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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
2/17

一.

「こうしていると、戦があったなどとは信じられないな」


 王室から見える王都グロニアの様子を眺めながら、ギルバートはぽつりと呟いた。

 クルセント王国十代目国王であるギルバートは、三十五歳を迎えているが、その茶色の巻き毛と大きな瞳を見れば、二十代と呼んでもよい若い容姿をしている。

 この国の王となり三年、隣国との戦を終わらせた賢王として名高い。

 国王である父親が亡くなり、兄であるアーロンが王になったのは六年前のこと。

 アーロンが国王となって初めの一年は穏やかに過ぎた。

 しかし、アーロンは次第に自らの欲望のままに国を動かすようになっていった。

 そして、隣国との戦いを納めることもせず、散々国を混乱させた挙句、病でこの世を去った。


「私がもっと早く兄を諫めることが出来れば…王都に早く平和が訪れていいただろうに」


 ぼんやりと外を眺めるギルバートの目の前に、突然音を立てて大量の書状が置かれた。


「ここと、ここ。あとここにも記名を。怠けずにとっとと仕事を終わらせてください」


 そうギルバートに声を掛けたのは、この国の王国騎士団長であるユークリッド・バルバロットであった。

 裾の長い濃紺の騎士団の制服を身に付け、腰には騎士団長の証である黄金の柄と鞘の剣を差している。

 一切の緩みを許さない程ぴったりと撫でつけられた暗い赤茶の髪と、切れ長の榛色の瞳を見れば、厳格な印象を周りに与える。

 今年で四十八歳を迎えるが、その鍛えられた体躯は年齢を感じさせない。

 ユークリッドは、前騎士団長である英雄エルディック・バルバロットの息子であった。

 バルバロット家は、クルセント国で二家しかない公爵家でもある。


「戦の最中もここは…王都は変わりませんでした。毎日のように舞踏会を開き、盛大に酔って騒いでいました。国境で戦い続ける騎士達の苦労も知らずに。父上が生きていれば、戦など許さなかったでしょう」


 英雄騎士エルディック・バルバロットの名は、この国で知らないものはいなかった。

 若い頃はあらゆる剣技大会で優勝するほどの剣の腕を持ち、騎士団長になってからは王都で罪を犯すものはいなくなったとさえ言われている。

 外交にも力を入れ、他国との和平も務めたその手腕は、息子であるユークリッドも遠く及ばない。


「なぁ、少し休もう。ユークリッド。お茶を運ばせる」


「城が金に者を言わせた愚か者どもの巣窟だったせいで、今でも宰相を選べない。だから、こうして私が訓練の合間を使ってあなたの尻を叩きに来ているのです。休んでいる暇などありません」


「君は厳し過ぎる!」


 そう言ってギルバートは机に突っ伏した。

 西の大陸の中央に位置するクルセントは、数百年前多くの国を束ねて築かれた王国で、様々な民族であふれていた。

 嘗ては内乱が続いたため、王都は国中から集められた優秀な騎士によって守られていた。

 騎士達は騎士寮で生活しながら、剣の腕を磨いていた。

 騎士団長へ就任されれば、騎士を動かすのに王と同等の地位を与えられた。

 しかし、時の流れとともに内乱は減り、戦もなく数十年の時が流れていた。

 王国騎士団は、多額の寄付をしてくれる貴族の息子ばかりが集まるようになっていた。

 五年前、英雄エルディックが心臓の病でこの世を去ると、狙っていたかのように前王アーロンは自分の目障りな側近を次々に辞めさせ、政治は混乱していった。

 ユークリッドにも、国王を諫めることは出来なかった。

 さらに、飢饉に苦しむ隣国キュノスが、境界の領地であるリンゼイ領を襲った。

 それは、何度も援助を求める隣国の訴えをアーロンが断り続けたためであった。

 しかし、バケモノのような強さを持つ騎士が先陣部隊に立つと、敵兵を壊滅寸前まで追い込んだ。

 その騎士の強さは異様なものだった。

 彼は、押し寄せる敵兵を森の入り口で抑えると味方の騎士達を森へと逃がした。

 その後自らも森へと飛び込むと、追いかけて来た敵兵をひとりひとりと減らしていった。

 武器がなくなれば敵の武器を奪い、さらには素手で腕を引きちぎり、首さえその蹴りで飛ばしたという。

 ギルバートは長年親交を深めていたユークリッドと協力し、その騎士の力を借りて新たな部隊を編成すると、戦の収束を目指した。

 ユークリッドとその騎士がともに戦場に出ればキュノスが攻めてくることはなくなり、停戦状態となった。

 そして、アーロンが病でこの世を去り、ギルバートが国王になると隣国への援助を申し出た。  

 すでに極限の状態であった隣国はその援助を受け入れ、戦は三年にして終戦を迎えた。

 その後も腐敗した王政を立て直すために忙しい日々が続き、ここ一年ほどやっと落ち着いた時を過ごすことができていた。


 ギルバートは、壁の時計へ目を向けた。


「そういえば、そろそろバケモノ騎士…いや、あなたの弟が挨拶に来る」


 その言葉に、ユークリッドは静かに顔を上げた。


「ああ、明日です。あいつが本格的にガーディアス領へ移住するのは」


「惜しいな。あれだけの能力があるのに。あなたを継いで騎士団長にもなれただろう」


「あいつは、団長には向きません。人が好過ぎる」


「嘘だろう?あの冷酷そうな男が?」


「見た目は、ですが」


「だが、あの北の地を治めるには彼は適任だ。…しかし、彼の結婚相手があの最低最悪の悪女とは」


 その時、王室執事のアランが部屋へと入って来た。


「国王、騎士団長、キア・ティハル・バルバロット様がいらっしゃいました」


「よし、通せ」


 ギルバートは、手元にあった文書を置いた。

 

 キアが、部屋に入って来ると一瞬にして空気が張り詰めたようだった。


 まず、目に入るのはその褐色の素肌だった。

 クルセント人ではないその肌の色が、彼が異国の人間であることを示していた。

 背はユークリッドより頭一つ分は高い長身で、その体躯は細身だが、そのしなやかな動きから鍛え抜かれているのが分かる。

 前裾が短い騎士団の濃紺の制服からは、白いズボンに包まれたすらりと長い足が覗き、膝まである黒革の長靴で歩く様は、地鳴りでもしそうな程迫力があるが不思議と足音は響かなかった。

 切れ長の淡い緑の瞳は獲物を狙う獣を思わせ、表情のない顔は冷淡な印象を周りに与える。  

 左の額には眉を貫く斜めの傷があり、短く刈り込んだ髪は、特徴的な銅色でまるで角のように逆立っていた。

 二十四歳を迎えたばかりだが、その落ち着いた雰囲気のため三十を超えているといっても過言ではなかった。

 その容姿は、決して人には懐かない獰猛な獣を思わせながらも、人々の視線を引き付ける美しさも兼ね備えていた。


 ギルバートは、正直キアが苦手であった。

 王でありながらも、彼が纏う威圧感に緊張してしまう。

 ギルバート自身キアと話すようになったのは、国王になる決心をした頃で、彼自身のことはユークリッドから聞いた程度しか知らなかった。

 キアはひどく無口な男だった。

 キアの出生国は、海を越えた南にあるカイラと言う名の大国だった。

 クルセントとも交流があり、様々な香辛料や紅茶などを輸入している。

 エルディック・バルバロットは五〇歳になると、騎士団長を辞め長い旅に出た。

 時折クルセントへ戻り再び旅に出るという生活を続けて十五年目に、一人の少年を連れて帰った。

 それがキアだった。

 その飛びぬけた身体能力をエルディックが認め、引き取ったという。

 キアはエルディックの推薦で騎士団試験の試験資格を得ると、一位の成績で入団となった。 

 異国の民が騎士なることは初めてだった。

 入団当初よりキアは、ある程度クルセント語を理解していた。

 さらに、言葉と知識を得るために常に勤勉だった。

 そして、学んですぐの剣術もあっという間に他を圧倒するほど身体能力が高かった。

 しかし、訓練とはいえ無表情でしかも息切れひとつせず相手を打ち負かす姿は、騎士達を震えあがらせ、模擬戦とはいえ彼と戦うことを皆が拒否するようになっていた。

 さらに、才能を持ちながらも異国人であり孤児であるということが、貴族ばかりの騎士達から除け者とされる理由となった。

 直接喧嘩を売るような真似はせず、キアをバケモノと陰口を叩くようになり、彼が歩くとバケモノ臭いとさえ囁かれるようになった。

 キアが騎士として城の舞踏会に参加しても誰にも話しかけられることなく、令嬢達からは遠巻きに眺められその姿を恐れるばかりだった。

 キア自身それを気にしている様子はなく、自分から誰に話しかけることもなく、舞踏会でもただ静かに佇んでいた。

 どんな時も感情的になることはなく、皆を逆に無視し続けた。

 エルディックが亡くなった当時は十九歳であり、その直後戦が始まった。

 その戦でキアの名は民に知れ渡ることとなった。

 さらに、エルディックの正式な遺書により、キアが実の息子であることが明かされた。

 キアはバルバロット家の養子として迎え入れられることとなり、遺書により莫大な遺産と広大なバルバロット領からの収入の一部を得ることになった。

 そして、戦を治めるためユークリッドの補佐へと任命されると、停戦そして終戦まで休みなく働き続けた。

 終戦後、英雄騎士として噂されるようになったキアは、終戦を祝う舞踏会の席で貴族達の注目の的となり、キアを娘の婿にと望む貴族達が現れた。

 しかし、キアがそれを相手にすることはなかった。

 顔に残る傷のせいでさらに容姿に威圧感が増したため、今では畏敬の念を込めてバケモノ騎士と密に呼ばれ続けられている。


 キアは静かに、ギルバートの机の前で跪いた。


「キア・ティハル・バルバロット参りました」


 空気を震わす低い声が響く。


「頭を上げよ」


「は」


 キアが顔を上げると、ギルバートは吸い込まれそうなほど鮮やかな淡い緑の瞳と視線の鋭さにわずかにたじろぐ。

 しかし、その視線はどこか空虚で、どこを見ているのかはっきりしなかった。

 キアが、こうしてギルバートの前に立つのは久々であった。

 キアは、終戦後すぐにキュノスとの戦場となった国境のリンゼイ領へ戻った。

 その後も王都に滞在することは数える程度で、リンゼイ領の騎士団の再編成と荒れた領地の復興に勤めていた。


「キア、リンゼイ領の様子はどうだ」


「まだするべきことは多くあります。しかし、後は領主であるキース・リンゼイ様と領民達で出来ることと判断しました」


「そうか、長くご苦労であった。それで、すぐにガーディアスへ発つのか?忙しいな」


「はい」


 ギルバートは、頭を掻いた。


「キア、君は本当にそれでいいのか?今や君は英雄だ。王都にいれば、その恩恵を受けられる。それでも、あの地を選ぶのか」


「はい」


 キアは、キュノスとの戦で敵を壊滅に追い込んだと噂されている。

 確かに森で敵をほぼ壊滅状態に追い込んだ。

 さすがに素手で腕を引きちぎる…というのはただの噂で、キア自身も命を失いかける寸前であった。

 しかし、ヴィンセント・ガーディアスという当時十九歳の青年に命を救われた。

 ヴィンセントは、父親の失踪により若くしてガーディアスの時期当主として騎士団を率いていた。

 ガーディアス家は北の果てにある領地を治めており、隣国アウストとの国境を守っていた。

 寒さの厳しい領地には屈強な騎士達が集まっており、さらに隣国との度重なる諍いのため戦いに慣れていた。

 長く子爵位を賜っていたが、先々代の時代に反逆罪を疑われ爵位を返上していた。

 五年前隣の領地であるリンゼイ領が襲われたと聞くと命令に応じて、すぐにリンゼイ騎士団の応援へと駆け付け、キュノス兵の侵略を食い止めてくれたのだった。

 しかし、ヴィンセントはその戦いからの帰還後すぐに病でこの世を去った。

 後継ぎのいないガーディアス家は、ヴィンセントの姉であるララティナの夫となる人物を探していた。

 そして、ララティナの夫となると申し出たのがキアだった。


「半年前、当主であるギデオン様がこの世を去りました。僕…いえ私は、正式に領主としての任を受け継ぎました」


「では、あのララティナ・ガーディアスと結婚すると」


「はい」


 ユークリッドとギルバートは、思わず顔を見合わせた。


 ギルバートはララティナに会ったことはないが、彼女が最低最悪な悪女という噂は王都では有名なものだった。

 キュノスとの戦の最中、ララティナは貴族のアルバート・マクレバーと不倫騒ぎを起こした。

 アルバートは美男で有名であり、妻を持ちながらも女性との噂の絶えない男だった。

 そして、気の強い妻のエヴリンにララティナとの浮気がばれてしまったのだ。

 エヴリンは王都にあるララティナが滞在していた叔母の家に押しかけ、短剣を振り回す大騒動となった。

 さらに、ララティナが男とみれば誰にでも色香を振りまき、身体の関係さえも厭わない娼婦のような女であったとひどい噂が社交界に流れる様になった。

 おそらく、エヴリンが流した嘘であったが子爵家の娘であった彼女の影響力は大きく、それは事実として人々の間で話されることとなった。

 ララティナは王都にはいられなくなり、すぐにガーディアス領へ逃げ戻った。

 そして、その直後弟のヴィンセントが死んだ。

 弟が死の淵にいたというのに男漁りをしていたと、ララティナの悪評はますます酷くなった。

 二十六歳を迎えたであろう今でも、領地へと引きこもっていると聞く。


「アウスト国と友好な関係を築けるようになったとはいえ、君のような優秀な騎士が国境を守ってくれるのであれば頼もしい」


 ギルバートは、引き出しから一枚の文書を取り出した。


「キア、こちらに来てこれに署名を」


 キアは机の前に立つとその紙を手にする。


「…何も書かれていませんが」


「いいから名を」


 キアは、静かにユークリッドの方を向く。

 ユークリッドはただ黙って頷き、署名するよう促した。

 キアは羽ペンを手にしようとして少し考え、胸元から銀縁の眼鏡を取り出した。

 ギルバートは驚いて目を見開いた。


「君は目が悪いのか?」


「はい」


「こいつは停戦中にリンゼイ領で子どもを助けようとして、火事に巻き込まれ目を怪我したのです。それで視力を失った。言ったでしょう、人が好過ぎると」


 キアが、眼鏡を掛けるとユークリッドは言った。


「そんなものを掛けると、ますます陰気に見える。引きこもりの学者のようだ」


「あなたが舐められるから付けるなというから。ないと非常に困るのですが」


「お前は敵が多い。弱点をさらすな。それと、見えないからと言って目を細める癖は止めろ。ますます凶悪な顔になる」


「じい…エルディック様は、あなたに似ていると」


「冗談はやめろ」


「凶悪で結構です。面倒ごとに巻き込まれなくて済みます」


「面倒ごととは女関連だろ?いい加減女嫌いを直せ。悪女に馬鹿にされるぞ」


「女性とは言っていません」


「嘘を付くな。お前はいつも…」


 二人のやり取りを見ながらギルバートは、思わず頬を綻ばせた。


「兄と弟というよりは、口うるさい父親と息子だな。ユークリッドは、アルドリックともそれくらい話せばいい」


 息子の名が出るとユークリッドは忌々し気に顔を歪め、口を閉じた。


 キアは文書に名前を記した。


「目はどのくらい悪いのか」


 ギルバートが問うと、キアは少し考え眼鏡を外した。

 文書に顔をだいぶ顔を近づける。


「このくらいで見えます。人の顔は…」


 そう言って、屈みこむように座るギルバートに顔を寄せる。

 迫りくる宝石のような瞳に、ギルバートは思わずのけぞる。


「このくらい…拳何個か分ではっきりと」


「そうか、わかった、わかった。君に睨まれると、心臓に悪いな」


「キア、王に失礼なことをするな」


「申し訳ありません」


 キアは、大人しく姿勢を正すと、文書をギルバートへと差し出した。

 ギルバートは、文書を受け取るとそれにあることを記し指輪の王印を押す。


「キア・ティハル・バルバロット。君を伯爵とし、あの領地を治めることを命ずる」


 キアは僅かに目を見開く。


「ガーディアス領は、広大だ。嘗てのように爵位を持ったものが納めるに相応しい。君に伯爵位を授けることで、国からの援助も存分に行える」


 ギルバートはさらに続ける。


「キア、結婚とは自分が望む女性とすることが望ましい。そうは思わないか」


 キアは口を閉じ、ただそこに佇んでいた。


「君は、すでにヴィンセント・ガーディアスの意思を引き継いだ。ふしだらな姉と結婚する必要はない」


 ギルバートがそう告げても、キアの表情は変わらなかった。

 痺れを切らしユークリッドが口を挟んだ。


「意味はわかっているか」


「爵位と領地を賜ったと」


「そうだ。結婚の必要はない。領地も家名もティハルにしても構わない」


「キア・ティハルで名なのです。家名はありません」


 その口調から、キアが結婚の意志を変えるつもりはないことがギルバートには分かった。 

 ギルバートは諦め息を吐いた。


「…君が望むなら、ガーディアスの名を受け継ぐことに反対はしない。ただ君はこの国に貢献し、さらに私の信頼を得た。それだけは覚えておいてくれ」


「ありがとうございます」


 ギルバートが文書を差し出すと、キアは無表情のまま受け取った。


「…すぐに発つのか」


「はい」


「本来なら正式な爵位贈呈式を行いたいのだが。君は公の場は苦手だったな」


「はい」


「君に会うのを楽しみにしている者達も多い。これからは、君ももっと人との交流を大切にしなければ」


「わかりました。落ち着いた頃、王都にも参ります。…では、失礼いたします」


 キアは静かに一礼すると、音もなく部屋から去っていった。


 本来こうして簡潔に爵位を贈呈することはない。

 しかし、爵位を与えることで何を考えているか全くわからないキアを、この国に留まらせたいというのがギルバートの願いだった。

 本当ならば王都の王国騎士団にいてもらいたい。

 しかし、そう命じたとしてもキアは不満を感じたらふと消えてしまいそうな気がした。

 それほど、キアから何に対しての執着心を感じられないのだ。


「彼に伝わっただろうか。どれだけ我々が彼を信頼しているかが」


「どうでしょうか」


 ユークリッドも何か試案するようにキアの背中を見送ったが、ギルバートへ向き直った。


「さぁ、時間が押しました。まだ目を通して頂きたい文書は山のようにあります」


「ああ。分かっている」


 ユークリッドは、キアが消えた扉に目を向けた。


「まったく。本当に愚かな奴だ」


 ユークリッドは、静かに呟いた。



 夕刻になるころ、ユークリッドは騎士寮へ赴いた。

 キアは騎士として多額の報酬を得ているが、家を選ぶ暇さえないほど多忙だったため、未だに騎士寮で暮らしている。

 騎士寮の入り口は、なぜか騎士達が集まっていた。

 その中心に、キアとユークリッドの息子であるアルドリックがいるのを見て、ユークリッドは思わず顔を歪めた。


「久しぶりですね、叔父上。まさかお戻りとは」


 アルドリックは、キアと同じ二十四歳。

 背は高いがキアには及ばず、見上げる形でキアと対峙している。

 茶に近い金色の髪に、ユークリッドと同じ榛色の瞳をしている。

 母親譲りの美しい顔立ちと笑顔を絶やさない社交的な性格のため、女性からの人気も高い。


「ああ、アルドリック。君は、相変わらずだな」


 そう淡々と答えるキアは、すでに騎士団の制服を脱ぎ、白いシャツと黒いベストとズボンという普段着に身を包んでいた。


 キアはエルディックの五十三歳の時に生まれた息子、つまりユークリッドとは二十四歳離れた弟であり、アルドリックの同じ歳の叔父であった。

 エルディックの強さは、息子であるユークリッドも嫉妬するほどだった。

 そして、その才能は今ではキアが受け継いでいる。

 いや、戦いの才能はエルディック以上だろう。

 唯一違うのは、その社交性だろうか。

 特に女性に関しての。

 エルディックが女性に関して奔放なのは知っていた。

 しかし、ユークリッドの母ユースティアは嫉妬深い女性で、エルディックは愛人との関係を誤魔化すのは上手だった。

 だからこそ、異国の血が混ざる自分の子を連れて戻るとは思いもしなかった。


 ユークリッドが初めてキアに会ったのは、十年前のことだった。

 旅から戻ったエルディックが騎士団本部へとキアを連れてきたのだ。

 久々に目にしたエルディックの姿は、ユークリッドの記憶の中と比べると一回り小さくなった印象だった。

 髪は昔から白髪だったが、少し薄くなったような印象だった。

 しかし、皺に覆われても強い意志を秘めたその緑の瞳は、以前と変わらなかった。

 エルディックに紹介されたキアは、当時から背が高く、静かに佇む落ち着きすぎる姿に十四歳と聞いたときは驚いた。

 ただじっと自分を見つめる瞳は、猫の目を覗き込んでいるように鮮やかで澄んでいた。


「ほら、キア君。君の兄さんだよ」


 エルディックはさらりとユークリッドにそう紹介した。


「にい…さん」


 絶句するユークリッドに、キアはそう口にしてエルディックに言った。


「じいさんの息子ということか」


「そうそう、一番初めの息子。この国の騎士団長様だ」


 ユークリッドは声を荒げた。


「冗談ではありません!父上!旅の間に子どもを?母上になんと…」


「言わないよ。あの人は怖いからね。この子は騎士寮に入れる。キア君、彼のことはユークリッド様と呼ぶんだ」


「了解した」


 キアのまるで従者のような話し方に驚きながらも、ユークリッドはそれ以上詮索しなかった。  

 エルディックは、言葉の通りキアを養子としては迎え入れず、騎士団へと入団させ、騎士寮で暮らさせた。

 キアは、無表情な子どもだった。

 何をする時も、熱を持たず常に冷静で感情のないまるで人形のようだった。

 それは、どんなに疎まれようとバケモノと蔑まれようと変わらなかった。

 しかし、剣術を始めたころは何度戦ってもふい剣を手放してしまうという悪癖があった。

 ユークリッドは、ある時キアとエルディックが訓練場に二人きりでいるのを見た。

 エルディックに色々と文句でも言っているのだろうと思っていた。


「おい、キア君。達者にしているか?」


「ありがとうございます。エルディック様」


「二人の時は、じいさんでいいよ。敬語も必要ない。何か困っていることはないかい?」


「寝食にありつけ、満足している」


「どうなの?恋人は出来た?」


「こいびと…はいない」


「おかしいなあ、私に似ていい男だと思うんだけど」


 キアは少し俯いて言った。


「僕は…バケモノだから」


 そうぽつりキアは言った。


「バケモノ臭いそうだ。…血の臭いでもするのだろうか」


 およそ十四歳の少年が口にしそうもない言葉に、ユークリッドは驚いた。

 しかし、エルディックは何でもないことのように言った。


「多感な時期の男子になんてことを!キア君は綺麗好きなのに。わかった、わかった。兄さんになんとかしてもらおう。おーい、いるんだろう?」


エルディックは仕方なく、訓練場へ入った。


「気が付いていたのですね」


「まあね。何かいい案はないかい、兄さん」


「まったく。…男が匂いなど気にする必要はありません」


「臭いとか言われたらそりゃ気になるだろう」


「香水でもすればいい」


「キア君は強い匂いは苦手なのだよ。鼻が敏感で」


「では、香油でも塗ればいい」


「ああ、それがいい。果物の匂いとかなら、キア君も平気だろう。流石、兄さんだ」


「ありがとうございます、兄さん」


 キアは静かに頭を下げた。


「こんな情けない弟がいるなど、知られたくない。なぜ、命ともいえる武器を落とすのか」


「要らないからだよねー、キア君」


 そうふざけたように言うエルディックをユークリッドは睨んだ。


「冗談ではない。素手で戦うと?」


「もっと小さい武器で十分です」


 キアは淡々と答えた。


「長剣は重いので、動きが遅くなります」


 ユークリッドは鼻で笑うと、壁に置いてあった練習用の剣を手にした。


「やってみろ」


 キアはちらりとエルディックを見た。

 エルディックは静かに頷いた。


「いいよ。でも触れるだけだ。お兄ちゃんをいじめないでくれよ」


 その言い方に苛立ちながら、ユークリッドは剣を構えた。

 キアが両手を前にして構えた。

 見たことない構えだった。

 両手の拳は握っておらず、身体に力を込めていないのが分かる。


「かかってこい」


「いいえ、あなたからどうぞ」


 ユークリッドは、苛立ちながらキアの肩を狙って突きを入れた。

 一瞬何が起こったから分からなかった。

 キアの姿は消え、ユークリッドの剣を握った手がキアの右手によって捉えられていた。

 そして、キアが左手でぺたりとユークリッドの首に触れた。


「はい、勝負あり」


 エルディックの声にはっとする。

 あまりの速さで自分の間合いに入り込まれたのが衝撃だった。

 今、もしもナイフでも短剣でも握られていたら終わっていた。

 ぞっとしながら、自分から離れていくキアの背中を見つめた。


「…もう一度だ。俺は本気ではなかった」


 キアは静かに振り向いた。


「できればちょっとゆっくりやって見せてくれないか」


 キアは猫のような瞳でじっとユークリッドを見つめ、エルディックの方を向いた。


「じいさんに似ている。…諦めの悪いところが」


「なんだと!」


「失礼だな、キア君」


 キアはふと壁の時計を見上げた。


「もう次の勉学の時間なので、失礼します」


 そう言うと、何事もなかったかのように訓練所を出て行った。


「あの子は…一体何なのですか」


 ユークリッドはそうエルディックに聞いた。


「…あの子は、少年兵さ」


「少年兵?」


「ああ。あの子は孤児院に預けていたんだが、内乱が激しくなって子ども達はみな私兵として王族達に連れていかれてしまってね。あの子は、子どもの時代などなく兵士として育てられてしまった。しかも、凄腕の」


 エルディックは、目を伏せた。


「本当は連れてくるつもりなどなかったんだ。だが、旅の終わりにどうしてもどうなったのかが気になってね。でも、兵士となったその姿をみて連れて帰ることを決めた。あの子は戦って、戦って…たったひとりで死んでしまうような気がして」


 エルディックは目を伏せた。


「…赤ん坊の頃は、よく笑う子だったんだ。あの宝石にみたいな目をきらきらさせてね。手放さなければ良かったと、今さら思っても仕方ない。だが、僕の業を背負わせてしまった償いをしたい」


 そう言って、エルディックは少し悲しそうに笑った。

 ユークリッドは思わずちくりと言った。


「いい感じのことを言っていますけど…養子に迎える気はないのですね」


「私が死んだら迎えることにしている。死ぬ前にあの人と修羅場なんて面倒だからね」


「あなたはいつもそうだ。結局自分が一番なのだ」


「当然だろう。年寄りを大事にしてくれよ」


 そう飄々と答えるエルディックを殴ってやりたい気持ちを抑え、ユークリッドは深い息を吐いた。


 そのことがあってから、ユークリッドは次第に何かとキアの世話を焼くようになった。

 兄弟と認めたつもりはないが、いつもひとりでいるキアを放っておけなくなっていた。

 キアが息子のアルドリックと同じ歳だったこともあるだろう。

 キアの身体能力は、異様なほど高かった。

 筋力もあるが、その柔軟性や瞬発力はまるで獣のようだった。

 そして、見ただけで剣技を覚えてしまうほど戦う才能があった。

 剣術だけでなく、教えればなんでも吸収していくキアにはユークリッドも目を見張った。

 戦いの中で得たであろう経験は、ユークリッドをも上回っていた。


 しかし、キアが来るまで同年代で優秀と謳われていたのはアルドリックだった。

 同年代を飛び越え、騎士団一の実力を持つと言われるキアをアルドリックは疎むようになっていった。

 さらに、ユークリッドがキアに構えば構うほど、アルドリックはキアに嫉妬を隠さないようになっていった。

 おそらくは、バルバロットの名を使い騎士達、そして社交界からもキアを爪弾きにしていたのはアルドリックだろう。


 叔父であると分かった今でも、こうしてことある毎に絡んでいる。


 アルドリックは、キアを詰る様な口調で続ける。


「戦争の英雄様が、未だに騎士寮暮らしとは。バルバロットの名を汚すおつもりですか」


「このくらいのことで落ちる名ではないだろう」


「今回はなぜお戻りに?次期王国騎士団団長にしてくれと懇願しにでも来たのですか?」


「いや、僕は結婚する」


「はあ?」


 その返答に、アルドリックは信じられないと言う様子で眉を顰めた。


「誰と?」


「ララティナ・ガーディアス嬢と」


 瞬間、アルドリックははっと乾いた声で笑った。


「あの地味女と結婚してあんな田舎の領地の当主に?あなたにぴったりだ!」


「ララティナ嬢を知っているのか?」


「ええ。ララティナ・ガーディアスが色香を漂わす妖艶な女なんて、大嘘だ。地味で不細工な田舎娘でしたよ。誰にも相手にされず、壁の隅でいつも隠れていた。どうせ、アルバート・マクレバー殿にたぶらかされてしまったのでしょう。あの恐ろしい夫人にばれたのが不運だったが」


 アルドリックは、口を歪めて笑った。


 ユークリッドは、小さく息を吐いた。

 アルドリックは、最も戦が激しかった頃王都の守りを固めていた。

 自身は王を守っていたと奢っているが、その理由はまだ若い息子を心配するユークリッドの妻の願いで前線へは出せなかったのだ。

 あの頃戦に行かされず、王都の舞踏会に参加していたなど騎士として大声で語るべきではないのだが。

 しかし、自分の昔に良く似ているとユークリッドは感じている。

 騎士団長になるために、ありとあらゆるものを蹴落とし、売りたくもない媚を売ったりもした。

 エルディックに比べ才能の乏しい自分には、そのくらいの執着がなければ騎士団長にはなれず、そしてその職務も全うできないだろうと今でも思う。

 キアには、騎士団長になりたいという意思がまったくないのだ。

 ただ戦う力を持っているだけでは、騎士団長は務まらない。


「どうぞ悪女と末永くお幸せに。王都のことはどうぞ俺にお任せください」


 それだけ言うと、アルドリックはその場を去ろうとした。


「アルドリック」


 キアが静かにそう呼ぶと、アルドリックは振り向いた。


「目は大丈夫か」


「はぁ?」


「彼女を不細工とは、目が見えているのかと聞いている」


 アルドリックとは、口を歪ませ笑った。


「何度でも言ってやるさ。…あの不細工な女を妻などと哀れな」


「キア様、荷物運び終わりました」


 そう言って、二人の会話を遮るようにキアの前に現れたのは一人の少年だった。

 少年の名はサリヴァン・レミ。

 キアからサリーと呼ばれる靴家の息子であり、キアの唯一の従者だった。

 キアが視力を失ったのは、三年前リンゼイ領でこの少年とその妹を助けるためだった。

 そして、恩を返したいと熱心に付き纏うサリーを従者とした。

 サリーは、十七歳になるが背はそこまで高くなく、直毛の黒髪を短く切りそろえ鮮やかな琥珀色の大きな瞳をしている。

 一見すると少女のような可愛らしい容姿をしている。

 しかし、キアに物怖じせずなんでも口にする素直な少年であった。


「ああ、アルドリック様。お久しぶりです」


 アルドリックは、サリーを一瞥したが何も言わずその場を去ろうとした。


「…そういえば、最近見かけましたよ。アンナ嬢を」


 サリーのその言葉に、アルドリックは瞬時に振り向いた。


「あの人ですよ。あなたが、未だに持っているリボンの持ち主の…」


「ど、どこで…」


 アルドリックは、サリーに掴みかかる勢いで近づいて来た。

 サリーは意地の悪い笑みを浮かべた。


「冗談ですよ。そんな必死になるなんて」


 アルドリックは、目を剥くとサリーの胸倉を掴もうと手を伸ばした。


「こいつ!」


「やめろ」


 キアが素早く手を伸ばしそれを制すと、アルドリックは唇を噛んだ。


「サリー、何の話をしている」


「あの方ですよ。終戦の祝賀祭の時に僕を助けてくれた女性です。少女と勘違いされていたのは、許せませんが」


「…ああ。アルドリックの腕を捩じ上げたという…」


「あれから散々彼女の行方を捜していると聞きました。名前がアンナとしか分からないのに。でも、未だにリボンを持っているなんて知りませんでした。…重症ですね」


「うるさい!」


 アルドリックはそう声を荒げると、キアを睨みつけた。


「本当にお前は、彼女を知らないのか。彼女はお前をみて笑いかけたんだぞ。明らかにお前に好意を持っていたのに!」


「知るわけがない」


 キアの一言に、アルドリックは顔を怒りで歪ませた。


「とっとと不細工女と結婚して二度と王都に戻らないことだ!」


 それだけ言うと、アルドリックは踵を返し足早に去っていった。


「あーあ、あんな顔するなんて。せっかくの美男が台無しですね」


 そう言ってサリーが無邪気な笑顔でキアを見ると、キアは呆れたように息を吐いた。


「サリー、彼に構うな」


「だって、あなたが何にも言い返さないから。でも、アルドリック様って恋人がいつも絶えないのに意外と純粋ですよね。あんなに執着するのだから、よほど美しい人だったんでしょう。帽子さえなければ僕も顔を見たかったのに。あ、ユークリッド様」


 サリーと目が合うとユークリッドは、やれやれと騎士達をかき分け前に出る。

 野次馬の騎士達は、驚き道を開けた。


「お前達、とっとと散れ。訓練へ戻れ」


 ユークリッドの一言で、騎士達はこそこそと散って行った。


「お久ぶりです。ユークリッド様」


「元気にしているか、サリー。相変わらず…背は伸びないな」


「もー気にしていることを!」


 サリーは頬を膨らませたが、ユークリッドは構わずキアに話しかけた。


「アルドリックが悪かったな」


「いえ」


「しかし、あいつがあんなに怒るところを久々に見たな。しかも女絡みか」


「女性には苦労していないように思いますが」


「お前と違って…だろう。コートはきちんと仕立て直したのか?また袖のすり切れたぼろを着やがって」


 ユークリッドは、キアのブラウスの袖を摘まんだ。

 サリーが胸を張って答えた。


「大丈夫です。それ以外はすべて新調しました。穴を塞いだ靴下も全部捨てて新しいのを買いました」


「サリー」


 止めろと言わんばかりに、キアが冷たい声を出すとサリーは軽く首を縮めた。


「じゃ、僕まだ荷物が残っているので」


 サリーはそそくさとその場を去っていった。

 ユークリッドは溜息を付いた。


「貧乏性はまだ治らんのか」


「…物を大事にしているのです」


 キアは言い訳するように言った。


「これからは、もっと自分の身なりにも金を掛けろ。貴族たるもの、領民に舐められたら終わりだ。…と言っても、お前を見くびる者などいないだろう」


「どうでしょうか」


「それで、お前は本当にいいのか」


「何の話ですか?」


「…悪女を妻にすることだ」


 キアは、口を閉じた。


「お前はなぜ、もっと自分のために生きようとしない」


「自分で決めたことです」


「…なぜあの青年にこだわる。お前にはもっと…」


「もう決めたことです」


 キアはそれだけ言うと、それ以上は答えなかった。


「まぁいい。悪いが見送りは出来ない。俺も忙しい」


「はい」


「ではな」


 ユークリッドは、キアの肩を叩くとその場から立ち去ろうとした。


「兄さん」


 ユークリッドは、驚いて振り向いた。

 キアにそう呼ばれることは、久しぶりであった。

 キアからそう呼ばれると何とも言えないくすぐったさを感じる。


「僕は、あなたが兄さんでいてくれて良かった。自分勝手な人間で申し訳ありません。今までありがとうございました」


 そういって、頭を下げるキアの頭をユークリッドは思わず掌で叩いた。


「気色悪いことをいうな!相変わらずくそ真面目なやつだ。そんなことはいいから、酒の一杯にでも付き合え!」


「お酒は飲みません。…それに、あなたは女性ばかりの店に行きたがるから」


「当たり前だろう!男二人で飲んで何が楽しい。そんなに女から逃げ回っていたら悪女に笑われるぞ。…いや、地味女だったか。本当はどっちなのだ?」


「…普通です。」


「は?」


「…僕を怖がって近づきもしないので」


「そんな女と結婚するのか!信じられん奴だ」


 ユークリッドはやれやれと腕を組んだ。


「それで…お前そもそも女を抱いたことがあるのか」


 キアは口を閉じていた。

 その反応で、ユークリッドも察した。


「本当に悪女に笑われるぞ」


「余計なお世話です」


「…俺が、手頃な女を紹介してやろうか。今夜でもヴィヴィの店で…」


「余計なお世話です。…僕は傷が多いので」


「そんなもの、暗ければいいだろう。それか、女を目隠しすれば…」


「あなたもじいさんと同じようなことを」


「親父と一緒にするな」


「あなたと二人で出掛けるとアルドリックに絡まれる」


「あいつ!最近は俺と食事さえしないくせに!」


「…これからはもっと彼と話を」


「それこそ余計なお世話だ。…お前も、困ったことがあればいつでも言え」


 そういって、ユークリッドはキアの背中を叩く。

 キアは僅かに微笑んだ。


「ではな。ガーディアスは寒いと聞く。風邪をひくなよ。俺もいずれは、ガーディアス領を訪ねよう。お前の…地味だが妖艶な悪女の花嫁を見に」


「はい。…ありがとうございます」


 ユークリッドは、そのまま振り向かず歩き出した。

 ユークリッドとキアは、お互いのことを干渉しあうことはしない。

 それでも、あまりにも自分のことに頓着しないキアに、ユークリッドは時折苛立ちを感じる。


「まったく、馬鹿な弟だ」


 なぜ、もっと自分のために生きようとしないのかと思う。

 あれほどの強さがあるのに。

 だからこそ、キアを先陣部隊に配属した。

 キアは、予想以上の働きをしてくれた。

 しかし、いつも無表情で飄々としていたキアが、血に塗れた包帯だらけの姿で現れた時にはぞっとした。


『あの子は戦って、戦って…たったひとりで死んでしまうような気がして』


 そう言ったエルディックの言葉が蘇った。

 そこから救ってくれたのが、ヴィンセントだった。

 ヴィンセントには、ユークリッドも会ったことがある。

 誇り高い美しい青年であった。

 意志の強そうな瞳が印象的だった。

 確かに彼は優秀な騎士だった。

 しかし、その姉は違う。

 そんな女に縛られる必要など、キアにはないのだ。


「ララティナ・ガーディアスか」


 ユークリッドは、静かに呟いた。

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