういいながら、エレノアは溜息を吐いた。

 その日、それ以上キアと話すことはなかった。

 顔を合わしたのは夕食の席で、キアは時折こちらを見ているような気がしたが、ララはひたすらに気が付かないふりをした。

 トルニスタのせいで、キアが自分に余計な関心を示すようになっているような気がした。

 ヴィンセントのふりをしていたと知られないように、びくびくとして過ごす日々が続くかと思えばうんざりした。


 いっそ言ってしまえば…どうなるのだろうか。

 怒ってマリエラと結婚してしまうのだろうか。

 それとも、恩を返すために…結婚するというのだろうか。

 

 次の日は海へ出掛けるのだと正午近くに、家を出て行くキア達を今度は窓から確認した。

 皆がいないのであれば、久しぶりに訓練をしようと、ララはシャツとズボンに身を包み胸当てを締めた。

 ララの昔の服は処分されてしまったので、少し大きいが父親の古着を着ていた。

 扉を叩く音とともにアロアが部屋に入って来た。


「あら、出掛けるのですか。また、そんな逞しい恰好で」


「訓練をしてくる」


「…キア様がお知りになったら」


「たまには身体を動かさなくては、叔父上が太ったのだとうるさいのだ」


「違いますよ!女性らしい身体を隠す必要がなくなったからです!あの男は、そんなことしか言わない!」


「まあ、良い所もたくさんあるのだが」


「分かっていますよ。私も感謝をしています」


「あなたが叔父上に?」


 アロアははっとしたように顔を上げる。


「でも失礼なのは許しません。エレノア様にもっと痛め付けられればいいのです」


 ララは思わず笑った。


「今日は出掛けなくて本当に良かったのですか」


「え?」


「なんというか、キア様とマリエラ様、とても親しくしているように見えました」


「分かっている」


「私は嫌ですよ。…この家の女主人になるのはあなたです」


「仕方のないこともある」


「ララ様…」


「行ってくる」


 屋敷の裏にある古い倉庫として使っていた小屋をララは密かに訓練の場所として使っている。  

 怪我をした後、長く安静に過ごす日々が続いた。

 そのため、以前のように動けなくなっていた。

 そこで、リアンとミゼウルがギデオンに見つかることなく訓練する場所を作ってくれた。

 小屋に入ると、中には訓練道具が並んでいる。

 木の人形相手に剣を振るったり、張り巡らせたロープの間をくぐり抜けたり、時にはミゼウルに相手になってもらったりもする。

 エレノアが見たいというので一度ミゼウルと模擬戦を見てもらった。

 エレノアはララの動きを褒め称えてくれた。

 ララはひとしきり身体を動かした。

 動いていれば、煩わしいことも何もかも忘れられるような気がした。

 懐中時計で時間を確認すると、もうすぐ十五時になろうとしていたので、キア達が帰ってくる前に部屋に戻ることにした。

 部屋で、汗で濡れた身体を拭き、再びドレスに袖を通した。

 その時、扉を叩く音が響いた。


「ララ様、レチリカさんが来ています」


 リアンの声がそう告げた。


「レチが?分かった」


 ララは、髪を整え部屋を出た。

 正面玄関の階段の下を覗くと青い騎士の制服に身を積んだレチリカの姿が見えた。

 短く切りそろえた栗色のくせ毛を揺らし黒炭のような瞳でララを見上げ、ぱっと笑顔を浮かべた。


「ララ姉!」


 ララが階下へ降りるといつものようにレチリカが抱き付いてくる。

 レチリカはララと同じくらい背が高くなったのに、昔のようにいつも飛びつく勢いで抱き付いてくる。

 その時、玄関が開きキア達が入って来た。


「ど、どういうことなの!」


 リヴィエラの叫び声が響いた。

 顔を真っ赤にして、責め立てる様にララとレチリカに近づいてくる。


「こ、こんな白昼堂々と男性と抱き合っているなんて!ララティナ!」


「叔母様、待ってください」


「メルバ夫人」


 キアの声に、リヴィエラが振り向いた。


「これで分かりましたでしょう!こんなふしだらな娘でなく、マリエラと…」


「彼女はレチリカ・カティス。ララティナ嬢の伯母です」


 キアの静かな声が響いた。


「…女性?伯母?」


「そうだよ。あたしは、女だよ。…なんなの、この失礼なばばあ」


「ば?」


 リヴィエラがさらに顔を赤くした。


「レチ、彼女も私の叔母様。それと、そんな言葉を使うべきじゃない」


「だって、モジャがよく言っているもの」


「自分の兄上をそんな風に言わない」


 エレノアがレチリカに駆け寄った。


「こんにちは、レチちゃん」


「エレノア、こんにちは」


 レチリカはエレノアとも親しく、ミゼウルをモジャウルと呼ぶのをたいそう気に入り、自分もそう呼んでいた。

 最近ではもはやモジャしか残っていない。


「相変わらず訓練忙しいの?」


「うん、キア様の扱きは半端ないよ。ねえ、キア様」


 そう言って、レチリカはララの傍を離れるとキアの傍に行くと甘えるように腕を組んだ。

 そのさりげない行動に、ララは思わず咎めるような視線を送ってしまったことにはっとして目を反らした。

 レチリカが誰にでも何気なく触れるのはいつものことだった。

 それに対しこんな気持ちになったのは初めてだった。

 キアは、慣れた様子でその手から腕を優しく引き抜いた。


「気安く触らないでくれと言っている」


「えー、いいじゃん。家族になるんだから。サリーちゃんも、相変わらず可愛いね」


 レチリカはキアから離れると、今度はサリーに向かって手を伸ばす。

 しかし、サリーは慌てて後ろに下がる。


「頭撫でるのは禁止です!小さいからって、ばかにして!あ、自分で小さいって言っちゃった」


「相変わらず面白いねぇ」


 レチリカはすでに、キアとサリーと親しくしているようだった。

 ララはそれを羨ましいと思う気持ちを抑え、ただ目を伏せていた。


「訓練?扱き?一体何の話をしているの?」


 リヴィエラが混乱した様子で言った。


「あたし騎士見習いだもの」


 そう言ってレチリカは、笑った。


「騎士ですって?女性がそんなに髪をみっともなく短くして!信じられない。なんて野蛮なの!」


 リヴィエラが再び声を荒げる。


「キア様が許可してくれたの。女性も騎士になる訓練を受けていいって。まだ六人しかいないけど」


「なんですって?」


 リヴィエラがキアを見た。

 キアは静かに答えた。


「…騎士達の受け入れが良いのが不思議でしたが」


「それは、優秀な女騎士が…」


 レチリカがララの方を見て言ったので、ララはその口を手で押さえた。

 レチリカはもぐもぐと口を噤んだ。


「そんな…こんなの!なんなの?頭が可笑しくなるわ」


 リヴィエラが信じられない様子で呟いていた。

 戸口に立っているマリエラは、母親の様子に怯えるクラリッサを抱き上げおろおろとしている。


「…海は、楽しかったですか」


 ララは場を繕うように、エレノアに聞いた。


「ちょっと寒かったわ。見回りをしているモジャウルさんに会ったわ」


「叔父上が見回りを?」


「なんて言っていたかしら。最近、見慣れない人が領地にいるらしくて…」


「君も、一人で出歩かないことだ」


 キアがララに話しかけてきた。


「…今日は何を」


 その咎めるような口調に、ララは澄まして言った。


「男漁りを」


 キアが目を細める。


「やだ、ララ姉!そんな冗談いうなんて!」


 そう言って、レチリカが笑いながら豪快に背中を叩いた。

 ララはぐっと声を漏らした。


「レチ、少し加減を」


「ねぇ、聞いて。あたしに弟がいるんだって」


「は?」


「ねー、もう何人兄弟がいるのか分からなーい」


 レチリカはそう言って無邪気に笑った。


「ねぇ、ララ姉の部屋に行こうよ。話したいことがいっぱいあるの」


「分かった。では」


「ララ、これからみんなでお茶をするの。マリエラが焼いてくれたケーキを食べるのよ。レチちゃんも一緒にどう?」


 エレノアがそう言ったが、レチリカはリヴィエラを見て言った。


「レチ、その人嫌いだからいや」


 そう言って、ララの手を引く。


「ありがとうございます、エレノア。では…」


 始終キアの冷たい視線を感じながら、ララはそちらに目を向けないように、レチリカと自分の部屋へ向かった。


 カイデン家当主であるダグラル・カイデンは、老いてもなお逞しい男だった。

 十六歳になるレチリカは、十歳の時にカイデン家に引き取られた。

 ダグラルの愛人であった曲芸師である母親が亡くなり、父であるダグラルに引き取られたのだ。

 初めて会ったのは、ミゼウルが訓練場に連れて来た時だった。


『なんか、暇そうだったから連れて来た』


 レチリカは、ミゼウルの背中に隠れてララをじっと見つめる引っ込み思案の子どもだった。

 ダグラルの妻であり、ララの祖母であるルカリアは、ダグラルに怯え言いなりだった。

 愛人の娘を育てることも厭わないというが、決して優しく世話を焼いたりはしないようだった。

 ミゼウルに連れられレチリカは毎日のように騎士団に顔を出すようになった。

 レチリカはララの訓練をじっと見つめ、気が付けば自分の真似をするように剣を学び始めるようになった。

 ララが怪我で苦しんでいるときも、自分のことのように心配してくれた。

 レチリカは、十四歳の時に三〇近く歳の離れた男へ嫁に出されそうになり、家を飛び出していた。


 あの日、ミゼウルが訪ねて来たのは、明け方だった。


『エレノアいるか』


 寝間着のまま出迎えたララに、ミゼウルがそう言った。


『どうしたのですか。私では駄目ですか』


『お前には、あまり見せたくないんだが』


 なぜかミゼウルはそう言った。

 ララはエレノアを起こすとミゼウルの家へ向かった。

 ミゼウルの家に行くと、ベッドの上で表情のないレチリカがただ座っていた。

 レチリカは、ひどく殴られ顔は腫れ、髪もぐしゃぐしゃに切られていた。


『レチ』


 ララがそう声を掛けると、レチリカは顔を上げ静かに涙を流した。

 そしてララの胸に顔を埋めると、大声を上げて泣き出しだ。


『なんだ、乳があれば誰でも出せるのか』


『何を…ですか』


『母性。…だったら俺も寄せてあげれば』


『こんな時に何の話をしているのよ!モジャウルさんは!』


 エレノアに怒られ、ミゼウルはしゅんと肩を落とした。

 レチリカの髪は、エレノアが綺麗に切りそろえてくれた。

 それでも、その日に何が起こったのかは今でも口にしない。

 そして髪も伸ばそうとしなかった。

 レチリカはダグラルから絶縁され、名もカイデンではなく死んだ母親の姓であるカティスを名乗っている。

 今ではミゼウルの家で生活をし、最近では騎士見習い仲間の家で寝泊まりすることが多いらしい。

 ミゼウルに似てあまり周りを気にすることなく口を開くため、時折ひやひやさせられる。


「それで、弟は屋敷で暮らすのか?」


「ううん、別に家を用意するんだって。でも、お父さんのかなりお気に入りらしくて。レナウル兄さんが慌ててるらしいよ」


「エドバルを後継者から外されるかもしれないからか」


「エドバル、悪いことしかしないからね」


 エドバルは、カイデン家のお金を使って自由な暮らしを楽しんでいる。

 数年ぶりに再会して、なぜかララに見知らぬ女に使うような態度で接して来た。

 自分がララティナであることを伝えてひどく驚いたが、それでも腰に手を回して来たので、その場で腕を捻り上げた。

 その弾みで肩が外れてしまい、泣き叫びながら手下達に回収されていった。


 レチリカは、ララの部屋に入ると勢いよく長椅子に座った。

 ララもその隣に座る。


「騎士団で訓練するのは楽しいんだけど、まだララ姉みたいに両手では剣を使えないんだよね。どうすればいいの?」

 

 レチリカは剣の腕こそまだまだだが、縄一本で自分よりも背の高い場所へも怖がることなく軽やかに登っていくほど身軽だった。

 ブランコ乗りが得意だった母に倣ったのだと、いつも誇らしげに話している。


「私が始めたのは、六歳くらいだから。毎日練習をしていれば、出来る様になる」


「毎日…かあ」


 そう言いながら、レチリカは唐突に言った。


「ね、キア様と仲悪いの?」


「なぜ?」


「だって、なんかぴりぴりしてたじゃない?」


「そうだな。あの人との関係は…少し複雑で。いろいろあったんだ。私がヴィンセントのふりをしているときに」


「ああ、五年前のことか。ララ姉怪我して大変だったもんね」


「ああ。レチもこのこと黙っていてくれるか」


「別にいいよ。…ねえ、キア様のこと嫌なら、レチに頂戴」


「え?」


「だってキア様見たいに綺麗で優しくて強い男の人に会ったことない」


「レチ、好きな人がいるのだろう?」


「キア様が来てからはキア様一筋だよ。…だから、いいでしょ?」


 レチリカは、ララの肩に持たれてにっこりと笑った。

 こうしてみると騎士の姿をしているが可愛らしい女の子そのものだ。


「だめ」


 自然と出た言葉にララは驚いた。


「ちぇっ。だよねー」


 レチリカは楽しそうに笑った。

 レチリカにはこうも素直に言えるのだが。

 アロアが運んで来てくれた紅茶を口にしながら、マリエラが焼いたというケーキを食べる。


「何これ!すごい、雲みたいなケーキ!初めて食べた!」


 やや興奮しながらレチリカは口に頬張った。


「キア様が甘いのをあまり好まないみたいで、マリエラ様色々考えたみたいですよ。卵白をよく混ぜていれると入れるとこんなケーキになるんですって。ずっと家にいて、お菓子を作るのが唯一の楽しみだったんですって」


「そうか、すごいな。マリエラは」


 それに引き換え…。ララはそれ以上は止めた。

 考えても仕方ないことだ。


「レチは、ララ姉のチーズ焼き大好きだよ。ほら、じゃがいもとイワシのオイル漬けのさ」


「ああ、あったな。叔父上がどうしても食べたいって言うから、作りに行ったことが」


「ララ姉のご飯が一番美味しかったっていってた」


「食事が一番大切だって教えてくれたのは叔父上だ。だからいつも食事していたアントンさんの店で教えてもらった」


「ララ姉だって、すごいじゃない?」


 ララは思わずレチリカを見た。


「ありがとう、レチ」


 そう言って、その頭を撫でるとレチリカは嬉しそうに微笑んだ。

 その後もしばらくお互いの近況を話した。

 エレノアの言った通り、最近見慣れない大型の馬車がうろついていたという噂があるらしく、騎士達でその行方を追っているという。

 領地を巡回する人数も増やしているが、未だに見つからないようだ。


「それはいつ頃の話だ?」


「丁度五日くらい前かな。その前から、なんか変な馬車を見かけたって人が居たんだけど、大型の馬車は今回が初めて」


「何かの準備に人を集めているのか」


「うん、キア様とモジャもその辺りを疑ってるみたいだけど」


「ここ一週間で何かあったかな。…キア・ティハルが屋敷に来たくらいかな」


「キア様の敵?でも、こんな田舎で襲うよりも都会で囲った方が手っ取り早くない?」


「恐らく何度か襲っているが、キア・ティハルに敵わず…何か弱みを見つけたとか」


「弱み?…てか、何でいつも家の名まで言うの?」


「え?」


「キア・ティハルって。面倒じゃない?」


「いや、ティハルは家の名じゃなくて二つで名だそうだ」


「へー」


 レチリカはじっとララを見た。


「案外そんな話もするんだ」


 ララは、思わず目を見開いた。

 そうだ、これはヴィンセントの時の話だ。


「まあ…な」


 レチリカは、ふいに思い出したように言った。


「そう言えば、温室ってどこにあるの?」


「温室?庭にあるが」


「なんかキア様って良く温室に出入りしてるってサリーちゃんが言ってた。ギデオン様が育ててた薔薇の世話してるんだって」


「そうなのか。知らなかった」


 ギデオンが温室に出入りしていたのは、随分と前のことだった。

 薔薇を育てているというのは初めて聞くことだった。

 ララは、アロアに視線を向けた。


「そうですね、時々温室に出入りされていますよ。以前はリアンが水やりをしていたのですが」


「ねぇ、行ってみようよ」


 そう言って、レチリカは意地の悪い笑みを浮かべた。


「嫌だ」


「いいじゃん、ねぇ」


 レチリカが紅茶のカップを置いて立ち上がる。

 そしてララの手を引いた。


「勝手に行ったら怒られる」


「怒ったところみたことないもん」


「いいのではないですか。入るなとは言われていませんもの」


 アロアがにこやかにそう言った。

 ララは仕方なくレチリカに引っ張られ立ち上がった。

 温室は裏庭の中央にある。

 階下に降りていくと、ララとレチリカはそのまま裏口から庭の方へ出た。

 温室の近くにある物置に来た時、ララは思わずその陰に隠れた。


「え?何?」


 温室の前には、キアとそしてマリエラとクラリッサがいた。

 袖を捲りジョウロを手にしているキアにマリエラは何か話し掛けていた。


「…あたし行ってくる」


「いやいや、待て」


 出てこうとするレチリカをララは抑える。

 キアがバケツの水をジョウロに移そうと腰を下ろした瞬間、マリエラの傍らにいたクラリッサがキアの背中に飛びついた。

 マリエラが慌てて止めようとしたが、キアは構わずそのままクラリッサを肩車した。


「すごい、夫婦感」


 レチリカがそう呟き、はっとしたように口を閉じた。


「なんか…ごめん」


 レチリカがそう言ったが、ララは思わず吹き出した。


「何?何が可笑しいの?」


「だって…なんか、子猫にじゃれつかれている大きな犬みたいじゃないか?」


「へ?」


 クラリッサがキアの頭をぼさぼさに弄るのを怒るでもなく、されるがままだ。

 その姿がララにはどうにも可笑しかった。


「いや、あの人は犬というより獅子みたいだが」


 レチリカは、なぜか小さく息を吐き、壁にもたれた。


「なーんだ。ララ姉、キア様のこともう大好きなんだね」


 ララは思わずレチリカの方を向いた。


「ええ?」


「だって、キア様しか見えてないから」


 ララは口を閉じた。

 そのままレチリカの隣の壁にもたれる。


「は、恥ずかしいことを言うな」


「どうして、キア様と関わろうとしないの?」 


「それは…」


 ララはしばらく口を閉じた。


「義務とか責任に縛られて欲しくない…から」


「義務?そんなものどうでもよくない?一緒にいたければいればいいよ」


 レチリカがじっとララを見つめた。

 ララは思わず苦笑した。


「いや、私が臆病なだけなんだ。キア・ティハルに…これ以上嫌われたくない」


「嫌ってない」


 真上から低い声が響く。

 その声に、ララは上を見上げ目を見開いた。

 一体いつからいたのか、ララのすぐ近くにクラリッサを肩車したままのキアが立っていた。


「嫌っているのは君だ」


「し、失礼します」


 ララはレチリカの腕を取り、キアに背を向け走り出した。


「待て、ララティナ嬢」


「キアさま、みずくみいかないの?」


 クラリッサの声が響くと、キアはそれ以上追って来なかった。

 ララは、裏口から屋敷の中に入り、息を整えた。

 レチリカが言った。


「びっくりした!キア様、全然気配ないね」


「ああ。心臓が止まるかと思った」


「ねえ、きちんと話してよ。キア様と」


「何を?」


「嫌ってないよって」


「…いや、無理だ」


「無理って。ララ姉、子どもじゃないんだから」


「だが…」


「ララ姉ってば、情けない。…キア様のせいだね」


「うるさい」


「そんな、ララ姉初めて見た」


 レチリカは、楽しそうな笑みを浮かべた。


「まあ、レチはキア様諦めてララ姉を応援してるからさ」


「それはどうも。」


「…じゃあ、そろそろ帰ろうかな」


「夕食を食べて行けばいい。最近叔父上も忙しくて顔を出さないから、エレノアが喜ぶ」


「ううん、友達と約束してるから帰るね。ねえ、今度訓練を見に来てよ。皆あの伝説の騎士ララティナの戦う様を見たいって」


「なんだ、その伝説のって」


「伝説の…品のいい猛獣!」


「ああ、猛獣の男女という奴か」


「それはモジャが勝手に付け足したの。男女とか誰も言ってないから。ね、いいでしょう?」


「…あの人がいない時なら」


「キア様にも見せればいいのに」


「嫌だよ」


「ララ姉の意地っ張り。…じゃあ、またね」


 そういいながら、レチリカはララから離れ、手を振り玄関から外へ出て行った。

 ララはそれを見送り、自分の部屋に戻るため階段を登った。


「ララティナ嬢」


 部屋の前で、その低い声に振り向き固まる。

 そこには、袖を捲ったままのキアが立っていた。

 ララを待っていたのだろうか。

 キアはしばらくララを見つめ、胸のポケットを探ると小さな木箱を取り出した。


「これを」


 ララは手を伸ばし、その小さな木箱を受け取った。

 それだけ渡すとキアは、黙って俯いた。


「これは…どうすれば?」


 ララは思わず言った。


「誰に渡せばいいのですか?」


 その言葉に、キアは顔を上げララを睨んだ。


「今、君に渡した」


「え?私に?」


「そうだ。君への…贈り物だ」


「そ、そうですか。ありがとうございます」


 なんだか、普段貰う贈り物とは違い嫌々渡されている気がする。

 それともただ気まずいだけなのだろうか。

 キアはただ口を閉ざし、静かにララを見ていた。


「…不愉快と言ったことは取り消す」


「え?」


「君はもっと努力すべきだ」


 また上から目線な言い方を。

 ララは思わずむっとする。


「一体何の努力を?」


「僕に慣れる努力だ。…いつまでも怖がられていては困る」


 思いがけず、ララは目を見開く。


「いえ、怖がっているわけではなく…」


「では、なぜいつも逃げる」


「それは…」


 ララは目を伏せた。


 違わないか。

 私は怖い。

 ヴィンセントのふりをしていたことを知られるのが。


 いや、そうじゃない。


 この人が、私の前では不快な顔しかしないから。

 私がヴィンセントだった時は、そうじゃなかったのに。

 本当の私が、この人に望まれることはない。

 それなのに、私は…ずっと、前よりずっと焦がれている。

 だから関わりたくない。

 これ以上、好きになりたくない。


 そう思いながら、ララは段々と苛立ちが募った。


「私に望んでいることがないのであれば、私がいないことになんの問題が?」


 ララは目を伏せたまま続けた。

 声が震えるのを堪える。


「…あなたに慣れる努力は必要だとは思いません」


 ララはただ俯いていた。

 顔を上げることは出来なかった。

 キアは黙っていた。


「すまない」


 キアはふいにそう口にしたので、ララは顔を上げた。

 キアはララから顔を背け、困った様子で手を額に置いた。


「はじめから失敗だった」


 その言葉に、ララはずきりと胸が痛んだ。

 私と結婚することがということだろうか。


「君を美しいと…本当はそう思った」


「え?」


 聞きなれない言葉に、ララは思わず顔を上げた。


「なのに、君が目の前から逃げて僕は…。だから、君を…拒むようなことを言った」


 キアは顔を上げ、ただララを見つめていた。


「…努力すべきなのは、僕だ」


いつも睨む視線とは違う。

その瞳の煌めきに、心臓の音がうるさくなり、ララは思わず目を伏せた。


「ララティナ嬢。どうか僕と過ごして、僕を知って欲しい。そして…僕を怖がらないで欲しい。…そのために結婚まで時間を作ったんだ」


「私は…」

 

 私は――私が…。


 ララは、口を開こうとした。

 しかし、口を閉じ唇を噛んだ。


 今さら、どうしていえるだろうか。


 知ったらあなたは私を…どう思うの?


 ララは俯いた。

 長い沈黙が流れ、ふいにキアが言った。


「…開けてみてくれるか」


 ララは顔を上げた。

 キアが小箱を見つめ、目を伏せた。

 ララは、小箱を開いた。

 そこには美しい髪飾りが入っていた。

 緑の宝石が葉の形を象るように並び、縁どられた金剛石が光を帯びて煌めいていた。


「きれい」


 ララは思わず、頬が綻んだ。


「不思議な宝石ですね。あなたの瞳そのものです」


「意味は特に…」


「若葉の色に…名と同じ星の瞬きが見える」


 突然目の前に影が落ちた。

 気が付けば、すぐ目の前にキアが立っていた。

 瞳を大きく見開き、瞬きさえしない様子が怖いと感じてララは後へとさがる。

 それでもキアが距離を詰めてくるので、気が付くと壁に追い詰められていた。


「誰からそれを」


 あまりにも近い距離にキアの身体が迫った。

 キアは、目を見開いたままララを見下ろしていた。


「な、何のことですか」


「ヴィンセントから聞いたのか」


 その言葉にララは箱を閉じ思わず身構えた。


 なぜヴィンセントの名を?

 私は何を口にした?


「わ、私は…何も」


 キアが乱暴にララのドレスの襟を掴んだ。


「服を脱げ」


「え?」


「背中を見せろ」


 ララは、その手を掴みキアを睨み付けた。


「何を…」


「傷跡があるはずだ。僕を庇った時のあの傷が」


 ララが驚きで目を見開くと、キアはさらに力を込めドレスの襟を引き千切る勢いで引っ張る。


「やめっ…!」


 しかし、キアの力に敵わずドレスが軋む音がする。


 これ以上は、もう誤魔化せない。


 ララは言った。


「脱ぐ必要はない。…その通りだ」


 キアは手から力を抜き大きく見開いた目を静かに細める。

 歯噛みする音が口の中から響く。


「ヴィンセントだな」


 キアは怒りに満ちた静かな声で言った。


「ヴィンセントなんだな」


 ララは俯いた。


「違う」


「いまさら…」


「私は初めからララティナだ。あの時は、ヴィンセントのふりをしていたに過ぎない」


「なぜだ!」


 キアは声を荒げ、痛いほどララの両肩を掴んだ。


「なぜ、黙っていた!なぜ生きていると知らせなかった!なぜっ!」


 ララは、キアの様子にただ戸惑っていた。


「どうして…」


 そう絞り出すような声を漏らし、キアはララの肩に縋るように頭を押し付けた。


「僕が、僕がどれだけ…」


 そう掠れた声が響く。

 

 彼を救ったあの時のように、キアが泣いているような気がして、ララの心臓は軋むように痛んだ。


「…すまない」


 ララはそう口にして腕を上げキアの頭を撫でようとしたが、自分にはそんな資格がないと下す。


 私…最低だ。

 自分が傷付きたくないばかりに、口を閉ざした。

 そのせいで、キアがこんな風に悲しむとは思いもしなかった。

 なんて臆病だったのだろう。


「言えなかった。知られれば、あなたは私を憐れむだろう。私の傷のせいで、あなたを私に…この家に縛りたくはなかった」


 キアは、しばらくララの首筋に頭を押し付け動かなかった。

 しかし、ふいに頭を動かすとララの首に歯を立てた。


「――っ!」


 ララはその痛みに声を上げそうになるのを堪えた。

 ぎりぎりと力を込めて噛みつくキアは、まるでララを罰しているようだった。

 キアはゆっくりと噛むのを緩めると、少しして柔らかな感触がララの首筋に触れた。

 唇を押し当てられているのだと分かる。

 キアはララを睨みつけながら、ゆっくりと離れた。


「何も変わらない。…君は僕と結婚する」


 ララはひり付く首筋に触れる。

 はっきりとキアの歯型が残っているのが分かる。

 キアはララに背を向けた。


「私を…憐れむのか」


「憐れむのなら、自分を憐れむといい!」


 そう言って、キアは再び声を荒げた。


「君はバケモノと結婚するしかないのだから」


 その言葉に、ララは驚いた。


「キア・ティハル…」


「君の義務と責任を果たせ」


 キアはそれだけ言うと、その場を去っていった。

 ララは茫然としながら、ただ壁にもたれていた。


 どうすれば良かったのだろうか。


 ララは手の中に残る小箱を再び開いた。

 煌めく髪飾りをゆっくりと撫でる。


「バケモノが、星の瞬きなんて美しい名のはずない」


 そして、ふいに思い出す。


「なるほど、そうだ。私はつい口にしてしまったのだな。…あなたの名の意味を」



 キアは足を踏み鳴らし、叫び出したい衝動を抑えて歩き続けた。

 あの日ヴィンセントの墓の前でララティナに初めて会った。

 それは、墓の前に佇む後ろ姿だった。

 それなのに、彼女がララティナなのだと分かった。

 結い上げた漆黒の髪に、首筋の素肌が陽の下で光っているようだった。

 鮮やかな青の服に身を包み背筋を伸ばしたその凛として姿は、明らかに女性のはずなのに、彼だと思った。

 振り向いたその顔を見てさらに鼓動が跳ねた。

 風になびく柔らかな黒髪をかきあげ、静かに自分を見つめる。

 その大きな黒い瞳が陽の光で青を帯びる。

 記憶の中に沈んでいた彼の瞳を思い出させた。

 しかし、次の瞬間その顔に浮かんだのは恐怖だった。

 そして、自分から逃げる様に走り去ってしまった。

 今まで、怖がられることに慣れていると思っていた。

 これほど胸が苦しくなるとは思いもしなかった。

 彼に似ている彼女の姿を見たくなかった。

 ひどく忌々しく、暗い気持ちに支配された。

 そっちが拒否するならば、こちらだって…。

 彼女を拒絶し満足した。


 これでいい。


 どうせ自分は、バケモノなのだから。


 彼女のことは、このまま関わらなければいい。

 どれだけの醜聞を撒き散らそうと、興味のない自分には関係のないこと。

 噂通りの最悪な悪女なら、そうでいてくれたらいい。

 早く自分を幻滅させて欲しい。

 最悪な女だと思い知らせて欲しい。

 そう思っていたくせに。

 気が付けば、彼女のことを考えていた。

 彼女に似合うと思う髪飾りを、つい買ってしまった。

 自分の邪魔さえしなければいいと思っていたくせに、自分に無関心でいることに腹が立った。 

 いっそ今までのように媚びを売り、すり寄ってくるような女性であれば、すべてを手に入れられるのにと思った。

 平気で自分以外の女性と結婚しろと望む彼女が憎らしくて堪らなかった。

 それでも、彼女の存在を全身で意識してしまうことが嫌だった。

 その身体に、自分の何もかもを埋めてしまいたい衝動を抱くことも。


 嫌だった。


 こちらを見もしないことが。


 それなのに。


 こんなことがあるのか。


 会いたいと願っていたのが自分だけなんて。

 ヴィンセントは…いやララティナは。

 僕のことなんて、こんなバケモノのことなんて…!



 サリーは、部屋で書類の整理していた。

 突然乱暴に扉が開かれると、キアが入ってきた。


「あれ、水やりもう終わったんですか」


 キアは無言だった。

 どかりと自分の椅子に座り、腕を組むと目を閉じる。


「どうしたんですか」


 キアは、腕に爪を食い込ませていた。

 ひどく苛立っているのが、サリーには分かった。

 そんなキアを見るのは、サリーにとって初めてのことだった。


「キア様?」


「嘘吐きめ」


 キアはそうひどく忌々し気に言葉を漏らした。


「絶対に逃がさない」


「何の話を…」


「おい、キア。入るぞー」


 そこに、空気の読めない男の声が響いた。


「あの馬車の話だが…」


 次の瞬間、ミゼウルの方にダガーが飛んで行き、顔のすぐ横を掠めて扉へと刺さった。

 ミゼウルが目を見開いたまま、そのダガーを見つめた。


「な、な…!」


 ダガーを投げたのはキアだった。

 サリーは思わずひっと声を上げて、手にしていた書類を頭の上に被せ座り込んだ。


「外れた」


 キアは忌々し気に言った。


「なにすんだてめぇ!外して当然だろうが!殺す気か!」


 もう一本ダガーが飛ぶ。

 ミゼウルは頭を下げた。


「突然なんだってんだよ!わっ!」


 再びダガーが飛んだ。


「よくも黙っていたな」


「はぁ?」


 ミゼウルは少し考えて、察したようだった。


「なんだ、気が付いたのか。案外早…」


 再びダガーが飛んだ。

 今度は確実に刺さる場所だったため、ミゼウルは慌ててしゃがみ込んだ。


「あぶ、あぶなっ!」


 キアは、他の騎士のように剣を持ち歩かない。

 重くて邪魔なのだと本人は言う。

 しかし、もしもの時のために薄いダガーをベストの裏に、ズボンのベルトにナイフを二本潜ませている。

 それほどキアの周辺には危険が多い。

 サリーも王都では出来るだけキアと行動し、自分自身も短剣を潜ませるようにしていた。

 使ったことは一度もなく、練習しても使いこなす自信は少しも産まれない。

 そのため、サリーも常に持ち歩いている腰の鞄に、辛子の粉末や胡椒などをいれた布袋を持ち歩いている。

 怪我するよりはちょっと痛いくらいでいいと思いながら。


「だからとっとと会いに来いっていっただろうが!」


 そうミゼウルが声を荒げた。

 恐らく昔の話なのだろう。


「生きていると言えばいいだろう!」


 キアが珍しく声を荒げた。

 ミゼウルは深く息を吐いた。


「俺はお前なんか信用してなかったんだよ!どうせ美女ごろごろと遊んで子どもこさえて、ララを裏切るんだって思ってた。だから黙ってたんだよ!ララに期待させたくなかったんだよ!だって全然会いに来ねぇんだもん!五年だぞ、五年。ばかなのっ?」


「うるさい」


「しかし、どうやって分かったんだ?あいつが話したのか?それとも、風呂でも覗きにいったか?」


 再びダガーが飛んだ。


「下品極まりない、もじゃもじゃが」


 キアが吐き捨てる様に言った。


「なんだよ、鉄仮面!」


「髭面」


「根暗!」


 再びダガーが飛んだが、ミゼウルはそれを伏せて避けた。


「口が達者じゃないからって、暴力か。立派な騎士様がよ!」


「麦酒腹」


「楽しみも知らねぇ、筋肉の塊!自分大好き野郎!」


「…意味が分からない、熊男」


「この老け顔!」


「あんたに言われたくない」


「俺は髭が長かったせいだもんね。若年寄!」


 キアは背中の付近に触れたが、どうやらダガーは終わりのようだった。

 ミゼウルは拳を握りしめて立ち上がった。


「飛び道具は終わりのようだな。それなら…」


「…くさい」


「地味に一番傷付くわ、ばかっ!」


 ミゼウルは、深く息を吐いた。


「生きてたんだからいいだろうが!」


 キアは口を閉じた。


「お前を助けたヴィンセントが生きてたんだ。しかも、女で結婚まで出来るんだぞ!」


 サリーは驚いた。

 それは、まさか。


「そんな単純な話ではない」


「複雑にしてんのは、お前とララだろうが!なんであいつをここまで追いかけてきたのか、分かってるだろう?」


「分かるか」


「はぁ――このっおこちゃま。あーこんなの、俺が言うことじゃねぇ。恥ずかしい」


 そう口の中で、ミゼウルはもごもごと言った。


「察してくれ!拗らせお坊ちゃん!俺に言わせんな!」


「知るか」


「とにかく、きちんと話をしろよ。もう俺は知らん!」


 ミゼウルはキアに背を向けた。

 どかどか足音を響かせ入り口へ向かった。


「あ、そうそう。馬車の話だが」


 ミゼウルのこういうとこは、尊敬するなと思いながらサリーは立ち上がった。

 ダガーを投げられたことなど忘れたかのように話始める。

 歩いておよそ三歩だ。


「ばらされて海から残骸が見つかった。あの大きさから一個小隊あたりの人数はいたかもな」


「そのくらいの人数を隠せるのは…」


「まぁ、この辺じゃカイデン家だ」


 ミゼウルは頭を掻いた。


「だから嫌なんだよ、うちは。親父がまたなんか企んでんのかな。兄貴に聞いても知らんっていうし、エドバルが正直に話すとは思えないし」


「人数を集めて、何をするか…か」


「適当に畑耕すとかだったら一番平和なんだけどな。あ、ここに来る途中レチに会ったんだが…お前誰かに恨まれているか」


「当然だ」


「即答か。悲しいな。…お前が来てから、何かおかしなことになってるんじゃないかってララが言ってたらしいぞ」


 キアが目を細めた。


「まあ、その辺りの可能性も考えて置いてくれ。じゃあ」


 ミゼウルは再び背を向けたがふいに振り向いた。


「なぁ――俺って本当に臭い?」


 あ、忘れてはなかったのかとサリーは思った。

 キアは静かに言った。


「すまない」


「じゃあ、嘘…」


「替えのシャツを持ち歩いた方がいい」


「…分かった。気を付けるわ。正直にどうもな」


 ミゼウルは少ししょんぼりしながら出て行った。


「怖がらせて悪かった」


 キアがサリーにそういうと、椅子に座った。


「いえ、ちょっと面白かったです。キア様が喧嘩するなんて」


「あいつとは以前もやりやった。…僕は、そんなに老けて見えるか」


「いえ、落ち着いているというだけです!キア様案外気にしますよね」


 サリーは思わず思い出して笑った。


「でも、キア様って悪口が下手ですね」


「努力する」


「いえ、言わない方がいいんです。それより…ララティナ様が、ヴィンセント様というのは」


「詳しいことは、聞いていない」


「どうして!」


「あのままだと…僕は」


 キアは深く息を吐いた。


「キア様は、ララティナ様をどう思っているんですか」


 サリーはおずおずと口を開いた。

 キアが何を口にしても、それが恋ですと胸を張っていう準備をしていた。


「ぐちゃぐちゃにしてやりたい」


「あ、それは…も病気。いえ、すみません」


 予想外の言葉に、サリーは口を閉じた。


「だが、嫌だった」


「え?」


「彼女を傷付けても…嫌になるだけだ」


 そう言って、キアは再び深く息を吐いた。

 サリーは、どうしてもキアの本心が知りたくて口を開いた。


「キア様は、ララティナ様に恋をしているんじゃないですか」


「こい?」


「ララティナ様のこと…綺麗だなとか、触れたいとか、匂いを…知りたいとか。そんな風には思いませんか」


「変態か」


「もおおお、すぐそんなことを言う」


「君は、マリエラ嬢にそんな感情を?」


「え?」


「好きだと言っていた」


「いえいえ、マリエラ様は単純に可愛らしいなと思うだけで!」


「単純に?」


「いえ、すみません。あなたに教えられると思った僕がばかでした」


「いや」


 キアは、両手で顔を覆った。


「傍にいたい。始めはただそれだけだった」


 キアはぽつりと言った。


「生きていてよかった。…ただ、それだけでいいのに。どうして…僕は」


 キアは、それ以上は何も言わず、口を閉じた。

 その姿は、ひどく悲しそうだった。

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