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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
13/17

十二.


「ララ」


 そう呼ばれて、ララは振り向いた。

 シロツメクサの咲く花畑で、ルルリナが美しく微笑んでいた。

 手には花の冠を手にしている。


「こっちにおいで、ララ。私のお姫様」



 ララは目を覚ました。

 そこは、ベッドの上だった。

 その傍らの椅子座っているのは、トルニスタだった。


「先生」


「おっと、ララ」


 トルニスタはそう言って立ち上がった。


「目を覚ましたか」


「え?私は一体…」


「この――ばか野郎っ!」


 トルニスタが静かに拳を振り上げたのでララは身構えたが、昔のような拳はふってこず、こつりと額を小突かれた。


「お前は部屋に立てこもった後バルコニーで倒れてたんだよ。覚えてるか?」


「…うっすらと程度」


「まったく。キア君が家に飛び込んで来たんだぞ。真っ青に…いや、灰色になってた」


「キアが…」


「…薬飲めるか?」


 ララはゆっくりと身体を起こした。

 いつの間にか寝間着に着替え、髪も乾き綺麗に編まれていた。

 右の額が引きつり、怪我をしていたことを思い出す。

 手を触れると止血布が貼られている。


「怪我を隠すな」


「舐めとけば良い程度の傷です」


「お前なぁ…」


「確かに少し怠いかもしれません」


「お前、あの怪我の時のせいで熱に慣れてしまったからな」


 トルニスタはゆっくりとララの額に手を当てる。


「また泣いていたのか。こんなに目を腫らして…」


「え?」


 トルニスタが目元に手をやると、その冷たさを心地よく感じた。

 ララは、気恥ずかしくなりながらも答えた。


「キアの前で泣きました…」


「お前が?」


「子どもの癇癪みたいに、泣き叫んでしまいました。…恥ずかしい」


「そんなことない。俺はずっとお前が一人で泣いていたのを知っている。あの怪我の時、診察に来るたび目を腫らしていたからな」


「嘘!」


「嘘言ってどうする。ミゼウルも心配していた。お前があいつの前でも泣かなくなったから…」


「叔父上が?」


「ねしょんべん垂れるたびに大泣きしていた頃が懐かしいってな」


「な、なんでそんな恥ずかしいことを!」


「泣ける相手が見つかったのは良かった」


 一方的に感情をぶつけただけなのだが。

 詳しくは話したくなくて、ララは口を噤んだ。

 トルニスタは、今度は首を挟むように両手を沿える。


「今何時くらいですか」


「夜の七時だ。俺が呼ばれてから三時間くらいか」


「そんなに眠っていたのですか」


「喉は腫れていないようだ。寒い中雨に濡れてうろうろしていたんだろう?そりゃ風邪引くだろうな。ほら」


 トルニスタは、ララに薬湯を渡す。

 ララはそれを飲み干した。


「キア君に入ってもらっていいだろう」


 ララは思わず目を見開いた。


「だめです!」


「なんでだ」


「だめなものはだめです」


「頼むよ。エレノアさんがお前の許可がないとだめだっていうから。かなり動揺していた。安心させてくれよ。旦那だろう?」


 ララは口を噤み、なるべくなんでもないことのように言った。


「婚約は解消しました」


「はあ?」


「あの人はマリエラと結婚します」


「…そんなまさか…ちょっと確認してきていいか」


「確認も何も……真実です」


 トルニスタは、ゆっくりと立ち上がった。

 扉から外へ出て、廊下に声を掛ける。


「え、ちょっと待ってくれ。キア君」


 トルニスタが外へ出ると、エレノアとアロアが部屋に飛び込んでくる。

 エレノアが声を上げた。


「ララったら心配したのよ!」


 アロアが素早く扉に鍵を掛けたのが分かった。


「鍵を開けて正解でした。ララ様」


 エレノアがぎゅっと手を握った。


「まだ熱いわね。…ララ!ひとりで出て行こうとするなんてあんまりよ!しかも、三階からなんて!」


 そう言って、エレノアはララの両頬を優しく抓った。


「すみません、エレノア」


「出て行くなら、わたくしも一緒に行くのに!」


 拗ねたように頬を膨らますエレノアに、ララは思わず微笑んだ。


「ありがとうございます」


 アロアが横からララの顔を覗き込む。


「目を覚まされてほっとしました。何か食べられますか?」


「食欲はまだない。ありがとう、アロア」


「果物ならどうですか。リンゴをすりおろしましょうか」


「それなら食べられそうだ。ありがとう」


「いいえ」


 そう言って、アロアは机に置いた果物籠からを取りリンゴを剝き始めた。

 ララが目覚めていつでも食べられるように持って来てくれたのだろう。


「キア様にはわたくしから説教しておいたわ」


 ララは思わず微笑む。


「聞こえていました」


「リアンが教えてくれたの。ララのことをキア様が激怒していると。それを止めて、先にララの身体を温める様に言って欲しいって」


「リアンが…」


「キア様最低よね。…でも、すごく心配していたそうよ。あなたが出て行ったってリアンから聞いて慌てて出て行ったって。わたくしも正門の方へ探しに行っていたの」


「そう…なんですね」


「ララ、どうして黙ってひとりで外へ?あなたらしくないわ」


「それは…」


 ララは口を閉じた。

 口にしたくもなかった。

 でも、エレノアには自分勝手な行動をした理由を知っていて欲しいと思った。


「二人が…キアとマリエラがその…抱き合っているのを見てしまって」


「まあやだ」


 エレノアは両手で口を押えた。


「キアは、私ではなくマリエラを選んだんです」

 

「待って。違うわ、ララ。…マリエラはわたくしとお姉様のところに泣きながら来たの。キア様に告白を断られたって言ってたわ」


「そう…なんですか」


 ララは驚いた。

 じゃあ、クラリッサの言葉はただあの子の希望だったのだろうか。

 

「マリエラは、ずっと好きな人がいるんですって。でも、キア様みたいにクラリッサに優しくて、一緒にいてこんなに安らぐような優しい人は初めてで好きになってしまったって。でも…キア様には、きっぱり断られたそうよ。きっと、あなたのためよ」


 ララは目を伏せていた。

 でも、結婚など無理だとキアが言ったのは本当のことだ。

 エレノアが優しくララの頬に触れる。


「ララ、傷付いたわね。あなたの泣く声、初めて聞いたわ」


「あれは…昔のことを思い出して動揺してしまって」


「昔のこと?」


「母…のことを」


「まあ…」


 ララは聞いてもよいものかと困った表情のエレノアに微笑みかけ、言葉を選んで話し始めた。


「私、母とあまり良い思い出がなくて。父がいなくなってからは、特に。…だから、私が騎士になれば母はまた私の方を向いてくれる。そう思っていました。でも、母が私の方を向くことはなくて…次第に、母を憎むようになっていました。男に…父に縋り、ただ愛を乞うような…そんな女に自分はならないと、母を貶めて満足していたんです」


 ララは再び涙が浮いてくるのが分かった。

 エレノアが優しくララの手を握る。


「でも、キアに縋りたかった。私だけを好きになってと叫んでしまいたかった。こんな形で、母の気持ちを知るとは。…でも、こんな傷だらけで女のなりそこないの私が必要とされるわけなんてない」


 ララは俯いた。


「ヴィンセントのふりをしたのだって、自己満足です。私にしかできない、私が必要だって言って欲しかった。ヴィンセントじゃなくて、私が必要だって」


 涙がぽろぽろと毛布の上に落ちていった。


「ヴィンセントのことが、ずっと羨ましかった。私が、身体が弱ければ良かった、私が本当に男であれば良かったってずっと思っていました。守るなんて言っていたくせに。あの子は…きっとそれが分かっていた。だから、自分が生き続けることを望まなかった」


 エレノアは何も答えず、ただララの手を握った。


「こんな私は、キアに相応しくないんです。自分を守るために嘘ばかり重ねて、自分勝手で醜い私が必要とされるわけ……ないんです。彼に相応しいのはマリエラのような女性です。純粋で、可愛らしく、優しくて…」


 ララは、涙が流れるのを止められなかった。


「いつも笑顔で、穏やかで…」


「そうね。従順で、とっても甘えるのが上手」


「はい」


「そして、狡猾で強かで…あざといわよねぇ」


 エレノアの言葉にララは目を見開き、顔を上げた。

 エレノアはにっこりと美しく微笑んだ。


「その上とっても自分勝手。だってそうでしょ?あなたの婚約者のキア様に告白だなんて。自分の幸せを優先させたのよ」


「それは…」


「あの子、絶対男に慣れているわ」


 思いがけない言葉に、ララは涙が止まった。


「だって、そうでしょう?キア様って、良くも悪くも初対面で圧倒される類の人だわ。それを、瞳を覗いて微笑むだなんて…お母様に気を引けと言われたからと言って仕方なく出来るわけないじゃない。田舎で育った生娘にそんな高等技術」


「ひ、一目惚れというものでは?」


「はんっ!そんなもの」


 冷めた声でエレノアは言った。


「あの子は、短い社界交時代に絶対何かあったのよ」


 ララはふと思う。大病というのはもしかして。

 だが、予想に過ぎないと頭を振る。


「わたくしの目は誤魔化せないわ。キア様が騙されなかったのは、さすがよね。王都はそんな女性達であふれているもの」


 ララは思わず微笑んだ。


「エレノアは、すごいですね」


「当然よ。侯爵家の女ですもの」


 そう言って、エレノアは可愛らしく笑った。


「がっかりした?わたくしがこんな口が悪いなんて」


「いえ。…楽しいです」


 そう言って、ララとエレノアは微笑みあった。


「あなた、やはりヴィンセントのふりをして戦場に行ったのね」


 ララは思わず話してしまったことを思い出し、口を閉じた。


「そうよね、あの病弱なヴィンセントがキュノス兵を追いやるような騎士になるなんて、信じられなかったもの。あんな時期にララのふりをした女性を社交に…なんて。本当にお父様は愚かだわ。でも、それに逆らえなかったわたくしも愚かね。あなたを助けてあげられたかもしれないのに」


「そんなことありません。エレノアにはいつも感謝しています。…私、あの時のことを後悔はしていません。実は、王国騎士団に入らないかとまで言われたのです」


「本当?」


 エレノアが目を丸くするので、ララは微笑んだ。


「あそこでキアを救えたことを、私は一生忘れません。そして、この傷のためだとしても彼は私を探しに来てくれた。だから、騎士として生きて来たこと、戦場へ行ったことを後悔はしていません」


「そう。それなら、それが一番だわ」


 エレノアは、再びララの手を強く握った。


「ララ、わたくしは思うのよ。あなたは、騎士でも、男でも、女でも…もちろん、女のなりそこないでもないの。誰?そんなひどいこと言ったの。もしかしてモジャ…」


「叔父上ではありません。あの人、口は悪いですがそこまでは…」


「そう、ならいいわ。ララ…あなたはね、ララティナなの。ララは誰にもならなくていいのよ」


「誰にも?」


「そう。あなたは、あなたが一番好きな自分でいればいいの。それが一番よ。…でも、わたくしがそう思えるようになったのは、最近のこと。もちろん、誰かに愛されていると感じることは、とても幸せで自信になるけれど…それは永遠ではないの。それが壊れてしまった時、信じられるのは自分だけ。自分を一番大切にできるのは、自分なのだわ」


 エレノアはどこか遠い目でそう言った。


「醜いって自分を認められるのは、あなたの強さだわ。いつか、醜い自分も自分だって思える日が来る。それでいいのだって思える日が」


 エレノアは静かに微笑んだ。


「今のララが、わたくしは大好き。とっても憧れるわ。だってこんなに綺麗で強い女の子、どこにもいないもの」


「お、女の子ではないです」


 ララは恥ずかしくて目を伏せた。


「こうしてあなたの気持ちを聞けてすごく嬉しいの。あなたって我慢強すぎるから、時々心配になるの。…こうして泣いたっていいの。悪口も時々ならね」


 そう言って、エレノアはララに微笑んだ。


「エレノアには、叔父上がいますよ」


 エレノアは一瞬、すっとした無表情になったのでララは笑った。


「もちろん、私も」


「やだ、あなただけで十分よ」


 そう言って、エレノアは再び微笑んだ。


「ねえ…キア様と話しをしてくれる?」


 ララは、思わず目を見開いた。


「本当にすごく心配していたの。部屋を開けたらあなたがバルコニーで倒れていて…みんなで慌てていたら、落ち着いてベッドに運んでくれたわ。熱で意識のないあなたの名前を何度も呼んで、反応がないから、すぐにトルニスタ先生を呼びに行ってくれたの。…なんだか泣き出してしまいそうな顔をしていたわ」


「キアが?」


「ええ。それくらい、あなたを心配していたの」


「そうですか」


「大人の男の人が泣くところなんて、わたくし見たことなくて驚いたわ」


 その言葉に、ララはふと笑みを浮かべた。

 エレノアが顔を覗き込んでいる。


「どうしたの?何?」


「昔、叔父上に怒られたことを思い出して」


「モジャウルさんに?」


「私が悪かったのです。日が暮れるまでに家に帰るっていう叔父上との約束を破って、兎を追って森の奥まで行ってしまって。…どうしても叔父上に喜んで欲しかったんです。でも、やっと兎を捕まえて戻っている間に、夜になってしまって。帰るなり今日のキアみたいに怒鳴られて。私、叔父上が怖くて森へ逃げたんです」


 ララが口を押さえて肩を震わせると、エレノアが静かにその肩を抱いた。


「まあ、女の子を怒鳴るなんて最低ね」


「ふふ、違うんです。はははっ!」


 ララが笑い出すと、エレノアが怪訝そうな顔でララを見つめた。


「木の上に隠れていたら、追って来た叔父上が私の名を呼んで泣き出して。あははは、あの時の叔父上と言ったら!」


「モ、モジャウルさんが—泣いたの?」


「あの巨体で声を出してびゃーびゃー泣いて。ごめんね、ごめんね、叔父さんが悪かったよぉって情けない声で。私が木から下りてきたら、私を抱き締めて鼻水垂らしながらわんわん泣いて。気が付いたら私も泣いていて」


 エレノアが笑みを浮かべてララを見つめる。

 ララは笑い過ぎて零れて来た涙を拭いた。


「私…あの人を困らせるようなことはしないと決めたんです。でも、あれ以来叔父上は絶対怒鳴るようなことはしなくなりました」


「そう。そんなことが…」


「でも…そうですね。キアが怒ったのは、きっとあの時の叔父上のように私を心配してくれたからなのでしょうね。やはり、何の相談なく外へ飛び出した私が悪かったんです」


 アロアが涙を拭いながら、すりおろしたリンゴを小皿に入れて持って来てくれた。


「さ、どうぞ。ララ様」


「アロア、泣いていたのか?」


「いえいえ。なんでもないんです」


「…ありがとう」


 小匙で口にすると、染み込むような甘さにほっとする。

 しかし、あまり多くはまだ身体が受け付けず、なんとか流し込むと、アロアが慌てた様に言った。


「無理はしなくていいのですよ」


「いや、ありがとう。アロア」


 空になった小皿をアロアに渡し、エレノアに言った。


「今日は疲れたので、また明日とキアに伝えてください。勝手なことをして私が悪かったと。今後のことは、明日話し合おうと」


「分かったわ」


 ララは再びベッドに横になると、エレノアがそっと手を握る。


「ゆっくり休んで。ララ」


 エレノアに向かって、ララは微笑んだ。


「…こんな風に看病するのは久しぶりですね」


 そう言って、ベッドの反対側からアロアが氷で冷やした布をララの額に当てる。


「あなたが後悔しないと言ってくださって、私はほっとしています。…あなたを助けない私達をあなたが恨めしく思っているのではと」


 ララは驚いた。

 きっと昔のことを言っているのだろう。

 ララはアロアに微笑み掛けた。


「そんなわけない。いつも感謝している」


 アロアは静かに微笑んだ。


「あなたは優しいので」


 そう言って、アロアはそれ以上何も言わなかった。


「ありがとう」


 ララはそう伝えると静かに目を閉じた。

 再びすぐに深い眠りに落ちて行った。




 サリーは午後から言い渡された用事を終え、屋敷へ戻れたのは夜の七時頃だった。

 リアンからララが熱を出したため、キアはララの部屋の前にいると聞かされ、サリーはそこへ向かった。

 キアは項垂れるように、廊下に置かれた椅子に座っていた。

 手にはなぜかララティナに贈ったはずの髪飾りを握っていた。


「キア様、今戻りました」


「ご苦労だった。ありがとう」


 キアはひどく疲れた顔をしてそう言うと、髪飾りをポケットに入れた。

 いつもどんなに疲れていても、これほど表情が暗いことはない。


「何があったんですか?どうして廊下に?なんか燃え尽きた人みたいになってますけど」


 キアは答えなかった。

 サリーも黙ってキアの隣の壁にもたれた。


「抱き合ってるのを見られたんですか?」


 キアが顔を上げ、目を見開いていたが睨むように目を細める。


「抱き合ってない。…なぜそんなことを言う」


「いや、キア様の部屋の方からララ様が来るのを見かけたんです。その髪飾りをしていたから、キア様喜んでましたかって聞いたら、ああって言っていたけれど、なんか暗くて」


「だからあんなことを…」


 キアは静かに頭を抱えた。

 さらに落ち込ませてしまったようだった。


「それで、覗きに行ったら…なんか、キア様からはがされたマリエラ様と修羅場っぽい感じで。あたしとは本気じゃなかったの的な」


「知らせろ、僕に」


「だって、邪魔するわけに行かないじゃないですか。そっとしておいて、出掛けました。だめですよ。浮気するなら扉は締めないと」


「うわき」


 忌々し気にキアは言って顔を上げた。


「違う。あれは、雷が怖いとか言って突然僕の胸に」


「胸に…飛び込んで来たんですね。そりゃ堪らんですね」


「違う。僕は一切触れてない」


「それでどうしたんですか?」


「そしたら、好きだのなんだのと言い始めて」


「なんだのって、キア様最低。乙女の告白を」


「従姉妹の婚約者にそんなことを言い出す方が最低だ。だから、僕は思わず…」


「思わず?」


「母親から逃げるのに僕を利用するなって」


「へ?」


「明らかにそうだろう」


「そ、そうですか?」


「母親の顔色をいつもうかがっている」


「気が付かなかった。気を遣っているとは思っていましたけど」


「そしたら…泣き出した」


 うんざりと言った様子でキアが言った。


「その間にララは、一人でクラリッサを探しに行った」


「え?いなくなったんですか?見つかって良かったですね!帰り道もわかんないくせに、どこそこ行きたがって…僕の妹も一度いなくなって大変で」


 キアの表情が一段と暗くなるのが分かった。


「それで、どうしたんですか」


「ララは森で、不審者に襲われた」


「ええ!」


「僕は…気持ちが抑えられなくて」


 キアは再び項垂れる。


「抑えられなくて?」


「…泣かした」


 ぶっと思わずサリーは吹き出す。


「笑えない」


「すみません、だってあなたが女性を泣かすなんて。それも日に二人も」


 ぶふふと笑いが漏れるとキアが吐息を漏らしながら言った。


「笑えない」


 キアが本当に落ち込んでいるのが分かり、サリーは笑いを治めた。


「す、すみません。それで、どうしたんですか?」


「ララは様子がおかしかった。部屋に籠って出て来なくて」


「ララ様人前で泣くの嫌いそうですもんね」


「リアンに扉を開けもらったら、バルコニーで倒れていた」


「そんな!」


「高熱が出ていて。すぐに先生を呼んで…エレノアに追い出された」


 キアは両手で疲れ切ったように目を覆った。


「僕は…僕が様子がおかしいと気が付くべきだったのに。具合の悪いララに気が付かず、怒鳴り散らした。…最低だ」


 悲しそうなキアを見つめながら、サリーは励ます言葉を探したが、見つけることは出来なかった。

 その時、果物籠を抱いたエレノアと氷の入った手洗を手にしたアロアが部屋の前までやって来た。

 二人ともキアにやや冷たい視線を送っているのが分かる。

 エレノアはサリーをみてぱっと笑顔になった。


「あら、サリーちゃんお帰りなさい。お疲れ様」


「ただいま戻りました」


 キアはすっと立ち上がった。


「あの。」


「ララの許可がなくてはだめです。何度も言ったでしょう?」


 エレノアがぴしゃりと言う。


「まだ何も言っていない」


「だめなものは、だめです。もう、反省してください。キア様」


 その時、ララの部屋の扉が開いた。

 顔を出したのは、トルニスタだった。


「おい、キア君。マリエラと結婚するって、本当か?」


「…ララが目を覚ましたんですか」


 キアは、扉の前に駆け寄ろうとした。


「え、ちょっと待ってくれ。キア君」


 トルニスタが出てくるとその背後から、エレノアとアロアがそそくさと扉の中に入り、キアの目の前で扉が閉じられると鍵を閉める音が残酷に響く。


「ちょっと、俺まで締め出されたじゃないか。怖いなぁ、あいつら。まあ、ただの風邪だ。キア君、安心していい」


 そう言って、トルニスタはキアの背中を叩いた。


「ありがとうございます、先生」


 キアはそういうと、壁にもたれ再び俯いた。


「で?」


 トルニスタは覗き込むように、キアを見た。


「ある程度話は聞いたが、なんでマリエラと結婚することになった」


「しません。ララが誤解をしている」


「それだけじゃなさそうだったが。キア君、何か言ったのか」


 トルニスタがキアを見つめる。

 キアは唇を引き結んだ。


「結婚など…無理だと言いました」


「あらま。それだな」


 トルニスタが飄々と答える。

 サリーは驚いた。


「ど、ど、どうしてそんなこと言っちゃったんですか?」


「分からない。ただ、腹が立って」


「あなたじゃなきゃだめって言って欲しかったんだろ」


 意地悪そうに響くトルニスタの言葉に、キアは顔を上げる。


「そうだろう?縋って欲しかったんだろ?」


「だって、いつも僕ばかりが…」


 キアはいじけた子どものように言った。


「今日だって森に一人で」


「それは、あんな衝撃的な場面みちゃったからですよ」


「知るはずがない」


「衝撃的?なんだ、口づけでもしていたのか?」


「するわけがない」


「まあ、すり寄って来た…が正解ですか?でも、怒るなんて騎士として最低ですよ。怯える女性はやっぱりこう…抱き締めて無事でよかったなって…」


「そんなの無理だろ」


 トルニスタはさらりと言ったので、サリーは口を尖らせた。


「そんなことないですもん」


「危ないことにひとりで首を突っ込んで、無事でよかったなんて簡単に言えるわけがないだろう。それが、大切な奴だったらなおさらだ。…だが、まずは自分が心配していたことをしっかり伝えるべきだろうな。そしたら、ララの誤解も解けただろう。…婚約破棄はやりすぎたな」


 キアがトルニスタを睨むと、トルニスタは意地の悪い笑みを浮かべた。


「自分が言ったことだろう。大人になれ、キア君」


 キアが唇を噛む。


「次から気を付ければいい。ララを泣かせたら、自分が倍落ち込むって。しかし、あいつも一丁前に嫉妬なんてするようになったのか」


 しみじみとトルニスタが言った。


「時間を置いたらどうだ、キア君。落ち着いてから話せばいい。どうせ、あいつはこの家を守るために結婚を選ぶだろうさ」


「…僕が伯爵になったと知られました」


「ええっ?」


 サリーは驚いて声を上げた。

 トルニスタも驚いた表情を見せる。


「伯爵!こりゃもうキア様だな。ということは、ここはもうあんたの領地なのか。なるほど。じゃあ、ララとはお別れだ」


 キアは顔をあげ、睨むようにトルニスタを見る。


「なんだ、だから隠していたんだろう?そうでもしないと、あいつが結婚を了承しないと思っていたんだろう」


 サリーは頷いた。


「確かに、ララ様は伯爵だからって飛びついてくるような人じゃないですものね」


「そんな卑怯な手を使うなんて。…キア君も拗らせているな」


「僕は…僕はただ…」


 ふいに扉の向こうから、ララの笑い声が響いた。

 あの楽しそうな笑い方だ。


「元気そうですね、ララ様」


「何を笑っているんだ、あいつ。まだ熱が高いからちょっとおかしくなっているのか?」


 トルニスタは呆れたような声を出したが、キアは少し安心した様子で息を吐いた。


「で、どうする。ララを逃がすつもりか」


 キアは黙ったまま首を振った。


「お?なんだ、なんだ?なんで追い出されてんだ、お前ら」


 そう言って、空気の読めない男の声が響く。

 廊下からミゼウルが歩いて来た。


「あ、僕らは違いますよ。追い出されているのは、キア様だけです」


 思わずサリーがそう答えると、キアから睨まれ目を反らす。


「こんばんは、キア様、サリーちゃん。先生、ララ姉熱でたって本当なの?」


 ミゼウルの後ろからレチリカが顔を出し、心配そうにトルニスタに駆け寄る。


「風邪だろう。中に入れてもらって会って来い」


 レチリカが扉を叩き中に声を掛けるとアロアが扉を開け中に入っていった。

 すんなりと入っていく姿を恨めしそうにキアは見ていた。


「じゃあ、俺も」


 そう言ってミゼウルが部屋の前に向かうと、扉からエレノアが出て来た。


「あら、モジャウルさん。ララならもう寝たわ」


「そうか。飯は食べれたか?あいつの好きなナシを買って来たが」


 ミゼウルが差し出した籠をエレノアは受け取った。


「食欲はないみたい。悪いけれどキア様、今日は会えないわ」


 キアは小さく息を吐いた。


「ごめんなさいって伝えてって」


 キアの表情が凍り、沈んだ声で言った。


「それは…何に対する謝罪ですか」


「え?…分かるでしょう?」


 長い沈黙が流れる。

 サリーはいてもたってもいられず口を出す。


「ま、まさか結婚しません、ごめんなさいじゃないですよね」


 エレノアは静かに微笑む。


「あんなに泣かせたのだもの。…当然よね」


「何!あいつが泣いたのか!何したんだよ、キア!」


 ミゼウルが驚きキアを見る。


「本当に残念ね、キア様」


 キアが息を止めるのが分かった。


「心配かけてごめんなさいのごめんなさいでした」


 そう言って、エレノアは可愛らしく舌を出す。

 キアが心底深く息を吐き出す。


「おい、エレノア。あんまりキアをいじめるな。本当に意地が悪いな」


「失礼ね、モジャウルさん。少しくらい意地悪したっていいでしょ?あの子が今日どれだけ嬉しそうに髪飾りを着けてキア様に会いに行ったと思うの?それなのに、マリエラと抱き合っているなんて!」


 キアは再び両手で頭を抱えてしまった。


「え?お前まさか…」


 ミゼウルがキアを見ると、キアは忌々し気に答える。


「違う。僕は触れてない」


「ララが必要ならまずは、その気持ちを伝えなくては。頼ってもらえなくていじけるくらいなら、頼りがいのある男性になる努力をしては?」


「さすが、エレノアさん」


 小さく拍手するトルニスタを、キアは睨んだ。


「今後の話は明日と言っていたわ。あの子がどうしたいのか…明日自分で確認するといいわ」


「…分かりました」


 キアはひどく暗い声で言った。


「ララは、女性として生きる自信がないの。不安なのよ。…このバカモジャさんが日頃から詰るせいだと思うのだけれど」


 エレノアが忌々し気にミゼウルに言う。

 急に言葉を振られ、ミゼウルは目を見開く。


「え?俺?…もはや名前なくなってんだけど!さん付けてても悪口なんですけど!」


「あんなに綺麗な女の子に男女だなんて、ひどすぎると思っていたのよ」


「いや、だって…」


「身体のことだって!あなたは色々大きすぎる、だなんだって簡単に言うけれど、あの子は傷ついてるのよ!」


「そんなこと一言も言われたことないし。ただの冗談だってあいつも分かってるだろ」


「お世話になっているあなたに、冗談でもやめてだなんて言えるはずがないでしょう!」


 ミゼウルは、口を閉じた。


「…あの子が我慢強い子だってあなたが一番わかっているはずよ」


「それは…」


「そもそも、どうしてお母様と引き離したの?」


「エレノアさん、それは…」


 トルニスタが口を挟もうとしたが、エレノアは続ける。


「あんな美しい女の子を騎士に育てるなんて無謀過ぎるのよ。あの子は守られるべき女性だったのに。自分のお姉様ならララに無謀なことをさせるなと説得すべきだったのよ」


「それは…ララが選んだ…から」


 力なくミゼウルが言うと、エレノアは声を荒げた。


「選んだですって?全部あの子のせいだっていうの?大人が正しい判断をしてあげるべきだわ。あの子がお母様を憎むようになったのはあなたのせいよ!」


 ミゼウルが大きく目を見開いた。


「エレノア様」


 そう声を上げたのは、いつの間にか廊下立っていたリアンだった。


「それ以上はどうか」


「ララが…そう言ったのか」


 ミゼウルが静かに言った。

 あまりにも暗い声だったので、エレノアの方が戸惑っていた。


「なるほどそうか。なるほど…な」


 ミゼウルは、深く息を吐いた。


「だが、あいつは選んだんだ。皆を守る立派な騎士になるんだって」


「だ、だから、それは…!」


 エレノアが声を荒げた。


「エレノアさん、ルルリナさんは…」


 トルニスタが口を挟んだが、それを遮るようにミゼウルが言った。


「先生…いいんだ。…俺が話すことだ」


 ミゼウルは、息を吐くと暗い声のまま続けた。


「エレノア、俺は分かったんだ。姉貴がいかれちまったって。あのくそったれが出て行ってすぐに、ララの髪を…ずたずたに切り刻んだ時から」


 エレノアは両手で口を覆った。


「ララは、綺麗に切ってくれたんだって笑ってた。母親が自分にひどいことをするなんて、少しも疑わず悲しそうに笑ってた。姉貴に髪を結ってもらうのが大好きだったのにな」


 次第にミゼウルの声が掠れて言った。


「ぼこぼこに殴られても、ちゃんとできない自分が悪いって。いい子じゃない自分が…悪いんだって。俺は…俺は…」


 ミゼウルは静かに目頭を抑える。


「おっと、やべ。ごみが…」


「エレノアさん、ミゼウルはあの時まだ十七だった。大人とは言えない。だが、ララをここから連れ出してくれたんだ」


 トルニスタが口を開いた。


「ルルリナさんは、ララを疎むようになっていた。このままここにいれば何をするか分からなかった。ギデオン殿は、見ないふりをした」


 ミゼウルが鼻を啜りながら言った。


「まあ、勉強は教えてくれたぜ。俺は頭悪いからな。めちゃくちゃ厳しくてララは怖がってたが。金もくれたしな」


「わたくしもアロアも、ララ様に関わるなと言われました」


 リアンが口を開いた。


「五歳の子どもに、何もかも自分でさせろと命じられました。食事を与えることでさえ、禁じられました。あの子に構えば、ここから追い出すと。アロアは黙って見ていられず、ルルリナ様から一度は解雇されました。そんな時、ミゼウルさんがララ様をここから連れ出してくれたのです。自分が騎士に育てると言って」


 トルニスタが頭を掻きながら口を開いた。


「俺も何度もルルリナさんを諭して…それでも、母親と子どもを引き離す度胸はなかった。それを、こいつがしてくれた」


「俺のためだ。俺が、怖かったんだ。毎日眠るとき、明日になれば、ララが死んじまっているじゃないかって。本当は、少しの間だと思ってた。姉貴が迎えに来るのを俺は…俺も…ララもずっと待ってた」


 リアンが口を開いた。


「ルルリナ様が、ララ様が騎士となって喜んでいらっしゃったのも本当です。まるで、本当に男の子を産んだのだと錯覚しているようでした」


「姉貴は限界だったんだ。この家さえ守っていれば、くそったれが帰ってくると信じてた。信じて、疲れ果てて…自分から馬車に飛び込んだ」


 サリーは言葉もでなかった。

 キアもただ黙ってミゼウルの話に耳を傾けている。


「あいつにはもう別に家族がいるって俺の口からは言えなかった。それこそ、姉貴の希望を奪っちまうんじゃないかって」


「それって…お兄様のこと?」


 エレノアが震える声で言った。


「ああ。…くそったれなら元気だぜ。と言っても、俺が知っているのはもう十年以上前のことだ。居場所が分かった時は、ぶっ殺してやるつもりだった。だが…あいつ、何してたと思う?」


 ミゼウルは口を歪めて笑った。


「赤ん坊のおしめ替えてやがったんだぜ。笑っちまうよな。…大して綺麗でもない浮気女と幸せそうに暮らしてた」


「そんなことって…」


「なんで姉貴じゃだめだったんだろうな。ま、一発は殴っといたぜ。…ギデオンじいさんには見つからなかったと伝えた。ララには、もし聞いて来るなら教えるつもりだったが…一度も口にしなかった」


 真っ青な顔をしているエレノアに、ミゼウルが言った。


「エレノア、姉貴が悪いんじゃない。俺が帰って来たことを泣いて喜んでくれたのは姉貴だけだった。姉貴は愛情深い女だったんだ。くそったれが出て行くまでは、ララを愛してたんだ」


 ミゼウルは吐き出すように言った。


「全部親父なんだ。親父が毒なんだよ。レチリカの時だってそうだ。思い通り嫁に行かないレチリカに、もはや女である資格はないって散々殴った挙句髪を切り落とした」


 サリーは驚き、目を見開いた。


「母親に似て男に媚びを売るしか能がないと言われたと…教えてくれた。ただの甘えたがりな、だけなのに。でも、自分はそんな女じゃないって髪も伸ばさない。好きな人ができたなんてすぐ言うが、自分を女扱いする男には近づかない。親父の言う通りになるのが嫌なんだろうよ」


 あんな可愛らしいレチリカに、なんてことを。

 サリーは、気づかない間に怒りで手が震えていた。


「姉貴が悪いんじゃない。そもそも親父なんだ。全部あいつのせいだ」


 ミゼウルは深く息を吐いた。


「いや、違うか。…俺のせいか」


「違うの!ごめんなさい。ミゼウルさん、わたくし…」


 エレノアがそう言うと、ミゼウルは慌てたように明るい声で言った。


「いいの、いいの!ひどいこと言ってたのは本当だし。ついつい出ちまうんだよ。あいつに、今までのことを後悔して欲しくなくて。…いや、違うな。俺が後悔したくないんだ。あいつを、騎士にしたことを」


「ミゼウルさん…」


「なーんてな!今更恥ずかしくて綺麗だなんて言えねぇわ!」


 ミゼウルはがははといつもの品のない笑いを零した。

 今日は力のない笑いだった。


「…あの子は、後悔してないわ。王国騎士団に入らないかって言われたって誇らしそうに言っていたわ。それに…キア様に会えたからって」


 エレノアの言葉に、今まで黙っていたキアが顔を上げた。


「まあ、腹立つが…ララはお前のことよく見てた」


 キアは目を見開いた。


「話したそうだったから、俺が声かけてやったんだぞ。…まあ、お前がくそ隊長にたてつくような骨のある奴だってわかったのもあるが」


「それは…どうも」


 キアは、軽く頭を下げた。

 昔の話なのだろう。サリーにはよくわからなかったが、口をはさむのはやめた。

 ミゼウルは、再び口を開いた。


「俺怖かったんだ。俺は頭も悪いし、戦うしか能がないし。それに、縁を切られたからって、あのくそ親父の息子だ。…結局毒でしかないんだよ。だから、ララといても不安だった。ララを…いつかとんでもなく傷付けるかもしれない。泣かせるかもしれない。この…色男みたいにな」


 ミゼウルは、突然おどけた調子でキアに近付くとその肩を拳でぐりぐりと押す。


「この野郎、ララを泣かせやがって」


「痛い」


「変な奴に襲われたんだって?まったくどこのどいつだ」


「分かれば苦労しない」


「どうするキア。俺達、エレノアにララを奪われちまうかもしれないぜ?」


 キアは静かにミゼウルの腕を振り払う。


「あんたは愚かだ」


「はっきり言うな!いや、どうばかなのかはっきり言え!」


 キアはじっとミゼウルを睨んだ。


「…言えよ。怒らないから」


 キアは深く息を吐いた。


「ララが選ぶのはあんただ」


「は?何言ってんの?」


「分からないのか。どれだけ信頼されているのか」


「分からん。臭いだの気持ち悪いだの言われるただの可哀そうな叔父さんだぞ」


「真実だ」


「うるさーい」


 キアは、再び深く息を吐いた。


「ララは出て行こうとしていた。…おそらく、あんたのところに」


「嘘だろ。…まあ、俺って頼りがいのある男だからな」


 キアは忌々し気にミゼウルを睨んだ。


「ララはあんたの言葉を全部信じている」


「え?そうなの?」


「あんたのせいで、僕は男に魅力を感じる人間にされた」


「げ、あいつお前に直接そんなこと言ったの?なんて失礼なことを!でも、ララを男だって信じてここまで来たなら半分は本当だよな」


 キアはその言葉を無視して続けた。


「自分を筋肉女だとも言っていた。…なぜか自慢気だったが」


「まさか、そんなこと言うはず…言ったかも」


「親なら自分の言葉に責任を持て。適当なことを言うな」


 ミゼウルは口を閉じた。


「ララは毒じゃない。だから…あんたも毒じゃない」


 ミゼウルは一瞬呆けた顔になった。

 そして、長い沈黙の後静かに微笑んだ。


「キア…」


 ミゼウルは静かに両手を組み合わせ、目を潤ませる。


「愛してる」


「は?」


「陰気な根暗男だと思っていたのに。こんなに人を励ます才能があるなんて」


「腹の立つ男だ」


「ちゅーしてあげる」


 口を尖らせ顔を近づけようとするミゼウルから、逃れる様にキアがのけぞる。


「気色の悪いことをっ」


 その吐き出すような言い方に心底ぞっとしているのが分かる。

 ミゼウルは笑いながらキアの肩を叩く。


「そうだよな。俺はよくやった。ララがあんだけ立派に育ったんだから、俺が自信なくしてたら駄目だよな!俺は立派な親父だ」


「単純な男だ」


「うるせえ!だが、ありがとよ。さすが、英雄バルバロット様の息子だ!」


「英雄?ララの父親とじいさん…エルディック・バルバロットは同じだ。あんたの言う腐れ下半身暴走男だ」


「こ、こら!エレノアさんの前でなんてことを!」


 すっと無表情になるエレノアに、ミゼウルが慌てる。


「まあ、エルディックが捨てたのは家族ではなく僕だったが」


 キアは何でもないことのように言ったが、周りは一瞬にして静まり返った。

 サリーは、キアが両親に捨てられたと言っていた言葉を思い出した。


「だが、面倒を見てくれる人はいた。尊敬できる人が。そして、じいさんも僕に生きる道を示してくれた。じいさんは自分を英雄なんかじゃなくて普通の人間だって言っていた。自分も僕も」


 キアは淡々と続けた。


「僕は、自分が普通じゃないと分かっていた。だから…バケモノと言われ、自分でも自分をそう呼んで満足していた。…普通じゃない僕から、ララが逃げていくのが怖かった。義務でもなんでもいいから、僕の傍にいて欲しかった」


「ばかだなぁ、キア。ララが惚れる男が、そんじょそこらの普通の男なわけがないだろう。最強のバケモノ騎士に決まってる!びびってないで自分の気持ちを伝えろ!」


 キアは忌々し気に顔を顰めた。


「腹の立つ」


「よし、キア。俺のことを親父と呼んでいいぜ」


 そう言ってミゼウルが胸を張った。


「は」


「だって、俺がララの親なら、義理のお父様だぜ。」


「絶対呼ばない」


「なんだとぉ!」


 笑いながらトルニスタがミゼウルの肩を叩いた。


「お前はあれだ、親父というよりせいぜい出来の悪い兄貴だろうな」


「はぁ?ひどいぜ、先生」


 トルニスタは、ふいにエレノアの方を向いて言った。


「エレノアさん、俺にとってはミゼウルもララも、大切な子どもみたいなもんだ。だから、分かってやって欲しい。こいつは単純だが、愛情深い奴なんだ。ただ、それだけなんだ」


「わ、わたくしは…」


 ミゼウルが慌てたように、トルニスタの背中を叩く。


「先生!いいの、いいの!エレノアにだって、色々あるんだから。俺のこと許せない理由がさ」


「そんなこと…」


 エレノアの言葉をかき消すように、ミゼウルはキアに言った。


「まあ、とにかく頼むぜ、キア。ララを世界一幸せにしてくれよ」


「分かっている」


「今度泣かせたらぶっ飛ばす!」


 そう言って、ミゼウルはやや強めにキアの肩に拳を入れる。


「じゃ、俺は帰るわ。レチは泊めてくれ」


 そう言うとミゼウルは逃げるように、廊下を歩き出し手を振る。

 おそらくこれ以上自分がいれば、エレノアが責められてしまうと思ったのだろう。

 トルニスタがその背中に声を掛ける。


「ララに会わなくていいのか」


「落ち着いてるならいい」


「キア君が伯爵様って知っていたか」


 ミゼウルが振り向く。


「本当か!で…なんか変わんのか?」


「お前はそういう奴だよ」


 そう言って、トルニスタが笑った。

 ミゼウルが去っていくのを、エレノアはナシの籠をリアンに渡すと追っていった。


「今なら入れるぞ」


 トルニスタの言葉にキアは深く息を吐いた。


「いえ、待ちます」


 そして、再び椅子に座る。


「そこで?」


「はい」


「まったく、あんたまで風邪を引くなよ。…あんたの生まれがどうあれ、ララの婿ってのは俺には変わりない。ララが選ぶなら、それで十分だ。あれ?伯爵が婿ってわけわかんなくなるな。まあ、俺は帰る」


「先生、夕食の用意が出来ておりますが」


 リアンが言った。


「ああ、じゃあ飯だけ食って帰るか。じゃあな」


 リアンに付いてトルニスタが行ってしまうと、キアは言った。


「サリーも行っていい」


「でも…」


「いい」


「ご飯持ってきましょうか」


「いや」


 ふいに、キアは顔を上げサリーの顔を見た。


「がっかりしたか」


「へ?」


「僕は…君が憧れるようなバケモノ騎士じゃない。臆病なただの人間だ」


「そ、そんなことありませんよ!」


 サリーは思わず声を荒げた。


「何言ってるんですか、急にそんなしおらしいことを!落ち込んでるんですね、キア様。そうですよね!」


「…まあ」


「あなたは、僕にとっては最高の騎士です。もちろん、命を助けてくれたってだけじゃないです。強いだけじゃなくて、誰にでも丁寧に接するし、それに、それに…」


 サリーは懸命に言葉を捻り出した。


「今みたいに、おたおたしている方がずっと面白いですよ」


「…おたおた」


「はい!」


 サリーは満面の笑みを浮かべた。


「今のぽんこつなキア様の方が、冷静なバケモノ騎士よりも、ずっとかっこ悪くて人間らしくて…もっと好きになりました!」


 キアが目を細めてじっと見てくるので、サリーははっとした。


「す、すみません。つい…」


「本音が?」


「違います、違います!あなたを励ましたくて…」


 サリーは、頭を掻いた。


「キア様は、きっと僕が想像できないような大変な目に合ってきたんですよね。僕には、きっとあなたの気持ちは、分からないって思います」


 サリーはもごもごと言いながら、ふいにレチリカの言葉を思い出した。


「僕は、きっと優しい世界で生きてきているから」


 そう。

 だからこそ、きっとレチリカのことを分かってあげられるのは自分じゃない。

 そのことが、サリーにとって驚くほど悲しかった。


「でも、だからこそ話を聞くことはできます。下手な励ましでよかったらいつでもどうぞ!」


 そう言ってキアに笑い掛けると、キアは淡く笑った。


「君のような友人がいてくれてよかった」


 その言葉に、サリーは驚く。

 嬉しいような申し訳ないような気持ちになる。


「キ、キア様。…従者ですよ」


「従者なら主をぽんこつなどと言わない」


「す、すみません。また言っちゃった」


 キアは静かに息を吐いた。


「元気が出た…ような気がする」


「そ、そうですか?」


「ああ。今日は忙しかっただろう。君ももう休んでくれ」


「分かりました。キア様、風引かないでくださいね」


「ああ」


 サリーは一礼してキアの傍を離れた。


「サリー」


 そう呼ばれて振り向く。


「…ありがとう」


 キアは顔を上げずにそう言った。

 サリーは満面の笑みを浮かべて、もう一度頭を下げた。



「毒じゃない…か」


 ミゼウルは思わず呟いた。

 その言葉で、肩の荷が降りたような気がした。

 ずっと思っていた。

 自分のしたことが正しかったのか、

 間違っていたのか。


 ララを引き取ることを決めたあの寒い日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 ミゼウルは、リアンからララが家のどこにもいないと言われ、ララを探していた。

 中庭の片隅で、ララは棒を剣に見立てて振っていた。

 可哀そうになるほど短くなった髪から除く耳は、寒さで真っ赤になっていた。

 皺だらけの大きすぎるシャツとズボンは、恐らく屋根裏から見つけた父親のお古なのだろう。

 それをなんとかたくし上げ、寒さで震える指先に息を吹きかけていた。


「ララ」


 ミゼウルがそう呼ぶと、ララは静かに振り向いた。

 右目が紫色に腫れあがっているその顔に、ミゼウルはぎょっとした。


「ど、どうした。その顔!」


 ララは、はっとしてそれを隠した。


「転びました」


「そんなわけ…」


 ミゼウルは、膝をついてララの冷え切った両腕を取った。

 その痣だらけの腕をみて絶望した。

 ララは両腕をさっと隠した。


「私が悪いのです。私が…きちんとできないから」


 ララはそれだけ言うと、顔を伏せた。

 気が付いていた。

 ララが昔の自分達のように…殴られていることを。

 父親は、躾と称して子ども達全員をよく殴った。

 それは、女であるルルリナも例外ではなかった。


 助けて欲しかった。

 誰でも良かった。

 でも、誰も助けてくれなかった。

 だから、ミゼウルは家から逃げ出した。

 でも、ララは…ララは逃げる方法を知らない。

 助けられるのは、自分しかいない。


「ララ、騎士になるって本当か?」


「はい。本当です」


 そう言って、ララは悲しそうに笑った。


「私が騎士になれば、ヴィンセントのような男の子になれば…きっとお母様も喜んでくれるから」


「なら、叔父さんと暮らそう。…叔父さんがお前を強い騎士にしてやるよ」


 そう言いながら、ミゼウルはララを抱き締めた。


「姉さんは、ちょっと疲れただけなんだ。少し休めば…きっともとに戻るから」


「本当に?」


「ああ」


 ララは、ミゼウルの胸から顔を上げた。


「…でも、騎士になったらお姫様じゃなくなるのですか?」


「お姫様?」


「そう。お母様が花の冠をした私はお姫様だって」


「そんなことないぞ。ヴィンセントみたいな男の子になるのは無理だが、お姫様を続けながら騎士になればいい」


「そんなこと…できるのですか?」


「当然だ。おじさんがお前を戦うお姫様にしてやる!騎士でお姫様なんて、最強だろう?」


「本当に?やったあ!」


 ララはそう言って、楽しそうに飛び跳ねた。


 その笑顔を思い出して、ミゼウルは泣きたくなるのをぐっと堪えた。

 ララは昔も今も、まわりに自慢したくなるような子に育った。

 怪我を負わせてしまった時には、戦場に連れてくるなんて馬鹿だったと後悔した。

 それでも、今日まで生きている。

 ただそれだけで十分なのとだと、今はそう思える。


「…ミゼウルさん」


 エレノアの声に、はっとしてミゼウルは振り向いた。

 いつの間にか後ろにエレノアが立っていた。


「な、なんだ。どうした」


 エレノアがひどく暗い顔をしているのが分かった。

 自分に浴びせた言葉のせいで、エレノアが自分を責めているのがミゼウルには分かった。

 エレノアのように子どもをひとりで育てた母親にとって、ミゼウルは子どもを奪った男のように映ってもおかしくないのだろう。

 もちろん傷付きはしたが、今はエレノアの暗い顔を見ている方が辛かった。

 エレノアは、ミゼウルを見上げると言った。


「わたくしを殴ってちょうだい」


「はい?」


「最低だわ、何も知らないであなたにひどいことを。わたくしは自分のことで精一杯で、本当にララを救いたいなんて思っていなかったくせに」


「な、何言ってんだ」


 ミゼウルは慌てた。


「俺は、あんたに感謝しかない。あんたが来て、ララはまた自分の好きな恰好が出来るんだ。髪だっていつも自分で短く切っちまうからどうしようもなかった。昔は、なんでも姉貴の真似をしたがって、お揃いのドレスなんて着たりしてたんだ。花冠つけて、お姫様ごっこしてさ。…思い出したぜ。悪いことばっかりじゃなかったって」


 そう言ってエレノアに笑いかけたが、エレノアはひどく気落ちした様子だった。


「大丈夫だよ、エレノア。俺は、大丈夫だから。こっちこそ悪かったな。きちんと本当のことを話せずにいて」


「いいのよ。わたくしだって、ずっと聞けずにいたのだから」


 エレノアは暗い表情のまま目を伏せていた。


「本当にごめんなさい。わたくし、あなたが一生懸命ララを育ててきたって…ララをみれば分かることなのに」


 エレノアは静かにミゼウルに近付いてくる。


「…わたくしのこと許してくれる?」


 そう言って、エレノアはミゼウルの手を握った。

 今までにない近さと背丈の差のせいで、エレノアは自然と上目遣いになり金色の睫毛に縁どられた青く美しい瞳が潤んでいるのが分かる。


「はぁ…魔性」


 ミゼウルは呟く。


「え?」


「なんでもねぇ」


 ミゼウルは、軽くエレノアの手をほどき一歩後ろに下がった。

 甘い香りに誘われ、思わず抱き締めてしまいたいのを堪える。


「許すに決まってんだろ?」


 エレノアは静かに笑った。


「あなたって、何も考えてない単純な人だと思ってたわ」


「なんだ、それ。ばかって言えばいいだろう」


「色々…背負ってくれていたのね」


「話せてよかったよ。俺も、ずっと黙ってるのはしんどかった」


「わたくし、あなたのそう言う素直なところはとても素敵だと思うわ」


 エレノアの笑顔にミゼウルはぎこちなく笑みを返し、背を向けた。


「じゃ、話が終わったなら俺は帰るわ」


「あら、今日は結婚しようって言ってくれないのね」


 ミゼウルは再びエレノアの方を向く。


「おっと、忘れてた。待たせちまったかい?」


 エレノアは静かに微笑んだ。

 その笑顔を見て、自分を元気づけようとしてくれているのがミゼウルには分かった。


「悪かったな、エレノア。いつも、気色悪いことばっかりいっちまって」


 エレノアは目を見開き、眉をしかめる。


「わたくしは、そんなこと…」


「だが、あんたがララを庇って俺に怒った時…顔を真っ赤にして怒るあんたが可愛くて、好きだと思った。それは…本当だから」


 エレノアは目を見開いた。


「澄ましてる貴族様のあんたより、ずっといい」


 ミゼウルはにっと笑ってみせた。


「じゃ、そう言うことで。また明日!」


 エレノアが何かを言いたそうにしているのが分かったが、ミゼウルはその場を逃げるように後にした。

 もうこれ以上エレノアに嫌われてしまうのは嫌だった。

 自分でも予想していた以上に、エレノアは自分の心を打ちのめしてしまうのだ。


「俺も結局びびりな奴だな」


 ミゼウルはそう呟いた。

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