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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
16/17

十五.

 ララが目を覚ましたのは、木箱の中だった。

 正確には完全には眠っていない。

 眠るのを堪え、割れたコップの破片を何度も掴んでいた。

 油断していた。

 今日のアリッサはどうにも表情が暗かった。

 テレサの具合が悪いせいだと思っていたが。

 用意された水を飲むとその顔色はますます悪くなった。

 青ざめて倒れてしまうのではないかと思うほどだった。

 ひどい眠気に襲われ、思わず机の上の真珠の首飾りを握りしめた。

 しまったと気が付いた時には、床に倒れていた。

 一緒に床に落ちて割れたコップのガラス片を握りしめた。


「ごめんなさい」


 床から見上げたアリッサは泣いていた。


「ごめんなさい。でも、でも…先生が…」


 ララは目を閉じた。

 瞼が重く開けていられなかった。


 眠るな!


 そう思いながらガラス片を握り締めた。

 再び目を開いた時には、狭くて暗い衣装箱の中にいた。

 天井が低くまったく身動きが取れず、手も足も縛られ口にも布を噛ませてあった。

 手は首飾りとコップの破片を掴んだまま縛られていた。

 うつらうつらとしながら、箱の側面に空いた小さな穴から外を眺め、何度もコップの破片で手の平を傷付け続けた。


 眠るな。

 眠っては駄目だ。

 助けて…誰か助けて。

 お願い。

 誰か…叔父上!

 キア!


 僕の前から…消えてしまわないで。


 ふいに思い出したのは、悲しそうなキアの声だった。

 ララに好きだと告げながらも、泣き出しそうにしていたあの時の。


 私に…なにかあったら。


 このままでは駄目だ。


 助けを…ただ待つだけでは。


 誰かに気付いて貰わなくては。


 私はただ守られるお姫様じゃない。


 騎士なのだから!


 ララは大きく息を吸った。

 腕を前で縛られているのは幸いだった。

 倒れた勢いで千切れてしまった真珠の首飾りも掴んだままだった。

 これを目印に出来ないだろうか。

 そう思っていると、ふいに馬車が止まった。

 数人の男達の声が響きララは身体が浮き上がるような気がした。

 衣装箱をおろしているのだ。

 地面へとおろされると、馬車は走り出していった。

 衣装箱が浮かび上がると、今度は歩いて移動を始めた。

 ララは木箱の底に空いていた小さな穴から、真珠を落とし始めた。

 それを一定の間隔で何度も続けながら、森の奥へと連れていかれた。

 もう真珠が無くなるというところで、建物の中へと運び込まれた。

 箱ごと階段を上がり、ある部屋に入ると床に下された。

 少しして箱の蓋が開かれたがララは眠ったふりをした。

 箱から抱え出され、降ろされた先は柔らかなベッドの上だった。


「こいつは…噂以上だな」


 一人が無遠慮にララの大腿に触れる。


「よせ、あの方がもう何年も考えてきた作戦なのだ」


 一人がそう言って止めた。


「あのバケモノ…キア・ティハルをこの世から消すための」


 キアを?


 やはり、キアのために妻となる私を?


「少しくらい味見してもいいだろう」


「駄目だ。すでに失敗が続いている。彼女にも警戒した方がいい。私を殴ったあの一撃、並みの強さじゃない」


「お前が油断したんだろ?美人だからって」


「それだけで済まされる腕じゃない」


 男は少しして息を吐いた。


「エドバル・カイデンには失望した。尋問で我々のことをいとも簡単に吐くなど」


「問題ないだろう。俺達の正体までは話していない」


「式があれほど郊外の教会で人が呼ばれていないことも想定外だ。もっと街中で盛大にしてくれたら、我々の存在も目立たなくてすんだ」


「ケチなバケモノ野郎だ」


「そうではない。警戒しやすいように少人数にしていた。とにかく、気を引き締めるぞ」


「あいつが襲ってきたところで、俺達で全員で消せばいい。大勢でかかれば…」


「そんな生易しい相手ではない。私は見たんだ。あいつが素手の一撃で、王国騎士団随一の使い手であるコリン・ハインツを落とすところを」


「まさか、そんな…」


 声が去っていき、扉の鍵が閉められた。

 ララは目を開いた。

 ララはベッドの上で寝かされていた。

 すでに夕日が沈み始めていた。

 六時間は過ぎているだろうか。

 ここは一体どこだろうか。


「つっ」


 力を込め過ぎたせいか、手の平にガラス片が食い込んでいた。

 それをなんとか引き抜く。

 呻き声も口を塞がれていたおかげで漏れずに済んだ。

 溢れ出してきた血をドレスで押さえながら、縛られたままの手で大腿の短剣を探り、そこから剣を抜くと足の縄を切った。

 傷を抑えながら、ベッドから下りると外を見る。

 森に囲まれた見慣れない場所だ。

 それにしても武器を持っているかも探られなかった。

 舐められたものだ。

 いや、舐められて逆に幸運だったのだ。

 口から布を外しても良かったが、目を覚ましたと知られてはまずい。

 状況が分かるまでは、いつでも眠ったふりを続けられるようにしなくては。 

 まだ黒幕が分からない。

 ただ、キアが素手で騎士を気絶させた…まさかあの時のことを言っているのだろうか。

 陽はあっという間に沈んでいった。

 その時、鍵を開く音が聞こえララは慌ててベッドに横たわり目を閉じた。

 足の縄を切ったことを知られないようにドレスに足を隠す。

 扉がゆっくりと開かれた。

 

「多少騒ぎ声が聞こえても開けるな…何、すぐに大人しくなる」


 そう男の声が響き、再び鍵が閉められる。

 ランプの橙の光が瞼の下から透けて明るくなる。


「なるほど、心無いバケモノも惑わされるはずだ」


 そう声が響く。


「美しい…それに、この身体」


 そう言って、不快な手の感触が尻を撫でる。


「あの男はどんな顔をするだろうな。…せっかく手に入れた妻を、私に犯されたと知れば」


 少しして上着の擦れる音とともに、ズボンのベルトを緩める音が聞こえる。

 誰かが息遣い荒くベッドの上に乗ると、足元から這いあがりララの上に覆いかぶさる。

 ぞっとする感覚に、ララは身体が震えそうになるのを堪える。


「淫らに鳴くがいい、ララティナ・ガーディアス。…恨むなら、バケモノとお前の弟を恨め」


 口を縛っていた布が解かれると、ララは静かに目を開いた。

 男が目を見開く。


「貴様こそ、醜く鳴くがいい。マレキス・リバロ」


「なっ!」


 ララは素早くマレキスの股の間に足を打ち付けた。


「ぐあっ!」


 呻くマレキスの首を大腿で挟み、渾身の力で締め上げる。


「ぐっ」


 マレキスはララの大腿に激しく手を打ち付けたが、ランプの灯りに下でその顔がみるみる赤くなっていく。


「武器を手放していてくれて助かった」


 ララはそう言ってさらに力を込める。


「騎士の風上にも置けない、屑が」


「がっ…」


 マレキスの目が上天し、口から唾液が泡となり噴き出す。

 ララは足を緩めその顔面に蹴りを入れると、マレキスは情けなくベッドの下へと転がって気絶した。

 ララは起き上がると大腿から短剣を抜き、手を縛る縄も切った。


「この男に攫われるなど」


 そう言って、深く息を吐く。


「それだけ、浮かれすぎていたということか。…台無しだ。馬鹿野郎」


 そう気を失ったマレキスに悪態をつく。


「赤毛の男、あいつで気が付くべきだった」


 先ほどの警戒を訴えた男、そして森でララを襲った男は、五年前からマレキスの部下だった赤毛の男だ。

 森でララを気絶させ、攫うつもりだった。

 おそらくエドバルのせいで、計画を焦ってのことだろう。


「愚かだな、貴様らは。…この五年間、キアと私への復讐のために費やしてきたのか。愚かで…哀れだ」


 ララはマレキスを後ろ手にカーテンの紐で縛り、口を縛った。

 そして、その頬を激しく打つとマレキスはようやく目を覚ました。


「んんっ!」


 ララを信じられないと言った顔で見つめる。

 そして、下着のまま縛られたみっともない自分の姿に目を見開く。


「んんんんっ!」


「あなたの話を聞くつもりはない。だが…」


 ララはマレキスの中剣を抜き、それをマレキスの首に当てる。


「んーっ!」


「私がここを出るために、利用させてもらう」


 ララは呻くマレキスの首に剣を突き付け、後ろ手に縛ったマレキスの腕を握る。


「歩け」


 マレキスは大人しく従った。

 ララは鍵を開け、扉を開いた。


「マレキス様、もう…」


 扉の外にいた赤毛の男が目を見開いた。


「マレキス様!」


「動くな!動けばこの男の命はない」


「貴様!一体何を…」


「私を自由にしろ。そうすればこいつを渡してやってもいい」


「くっ…!」


「マレキス様!」


 数人の男達が駆け寄ってくるが、赤毛の男が手で制した。


「下がれ。道を開けるんだ」


「いや、そのままお前達が下がれ」


 ララは男にそう命じた。


「何だと?」


「敵に背後を許すと思うか。下がれ。そのまま全員一階まで降りろ」


 男達は渋々階段を降り始める。

 ララはマレキスの背中を押しながら、それに続いた。

 一階に降り、広間への扉の前まで来た時だった。

 激しく窓ガラスの割れる音が響く。


「何だ、一体」

 

 それとともに、男達の叫び声が響く。


「開けろ」


 ララが赤毛の男にそういうと、男は顔を歪めながらも広間の扉を開いた。

 ララは声を張り上げた。


「貴様らそこを動くな!」


 目の前の光景に目を見開く。

 ララと同じくらい目を見開きダガーを構えたキアと目が合い、思わず微笑む。


「キア!」


「ララ!無事だったのか!」


 丸太を放り投げ、ミゼウルが駆け寄ってくる。


「叔父上、もう来てくださったのですね」


「サリーの奴がお前の目印に気が付いたんだ!」


 キアの背後からおずおずと顔を出したサリーがぱっと笑みを浮かべる。


「ララ様、よかった!さすがです!自分で脱出しようとされてるなんて!」


「ありがとう、サリー。君こそ、よく気が付いてくれた」


「こ、これは。何があったというんだ」


 ララより混乱した様子の、赤毛の男が声を漏らす。

 玄関から居間に掛けて、倒れた男達の姿に愕然としている。


「あなた方は終わりということです」


 背後からエリックの声が響く。


「もう、ララ姉ったら。レチにも活躍の場所残しといてよ」


 そう階段の上からレチリカが顔を出す。


「レチ!ノーラン副隊長!」


「ララ様、彼をこちらへ」


 ララはエリックにマレキスを引き渡した。

 ミゼウルが勢いよくララに抱きつく。


「さすが!俺の娘!てか、あの時のくそ野郎じゃねえか。こいつ、騎士より悪党の才能あるわ。怪我ないか?」


 ミゼウルは腕を解くと、ララは頭をがしがしと撫でられた。


「ええ。私は大丈夫です」


「本当に良かった。…で、なんでこいつ下着しか着てないの?」


「私を襲うつもりだったようです」


「なっ!おい、キア。こいつのを引きちぎろうぜ。…キア?」


 キアはなぜかこちらによろうとしなかった。

 ただじっとララを見ていた。

 ララは、ミゼウルから離れキアへと近付いた。


「…心配を掛けたな」


 キアは唇を噛みながらただ何度も頷いた。


「怪我もない」


 そう言ってララが思わず伸ばした右手をキアがそっと握った。

 もう血が止まっているが、掌の傷をキアがじっと見ているのが分かった。


「こ、これは眠らないために自分で付けたものだ。大した…」


 手を引こうとしたが、そのまま引き寄せられ、気が付くとキアの胸の中にいた。

 キアは何も言わず、ただぎゅっと腕に力を込めた。

 ララもキアの背中に手を回した。


「大丈夫だ、キア」


「うん」


 まるで泣き出しそうなのを堪えているように感じた。

 ふいにキアが擦れた声で言った。


「…すまない」


 ああ、きっとすべて自分のせいだと責めているのだ。

 それが分かった。

 ララはキアの胸に額を付けた。


「私で良かったな、キア」


 ふいにキアの腕が緩んだ。

 ララが顔を上げると、眉を潜ませたキアの顔があった。


「バケモノ騎士の花嫁なんて、私くらい強くなくては務まらない」


 そう言って微笑むと、キアは僅かに目を見開きそして微笑んだ。


「ああ…そうだな」


「ほら、いちゃついてないで帰るぞ!」


 そう言ってミゼウルがキアの背中を強く叩いた。


「てか、後始末しとくからお前ララを連れて帰れ」


「いいのか」


 キアがミゼウルに言った。


「いいって。こいつらは適当に埋めとくから」


「いや、捕らえてください」


 すでに何人かの騎士を縛っているエリックが冷静にいった。


「まて。…マレキスの首は僕がへし折る」


「いや、やめてください。キア様もう帰ってください!」


「じゃあ、レチも帰る」


 そう言いながら、レチリカがララに抱きついて来た。


「ララ姉、本当に良かった」


「ありがとう、レチ」


「お前もいい。どうせいてもさぼるんだろうから」


「じゃあ、サリーちゃんも帰ろ?帰りはレチの馬に乗せたげる」


 そう言いながらレチリカはララから離れると、サリーの腕を握った。


「え?あ、じゃあお願いしまーす」


 少し恥じらいながらサリーは返事をした。

 キアは騎士の制服の上着を脱ぐとララに掛けそのまま抱き上げた。


「わっ!待て、歩ける」


「帰る」


「ちょっと待てキア!重いだろう!」


「平気だ」


 ララは慌ててキアの肩に腕を回し、そのまま外へと連れ出された。


「あーあ、目の毒」


 ミゼウルがぼそりというと、エリックが言った。


「ミゼウル、今日エレノア様を抱き締められただろう」


「えっ?あ、そう言えば…ちょっと、俺動揺してたわ。うっかり」


「お前のこと見直したかも…」


「あーしまったぁ。感触とか匂いとか全然覚えてなーい!」


「いや、やはり無理だな」


 エリックは苦笑した。

 ララはキアに抱き上げられたまま、屋敷を出た。


「ララ様!ご無事で!」


 屋敷に到着したばかりの様子のアイザックが駆け寄って来る。


「俺が荷物の確認を怠ったせいで…」


「私は大丈夫だ、アイザック。…大丈夫だから。ありがとう」


 頭を下げるアイザックに元気だと手を振って見せ、ララはキアとともに夜の森を進んだ。

 まだ恐怖と興奮で身体が震えるような気がした。

 ララはキアの首筋に顔を埋めた。

 キアの温もりに、思いがけず涙がにじんでくる。


「…泣いていい」


 キアがふと口にした。


「正直僕の方が泣きそうだ」


 ララは思わず微笑んだ。


「自分を責めるばかりで、君に気を遣わせた。君のために、もっと頼りがいのある男にならなくては」


 そう言いながら、キアはララの頭にこつりと頭を寄せた。

 キアの肌の温もりを感じながら、流れて来る涙をララは我慢しなかった。

 恐怖よりも安心で涙が流れた。

 

「キア、あなたが来てくれるって信じてた」


「ああ…みんなのお陰だ」


「式が…台無しになってしまったな」


「明日には結婚証明書が届く。式はしなくても、僕らはもう夫婦だ。披露の式は中止しよう。君はゆっくりと…」


 ララは首を振った。


「私はもう大丈夫」


「だが…」


「あなたがいてくれたら大丈夫」


 ララはキアの首に回した腕に力を込めた。


「この話は、また明日しよう。今は眠っていい」


 キアの肌が心地よく、ララは思わず口を開いた。


「今日は、あなたと眠っていいの?」


「へ?」


 キアが身体を強張らせ、立ち止まった。

 この温もりから少しも離れたくない。

 ララはそう思った。


「もう…夫婦なのでしょう?」


 月明かりが差し込み、キアがじっとララを見つめているのが分かる。

 ララはその瞳を見つめながら、肩に回した腕に力を込める。


「このまま朝まで…ぎゅっとしていて」


 キアが大きく息を吸い、深く吐いた。


「…かわいい」


 キアがぼそりと言う。


「今の後百回くらい聞きたい」


「キア、なんて?」


 キアは微笑むと、再び歩き出した。


「分かった、ララ。一緒にいる」


「ああ」


 ララは、再びキアにもたれた。

 安堵感とともに強い眠気を感じ、目を閉じた。



 次の日、キアは領主の部屋でララの準備が終わるのを待っていた。

 ララは、今自室で着替えをしている最中だった。

 今日午前中に神父を呼んで庭で結婚の式を行い、夜は領主夫婦披露の会を予定通り行う。

 今朝ララと話合ってそう決めた。

 昨日の夜、ララの願い通り一緒に眠ることはエレノアが許さなかった。

 エレノアが傍に付き添うと聞かなったので、まだ眠たそうなララをエレノアに託した。

 でも今日からは…。

 キアは頬が緩んでしまいそうになるのを堪えた。

 扉を叩く音にはっとして返事をすると、リアンの声がした。


「キア様、ユークリッド・バルバロット様がお見えです」


 キアは驚き立ち上がった。


「通せ」


 キアは反射的に答えた。

 リアンによって開かれた扉の向こうから、ユークリッドは悠々と現れた。


「久しぶりだな、キア」


「お久しぶりです、兄さん。…マレキスのことで?」


「違う。…ここに到着して初めて知った。まったく。リバロ家はアーロン王にかなりの金を握らせて釈放させたのだろう。王が許せと言えば許される。最悪だな」


 そう言いながら、ユークリッドは口を歪めて笑った。


「だが、今は違う。生きていることを後悔するような目に合わせてやる。それで勘弁しろ」


「わかりました。では?」


「お前の妻になる女のことで」


 そう言ったユークリッドの手の中の文書を広げた。

 それは、キアとララの名が書かれた結婚証明書だった。


「こんなもの…」


 そう言って、ユークリッドは突然それを破り床に捨てた。

 キアは唐突な出来事に、ただ目を見開くしかできなかった。


「ララティナ・ガーディアスには子どもがいる」


 その言葉にキアはさらに目を見開く。


「あのアルバート・マクレバーとの間に」


「嘘だ」


 反射的にそう口を突いて出た。

 キアは静かにユークリッドを睨んだ。


「嘘ではない。…しかし、それだけ自身があるということはもう抱いたのか」


 キアが目を伏せると、ユークリッドは深く息を吐いて言った。


「あの女をお前の妻とは認めない。バルバロット家の傷となる。だからこそ別れされてきた」


「何の話ですか」


 ユークリッドは口を歪ませ笑った。


「アルバートを別れさせてここに連れて来た。ララティナと結婚すれば、生活を保障してやると言ったら簡単に食いついて、凶暴な妻を捨てた。…やはり下衆は違う。今頃で跪いて愛でも囁いて…」


 キアは部屋を飛び出していた。


 違う。

 絶対に違う。

 ララがそんなはずはない。

 自分を裏切るはずなどない。

 たった一日。

 そして、この一か月に満たない時間。

 それでも彼女を信じている。


 かけ降りていく大階段から下を覗くと、白い花嫁衣裳に身を包むララの姿が見えた。


 美しい。

 初めて会った時からその力強い瞳から目を離せなかった。

 屈託なく笑う姿をずっと見ていたかった。

 その身体の温もりを忘れることなんてできなかった。


 ララ、君を愛している。

 だから…。


 ララの手を見知らぬ男が握っていた。

 その手に唇を寄せながら何かを言っている。

 それをみただけで気が狂いそうになる。


 だめだ。

 誰に触れさせてもだめだ。


 ララが今まで見たこともないほど穏やかな笑顔を男に向けている。


 だめだ。

 頼む。

 頼むから!


「キア!」


 階下へ降りると、ララがキアに微笑んだ。

 そして、男の手を振りほどきキアの方へ手を伸ばす。

 キアは慌てて駆け寄りその手を必死に掴んだ。

 ララは、そのまま引き寄せられるようにキアの方へ顔を寄せた。


「ラ…」


「あの男はどこのどいつだ」


 そう低めの声が響いた。


「人の手を許可なく撫でまわし、気色の悪い。あなたの知り合いでなければ腕をへし折るが構わないか?」



 ララは思いがけず低い声でキアに囁き、はっとした。


 こんな格好でなんてことをっ!


 おずおずと顔を上げると、キアがただ静かに自分を見ていた。


「知り合いではないのか?」


「アル、アルバート…マクレバー?」


「誰だ、それは。だが、疑問形なら知り合いではないな。…では」


 突然、階上からひーっとひきつった笑いが漏れた。

 ふと目にすると、大階段の踊り場でユークリッドが腹を抱えて笑っている。


「え?…バルバロット様がいるのだが」


「うん」


 キアはララの腰を引き寄せると、静かに階上を睨みつけた。

 頬は膨れていないが、むくれた子どものようになぜか見えた。


「アル様?」


 そう言いながら、玄関ホールに現れたのはマリエラだった。


「おお、マリエラ!」


「アル様、アル様!」


 人目も憚らず、マリエラは男の腕に飛び込みそして泣き出した。


「もう、もう二度と会えないと」


「愛し合う二人を引き裂くことなど天が許さないさ。もう心配はいらないよ」


「十五歳の少女に手ぇ出して孕ませる男こそ天が許さねぇだろうが」


 そう呟きながら、ユークリッドが階段から降りてきた。


「初めまして。わたくし…」


 ララは慌ててユークリッドに挨拶しようとしたがキアはなぜかララを離さなかった。


「あの、キア。挨拶をしなくては…」


「いい。挨拶なんて」


 キアはユークリッドを睨みながら言った。


「バルバロット家が許さなくても構わない」


「相変わらず冗談の通じないやつだ。しかしお前がここまで動揺するとは…悪かった。…初めまして、ユークリッド・バルバロットだ」


「ララティナ・ガーディアスです。ここで失礼します」


 ララはキアの腕の中で挨拶をした。


「ほお。アルドリックは目が腐っているな。どこが地味な女だ」


 ユークリッドは何か言いたげな様子で唇を歪めて笑った。


「なんだか、この姿…見覚えがあるな。君の弟のことも、キアはこんな風に掴んで離さなかった」


 ララはどきりとした。

 まさか、自分がヴィンセントのふりをしていたことに気が付いたのだろうか。


「弟も助けて頂いたと聞いています。とても感謝しています」


「そう言うことにしておいてやろう」


 ユークリッドは意地の悪い笑みを浮かべたまま言った。


「状況の説明を」


 相変わらずキアが冷たい声でユークリッドに言った。


「ああ。君はあの従姉妹マリエラ・メルバと親しいのか?」


 ユークリッドがララに言った。


「いえ。最近初めて会いました」


「あの男…アルバートの恋人は、社交界デビューしたばかりのマリエラ・メルバだった。彼女は恋文を書くとき会ったことのない従姉妹の名を利用していた」


 ララは驚いた。


「その名を見た彼の妻が、そのままハニクラウン家の別荘にやって来たというわけだ。相手の姿も何も知らずに。…まさか相手が十五歳の少女で、妊娠させているなんて予想もしていなかっただろう」


「やはりクラリッサは…」


 そうララが呟いた時、クラリッサがマリエラの足元へと歩いていく。


「マリエラ、だあれ?」


 マリエラはようやくアルバートから離れると、クラリッサを抱き上げた。


「あなたのお父様よ、クラリッサ」


 その言葉に、その場にいたエレノアがぎょっとした表情でリヴィエラの顔を見る。

 リヴィエラは後ろめたそうにエレノアから目を逸らした。


「おとうさん?」


 クラリッサは、キアの方に視線を向けた。

 その視線に、ユークリッドが何か言いたげにキアを見る。


「…違います」


 キアは面倒そうに答えた。


「クラリッサは、あなたのことを好きだと言っていた。…お父さんになんて欲しいと」


 ララがそう言うと、キアはただ黙っていた。

 マリエラがクラリッサの額に額を合わせる。


「そう、本当のお父様よ。わたしのことも、これからはお母様と呼んでいいの」


 アルバートは目を潤ませながらクラリッサの顔を覗き込んだ。


「初めまして、クラリッサ」


 しかしクラリッサは顔を背けた。

 それでも、マリエラに隠れながらじっとアルバートの顔を見つめる。


「おんなじ、おんなじめだね」


 確かに、アルバートの瞳はクラリッサと同じ深い緑をしていた。

 ユークリッドが口を開いた。


「あの二人は王都で式を挙げさせる。そうすれば、ララティナ・ガーディアスの汚名は多少返上されるだろう」


 そう言いながら、ユークリッドがキアの肩を筒状にした書状で叩く。


「ほら、これが本物だ。俺自ら届けてやったのだ、感謝しろ」


 キアはそれを受け取った。


「兄さん…」


「しかし、お前のあの顔!」


 そう言って、ユークリッドは吹き出した。


「一生笑える」


「あなたが声を出して笑う姿など初めて見た」


 キアが恨めしそうに言った。


「何があったんだ?」


 ララはキアを見上げると、キアはただ腰を抱いた手に力を込めて言った。


「なんでもない」


「じゃあ、俺は帰る」


 ユークリッドはそう言って歩き出したので、キアが口を開いた。


「式には?」


「お前の妻を見に来ただけだ。面倒な式にはでない。マレキスは預かる。…お嬢さん、こいつをよろしくな。口数が少なすぎて面倒な奴だが、あなたなら安心できる」


 そう言ってユークリッドは後ろ手に手を振った。

 アルバートに何か声を掛けると玄関から出て言った。


「忙しい人だな」


「ああ」


 キアはぎゅっとララの腰の手に力を込めた。


「ララ、とても綺麗だ」


 ララは、キアを見上げて微笑んだ。


「ありがとう」


「信じられない!」 


 そう声を荒げたのはエレノアだった。

 リヴィエラから事情を聞いたのだろう。


「そのくせララを悪女だなんだと詰っていたの?わたくしが何度も違うって説明していたのに!姉様、そんなの…」


「全部わたくしが悪いっていうの?あなたには分からないわよ。侯爵家に嫁いだあなたにはね!わたくしだって…」


「ララに謝って頂戴!あやまって!」


 エレノアが顔を真っ赤にして怒っているので、ララはキアを見上げるとキアはやっと手を離した。

 ララはエレノアの隣に立った。


「エレノア、いいのです」


「でも…。」


「ごめんなさい、ララティナ姉様。」


 そう声を掛けてきたのは、マリエラだった。

 涙を流しながら言った。


「わたし、ただお姉様の名を借りただけで。同じ時期に社交界にいるなんて知らなくて。あんなことになるなんて思ってなくて。わたし…」


「いい、マリエラ。…もういいんだ」


 ララにとっては、本当はよく分からないことだった。

 自分はその場にいなかったのだから。

 悪評自体も直接ひどい言葉を吐かれたことはない。

 リヴィエラは口を開かなかった。

 ララはまだ動揺して息を荒くしているエレノアの手を握った。


「エレノア、ありがとう。私のために怒ってくれて」


「ララ。あなた…ずるいわ。どうして、そんなに落ち着いているのよ。」


「あなたがいつも、私の代わり怒ってくれるからです」


 エレノアは涙をハンカチで拭いた。


「もう、お化粧直さなくっちゃ」


「悪かったわね」


 ふいにリヴィエラが言った。

 なぜかひどく偉そうな謝罪だった。


「仕方なかったのよ。あなたも母親になれば分かるわ。母親が娘の結婚をどれだけ…」


「もういいか」


 それを遮ったのはキアだった。

 キアがリヴィエラ達に向かって言った。


「今日中で構わない、帰ってくれ。…僕は許さない。彼女の名を貶め、平気で彼女の場所を奪おうとしたことを」


 キアはマリエラとアルバートに冷たい視線を向けた。

 キアはじっと自分を見上げるクラリッサの頭を撫でた。


「元気で」


 リヴィエラ達が、荷物をまとめに階段を上がって行くのを見送っているとキアがララに再び歩み寄った。


「ララ…」


「ああ!」


 そう声を上げたのは、エレノアだった。

 エレノアは突然キアに駆け寄ると、キアを掴み背中を向けさせる。


「キア様!だめですわ、結婚式前に花嫁に会うだなんて!」


「だめなのか?もうすでに…」


「だめです!」


 エレノアによって、キアが晩餐室へと押し込められるのをララは呆気になりながら見送った。



 今まで誰の花嫁姿を見ても、涙を流した経験はない。

 だが、ミゼウルにとってララのその姿は特別だった。

 中庭で行われた結婚の式で、神父の言葉にキアとララは愛を誓い合った。

 その間どうしようもなくあふれてくる涙を堪えるのは、ミゼウルにとって大変だった。


「ミゼウル」


 隣に立つトルニスタが、ハンカチを差し出す。


「な、なんだ、先生。俺は泣いてなんか…」


 その隣に立つエリックが、黙って自分の鼻を指さした。

 涙を我慢しすぎて、鼻水があふれているのにはっとして、ミゼウルは思い切りハンカチで鼻をかむ。

 横で泣くエレノアが呆れながらも静かに微笑んだ。

 どうやらリヴィエラ達とひと悶着あったらしく、ミゼウルが来るなり色々と愚痴りだしたエレノアも、結婚の誓いをするララ達の姿をみてようやく怒りを抑えたようだった。


「はい、先生。あんがと」


 ぐちゃぐちゃになったハンカチを渡そうとするとトルニスタは顔を歪めた。


「いらん」


「せめて洗って返せよ、ミゼウル」


「あ、そうだな」


「こいつの鼻くそにまみれたもんを使えるか。もうやる」


「ひどいぜ、先生。だいたい…」


「ミゼウル」


 エリックの言葉に、ミゼウルははっとする。

 前に立つララの困ったような顔と目が合い、ミゼウルはごめんと身振りで謝った。

 ララが美しく微笑み、その笑顔をキアへと向ける。

 それだけで、寂しくて再び涙があふれてきてしまいそうになるのをぐっと堪えた。

 式を終え、そのまま庭で昼食会が始まった。

 葡萄酒を片手にその様子を眺めながら、ミゼウルは一人木にもたれた。

 もうこのまま帰って思いきり泣いてしまいたかった。

 やはり、どうしても…考えるのは姉ルルリナのことだった。

 どうして、なぜ…ララを愛せなくなったのだろうか。

 自分はどうすればよかったのだろうか。

 正解があるのなら、正解があったとしても…もう遅い。

 それでも、どうしても考えてしまう。

 ただ…ただ。


「どうしたの、ミゼウルさん」


 その声にミゼウルははっとする。

 目の前に立っていたのはエレノアだった。


「あんたこそ、どうした。エレノア」


「いえ。ただ、ひとりでいるから」


「気にするな。適当に飲んでるだけだから」


「気にしなくて済むなら、どれだけいいか」


「なんて?」


「いいえ、愚痴を聞いてもらって悪かったなと反省しているの。うるさい女は嫌いでしょ?」


「大丈夫だよ。どんなあんたも、好きだから」


 しまったとミゼウルは口を閉じ、顔を背けた。

 こういうことは言わないと決めたのに、つい口から出てしまった。

 エレノアは静かに自分の隣に立った。


「…何を考えていたの?」


 ああ。

 思いがけず好きを無視されるのはつらい。

 まだ瞬殺のほうが良かった。


「別に」


 ミゼウルは素っ気なく答えた。


「別に?」


 エレノアが自分を覗き込むようにこちらを向く。

 ミゼウルは目を伏せた。


「ただ…姉さんにも、今日のララを見せたかったなって」


「…そうね。本当にそう」


 互いに会話がなくなり、長い沈黙が流れる。

 ふいにエレノアが口を開く。


「姉さんって呼んでいたの?」


「ん?」


「いえ、いつも姉貴って呼ぶから」


「…まあな。俺も若かったから」


 再び長い沈黙が流れた。

 エレノアが何を考えているのかが、ミゼウルには分からなかった。

 できるなら、もう自分のことはそっとしておいてほしい。

 再びエレノアが口を開いた。


「わたくし…最低なの」


「…何の話だ」


「わたくし、男の人って嫌いなの。夫と同じ男の人が…怖くて堪らないの」


 エレノアは、静かにそう言った。


「だから…平気で好きだっていうあなたを傷つけて…怒るのを待っていた。どうせ男なんてみんな同じだって…そう思いたかった。だから、あなたにひどいことを言ってきたわ。…本当にごめんなさい。あなたは、わたくしを怒るべきだわ」


「い、いいんだって。大丈夫だよ。エレノア。同じなわけがないだろ?俺だぞ?世界一頑丈で優しい男だ」


 ミゼウルがそう言って笑いかけたが、エレノアはただ目を伏せていた。


「エレノア。もう少ししたら、前の俺に戻れる。あんたはただ、ララの傍にいてくれるだけでいい。…俺は大丈夫だから、気にしないでくれ」


 エレノアは黙っていた。

 ミゼウルもそれ以上は口を開かず、エレノアが去ってくれるのを待った。


「いるわよ」


 思いがけず、はっきりとエレノアが言った。


「あなたなんかに言われなくたっているわよ。ララと……あなたの傍に」


 ミゼウルは目を見開き、エレノアの方を向いた。

 エレノアはじっと自分を見上げていた。

 その深い海のように青い瞳を覗き込み、思いがけず胸が高鳴る。

 エレノアはふと目を逸らした。


「あなたって好きって簡単に口にするわよね。…本当に嘘くさい」


「嘘とかいうなよ。仕方ねぇだろう。出てくんだから」


「わたくし、夫にだって言ったことはないわ。」


「そりゃ、言わせない相手が悪いの」


「じゃあ…待っていてくれる?」


 エレノアは目を伏せながら言った。


「わたくしが…いつかあなたにそう…言えるまで」


 ミゼウルは言葉を失った。

 エレノアはちらりと横目でミゼウルをみて、また目を伏せた。


「ま、待つよ。…百年でも二百年でも」


 口を突いて出た言葉に、エレノアが顔を上げ美しく微笑んだ。


「あなたって…本当に」


 そう言いながら、エレノアの手がミゼウルの手に触れその手を握った。

 ただお互いに手を握りあっていた。

 口づけをしたわけでも、まして身体を合わせたわけでもない。

 それなのに。

 この満たされるような感覚はなんなのだろうか。

 ただ、いつもの調子で口を開けばこの手が離れてしまいそうで、ミゼウルはただエレノアの手を握っていた。



 結婚の式の後開かれた立食の昼食会は、サリーも参加するようキアに言われた。


「いや、僕は従者なので…」


「言っただろう、友人だと。今回、君のお陰でララは何もなく助けられた。君には感謝してもしきれない」


 そこまで言われると、もう遠慮することなくサリーは皿にたくさんの肉を盛り、それを口にしながらキアとララが寄りそう姿を見つめていた。

 穏やかな笑顔を浮かべるキアは、出会った頃とはまるで違う。

 あんな風にキアを変えられるララは…。


「いや、恋って偉大だな」


 そう呟いて、サリーは微笑んだ。

 キアの傍にいれば強くなれるとサリーは、そう思っていた。

 背も低く女みたいな顔の自分が嫌いだった。

 いつも下ばかりを向いていた。

 それでも、今回は二人を救うのにそれが役立った。

 今の僕も案外悪くないのかもしれない。

 今ではそう思う。

 叶わない願いを抱き続けるよりも、今の自分でできることを見つける。

 それでいいんだ。


「あれ?レチリカさん?」


 サリーはふと庭の隅にいるレチリカに目が向いた。

 レチリカは、騎士のレイフ・アルヴァと一緒にいた。

 レイフは女性の騎士を歓迎しておらず、レチリカ達とは度々ぶつかり合っている。

 レチリカが嫌そうにしているのがわかり、サリーは皿を机に置くと、そちらへ駆け寄り、急いでその間に割って入った。


「ちょっと何してんですか。レチリカさん嫌がってるじゃないですか」


「サリーちゃん」


 レチリカが驚いた様子で、サリーの肩に手を置いた。


「なんだ、サリー。騎士気どりかよ」


 レイフは品のない笑いを浮かべて言った。


「レチリカに注意していただけだ。今日くらいドレスを着るべきだろう、レチリカ。キア様に恥をかかせるつもりか」


 そう言ってレイフは鼻で笑った。


「まあ、レチリカが女の恰好しても無駄か。…絶対に勃たない」


 サリーは苛立ち思わず言った。


「あんたの粗末で汚らしいもので、レチリカさんの価値を図ろうとするな!」


「なんだと?」


 レイフに詰め寄られてもサリーは引かなかった。


「勝負するか?ちび!お前のがどれだけ立派なのか、裸で吊るしてここにいる全員に見てもらおうぜ」


 サリーは顔を歪めて笑った。


「勝負するのは僕じゃない」


「はあ?」


「キア様のをみたらあんたの歪んだ性根も一発で…!」


「サリー」


 背後からするキアの低い声に、サリーはひっと背筋を伸ばす。

 サリー以上にレイフが縮みあがる。


「でかい声でそんな話をするな」


「す、すみません」


 キアはレイフを睨んだ。


「一体ここで何を…」


「も、申し訳ありません。キア様達に報告で…」


「こら、レイフ!」


 慌ててやって来たのはアイザックだった。


「呼んで来てもらうまで待てといっただろう!失礼しました!」


 レイフはアイザックに引きずられるように庭から出て行った。

 サリーは笑顔で、レチリカの方を向いた。


「大丈夫?レチリカさん」


「全然。あんなのなんでもない」


 レチリカは少し暗い表情で答えた。


「ありがとう、サリーちゃん。キア様」


「あはは、僕は何も。トラの威を借りまくるキツネってね」


「おい、お前ら何してんの?」


 エレノアとともにミゼウルがやって来ると、レチリカはエレノアに抱きついた。


「あらあら、どうしたの?レチちゃん」


「ちょっと嫌なこと言われて」


「なんだとぉ!」


 拳を掲げるミゼウルをサリーが慌てて制した。


「で、でも、キア様が助けてくれました」


「助けたのはサリーだろう」


 そう答えたキアを、ミゼウルはじっと見つめると静かに咳払いした。


「いいか、キア。今夜はな…」


「うるさい」


「まだ何も言ってねぇよ」


「気色の悪いことを言うな」


「だから言ってねぇって!」


 言い合う二人を放って、サリーはレチリカの方を向いた。

 エレノアに背をさすられ、レチリカは安心した様子で離れた。


「ありがとう、エレノア」


「いいえ」


「おーい、ちょっと抜けるわ」


 ミゼウルはそう言うと、キアと屋敷の方へ向かった。


「あら、もう帰るの?」


「いや夜までいるよ。…エレノアの部屋に泊めてもらおうかな」


「ばかね」


「はは、瞬殺!」


 そう言いながら、笑うミゼウルの背中にエレノアは微笑み掛けた。


「何をしにいったのかしら」


 エレノアが首を傾げる。


「ああ、アイザックさんが来ていたので何か報告が…」


「まあ、信じられない!こんな日まで仕事なんて!男の人って本当に…」


 ぶつぶつ言いながら、エレノアはララのもとへ向かった。

 なぜかレチリカはじっとサリーを見つめて言った。


「サリーちゃん、あたし好きな人が出来たんだ」


 その言葉に、思いがけずサリーは胸が疼くような気がした。


「そ、そうなんだ」


「すごい人なんだ。すごいのに、それを全然ひけらかさない素敵な人なの」


「…へえ」


「でもね、他に大好きな人がいて、レチなんて眼中にないの」


「そ、そんな人やめればいいのに」


「でも、あたしをかっこいいって言って元気をくれる人なんだ」


 そんなの、僕だって言ったのに。

 恋って偉大だな。

 そう思いながら、サリーは目を伏せた。


「でね、たぶんものすごく鈍いの」


「そっか」


 この話いつまで続くんだ。


「まあ、何かあったらいつでも相談にのるよ」


 そう言ってサリーはレチリカに笑顔を向けた。


「…君が僕を怖がらないでなんでも話してくれるなら、背が低いのも案外悪くないかもね」


 ふいにレチリカの顔が近付き、頬に柔らかな何かが触れた。

 それが唇だと分かったのは、レチリカが離れた後だった。


「サリーちゃん、大好き」


「え?」


「いつかレチの方を向いてね」


 レチリカはいたずらが成功した子どものような無邪気な笑顔を浮かべ、屋敷の中へ入っていった。


「ええっ!」 


 サリーは、自分に起きたことが信じられず目を瞬いていた。

 キアに偉そうなことを言いながらも、自分もまだ恋というものはよく分からない。

 でも、もしかしたらこれが…。

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