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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
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四.

 ララが、領地に帰還した時には…ヴィンセントはすでに死んでいた。


 ララ達が戻る数日前発作を起こし、手当する間もなく息を引き取ったという。

 最後の夜も、ララが王都で立派な夫を連れて戻ることを楽しみにしていたと、リアンから教えられた。

 その身体も、その存在を隠すようにすでに土の中だった。

 ララが戻ったことで、その死が公表され、弱った身体でキュノス兵を追い返した立派な騎士として葬儀が行われた。

 ララは、ただただその死を信じることが出来なかった。

 夜一人になり、気が付けば泣いている日々が続いた。

 食欲がなくなったせいで、背中の傷の治りは悪く、熱と痛みが治まるまで二週間掛かった。

 そして、背中に白く盛り上がった醜い跡を残した。


 悪いことはさらに続いた。

 ララティナとして社交界にでた女性が、とんでもない醜聞を招いてしまったのだ。

 女性は身に覚えのないことだと言ったが、ララが知らないところで、ララティナ・ガーディアスの名は地に落ちていた。

 ただ救われたのは、領民達が醜聞を信じることはなかったことだ。

 あの品はいいが猛獣の男女が、突然色香で男を惑わす女になれるわけがない。

 きっと相手の男を伸して逆恨みされたのだろうと、そんな失礼な噂が飛び交ったが。


 ララが回復した頃、ギデオンがララの部屋へやって来た。

 ギデオンは、部屋にいたアロアに何かを言いつけ追い出すと、予想よりずっと機嫌が良く話始めた。


「お前に縁談が来た、ララ」


「え?」


「これでいい、これでようやく安心できる」


「しかし…」


「焦る必要はない」


 今まで聞いたことがないほど、穏やかな声でギデオンは続けた。


「彼はまだキュノスとの戦の中だ。結婚となるまでは、数か月いや、数年は掛かるかもしれない」


「一体誰なのですか。誰が…」


「お前が知る必要はない。どうせお前のことだ。傷のことを気にしているのだろう?そんなこと相手が知る必要はない」


「ですが…」


「黙れ!」


 ギデオンは、突然声を荒げた。



「そうでなければ、一体誰がお前のような者を妻になどと言う!そんなみっともない傷を負った、女のなりそこないのようなお前に!」


 ララは口を噤んだ。


「お前の母を我が家に迎えたことをどれだけ後悔したことか。ヴィクターは逃げ出し、産まれた男は弱すぎる。お前がいくら強くなっても、女は女に過ぎない。跡取りにはならん!」


 ギデオンは、肩で息をしながら少し息を整えた。


「だが、ダグラルの孫を倒した姿を見た時はすっとした。己の力を誇るタイラン人よりも、女のお前の方が優秀だと証明したのだから。ああ…だが、ヴィンセントさえ…ヴィンセントさえ、あれほど弱くなければ。お前であれば…お前が本当にヴィンセントであればどんなに良かったか」


 ララの目からは、涙があふれ出していた。

 これ以上は、ギデオンの言葉を受け入れることを耳が拒否していた。


「もはや騎士のお前は必要ない。騎士であったことは忘れろ。これは命令だ、ララ。お前はこのガーディアス家を守るために生きるのだ」


 それだけ言うと、ギデオンは部屋から出て行った。

 ララは、声を出せず静かに泣き出していた。

 その後、部屋に戻ったアロアに何があったか聞かれたが、ギデオンの口から吐かれた言葉を口にすることさえ出来なかった。

 その日から、ララは今までと反対に、淑女として生きる努力を始めることになった。

 騎士団に所属していたという事実は消され、騎士団の仲間と会うことも訓練することもギデオンは許さなかった。

 時々訪ねて来てくれるミゼウルは、いつもララを気遣ってくれた。

 ある時、ミゼウルは数週間留守にした後、なぜか顔を腫らし、右腕を布で吊った状態で現れた。


「ど、どうしたのですか」


「ちょっと挨拶」


「喧嘩ですか。しかし、あなたが怪我をするなんて。一体誰と?大勢に襲われたのですか?」


「一対一だよ。あんま言わないでくれよ。ちょっと肩外れただけだから。きちんと嵌ってるから。だって、一撃がめちゃくちゃ重いたいのよ。えぐれそうなの。それを、同じ場所何度も狙ってくるんだぜ?怖かったわー」


「相手は?」


「…ないしょ。それより、ララは調子どうなの?」


「問題ありません。ただ、ちょっといろいろ憂鬱で」


「そっか。しかし、髪が伸びたなぁ。でも、昔はもっと長かったよな」


 そう言いながら、ミゼウルはララの頭を撫でた。


「まあ、結婚は相手に会ってから決めろよ。逃げたいなら、俺が助けてやる。…それに、案外色男が現れるかもしれないぜ」


 そう言って、ミゼウルは片目を瞑って見せた。


 正直逃げ出してしまいたいと何度も思った。


 しかし、すべての責任を捨てて逃げ出した父のことを思い出し、自分は逃げないと決めた。

 そして、ギデオンに命じられ叔母のエレノアが、ララが淑女になるための教育係としてガーディアス家へ滞在することになった。

 エレノアは、王都の社交界で話題になるほどの美しさで、十五歳で侯爵家に嫁ぎ、その三年後に夫を失った。

 数年前、息子のミシェルも結婚したため、今では社交界から離れ王都近郊のハニクラウン家の別荘で静かに暮らしていた。

 ララが幼い頃から、一年に一度はミシェルを連れてガーディアス家を訪ねて来ていた。

 昔からララに会うと全力で抱き締め可愛いと褒めてくれた。

 ララが髪を切り、騎士として生きることになってもそれは変わらなかった。

 ララの身代わりとして自分の選んだ女性が、醜聞を招いてしまったことをひどく悔やみ、何度も謝ってくれた。

 戦に赴き、大怪我をしたことを伝えればきっと動揺するだろうと、そのことは伏せられることになった。

 背中の怪我は、以前負った怪我であることを伝えれば、ひどく憐れみながらも傷が見えないドレスを選べばいいと言ってくれた。


「わたくしが、全力で応援するから。叔母上だなんて堅苦しくしないで、エレノアと呼んで。お友達になりましょう、ララ」


 エレノアはそう言って、昔のようにララを抱きしめてくれた。


 久しぶりにドレスを着た日のことは、思い出したくない。


 鏡を見て、絶句した。

 染めてしまったため傷んだ半端な長さの髪に、花の模様の可愛らしいドレスを着ても、男がドレスを着ているようにしか見えなかった。

 身体付きは女なのに、顔だけが勇ましくて気持ちが悪かった。

 それなのに、エレノアが目を煌めかせながら言った。


「綺麗。綺麗よ、ララ。あんなむさくるしい制服の下にこんな魅力的な身体を隠していたなんて。…ちょっと胸が開き過ぎかしら。どうにも色気が出過ぎてしまうわ」


「そんなもの私にあると?」


「やだ。もう、ララったら。あふれているわよ!」


 胸は押し潰していた割には大きい方らしく、今までは胸を締め上げていたが、これからは腰を引き締めるコルセットを付けなくてはならないようだった。


「やだ、コルセットがいらないくらいの腰の細さね。お腹も全然出ていないし」


「鍛えていましたので」


「ふふ、嬉しそうね。もう少し髪が伸びれば、完璧な淑女だわ」


「おい、入るぞー」


 扉を叩く音が響き、部屋に入って来たのはミゼウルだった。

 ミゼウルはララの姿を見ると、一瞬呆けて吹き出した。


「はは、本気か?どう頑張ったって男女だろう!」


 ララは溜息を吐いた。

 しかし、嘘の付けない性格のミゼウルの言葉は真実だと思い知らされた。


「失礼ですね、叔父上」


「今更何をしたって無駄、無駄。ごついし、背も高すぎるし、どう見たって女には…ぶっ!」


 突然ミゼウルの顔面目掛けて扇子が飛んだ。

 扇子を投げたのはエレノアだった。


「出て行きなさい、このっもじゃもじゃ!」


 いつものふわふわとした雰囲気のエレノアが、顔を真っ赤にして激怒していた。

 ミゼウルのことは、怖がっていつも避けていたのに。


「女性に対してそんなこと言うなんて!許せないわ!」


 ミゼウルは、当惑した表情でもごもごと口を動かした。


「じょ、女性に対してだなんて!こいつを女だなんて思えるか!」


「どう見たって、美しい女性でしょうが!」


「エレノア。叔父上が、口が悪いのはいつものことです」


「やだ!それにいつも耐えていたってこと?信じられない!」


「どう見たって女には見えない!仕方がない…ぎゃっ!」


 その瞬間、ミゼウルの顔面に今度は分厚い本が飛んで行った。

 さすがのミゼウルも顔を顰めた。


「何しやがる!」


「いいからとっとと出て行ってちょうだい!熊!髭のバケモノ!もじゃもじゃ!」


 そう言いながら、エレノアは手当たり次第に物をミゼウルに投げ出した。


「お、覚えていろよ。この年増!」


 そう言いながらミゼウルは部屋を飛び出していった。


「はん!言葉に困って年増扱いなんて!」


 エレノアは、息を整えるとララに言った。


「あなたいつもあんなことを言われていたの?信じられないわ。次何か言われたらすぐにわたくしに言うのよ。…絶対に許さないから」


 少し低めの声でそう告げるエレノアを見つめ、ララはふいに泣きたい気持ちになった。

 案外自分が傷ついてしまっていたのだと分かった。

 それに気づいたかのように、エレノアはそっとララの頬を撫でた。


「ララ、これからよ。まだまだあなたはもっと綺麗になるのだから」



 その次の日、ミゼウルの顔から髭が消えた。


「これで髭のバケモノなんて言わせねえ」


 そう言いながら、なぜが背中に隠していた薔薇の花束を手にエレノアの前に跪いた。


「好きだ、エレノア」


 エレノアはすっと無表情になった。


「あんたみたいな可憐なのに強気な女は初めてだ。どうか、俺の妻になって…」


「お断りします


「…瞬殺」


「年増と言ったくせに。やだ、頭をどこかで打って来られたのかしら、モジャウルさん」


「モジャ?」


「品のかけらもない中身が変われないのであれば、何も変わりませんわ。もじゃもじゃのモジャウルさん」


 それを傍らで見ていたララは、笑いを堪えるのに必死だった。


「叔父さんが真剣なのに笑うな!」


「いえ、二人が一緒になれば私は嬉しいのですが」


「だろ!」

「無理よ!」


 同時に答える二人を見て、案外気は合っているのではないかと、ララは感じた。


 それからというもの、ミゼウルはエレノアに礼儀を学ぶようになった。

 会う度に愛の告白も欠かさずにしているが、毎度のようにふられている。

 エレノアは、ララの荒れた肌も髪もすべて王都から取り寄せたという高級な化粧品で手入れをしてくれた。

 少しすれば、女性に見えなくもない姿にはなった。

 それでも背は高すぎるため、靴底の厚くない靴を選ぶようにした。

 抵抗がないと言えば嘘になる。

 正直に言えば騎士の制服やズボンにコートの方が、自分には合っている気がする。

 しかし、そんな自分はもう必要ないのだ。

 エレノアは、初めこそララに化粧を施すように言っていたが、だんだんと肌の手入れだけでよいと言うようになった。


「あなたは…なんて言ったらいいのかしら。雰囲気があるのよ。これで化粧までしたら…ちょっとね」


「ちょっと?」


「噂通りの女性に見えてしまうかもしれないわ。いえ、化粧なしでも…」


「悪女…ですか?ああ、目が吊り上げっているから?」


「やだ、違うわよ。その目が良いのよ。ただ…ちょっと色気が出過ぎるのよ」


 ララは苦笑した。


「そんなもの、私には存在しませんって」


 ララがきっぱりと言うと、エレノアは深く深く息を吐いた。


「わたくしが何度言ってもだめね。全部モジャウルさんのせいだわ」


 ララは意味が分からず首を傾げるばかりだった。


 

 時は穏やかに流れた。

 ララはエレノアに舞踏や刺繍、音楽や芸術など淑女になるための教育を続けていた。

 分かったのは、残念ながら自分には淑女になるための才能はないということだった。  

 密かに剣の訓練を続けたり、ミゼウルと狩りに行ったりすることがララにとっては丁度良い鬱憤ばらしになり、エレノアもそれを咎めながらも許してくれた。

 ララと結婚を望む相手からの連絡は全てギデオンが握っており、ララに対して何か連絡が来ることはなかった。

 しかし、毎年のように王都からドレスや宝石の店の者が訪れ、好みの布でドレスを作るよう手配されていたり、どの宝石をいくつでも選んでも構わないと言われたり、ララは戸惑うばかりだった。

 困るララの代わりに、エレノアが興奮しながらララに似合うドレスの生地や、さらに宝石を選んでくれた。

 さらに、王都で流行りの店からも菓子が贈られてくることもあった。

 何度お礼を言いたいとギデオンに頼んでも、ギデオンは自らが礼を伝えたといって、何も教えてくれなかった。


 そんな中、キュノスとの戦いが終わった。


 ララはエレノアに誘われ、祝賀祭の続く王都を訪れた。

 王都を訪れたのは、ララにとって数える程度しかない。

 巨大な建物に圧倒されながら、終戦で賑わう街をララは馬車の中から眺めていた。

 この中にもしかしたら…そう思ってしまう気持ちを止めることが出来ず、気が付けば銅色の髪の騎士を探していた。


「ねえ、ララ。バケモノ騎士様の噂を知っている?」


 エレノアの言葉に、ララは心臓が飛び出しそうになった。


「い、いいえ。なぜですか」


「戦の英雄騎士様よ。素手で人の手をちぎったり、蹴りだけで首をはねたり…なんて、言いながら恐ろしいわね。そんなすごい騎士様なんだって噂よ」


 まさか…違うだろう。

 そう思いながら、頭に思い浮かぶのはキアのことだった。


「一度見て見たいわ。ミー君に会うついでに、騎士団まで行ってみちゃう?」


 エレノアは冗談めかして言った。

 ミー君というのは、エレノアの息子のミシェルのことだった。

 騎士団第二部隊副隊長をそう呼べるのは、母親の特権なのだろう。


「…行ってみたいです」


「本当!じゃあ行きましょう!」


 もしも…もしも彼にまた会えたなら。

 鼓動は耳に響くほど大きくなり、胸は苦しくなるほどの期待でいっぱいになった。

 本当の私で、もう一度会えたなら…もしかしたら!

 醜聞のせいで、王都でララティナの名を名乗るわけにはいかず、ララはアンナというエレノアの知人の名を借り、帽子を深く被って騎士団を訪れた。

 エレノアと訓練場の見学をしている時、恐らく騎士寮であろう棟の裏手で争うような声が聞こえた。

 ララは思わず声の方へ向かっていた。

 そこには、一人の騎士が黒髪の少女に大人気なく声を荒立てていた。

 傍にいる恐らく貴族だろう美しい女性は、少女を庇うでもなく品が良いとは言えない笑いを浮かべ、その様子をただ眺めていた。

 騎士が少女を突き飛ばし手を振り上げた瞬間、ララは飛び出していた。

 騎士の腕を掴むとそのまま背中へと捻り上げる。


「な、なにをする!」


「騎士の風上にも置けない男だ。一体この少女が何をしたというのか」


「お、俺を誰だと思っている。離せ!」


 ララは、手を離すと同時にその背を付き飛ばした。

 男は地面に転がると、倒れたままこちらを睨み付けた。

 しかし、次の瞬間目を見開くと、ララの顔から足の先までゆっくりと眺めた。


 まさか、私を知っているのだろうか。


 その嘗め回すような視線から逃れるように、ララは帽子を深く被った。


「き、君は?」


「名を尋ねるなら、貴様から名乗れ」


「お、俺は…」


「何をしている」


 そう低い声が響きララは顔を上げ、目を見開いた。


 そこには、キアが立っていた。


 静かに、ララを見つめているのが分かった。

 ララは、その姿を見て頬が自然と緩んだ。

 胸がいっぱいになり思いがけず、涙があふれそうになった。

 名前を呼ぼうと口を開いた瞬間…キアは、静かに自分から目を逸らした。


 まるで、誰もいなかったかのように。


 ぶつりと何かがちぎれてしまったような…そんな痛みが胸に走った。

 ララは、とっさに痛みを抑える様に心臓を押さえ、爪を立てていた。


 私を、覚えていないのか。


 ああ、そうか。

 きっと、私がこんな格好をしているからだ。


「アルドリック。何の騒ぎだ。サリーに何をしている」


「お、俺は…」


「キ、キア様。違うのです。これは…」


 今まで壁にいた女性が、なだれるようにキアに手を伸ばした。

 その瞬間、キアは軽くその手を弾いて触れられるのを拒否した。


「何度も言っている。…僕に触れるな」


 女性は、キアを睨みつけた。


「僕にはずっと想っている人がいる」


 ララは目を見開いた。


「君の…彼から命じられた誘いに応じることはない」


「ラ…アンナ?アンナ?どこにいるの?」


 エレノアの声にはっとなり、ララは走り出した。


「ま、待て!待ってくれ!君は一体…!」


 男の声が背中を追ってくるのが分かった。

 髪のリボンがほどけて落ちたが、振り返らなかった。


 自分は、勝手な期待をした。


 もう一度会えば、彼と互いを想い合う仲になれると思ってしまった。


 女であるならばもしかしたらと。


 キアにはすでに想う相手がいる。


 それなのに…なんて愚かなのだろうか!


「アンナ、そこにいたの?なんでもバケモノ騎士様は、絶対人前に出ないって…」


「すみません、問題を起こしました。このまま、騎士団を出ます」


 ララは慌てて、エレノアの腕を取り騎士団の入り口に待たせていた馬車へと押し込むと、馬車を出発させた。


「ど、どうしたの、ララ」


「いいえ」


 エレノアが静かにララの頬へ手を伸ばしてきたが、ララはそれから逃れる様に身を引いた。

 今触れられれば泣き出してしまいそうだった。

 エレノアは静かにララを見つめた。


「一体何があったの?」


「いいえ、いいえ。何も…なんでもありません」


 ララは目を伏せた。

 エレノアは詳しく話を聞きたそうだった。


「そう。…いいわ」


 エレノアは少しして笑顔でララの手を握った。


「まだまだ楽しみましょう!飲んで食べて買い物をして、嫌なことなんてすべて忘れてしまうの!」


 そう言って、エレノアは穏やかな笑顔を見せた。 

 その笑顔に、ララもぎこちなく微笑んで見せたが、上手く笑うことは出来なかった。

 


 もう忘れなくては。


 そう思いながらも、後々どうして逃げ出してしまったのかと自分を責めた。


 自分がヴィンセントのふりをしていたと話していれば…。


 いや、話したところで彼には恋人がいるのだ。


 忘れなくては。


 それでも、日に何度もキアのことを思い出す日々が続いた。



 それからしばらくたった頃、ララはガーディアス家の敷地内にある墓地を訪れていた。

 天気の良い日は、散歩がてらこうして墓地を訪れるのはララの日課だった。

 母の隣にはヴィンセントが眠り、恐らくこの場所に、ギデオンの墓石が並ぶのは時間の問題のように思えた。

 ギデオンは、ここ数年で弱っていた。

 あのひどい言葉を浴びせられてから、ララは意図的にギデオンを避けていたが、最近ではベッドから起き上がるのさえやっとだとリアンから聞かされていた。


「お前に会いたいよ、ヴィンセント」


 そう呟いた時、ふいに人の気配を感じた。

 振り向いたその先に、キアが立っていた。

 一瞬、自分の目が信じられずにいた。

 幻覚でも見ているのではないかと、ただただ目を瞬かせた。

 あの頃と同じ王国騎士団の制服に身を包み、なぜか眼鏡を掛けたキアはララを見つめこちらへ歩み寄って来た。


 ララは、思わずその場から走り出していた。


 嘘!

 嘘だろう?


 走りながら、どうして、なぜと、自問自答してもキアが現れた理由は分からなかった。

 私のことは…分かっただろうか。

 いや、王都で会った時分からなかったのだから、分かるはずはない。

 しかし、なぜ眼鏡を?

 どうしよう、髪も適当に結っていたし、服だって今日は普段着だし。

 動揺しながら慌てて屋敷へ帰り、少ししてリアンからギデオンが呼んでいると伝えられた。

 まさかと思いながら、ギデオンの部屋を開くとそこにはキアが立っていた。

 ララの動揺など知らずに、キアはひどく冷めた表情でララを一瞥した。

 なぜか先ほどしていた眼鏡を今はしていなかった。

 ベッドで上体を起こしたギデオンは、ララに話しかけた。


「ララ、この方はキア・ティハル・バルバロット殿だ。知っているか?王都でも有名な騎士殿だ」


「いいえ。いいえ、存じあげません」


 ララは、思わず激しく首を振った。


「バルバロット殿、彼女がヴィンセントの姉、ララティナです」


 ララが慌てて頭を下げると、キアも会釈した。


「ララ。…彼がこの家の婿となる」


「え?」


 思いがけず、掠れた声が漏れた。


「お前を妻に迎えてくださるのだ」


「駄目です!」


 つい出てしまった大声に、ララは口を押えた。

 しまったと思いながらキアの方を向いたが、キアは先ほどと変わらずこちらに冷たい視線を向けただけだった。


「ララ!どうしたというのだ!バルバロット様に失礼だぞ!」


「おじい様、いいえ!…お待ちください」


「ララ!」


「お待ちください。本当に…申し訳ありません。どうしてもおじい様と二人で話したいのです」


「申し訳ありません、バルバロット様。ララは、少し動揺しているようで。いつもはきちんと礼儀正しい娘なのです」


「構いません」


 キアは、ララに視線を向けることなく部屋を出て行った。


「ララ!どういうことだ!今さら…今さら私に逆らうのか!」


「あの方はいけません!あの方は、ヴィンセントの時の私と会っています」


「分かっている」 


「え?」


「分かっている。お前、彼を庇って怪我を負ったのだろう?」


 ララは驚いた。


「話したのですか、彼に真実を」


「いいや。彼から聞いて知った。彼は、自分を庇った怪我でヴィンセントが死んだのではないかと悩んでいた」


「まさか…そうだと答えたのですか」


「見くびるな。私もそこまで落ちてはいない。きちんと病死だと告げた。だが、彼が自分から言って来たのだ。お前の面倒を見て、この領地を継ぐと」


「しかし、私は…」


「お前の醜聞は気にしないそうだ」


「彼は、王国騎士団長になる才能を持っています。そんな方が…」


「お前、彼を見て逃げたそうだな」


「…はい」


「お前は、きっと自分を恐れて拒否するだろうと、彼も言っていた。自分は半分異国の血を引き愛妾の子ども。さらに、身体中そして顔にまで傷が残ると」


 ギデオンは、口を歪ませ笑った。


「だが、彼はあのエルディック・バルバロットの血を引く。バルバロット家の遺産をどれだけもらっているか知らないが…きっとこのガ―ディス家を救ってくださるだろう」


「おじい様…」


「彼に告げればいい。自分がヴィンセントで、この通り生きていると。お前のせいで負った醜い傷のせいで婿を迎えることも出来ず、この家も絶えるのだと。…彼はお前を憐れみ、必ず妻に迎えてくださるだろう」


 ララは、何も答えることが出来なかった。


「逃げることは許さないぞ、ララ」


 ギデオンは、乾いた皺だらけの手をララへと伸ばした。


「絶対に許さないからな」


 ララは、逃げる様に部屋を飛び出した。


 どうすればいい。

 一体どうすれば――。


 廊下にはキアが立っていた。

 扉の前に立つララをひどく冷めた目で見ていた。

 キアを目の前にすると、上手く息が出来なくなった。


 眉の傷は、残ってしまったのだな。

 それでも年齢を重ねさらに威厳が増し、美しいその姿はきっと誰の視線をも釘付けにするのだろう。


 おかしい。


 私、いつもどうやって話していただろうか。


 普通に落ち着いて話を。

 

 ララは大きく息を吸った。


「さ、さ、先ほどから失礼な態度を取り…もも、申し訳ありませんでした」


 全然だめだ。

 声が震えているのが分かる。


 心臓の音が鼓膜を突き破りそうなほど耳に響いてくる。


「わた…わたくしはその…」


「ララティナ嬢」


 まるで氷のように冷たく低い声が響いた。


「君に望んでいることは何もない」


 こちらを咎めるような響きの声に、ララは口を閉じた。

 さっきまでの動揺していた心はどこかに消え、すっと冷たい風が心に吹いた。


「僕は女性が苦手だ。君のような華美な女性は特に」


 ああ、あの醜聞を信じているということか。


「だが、王都で遺産目当てに追い回されるのに疲れた」


「も、申し訳ありませんが、それは私の祖父も変わらないかと」


 震える声で、ララは返した。


「あ、あなたの…バルバロット家の遺産をあてにしています。我がガーディアス家は、貧しく…」


「分かっている。ギデオン様は、このガーディアス領を守るためにかなりの節制を強いて来た。それでも、立ち行かない様子で金銭的な不安を多く手紙に記していた。…僕も可能な限り支援している」


 どうりで、最近屋敷や騎士団本部の建て直しや、国境の門の修復をしていた。

 リアンやアロア達以外の召使が増えている。

 もう引き返すことが出来ないほどの援助を受けてしまっているのだろう。


「手紙は読んでいないのか」


「て、手紙ですか?」


「この結婚を決めてから毎年一通は送っていたはずだ」


 ララは目を見開いた。

 キアは呆れたように深く溜息を吐いた。


「僕を知れば、君が逃げ出すとギデオン殿もそう思っていたのだろう」


「そ、そんなことは…」


「僕は、ヴィンセント・ガーディアスに救われた。その恩に報いるために、彼の果たすべきことを果たす」


「お、弟は病で死んだのです。あなたのせいでは…」


「分かっている。この結婚で君に何かを強いることはない」


「つまりは…私とは形だけの夫婦であることを望んでいらっしゃるのですか」


「そうだ」


 キアは静かに続けた。


「恋人が他にいるのであれば、付き合いを続けてくれても構わない。その相手と子どもが出来れば、その子を後継ぎにしてくれてもいい」


「そんな…」


 そこまで、私を拒否するのか。


「君に選択権はない。ギデオン様はすでに僕を婿にと望まれた。今すぐではない。僕にはまだ仕事が残っている。しかし、ギデオン様には時間が少ないようだ。可能な限り、領主としての仕事を受け継いでいくつもりだ」 


 ここに留まり、キアの妻として生きることが出来る。


 身体の繋がりがないのであれば、あの時の傷を見られることもない。


 ただ、この美しい瞳に…自分が映ることはない。


 ララは目を閉じた。


 いや、選択権がないというのであればここで私が色々と考える必要はもはやない。


「分かりました。…わたくしも贈り物をたくさん頂いているのに、お礼も言わず申し訳ありません。ありがとうございます」


「僕を見て逃げ出したわりには、冷静だな」


「それは…申し訳ありません」


「嫌だと泣き叫ばれると思っていた」


「もうそのような年齢ではありませんので」


「今年で二十五だったか」


「はい」


「二つ上か」


 その言葉に、ララは思いがけず苛立ちを覚えたが表情に出るのを堪えた。


 嫌味な奴だ。

 わざわざそういうことは言わなくていいだろう。

 年増といいたいのか。

 そっちはどう見ても三十くらいのくせに。


 そう心で悪態をつきながら、ララは口を開いた。


「あなたは…恋人をお連れになるのですか」


 頭を過ったのは、キアの想い人のことだった。


「なんだと」


「いえ、わたくしに恋人を許すのであれば、当然あなたも連れていらっしゃるのだと」


「連れて来ない」


 王都で言っていた想う相手は、恋人ではないのだろうか。

 恋人がいるからこそ、この形だけの結婚を望むのではないのだろうか。

 それとも、すでに関係を終わらせたのか、叶わない恋なのか。


「でも、いずれは連れていらっしゃるのでしょうか。あなたの子どもをここで育てるということも…」


「…女性は苦手だと言ったはずだ。同じことを何度も言わせるな」


 キアは、うんざりだという様子で息を吐いた。


「僕は君とは違う。…失礼する」


 それだけ言うと、キアは再びギデオンの部屋へと入っていった。

 その後、二人が何を話したかは分からず、キアはすぐにガーディアス家を出て行った。


 ララは、すぐにミゼウルの家を訪ねた。


「知っていたのですね。私の結婚相手がキア・ティハルと」


 ミゼウルはララが怒っていることを察したようだった。

 その巨体を縮ませるように椅子に座ると、目を瞬かせ静かに泳がせた。

 相変わらず嘘の吐けない叔父だ。


「いつから?」


「うーん、結構前?」


「数年前あなたの腕を外したのはキア・ティハルですね」


「あいつ、だってめちゃくちゃ速くって…」


「なぜ話してくれなかったのですか」


「だって、最近ずっとエレノアと別荘にいただろう?ララちゃん、叔父さんと全然遊んでくれないんだもん」


 最近またと髭を伸ばしだしたミゼウルは、子どものように頬を膨らます。


 全然可愛くない。

 

 ララは、その頬を右手で掴んで潰すとミゼウルの顔を掴んだまま話を続ける。


「私のことは話していないようで安心しました」


「ううう」


 ひよこのように唇を尖らしたまま、ミゼウルは話続ける。


「じいしゃんにはなしゅなっていわれてたの。ぎょめんね」


「裏切り者」


 ララが手を離すと、ミゼウルは宥める様にララの両手を握った。


「そんなこと言うなよぉ。叔父さん泣いちゃうぞ!」


「勝手にしてください」


「でも、あいつ凄いんだぜ、お前のためにこの領地を…」


「これからも言わないでください」


「なに?」


「いずれ私から話します」


 ミゼウルは、静かに息を吐いた。


「分かった。だが、早めに…な?俺嘘吐くのが下手って知ってるだろう?」


「そうですね」


「あいつなんて?お前に気が付いたか?」


「別に何も」


「ふーん。ま、黙っとけというなら、黙っとくよ」


 ミゼウルにも形だけの夫婦を望まれたとは言えなかったし、言うつもりもなかった。



 その後、リアンから手紙を五通受け取った。


「ギデオン様からです」


 それは、キアからのララティナ・ガーディアス宛の手紙だった。

 さすがに封は開いていなかったが、ララは思わずリアンを睨みつけた。


「申し訳ありません。ギデオン様の命令で…」


 リアンは澄まして頭を下げた。


「くそじじいが」


 ララが思わず呟くと、リアンがさすがに驚いた様子で顔を上げた。


「ラ、ララ様。申し訳ありません。私も主には…」


「いや、すまない。あなたに言ったのではない。いけないな、叔父上の言葉遣いが移ってしまった。…ありがとう、リアン」


 ララはキアの手紙に目を通した。

 それは五年前、おそらくヴィンセントの死を知ってからの内容だった。

 その文面からもよく分かるほど、キアは真面目だった。

 言葉少なく、ヴィンセントの死を自分のせいではないかと責め、責任を自分が取るためララと結婚することになってしまった経緯が丁寧に書かれていた。

 手紙は年数が経つほど言葉の少ないものになっていた。

 それでも一年に一通は手紙を送ってくれていた。


 ララは何度も真実を手紙に記すか迷った。

 何度も書いては捨て、書いては捨てを繰り返した。

 ギデオンの責任を取ってもらえという言葉が頭をどうしても渦巻いた。

 迷った結果、手紙をギデオンから隠されて今まで返事が出来なかったことへの謝罪を書いた。 

 そして、ほんの少しでものお礼を贈ることを決めた。

 燻製肉の詰め合わせを送ろうとしたところ、エレノアから色気がないと全力で止められ、蜂蜜を贈ることになった。

 キアは、その後数回ガーディアスを訪れたらしいが、まるで狙ったかのようにララの不在の時だった。

 キアが狙ったのか、ギデオンの策略なのかはわからなかったが。


「ララってば!どうしてキア様のこと教えてくれなかったの?」


 キアに会ったらしいエレノアが興奮しながら、ララの手を掴んで来たのもキアが訪れた後だった。


「まるで獅子のような美しさと迫力のある方だったわ。迫力があるのにすごく丁寧な騎士様なの。年甲斐もなくどきどきしてしまったわ」


「そうですか」


「可愛らしい男の子を連れていたわ。従者なのですって」


「…会えなくて本当に残念です」


 そう言いながら、顔を合わせずに済んだことにほっとしている自分がいた。



 数か月後、ギデオンは静かに息を引き取った。

 キアは葬儀には間に合わなかったが、その後遅れて会いに来た。

 そして、半年後すべての仕事を片付け、ここの正式な領主となると約束した。



 ララは、鏡を覗き込みながら考える。

 結婚まで後一か月。

 エレノアは早々と王都で馴染のドレス専門店に花嫁衣裳を注文していた。

 七十を迎えた老女である店主のテレサ・アレルヤと、その弟子であるアリッサ・フレドがララの全身を測りに来たのはいつ頃だっただろうか。

 後少し経てば、その衣裳が届く予定だった。 

 キアはなぜか結婚式まで一か月という期間を作った。

 盛大な結婚式は望まず、親族のみの簡素なものになる予定だ。

 領主夫婦の披露の式は次の日の夜行われる予定で、招待する人達も決めてある。


 そして、叔母のリヴィエラが唐突にマリエラとクラリッサを連れ、ガ―ディス家へ滞在を始めたのは十日前になる。

 リヴィエラ達は、結婚してからずっとガーディアスを訪れたことはなく、ララも初めて会ったのがギデオンの葬式だった。

 リヴィエラの夫にも従妹達にも一度も会ったことはなかった。

 恐らくはギデオンを恐れ、そしてこの領地の問題に巻き込まれたくなかったのだろうと思う。

 葬式の席で、リヴィエラは涙も流さずに渋い顔でギデオンの棺を見つめていた。


「リヴィエラ姉様、会うのは初めてだったわね。お兄様の娘のララティナよ」


 エレノアに促され、ララはリヴィエラの前に立った。


「初めまして、ララティナ・ガーディアスです」


 リヴィエラは、大きく目を見開いた。


「なんてこと。…噂のままじゃない」


 そう呟くと周りの人々に聞かせるように、大きな声で言った。


「あら、あなたなのね。あの王都で有名なふしだらな悪女のララティナは」


「リヴィエラ姉様」


 エレノアが咎めたがリヴィエラは黙らなかった。


「わたくし、あなたのような悪女がこのガーディアス家を継ぐなんて認めませんから」


 そうララに言い放った。

 そして、ここに滞在を始めてからも、ちくちくとララをふしだらな悪女扱いするような言葉を吐く。

 認めていないのに、なぜ結婚式に出ようとしているのか分からなかった。



「男漁りなど…どうやってやるんだ。罠でも仕掛けるのか?」


 鏡の前の自分に、ララは話しかける。

 今日だって花柄は似合わないと思いながらも可愛らしいドレスを選び、口紅を引き薔薇の香水にだって我慢している。

 それでも、キアはまともに自分の方を見ようともしなかった。


「あんな奴、もう嫌いだ」


 思わずそう呟いた。


 きっと好きだと思ったのは、戦場で気持ちが高揚していたからに違いない。

 絶対に懐くはずのない獅子が自分にだけ懐いたような優越感とか、そういうものだ。


 きっとそうだ!


 あの獣のように鋭い瞳だって、睨んでいるようで怖い。…ずっと見ていたくなるほど美しいが。


 部隊長に剣を突き付けられても冷静で動じないところが素敵だった。


 あんな迫力のある見た目なのに自分を僕と呼ぶ、その丁寧なしゃべり方がいい。


 あの低く響く声だって。


 もぎゅもぎゅご飯を頬張るところも可愛くて好き……だから、嫌いだって!


 ララは深い溜息を吐いた。


 眼鏡を掛けたキアもなんとも言えず知的な雰囲気が漂い素敵だった。

 見惚れてしまいそうで、顔も上げられなかった自分はもはや重症だ。

 リヴィエラから庇ってくれた時も、嬉しくて手を伸ばしてしまったが、触れるなと女性の手を跳ね除けた時のことを思いだして触れられなかった。


「ああああ…逃げたい」


 そう呟いた時、扉を叩く音が響いた。


「どうぞ」


 ララは振り向き返事をした。

 扉が開き、部屋に入って来たのはキアだった。

 ララは、驚いてその場に立ち尽くした。

 キアは明らかに苛立った様子でララに目を留めると、なぜか静かに眼鏡を外し手に握ると、扉も閉めずに話始める。


「どういうことだ」


「なにが…ですか」


「メルバ夫人から話を聞いた。あれは、君の考えか」


「一体何の話ですか」


「…マリエラ・メルバ嬢をガーディアス家の養女に迎え、僕の妻にするという話だ」


 ララは、目を見開いた。

 なるほど、リヴィエラはそういうつもりでガーディアス家に滞在しているのだ。

 自分の娘をキアの妻にするために。

 そのために、ララをふしだらな悪女にしてしまいたいのだ。


 マリエラは、いつも穏やかな笑顔でララに接してくれる。

 お菓子作りが得意で、お茶の席ではいつも振舞ってくれる。

 十五歳の時に一度社交会へ出たと聞いたが、大病を患いすぐに田舎へ戻らなければならなかったらしい。

 未だに求婚者がいないとは信じられないほど可愛らしい女性だ。

 女であるララにも、守ってあげたいと思わせる雰囲気がある。

 キアだって、女性が苦手だと言いながらもマリエラには優しく接していた。


 こちらをちらりとしか見なかったくせに。


 ララは段々と腹立たしくなってきた。


「マリエラでは、いけませんか」


 ふいに、そう口にしていた。


「なんだと」


 そうだ。

 この結婚になんの意味がある。


「そんなにこの家を守りたいのであれば、マリエラと守ればいいのでは?」


 キアは一瞬目を見開き、そして細めるとララを睨みつけた。

 その瞳を、ララも静かに見据える。


 私は逃げない。

 そんなに嫌ならそっちが、悪女の私から逃げ出せばいい。


「彼女なら、なんの問題もありません。わたくしのような醜聞もなく、王都に連れて行けば、可愛らしい妻として自慢できる女性です」


「冗談ではない」


「彼女と結婚してもガーディアスの血を引き継ぐことになります」


「僕は血筋に興味はない」


「女性が苦手で、特にわたくしのような女が嫌なのでしたら、彼女の方がよほど望ましい妻になるのでは?」


 キアはララを睨んだまま、口を閉じた。

 何を考えているのか口を中々開かない。

 ララは続けた。


「それに、初めて会ったあなたを少しも怖がっていません。わたくしと違って…ね」


「それは…」


「女性が苦手なあなたも、同じ時間を共にすれば子どもを欲しいと望むようになるかもしれません」


 その言葉に、キアは眉を顰めた。


「君は?」


「わたくしが…何ですか」


「僕と…その…」


 唐突にキアは言葉を濁した。


「いや」


 キアは、一度口を閉じ再び開いた。


「君は…どうする」


「あなたとマリエラが一緒になるのでしたら…ですか。そうなれば…」


 どうする?どうすべきだろうか。


 そうだ。

 私は、悪女なのだ。

 それなら…。


「恋人の元へ参りますぅ」


 ララはそう言って微笑んだ。


 そうだ。

 これでいい。


「やはり、結婚は愛するものとすべきです」


 キアの冷ややかな視線に、ララは少し意地の悪い気持ちになる。


「それとも、あなたが跪いて愛を誓ってくださるのですか」


「そんなことするはずがない」


 そうキアは苛立った声で言った。


 だろうな。


 口にして空しくなる。


「君は、やはり恋人がいるのだな。それとも、まだアルバート・マクレバーと繋がりが?」


 いや、誰だ。


 そう思いながらも、ララは恍けて見せる。


「さぁ。恋人を持つのは自由なのでしょう」


「…そう言ったな」


 キアは、深く息を吐いた。


「僕は、考えを変えるつもりはない。一か月後、君と結婚する」


「それは、わたくしがヴィンセントの姉だからですか」


「そうだ」


「なぜそこまでするのですか」


 キアは静かにララを睨み付けた。


「命を救われたからだと言ったはずだ。―何度も同じことを言わせるな」


 その冷たい口調に、ララは思わずキアの顔を睨み付けた。


「分かりました。あなたの前では、二度と口を開かぬよう注意いたします」


 そう嫌味と分かる口調でララは言った。


「…そこまで言っていないだろう」


 ララは黙ったまま、キアの言葉を無視した。

 キアは忌々し気に言った。


「…君のような不愉快な女性は初めてだ」


「奇遇ですね。わたくしも…あなたのような威圧的な男性は不愉快です」


 キアは再びララを睨む。


「失礼。口を開かないのでした」


 ララは口元に手を置き、そう告げるとキアを睨み返した。

 先に視線を外したのはキアだった。


「…失礼する」


 律儀にもきちんと挨拶をして出て行った。


 ララは大きく息を吐いた。

 心臓がばくばくと音を立てている。


 やってしまった。

 苛立ちに任せて言いたい放題口にしてしまった。


「これは、逃げ出すのは時間の問題かもしれない」


 ララは、思わず呟いた。

 キアが出て行った後、エレノアが開いた扉からおずおずと顔を出した。


「驚いた、ララ。キア様によくあんな口がきけるわね」


「エレノア、いたのですか」


「ええ。リヴィエラ姉様の話しの後、キア様がすごい勢いであなたの部屋に向かったから。姉様は、早速あなたにマリエラを妻にすると告げに言ったのだと言っていたけど」


「この話はいつからあったのですか?」


「やだ!わたくしは全然知らなかったのよ。姉様が勝手に。マリエラも戸惑って顔を真っ赤にしていたわ。それで、わたくしよく聞こえなかったのだけれど、キア様はなんて?」


「冗談ではないそうです」


 エレノアはぱっと笑顔になった。


「では、やっぱりあなたと…」


「唐突過ぎるのです。もっと時間を掛け、二人が距離を縮めた後に提案すれば、罪悪感なくことが進んだかも。あの方もこんな仕組まれたような関係は意地でも望まないでしょう」


「ララったら、キア様と結婚したくないの?」


「え?」


「さっきだって、あなたの方がマリエラを進めてただじゃない」


「あれは、腹が立って。でも、言葉にしてみれば…マリエラの方がずっと良い」


「やだ、何を言っているの!あなたの方がずっと相応しいわ。身長だって、キア様の隣にいれば丁度いいじゃない」


「私はそうは思えません」


「ララったら」


 エレノアは、困ったようにララの手を握った。


「どうすれば、あなたは自分に自信が持てるのかしら。こんなに…こんなに綺麗なのに」


 ララは微笑み、静かにエレノアの手を握り返した。


「あなたがそう言ってくれるだけで充分です」


「ララったら、あなたが自分から口紅と香水を付けるなんて。…本当はキア様に綺麗だって言われるのを期待していたのではないの?」


 ララは思わず目を見開く。

 エレノアがハンカチを取り出し、ララの唇へ軽く押し当てる。


「でも、この色はちょっと赤が強すぎたかしら」


「やっぱりおかしかったですか」


 ララは恥ずかしさに俯いた。


「おかしくなんてないわ。なんていうか…雰囲気が出るのよ。ああ、あなたに似合う化粧って難しいわ。どうして薔薇の香りを?わたくしが最初にあげたやつよね。匂いの強い香水は頭が痛くなると言っていたのに」


「いえ、特に理由は」


 本当は、キアがあんな風な花の匂いを好むのではと思ったとは言えずララは俯いていた。


「そういえば、明日皆でピクニックにいく約束をしたの」


 話題を変えるように、エレノアは言った。


「姉様達がキア様のために領地を案内したいって。案内って、あの人達も来て十日のくせにね」


「そうですか」


「行くでしょう?」


「行きません」


「どうして?本当にマリエラにキア様を奪われるわよ」


「仕方ありません」


「ララったらぁ。本当に欲しいものは、自分から追いかけないと」


 追いかけて来るなと言われてしまったからな。


 そう思いながら、ララはエレノアに微笑む。


「私とリヴィエラ叔母上が険悪では、困るでしょう。とにかく明日は、止めておきます」


 エレノアは、やっと諦めた様子で肩を落とした。

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