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バケモノ騎士の花嫁  作者: 込留 まこ
11/17

十.

 サリーが騎士団本部に戻った時には、ミゼウルは馬でカイデン家まで行くところだった。


「おお、早かったな」


「レチリカさんおいて来ました。もう、騎士見習いなのに自由ですよね」


「あいつ食うの早いから、すぐ戻るだろう。お前も食ってくれば良かったのに。ま、食堂でなんか食べてろよ。あー兄貴簡単に来てくれるかな」


 そう言いながら、ミゼウルは馬にまたがると騎士団本部を出て行った。

 レナウル・カイデンが夕刻五時までには来るだろうということを伝えにミゼウルが戻って来たのは、一時間後のことだった。

 そして夕刻五時になると、レナウル・カイデンが到着したことが告げられた。

 団長の席にミゼウルが座り、その左隣にキアが立った。

 右隣の壁にサリーとどうしても一緒に話を聞きたいというレチリカが立った。

 エリックが案内して来たのは、思いがけず小柄な男だった。

 黒髪に赤みのある瞳をしているが、どちらかと言えば気の弱そうな男で、ミゼウルの兄とは信じられなかった。

 そしてもう一人、女性が通されると団長席に座るミゼウルが顔を顰めた。


「げ、ザビリア」


 ザビリア・カイデンは、レナウルの妻だった。

 細身な体型に、濃い茶色の巻き毛をしている。

 その瞳は哀れっぽく潤んで見えた。

 互いの紹介を終えた後、二人は暖炉の前の長椅子に座った。

 そして、その場にエドバルが通される。


「エドちゃん!なんてこと!」


 エドバルの鼻は、紫色に腫れていた。

 骨は折れていないとトルニスタは言っていた。

 それよりも股を合わせ内股気味に歩く姿がなんとも間抜けで哀れだった。

 後ろ手に縛られた状態で連れて来られ、椅子に座らされるとザビリアは飛びつくようにエドバルに駆け寄る。


「うるせぇ、ばばあ。触るなっ!」


「まぁ、ママになんてことを!キア様、こんなこと許されませんわ!」


 そう言って、団長席の隣に立つキアを睨む。


「彼はララを剣で切り付けました」


「まっ…」


 ザビリアは怯んだが、甲高い声で続ける。


「お金はいくらでも払いますわ。この子を解放してください」


「いくら払いますか」


 キアがそう言うと、サリーの隣にいるレチリカは顔を顰めキアを睨む。

 サリーは慌ててレチリカの袖を引く。


「大丈夫だから」


 レチリカは、不満気な様子だったが口は開かなかった。


「いくらでも払います。あなたが望む額を。ねぇ、あなた」


「あ、ああ」


 ザビリアに押されながら、レナウルは言った。


「では、百億」


 その金額に、部屋の全員が絶句した。

 ザビリアが金切り声を上げる。


「そんなの…ありえません!なんて常識のない!」


「いくらでもと言ったのはあなたですが」


 キアは冷たく言い放った。


「キア殿、それはあんまりだ。カイデン家にそんな金はない」


 レナウルが弱々しく口を挟む。


「では、カイデン家の総資産額で結構です」


 レナウルが目を見開く。


「家を手放すか。彼を自由にするか。選んでください」


「こ、この子が何をしたというのですか!」


 ザビリアが庇うようにエドバルの肩を抱く。

 エドバルも口を開く。


「そ、そうだ。ただふざけただけだろうが」


「ふざけた?」


 キアが静かに言った。


「ララを傷つけることがか?」


「かすり傷だろうが。…いつものおふざけだ。ララと…俺とのな」


 エドバルは顔を醜く歪め笑った。


「ララがどんな女か、キア様はご存じなんですかぁ?…ララは、この騎士団の男達全員のを咥えてやがるんですよぉ」


 最低。

 本当に死ねばいいのに、この男。


 サリーは心の底からエドバルを詰る。


「ふざけるな!エドバル!」


 ミゼウルが立ち上がる。


「そうだよ、あんたこそララ姉の何を知ってるの!」


 レチリカも口を開く。

 エリックも顔を歪ませていた。

 それでもエドバルは口を閉じなかった。


「そうでなければ、女のあいつが騎士なんかやっていけるわけがないだろう。あのいやらしい身体を見れば分かるだろう?あの淫売が…」


「それ以上口を開けば…」


 キアが静かに口を開いた。


「貴様のを引き千切って豚に食わせる」


 目を見開いたキアの低い声には、やってやるという凄みしか感じられない。


「潰しておけば良かった…この下衆が」


 キアはさらにそう低く呟く。

 エドバルは口を閉じ、股を引き締める。

 何をとは言わなかったため、レチリカとザビリアはきょとんとしていた。

 しかし、キア以外の男全員が静かに股を引き締めたのが分かった。


「ね、どういう意味?」


 レチリカがサリーに囁く。


「えっと、男にしか分からない呪文…かな?」


「ふーん?」


 レチリカは、首を傾げた。

 ミゼウルは咳払いをすると静かに座る。


「エドバルは…どうなりますか」


 そう口を開いたのは、レナウルだった。

 キアは言った。


「レドへ送ります」


「レド!」


 ザビリアが悲鳴のような声を上げる。

 それはガーディアス領の端にある極寒の地だった。

 身体を押しつぶすほどの雪で覆われ、作物も育ちにくく、住んでいる人間はほんの少しだった。

 その地にガーディアスの罪人を収容する場所がある。

 レドでは、罪人に食べさせる食事さえも少ない。

 自分達で畑を耕し、採取させるのだというが…。


「そんな…だって、この子はただ自分がしたいことをしてきただけなんです!」


「その結果どうなったか分かっているはずです。どれだけの人間を踏み躙って来たか」


「それは…」


 その時、扉を叩く音が響く。

 一人の騎士がおずおずと顔を出す。


「あの…ダグラル・カイデン殿がいらっしゃいました」


 その瞬間、ザビリアとエドバルの顔が明るくなりミゼウルとレチリカは眉を顰めた。


「通してくれますか」


 キアがそう言うと、その騎士の後ろから一人の男が現れた。

 背はミゼウルより少し小さいくらいだろうか。

 その迫力のある巨体に、圧倒される。

 白髪の癖毛と口髭、黒炭のような瞳が赤色を帯びる。

 その瞳からは七〇歳を超えているとは信じられないほど強い光を感じる。

 漆黒のコートとズボン姿は、ガーディアス領を支配するカイデン家の当主に相応しい気がした。


「初めまして、ダグラル・カイデン殿」


 キアはいつもと変わらず、淡々とダグラルに話しかけた。


「私は、キア・ティハル・バルバロット。ガーディアスの新たな領主となります。何度か挨拶に行ったのですが、いつも不在のようで」


「申し訳ありません、キア殿。私も多忙なもので」


 まるで地が震えるような低い声が響く。


「そして、あなたには礼を伝えなくてはなりません」


 キアは首を傾げる。


「私の息子を救ってくださった」


「息子?」


「あなたが街道から連れて戻ってくれた子ども…バルドルは私の息子です」


 サリーは目を見開いた。

 ということは、母親は明らかに二〇代だったあの女性。

 すごい生命力だな、ダグラル・カイデン。


「エドバル」


 ダグラルは言った。


「終わりだ」


 その言葉に、エドバルとザビリアは目を開く。

 レナウルは諦めたように肩を落とす。


「息子を救ってくれた代わりに、この役立たずの孫は引き渡す」


 その言い方は、本気になればエドバルを解放出来るのだと言わんばかりだった。


「私は、このガーディアスから離れる」


 その言葉に、レナウルが目を見開く。


「バルドルと母親と新しい地で生きる」


「父さん、何を…。母さんは?家はどうなるのですか?」


 レナウルが言った。


「父さんが持っている商売や土地は…」


「すべて売り払った」


「なんですって?」


 叫ぶようにザビリアが言う。


「あれは全て私のものだ。どうしようと私の勝手だ」


「父さん!」


「今まで好きにさせてきたのだ。それで十分だろう。いい加減私に甘えるな」


「そんな…」


「子は親の命令に従うものだ。まぁ、そうではない役立たずもいたが」


 そう言いながら、ダグラルはミゼウルとレチリカを見る。

 レチリカが爪を立てる様に拳を握るので、サリーは思わずその手を握った。

 レチリカが驚いたようにサリーを見るので、サリーは大丈夫だよと伝えたくて微笑んだ。


「あなたも分かるだろう、キア殿。偉大な父を持つ子の気持ちは」


 ダグラルはそう言って口を醜く歪めて笑った。


「親の威光に縋って生きて来たくせに、自分一人で生きて来たような偉そうな顔をしているが…な」


「そうですね、僕もバルバロットの名には助けられてきました」


 キアは淡々と言った。


「ただ、僕は母、そして父からも一度は捨てられた。…親がいなくても、子は育つようです」


 ダグラルは笑った。


「はは。では、獣にでも育てられたとでも言うのか?通りで、妙な肌の色をしている」


 その言葉に、サリーは顔を歪めたがキアは澄ましたまま言った。


「あなたより獣の方がずっといい。子を道具扱いしないのですから」


「分かったような口を。生意気な青二才が」


 ダグラルは、静かに続けた。


「レナウル、お前の持つ資産は手を付けていない。贅沢しなければ、それだけでも十分だろう」


 レナウルは静かに肩を落とした。


「ではな」


 そう言うと、ダグラルは部屋を出て行った。


「お父様!」


 縋るようにザビリアがダグラルを追って出て行った。

 レナウルは青ざめ、額に手を置いた。


「母さんになんて言えば…」


「親父…俺はどうすれば」


 エドバルが縋るようにレナウルを見る。


「私にはどうすることも出来ない。エドバル、自分がしたことの責任を取るんだ」


「そんな…今までどうにでもしてくれたじゃないか。俺を見捨てるのか!」


 暴れ出したエドバルをエリックが抑え、騎士を呼ぶと部屋から連れ出して行った。

 ミゼウルは立ち上がり、レナウルの肩に手を置く。


「親父が財産を全部手放したってのは、本当か」


「私が任されているのはほんの一部に過ぎない。後は全部父さんが…」


「全部売ってどうするってんだ。あの親父が豪華な暮らしを諦めるとは思えない」


 レナウルは、少し考え思い出したように言った。


「鉱山だ」


「鉱山?」


「西のダイラス領に、金剛石の取れる鉱山が見つかったと言って、ここ数年本当かずっと調べさせていた。きっとそこを手に入れたんだ」


「あの金の亡者め…」


「私はこれからどうすれば…」


「そりゃ生きてくしかないだろう。一割でも残ってるなら万歳だ。べつに借金したわけじゃないだろうが」


 レナウルは静かに笑った。


「お前は単純だな。…だが、それが羨ましい。そうだな、私には最初から父さんが持っているすべてを引き受けるなんて無理だったんだ」


「俺に出来ることがあればなんでもする」


「…ミゼウル」


 レナウルは、悲しそうに顔を歪ませた。


「私は父さん怖さにお前を見捨てたのに。お前も…ルルのことも」


 その名前に、ミゼウルが目を伏せたのが分かった。


「…いいんだ、兄貴。いいんだよ。兄貴が密かに戻って来たばかりの俺の金の面倒を見てくれてたことは分かってる。俺が騎士団に入って、自分で生きられるようになるまでな」


 レナウルが顔を上げた。


「姉貴が教えてくれたんだ。…ばらばらになっても俺達は兄弟だって」


 レナウルは静かに笑った。


「ありがとう、ミゼウル。だが、お前を助けろと私に言ったのは母さんだ」


 その言葉に、ミゼウルが目を見開いた。


「自分は会う資格はないって今でも思っている。…お前が母さんを許せるのなら…会いに来て欲しい」


 ミゼウルは何も答えず、ただ口を歪ませて笑ってみせた。

 レナウルは、深く息を吐いた。


「ザビリアには逃げられるかな」


「いいじゃねぇか、あんなキンキン声女。…他にいい女なら大勢いるぜ」


「不思議なことに、私には大事な妻なんだよ」


 レナウルはキアを見た。


「エドバルは、どのくらいレドへ?」 


「分かりません。十年か二十年か」


「そんなに…」


「彼は学ぶべきです。今まで踏みにじって来たものが、自分を生かしてきたのだと」


「なるほど。私にもそれを教えることが出来れば。…君が羨ましい。強い君が」


「僕は、強くなどありません」


「…真面目だな、キア殿は」


「ま、見た目ほど怖い奴じゃないんだぜ。こいつ」


 そう言って、ミゼウルがキアの肩を叩くとキアは不快そうに目を細めた。


「こいつって、領主様だろう。まったく、ミゼウルは。これからが、大変になるだろう。カイデン家がまとめていた、表の商売なら問題はないが、裏の奴らがどうなるか」


「ごろつきの奴らの面倒なら、俺がなんとかする」


「そうだな。私も出来る限り力になるよ」


「ありがとう、兄貴」


 ミゼウルは、レナウルの肩を叩きながら、キアを見て静かに頷いてみせた。

 レチリカが呟いた。


「…悔しいな。また、お父さんの思い通りなんだ」


 サリーは思わず言った。


「…そうでもないかもよ」


「え?」


「悪いことしかしない人には、悪いことしか起こらないんだよ。きっと」


 サリーはそう言って誤魔化すように笑った。


 本当は、分かっている。

 恐らくはそれほどの混乱が起こることなくカイデン家の威光は消える。

 いや、もはや消えているのだ。

 キアが視力を失った時、キアのしていることの手紙を読み、返事を書くのがサリーの仕事だった。

 その密偵のような仕事にひどく興奮したのを覚えている。

 ただ、自分がおしゃべりなので秘密を守らなくてはと思っている。

 キアは、おそらくララにも聞かれなければこのことは話さないだろう。

 ララが羨ましいと、サリーは思う。

 キアのすべてを知ることが出来るのだから。

 いや、むしろあの胸に埋まれる権利のあるキアの方がうらやま…。


「サリーちゃん、何考えてるの?」


 レチリカの声にサリーははっとする。

 気が付くと手を握ったままだったことを思い出す。

 レチリカは子どものような無邪気な笑顔で、サリーの手に指を絡めるように握り返してくる。


「わっ」


 サリーは驚いてその手を離す。


「ごめん!僕、君が悲しそうにしてたからつい…」


「別に握っててよかったのに…」


 レチリカが拗ねた様に唇を尖らせる。


「でも、ありがとう。サリーちゃん、優しいね。レチはひどいこと言ったのに」 


「ひどいこと?ああ、背のことはいつもでしょ。まあ、キャロルからもよく小さいって言われるし。僕はお兄ちゃんだから平気だよ」


 レチリカは、ふいに髪をかき上げながらサリーの顔を覗き込む。


「ありがとう、お兄ちゃん。お礼にちゅーしてあげようか」


 レチリカの桃色の唇を見つめながら、サリーは思わず後ろへ下がる。

 なんだ、この口説かれている感じ。


「もう!年上をからかわないの!」


 サリーは、キアの方へ駆け寄る。


「キア様、助けて!」


 キアのシャツの袖を掴むと、冷たく窘められる。


「遊ぶな、サリー」


「僕じゃないです!」


「サリー、手紙を頼めるか」


「え?」


「子どもと母親に罪はない」


 ダグラルを見届ける人をキアは雇っている。

 その人に子どもと母親を保護するように伝えれば良いということだろう。


「分かりました」


 サリーは頷いた。


「忙しくなる。もっと早く…していればよかった」


「何の話ですか」


「何でもない」


 そう言いながらキアは少し肩を落とした。




 結婚式まで十日という日の午前中に、ガーディアス家へ花嫁衣装が届いた。

 洋裁店のテレサとその弟子であるアリッサがやって来て、ドレスの調整をしてくれることになった。

 美しい刺繍とレースがあしらわれた白いドレスに身を包むと、ララは自然と背筋が伸びるような気がした。


「ララ、綺麗。とても綺麗よ」


 エレノアは、泣きそうな顔でそう言った。


「ああ、こんなことでは駄目ね。本番じゃあ、大泣きしてしまうわ」


 そう言いながら、エレノアはハンカチで目を拭った。


「ありがとうございます、エレノア。…とても綺麗なドレスです。テレサさん」


 ララは自然と笑顔になった。

 自分には全然似合わないと思っていたのに、この姿でキアの隣に立つことが誇らしかった。

 しかし、その反面このガーディアス家のしてきたことを思うと、自分こそ責任を取って消えるべきなのではないかと…そんな考えが過った。


 あの訓練場での出来事から三日が過ぎようとしていた。

 ララの首筋の噛み後綺麗に消え、もうすぐ結婚式というのに、キアはエドバルを捕らえてから屋敷に戻らなかった。

 エドバルの証言から、海沿いのカイデン家の別荘に多くの男達が集められていることが分かった。

 そこから騎士団で屋敷の調査を始め、五十人近くの領民でない男達を捕まえた。 

 捕えた男達は、エドバルの呼び掛けによって王都から集められ、何をするかは伝えられておらず、統制も取られていないため突然騎士団に捕らえられ戸惑っていたという。

 エドバルは、依頼主については何も知らなかった。

 ただ、金を支払われ人集めを頼まれたという。


 さらに、ガーディアス家とカイデン家には、長年の取引があったことが明らかになった。

 ギデオンは、金の支援を受ける代わりに、領地で行う犯罪を見逃すように騎士団にダグラルの部下を送り込んでいた。

 しかし、ダグラルはガーディアス領をすでに去ってしまった。

 レナウルは騎士団に自宅を解放し、ダグラルが行って来た悪事を暴こうとしたが、ダグラルは証拠をすべて焼き払っていた。

 しかし、ダグラルに見捨てられた妻ルカリアがダグラルの手紙を隠し持っていた。

 ダグラルの不穏な動きを察して部屋から持ち出していたという。

 その手紙のやり取りから、騎士団へと送り込まれていたダグラルの部下達が分かった。

 長年その部下により騎士団の情報は操作されていた。

 ララにとっても馴染みの騎士もいたため、驚きを隠せなかった。


 すべては昨日届いたキアの手紙によって知った。

 エレノアは恋文だと思ったようだったが、状況報告書のような内容に、キアの真面目さがよく分かった。

 ララも返事を送り、ただ感謝を伝えた。

 自分は、ガーディアス家のことなど何も知らされていなかったのだとララにとってただ衝撃だった。

 キアやミゼウルは、集まっていた罪人の取り調べや騎士団の再編成などに追われ、ほとんどの寝泊まりを騎士団本部でしていた。



 テレサは鏡の前に立つララの姿に目を輝かせて言った。


「こんなに美しい花嫁様の衣裳を作れて光栄ですわ。アリッサ、少し裾が長すぎるようだから調整しましょう」


「はい」


 アリッサは、茶色の長い髪を揺らしながらララに微笑み裾の調整を始めた。


「ララティナ様は、背が高いので少し長めにしたんですけど。ちょっと調整しますね」


「ありがとう」


「旦那様になる方も背が高いのですか?」


「あ、ああ」


「でしたら、少し踵のある靴で構わないかもしれませんね。ねえ、テレサ先生」


「そうね」


「二人並んだら迫力がありそうだわ」


 そう言って、エレノアが笑った。


「あの、あまり踵がある靴では歩けないのだが」


 ララが恥ずかしそうに言うと、アリッサが微笑んだ。


「大丈夫です。ほんの少しですから。でも、羨ましいです。先生の最高のドレスをこんなに綺麗に着こなせるなんて。あたしもいつか先生のドレスで式をあげたいです」


「あら、高いわよ。でも、弟子割引にしてあげる。エレノア様、靴を一緒に選んでくださる?」


「もちろん。どれがいいかしら」


 テレサとエレノアが違う衣装箱から数点の靴を取り出すと楽しそうに選んでいた。

 ララは裾の調整のため一度ドレスを脱ぎ、ガウンを羽織る。

 ふと、他の衣装箱から取り出された木の箱に、ブローチが並んでいるのが見えた。


「これは?」


「ああ、これは花婿さん用のブローチです。旦那様は騎士様なので制服だということで、不要でしたね」


 銀色の質素なものから、宝石をあしらったものなど様々だった。


 これが…いいかもしれない。


 ララは、ここ数日キアに髪飾りのお礼が出来ないか悩んでいた。

 武器はあっちの方がいいものを持っているし、手作りなんてとても無理だった。


「これ、売ってもらうこともできるか?」


「ええ、出来ますよ。旦那様にですか」


「まま、まだ旦那様ではないが…そうだ」


「では、ララティナ様の瞳の色の宝石が入ったものにしましょうよ」


 アリッサがそう瞳を輝かせて言った。


「なぜ?」


「知らないのですか?瞳の色の宝石を送るのは、あなたを永遠に愛しますって意味なんですよ!」


 ララは思わず目を見開いた。


 自分が贈られた髪飾りの宝石は、キアの瞳の色をしていた。

 いや、キアのことだからそんな意味など知らないだろう。


 アリッサが満面の笑みでララの瞳を覗き込んできた。


「黒ではないですね。少し青みを帯びているというか…」


「ま、待て。私は…」


 アリッサは衣装箱から何段にも積み重なった木箱を取り出すと、その一段を机に置いた。


「さあ、どれが旦那様に似合います?」


 ララは戸惑いながらも、その箱を覗き込んだ。

 そこには数点の青い宝石の入ったブローチが並んでいた。

 銀細工に一つだけ深い青の宝石の付いたブローチにふと目が止まる。

 アリッサが視線を読んだのか、すかさずそれを手に取った。


「これ、ララティナ様の瞳そのものです。向きによって青の色の深さが変わるんですよ」


「い、いや。私はべつにこれがいいとは…」


 そう言いながら、ララの頭にはそれを身に着けているキアの姿が浮かんでしまった。


「いや待て。でも、よく考えたら不要かも。着けているところをみたことないし」


「正式な場ではするはずです」


「だが、でも。うーん」


 ララの様子を見て、アリッサが微笑んだ。


「旦那様のこと、大好きなんですね」


「なっ!」


 ララは顔が熱くなるのを感じた。


「だって、そんなに悩むなんて。大丈夫です。ララティナ様の選んだものなら、きっとなんでも喜んでくださいますよ」


 ララは口を閉じ、少し悩んだ。


「これにする」


「ありがとうございます!」


「あ、料金は私が払う。騎士時代の貯金で…」


「え?騎士ですか?」


「と、とにかく、ありがとう」


 アリッサは、綺麗な布でそれを包んでくれた。

 まだ本人に会えてもいないのに、渡すことを考えると、ララの心臓は勝手に高鳴っていた。

 その時、扉を叩く音がするとリヴィエラとマリエラ、クラリッサが部屋に入って来た。


「あらあら、大きな花嫁さんですこと」


 リヴィエラが嫌味な口調でララを眺める。


「お姉様、失礼ですわ。入ってくるなりそんなことを」


 エレノアが窘めるように口を挟む。


「あら、本当のことですもの。いいじゃない」


「まあ、素敵な花嫁衣裳。ねぇ、クラリッサ。ララティナお姉様にぴったりでしょうね」


 アリッサが裾を調整しているドレスを見てうっとりとマリエラが言い、ドレスのレースに触れる。

 ララはリヴィエラを無視して、マリエラに近付く。


「そ、そうだろうか」


「わたくしもこんな綺麗なドレス着てみたいですわ」


「わたくし達、先ほど騎士団本部に行ってキア様に会ってきましたの」


 リヴィエラは、扇子を開くと顔を仰ぎながら言った。

 ララは驚き、目を見開いた。


「お忙しい中、キア様はマリエラと二人きりで過ごす時間を作ってくださいましたわ」


 思いがけず、ララは身体が冷たく動かなくなるような感覚がした。

 なんとも言えない嫌な気持ちで、マリエラを見つめる。


「マリエラの作った焼き菓子も喜んで食べてくださって。ねえ、マリエラ」


 マリエラはただ目を伏せていた。


「これじゃあ、どっちが婚約者かわかりませんわね。ほほほ、行きますわよ」


 それだけ告げるとリヴィエラに続き、クラリッサの手を引いてマリエラも出て行った。

 エレノアが口を開いた。


「あんなの嘘よ、ララ。気にする必要はないわ」


「ええ。…私も行こうかな」


「そ、そうなさい!ララ!」


 思わずでた呟きに、エレノアが興奮した様子でララの腕を掴んだ。


「え?エレノア。冗…」


「あなたが、そんなことを言いだすなんて。嬉しい!あなたも何か手作りを…!」


 エレノアが興奮した様子に、冗談だと言い出せずララは口を閉じた。


「あの方は恋敵なんですか?」


 アリッサが作業しながら、首を傾げる。


「いや、従姉妹なのだが…」


 テレサが、過去を思い出すように頷く。


「わたしにもありましたわ、そんな頃が。相手の気を引きたくて、手料理や菓子をふるまったりして…」


 長くなりそうな話に、ララは苦笑する。

 でも、会いたいのは本当のことだった。


 アリッサとテレサは、最後の調整は結婚式当日にすることになり帰っていった。

 ララはエレノアと一緒に厨房へ向かい、リアンの許可を貰うと細長いパンに具を詰めサンドイッチを作ることにした。


「今日の昼食の時に残ったジャガイモのサラダがあります。それも入れてはどうですか。ハムやベーコンもありますよ」


 そう言いながらリアンが食材を食糧庫から持って来てくれた。


「ありがとう、使わせて貰う。ああ、騎士団全員に回るようにセイラスさんのパン店に連絡をしてもらえるか。あそこのパンを騎士団へ差し入れてくれるよう手配を頼む」


「畏まりました」


「さすがね、ララ。すっかり領主の妻だわ」


「い、いえ。そんなことは…」


 エレノアの言葉に、ララは慌てながら料理の用意を始めた。


「これだけ具があれば、三種類くらいのサンドイッチが作れるかな」


 ララは、レタスを洗いトマトとベーコンを切る。

 焜炉に火を起こしてベーコンを焼いてそれを取り出すと、薄く切ったキノコを炒め、さらに牛乳を少し混ぜた卵を加えると半熟に焼いた。

 パンは間に切れ目を入れ、それをいくつも用意した。


「ララ…本当に慣れているのね」


 呆気に取られてララの様子を見ていたエレノアがぼそりという。


「え?そうですか?あ、エレノアも手伝ってくれますか?」


「わたくしがしてもいいの?」


「ええ。パンの間にバターを薄く塗って、私が今から材料を机に並べるのでベーコンと卵をこうやって隙間に挟んで…」


「まあ、お料理なんてわたくし初めてよ」


 そう言いながらも、エレノアは楽しそうに手伝ってくれた。


「あらあら。…ちょっと多すぎたわね」


 サンドイッチをバスケットいっぱいに作り、エレノアが言う。


「…キア様こんなに食べられるかしら」


「叔父上にも持って行こうかと」


 エレノアがすっと無表情になる。


「エレノアが詰めたのにしようかな」


「やだ、ララったら。意地悪ね。こんな不格好なの、困るだけよ」


「いえ、泣いて喜ぶかも」


 ララがフライパンと皿を洗おうとすると、リアンが言った。


「片づけは私が…」


「いや、私が使ったものだから」


「…昔を思い出しますね」


 リアンはそう言って静かに笑った。


「リアンは…知っていたのか」


「ああ、旦那様とダグラル様のことですか」


 リアンは、静かに息を吐いた。


「知らされてはいませんでしたが、旦那様が一体資金をどこから捻出されているかは気になっていました。ただ、それを暴こうとは思っていません。わたくしも自分達の生活が大切ですから」


「そうか…そうだな。これは、領民に知らされるだろうか」


「キア様は恐らくガーディアス家の名を貶めるようなことはしないでしょう」


 義務。


 その言葉が、ララの頭を過り思わず呟く。


「こんな家を守ることに意味なんてあるのだろうか」


「あの方は、あなたを守りたいのでは?」


「え?」


「あなたの家なのですから」


「私の傷への償いか」


「わたくしは、そうは思いません」


 リアンはきっぱりと言った。


「あなたの傷は彼との絆なのです」


「絆?」


「守り守られる間である絆です」


「絆…か。そんな風に思ったことはなかった。私には重荷のように思える」


「重荷を負うために、はるばるこんな所まで来ようとは思わないでしょう」


「さあ、彼は真面目な人のようだから」


「あなたはもっとキア様と話すべきです、ララ様。お互いを信頼し合うには会話が一番です。同じ時間を過ごすしか、真意は分りません。これから、いくらでも時間はありますから」


「確かにそうだな。ありがとう、リアン」


 リアンはいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべていた。

 片づけを終え、エレノアに声を掛けた。


「エレノアも行きますよね」


「いいえ。わたくしは邪魔になりそうだからやめておくわ」


「邪魔だなんて…」


「キア様とあなたのお邪魔よ」


 エレノアがそう言って、ひやかすように笑った。


「エレノア、叔父上に似てきたのでは?」


「ま!失礼ね!」


 そう言ってエレノアは笑いながら拳を振り上げてみせた。


 ララは、髪飾りをしていくか悩んだがやめた。

 贈り物も持って行かないことにした。

 今日必ず会えるとは限らないと言い訳しながら。

 騎士団へは馬で行くことも可能だったが、キアの言いつけを守り馬車を出してもらった。

 問題は、解決したのかもしれない。

 だが、警戒を解けとは言われていない。

 騎士団に到着し、ララはサンドイッチの入った籠を手に騎士団の門へと向かった。

 今の時間の門番はアイザックだった。


「こんにちは、アイザック」


「ラッララ様」


 アイザックはすっと背筋を伸ばした。


「ひとりで門番を?」 


 本来なら、門番は二人必要だった。


「いえ、完全な人員不足です。先日エドバルを通した騎士も、金を受け取っていました。…この騎士団もかなりカイデン家の支配を受けていた様子です」


「…苦労を掛けている」


「いいえ。キア様はすごい方です。以前も王都で行われた大幅な騎士再編成に関わったとのことで、騎士達を罷免するだけでなく必要な厳罰を与え、騎士に復帰させる意向です。人員不足も一時的なものでしょう」


「なるほど…キアはすごいな」


「ララっ!」


 そう声がして、騎士団の入り口から出てきたのはミゼウルだった。


「ララちゃん!」


 思いきり抱き締められ、ララはぐっと息が詰まるのを感じた。


「もしかして手伝いに来てくれたの?」


「いえ、キアに…」


「ありがとう!困ってたんだ!手伝ってくれよ。キアが鬼すぎて俺この三日全然寝てないの。寝ないで調書とったんだぜ。すごくない?」


「ええ。すごい、すごい」


 ララはミゼウルの背中を軽く叩く。


「叔父上からなんか品の良い香りがすると不気味…」


「そうか!いい匂いがするか!これで、俺も高貴な男に近付いたな!で…調書を清書するの手伝って」


「え?」


「俺字が汚すぎて、書き直せってエリックに怒られた。なあ、いいだろう。手伝って!」


 ミゼウルに肩を揺らされ、ララは仕方なく頷いた。


「分かりました。…とりあえず、キアに挨拶をして許可を貰ってきます」


「俺がいいって言ってるのに!」


「分かっていますが、今回のことの感謝を言いたいので。…では、アイザック」


「ええ、ララ様。あ、パンの差し入れくをありがとうございます」


「お礼ならキアに」


 そう言って、ララはミゼウルの後を追いながら、周りの視線が気になったが見ないふりをした。

 自分がドレスを着ている姿はこの間も注目を浴びたが、まだ周りは慣れないのだろう。

 団長室の前まで来たところで、ふいにミゼウルが立ち止まった。


「あ、今は行かない方がいいかもしれん」


「え?なぜですか?」


「ベルシカ姉さんが来てるんだった」


 ベルシカ・テレシアは、ガーディアス領でアンジェという名の酒場兼娼館を営んでいる。

 ミゼウルと親しかったリリアもそこで働いていた。

 ララも騎士をしていた頃、ベルシカとは会ったことがある。

 店で酔って暴れる男を捕らえにいったのだ。

 ベルシカはララを気に入り、女だと伝えても口づけを迫られたことを思い出す。


「カイデン家の抱えていた賭博やら娼館やらの面倒を統括してくれることになったんだ。あの一番売れっ子のレイナを連れてきてたから、きっと色仕掛けしてんだよ。領主が支払う年間のお金を倍にしてぇーとか言って。どうする?口紅付けてたら…」


「それは…」


 ララが答える前に、目の前の団長室の扉が開いた。

 そこから出てきたのは、ベルシカだった。

 栗色の髪を纏め上げ、胸の大きく開いた葡萄酒のような赤いドレスを身に着けている。

 昔と少しも変わらない、妖艶で美しい女性だ。


「とんだ堅物でびっくりですわ、キア様。まあ、いいです。あたなの恋人のヴィヴィアナ様とは懇意にさせて頂きますわ」


 その言葉に、ララは思わず目を見開いた。


「いくわよ、レイナ」


「は、はい」


 レイナと呼ばれたのは、淡い金色の髪の細身の女性だった。

 一見すると娼婦とは分からないような白いドレスを身に着け、お金持ちのお嬢様のように見える。


「よう、ベルシカ姉さん」


 ミゼウルがベルシカに声を掛けた。


「あら、ミゼウル。ここ最近全然みないわね」


「俺本命ができたんだ。しかし、清楚系で狙いに来たが、失敗って感じだな」


「キア様、近づく隙もなかったわ。女性が苦手なんですって。…そう言いながら、王都でアンジュと同じような店やってるヴィヴィアナって女と連絡とれって。そしたら年間のお金倍にしてくれるってさ。自分の恋人と連絡取れだなんて…」


 ふと、ベルシカがララに目を留めた。


「うそ、ララティナ様?あらあらあら」


「もはや、ベルシカおばさんだな。…ぐっ」


 ミゼウルがぼそりと呟いたのを、ベルシカは耳ざとく聞き腹に肘を入れ、ララに駆け寄ってくる。

 ララはベルシカに軽く会釈した。


「お久しぶりです、ベルシカさん」


「嘘でしょっ!こんなに色気あふれる美女になるなんて」


「また、そんな冗談を…」


「お店に勧誘しとけば良かった。売れっ子確定だったのに!」


 ベルシカはそういうと、ララに近づきふいに頬に口づけた。


「またいつでも遊びに来てね。行くわよ、レイナ」


 ベルシカとレイナが嵐のように去っていく後ろ姿を見つめ、ララは思わず溜息を吐いた。


 キアの恋人って…。

 昔の話だって言っていたのに。


 思いがけずもやもやとした気持ちで正面を向いた瞬間、目の前にキアがいた。


「わっ!キア。驚かさないでくれ」


「来てたのか」


 なぜか、こちらを咎めるように睨みながらキアが言った。


「ああ。いま着いて…」


 キアがふいに、ララの頬に手を伸ばすと親指を押し付け、汚れを取るように擦る。


「いたた、なんだ。突然」


「口紅」


 ふいにミゼウルが笑いだし、キアの肩に腕を置いた。


「お前ら完全に逆じゃねえか。キア、女に嫉妬してどうする!」


「嫉妬とかではない」


 そう言って、キアはミゼウルの腕を払った。

 キアの手が離れると、ララは頬を擦った。

 確かにさっきのベルシカの唇の色と同じ真っ赤な口紅が付いていた。


「ああ、今口づけられたから」


「くちづけ」


 キアがなぜかそう言ってララを睨む。


「ベルシカさんは、昔からああなんだ」


「昔から…」


 キアがなぜそんなに不機嫌なのかは分からず、ララは首を傾げた。


「あの、キア。手紙をありがとう。その…あなたには感謝してもしきれない。本当にありがとう。大きな借りができたな」


 そう言って、ララはキアに微笑んだ。


「差し入れを持って来たんだ。良かったら」


 ララが籠を差し出すとキアは、それを受け取り淡く笑みを浮かべた。


「ありがとう」


「おお、さっきセイラスの店からもパンがたくさん届いたぜ、ありがとよ」


「みんなの、軽食にと思って。これは、エレノアと作ったんです」


「何っ!」


 ミゼウルはキアの手から籠を奪い取った。


「やだ、エレノアが俺のために?ララ、ちょー愛している」


「子どもか、あんたは」


「早いもん勝ちだぞ、キア」


「え?ララ様来ているんですか?」


 そう言って、団長室から顔を出したのはサリーだった。


「おう、ちび。茶入れろよ、茶」


 ミゼウルが、サリーへ籠を渡す。


「うわ、横暴。命令しないでくださいよ。紅茶ならキア様が淹れた方が美味しいんです」


「たくさんあるから、サリーもどうぞ」


 ララが声を掛けると、サリーはぱっと笑顔になる。


「ありがとうございます、お湯沸かしますね」


 そう言いながら団長室へと飛び込むサリーを追っていこうとして、ふいにミゼウルが言った。


「ヴィヴィアナって誰?」


 その問いに、ララは思わず肩を縮めた。

 キアは淡々と答えた。


「…知人だ」


「そんなんじゃ、誤魔化されないわよ」


 ミゼウルがなぜか声色を代えて言うと、ララに目配せした。


「あたし、愛人は許さないんだから!」


「気色の悪い話し方するな」


 キアは、呆れたように溜息を吐いた。


「ヴィヴィアナは、王都にある酒場の店主だ。娼婦という仕事の環境を改善させている。病気や貧困問題を訴え、王都で働く女性達はヴィヴィアナによって守られている」


「ほーん、で美人か?」


「本名は、ヘンドリックス・ティンバー」


 一瞬にして空気が固まる。

 ミゼウルが言った。


「おいおいおい、ヴィヴィアナってなに?」


「娼婦の息子で、娼館で育てられて女性になることを選んだそうだ。侯爵だった父親が死んで、遺産が転がり込んで…母親のような女性を守るために活動している」


「なあ、聞きにくいことなんだが。…男同士でなにをどうやって…。」


「何の話だ。…兄さんに連れていかれて店にいったことがあるだけだ。あの時は、酔った兄さんを連れて帰るのが大変だった」


 キアはうんざりとした様子で言った。


「ヘンドリックスとは、同じ貴族の愛人の息子だからと話をするようになった程度だ。…この名で呼ぶと怒られるのだが」


「お前ってなんでそんな受け入れいいわけ?女騎士の件も簡単に受け入れてくれたし」


「拒否するよりも受け入れる方が簡単だからだ」


「ってことで、ララ。お前騎士に戻れよ」


 ふいにミゼウルに言われ、ララは目を見開いた。


「また一緒に働こうぜ」


「…ララがやりたいなら構わない」


 キアはそう言って振り向いた。


 今までも自分が受け入れてもらえたようでララは嬉しかった。

 それでも…。


「いや、私は案外今の生活が気に入っている。ありがとうございます、キア。叔父上。たまに手伝えるなら、手伝いますが」


 ララはそう言って微笑んだ。


「で、まとめる調書はどこに」


「…資料室」


 なぜか少し表情暗くミゼウルが言った。

 キアが咎めるように言う。


「おい、ミゼウル。ララに仕事を押し付けたのか」


「違いますぅー。お手伝いですぅー」


「あんたな…」


「ララ、資料室にエリックがいる。礼を伝えてくれ。あいつ、以前からガーディアス家とカイデン家の関係に気が付いて、色々証拠残してくれてたんだ」


「え?」


「あいつさ、結婚したばかりのころ物凄く楽しそうだったのに…急に葬式みたいな顔しだした時期があったんだよ。裏で色々起こってることに気が付いたんだろうな」


 ミゼウルは続けた。


「悪事を黙って見過ごすか、悩んだんだろうな。だが、俺が見逃せって命令された奴をぼこぼこにしたことがあってな。…俺なら話してもいいだろうと思ったんだろう。隊長と副隊長になってからも、じじいどもがうるさくてな。でも、今回そいつらも追い出してやった」


「私には、何も教えてくれなかったのですね」


 ララがややむくれて言うと、ミゼウルははっとした様子で言った。


「お、怒るなよ!お前は真面目だから…こんなこと許されないってギデオンじいさんに言いに行ってただろ。…お前が嫌な目に会うのは嫌だったんだよ」


「叔父上は私に秘密ばかりですものね」


「え?キアのこともまだ怒ってんの?悪かったって!」


 ララは深く息を吐いた。


「もう怒ってませんから。そういえば、レチリカはいないんですか?レチの分まであるかな」


「レチリカは外回りをしている」


 キアが答えた。


「そうか。まあ、また今度作ってあげればいいか。じゃあ、私は資料室に行きますね」


 あまり自分が引き留めては仕事の邪魔になると思い、ララはキアとミゼウルに手を振り団長室から離れた。

 二階の資料室の前に到着すると、少し開いた扉からエリックのやや苛立った声が聞こえた。


「なんだ、これは。文字…なのか。字が汚いと思っていたが、走り書きだとミミズだぞ、これは。こんな面倒なことになるのなら、記録係を付けるべきだったな」


「失礼します」


 ララが扉を開くと、エリックが目を見開き椅子から立ち上がった。


「ラ、ララティナ様」


「ノーラン副隊長。ありがとうございます」


 ララは静かに頭を下げた。


「あなたには感謝しかありません。おじい様達がしてきたことを明らかにしてくださって。本当なら、私が責任をもってこの領地を返還すべき…」


「いえいえ、ララティナ様!あなたには何の責任はありません。あなたこそ、ガーディアス家に散々振り回されてきたのですから」


 エリックは微笑んだ。


「あなたの凛とした姿を見ていたら、真実を隠すしか能のない自分が情けなくて堪りませんでした。キア様が来てくださって本当に良かった。…あなたのお陰です」


「私の?」


「そうです。あなたが救った素晴らしい方です。あなたのために、この領地を調べ上げ、不正を正してくださった」


 ララは目を見開いた。


「キア様とミゼウルと私が連絡を取りだしたのは、もう五年前になります。ガーディアス家の財産が、ほぼカイデン家の資産で賄われていることは分かっていました。でも、そうでなくは、長い間隣国から領地の防衛を図ることは不可能だったのです」


 エリックは、静かに語り続けた。


「ギデオン様は、嘗て爵位を国から奪われたことを恨んでいました。意地でも自らの力で領地を守ることに拘って、ダグラル・カイデンと契約してしまったのです。ガーディアス家を守るために。それでこの領地を守れていたのは、本当です。ただ、膿は溜まっていってしまいましたが。ですが、ダグラル・カイデンはさらなる欲望を満たすために全てを手放した。…ダグラルの商売とか土地とかもろもろの資産を全部買い取ったのはキア様なんですよ」


「ええっ?」


「人を雇って、名を代えて。汚い商売をしている人からもお金全部巻き上げて…本当に巧みでした」


「そう…だったのですね」


「キア様もミゼウルも自分の功績を語るような人間ではありませんから。こうして私がばらしているわけです」


 そう言ってエリックは笑みを浮かべた。


「だから、あなたは何も恥じることなく胸を張ってキア様の隣にいてくださいね。あなたが去ってしまったら、キア様まで付いていってしまうだろうから…そうなっては我々が困ります」


「キアは、そんな無責任な人でありませんよ。義務や責任から逃げるような人では…」


「義務や責任なんて自己満足ですよ」


 エリックはさらりとそう言った。

 その言葉に、ララはふいにどきりとした。


「それを負うことで、満たされる人もいます。でも…案外自分勝手なダグラルのような人が自分だけは幸せに出来るのでしょうね。…まあ、自分勝手にしたことはすべて自分に返って来るのでしょうが」


 ララはなんと答えることもできず、ただ目を伏せた。


「適度に自分勝手でいいのですよ、ララティナ様。あなたは真面目過ぎるから」


 その言葉に、ララは微笑んだ。


「ありがとうございます、ノーラン副隊長。…ミミズ文字に困っているのでしょう?私に任せてください」


「なんと!これが分かるんですか」


「昔からあの人の傍にいますから」


「助かります!では、ここはお願いしますね。本当にありがとうございます」


 エリックはララに深々と頭を下げ、部屋を出て行った。


「さ、やれることをやろう」


 ララは、ミゼウルの書きなぐった文字を新しい紙へと書き直し始めた。

 少しして、扉を叩く音がした。


「どうぞ」


 そう声を掛けると、入って来たのはキアだった。

 丸い木の受け皿に紅茶を二つとララの作ったサンドイッチを載せ、腕にはチョコレートの箱を抱えていた。


「キア、どうしたんだ」


 ララは立ち上がった。

 キアは受け皿を机に載せた。


「紅茶を飲むかと思って。蜂蜜を入れてしまったが、問題ないか」


「も、もちろん、ありがとう」


「僕はここで食べようと思って。…君がいるなら」


 ララは嬉しくて思わず微笑んだ。


「そ、そうか。あなた達の邪魔になっていないか気になってたんだ」


「邪魔なわけない。むしろ…すまない。仕事を押し付けて。甘いものでも食べて、気長にしてくれ」


 そう言って、キアはチョコレートの箱を開いた。

 箱には小さなチョコレートがいくつも詰まっていた。


「至れり尽くせりだな。ありがとう」


 ララは椅子に座ると、チョコレートを一つ摘まんで口に入れた。

 その甘さに思わず微笑む。

 キアはララの隣に座った。


「キア、ノーラン副隊長から聞いた。…ずっとガーディアス領を守ろうとしてくれていたんだな。本当にありがとう」


「ほとんどは、人を雇ってだ。戦が終わるまで時間が掛かったからな。…僕のことも怒っているか」


 ララは首を傾げた。


「…なんの話だ?」


「いや、ミゼウルみたいに黙っていたから」


 ララは慌てた。


「そんなことはない。本当にただ感謝している!」


「それなら…よかった」


 キアはそう言って、サンドイッチを手にした。


「…甘いものとかの方が良かったか」


 ララは思わず尋ねた。


「マリエラ達が来たんだろう?」


「ああ、らしいな」


「会ってないのか」


「僕はいなかった。差し入れがあったらしいが、ミゼウルがうっかり全部食べたそうだ」


「…そうなのか」


 じゃあ、会ったというのはリヴィエラの嘘なのか。


 ララは、思いがけずほっとした。

 こんな大変なことが起こっているのに、自分がまたマリエラに嫉妬していたことを恥ずかしく思う。


「いただきます」


 キアは、口を大きく開くとサンドイッチにかぶりついた。

 頬に食事を詰めて、食べるその姿にララは思わず笑みが零れた。

 キアはそれに気が付いた様子で、少し恥じらうように目を伏せた。


「…おかしいか」


「あ、いや。美味しいそうに食べてくれて嬉しくて」


「そう…か」


「ああ。それに、あの時のことを思い出して」


「あの時?」


「私の作った羊の煮込みを食べてくれた時のことだ」


「ああ、あれは旨かった。具は…」


「大きいのだろう。分かっている」


 ララが拗ねた様に言うと、キアは淡く笑みを浮かべた。


「美味しい。ありがとう」


「それは、良かった。…あなたが食べている姿はなんだか良いな」


「良いか?…品がないと兄さんには怒られたが」


「そんなことはない。私はあなたの食べる姿が好きだ」


 キアがじっとこちらを見るので、ララは思わずはっとした。


「す、すごく豪快で、美味しそうでいい食べっぷりだ」


 そう言葉を足して、つい好きと口にしてしまったことを誤魔化すとキアは目を伏せた。


「それはどうも」


 ララは、紅茶を一口飲んだ。


「美味しいな。蜂蜜が入るとほんのり甘くて」


「ああ、君が送ってくれた蜂蜜を紅茶に入れて飲んでいた。そうやって飲むのが習慣になった」


「そうか、それは良かった。私は燻製肉の詰め合わせを贈ろうとしていたのだが、エレノアに可愛げがないと言われて…」


 ララは、はっと口を閉じた。

 自分の贈り物の才能のなさをついばらしてしまった。


「燻製肉か。食事の時に役立つから、それはそれで嬉しかっただろうな」


 キアは、サンドイッチに挟まったハムを見つめて一口食べた。


「すごく美味い」


「そ、そうだろう。ガーディアス領は食事がなんでも美味しいんだ。…あなたは好物とかあるのか」


「好物…はないな。甘すぎるものはあまり食べられない。羊のくせのある味は少し苦手だが、食べられないわけではない」


 キアは次のサンドイッチへ手を伸ばした。


「…君は?」


「私は、そうだな。改めて聞かれるとなんだろう。…ナシとか牛肉の煮込みだろうか」


「今度それも作ってくれるか」


「もちろん」


 キアは次のサンドイッチを口にして、興味深そうに眺めた。


「この卵がとろとろなのは、どうやって作るんだ?」


「それは牛乳を混ぜて弱火で焼くんだ。…料理に興味があるのか」


「ああ。昔よく作っていたから。ディアス村にいる時も、家を借りて食事は自分で作っていた。ただ、僕の国では結構香辛料を効かせていたから、サリーには時々不評だったな」


 ララは微笑んだ。


「サリーは容赦ないのだな」


「ああ。僕にとっては大切な…」


 そう言いかけて、キアははっとしたようにララを睨んだ。


「友人だからな。僕は男に興味など…ないからな。ヘンドリックスも恋人などではない」


「わ、分かった、分かった。悪かった、私が変なことを言った」


 今怪しい間があったが。


 そう言いたいのをララは堪えた。


「今度、私にも作ってくれるか。あなたの国の料理を」


「もちろん。あまり辛くしないように気を付ける」


 そう言って、キアは淡く笑った。

 キアはサンドイッチを食べながら紅茶を口にして、ぺろりと平らげてしまった。


「ごちそうさま」


「足りなかったか?」


「いや、十分だ」


 キアはナプキンで口を拭いながら言った。


「君に言っておこうと思うのだが」


「なんだ、改まって」


「ダグラル・カイデンが捕まった」


「え?」


「捕まったというよりは、捕まえてもらっただろうな。彼もレドへ送る。彼の今までしたことが暴かれれば生きているうちに出て来るのは無理だろう」


「捕まえてもらったって、どういう意味だ」


「彼は借金をした。結構な額を。それで金剛石の鉱山を買った。しかし、そこはただの山だった」


「まさか、あの慎重なおじいさまが騙されたのか?あの人が詐欺に引っかかるなんて」


「そうだな。慎重だったが、案外早かった」


 キアは淡々と続けた。


「山と住人を雇って、噂を流してからどれくらいだろうか。調査させる人間を雇おうとしていたから、偽の調査団も作った。それから、山を買いたいという金持ちも作った」


 ララは、話を聞きながらただ茫然としていた。


「あなたが…嵌めたのか」


「ああ」


 キアは、なんでもないことのように言った。


「ダグラルは、僕がこれまで掛けた金額の倍を支払い、借金までして何もない山を買った。そのために、家族も何もかもを捨てた。取り立てから逃げるために捕まったんだ。取り立てに捕まれば死ぬよりひどい目に合わされるだろうからな」


「あなたは…とんでもない人だな」


「バルバロットの力がすごいだけだ」


 ララは深く息を吐いた。


「私にできることは何かあるか、キア。この大きな借りを返す方法が」


 キアはじっとララを見つめた。


「君に望んでいることはなにもない…と以前は言ったが本当は山ほどある」


「い、一体なんだ」


「ララ。夫婦…いや、家族というのは貸し借りの必要のない関係だ」


 ララは驚いて、キアを見つめた。


「と、ルーシャ先生が言っていた。…僕の望みは、貸し借り関係なく君に頼むことにする」


「貸し借りのない関係…か。素晴らしい先生だな」


 キアは淡く笑みを浮かべた。


「ああ。…優しい先生だった」


「私もそう…思えたらいいのに」


 ララは目を伏せた。


「私の両親は…互いを傷つけあっているようにしか見えなかった」


「喧嘩ばかりだったのか?」


「いや、父は母から逃げてばかりで…喧嘩さえもしなかった。そして、突然消えてしまった」


 ララは力なく微笑んだ。


「私達は、そんな風にはなりたくないな」


 キアはじっとララを見つめていた。


「君が騎士に戻りたくないのは、もう母親がいないからか」


 その唐突の言葉に、ララは一瞬言葉を失った。


「騎士になって、もう一度愛して欲しいと言っていた」


「そ、それは…」

 

 そんなことまで話してしまっていただろうか。

 ララは目を伏せた。


「ミゼウルが気にしていた。自分が無理に騎士をさせていたんじゃないかって」


「そんなことはない。…そんなことはないんだ」


 ララは目を伏せたまま話続けた。


「私が騎士になったのは、自分のためだ。今はただ、騎士よりもエレノアから色々教えてもらえる方が楽しいだけだ」


 ララは顔を上げ、キアに微笑み掛けた。


「だが、今日のように手伝いがあれば言って欲しい。それと、エルシーのように剣を学びたい子がいればいつでも協力する」


「そうか。…分かった」


 キアはふと壁の時計に目を向け、皿を手にすると立ち上がった。


「…もう行くのか」


「ああ、まだいろいろと話し合いがある」


 ララは、おもわずキアを入り口まで見送るため立ち上がりその背中を追い掛けた。


「僕はまだ色々と問題が片付くまでは帰れない。式のことは任せてすまない」


「いや。すでにあなたが色々段取りを済ませていてくれたおかげで、私は自分の準備くらいしかない。今回の騒動の前に済ませておけば良かったな」


 キアは、ゆっくりと振り向くとララをじっと見つめた。


「…そうだな」


 キアは何か考えている様子だった。


「じゃあ、また…」


「ララ、ベルシカとは友人なのか」


「え?どうしたんだ、急に。友人とは言えないな、知人というか」


「じゃあ、僕がしても…構わないな」


 ふいに、キアは屈むとララの頬に顔を近づけた。

 頬に唇の濡れた感触を感じた。

 口づけというよりは、唇を押し当てられた感触だったが目を見開いたララの目をキアが覗き込んで来た。


「いや…か」


 突然のことに戸惑いながら、ララは目を伏せた。

 顔がみるみる熱くなってくる。


「い、いや…ではないけど、と、突然で驚いた」


「…そうか」


「ど、どうして急に」


「もう少し、君と家族らしくなりたいと思って」


 キアは屈んだまま澄んだ瞳で、ララをじっと見つめる。


「僕にも…してもらえる?」


 ララは目を瞬いた。

 ますます顔が熱くなり、お腹がきゅっと痛くなる。


 なんかねだられてる!

 可愛らしいのだが!


 ララは目を閉じ、意を決した。

 頬に口づけなんてちゅっとするだけだ。

 叔父上やレチ、エレノアにしたこともある。


 友人でもするから!


「じゃ、じゃあ」


 ララは思いきって、キアの頬に口づけた。

 軽く吸った頬は、ひんやりとして滑らかだった。

 キアは目を瞬かせ、ララが口づけた頬に手を置いた。


「なるほど。…吸うのか」


 再びキアが、ララの顔に顔を寄せた。

 ララの頬に再びキアの唇の感触が落ちた。

 今度は微かな音を立て、口づけられた。


「このやり方で合っているか?」


 ララは、恥ずかしさに悶えながら顔を両手で覆った。

 まさか、またされるなんて心の準備が!


「いや…私にも正しいのかわかりません!」


「…なんで敬語なんだ」


「男の人は叔父上にしかしたことないし、ほぼ髭だし。…あなた肌つるつるだな」


「…あいつにはもうするな」


 ララが顔を上げると、キアはむっとした顔をしていた。


「なんか腹が立つ」


「そんな…」


「冗談だ。髭越しならいい」


「髭越しって…」


「…いや、これからあいつがしないような場所にすればいいのか」


 キアはじっとララを見つめると、淡く笑みを浮かべた。


「…どういう意味だ?」


「いずれ分かる。では、また」


 キアはそれだけ言うと、部屋を出て行ってしまった。


「キアに限って、いやらしい意味じゃないよな」


 ララはまだ熱い頬を両手で冷やした。

 キアの行動が読めず、戸惑うばかりだ。

 義務だとしても、キアは家族になろうとしてくれている。

 それが嬉しかった。

 たださっきのように、つい自分の気持ちが零れてしまいそうなるが。


「私も叔父上に似ているのかもな」


 そう呟いて、ララは微笑んだ。



 日が傾く前に、ララはなんとか調書を纏め終え、団長室へ向かった。

 扉を叩き部屋を開けると、団長の椅子にミゼウルが座り、キアとエリックと話をしていた。


「お、ララ。終わったのか」


「はい、なんとか」


 長椅子には、レチリカとサリーが座っていた。


「あ、ララ姉」


「レチ、お疲れ様」


「なんか大変なことになっているね。レチにはよくわかんないけど」


 そう言いながら、レチリカは差し入れの揚げパンを食べていた。


「ララ姉のサンドイッチ、レチも食べたかったなあ」


「差し入れのパン五個めだよね、レチリカさん。ララ様、すごく美味しかったですよ」


 そう言って、サリーが笑顔を向ける。


「具を挟んだだけなんだが。だが、喜んでもらえて良かった」


「ララ姉、今度チーズ焼き作ってよね」


「はいはい、また今度ね」


 ララが団長の席の前に立つと、キアがじっとララを見てくる。


「今度僕にも」


「もちろん。あ、でも食材はあなたに切ってもらおうかな」


「分かった」


 ミゼウルがキアに向かって言った。


「キア、料理なんかすんのか?どうせ、あれだろ。俺と一緒でとんでも煮込みだろ」


「キア様の料理もすごく美味しいですよ。挽肉と豆とトマトの煮込みとか。…ただ、時々ぴり辛ですけど。ぴり辛どころじゃない、激辛の時もありますけど」


「それは申し訳ないな、サリー」


「いいんです!」


「それで、ララ様。何か気付いたこととかありますか」


 エリックに言われ、ララはまとめた調書を渡した。


「気になるのは、元騎士が誰もいないことです」


「ああ、アーロン王時代の不正をしていた騎士達のことですか?」


「はい。王が変わり不正に関わっていたかなりの貴族が爵位を奪われ、騎士を罷免もしくは懲罰されたと聞いています。アーロン王の時代には金を支払って解放されていた罪人も、かなりの数再度捕らえられたと。その後罪を償い釈放された元騎士もいるそうですが。王都から集められたというのに、そのような経歴のものは誰もいません」


「なるほど」


 キアが呟いた。


「彼らが裏に集まり、僕への恨みを晴らそうとしているということか」


 ララは静かに頷いた。


「可能性はある」


 ミゼウルがうんざりした様子で頷いた。


「お前恨まれてるって言ってたもんなあ」


「騎士とはそういう仕事だろう。…だが、アーロン王からギルバート王に代わる時に、多くの貴族や騎士を追放した。兄さんも僕も、何度か妙な男達に絡まれた経験がある」


 キアはサリーの方を見た。


「サリーに、集められた男達を見てもらったが面識はないと言っていた。あの男達は、本当に雇われただけなのだろう」


 ララはサリーの方を向いた。

 サリーはその視線に気づき、微笑んだ。


「あ、僕人の顔を覚えるのが得意なんです」


「すごい特技だな」


「いや、ただの癖というか。家が靴屋なので、お得意様をなってもらって何度も修理に通ってもらわないといけないからって、昔からお父さんに言われてまして。覚えるの癖になっちゃって」


「特に女性の顔は忘れない。ララのこともすぐ気が付いたしな」


「もーキア様ってば。褒めても何もでませんって」


 照れるサリーに、レチリカが冷めた視線を送り呟く。


「すごい特技が台無し。ちょっと見直してたのに」


「え?何か言った、レチリカさん」


「なんでもなーい」


「まだ油断はできないですね」


 エリックがそう言うと、一同口を閉じた。


「とりあえず、私は帰ります」


 ララは言った。


「遅くなってしまったので、エレノアが心配しているだろうし」


「分かった、ララ」


 ミゼウルは言った。


「エレノアに三日分の好きだよを伝えてくれ。サンドイッチ最高にうまかったって」


「分かりました」


「馬車を頼んでくる」


 そう言うと、キアは部屋の入口へと向かった。


「キア、大丈夫。自分で頼むから」


 そう言ったが、キアはそのまま部屋を出て行った。


「では、失礼します」


 ララはキアを追い掛けた。


「キア、私は…」


 ララが追いつくと、キアは何でもないことのようにララの手を握った。


「乗り場まで送る」


 キアは、そのまま手を繋いだまま歩き出した。


 なにこれ。


 ララは、顔が熱くなるのを感じた。

 廊下を通り過ぎる騎士達がこちらを見ているような気がして目を伏せる。

 キアのひんやりとした手に比べ、熱くなった自分の手から汗が噴き出してしまわないか気になった。


 恥ずかしい。

 けど…嬉しい。


「ララ」


 ふいにキアに名を呼ばれ、ララは飛び上がる。


「はいっ!」


「明後日昼には一度戻る。そしたら、僕の部屋に来てくれるか。…大事な話がある」


「…分かった」


 深刻そうなキアの様子が気になったが、ララはそのまま馬車乗り場までキアと歩いた。

 キアは、用意されていた馬車の扉を開けた。


「では、また」


 そう言うと、キアはララの頬に素早く唇を付けた。

 今日もう三回目の口づけだったが、ララは再び身体を縮めた。

 少しも慣れそうになかった。

 キアは、恥ずかしくないのだろうか。

 澄ましているキアを恨めしく見つめながら、ララはキアの手を借り馬車へ乗り込んだ。

 キアはなぜかララの手をなかなか離そうとしなかった。

 背丈がキアと同じくらいにだった。

 ふいにこれなら屈んでもらわずに口づけできそうだと思った。


「キア」


 キアの手がゆっくりと離れると、ララは身を乗り出していた。

 頬にするつもりだった。

 思いがけず、キアの唇の端に唇を寄せていた。

 口づけた瞬間キアの唇の感触を感じてララは、はっとして離れると慌てて言った。


「ま、また!」


 ララはキアの顔をまともに見られず、馬車の扉を閉めた。

 御者に合図をして馬車を出してもらう。


「ああああ」


 思わず声を漏らし、顔を両手で覆う。


「いや、唇に唇触れたんだが!どうしよう、ぐあああ。恥ずかしすぎる!」


 ララが漏らす奇声は、馬車の音に消されていった。

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