表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
15/17

十四.

 ララは数日安静を言われ、キアは毎日のようにララの部屋へ訪れてくれた。

 結婚式まで二日という日に、ララはトルニスタからもういつも通りに過ごしてよいと許可をもらった。

 再び、エレノアがララのために髪飾りを着けてくれた。

 今度は白地に黒い縦に縞の入ったドレスに身を包み、キアが来るのを待った。

 午後になり、扉を叩く音に返事をするとキアが入って来た。

 キアと目が合うと、ララは自然と笑顔になって立ち上がった。


「キア、お帰りなさい。あなたを待って…」


 すべて言い終わる前に、ララの唇はキアの唇で塞がれていた。

 口づけは三日ぶりだった。

 唇を離すと、キアの穏やかな笑みを浮かべた顔が目の前にあった。

 その美しい笑顔に、ララは思いがけず心臓が高鳴った。

 いつも唇の端で淡く笑う笑顔とは違う。

 こんな風に笑うキアは初めてだった。

 キアは笑顔のままララの額に額を摺り寄せた。


「綺麗だ、ララ…とても」


 そう囁かれると、ララは嬉しさとあまりの恥ずかしさで身体を縮めた。

 キアはララの顔からつま先までゆっくりと眺めた。


「やはり君によく似合う。気に入った?」


「も、もちろんだ。ありがとう…嬉しい」


 キアは少し身体を離し、ララの顔を覗き込んでくる。


「…いやだったか?」


「い、嫌じゃない!ただ、突然で驚いただけだ。この間の口づけが…初めてだし」


「僕もだ」


「え?」


 ララは目を見開いた。

 その顔にキアは少し目を伏せた。


「…おかしいか」


「あ、あなたは美女ごろごろと遊んでいると叔父上が!」


「またあいつは…ごろごろってなんだ」


「だ、だって、今まるで挨拶のように口づけを…」


「だって、三日もしてない」


 キアは少し目を伏せ、恥じらう様に言った。


「僕は女性経験が乏しい…どころか全くない」


「そ、そうなのか。では、エレノアが正しい…」


「…僕のことでそんな話を?」


 キアに睨まれ、ララははっとして口を閉じた。

 キアは静かに息を吐いた。


「僕は怖がられていた。舞踏会で踊ったことすらない」


「そんな!私だったら一番に誘いに行くのに。あ、女性から誘うのはだめなのか」


 キアは静かに微笑むとララの額に再び額を寄せた。


「ありがとう…こんな風に触れたいとと思ったのは…君だけだ」


「そ、そうか」


 ララは思わず頬が緩む。


「だが、慣れていると思われたなら君とした成果が出たかな」


「私と?何を?」


 キアは静かにララの頬にちゅっと音を立てて口づけた。


「これ」


「こ、これって」


「口づけが吸うものとは知らなかった」


 そう言うと、キアは静かに微笑みララの髪を撫でた。


「ああ、そうだ。私も…これをあなたに」


 ララはそう言いながら、布に包まれたブローチを差し出した。


「僕に?」


「あ、ああ。あの、あまり使わないかもしれないが」


「ありがとう」


 キアはそれを受け取ると丁寧に開いた。

 ブローチをみて、キアが笑みを浮かべた。


「とても綺麗だ。…瞳の色の宝石を贈る意味を?」


 ララは一瞬目を見開き、目を伏せた。


「それは…」


「あなたは私のもの…だろう?」


「え?そうなのか?」


「違うのか?店の人に言われた。あなたは、独占欲が強いと…」


「私の知っている意味と違うな。私は、あなたを永遠に愛しますと…」


 キアはブローチを胸に着けながら、じっとララを見つめた。

 ララは恥ずかしくなり、目を伏せた。


「僕もそっちがいい」


 キアに胸に着けたブローチを見つめ、顔を上げた。

 その嬉しそうな表情に、ララも思わず笑顔になる。


「とても似合っている」


「ありがとう。ララ…部屋に来てくれないか」


 キアはそう言ってララの手を握った。


「ああ」


 キアが歩き出すと、ララもそれに続いて歩き出した。

 キアは自分の部屋に入ると、そのままララを机まで連れて行った。

 ララの手を離し椅子に座ると、机の引き出しを開けて一枚の紙を取り出す。

 それは、すでにキアの名が書かれた結婚証明書だった。


「この間は、これを書いてもらおうと思っていた。僕は伯爵らしいから、結婚に王の許しが必要だ。王都に送くって王の印を貰わなくてはいけない」


「らしいって…」


 ララは思わず苦笑した。


「式当日よりも早めに王都に送っておきたい。早馬で頼めば一日で届くだろうから。…ララ、家名のことだが」


「私はあなたの名を受け継ぐ」


 ララはきっぱりと言った。


「この領地はもうあなたのものだ。あなたのお陰で生まれ変わった。だから、この名も変わるべきなんだ」


「そうか、ありがとう。じゃあ…座って」


 キアはそう言うと、少し仰け反ると自分の両太腿を両手で叩いた。

 ララは、目を見開いた。


「え?…そこに?」


「そう。ここで…名前書いて」


「い、いや。こんな大事な文書、そこでは書けない」


「じゃあ、書いてから座って」


 キアはそう言うと、羽ペンと証明書をララの目の前に置いた。 


「どど、どうして急にそんな…」


「でれでれ…をしてみようと思って」


 キアの言葉は、ララがいつも聞く言葉とは違う意味のように聞こえた。


「でれでれ?デレデレ?」


「ああ、違うか。いちゃいちゃか」


「いちゃ…イチャイチャ?」


「ちょっと僕の言い方は違うみたいだな。…サリーが、僕は恋をしていても全然変わらないと言っていたから」


「恋…」


 そう改めて言われると、ララはなんだか頬が熱くなるような気がした。


「僕も色々と考えているのだが、顔には出ないようだ。…君としたいことがたくさんあるのだが」


 キアはそう言うと何か企むような視線を向けるのでララはどきりとした。


「…名前を」


 ララは促されるまま羽ペンを手にすると、キアの名が書かれた隣に自分の名を書いた。

 なんだろう。

 大事な瞬間のはずなのに、ちっとも集中できない。

 ララが名前を書いて羽ペンを置くと、キアは再びどうぞと言わんばかりに手を広げた。


「キ、キア?私には難易度が…」


「なんいど…難しくない。座るだけだ。さあ、どうぞ」


「うぅ」


 ララは、意思を決めて顔を上げた。


「わ、分かった!で、では…失礼する」


 ララは、キアに背を向けるとおずおずとキアの大腿にちょこりと座った。

 キアの腕がララの腰へするりと回ると、そのまま抱えるようにして、自分の太腿の上にララをのせた。


「キア!わ、私かなり重いはずだ!」


 ララは思わず、キアの首に腕を回した。


「重くない」


 キアはそういうと、ララの顔を覗き込んで来る。


「真っ赤だ、耳まで。…かわいい」


「なっ!い、いま私に一番似つかわしい言葉を!」


 キアは静かに微笑むとララの頬に口づけ、耳に囁く。


「…かわいい」


「ううっ」


「ははっ」


 キアが白い歯を覗かせ笑った。

 ララは驚いた。

 

「あなたが声を出して笑うのを初めて聞いた」


「…そうか?」


「ああ、なんだか嬉しいな」


 キアは、静かに微笑んだ。


「好きだ、ララ。これが…すき…なんだな」


 キアは、そう噛みしめるように言った。


「大好きだ、ララ」


 キアの薄い唇がララの唇と合わさり、深く口づけられる。

 今日のキアの口づけは、この間とは違いすっとした感覚がする。


「…薄荷?」


 ララがそう囁くと、キアがララの唇を食み言った。


「煙草を止めた」


「…私のせいか」


「いや、自分のためだ。サリーが薄荷の飴をくれた。我慢できなければ、これでも齧れと。だが…」


 そう言いながら、キアは再びララの唇に唇を重ね口づける。


「これがあれば…それでいい」


 唇の上でそう囁かれるとララは再び顔が熱くなった。

 ララの顔を見つめながら、キアは静かに微笑むと再び唇を合わせ口づける。

 唇を合わせながら次第に溶け合うほど深く口づけられ、ララはお腹の下が疼くような気がした。

 キアは唇を離すと、熱の籠った瞳のままララの首筋に唇を押し当てた。

 音を立てながらララの首筋に口づけ、軽く肌を食まれると噛まれた時のことを思い出し、自然と身体がびくりと震えた。

 しかし、キアの唇はまるで肌の感触を味わう様に触れるだけだった。

 キアは口づけを続けながらコルセットの上からララの胸を撫で、鎖骨にそしてドレスから覗く胸の間に顔を埋めて口づける。

 胸にかかるキアの吐息の心地よさに、ララは自然と声が漏れそうになるのを堪える。

 キアの手はララのお腹を何度も撫でながら、疼くさらにその下に伸びて来るとララはさすがにはっとした。


「あの…キア、これ以上は…」


「うん…」


 そう言いながら、キアは荒い呼吸のままララの胸の間に顔を埋めていた。

 キアの柔らかな髪をララは静かに撫でた。


「あなたも…胸…好き?」


 キアが顔を上げ、目を見開いた。


「もって他に…。いや、いい」


 キアは察した様子で、目を細めると静かに息を吐いた。


「あいつは君にもそんなことを?」


「いや、ただ付き合っていた女性が大きいなというだけで」


「胸じゃない。目がいいって思った」


「それってサリーの…」


「違う」


 そう言いながら、キアはララの瞼に口づけた。


「僕をまっすぐに見つめる君の目が…綺麗だって思った」


「私のことだったのか」


 ララは思わず微笑んだ。


「あの頃から私のことを?」


「ああ」


 キアはララに額を擦り寄せた。


「これからはずっと一緒だ、ララ」


「もちろんだ、キア」


 キアの穏やかな笑顔に、ララも自然と笑顔を返した。

 こんなに満たされた日々が続くことを嬉しく思いながら。




 ララとキアの結婚式の日は、まさに結婚式日和の晴天だった。

 キアは直前まで領主や騎士団での仕事に追われていた。

 正午に予定されている結婚式のため、キア騎士団本部から直接教会へと馬で向かうとのことだったため、屋敷から馬車でサリーだけが向かった。

 結婚式の延期はしないことになった。

 それは、やはり爵位を受け継ぐものとして領民への示しというのかけじめというのか、そういうものらしい。

 しかし、キアはかなり入念な用意をしていた。

 結婚式の用意をしてくるテレサ裁縫店の店主達は、屋敷に前日に寝泊まりし、屋敷でララの準備をしてから教会へ向かう。

 さらに、教会に出入りする人間は、騎士達が荷物から何もかも調べ上げる。

 そう言う手筈だ。


「キア様、ほんとぬかりないですね」


 サリーは思わず呟いた。

 窓の外を眺めると、丁度今走る道の下に古い教会が見えてきた。

 入り口の門には二人の騎士がいる。

 一人は灰色の髪をしているのでアイザックだろう。

 教会の裏に『テレサ裁縫店』の文字が書かれた馬車が止まっていた。  

 エレノアが贔屓にしている王都の裁縫店らしく、花嫁衣裳を着たララを見たエレノアが仕上がりに大満足していた。

 男二人が大きな衣装箱を重たそうにしながら、なんとか積み終えると、御者席に座る女性が鞭を振るう。

 テレサとはとてもおしゃれな老女だと聞いていたが、そのテレサが乗っていないような気がした。

 というか、準備は屋敷で終えていたはず。

 どうして、ここに裁縫店の人が? 

 ふいに、サリーはそう思った。

 女性が声を掛けると、門にいたアイザックが馬車の中を確認し包囲を解いた。

 テレサ裁縫店の馬車は静かに走り去っていった。

 きっと最後の調整に来たのだろう。

 サリーはそう思った。

 サリーは入り口で馬車を降りると、騎士の制服に身を包んだエリックとミゼウルがいた。

 ミゼウルはいつものお団子ではなく髪は綺麗に結び、髭が消えていた。

 その思いがけず整った印象に変わった容姿に、サリーは思わず顔を顰めた。


「え?誰?」


「は?俺だよ」


「いくつでしたっけ、ミゼウルさん」


「三十八」


「てっきり五十くらいだと…」


「ちびっ!キアと同じことを!」


 ミゼウルが拳を振り上げるのを見て、サリーは慌てて教会へと逃げ込んだ。

 そこにはエレノアがいた。

 光沢のある淡い青のドレスに身を包み、金剛石を散りばめた髪飾りで髪を結い上げ、侯爵夫人の名に相応しい美しく品のある姿で立っていた。


「エレノア様、助けて!」


 エレノアを前に、ミゼウルは惚けたように立ち止まった。


「あら、サリーちゃん」


 エレノアは両手を広げサリーを優しく抱き留めようとしたが、その腕に飛び込む前にミゼウルから首根っこを掴まれる。


「やめろ。…羨ましい」


 エレノアは眉を顰めた。


「え?どなた?」


「は?俺だろ!」


「冗談ですわ、モジャウルさん」


 そう言いながら、エレノアは美しく微笑んだ。


「エレ、エレノア。きょ、今日は…」


 そうもごもご言いながら、ミゼウルはなぜか自分の頬をぺしと軽く打った。


「なんでもない」


「…今さら髭を剃るなんて、若い女の子に好かれたいのかしら」


「なーに言ってんだ、俺が狙ってんのは…」


 そう言って、ミゼウルは再び頬をぺしと打った。


「なんでもない。ララは?」


「…控えの間にいるわ」


「そうか」


 ミゼウルはサリーから手を離した。


「お、おお。先生早いな!」


 ミゼウルは落ち着かない様子で奥に行くと、祭壇の前にいるトルニスタに声をかけた。

 トルニスタも、今日はぴしりとした礼服を身に着けていた。


「お前が遅いんだろ。エレノアさんにデレデレしちゃって」


「うるせ」


 キアがエリックとともに、教会へと入って来た。

 キアはガーディアス騎士団の制服を身に着けていた。

 鮮やかな青い制服に、やはり何よりも白いズボンのすらりとした足の長さに目が向く。

 エリックがキアに申し訳なさそうに言った。


「私も呼んでいただけて光栄です。ミゼウルには、この際髪も切れといったのですが」


「あの男が言うことを聞くはずない」


「いつも髪を自分で短く切ってしまうララ様に、自分とお揃いにしようよってよく言っていたんです」


 エリックはキアに微笑み掛けた。


「あなたがいれば、あいつが髪を伸ばす必要はないのですが」


「ララはどんな髪でも似合う」


「キア様が惚気るなんて、さすがララ様」


 そう言って、エリックはエレノアの方を見た。


「お久しぶりです、エレノア様。…今日はいつも以上にお美しい」


「あら、ありがとう。エリックさん」


 エレノアはぴしりと整えられたエリックの頭と逆立ったキアの頭を見比べて言った。


「キア様、その髪今日くらいどうにかできませんでしたの?」


「僕の髪は何をしてもだめだ」


「そうそう、とんでもないくせ毛なんですよ」


 サリーもそのくせ毛の強さを思い出し頷く。


「さすが、侯爵夫人は厳しいですね」


 エリックは笑いながら、ふいにエレノアに言った。


「ミゼウルと何かありましたか?」


「え?どうしてかしら」


「最近あいつ珍しく元気がないもので。何もなければいいのです」


 そう言ってエリックが微笑むと、ミゼウルとトルニスタの所へ行ってしまった。


「ほんと…忌々しい」


 エレノアがぽつり言った。


「え?エレノア様なんて?」


「あら、なんでもないわ。…なんでもないの」


 そう言ってエレノアは、ミゼウルの後姿を見つめていた。

 教会の席には、すでにリヴィエラとマリエラ、クラリッサが座っていた。

 先日子猫に逃げられてしまったクラリッサは、マリエラが作った猫の人形を抱えていた。

 そこにレチリカが飛び込んで来た。


「間に合った!」


「ぎりぎりですよ、レチリカさん」


 レチリカは騎士の制服ではなく、礼服を身に着けていた。

 サリーの視線を読んだようにレチリカは胸を張る。


「なに?かっこいい?お兄ちゃん」


「うん、すんごいかっこいい」


 サリーは溜息を吐いた。


「ほんとにレチリカさんって何でも似合うよね。いいなーその背丈が僕にもあれば」


「サリーちゃんって、本当にかわいいよね」


「ありがとう!ちっとも嬉しくないけどね!」


「不思議だね、かっこいいなんて嫌だったけど…」


「あ、ごめん。また言っちゃった」


「ううん、サリーちゃんに言われるとなんか元気になる」


 そう言ってレチリカは静かにサリーに微笑んだ。


「な、なら、良かった」


 その可愛らしい笑顔に、サリーはぎこちなく笑顔を返した。

 レチリカがじっと自分を見つめて来るので、サリーは落ち着かなくなりエレノアの方を向いた。


「エレノア様、ララ様の準備って、もう出来てるんですよね」


「そうね、そろそろかしら」


 エレノアが控えの部屋の方を見る。


「え?でも…」


「待て」


 キアが口をはさんだ。


「準備は屋敷で終えるはすだ」


「そうだったのですけど、テレサの腰の調子が悪いみたいで。夜中に街の宿になんとか到着したそうです」


 エレノアはそう言って微笑んだ。


「テレサはまだ宿で休んでいるそうで。そのお弟子さんのアリッサちゃんと今日は人を雇ってドレスを運んでくれて。終わったら呼びに来るはずなんだけど」


「テレサ裁縫店の馬車なら、さっき帰ってましたけど…」


 サリーの言葉に、エレノアは大きく目を見開いた。


「…そんなはずないわ。ちょっと待っていて」


 エレノアは、控えの間へと向かった。

 キアとサリーとレチリカがそれに続くと、何かを察したのかミゼウルとエリック、トルニスタも後を追って来た。

 聖堂を出て、廊下を抜けるとひとつの部屋の前でエレノアは扉を叩く。


「ララ?アリッサちゃん?ちょっと開けてくださらない?」


 しかし扉から返答はない。

 エレノアが取っ手を握ったが鍵が掛けられていた。


「ちょっと、ララ!ララ!お願い、ここを開けて!」


 エレノアが慌てた様子で取っ手をがちゃがちゃと動かす。

 キアが扉に近付く。


「失礼する」


 そういうと、呼吸をするのと同じくらい自然に取っ手の横に拳を打ち込む。

 まるで焼き菓子を割るのと同じくらい容易く木の扉が割れ、そこから手を通してキアが扉の鍵を開け、手を引き抜く。

 横からそれを見ていたエレノアが怪訝そうな顔で、扉に軽く拳を当てる。


「…堅いわ」


「エレノア様、止めた方がいいですよ」


 キアに続き、サリーも部屋に入る。

 そこには美しい花嫁衣裳が掛けられた椅子と鏡台があるだけだった。

 床には割れたコップの欠片と血が点々と落ちている。

 サリーは言葉を失った。

 明らかに連れ去られた後だった。


「ララ…姉」


 レチリカが茫然と掠れた声を漏らす。

 ミゼウルがレチリカとサリーを押しのけ、部屋に入る。


「嘘だろ…」


 エレノアは青ざめたまま声も出せず後ずさると口元を覆った。

 キアは振り向かず、静かに言った。


「エリックさん、すぐに周辺の騎士に伝えてください。裁縫店の馬車を追えと」


「ですが、どの…」


「名前が書いてあります!出発したのは、ほんの少し前です。南の方へ向かいました!」


 サリーが口を挟むと、エリックが走り出した。

 トルニスタが、信じられない様子で首を振る。


「こんなこと…ララ」


「うそよ!」


 エレノアが叫んだ。


「うそよ、こんなの。いや、いや!いやああ!ララ!」


「エレノア!」


 ミゼウルがエレノアを抱き寄せた。

 泣き出したエレノアを力強く抱き締める。


「大丈夫だ!ララなら、大丈夫だから!俺が…俺達がきっと取り戻す!」


 まるで自分に言い聞かせるようにミゼウルは言った。


「先生、エレノアを」


「ああ」


 ミゼウルはトルニスタにエレノアを託すと、キアの背を叩く。


「ぼんやりしている暇はねぇ!俺達もいくぞ!」


「…海の匂いがする」


 キアがふいに言った。


「は?何言ってんだ」


 キアは足早に部屋を出ると、ミゼウルもサリーもそれを追った。

 キアは何事かとやって来た途中のリヴィエラ達を無視して入口へと向かった。


「海の方角。…あの屋敷の方向だ」


「お前、さっきから何を…」


「狙いは僕だ。…ララを人質に僕を殺すつもりだ」


「はあ?」


「カイデン家に集められた男達だ。…やはり僕を殺すために集められていた」


「一体…どうしてわかるんだ」


「潮の匂いがする」


「はあ?」


「あの部屋からだ」


「はああ?」


「信じなくていい。だが、僕は行く」


「信じるに決まってんだろうが!バケモノ野郎が!」


「あんたに言われたくない」


「あたしも行く!」


 レチリカがそう声を上げた。

 門にいたアイザックが、教会へと飛び込んで来た。


「キア様、待ってください!馬車の荷物はきちんと確認しました。衣装箱の中は、道具が入っているだけで、とても人など入れるような隙間はありませんでした」


「中を隅々まで確認を?」


 キアの言葉に、アイザックが目を見開き静かに伏せた。


「いえ…開けただけです」


「僕は遠くからみただけですが、かなり重たそうでした」


 思わずサリーが口を開くと、アイザックが深く息を吐きキアに頭を下げた。


「申し訳ありません、私が…」


「今はとにかく、馬車を追う。…二層式の箱か。かなり計画されている」


 キアはそういうと振り向き、なんとかみんなを追ってきた真っ青なエレノアとそれを支えるトルニスタの方を向く。


「エレノアと先生は屋敷へ。僕への伝言が入った時に騎士を使って連絡を」


「任せろ」


 トルニスタが答えると、エレノアが静かに頷いた。


「サリーは…」


「ぼ、僕はぼちぼち行きます。馬車でも捕まえて。…誰かに乗せてもらったら、馬の速さが遅れるだろうし」


 サリーは恥ずかしさで俯いた。

 こんなことなら、もっと乗馬の腕を磨いていれば良かった。


「サリー、あたしの馬で…」


「いいの、いいの。ありがとう」


 そう言って、こちらに伸ばされたレチリカの手を制する。


「ありがとう」


「サリー」


 そうキアの声が響くと、サリーは情けなくて顔も上げられなかった。


「君は、ゆっくり来るんだ」


 キアの言葉に、サリーは目を見開いた。


「君がいなくては、気が付けないことがたくさんあった。いつも君には助けられている」


 サリーは俯いたまま微笑んだ。


「ありがとうございます、キア様」


 三人が厩に走っていくのを見送りながら、なんとも情けない気持ちで、サリーは先ほどテレサの裁縫店の馬車が止まっていた裏口へと向かう。

 砂利の地面には足跡も残っていない。


「なんて堂々と…」

 

 あの重たそうな衣装箱。

 あの中にララがいたのだ。

 そして、御者席いた女性がアリッサだろう。

 しかし、どうして妙な男達に協力したのだろうか。


「どうしてあの時…」


 サリーは首を振った。

 変だと気が付いたとしても、あれだけ離れていてはどうしようもない。

 でも、もっと早く何かおかしいと言っていれば…。


「だめだ、今さら考えるな。」


 ふと、サリーは砂利の中に真珠の粒が落ちているのに気が付いた。

 それを拾い上げ、願うように握り締めた。


「ララ様お願いです。無事でいてください」


 サリーは歩いて教会の敷地から出ると、丁度通りかかった藁を乗せた荷馬車に手を振った。


「何じゃ坊主。どうした」


 麦わら帽子をかぶった老人が馬車を止めてくれた。


「あの、南の方へ行きたいんです。後ろに乗せてくれませんか」


「いいぞ。わしも丁度海の近くに行く予定じゃ」


「あ、ありがとうございます」


 荷馬車の後ろから足を出し、サリーは項垂れていた。

 ぽくぽくと規則正しい馬の足音が響く。

 だんだんと海の方へ向かっていくがひどくゆっくりだった。


「坊主、急ぎじゃないのか?」


「急いでます」


「馬飛ばしていけば、いいじゃねぇか」


「それが出来たら苦労しないんです。馬を取りに行っても、このくらいの速さじゃないと走れないし。…いいんです。僕がいても役立たずですから」


 あれからどのくらい時間がたっただろうか。

 キア達は馬車を見つけられただろうか。

 日が傾き始めていた。

 夜になればますます見つけにくくなるだろう。

 港から海に出てしまえば。

 その考えに、サリーはぞっとした。


「ばかばか、僕のばか。キア様ならきっと大丈夫」


 そう言って深く息を吐き再び俯いた。

 馬車は森の中へと入っていった。

 この先、この速さならあと一時間ほどもすればカイデン家の持つあの屋敷に到着する。

 キア達はとっくの昔に着いているだろう。

 ふいに地面に光るものが見えた。

 サリーははっとする。


「おじいさん!止めて!」


「はい?」


 サリーは馬車が止まるのを待たず、飛び降りた。

 そして数歩先へと戻り光る何かを拾った。

 それは真珠の粒だった。

 先ほど拾った真珠をポケットから取り出す。

 粒の大きさは同じくらいだった。


「まさか…ね」


 サリーは再び歩き出した。

 しかし、それ以上街道に真珠は見当たらない。


「おい、坊主。もういいのか」


「ちょっと…ちょっと待ってください」


 サリーは再び先ほど真珠を拾った場所へと戻る。

 そして、森の方を見つめる。

 そこには小道があった。

 人が歩いて通れる程度の道だ。

 その道を歩いて進み、少しして再び真珠を見つける。

 そして、そこに残された足跡を見てはっとする。


「やっぱり。…キア様なら。違う、ララ様とキア様なら!」


 サリーは興奮しながら走り出した。


「おじいさん!おじいさん!おじいいさん!」


「坊主、どうした。おかしくなったんか?」


「お金、お金、お金払うからお願い!騎士の誰か見つけて、キア・ティハル様をここまで連れて来てって伝えて!この森の道!別れ道にはリボン結んどくから!」


「わ、分かった。分かった」


 少し早めに馬車を走らせ出した老人を見送り、サリーは森の道を見た。

 ララは目を覚ましている。

 だから、自分が降ろされたのに気が付き、真珠を落とした。


「僕一人か…でも」


 サリーは決意した。

 この先に敵がいるとしても、明るいうちに真珠を辿らなくてはいけない。

 頬を両手で打ち付ける。


「大丈夫だ、サリヴァン。男になれ!」


 サリーは森の道へと踏み入った。

 どのくらい歩いただろう。

 思いがけず森の奥へ奥へと進んでいた。

 真珠を辿り、分かれ道にはハンカチを破った白いリボンを残した。

 リボン作りに初めて短剣を役立てた。

 夕刻になり、次第に夕闇さえも夜の暗闇が塗りつぶしていく。

 これほど夜が来るのが怖いと思ったことはない。

 外套は来ているが、気温が下がると寒さに震える。

 月明かりが唯一の便りだが、今日は雲が掛かり時折しか覗かない。

 しかし、幸いにも鞄の中にはキアのマッチが入っていた。

 キアが煙草を止められるように取り上げ、サリーの飴と交換したのだ。

 森の中でマッチを擦る。

 服を燃やしてもいいが、敵に見つかってはいけない。

 ふと、森の奥に人の陰が見え慌ててマッチを消す。

 陰の人物はこちらを見ていた。

 見張りか。

 そう思った瞬間男の気配が消えた。

 なぜかは分からない。


 え?

 どこへ…。


 そう思った瞬間、肩を叩かれる。


「にゃああっ!」


 そう叫ぶ口を堅い掌に抑えられる。


「俺だよ、俺」


 そう空気の読めない男の声が響く。


「にゃあって、乙女だね。サリーちゃん」


 そうレチリカの声も響く。

 恥ずかし過ぎる!


「ありがとうサリー」


 なぜか前からキアの声が聞こえる。

 ミゼウルが外套の下から、隠していたランプを取り出すとあたりが明るくなる。

 暗闇から一人の男を引きずったキアが現れた。

 その姿にサリーは泣きたくなる。


「キアさま!」


「サリーのお陰だ。…ここで当たりだ」


 キアは一人の黒い服の男を引きずって来た。


「いえ、ララ様のお陰です。もう目を覚まして真珠を落としていて。それを僕がたどって…」


「それに気が付いた君がすごいんだ」


「キアさまぁありがとうございますぅ」


 サリーは泣き出したいのを堪えた。

 エリックの声が後ろから聞こえた。


「あの海沿いの屋敷に馬車は止められていました。屋敷の中に、テレサさんとアリッサさんが囚われていました。見張りはいなかったので、用済みということでしょう。アリッサさんは、テレサさんを人質にされてどうしようもなかったと泣いていました」


 サリーは愕然とした。


「なんてことを。最低です、最低」


「この奥に館がある。そこに男達が集まっている」


「キア様もう奥まで?」


「ああ。人の気配を探って進んでいたらサリーを追い越していたようだ」


「やっぱり凄いです、キア様」


「いやいや、おかしいだろ。勝手にずんずん行きやがって」


 ミゼウルが呆れたように言うとキアが言った。


「慣れているだけだ」


「慣れてるで済ませるお前がおかしいわ」


「あんたの顔の方がおかしい」


「色男だからってばかにすんな!」


「声がでかいよ。ねえ、誰なのこの人達」


 レチリカの声が響く。


「王国騎士団ですよ、元。靴跡で分かりました」


 サリーは言った。

 そう言って倒れた男の靴底を覗く。


「制服は来ていないけど、これ騎士団に支給される靴です。爪が甘いですね。ご丁寧に名前書いてる金属入っているんですよ。この人の名前は、サム・リーデン。この金属音響かせて騎士だぞって誇張するんです」


 サリーはキアを見上げた。


「キア様、これ引っぺがしてましたもんね」


「足跡を響かせて歩くのは嫌なんだ。…そういう風に育った」


「すごいですねサリー君」


 エリックが言った。


「あ、靴屋の息子なんで」


 サリーは照れて頭を掻いた。


「これは、嘗ての王国騎士団のようですね。ララ様の予測は当たったようです。まったく。王国騎士団がこのようでは…おっと、失礼しました。キア様」


「構いません。王国騎士団も変わりました。兄さんとギルバート様のお陰で。元騎士団…赤毛。ララの話では、僕とは違うもっと人参のような赤と…」


 キアははっとしたように口を閉じた。


「どうしたんですか、キア様」


 サリーの言葉に、キアはうんざりしたような溜息を吐いた。


「いやな奴を思い出した。…まさか、あいつなのか?」


「ひとりでなにぼそぼそ言ってんだよ、キア」


 そうミゼウルが口を挟む。


「で、何人いるんだ」


「およそ五十」


「まじかよ。こっちは十か、エリック」


「慌ててサリー君を追ってきたからな。応援を要請しているが。夜になってしまったので、どのくらいで到着するか」


「待っていられない」


 キアが言った。


「このままいく。ララに手を出したからには…全員殺す」


 その殺気を帯びた声色に、サリーは思わず鳥肌がたった。


「それじゃ足らないぜ、キア」


 ミゼウルが言った。


「脳みそと内臓ぶちまけてやる」


「レチ、よごれるのやだなあ」


「あの、捕らえる方向でお願いします。残党がいるかもしれないので、取り調べて再犯防止に」


 ここに冷静なエリックがいてくれて、サリーはほっとした。

 森を抜けると、月明かりの下に二階建ての館が浮かび上がった。


「ああ、親父の持ち物の館かもな」


 ミゼウルが言ったので、サリーは思わず口を出す。


「こんな森の中で、なんのための館ですか」


「あれだよ、あれ…色々」


 サリーの質問の答えをミゼウルが濁す。


「では、僕が偵察に向かう。それから…」


 キアが作戦を伝えようとしたが、ふいに屋敷内から声が聞こえ出した。

 その声から何かが起こっているのが分かる。

 キアは早口で言った。


「ララが動いたようだ。…レチリカ、二階へ上がれるか」


「うん」


 キアの言葉に、なんということなくレチリカが答える。


「では四人で二階を。エリックさんは三人で裏から」


「分かりました」


「俺は?」


「あんたは中庭から」


「お前は?」


「玄関から」


「俺…一番危なくない?」


「あんたが暴れると動きにくい」


「ララティナ様を盾にされた場合はどうしますか?」


 エリックの問いに、キアは静かに答える。


「盾にしている男を殺す」


 その答えにエリックは肩を縮める。


「僕、キア様の後ろからぼちぼち付いてきてもいいですか」


「ああ。気を付けろ」


「えー!サリーちゃんは、レチが守ってあげるのに」


 レチリカがサリーの腕をとる。


「いや。僕階段ないと二階へ上がれないから」


「ちぇっ」


「では、いくぞ」


 キアが歩き始めると、騎士達が続く。

 キアの後ろからサリーはおずおずと続いた。

 レチリカが木を伝い見事に二階のテラスに到着すると縄を投げる。

 キアは音もなく見張りの一人に近付くとその首を打ち、あっという間に倒した。

 それから、普通に玄関に向かい呼び鈴を鳴らす。


 え?呼び鈴?

 なんで?


 足音が響き渡ると玄関に人が集まる気配がした。

 呼び鈴を鳴らして、わざと人を集めたのだろう。


 一番危ないところについて来てしまったかも。


 サリーはいまさらながら後悔した。


「誰だ!」


 そう警戒する声が響く。

 キアは答えない。

 扉がこちらを探るように、ゆっくりと開かれる。

 その瞬間、キアが思い切り扉を開くと取っ手に引きずられるように男が飛び出してくる。

 キアが再び扉を思い切り閉めると、男は勢いよく扉に挟まれ、ずるずると倒れ込んだ。

 キアはそれを踏み越え玄関を開く。


「貴様!バケモ…」


 そう構えた男の膝をキアが踏み抜く。

 膝が変な方向へ曲がり、男が悲鳴を上げる。

 それからは怒声を上げ、剣を構える男達に向かってキアはただ進んでいった。

 剣にやられるすれすれを避け、相手に一撃入れる。

 それだけで十分だった。

 たった一撃の急所で、男達は立ち上がれなくなっていく。

 あのエドバルの時と同じだ。

 首に腹、哀れに股をやられ、ダガーに腕や足を刺され倒れていく。

 サリーはおずおずとその後ろへ続いた。

 立ち上がりそうな男に目潰しを投げながら。

 一番広い居間まで玄関に押し寄せた男達が押し出され集まっていた。


「バ、バケモノ。貴様…」


 すでに及び腰の男達が多い。


「死にたい奴は…来い」


 キアがそう口にすると、心臓を掴まれたようなぞっとする感覚に心を支配される。

 サリーにも分かる。

 凄まじい殺気だ。

 まさに肉食獣を目の前にしている…そんな気になる。

 自分の動きしだいで、一瞬にして爪でばらばらに切り裂かれる。

 そう思うと動けな…。

 瞬間、中庭の大きな窓から人間が放り込まれた。

 ミゼウルが丸太を背負い、窓から入ってくると男達が逃げ惑う。


「よっと」


 軽くその丸太を振り回すだけで、四,五人は巻き込まれて倒れていく。


「おい、逃げんな。当たんねぇだろうが」


 丸太を?

 人間一人で抱える?

 世の中、バケモノばかりなのかもしれない。

 家具もお構いなく壊していく光景にサリーは茫然とした。


「そんなものどこで拾ってきた」


 キアが平然と話しかける。


「庭にあった。薪にするようだろう?」


 それにミゼウルが飄々と答えた。

 その時、正面の扉が開かれキアがダガーを引き抜いたのが分かった。


「貴様らそこを動くな!」


 そう澄んだ声が響き渡った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ