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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
3/17

二.

「あ、カストルの街が見えてきましたよ。」


 サリーは馬車の窓を開け、顔を出した。

 九月を迎えやや冷たくなった秋の風に思いがけず目を閉じた。

 海に面したカストルの街の方角からは心地の良い磯の匂いがした。

 カストルはガーディアス領で一番大きな街で、街の中に騎士団の本部もある。

 港には多くの船が集まり、大勢の人々で賑わっていた。 

 ガーディアスの秋は短く、九月を過ぎればあっという間に寒く厳しい冬が訪れる。

 今が収穫の時期であり並ぶ小麦畑では、多くの農民たちが稲穂刈りに励んでいた。

 正面に座るキアは、特に言葉を発することもなく目線だけ外へ向けた。

 王都では、ユークリッドの言いつけを守って眼鏡を外してはいるが、ほとんど見えていない。  

 だが、今はきちんと銀縁の眼鏡を身に付けていた。

 こうして見ると、最強の騎士よりも知的な学者のように見える。

 キアに伯爵の地位を得たと聞かされた時は、サリーは腰を抜かすほど驚いた。

 しかし、キアは何も変わらないと告げた。

 ただ国からガーディアス領の権限をすべて任されただけだと淡々として、まるで他人事のようだった。

 サリーは、窓を閉めるとキアの前へ座り直した。


「あと数刻ですね、屋敷までは」


「ああ」


 王都からガーディアスまで、宿を経由しながらおよそ三日の距離を馬車に揺られた。

 サリーが、こうしてキアの下で働き始めておよそ三年。

 キアは、見た目の印象で冷酷そうだの、感情がないだの、散々なことを言われている。

 確かに、常に冷静で何に対しても熱を持たない様子は、冷酷な印象を与えてしまう。

 それでも笑いもしないが怒鳴り声を上げたり、手を上げたり、感情的になったことは一度もない。

 常に淡々と人に丁寧に接する姿は、むしろ優しいとサリーは思う。

 サリーは、キアの真っ黒なコートに包まれキアの膝にもたれて眠る、五歳くらいの泥だらけの少年に目を向ける。

 今もこうして、街道で一人泣きながら彷徨っていた迷子の少年を保護して、街まで連れて行こうとしている。

 少年は泣くばかりで名前さえ答えてはくれなかった。

 しばらくすると泣き疲れてキアにもたれて眠り始めていた。

 キアは仕立てたばかりの上着もズボンも泥まみれにされ、今やズボンに涎の染みさえ付けられているのに、少年を起こそうともしない。

 キアが優しいのは、出会った頃から変わらなかった。

 停戦のさなか、サリーの住むキュノス兵に荒らされたディアス村の復興のために、昼夜問わす誰よりも働き続けた。

 靴屋を営むサリーの家で火事が起こった時、サリーは妹のキャロルと二階に取り残されていた。

 煙で前も見えない中、サリーはただうずくまってってキャロルをを抱きしめていることしか出来なかった。

 サリー達のいる部屋に、キアは転がり込むように入って来たことは覚えている。

 その瞬間、何かが弾けるような音がして、気が付いたらキアに抱えられ窓から飛び出していた。

 強い衝撃を感じ地面を転がったが、身体に痛みはなかった。

 ただ、キアの逞しい腕の中でサリーとキャロルは泣き叫び続けた。

 キアは探る様にサリーとキャロルの頭を優しく撫でてくれた。

 その時、キアの目はすでに見えていなかった。

 しかし、キアは狼狽えることもなくサリーとキャロルの身を案じてくれた。

 その後医師に診察してもらい、半年は目を使えず、もしかしたら失明するかもしれないという状況でもただ静かだった。

 そして、世話を申し出たサリーに対しても、一度も不満を口にしなかった。

 それどころか、日に日に目が見えない生活にさえ慣れていく様子に、サリーは目を見張った。

 自分もこんな強い人になりたい。

 サリーはキアに付いて行くことを決めた。

 キアは困っている人がいると、言葉少なながら声を掛ける。

 ただ、ほとんどの人が逃げていってしまうが。

 こんな優しい人を誰がバケモノ騎士なんて名前を付けたのだろうかと思う。

 そして、そんな優しい人が娼婦のように噂される女性をわざわざ妻に迎える。

 ヴィンセント・ガーディアスの名は、ディアス村でも有名なものだった。

 五年前突然村にキュノス兵が押し寄せた。

 十二歳だったサリーと家族みんなでは、領主の館に逃げ込み、兵達がいつ館に押し寄せてくるか、震えながら夜を過ごした。

 そんな中、ヴィンセント率いるガーディアス騎士団がディアス村からキュノス兵を追い払ってくれたのだった。

 サリーも騎士団の姿を見たことは覚えているが、巨体の男達の影に隠れヴィンセントの姿を見ることは出来なかった。

 初めてキアにララティナとの婚約を聞かされた時は、サリーはその名を知らなった。

 ヴィンセントの姉と知り、そして色々な人に尋ねてみると、驚くほど悪い噂しかなかった。

 しかも、ヴィンセントが死の淵にいる時、男性を漁っていたなんて最低だ。

 それなのにキアは、ガーディアス領への資金援助に始まり、彼女のために王都の流行りの店からドレスや宝石、お菓子などの贈り物を手配させたりするなど模範的な婚約者だった。

 しかし、毎年送り続けた手紙の返事が届くようになったのはほんの一年前のことだった。

 そんな扱いを受けながらも、キアはお礼と称して届いたガーディアス産の蜂蜜を紅茶に入れて口にしていた。

 ガーディアス領へ同行した時も、サリーはララティナに会う機会がなかった。

 彼女はキアに大事にされるのに相応しい女性なのだろうか。

 サリーにはそう思えてならなかった。

 キアの命の恩人であるヴィンセントのことは、キアに何度か遠回しに聞いたことがある。

 しかし、ただ命を救われただけだという、その返答しかなかった。

 サリーは、キアがいつまでのそのことに捕らわれ、犠牲になることに納得いかなかった。

 気が付くと、馬車はすでに街の中へと入っていた。

 レンガ造りの家が並ぶカストルの街は多くの人が行きかっていた。

 キアは、静かに御者席を叩く。


「止めてくれ」


「どうしたんですか」


「人が集まっている。この子のことを知っている人が居るかもしれない」


 馬車が止まるとキアは、眠る少年をコートごとそっと抱きかかえると馬車を降りた。

 サリーも慌ててそれに続いた。

 広場の人々がこちらに視線を向けたが、キアの姿にどこか緊張の色を示しこちらへ寄ろうとはしない。


「バルドル!」


 しかし、その中から一人の女性が飛び出して来た。


「ああ、良かった!本当に、本当に!」


 その女性は少年をキアの腕から奪い取るかのように抱え込んだ。

 二十代だろうか。

 随分と若い母親だったが、高価そうなドレスや宝石を身に着けていた。


「あ、ありがとうございます。馬に乗ってどこかに行ってしまって馬だけが戻ってきてそれで…」


 泣きながら訴える女性に、キアは丁寧に答えた。


「街道にいました。怪我はしていません」


「こ、これ…どうしましょう。こんなに汚して…弁償を」


 女性がコートを手に、動揺していたがキアは優しくそれを奪い取った。


「問題ありません。では」


 キアは、何度もお礼を述べながら名前を問う女性から逃げる様に馬車に乗り込むと、サリーも続いた。

 じっとキアを見つめていると、キアが視線だけをサリーに向けた。


「なんだ」


「え?」


「笑っている」


「いや、優しいなぁと思って」


「普通のことだ」


「貴族様は、その辺りの平民のことなど気にしませんよ」


「僕は貴族ではない」


「…これからは、伯爵様じゃないですか」


「僕は変わらない」


 キアは、少しして口を開く。


「サリーくれぐれも…」


「分かっています。結婚まではそのことは伏せておく。でも、なぜですか。ララティナ様が飛びついて離れなくなるからですか」


「そうなら…」


「え?」


「いや」


 伯爵となったキアには今までの資産に加え、さらに国からお金が出る様になる。

 爵位のある貴族との結婚を、望まない女性はいないとサリーは思うのだが、キアはそれを伏せるようサリーに言いつけていた。


「…あなたがララティナ様に拘る理由はなんですか」


 サリーは思わずまた口にしていた。

 何度聞いても答えてもらえなかった問いだ。


「ヴィンセント様のためですか」


 キアは、口を閉じていた。

 サリーは沈黙に耐えられず小さく息を吐き、口を開いた。


「彼は、素晴らしい騎士様ですものね」


「ああ」


 キアはぽつりと答えた。


「…誇り高く美しい騎士だった」

 

 

 キアが初めてヴィンセント・ガーディアスを見たのは、ヴィンセントが叔父と共に王国騎士団のテントを訪れた時のことだった。

 背はそれほど高くなく、体格に合わない大き過ぎる騎士の制服を身に付けていたが、すっと伸びた背筋のその凛とした姿は、彼の周りの空気だけが澄んでいるようだった。

 ぼさぼさの白金色の前髪の間から覗く美しい黒い瞳から、気高く強い印象を覚えた。

 キアは不躾にヴィンセントの顔を眺めていたが、ヴィンセント自身はキアの姿に一瞬目を留めただけで、次の瞬間には鋭い視線を部隊長へ向けた。

 ヴィンセントが率いるガーディアス騎士団は、リンゼイ領からキュノス兵を追い出し、国境ギリギリのところで抑えていた。

 当時のキアの部隊隊長は、マレキス・リバロという伯爵家の長男であった。

 短く切りそろえた明るい金色の髪に、神経質そうな氷のような青の瞳をしていた。

 マレキスは、貴族至上主義のためキアは毛嫌いされていたが、こういう場では相手を威圧するために、自らの気に入りの騎士と共にキアを傍らに置いていた。

 しかし、ヴィンセントと一緒に来た叔父のミゼウルという男は、背はキアよりさらに高くその体躯は倍もありそうな屈強な男だった。

 濃い茶色の長髪に長い髭で覆われた顔からは、強い光を放つ黒い瞳が覗いており、その賊を思わせる容姿は周りを圧倒していた。

 キュノス兵を追い払えたのは、この男の活躍だとも報告があった。


「ご苦労だったな、ヴィンセント・ガーディアス。これより先は、王国騎士団が預かる。君達は後退したまえ」


 マレキスの言葉に、目を剥いたのはミゼウルだった。


「なんだ、その偉そうな態度は。お前ら王国騎士団がちんたらしている間に、俺達がどれだけ戦って来たのか分かってんのか!」


ミゼウルを手で制し、ヴィンセントは口を開いた。


「…感謝いたします、リバロ様。我々も昼夜問わず戦いを強いられてきましたので疲弊しておりました」


 ヴィンセントは、年齢の割にひどく落ち着いた澄んだ声色で話しを続けた。


「今後、どのような作戦を…」


「君達に、知らせる必要はない。ここからは、我々の戦だ」


「わかりました。…ただ、応援を待つことを私は進言いたします」


「…たかだが百の兵だ。我々五百の戦力では足りないというのか」


「私達の知る時点での百です。一度国へ戻ったのですから多くの兵が集まっている可能性があります。一度状況を確認した上で、応援を待つべきです」


 ヴィンセントは淡々と言葉を続けた。


「キュノスの兵は、彼らの国教の信徒です。国王同士の和睦でなくては、治まることはないでしょう。国へ戻り装備を整えて来られれば数が多くても…」


「王国騎士団に対して進言などおこがましい」


 マレキスは、冷たく言い放った。


「我々は何度も戦を乗り越えて来たのだ。田舎の領地の騎士になど用はない」


「こいつっ!」


 ミゼウルが前に出ようと構えたが、ヴィンセントが腕を差し出し再びそれを制した。

 マレキスは勝ち誇ったように言った。


「明日にでも、キュノス兵を黙らせてやる。貴様らは安全な場所で待つがいい」


「お待ちください」


 キアは口を開いた。

 マレキスは目を吊り上げてキアを睨み付けた。


「それでは、命令に反します。ユークリッド様は…」


 ふいに、マレキスが剣を抜きそのままキアの目の前に振り上げたため、キアは僅かに後ろへ下がる。

 斬るつもりはないのは分かった。


「貴様に口を開くことは許可していない、バケモノ。バケモノはバケモノらしく、飼い主の命令に従っていろ」


 キアは、マレキスを睨んだ。

 なぜこんな男に隊長など任せるのだろうか。

 ユークリッドは反対したようだが、アーロン王の一言で決まった。

 なんでも、代々戦初めに先陣を切るのはリバロ家の務めなのだとか。

 ユークリッドの命令では、まずは敵を把握し状況に応じた行動をしろとのことだった。 

 このまま出陣など愚か過ぎる。


「…僕の飼い主はあなたではない」


 キアは剣先を弾き、テントの出口へと向かった。


「貴様、私の命令が聞けないのなら…」


 マレキスの声が背後から響くが、キアはそのままテントの外へ出て歩き続けた。

 ユークリッドの命令でなければ、こんな隊長の下に付くなど嫌だった。

 こんな愚かな命令の前でどう行動すべきか、キアは深く息を吐き呟いた。


「ああいう人間が一番に逃げ出す」


 背後で、ふと笑い声が漏れた。

 振り向くと、そこにはミゼウルが立っていた。


「同感だな。…バカな隊長を持つと命がいくつあっても足らないぜ」


 キアが黙っていると、ミゼウルはそのまま話続けた。


「その肌の色、異国人のようだな。お前はこの隊のお偉いさんか」


「違う」


「でも、お前の飼い主は王国騎士団長様なんだろう?」


「…ああ」


「なるほどな。ま、お前の方があの隊長よりも話が分かりそうだ。森の道を教えておいてやるよ。いいだろ?…ヴィンセント」


 ミゼウルを追って来たヴィンセントは、静かにこちらへ近付いてきた。


「構いません。国境の何もない大地よりも森に逃げ込み、後退しながらでも戦った方が、より生き残る道も多くなる。…あの隊長に知らせたところで、誰にも伝えられることはなく、握り潰されるでしょう」


「俺はあいつをぶん殴りたくてたまらなかったぜ。まったく、お前の落ち着きは誰に似たのか」


「悪いお手本が目の前にあったので」


「…それ、俺のこと言ってる?」


 ヴィンセントは、キアに向けて口を開いた。


「国王が、キュノスに救いの手を差し伸べる可能性はありますか」


「ない。戦を望んでいる」


「では、敵に背を向けることになったとしても、逃げて生き残るしかありません」


「隊長の首を落としても無駄ということか」


「え?」


 キアの言葉に、ヴィンセントは目を見開いた。

 ミゼウルが笑い出す。


「ははは。なんだ、お前。大した自身だな」


「ただの戦の基本だ」


「そうですね。頭を落としても、彼らは止まることはないでしょう」


 そう冷静に答えて、ヴィンセントは一枚の丸めた紙を差し出した。


「この地図を隊で共有してください」


「…僕の話に耳を傾ける者は、この隊にはいない」


「では、王国騎士団団長からの極秘な情報だとでも言って情報を流せばいい。頭にいれておくかどうかはその騎士次第です」


「…分かった。感謝する」


 キアはそう言って地図を受け取った。

 ヴィンセントが、じっとキアを見つめるのでキアは目を伏せた。


「なんだ」


「いえ、私を子どもだと侮らないのですね」


「…同じくらいだ」


「私は…十九歳ですが」


「同じだ」


「え?」


「本当か!お前、俺と同じくらいだと思ったぜ」


 ミゼウルの言葉に、キアは思わず眉を寄せミゼウルを睨んだ。


「あんたは、五十くらいだ」


「失礼だな!三十三だ!」


「失礼なのはそっちの方だ」


 ふっと、ヴィンセントは吹き出した。


「ははは、五十!」


 ヴィンセントは、思いがけず無邪気な笑顔をキアにむけながら、ぱしぱしとキアの腕を軽く叩いた。


「涼しい顔で、そんな面白いことを言うなんて!」


「…笑わせるつもりなんてない」


「そうだ!笑えねぇぞ!」


 ミゼウルに頭を指で小突かれながらもヴィンセントは、口を開け笑い続けた。


「あなたが汚らしく髭を伸ばしているからです」


「髭は男らしさの象徴だろうが!」


 こうして傍で誰かが笑うなど、キアにとって久しぶりのことだった。

 みな自分が傍に来ると表情を凍らせ、離れて行ってしまうのに。


「まぁ、生き残ったら酒でも飲みに行こうぜ。お坊ちゃん」


 そう言ってミゼウルが馴れ馴れしく肩を叩く。

 キアは思わず目を細めた。


「坊ちゃんではない。酒も飲まない」


「僕だなんて、お坊ちゃんの話し方だろう」


「…そう言葉を覚えただけだ」


「まぁ、酒なら俺が教えてやるよ。いいだろう。…ヴィンセント」


「そうですね」


 そう言って、ヴィンセントはまた静かにキアに笑い掛けた。


「挨拶がまだだったな。私は、ヴィンセント・ガーディアス」


 そう言って、ヴィンセントは手を差し出した。


「キア・ティハル」


 キアはその手を握った。

 革の手袋に包まれたその手は少し力を込めれば折れてしまいそうなほど細く感じたので、キアは一瞬で離した。


「こちらは、叔父のミゼウル」


「家名は捨ててんだ。よろしく、バケモノお坊ちゃん」


「叔父上、失礼ですよ。あなたの方が、よほど髭のバケモノだ」


「うるせぇな!」


「しかし、不思議な響きの名前だ。家名がティハルなのか」


「全部名だ。僕には家名はない」


「そういうものなのか。名に何か意味があるのか」


 キアは、思わず口を閉じた。

 そんなことを聞かれたのは初めてだった。


「いや、二つで名というのは珍しいと…」


「別にない」


 そう口にして、キアは目を伏せた。


「そうか。…気を悪くしないでほしい。私が色々聞き過ぎた」


「そうだぞ、こんな時に口説くな」


「叔父上」


 ヴィンセントは咎めるようにミゼウルを睨んだ。


「では、キア・ティハル。…生きて、また」


 不思議な感覚だった。

 ただ自分の名を呼ばれただけなのに、何か特別なことのような気がした。

 キアは胸が詰まったような感覚に言葉が出て来ず、ただ頷きその場を去った。




 誇り高く美しい騎士だった。

 揺れる馬車の中、そうぽつりと口にして少ししてから、キアは再び口を開いた。


「彼らのお陰で、王国騎士団は生き残れた。僕は彼に救われ、傷を負わせた。彼は帰還したが…その後、すぐ死んだことを知った」


 サリーは思わず口を開いた。


「償いなのですか?…この結婚は。ヴィンセント様を死なせたと思っているのですか?」


 キアは、黙って外を眺めた。


「…ただ、決めたことだ」


 そう言って口を噤んだキアを前に、サリーはただ黙ることしか出来なかった。


 昼前にようやくガーディアス家の屋敷へと到着した。

 四階建てのその屋敷は、以前は壁に亀裂が入ったり屋根が壊れていたりしたが、改築を終え白い壁の明るい印象の屋敷へと変わっていた。

 馬車から降りる前にキアは、シャツの釦をきっちり留めると黒いタイを締めた。

 汚れてしまったコートは、サリーが預かった。


「苦しい」


 キアはタイを締めるとぼそりと言った。


「仕方ありませんよ。コートがないのだから、胸元はしっかり締めてください」


 馬車を降りるとすぐに、玄関から執事のリアンが出て来ると静かに一礼した。


「おかえりなさいませ、キア様。お久しぶりです。お待ちしておりました」


 リアン・アリベルテは、ガーディアス家に長く使えている執事だった。

 白髪をぴたりと撫でつけ、穏やかそうな青灰色の瞳でキアとサリーを見つめる。

 キアは静かに口を開いた。


「今日からよろしく頼みます」


「いけませんよ、キア様。敬語は禁止です。あなたはこの家の主なのですから」


 そうリアンがにっこりと笑って言うと、キアは一旦口を閉じ言った。


「…では、頼む」


「はい、領主様。サリヴァンも久しぶりですね」


「はい、リアンさん。これからよろしくお願いします」


 玄関ホールに入ると、十数人いるメイド達がキアを迎え入れた。


「ようこそ、お戻りに。旦那様」


 正面の少しふっくらとした茶色の髪の五〇歳くらいのメイドが深々と頭を下げた。

 彼女は、アロア・アリベルテ。

 リアンの妻であり、メイド長を務めている。


「荷物もキア様の馬も届いておりますわ」


「ありがとう」


 キアがそう告げると、アロアは驚いた様子で言った。


「礼など不要です。私達の仕事ですので」


「そうか。…だが、ありがとう」

 

 アロアは困った様子で微笑んだ。

 キアの後ろを軽く会釈しながら、サリーは玄関の中へと続いた。

 吹き抜けの玄関ホールからは明るい光が差し込む。


「お久しぶりです、アロアさん。なんだか、前に比べると明るくなりましたね」


「よく気づいたわね。サリーちゃん」


「アロアさん。ちゃん付けは止めてください。僕は、もう十七歳ですよ」


「あら、ごめんなさい」


 そう言って、まるで子どもをあやす様にアロアは笑った。

 リアンが静かに口を開く。


「キア様の援助のお陰で、屋敷の改築は終わりました。カーテンや家具の新調はエレノア様の協力で」


 エレノアは、ララティナの叔母の名前だった。

 アロアが笑顔で口を開く。


「このお花とか、明るい色のカーテンとか。雰囲気が良くなったでしょう?」


「へえ、エレノア様らしいですね。…ララティナ様はそのようなことに関心は?」


 アロアの笑顔がぴしりと凍ったのが分かった。


「そ、そうね。今一生懸命学んでいらっしゃるけど、どうも…」


「そ、そうですか」


 これ以上聞くなという雰囲気をサリーは感じ取り、口を閉じた。


「キア様、皆さまお集まりです。ご案内します」


 リアンに案内されるままに、キアとサリーは居間へと向かった。

 しかし、リアンが扉を開く前に声が聞こえた。


「お母様、何を…きゃっ!」


 リアンが扉を開くと、一人の女性がキアの腕に飛び込んで来た。

 キアは、動じることなく女性を抱き留めた。


 飛び出して来た女性は、サリーよりも背の低い小柄な女性だった。

 蒲公英を思わせる淡い金色の髪、陽の光に透けてしまいそうなほど白い肌。

 頬も、ふっくらとした唇もほんのりとした薄紅色をしている。

 キアを見上げる瞳の色は空のように澄んだ青で、小動物のように大きく可愛らしい。

 驚いた様子で、髪と同じ長い金色の睫毛を瞬かせている。

 胸の下あたりを引き絞った、瞳と同じ空色のドレスを身に付けている。

 焦がしたバターのような甘い香りがふわりと香る。


 キアは静かにその女性から手を離した。

 女性は惚けた様子でキアを見つめ続け、まるで懐かしい誰かを見るように微笑んだ。


 彼女が…ララティナ?


 まるで物語の出会いのような場面に、サリーは目を瞬かせた。


「も、申し訳ありません」


 女性ははっとしてキアから離れると、ぱっと頬を赤らめた。

 その後ろには、数人の女性達の姿が目に入る。


「ごめんなさい、キア様。みんなあなたの姿をいち早くみたくて、扉から覗いていたら、マリエラが転がり出てしまって」


 そう言いながら、美しい笑みを浮かべてキアの前に立ったのは、エレノア・ハニクランだった。

 麦の穂のような金色の髪に、海のような深く濃い青の瞳。

 白地に橙の花柄のドレスに身を包み、四十五歳とは思えない若々しく美しい容姿をしている。 

 エレノアは、侯爵家であるハニクラウン家へ嫁いだが若くして夫を亡くし、その後は再婚もせず息子を育てあげ、今ではその息子が騎士となりさらには侯爵家当主をしている。

 サリーがエレノアに会ったのは、まだガーディアス家当主ギデオンが生きている頃で、領地の引継ぎにキアが訪ねて来た時だった。


「お久しぶりですわ、キア様。そして、サリーちゃん」


 サリーは苦笑いで会釈した。

 キアは、エレノアが差し出した手を取って軽く会釈する。


「お久しぶりです。ハニクラウン夫人」


「あら、以前もいいましたでしょう?どうぞエレノアと。敬語も不要です。あなたとは、これから家族になるのですから。あなたに会うために、姉が来ておりますの。会うのは初めてでしたわよね。皆さん、キア・ティハル・バルバロット様とその従者のサリヴァン・レミよ」


 エレノアに促されて、先ほどの女性の傍らから、彼女と同じ淡い金色の髪をしたふっくらとした女性が現れる。

 そして、キアを見上げながら、やや緊張した様子で言った。


「わたくしリヴィエラ・メルバと申します。ガーディアス家の長女です。こっちが娘のマリエラ、その妹のクラリッサ。夫は多忙なもので、今回参りませんでしたの」


 リヴィエラの傍らで、先ほどの可愛らしい女性がドレスをつまんで挨拶をする。


「初めまして、先ほどは失礼いたしました。マリエラと申します。ほら、あなたも挨拶して」


 マリエラは、背後に隠れている妹をなんとか押し出す。


「クラリッサです。はじめまして」


「ああ、よろしく」


 キアは静かに会釈する。

 クラリッサは、四、五歳くらいだろうか。

 淡い金色の髪をふわふわと揺らしキアよりも深い緑の瞳をしている。

 随分と歳の離れた妹のようだった。

 再びマリエラの後ろに隠れたが、キアを興味深そうに見ていた。


「さ、皆さん。座りましょう。キア様も」


 エレノアに促され、キアは長机を挟んだ上座の肘掛け椅子へと座らされた。

 その傍らにサリーは控える。


「サリーも椅子に。疲れているだろう」


「いえいえ、大丈夫です」


「では、向こうで休ませてもらえばいい」


「いいえ、ここで立っています」


 そう言いながら、サリーは笑みを浮かべる。


 こんな面白そうな場面で退席するなど勿体ない。


 キアの右隣の長椅子には、恥ずかしそうに笑みを浮かべるマリエラが座った。

 なんて可愛らしい女性なのだろうか。

 うっとりしながら、サリーはマリエラを見つめた。

 妖精などと呼ばれるものがいるとしたら、きっと彼女のような愛らしい姿をしているのだろう。

 こんな人がキアの妻になれば、何も心配することはないのに。

 そう思うサリーをよそに、キアは特別興味もなさそうに座っていた。

 相変わらず女性に関してはぽんこつだなと、サリーは主を毒づいた。

 マリエラの隣に座ったクラリッサは、マリエラのドレスを掴みながらキアをじっと見つめていた。

 左側の長椅子には、まるでリヴィエラに押し込まれるようにエレノアが座った。

 アロアが紅茶を運び、焼き菓子がテーブルに並ぶと、穏やかにお茶会が始められた。

 その時、扉が再び開き、キアが静かに立ち上がった。


「あら、もう到着されていたのですね。皆さまもお揃いで」


 澄んだ声が響き、サリーは声のした方を向いて目を見開いた。


「ララ…ティナ、遅いわよ」


 そうエレノアが声を掛けると、女性は静かに微笑んだ。


 結い上げた柔らかな曲線を描く漆黒の髪、意志の強さを強調するような眉。

 長い睫毛に縁取られた黒曜石のような瞳。

 深紅の口紅を引いたふっくらとした唇。

 白い首筋に、形の良い鎖骨が浮かぶ。

 胸の下を引き絞った白地に青い花の模様のドレスは、王都でも流行りの型で、決して露出のあるドレスではない。

 それでも、コルセットで引き揚げられた白い素肌の豊かな胸のふくらみに自然と視線が向いてしまう。

 そして、歩く度に胸と同じく豊かなお尻の線がドレスから浮かぶ。

 その悩まし気な身体付きは、男性の視線を集めるには十分だった。

 白い手袋の指先からでさえ貴賓と艶やかさが漂ってくるようだ。


 これは噂通り…いや噂以上だ。


 サリーはただただその姿に見入った。

 流行のドレスを着ているからではない。

 こんな田舎の領地にいるのが信じられないほど洗練された美しさと漂う色香だった。

 アルドリックは、一体何をみて地味な不細工だと思ったのか。

 キア以上に目が悪いとしか思えない。

 いや、これを普通と言い切るキアも目が腐っている。

 ララティナはゆっくりとキアに近づく。

 難点を言えば、背が高い。

 サリーよりも高く、キアの肩くらいだろうか。

 そして、柔らかくではあるが香る薔薇の匂い。

 キアが強い香りを嫌うことなど知らないのだろう。


「お久しぶりです、バルバロット様」


 そう言ってララティナはドレスの端を掴み、キアへ頭を下げる。

 その声が僅かに震えているのに、サリーは気が付いた。

 ああ、この女性はキア様を怖がっている。

 それは、恐らくキアも感じていることだろう。


「ああ」


 キアは軽く会釈した。


「今日から…よろしく頼む」


「ええ、こちらこそ」


 婚約者とは思えない素っ気ない対応に、サリーはただ戸惑っていた。

 サリーに目を向けたララティナは、僅かに目を見開いた。


「初めまして、従者のサリヴァン・レミです」


 サリーは慌てて頭を下げた。


「ええ、よろしく」


 ララティナはそう言って艶やかな笑みを浮かべた。

 その美しい笑顔にサリーは思わず惚けてしまう。


「皆様、もう自己紹介はすんだのですか?」


「もちろんですよ」


 そう素っ気なく答えたのは、リヴィエラだった。


「あなたが一番遅いだなんて、ありえませんわ」


「申し訳ありません。読書に耽っていたので」


「耽っていたのは、男漁りでしょう?」


 その言葉に、サリーはぎょっとした。

 リヴィエラは悪びれる様子もなく続けた。


「キア様、この娘はあなたのような立派な騎士の妻には相応しくありませんわ。この間だって、裏手の小屋の中で叔父上と。…一体何をしていたのかしら」


 サリーは思わず目を見開いた。

 まるで叔父とも関係があることを匂わせるその言葉になぜかいち早く反応したのは、エレノアだった。


「まぁ、お姉様も興味がおありで?今度見に行きましょうよ!この間わたくしも見せてもらったのですが…」


「ちょ、ちょっと、エレノア。何の話をしているか分からないわ」


 エレノアは、はっとしたようにララティナの方を向いた。


「あ、あら。失礼いたしましたわ」


「ララティナには、ガーディアス家の女主人として軽々しい行動は控えていただきたいですわ。一体これからどんな噂を流されるか…」


「メルバ夫人」


 ふいにキアの低い声が響くと、空気が震えリヴィエラが肩を縮めた。


「彼女を選んだのは僕です。これ以上彼女への否定的な意見は控えて頂きたい」


 リヴィエラは、戸惑った様子でキアを見上げた。


「わ、わたくしは良かれと思って…」


「ありがとうございます。バルバロット様」


 ララティナは静かに口を開いた。


「伯母様も、ご心配頂きありがとうございます。わたくしにはこんな素敵な方がいるのです。ご安心ください」


 そう言って、ララティナはキアの方へ手を伸ばしその腕に触れようとした。

 サリーには、キアが身体を硬くしたのが分かった。

 キアは、気安く触れられるのを嫌う。

 すると、ララティナはまるでそれを察したように、手を伸ばしただけで触れずに手を下した。


「ま、まぁ、せっかく到着したばかりなのです。お茶を楽しみましょう?」


 エレノアの一言で再びお茶会が始まった。

 ララティナは、キアから一番離れた正面の椅子に座り静かにお茶を飲み始めた。


「キア様は、とても背が高くいらっしゃるのですね。子どもの頃からですの?」


 穏やかに話始めたのは、エレノアだった。

 リヴィエラがすかさず口を開く。


「そうですわね。マリエラと並ぶとまるで大人と子どものようですわ」


 マリエラが恥ずかしそうに口を開く。


「子どもだなんてお母様、わたくしもう二十一ですよ」


「もう…だなんて、失礼よ、ねぇ?」


 そう言って、リヴィエラはララティナの方をちらりと見る。

 サリーは再びぎょっとしたが、当のララティナはこちらを見ることなく紅茶が注がれたカップを見つめていた。

 まるでキアと目さえ合わせたくないと言った様子だ。


「キア様ってあの噂のバケモノ騎士なのでしょう?」


 エレノアが無邪気にそう言った。

 キアは静かに答えた。


「…そんな妙な仇名で呼ばれていたころはあります」


「わたくし達、以前あなたを…」


「エレノア叔母様」


 ふいに、ララティナが口を開きエレノアは振り向いた。


「お茶が零れそうですわ」


「やだ、わたくしったら興奮してしまって」


 エレノアは、慌ててカップを握り直した。


「キア様の瞳は、まるで宝石のようですわ。美しいとよく言われませんか?」


 マリエラが、キアに静かに話しかける。

 その優しい声に、キアが静かに口を開く。


「…珍しい色だとは言われる」


「エメラルドよりも淡い…何色っていうのかしら」


 瞳を覗き込まれ、キアは静かに目を伏せた。


「以前…」


 そう言い掛けて、キアは口を閉じた。


「いや、なんでもない」


「わたしとおなじ」


 クラリッサが口を挟む。

 マリエラが優しく妹の髪を撫でる。


「そうね、同じで綺麗な緑ね」


「この焼き菓子はマリエラが作ったのですわ。この子はお菓子作りが趣味でして…」


 リヴィエラがすかさず会話へと割り込んで来る。

 すると、マリエラはさっと会話を母に譲り、キアの一言二言の対応に熱心に耳を傾けていた。 

 紅茶がなくなれば、すかさず継ぎ足すようアロアに声を掛け、時折じっと熱心にキアを見つめる様を見れば、まるで恋をしているようだと錯覚してしまいそうだった。

 キア様がこの視線に気づいていればいいのに。

 キアはいつもと変わらず、言葉こそ少ないが丁寧に接していた。


「わたくし、少し頭が痛くなってきたので、失礼しますわ」


 話に混ざることもなく、一人でお茶を飲んでいたララティナはそう言って立ち上がると部屋を出て行ってしまった。

 少し心配そうにエレノアがそれを見送った。


「頭が痛いのはこっちよ」


 そうリヴィエラが呟く。

 リヴィエラは、どうやらララティナに良い印象は持っていないようだった。


「…丁度いいですわ、キア様」


 ララティナが出て行って、少ししてリヴィエラが口を開いた。


「わたくし思うのです。ララティナはあなたの妻にふさわしい女性とは言えないと」


 リヴィエラはきっぱりと言った。


「王都での醜聞、あなたもご存じのはずです」


「ちょっと、お姉様」


 エレノアが困ったようにリヴィエラに肩に手を掛けたが、リヴィエラは口を閉じなかった。


「あの子がガーディアス家当主となるあなたの妻になることも、わたくしは反対です」


「…どういう意味ですか」


 キアがいぶかし気にリヴィエラを見つめた。


「わたくし達、考えましたの。ねえ、エレノア?」


「え?」


 エレノアは首を傾げて見せた。


「マリエラをガーディアス家の養女として迎え、あなたの妻とするのです」


 リヴィエラの正面に座るマリエラは、初めて聞いたのか目を見開いてキアを見ると顔を真っ赤に染めて俯いた。


「お姉様、そんな…」


「素晴らしい考えだと思いませんか、キア様」


 キアは黙って立ち上がった。


「…失礼する」


 戸惑う周りを無視して、キアは部屋を出て行ったのでサリーは慌ててそれを追いかけた。


「きっと、すぐに婚約破棄を伝えに言ったのよ」


 そう浮かれたリヴィエラの声が、後ろから聞こえた。


 いやいや、そんな雰囲気じゃないけどね。


 そう思いながら廊下に出ると、キアはリアンに何かを尋ね再び早足で歩き始めた。

 キアの後ろを追いかけ、リアンに話しかけた。


「キア様はどちらへ?」


「ああ、ララティナ様のお部屋を尋ねていかれました」


「ありがとうございます。…え?はやっ」


 すでに姿のないキアに戸惑うサリーに、リアンは微笑んで言った。


「三階の東の端ですよ」


「あ、ありがとうございます。リアンさん」


 サリーがララティナの部屋に辿り着いた時には、すでに扉が開きララティナとキアの話声が聞こえた。


「マリエラではいけませんか」


 サリーが部屋の中を覗くとララティナは腕を組み、そう小首を傾げて言った。


「なんだと」


 ララティナの様子に、サリーは驚いた。

 先ほどは震えて顔も上げなかったのに、今は堂々とした態度でキアを見上げている。

 こちらに背を向けたキアの様子は分からなかった。


「彼女なら、なんの問題もありません。わたくしのような醜聞もなく、王都に連れて行けば、可愛らしい妻として自慢できる女性です」


「…冗談ではない」


 サリーが聞いたことのない冷たい声で、キアが言った。

 

「彼女と結婚してもガーディアスの血を引き継ぐことになります」


「僕は、ガーディアスの血筋に興味はない」


「女性が苦手で…特にわたくしのような女が嫌なのでしたら、彼女の方がよほど望ましい妻になるとは思いませんか」


 そんなこと正直に言ったんだ。

 サリーは呆れながらキアの背中を見つめた。


「…それに、初めて会ったあなたを少しも怖がっていません。わたくしと違ってね」


 そう意地悪くララティナは言って唇を歪めて笑った。


「それは…」


「女性が苦手なあなたも、同じ時間を共にすれば子どもを欲しいと望むようになるかもしれません」


「君は?」


 その時、サリーの隣へエレノアがやってきた。

 すっと人差し指を立てるとサリーと同じように二人の会話に耳を澄まし始めた。


「君は…どうする」


「あなたとマリエラが一緒になるのでしたら…ですか。そうなれば…恋人の元へ参ります」


 ララティナは、右手を頬に添えるとうっとりとした表情を浮かべた。


「やはり、結婚は愛するものとすべきです。それとも、あなたが跪いて愛を誓ってくださるのですか」


「そんなことするはずがない」


 ララティナは、勝ち誇ったような笑みを浮かべキアを見つめていた。


「君はやはり恋人がいるのだな。それとも、まだアルバート・マクレバーと繋がりが?」


「さぁ」


 嘗ての恋人の名にさえ、ララティナは澄まして答えた。


「恋人を持つのは自由なのでしょう」


 げ、そんなことまで。


「…そう言ったな」


 言ったのか、拗らせてんなぁ。

 サリーは呆れて息を吐いた。


「僕は、考えを変えるつもりはない。一か月後、君と結婚する」


「それは、わたくしがヴィンセントの姉だからですか」


「そうだ」


「…ヴィンセントのために、なぜそこまでするのですか」


「命を救われたからだと言ったはずだ。…何度も同じことを言わせるな」


 そう凄んだ声色で、キアは言ったがララティナは怯える様子もなく飄々と答えた。


「分かりました」


 そして、咎めるようにキアを睨んだ。


「あなたの前では、二度と口を開かぬよう注意いたします」


「…そこまで言っていないだろう」


 ララティナは黙ったまま、キアの言葉を無視した。


「君のような不愉快な女性は初めてだ」


 キアは再び凄んだ声色でそう言ったが、ララティナは顔を背けたまま言った。


「奇遇ですね。わたくしもあなたのような威圧的な男性は不愉快です」


 明らかに嫌味と分かる口調でララティナが言うと、わざとらしく口元に手を置いてみせた。


「失礼。口を開かないのでした」


 キアは何も答えなかった。


 負けた。


 まさか、キアを言い負かす女性がいるとは。

 睨まれただけ黙る女性もいる目力なのに。


「…失礼する」


 キアがなぜか眼鏡を外して部屋から出て来ると、サリーとエレノアに睨むような視線を向け立ち去った。


「大丈夫です。睨んだんじゃなくて、よく見えてないだけですから」


 エレノアに一言告げ、サリーはキアの後ろへ続いた。


「キア様、怒っているんですか」


「いや」


「どうして眼鏡をしていないんですか」


 キアは思い出したように胸のポケットにしまった眼鏡を掛けた。


「…彼女が僕に怯える姿が不愉快だからだ」


「だったら大丈夫ですよ。あなたに不愉快だなんて、全然怖がってないです」


「…僕は威圧的か。」


「気にしているんですか?まぁ、二度も言わせるなはちょっときついですかね」


「そうか」


「彼女に女性が苦手だと伝えたのですか」


「言った」


「まぁ、律儀というのか。女性が苦手な理由は?散々バケモノだと馬鹿にされてきたからだとか伝えたのですか」


 キアは振り向かず視線だけサリーに向ける。


「兄さんから聞いたのか」


「そうです」


「言ってない」


 苛立った様子のキアに、サリーはおどけて話しかけ続けた。


「そ、それにしても、キア様ってば嘘吐きですね。ララティナ様、めちゃくちゃ美人じゃないですか。もう妖艶な悪女そのものじゃないですか!胸もお尻もこう―!」


「…品がない、サリー」


 サリーの身振りにキアが素早く言った。


「それに、あの美しい笑顔。とろけるかと思いました」


「笑いかけられたことはない」


「もう!キア様が笑わないからですよ」


「あの香りは苦手だ」


「ああ、やっぱり。それにしても…あの容姿では悪女という噂は嘘だとは思えませんね。あれだけ美しく色香のある女性、男性達がほっとかないでしょう。アルドリック様の恋人だったミリアリア様以上の美しさです」


「僕が彼の恋人を知っていると?」


「あの絶世の美女ですよ!あなたを誘惑しようとして、いやらしい下着でベッドに寝ていたじゃないですか!」


「そんなことがあったのか」


「もおおお!」


 話をしながら、サリーは大きな溜息を吐いた。

 アルドリックが、自分の恋人であるミリアリアにキアを誘惑させ、襲われたと証言させるつもりであると聞いた時のはだいぶ前のこと。

 それをサリーが咎めると、アルドリックは逆上しサリーを殴ろうとした。

 それを助けてくれたのが、アルドリックが今もまだ探しているアンナという名の女性だった。

 その時のことも、キアは覚えていないのだろう。


「でも、僕はマリエラ様の方が好きです。あの妖精のような可憐さに、楽しそうに喋る様子。あなたを少しも怖がっていないのも素晴らしい。…キア様。心変わりしても、僕はキア様のことを嫌いになんてなりませんからね。むしろ大歓迎です」


「…なんの話だ」


「リヴィエラ様のお話、了解しても良いのでは?」


 キアは、立ち止まった。


「君までそんなことを言うとは」


 その静かな声に、サリーは思わず慌てた。


「ぼ、僕は、あなたを幸せにする女性を選んで欲しいだけです。…ララティナ様がそうとは、思えなくて」


「ありがとう、サリー。だが、僕はもう選んだ」


 それだけ言うと、キアは再び歩き始めた。

 これはもうあの色気にやられたってことかな。

 そう思うしかなく、サリーは項垂れてキアを追いかけた。

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