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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
6/17

 嘗てギデオン・ガーディアスが使っていた領主の部屋へ着くと、キアは乱暴に首のタイを解き、首元を緩めた。

 そしてバルコニーへ出ると、ベストの胸元から紙巻き煙草の入れ物を取り出した。


「キア様、煙草は…」


 サリーの言葉に、キアは言った。


「分かっている。一本だけだ」


 サリーは灰皿を手にキアの隣に立つ。

 キアは煙草を咥え、逆のポケットからマッチを取り出そうとした。

 キアが取り出したのは、木の箱だった。

 煙草入れよりは一回り大きなその箱はポケットに入れておくには邪魔そうだったが、キアは再びそれを胸に仕舞った。


「なんですか、その箱」


「なんでもない」


 キアは、今度はマッチを取り出し慣れた手つきで擦った。

 静かに火を付けサリーから灰皿を受け取ると、マッチの燃えかすを皿に入れ柵の欄干へと置いた。

 そして肺まで染み込ませるように静かに息を吸い込み、空に向けて白い煙を吐き出した。

 独特な甘い香りが立ち込める。

 キアは、酒は飲まないがこうして煙草は口にする。

 一度試しにサリーも口にしてみたことがあるが、良い香りとは裏腹に、煙を吸い込むことの何がいいのか全く分からなかった。

 しかし、身体に悪いと聞くためサリーは止めて欲しいと思っている。

 その時、唐突に部屋の扉が開いた。


「おい!キア、お前本気か!」


 そう言いながら、バルコニーに飛び込んで来たのは、ララティナの叔父のミゼウルだった。

 肩まで伸ばした長い髪を頭の上でお団子にしてまとめ、髭を伸ばしている。

 日の光を浴びると垂れ目の黒い瞳が赤を帯びる。

 これがタイラン人の特徴的な瞳の色らしい。


「挨拶もなしなんて、失礼ですよ。ミゼウルさん」


「うるせぇな、ちび」


「なっ!髭のオバケにだけは言われたくない!」


 ミゼウルは、ガーディアス騎士団の騎士団長をしており、キアがララティナとの結婚を決めた時から連絡を取り合っていた。

 キアより背が高く、逞しい身体と精悍な顔立ちから女性に人気がありそうな容姿をしてはいるが、口を開くと残念な空気の読めない男だった。


「お前、あのマリエラって女と結婚するって本気か!」


 キアが睨み付けるように振り向くと、ミゼウルは驚いた様子で口を噤んだ。


「誰がそれを?」


「リヴィエラ腐ればばあ」


「そのばばあを黙らせろ」


 キアは忌々しそうにそう言った。

 そんな風に悪態を吐くのは初めてのことでサリーは驚いた。

 よほど腹を立てているのだろう。

 ミゼウルは、キアが珍しく気を遣わず話す相手であった。


「そんなことは一言も言っていない。不愉快なのはララティナ嬢がその考えに賛成したことだ」


「は?ララがそんなことを?」


「…結婚して欲しければ跪いて愛を誓えだのと、ふざけたことを」


 ぶっとミゼウルが、吹き出した。


「あいつがそんなことを!」


 そう言うと、ぐははと口を開け豪快な声で笑い出す。


「笑えない」


 キアが冷たい視線を向けても、ミゼウルはしばらく笑い続けた。

 キアはミゼウルを睨みつけながら、煙草を灰皿に押し付け、部屋の中へと入っていった。


「そう怒るなよ、お坊ちゃん。」


「坊ちゃんはやめろ」


「それは本心じゃねぇよ。…ギデオンじいさんから聞いたか?あいつの親父のくそったれヴィクターが失踪したと」


「ああ」


「若いメイドを連れてな。あいつは、まだ五つで姉貴から厳しく育てられた。それから…はまいいか」


 ミゼウルはなぜか言葉を濁した。


「男を頼るなと言われている。愛だのなんだのに期待はしてねぇよ。お前が嫌がるのが分かって言ったんだろう。どう見たって甘い言葉を吐くような男には見えない」


 ミゼウルは、どかりと長椅子に腰かけた。


「しかし、あいつがそんなこと言うなんて、面白れぇ。…その場にいれば良かった」


「彼女が、結婚を望んでいないのは初めから分かっている」


「そうなのか?」


「…逃げられた」


「はぁ?」


「面と向かって、断られた」


「そりゃ…あいつが悪い。まぁ、でも仕方ないか。動揺したんだろう。…ああ、めんどくさいなぁ。お前ら」


 ミゼウルは、もごもごと言いながら顔を上げた。


「お前、ララのことどう思ってるんだ。…すごい美人だろ?こう…色々大きいから男心をくすぐるだろ?」


「別に」


 キアは、そう素っ気なく答えた。


「そうかよ。ま、王都の方が美女ごろごろだろうしな」


 ミゼウルは、静かに溜息を付いた。


「俺は…お前がマリエラを選ぶんだったら、それでもいいぜ」


「は」


「妖精みたいに可愛らしいもんな。…それでも、俺は騎士団を支えてやるよ。それだけお前には借りが出来た」


「何の話をしている」


「ララは面倒な奴だ。面倒だが、ひとりでやっていけるくらいの強さは持っている。俺がそんな風にしちまった。その辺の守られるだけの女じゃない。男としては、物足りないだろう。何なら俺がまた…」


「いい加減にしろ」


 ふいに、キアが言った。


「さっきから、勝手なことばかりを。…もう決めたことだ」


 そう言い切るキアをミゼウルはじっと見つめ、口を歪めて笑った。


「なんだ、へそ曲げてんのかよ。お坊ちゃん」


 その言葉に、キアは目を細めた。


「どういう意味だ」


「そりゃ、自分の好みの女から怖がられるなんて悲しいよな」


「違う」


「わかった、わかった。拗らせお坊ちゃん」


「また肩を外されたいのか」


「おっと、いいぜ。また勝負するか?」


「…あんたとやるのは疲れる」


 キアは諦めた様に息を吐いた。


「なぁ、あいつをもっと知る努力をしてくれよ。突っぱねてても話は進まない。そしたら、あいつがお前を避けてる理由だってわかるだろう」


 キアは、ミゼウルの正面の長椅子へと座った。


「彼女には…本当に恋人が?」


「なに?」


「僕と別れたら恋人の元へいくと言っていた」


「いない、いない。あいつ、怖いもん。あいつ追っかけてんのはエドバルぐらいだろう」


 ミゼウルは、顎を撫でながら話を続ける。


「俺の親父のダグラル・カイデンは、とんでもないワルなんだよ。お前も分かってるだろ?」


 ダグラル・カイデンには会ったことはないが、サリーは情報として知っていた。

 キアがここの領地のことを色々と調べていたからだ。

 ダグラルは、最低な男だった。

 妻以外に愛人が何十人といる。

 それを面倒みられるほどの金があるからだ。

 表では様々な商売を担って金を稼いでいるようにみえるが、裏では粗悪品を売りさばいたり、真面目に働いている人から不当にお金を搾り取ったりしている。 

 さらには、ガーディアス領の裏事情にも精通している。

 賭博場に関しては、詐欺まがいのことを繰り返し、娼館の経営などに関しては、劣悪な環境で女性達を働かせ、病気になれば追い出すなど人とは思えない行為を働いている。

 騎士団でも何度も調査したらしいが、決定的な証拠が掴めず、結局捉えるまでに至っていない。


「親父は、家族に対しても最悪な奴だった。子どもなんて自分の分身で、言うことを聞くのが当然だと思っている。姉貴の結婚だってそうだ。この家を利用しようとしてたんだ。ヴィクターは金髪、青い目の美男でなあ…姉貴は、自分を助けてくれた王子様なんだって惚れ込んでた。だが、ヴィクターは失踪。さらに、姉貴は死んだ。だから、自分の唾のついたエドバルに、ララを手に入れさせようとしてる。あんな奴に、絶対ララはやらねぇからな。腐れ下半身暴走男が」


「エドバルさんって、そんなに女たらしなんですか?」


 サリーは口を挟んだ。


「屋敷の若いメイドのほぼ全員と寝てやがる」


 サリーは目を見開いた。


「身籠っても金は一切払わない。母親に言って屋敷から追い出されるだけだ」



「ひーっ!」


「それに、三度結婚に失敗している」


「え?エドバルさんは、いくつなんですか」


「二十八だ」


「…二十八で三回」


 サリーは思わず反復する。


「親父が厳しかった分、兄貴はエドバルを甘やかし過ぎた。エドバルは、我儘な金持ちのお坊ちゃんだ。世の中金でどうにでもなると信じてる」


 ミゼウルは大きく息を吐いた。


「だが、あいつが何をしても親父が許しちまう。騎士団で捕えても無駄だ。で、あいつは親父の命令だけじゃない。男としてララに執着している」


「ララティナ様は昔から口説かれているんですか」


「いや。昔は獰猛男女だのと…」


「え?ララティナ様どんな子どもだったんですか?」


「おっと」


 そう言ってミゼウルは一旦口を噤み再び開いた。


「そうだな、丁度一年くらいかな。偶然ララを見かけて、ララと知らずに口説いて来たそうだ。腰に手を回されてララが腕を…んんっ。ま、そんなことがあったのに」


「いえ、腕に何を!」


 サリーを無視して、ミゼウルは続ける。


「やれれば気がすむような最低男だ」


 キアが目を細めた。

 ミゼウルは立ち上がると、キアに近づきその肩を叩いた。


「頼むぜ、キア。取られんなよ。あと、婚前交渉はお前でも認めないからな」


「こんぜんこうしょう?」


「やるのは、結婚してからだってこと」


 キアはミゼウルを睨んだ。


「相変わらず品のない男だ」


「うるさい!…で、夕飯食っていってもいいか」


「好きにすればいい」


「よっしゃ」


 そう言ってミゼウルが出ていくと、キアは静かに息を吐いた。


「知る努力か」


「まあ、口説けってことですよ」


「くどく」


「そんな初めて聞く言葉みたいに噛みしめないでくださいよ」


 サリーはそう言って笑った。

 キアはクルセント語に堪能だが、時折噛みしめるように言葉の意味を考える癖があった。

 キアは、領主の机に向かうと椅子に座った。

 ふと思い出したように胸から木箱を取り出すと、それを開いた。

 サリーはそれを覗き込むようにキアの隣に立った。


「なんなんですか、それ」


 キアはサリーに見られる前に、その箱を閉じた。


「何でもない」


「え!ちょっと見せてくださいよ!」


「ただの結婚の贈り物だ」


「なんで見せてくれないんですか」


「君は絶対けちをつける」


「ひどいなあ、そんなことしませんよ」


 そう言ったが、キアは素早くそれを引き出しに入れてしまった。


「失敗した」


 ふいに、キアが言った。


「何にですか?」


「最初から…何もかもだ」


「もう少し…分かりやすく話してもらえませんか」


「分からない。自分でもわけが分からないんだ」


 そう言うと、キアは再び引き出しを開け、しばらく箱を見つめていたかと思うと閉めた。


「渡さないんですか?それ」


「さあ」


「…キア様、自分で選んだんですか」


「まあ」


「キア様がお店に行って?」


 キアは机に頬杖を付くと、サリーを見た。


「だったらなんだ」


「いいえ、自分で選ぶなんて初めてだなと思って」


「それは…」


 キアは、息を吐いて再び引き出しを開けた。

 サリーは、横から手を出してその箱を掴んだ。


「おい、サリー」


 キアは咎める様にサリー睨んだが、サリーは澄ましてその箱を開いた。


「わあ…綺麗じゃないですか」


 それは、淡い緑の宝石を葉の形にあしらった銀細工の髪飾りだった。

 若葉のような淡い緑の宝石をダイアモンドが縁取り煌めいている。

 キアが優しくサリーの手からそれを取り上げた。


「自分の目の色の宝石を贈るなんて、意味深ですね」


「…意味なんてない」


 キアはそのまま黙ってまた小箱を胸のポケットにしまった。


「これはただ思い出したことがあるだけだ。だが…」


「だが?」


「失敗した」


 そう言って、キアが溜息を吐いた。 

 サリーは意味が分からず、キアの憂鬱そうな様子を眺めるしか出来なかった。



 夕食の時間になると、ララは大階段を下り、玄関ホールへと降りて行った。


「よお、跪いて愛を誓って欲しい女」


 ホールでそう声を掛けて来たのは、ミゼウルだった。

 ララは思わず顔を顰めた。

 ミゼウルはララを指さし笑いながら近づいてきた。


「バカだなぁ、お前。キアは、どうみたってそんなことする奴じゃないだろう」


 ララは深く息を吐いた。

 ミゼウルに知られたなんて恥ずかしい。


「キア・ティハル様と敬称で呼んでください。彼はこの家の主人になるのですから」


「くさ。便所の臭い消しみたいな臭いがするぞ、お前」


「薔薇の匂いです」


「お前はそんなんしなくても俺みたいに臭くないから」


「自覚があったのです。」


「けばい化粧までしやがって」


「口紅だけです」


「だいたい、敬称とかそんなのにうるさい奴じゃねぇよ。それと、結婚本気でやめたいのか?」


「…利用しているようで嫌なのです」


「細かいこと考えてないで、一緒に居て見ろよ。どうしても嫌だってなら、俺のとこ逃げてきてもいいぞ」


「あなたの山小屋に…ですか?」


「小屋じゃない。城と呼べ。お前の料理は上手いからな」


「それはどうも」


「あら、モジャウルさん。来ていたの」


 エレノアの明るい声が響くと、ミゼウルが目を剥いた。


「おい、いい加減変な名前で呼ぶのは止めろよ。エレノア」


「あら、愛称よ。楽しいでしょ?それより、何の話?」


「いや、こいつの料理が…」


 大階段からキアが降りてくるのを見えたララは、ミゼウルを肘で突く。

 ミゼウルは、なんだよという表情でララを見たが、キアの姿を見て察したようだった。


「くそ面倒くさいな」


「モジャウルさん、汚い言葉は止めて頂けません?」


「そうですよ、モジャウル叔父上」


「こいつっ」


 ミゼウルが、ララの額を指で軽く小突く。


「やだ!乱暴反対ですわ、モジャウルさん。女性にそんなことするなんて」


 エレノアが庇うようにララの肩に手を置くと、ミゼウルは舌を出して晩餐室へと向かっていった。


「呆れた。完全に子どもだわ」


「そうですね、昔から全然変わりません」


「まぁ、男性なんて一生子どもみたいなものよ。ねぇ、キア様。少しは落ち着いたキア様を見習ってほしいですわよね」


 エレノアは、広間に降りて来たキアにすかさず声を掛ける。


「昔、彼から同じ歳くらいだと言われました」


「まぁ…やはり失礼な男ですわ」


 キアは、じっとララを見た。


「彼と親しいようだな」


「…ええ」


 ララは素っ気なく答え、目を伏せた。

 キアがしばらくララを見ているのが分かったが、そのまま黙って晩餐室に入っていった。

 キアの後ろをサリーがララとエレノアに会釈して付いて行く。


「サリヴァンは男の子なのですよね」


 エレノアにそう言った瞬間、サリーが勢いよく振り向きララに近づいて来た。


「おお、男ですよ!なな、なんて失礼な!」

 

 ララは慌てた。


「ご、ごめんなさい」


 思い出してみれば、キアに会ったあの時、叩かれそうになっていた少女はサリーだった。

 今より少し髪が長いくらいだっただろうか。

 確かに少年のような恰好をしていた。

 だが、少女と思ったのは、背丈とこの髪のせいだけではない。

 顔を見てもその可愛らしい容姿は、少女のようだった。


「しかし…髪がさらさらで羨ましい」


 ララは思わず目の前にある艶のある黒髪に触れた。


「そうよねぇ。どうすればこんな髪になれるのかしら」


 ララとエレノアに頭を撫でられ、サリーの顔はみるみる赤くなっていった。


「助けて、キアさまぁ!」


 サリーは慌ててキアのもとへと走っていった。

 こちらの様子を見ていたキアは、なぜか咎めるようにララを睨み、サリーが傍に来ると黙って晩餐の席に座った。

 サリーは、キアと何か話した後部屋から出て行った。

 晩餐では、ララはリヴィエラの狙い通り一番遠い席を用意されていた。

 リヴィエラはガーディアス家の長女であるため、まるで女主人のように取り仕切っていた。

 普段の晩餐は、大皿に盛られた食事を各自で取り分けて食べる。

 しかし、リヴィエラの注文なのか本日の晩餐は王都式であった。

 一皿一皿食事が運ばれ、端からナイフとフォークを手にして食事をしなければならない。

 色よく焼かれた牛肉を一口ずつ食べるのに、ミゼウルが苛立っているのが分かる。

 ミゼウルはエレノアから学び、この王都式の食事には慣れて来たところだった。

 ミゼウルがリアンを手招きして呼ぶと小声で言う。


「これっておかわりするのは礼儀違反か」


「申し訳ありませんが、そうです。一番大きな肉をあなたに用意したのですが」


「足らねえなあ。パン食べるか」


「後で何か用意します」


「あんがと」


 こうして遠くでナイフとフォークを手に品よく食事をするキアを見ていると、以前とはまるで違う人になってしまったような気がして、ララは寂しさを感じた。

 キアは、ララの方をちらりとも見ることなく、右隣に座るマリエラが話し掛けてくれるのに答えていた。


「何の話しをしているか分かるか」


 ララの隣に座るミゼウルが小声で話し掛けて来る。


「なんですか?」


「明日の天気の話だ」


「聞こえるのですか」


「いや、貴族様はそんなもんだろう。で、話が尽きたら何の話をするか知ってるか?…明後日の天気の話だ」


 そう言ってミゼウルはにやりと笑った。


「モ…ミゼウルさん。貴族を馬鹿にするものではありませんよ」


 正面に座るエレノアは、リヴィエラを気にしてふざけるのを控えた。

 ミゼウルは、口を歪めて笑った。


「くだらねぇわ、貴族様は」


「女性の身体の好きな部位を言い合うあなた達騎士同士の話も相当くだらないと…」


「ばかっ、ララ!エレノアの前でそんな話をするな!」


 ミゼウルの平手を避けながら、ララは目を丸くしているエレノアを見て慌てる。


「すみません、エレノア。品のないことを」


「いいのよ。でも、信じられないわ。そんな話をララの前で…」


 エレノアは、冷たい視線をミゼウルに向けた。


「ララァ」


「すみません。本当のことを」


 ふいにキア達の席が静まり返り、こちらを冷たい雰囲気で見ているのが分かった。


「食事中に。…品性のかけらもない男だわ」


 リヴィエラが呟くように言う。


「なんだよ、でかい声で言えよ」


 ミゼウルがそう言うと、リヴィエラは身体を縮ませた。


「叔父上、喧嘩を売らないでください」


「悪かったな。うるさくして」


「いいえ、品のないことを言ったのは私です」


「ま、本当のことだからいいぜ。エレノア、俺の好きな女の部位知りたいか?」


「叔父上、もういいです」 


 呆れた表情のエレノアを前に、空気を読まず話続けようとするミゼウルを抑えるのは一苦労だった。

 夕食を終え、ミゼウルと何か話をした後、キアはサリーを連れて早々に部屋に戻っていった。


「なぁ、飲みながらカードでもしようぜ。キアには断られちまった」


「いいですよ」


「あんたらもどうだ?」


 ミゼウルがリヴィエラ達に声を掛けたが、リヴィエラは何も言わずマリエラとクラリッサを連れて晩餐室から出て行った。


「無視されちまった」


「お姉様はあなたの顔を怖がっているのよ」


 エレノアが言った。


「え?顔?」


「また汚く髭を伸ばしているから」


「いや、つるつるだと落ち着かなくて。前よりはいいだろう?」


「ない方がいいわよね、ララ」


「昔の老人みたいな髭よりはいいと思いますが」


「老人!ひどいな」


 三人で部屋を移動していると、なぜか玄関ホールにマリエラが立っていた。


「ララティナ姉様!」


「マリエラ、どうした?」


 マリエラはララの前に立ったが、俯いたまま何も言わなかった。

 こうして、マリエラがララ一人に話しかけて来たのは、屋敷に来てから初めてのことだった。


「先に行ってください」


 ララはミゼウルとエレノアに言った。


「なんだ、女同士の戦いか」


「いいから」


 ララは、ミゼウルの背中を押した。


「行きますわよ。モジャウルさん」


 エレノアがミゼウルの腕を取る。


「大胆だな、エレノア。俺のこと好きだろ」


「はいはい」


 エレノアに腕を引かれ、ミゼウルは嬉しそうに遊戯室へと向かった。

 二人になると、マリエラはやっと口を開いた。


「あ、あの、キア様のことですけど…」


 マリエラはおずおずと口を開いた。


「わ、わたしそんなつもり全然ないですから!あれはお母様が急に。わたしに求婚者がいないばっかりに、その…心配していて」


 マリエラは慌てた様子で、言葉を紡いだ。


「わたし、お母様には逆らえなくて…」


「マリエラは、あの方をどう思う?」


「え?」


 その答えは、顔を見ればわかった。

 可愛らしく頬が上気したからだ。


「…あんな方が夫であれば、そう思わせる素敵な方だと思います」


「私はすべてあの方に委ねている。あの方は、私のような女性は苦手だそうだ。でも、マリエラには優しいからもしかしたら…」


「そんな!ララティナ姉様のような美しい女性が駄目ならわたしなんて」


「ありがとう、気を遣ってくれて」


「いえ、気遣いなどではなく…」


「とにかく、あの方が誰を選んでもあなたを恨むことはない」


「…ララティナ姉様」


「では」


 ララは、マリエラに背を向け遊戯室へ向かった。


 そう。


 もうキアの好きにすればいいのだ。


 遊戯室に入ると、エレノアとミゼウルは丸テーブルを囲んで椅子に座り、ミゼウルは葡萄酒を片手にしていた。

 その傍らには何か料理が入っていただろう皿がある。

 ララも椅子に座った。


「信じられないの、この人。あれだけ食べたのに、今一瞬で大きな肉の挟まったパンを食べつくしたわ」


「仕方ないだろう。足りなかったんだから」


「叔父上は腹にバケモノを飼っているんです。だからお腹が大きく…」


「うるさーい」


 ミゼウルはそう言いながら、意地の悪そうな笑みを浮かべてララを見た。


「なぁ、ララ。聞いてくれよ、キアの好きな女性の部位」


「まだ、そんな話を…」


「目!」


 そう言って、ミゼウルは豪快に笑った。


「乳とか尻じゃねぇの。そんな答え初めて聞いたわ!」


「素晴らしい答えですわ。騎士の鏡です」


 エレノアは忌々し気にミゼウルを見ながら言うと、ミゼウルが冷やかすように言った。


「そんなこという奴は、男色野郎だけだ」


 ララは驚いた。


「そう…なのですか」


 それなら、女性が苦手というのも。

 

「絶対そうだ。美女ごろごろと遊びすぎてそっちに走ってじゃねぇの?」


 ああ、もしかしてさっきララがサリヴァンの頭を撫でて睨まれたのはもしかして。


「やめてちょうだい、モジャウルさん。ララ、本気にしないのよ。そういうことを恥らって言わない男性はきっとど…」


 エレノアはなぜかはたと口を閉じた。

 ララは首を傾げる。


「ど?」


「童貞か?ないない」


 ミゼウルは顔の前で手を振った。


「しかし、エレノアがそんなこと言うなんてな」


「そんな失礼なこと一言も言ってないわ。言ったのは、モジャウルさんでしょ?」


「俺が言ったことにすんな!…考えれば分かるだろう。あの容姿でバルバロット家だぞ。王都にいれば女なんて群がってくるだろう。だが、エレノアはなんで童貞がそんなだって知ってるんだ?」


 エレノアは一瞬口を閉じたが、ぼそりと言った。


「…時々いるのよ、わたくしに手解きをという若い男性の方が」


「ええ!」


 ミゼウルが驚いた声を上げる。


「エレノアは、美しいですものね」


「ありがとう、ララ。今の話し…分かるの?」


「初めては年上の慣れた女性がいいということですよね?」


 ララがそう答えると、エレノアは絶句し忌々し気にミゼウルを睨む。


「ララに変なこと教えないで!」


「失礼だな。言い出したのはあんただろう。教えてないし」


「騎士達の中にいるとそう言った話題は耳に入ってきます」


「冷静過ぎるわ、ララ」


「すっかり耳年増になっちまったな」


 ほとんどはあなたのせいだと思うのだが。

 そう言いたいのをララは堪えた。


「エレノア、私が下品でがっかりしました?」


「そんなこと絶対ないわ。どんなあなたも大好きよ」


 そう言って、エレノアがララの手を握る。

 ミゼウルが澄ました顔で言う。


「で、その手解きは俺も受けられるか」


「気色悪いことを言わないで!」


 エレノアがぴしゃりと言う。


「気色悪いとか言わないで!これでもモテた方だと思うんだがな…」


 そうぶつぶつ言いながら、ミゼウルはカードを配り始める。


「しかし、結婚かぁ。羨ましくなってきたな」


 ミゼウルはしみじみと言った。


「というわけで、どうだい?エレノア」


 エレノアはまたかと言わんばかりにすっと無表情になる。


「俺の城に住まないか」


「やだ、やめてくださらない?適当な女で手を打とうとするの」


「あんたと喋ってんのが、一番楽しいんだがなぁ」


「年増、年増とうるさいくせに」


「一回しか言ってないし。エレノア、俺の妻にならないか」


「お断りします」


「はは、瞬殺!」


 そう言いながら、ミゼウルは豪快に笑った。

 最近見慣れた光景でもある。

 ミゼウルの本気か嘘か分からない言葉も、エレノアが素早く受け流す。

 しかし、ミゼウルは嘘の付けない男のはずだ。


「叔父上、本気ならもっと二人きりの時に…」


「あ、跪いて愛を誓え…だろ?」


 ミゼウルが嬉しそうににやりと笑うと、ララはしまったと口を閉じる。


「え?なになに?何の話?」


 エレノアが乗り出してくる。


「お二人が結婚したら毎日が楽しいでしょうね」


 ララは誤魔化す様にそう言った。


「だろ!」

「全く!」


 同時に答える二人を眺めながら、ララは微笑んだ。




 キアは、暗闇で目を開いた。

 遠く離れた先に、ヴィンセントがいた。

 いつものあの夢だ。

 空しい悪夢。

 黒いズボンと白いシャツの上に青い騎士の制服を羽織っている。

 彼をみた最後の姿だ。


『キア…』


 何か言いたげな黒い瞳でキアを見つめ、こちらへ手を伸ばす。

 しかし、自分はその姿に背を向ける。


 やめろ。


 そう思っても身体は動かない。

 いつもここで目が覚める。

 しかし、今日は違った。

 キアは振り向き、こちらに背を向けたヴィンセントを追いかけ、走り出していた。


 待て。


 声は出ない。


 ヴィンセント。


 頼むから、待ってくれ。


 僕が悪かった。 


 だから、もう一度…。


 キアは走って、ヴィンセントの手首を握った。


『ヴィンセ…』


 振り向いた彼の名を呼ぼうとした瞬間口を閉じ、目を見開く。


 振り向いたのは、長い黒髪の女性だった。

 長い睫毛に縁どられた黒曜石のような瞳が、覗き込めば青い光を帯びて煌めく。

 唇には真っ赤な口紅を引いている。

 キアは、思わず手を離した。

 その女性は、素肌に白いシャツしか纏っていなかった。

 艶めかしい白い大腿を覗かせながら、キアの方へと歩み寄る。

 キアは後ずさりしたが、何かにぶつかり倒れた。

 倒れた先は、ベッドの上だった。

 慌てて上体を起こしたキアに、跨るように女性がのってきた。

 柔らかな白い大腿が自分の下半身を挟み、目の前には豊かな胸がある。

 キアは当惑したまま顔を上げると、女性の顔が目の前にあった。

 細い指先をキアの頬に這わせ、顔を近づけてくる。

 唇が合わさってしまうほどの近さまで顔が迫ったが、女性は焦らす様にそれ以上近付こうとはしない。

 口紅で染まった毒々しい色の唇にも関わらず、その感触を想像すると自然と唾液がわく。

 口の中に堪った唾液を、喉を鳴らして飲み込む。

 キアは我慢できず、黒髪に指を差し込むと彼女の顔を引き寄せ獣のようにその唇を貪った。


 キアは、目を開いた。

 身体を起こすとそこは明かりのついた寝室のベッドの上だった。

 うっすらと窓の外が明るくなり始めている。


「なんて夢を…」


 キアは深く息を吐き、壁の時計を見ると四時半になろうとしている。

 キアはベッドから足を降ろすとすぐ隣の自室へと向かった。

 そして、机の上にある煙草と灰皿を手に、バルコニーへと出る。

 キアは、煙草に火を付け静かに煙を吸い込んだ。

 しばらくすると、気持ちが静まってくる。

 煙草を教えてくれたのは、ユークリッドだった。

 酒も飲まず、会話も楽しめないのであればこれでも吸っていろと言われた。

 今ではつい口にするのが習慣になっている。


「勘弁してくれ」


 そう呟き、キアは頭を抱えた。


「…ララティナ・ガーディアスめ」



「おはようございまーす!」


 サリーはキアの寝室を叩くと、扉を開いた。


「…おはよう」


 すでに身支度を済ませ、ズボンと白いシャツに身を包んだキアは洗面台に向かって髭を剃っていた。

 こうして毎日髭を剃るが、キアはぽつぽつとくらいしか髭は生えない。

 サリーは、微塵も生えてこないのだが。


「いつみても大きなベッドですね」


 背が高いキアに合わせて新しくした大きなベッドを眺めながら、サリーはキアに近付いた。


「ララティナ様が来ても、僕くらい眠れそうな余裕が…」


 キアが目を剥いて振り向いたので、サリーは驚いた。


「どうしたんですか、悪い夢でも…」


「なんで夢の話なんかする」


 そう言うと、キアは再び鏡の方を向いた。


 珍しく機嫌が悪いな。


 そう思いながら、サリーは小さく息を吐いた。

 キアは身支度をすると、馬に乗り騎士団本部へと訓練に出掛けた。

 サリーも自分の馬でそれを追いかける。

 サリーはキアの従者になってから乗馬を学んだが、早く走るのが怖いため、キアはいつもサリーに合わせて走ってくれる。

 キアは、騎士訓練場で騎士達を扱き自分も鍛錬に励むと、屋敷へ戻り朝食室へ向かった。

 しかし、皆が集まって朝食を始めてもララティナは姿を現さなかった。

 キアは何も言わず、誰にも尋ねなかった。

 ララティナはさらに、その日の午後に予定していたピクニックの出発時間になっても姿を見せなかった。


「ララティナ嬢は?」


 流石に、キアはリアンに尋ねた。


「頭痛がするそうです」


 リアンは静かに答えた。


「いつも頭痛が?」


「いいえ、初めてです」


 リアンは悪びれず答え、淡々と荷を馬車に積んだ。


「…不愉快だなんて言われたら顔出せませんよ」


 サリーが思わず口を挟むと、盛大にキアから睨まれ首を縮めた。

 キアはそのまま黙って、皆が馬車に乗り込むのを助け自分は、馬に乗り込んだ。

 ピクニックの場所である海の見える丘に到着し、サリーは使用人用の馬車から降りた。

 ピクニック用の道具を持ちながら、馬を引いて歩くキアの傍に近付く。

 キアはサリーの荷物に手を伸ばそうとした。


「あ、手伝いは禁止です」


「なぜ」


「貴族様はそんなことしないんですよ」


「僕は…」


「もう貴族様ですよ」


「面倒だ。もう君と食事もできないということか」


「そんなもんですよ、貴族は。踏ん反り返っていればいいんです。楽でしょう」


「ふんぞりかえる…」


「こう威張ってる感じです」


 サリーが胸を張ると、キアは目を細める。


「面倒だ」


「もう。慣れたら絶対楽なんですって」


 小高い丘の下に敷布を広げ、籠からはじゃがいものサラダや良い香りの肉のパイ、そして羊の煮込み料理にふかふかのパンが取り出され、デザートに冷えたリンゴの砂糖煮としょうがとシナモンが香るケーキが並ぶ。

 昼食が始まり、サリーはさりげなくキアの傍で会話に耳を立てた。

 リヴィエラとマリエラに挟まれたキアは、始終忍耐強く会話に答えていた。

 キアは質問に対する無難な答えをいつも用意している。

 父親のことは、立派で尊敬している。

 母親のことは、よく覚えていない。

 義母のことは、自分に良くしてくれた。

 収入は、それなりに。

 そのどれもが、真実というわけではない。

 孤児院に預けていたキアをエルディックが迎えに来てくれたのだと聞いたことはある。

 父親と分かったのは、髪と瞳の色のお陰だったらしい。

 そして、サリーが知る限りでは、義母からは存在を疎まれている。

 遺言状を書き換え、キアに残された遺産を取り上げようとしていたのをユークリッドが阻止したらしい。

 そして、そもそも収入がそれなりではない。


「マリエラは多才ですの。ピアノに歌に絵画に舞踏なんでも学ばせましたのよ。どれも先生から満点をもらって、本当に自慢の娘ですの。ピアノに関してはマリエラのピアノを聞きたいと人が集まって…」


「お母様、わたしの話ばかりでは…」


「いいじゃない。あなたのことを知って貰いたいのよ」


 リヴィエラは始終マリエラの自慢、そして中級貴族であるメルバ家に嫁いで自分がどれほど苦労したかを語る。


「エレノアは良いわよね。昔から美しかったから、ハニクラウン侯爵様に見初められて。まあ、早くに亡くなってしまったのは残念だったわね。亡くなるまでにもっと子どもを持つべきだったわ」


「そうね。…わたくしも女の子が欲しかったわ。だから、今はララを着飾るのが楽しくって。でもあの子ったら、ほっといたらすぐズ…」


「わたくしなんて、三人…いえ、四人も女の子がいるでしょう?」


 エレノアの気になる話をリヴィエラに遮られ、サリーは顔を顰める。


 今ズボンって言おうとした?

 ララティナが?

 乗馬が好きなのだろうか。


「長男がいるからいいけれど、女の子はみんな嫁に出すまでが母親の仕事ですから忙しくしておりますのよ」


 リヴィエラのおしゃべりは止まることを知らない。

 さらには、最近迎えた長男の嫁の悪口、それが終われば社交界での誰それの悪口。

 口を挟む暇もないほど、どうでもいい内容の話に、サリーもいい加減うんざりした。

 キアは、忍耐強くただ静かだった。

 それが話を聞いてくれているとリヴィエラには映るのだろう。

 エレノアは時折キアを気遣うように声を掛けたが、姉には勝てないようだった。


「そう言えば、この丘の上からは海が見えるそうですわね」


 エレノアが言った。


「まあ、そうなの?マリエラ、キア様と二人で行ってみてはどう?」


「え?」


 マリエラが目を見開いた。

 リヴィエラはわざとらしく膝を摩った。


「わたくし最近膝が痛くて。ねぇ、エレノア」


「え?わたくしは別に…」


「あら、わたくしを一人にするつもりなの?ねぇ、キア様、マリエラ、二人で行ってきなさいな」


 リヴィエラは、マリエラの隣に座っていたクラリッサに手を伸ばす。


「ほら、ママのとこおいで」


「やだ!マリエラがいい!」


 暴れるクラリッサを無理やり抱き上げる。


「あらあら、悪い子でちゅね。かわいい、かわいい」


「い、一緒に行きませんか、キア様」


 マリエラが意を決したように言うと、キアは黙って立ち上がった。


「ああ」


 キアに来いと視線で命じられたサリーは少し離れて二人の後に続く。


「あ、あの、キア様は甘い物はお好きですか」


 マリエラが口を開く。


「今日のケーキどうでしたか?カイラのご出身と聞いて、カイラから輸入しているという香辛料を使ってみたのですが」


「美味しかった」


「懐かしいお味ならいいなと思いまして」


「ああ」


「何か好きなものがあれば、わたくし作れるものであれば…」


「…菓子には詳しくない」


「そうですか。甘い物は好きではないのですか」


「好き…というのはない」


「で、では、よく食べるものはなんですか?」


「肉だ」


「ま、まあ、やはり男性は肉料理が一番ですわね」


 おおい、もっと会話を広げようよ。


 サリーは口を挟みたいのを必死に堪える。

 丘の上からは海が見える。その時、サリーの足元をクラリッサが通り過ぎた。


「きゃっ」


 そう声を上げたのはマリエラだった。

 突然マリエラのお尻目掛けてクラリッサが抱き付いたからだ。

 マリエラは静かに妹の目線に合わせる様にしゃがむ。


「どうしたの、クラリッサ。お母様と一緒は嫌なの?」


「やだ。マリエラといっしょにいる」


「まぁ、仕方ないわね」


 マリエラはそう言ってクラリッサを抱える。


「ほら、お船が見える?遠くから荷物をいっぱい運んでくるのよ。すごいわね」


 あやす様にマリエラは続ける。


「みえない」


「あら、そう?」


「みえないもん!」


 駄々をこねる様に、クラリッサが足をばたつかせる。


「ちょっと、クラリッサ!」


 キアは静かに、クラリッサの顔を覗き込んだ。


「僕が…見せようか?」


 クラリッサが当惑した様子でキアの目を見る。

 少しして静かに頷くのと確認すると、キアはクラリッサの脇に手を入れ静かに抱き上げた。 

 軽々と抱き上げると自らの肩に乗せ、肩車をする。


「すごいすごい!たか―い!」


 クラリッサは興奮しながら笑い声をあげ、再び足をばたつかせる。


「落ちるぞ」


 髪の毛をぐしゃぐしゃにされてもキアは何も言わなかった。


「船が見えたか」


「みえる、みえる!すごーい。キアさま、ありがとう!」


「良かった」


 キアの傍らで、マリエラが静かにキアを見つめているのが分かる。

 これは…惚れるだろうな。

 マリエラは静かに言った。


「子どもの扱いになれていらっしゃるのですね」


「ああ」


「どうしてですか?」


「昔、任されたことがある」


「誰にです?」


「…父に」


「まあ、そうなのですね。子どもはお好きなのですか?」


「さあ。ただ、守られるべきだというのは分かる」


「そう…ですね」


 マリエラが静かにキアに微笑む。

 しかし、クラリッサを落とさないように気を付けているキアは、その笑顔に気が付いていない。


 ああ、もうどうして彼女では駄目なのだろうか。


 サリーは思わずキアの腕を掴んで、この極上の笑顔に気が付けよと言ってしまいたくなる。

 キアの肩の上を気に入ってしまったクラリッサを降ろすのは大変だったが、キアがまたいつでもしてあげると淡く笑うと、素直に従った。

 マリエラはその笑顔を熱く見つめていた。


 その日の晩餐の席に、ララティナはその日初めて姿を現した。

 その姿をキアが目で追っているのが分かった。

 しかし、ララティナはキアの方を向くことはなく、エレノアの話に静かに耳を傾け、夕食を終えると早々に席を立った。

 キアはそれを追おうと椅子を引いたのが分かった。


「キア様、明日のご予定は?」


リヴィエラがすかさず声を掛け、キアはその場に留まる。


「明日は一日領主としての仕事があります」


「あら、残念ですわ。結婚式まで一月もないのに、本当にお忙しくていらっしゃるのね。わたくしの結婚式の時もそうでしたわ。夫が忙しくて…」


 つらつらと続くどうでも良い話に、キアは耐えていた。

 晩餐室を出ると、キアは三階へと上がりふとララティナの部屋の方を見る。

 サリーは思わず言った。


「…訪ねればいいじゃないですか」


「用事がない」


「贈り物があるじゃないですか。それに、不愉快だって言ってごめんねって」


 キアは黙って自分の部屋の方へ向かう。


「どうしてララティナ様とは上手くやろうとしないんですか。他の人達には、自然と出来ているのに」


「…分からない」


 キアはそれきり口を閉ざしてしまった。

 サリーもこれ以上何かを言うのは止めた。

 僕はもっと分からない。

 そう思いながら。

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