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妊娠しただけです。  作者: 柏木椎菜


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十二話

「逃がさねえ……!」

 木々の間を縫って走る先には、茶のマントを閃かせながら逃げる犯人の姿があった。

 二人の様子を眺めていたクロードは、最初の矢が放たれた時に、それが矢だと瞬時に気付き、伏せろと叫ぶと同時にすぐさま犯人の姿を捜した。そして二射目が放たれた直後、離れた木の陰から二人を狙う人影を見つけ、クロードは全速力で駆け出したのだった。

「待てっ!」

 マント姿の犯人は足が速く、クロードが懸命に走ってもなかなか距離が縮まらない。その背中を追いながら、クロードの頭にはフェルナンドが宴で襲われた時の犯人の特徴がよみがえった。フードに、マント姿――見れば先を走る犯人もフードをかぶっている。同一犯の可能性が高い。そうなると狙われたのはやはりフェルナンド……しかしなぜここまで執拗に狙うのか。それは直接犯人に聞くしかないのだろう。

「……!」

 走るクロードの目に飛び込んで来たのは、木につながれた馬だった。犯人は結んだ手綱を解き、急いで馬にまたがろうとしていた。ただでさえ距離が縮まらないのに、馬を使われたら追い付くことも捕らえることも叶わなくなる。それだけは絶対に避けたかった。

「乗らせるかよ!」

 かなり慌てているのか、犯人は騎乗に手間取っていた。その隙を逃すまいと、クロードは走りながら足下にあった石を拾うと、馬の尻に向かって思い切り投げ付けた。

「ヒヒイイィンッ」

 見事命中すると、馬は驚いたようにいななき、後ろ足を大きく蹴り上げて暴れ始めた。

「うわっ、ちょっ、大人しく……あっ!」

 ようやく騎乗した犯人だったが、暴れる馬の手綱を握るだけで精一杯のようで、走り出すことができない。首にしがみ付き、耐えようとするも、やがてその身体は馬の背からずり落ち、地面に落下した。

「くっ……うう……」

 腰をしたたか打ち、犯人は苦痛の声を漏らす。そんな主を気にもせず、馬は手綱を引きずって林の先へ駆けて行ってしまった。

「痛そうだな。手を貸そうか?」

 見上げた犯人の上には、追い付いたクロードの険しい顔があった。咄嗟に逃げ出そうとした犯人だが、クロードはすぐに襟首をつかみ、強引に地面に押さえ付けた。

「は、放せ……!」

 怯えた声にクロードは口の端で笑う。

「あなたがこんな大それたことをするとは思いませんでしたよ……」

 そう言いながらクロードは犯人のフードを取った。

「アーサー様」

 黒い頭をもたげると、紫水晶の瞳が上目遣いにクロードを睨む。

「狙ったのは、フェルナンド様ですね?」

 問うが、アーサーは睨んだまま黙っている。

「以前の宴での事件もあなたの仕業ですよね。一体なぜフェルナンド様を襲ったんです?」

 アーサーは黙り続ける。これにクロードは顔をしかめる。

「このまま、何も話さないおつもりですか。そんなことは許されませんよ」

 強い口調で言われると、アーサーはおもむろに口を開いた。

「……ただの使用人に、話すことなんてない」

 見下した言い方にクロードが言い返そうとした時だった。

「では使用人でない僕になら話せるか?」

 声に振り向くと、そこにはこちらに向かって来るフェルナンドとアデルの姿があった。

「クロード、大丈夫だった?」

「ああ。久々に本気で走らされたけどな」

 二人の会話を横目に近付いて来たフェルナンドは、地面に押さえ付けられたアーサーを見下ろす。

「初めましてアーサー……いや、どこかで顔は合わせているのかな。何しろ僕は男に興味がなくてね。まして闇討ちするような卑怯なやつなど視界にも入らない」

「くっ……!」

 アーサーは歯を食い縛ってフェルナンドを睨み付ける。

「ふむ、これで僕に矢を打ち込もうとしたのか」

 離れた地面に落ちていた石弓を見つけ、フェルナンドは拾い上げてまじまじと見るが、すぐに放り捨てて言った。

「君が下手で助かったよ。おかげで僕は傷一つ負わずに済んだ。……ああ、傷は負わされたんだったか。後頭部に一発」

 アーサーの横にしゃがんだフェルナンドは、忌々しげに睨んでくるその顔を見据える。

「ザカリーの酒宴で襲って来たのも君なんだろう? その理由はなんだ」

 アーサーは感情的な視線を向けながら、絞り出すような声で言った。

「ローザの、ためだ」

 三人は同じように首をかしげる。

「僕を襲うことが、なぜローザのためになるんだ?」

「お前があまりに、無責任だからじゃないか!」

 思い当たる節のないフェルナンドは、きょとんとするばかりだった。

「僕がローザに何をしたって言うんだ」

「人生を狂わせたんだ。お前が!」

 するとアーサーは押さえ付けるクロードを突き飛ばし、フェルナンドの胸ぐらをつかんだ。それを止めようとアデルとクロードは慌てて駆け寄る。

「お、おやめください! 離れて……」

 二人でアーサーを引き剥がすも、憤る様子は治まらない。

「わからないなら教えてやる! ローザは、ローザは……お前の子を身ごもってしまったんだよ!」

 これにフェルナンドは驚きを見せたが、彼以上にアデルとクロードも驚いた。

「お待ちください! それは、アーサー様、どういうことなのですか? 以前はご自身のお子だと仰って――」

「あれは全部嘘だ。僕が子の父親になろうと思って言ったんだ」

 やはりアーサーの告白は嘘だった。あの話はあまりに疑わし過ぎた。しかし――

「な、なぜそのような嘘を……」

「ローザは誰が父親か、言っていないんだろう? それはこいつだから言えないんだ。節操なく口説き回る、最低な男だから」

 アデルは当惑し、アーサーとフェルナンドを交互に見やる。何を信じていいものか、さっぱりわからなかった。

「最低と思われたから、フェルナンド様を襲ったというのですか?」

「ローザにはお前が父親である事実は認めたくないことだ。だからそれが明かされる前に殺してしまえば、お前は父親として名乗り出ることができなくなる。そして代わりに僕が父親となってローザと子を支えるつもりだった。それが、狂わされた彼女の人生を元に戻す最良の方法だ。僕は、無責任なお前とは違う!」

 腕を引く手を放せば、すぐにもつかみかかりそうな剣幕でアーサーは言った。フェルナンドに対して相当な怒りや反感、軽蔑を募らせているようだ。

 アーサーはじっと見るだけのフェルナンドに鼻で笑いかける。

「……これだけ教えたのに、何も言うことはないのか? それとも、今になって自分の責任を痛感し始めたか?」

 フェルナンドはしばらく黙って突っ立っていたが、二、三度瞬きをするとようやく口を開いた。

「……いや、すまない。君の話をすぐに理解できなくて、聞きたいことを整理していたんだ。まず初めに――」

 そう言ったフェルナンドの目がアデルを見る。

「ローザが身ごもっているというのは、本当なのか?」

 アーサーがはっきり言ってしまった今、もはや隠しもごまかしもできない。アデルは素直に頷きを返すしかなかった。

「それは、驚いたな……」

「お前以上にローザは驚き、困惑しているんだ!」

 怒鳴るアーサーの態度に意も介さず、フェルナンドは聞く。

「君は僕が子の父親だと言うが、なぜそう思うんだ?」

 アーサーは刺すように睨んだ。

「責任を逃れるつもりか? ローザをまだ孤独に――」

「そんなことは言っていない。だがこれだけははっきり言っておこう。僕とローザは一度として親密な関係になったことはない。だから子の父親にはなり得ないんだよ」

「嘘をつくな! お前が父親なんだろう!」

 いきり立つアーサーにフェルナンドは肩をすくめる。

「嘘などつくものか。もしローザの心を手中にできれば誰かに自慢でもしている。だが彼女を口説き落とすのはそう簡単ではなかった。君がなぜこんな思い違いをしているのか、実に不思議だね」

 フェルナンドがとぼけていると思ったのか、アーサーはさらに大声で怒鳴った。

「お前以外には考えられない! お前がローザをもてあそんだんだ!」

「そう決め付けるなら、証拠はあるんだろうな?」

 聞かれるとアーサーは、ぐっと声を詰まらせた。

「あるからそこまで声を張り上げて言ってくるんだろう? まさか、根拠もなく言っているわけでは――」

「ローザにずっと付きまとっていたのはお前だけだし、誘いの言葉をかけ続けていたのもお前だけだ! 可能性が一番あるなら――」

「可能性?」

 フェルナンドがじろと見ると、アーサーは怯んだように目を泳がせた。

「君は可能性で僕を責め、さらには殺そうとしたのか? 何の根拠も、証拠もなく、単なる思い込みだけで?」

「お前以外に、考えられないじゃないか。女と遊んでばかりの、お前しか……」

 尻すぼみになっていくアーサーの言葉に、三人は唖然とする。彼の中には決定的な根拠などなく、ただフェルナンドがローザを頻繁に誘っていたから父親ではないかと思っただけ、ということらしい。その膨らんだ気持ちが凶行に走らせ、危うく殺人事件を引き起こそうとしたのなら、アーサーはあまりに愚かとしか言いようがない。

「……呆れるのを通り越して、笑えてきそうだよ。思い込みで僕を殺して、それがローザを助けることになると本気で思ったのか?」

「う、うるさい! 嘘つきは黙れ! 僕は、僕は……」

「嫉妬もあったのではありませんか?」

 隣のアデルにアーサーは驚いた顔で振り向く。

「し、嫉妬って、何のことだ……」

「アーサー様はローザ様のことをとてもお慕いしているご様子。そんなローザ様と何度もお話しされていたフェルナンド様に、嫉妬や妬みの感情を抱いたのではありませんか?」

「こんな、やつに、嫉妬なんか……」

「ローザ様のご妊娠を知り、父親がわからないと聞いて思い浮かんだのでしょう。ローザ様と頻繁に接触されていたフェルナンド様が父親かもしれないと。けれど事実はどうであれ、そうはさせたくなかったアーサー様は、私共にご自分が父親であると仰いました。そしてその嘘を現実にするため、フェルナンド様を襲い、父親と名乗り出られないよう口を塞ごうとなさった――」

「………」

「残されたローザ様はお子の父親を失い、このままでは親のわからないお子を産むことになりますが、そこにご自分が父親であると、ご結婚を申し込まれるアーサー様が現れれば、ローザ様は世間体を気になさって受け入れてくださるとお考えになられたのではありませんか?」

「……くだらない、妄想だ」

 アーサーはわずかに震える声で言う。

「へえ、不憫なローザへの優しさではなく、そんな下心を隠していたとは……君は顔に似合わず質が悪いようだね」

 腕を組み、半笑いで見つめるフェルナンドをアーサーはすぐさま睨み返す。

「だからっ、こいつの勝手な妄想だ! こんなことでお前が父親であることはごまかせないぞ!」

「言っただろう。僕は父親ではあり得ない。何せローザには他に意中の者がいるんだ。僕の誘いには乗ってこないよ。ついでに、君の求婚にもね」

 これにアーサーの顔色が変わった。

「ローザに……意中の者が……?」

「ああ。態度を見ていればわかることだ。君はそんなことにも気付いていなかったのか? 鈍い男は好かれないよ」

「だ、誰だ! ローザが思いを寄せる男は!」

「僕が知るわけないだろう。彼女からはもう手を引いた身だ。まあ、たとえ知っていたとしても、君にだけは教えないけど」

「ローザに、そんな男が……じゃあそいつが、子の父親なのか……?」

「誰が父親であろうと、君にはもう関係のない話だろう。ローザとは二度と会えないだろうからね」

 フェルナンドはアーサーの目の前まで近付くと、息のかかる距離で言った。

「僕を二度も襲った罪は重いぞ。公の場で父上にきっちり裁いてもらうからな。覚悟はしておけよ」

 にやりと笑いかけたフェルナンドに、アーサーは食ってかかりそうな目付きを向けたが、抵抗は無駄と察して最後はうなだれた。この期に及んで逃げたところで犯人はすでに判明しているのだ。大人しく捕まるしか道はない。

「……君達には助けられたね。礼を言うよ」

 フェルナンドはアーサーを押さえる二人に笑顔で言った。

「私は何も……逆にフェルナンド様に助けていただいた身です。お礼はクロードに仰ってください」

「いえ、私にも無用です。これが本来の仕事でありますから。ですが犯人を捕まえることができ、本当に一安心です」

「まったくだ。義賊の仕業でなかったと知れば、皆もまた外に出て来るだろう。そうすれば僕も暇を持て余すことはなくなりそうだ」

 そう言うとフェルナンドはアデルに視線をやる。

「今回のデートは中途半端に終わってしまったが、君のことはまた誘いたいと思っている。その時は良い返事を期待しているよ」

 にこやかに言うフェルナンドに、アデルは勘弁してと心の中で呟きながら苦笑いを浮かべるのだった。

 その後、二人はアーサーをフェルナンドの館まで連れて行き、そしてガリフェ家への長い道を馬車に乗って帰って行く。青空の下をガタガタと揺られながら、二人は流れて行く景色を眺める。ほんの一、二時間程度の出来事ではあったが、デートを強いられ、矢で射られそうになったアデルは重い疲れを感じていた。しかし決して後ろ向きなものではない。新たな名も聞け、事件の犯人まで捕まえられたのだ。その心は小さな達成感に満たされていた。

「なかなかの名推理だったな」

 隣に座るクロードがおもむろに言った。

「……何のこと?」

「アーサー様のたくらみについてだ。よくあそこまでわかったな」

「別にわかったわけじゃない。アーサー様が言ってた通り、全部私の妄想よ。ローザ様を慕っていることから考えて一連の行動を当てはめれば、そういう動機もあるんじゃないかなって思っただけよ。それが当たってるかはわからないわ」

「いや、当たりだったはずだ。アーサー様の声が震えてただろう。あれはきっと図星を指されたせいだ。……アデルはメイドより、調査官とか探偵になったほうがいいんじゃねえか?」

「この程度で探偵になれるなら街中に探偵社の看板が並んでるわよ。それに私達の仕事はまだ途中よ」

「ああ、そう言えば名前は聞けたのか? デートに夢中で聞きそびれたわけじゃ――」

「しっかり聞いた。大貴族のアルバクス公爵のご子息、マウリス様だそうよ」

「へえ、そりゃまたすごいお名前が出たもんだな……」

「アーサー様のお話が嘘だと判明して、また関係のありそうな方にお話をうかがうことに戻るわけだけど、今度のお相手はこれまでの方達とはちょっと違うわ。すんなりお会いしてくださるかもわからないし」

「大貴族は、普通の貴族でも会うのは難しいって聞くからな」

「それだけお忙しいということなんでしょうね。それで私達とお会いしてくださるとは到底思えないけど……でも、お話はうかがいに行かないと。どうにかしてでも……」

 先が思いやられはするが、それでも二人は仕事として話を聞きに行かなければならない。ローザとはどんな関係なのか、親しい仲なのか――アデルは遠い空を見つめながら、まだ見ぬ大貴族に思いを馳せるのだった。

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