第03話 幻操士の試練、蒼髪美女の事情
今回から三人称です。
一人称小説を期待していた読者様、ごめんなさい。
レトの砂漠にある集落を出てから約2時間。その間に、聡一はセフィーアに自分がいた世界のことを言葉にできる限り教えていた。そこでは"少しばかり"武芸を嗜んでいたこともさりげなく付け加える。
セフィーアは聡一の話を興味深げに聞いていた。特に何百人という人間を乗せて空を飛ぶ飛行機の話などを聞かせたときは、とても目を輝かせていた。自分もいつか乗ってみたいという彼女に、飛行機事故などで乗客のほとんどが死んだという凄惨な負の話をするのも忘れない。いつの時代も、完璧な物などないのだ。
それを聞いて身を震わす蒼髪の美女を眺めて一人悦に入る聡一だったが、それ以上に自分が目の前の女の子に随分と心を許していることに驚いていたりする。
中学時代から付き合いのある友人達を除いて、聡一がここまで気を許した相手はセフィーアが初めてだった。それも、出会ってまだ数時間しか経っていないというのに、だ。
かつてない心境に少しだけ戸惑う聡一だったが、きっと、命を助けてもらっただけではなく、初対面なのに色々と便宜を図ってくれている彼女の優しさを信用したのだろうという勝手な憶測で自分を納得させた。
そんなこんなで移動を終え、今はアークレイムが信仰する宗教の巡礼地の一つ、神聖アークレイム教国領、ルペヌの森にあるレヴェラ聖堂の前にいる。
レヴェラ聖堂とは街の外に建てられたなかなかに巨大な建造物で、ルペヌの森の入口から徒歩1分ほどの距離にあるアークレイム5大聖堂の一つである。
幻操士の試練を受けることができる聖堂であり、また森の近くに作られた街はそれなりに大きく活気があることで知られていた。
勿論、聡一がここまで来た理由は、幻操士になる為の試練を受けようとしているからに他ならない。試練を受けて幻操士になれる者は限りなく少ないらしいが、それでも無料で受けさせてくれるのなら利用するに越したことはないだろう。
仮に成功すれば、この世界での地位は確立したも同然なのだから。
そして、レヴェラ聖堂の入口に立っていた神官に要件を説明し、「せっかくだしここで待っててあげる。頑張って」と微笑むセフィーアに見送られながら、聡一は建物の中に足を運んだ。
レヴェラ聖堂の屋内は、自分の姿が映るほど綺麗に磨かれた床、地味ながら手の込んだ彫刻が掘られた石壁に囲まれ、天井は首が痛くなるほど高い位置にあり、ステンドグラスが一定の距離ごとに設置されていた。
床の輝きとステンドグラスの鮮やかな模様に彩られた通路は、巡礼者に対しまるで天国への道を進んでいるかのような気分にさせることで割りと有名だったりする。
しかし、宗教には全く興味がない典型的な無神論者の聡一にとって、聖堂とは堅苦しい人間が犇くただの息苦しい建物でしかなかった。無論、初見なら誰しもが目を奪われるこの聖堂の美しさなど彼の眼中にはない。
案内を務めてくれている女性神官からこの聖堂に対しての感想を尋ねられても、「綺麗なとこですね」と社交辞令だけを述べ、興味がないという態度を必死に愛想笑いで誤魔化すことしかできなかったのは言うまでもないだろう。
――それから廊下を歩くこと数分。
道中で長々と語られるレヴェラ聖堂の歴史の話にウンザリしながら、バレないようにそっと欠伸を噛み殺していたところへ、女性神官が足を止めて聡一に振り返った。
「こちらへどうぞ」
やっと解放される!と喜ぶ聡一の内心には全く気付かない彼女が開け放った大きな扉の先には、高校の体育館ほどの広さを持った広間があった。
天井は相変わらず高いもののステンドグラスは存在せず、壁にも装飾などの細工は一切ない。床もただの木の板でできているようだ。
「中央にある魔法陣の中に入ってお待ちください」
そう告げて扉を閉める女性神官を見送り、聡一は戸惑いつつも何やら奇怪な文様が描かれている円の中心へと足を踏み入れる。
一切の窓がないこの部屋にある明かりは壁際に立て掛けられた松明と、円を囲うように置かれている大きめの蝋燭のみ。はっきり言って明かり不足なことこの上ない。
「まさか、試練と称して変な実験するつもりじゃないだろうな……」
「あっはっは! そんな物騒な真似はしませんよ」
人の気配を感じるのと同時に、聡一が入ってきた扉とは反対方向の扉が開かれ、一人の若い男が入ってきた。
男は高位の神官らしく、様々な装飾が縫い込まれてぼてぼてとした白い服を着用し、身の丈以上の白金の杖を持っている。
「貴方が幻操士の試練を受けたいという男性でよろしいですか?」
あの杖、売り払ったらいくらするのかなぁ……などと罰当たりなことを考える聡一に、神官は穏やかな笑顔をみせる。
「はい、ソーイチです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。では、早速始めましょうか」
そして、何の説明もなしにいきなり始めると宣言する神官に聡一は戸惑いを覚えつつ、一応訪ねてみた。
「あの……試練って何をすればいいのでしょうか?」
「何もしなくて結構ですよ。ただ、その円の上でじっとしていただければ」
「はぁ……」
「試練という言葉に勘違いされる方が多いのですが、実際はそう大層なものではないのです」
幻操士になる為にそれなりの覚悟をしていた聡一は拍子抜けしそうになったが、「まぁ楽なら楽でいっか」と開き直る。それなりに面倒は嫌いな性格なのだ。
「では、瞼を閉じてくださいね。……始めます」
「……」
言われたとおりに目を瞑り、自然体のまま立ち尽くす。
そして、神官の口から呪文のような言葉が呟かれるのと同時に、魔法陣に白い光が灯るのを感じた。
(うおぅ……)
魔力を伴った言葉の羅列がどんどん放たれるなかで、徐々に心の内で"蠢いていく"何かを自覚する。
とぐろを巻く大蛇のようなうねりを伴ったそれは、かつてない緊張を聡一の身にもたらした。これほど緊張は、かつて自分に剣術を教えてくれた師匠と真剣の刀を携えて向き合った時以来だった。
戦慄く心をなんとか抑えながら、聡一は必死に眼を瞑って震えそうになる身体を落ち着かせる。
高揚感……いや違う。確かにそれも含まれているのだろうが、それと言葉にはできない何かが複雑に混じり合った奇妙な感覚が聡一を包み込んでいった。
ある種の快感と吐き気を伴う気持ち悪さがお互いに一歩も引かずに、内側で鬩ぎ合っている。
(これは……キツイ……ッ)
まるで、小さな堤防の如き精神が高層ビルをも薙ぎ倒しかねないあらゆる感情の大津波に飲みこまれていくようだ。
呼吸ができるにも関わらず、水中に溺れているかのような息苦しさに見舞われ、聡一は思わず立眩みを覚えた。
(セフィーアが言っていた成功の確率が低い理由ってコレか!)
凡そ常人が耐えられるレベルではない。
厳しい修練を積んだ僧でも失神か、或るいは発狂しかねない感情の暴走。
聡一は、今にも崩壊しそうな防壁を必死に手で押さえつけるように、歯を食いしばりながら耐える。
その間にも魔法陣からは甲高い音が発せられ、白い光もさらに輝きを増していった。
大抵の者はここで力尽きたように魔法陣から光が消え去るが、聡一が上に立つ魔方陣はますます光を増していくばかりだ。
これは確実に成功する――そう確信した神官が仕上げとばかりに最後の詠唱を"口にし終えた"瞬間。
――ぞわり
聡一と高位神官、二人共が同時に背筋を凍らせるような波動を感じ、それに焦りと疑問を抱いた聡一が思わず瞼を開ける。
「なんだよ……これ……」
眩く輝いていたハズの魔法陣はどす黒く縁取られ、血のような紅い輝きに彩られていた。
その魔法陣の中から這い出すように伸ばされる、黒い紫炎を纏った一本の禍々しい腕。
どこか絶望したような聡一の呟きを耳にしながら、神官は魔法陣から逆流する膨大な魔力が渦を作る光景に背筋を震わせていた。恐怖からではない――興奮からだ。
(まさか……これほどとは…………)
魔法陣に注ぎ込んだ神官の魔力を逆流させて、陣に刻まれた文字を上書きしてみせた桁違いの力を目の当たりにし、感動に打ち震えた。
(この少年はいったい……?)
そんな神官の独白を余所に、聡一の幻獣は這い上がるようにしてゆっくりとその顔をみせる。
「……ひっ――!?」
『幻獣とは己の精神を原型として形作られた存在』
そんなことを言っていたセフィーアの台詞を思い出し、聡一は目を疑った。
(こんな……こんなヤバイのが俺の"心"だっていうのかッ!?)
人の頭蓋骨に酷似したソレは、まるで悪魔のような2本の捩じれた角を生やしていた。本来なら目玉が埋まっている部分にある空洞の奥では、2つの深紅の光が怪しく輝いている。
……そして、人間にはない第三の瞳……額に埋まった紅い眼球がぎょろりと己の主の姿を捉えたとき、聡一の理性は崩壊した。
それを察知した神官は慌てて警告を入れるが――
「いけません!!」
「くっ……くるなああぁぁぁぁッッ!!!」
自分の精神の形に恐怖した一人の異世界人は、生まれて初めて絶叫した。
◆◆◆
「貴方はあの幻獣から何を感じましたか?」
「底知れない恐怖と……猛り狂う力……でしょうか」
荒い息を整えながら冷や汗を拭う聡一の背を摩ってやる神官。
試練はものの見事に失敗し、聡一の幻獣はもがくように抵抗しながらも魔法陣の中へと吸い込まれ、消えた。
「その通りです」
床に膝をついていた聡一を優しく抱き起こした神官は、未だに震える聡一にそっと微笑みかける。
「幻獣とは主人の精神を現す鏡であると同時に、主人が求める"理想の在り方"を模する存在です。貴方は何かに脅え、それを屈伏させるだけの力を求めていたのではありませんか?」
「俺は…………」
「本当ならば、この試練は成功していたハズでした。しかし、貴方が自分の幻獣を拒絶した為に、幻獣は消滅し、儀式は失敗に終わってしまった……」
「………………」
「別に責めているのではありませんよ。あれほどの強大な魔力を秘めた幻獣です、脅えてしまうのも無理はありません。今まで何百匹と幻獣を見てきた私ですら、冷や汗が流れたくらいなのですから。ただ――」
神官はそこで一旦言葉を切ると、聡一の瞳をじっと見つめるようにして再び口を開いた。
「"精神"とは必ずしも"心"と同義というワケではありません。それを努々お忘れなきよう……」
そう言って話を終えた神官は自室で少し休んでいくことを勧めたが、セフィーナを待たせている聡一は神官の厚意に深く感謝しつつ、丁重にお断りした。
「お気を付けて」と神官に見送られつつ広間を後にした聡一は、憂鬱な気分のまま無駄に長い廊下をトボトボと歩む。
(はぁ……見事に目論みご破算しちゃったなぁ……)
本当ならば成功していたと言われただけに、悔しさも倍増だ。しかし、あの幻獣の異形を見せられてしまったら……。
(どうやら俺に主人公特性はないらしいよ……フィーア)
そんなことを思いながら、聡一は聖堂の出入り口の大扉を開けて聖堂の外に出ようとして、入れ違いに入ってきた者とぶつかかりそうになった。
「あっ、すみません」
紺藍色のコート型の衣服に身を包み、その上から漆黒の革鎧を着用している若い男だ。赤い外套の下から剣の鞘が見え隠れしている。
歴戦の強者というほどのオーラを発しているワケではないが、身に纏う雰囲気は抜き身の刃のように鋭く、それでいて鮮烈だった。
まさかいきなり「無礼者めが!」と斬りかかられたりするのだろうかと不安になったが、そんなことはなかった。
「こちらこそ申し訳ない」
剣士らしい青年は聡一の格好に一瞬だけ不思議そうな表情を見せたが、すぐにそれを消すと紳士的な態度で頭を下げ、優雅な足取りで廊下の奥へと去っていった。
警戒している素振りなど見せていないのに、まったく隙がないその姿勢――かなりの実力を誇る御仁に違いない。
(ま、俺には関係ないけど)
厄介事にならずに済んで良かったと安堵しつつ、気を取り直して大扉を開けた聡一は入り口前で自分を待ってくれているハズのセフィーアの姿を探す。
しかし、そこに彼女の姿はない。
置いて行かれたのだろうかと不安になりながら、聖堂の周囲をキョロキョロと見回した。
そんな聡一の視界に飛び込んできたのは、4人の兵士らしき集団と聖堂から離れた位置で何やら言い争っているセフィーアの姿だった。
だが、彼女の口ぶりから見て、どうにも雲行きが怪しい。
聡一は森の木の陰に隠れながら、なるべく足音をたてないように近付き、そのままそっと聞き耳をたてた。
「――私はまだ帰らないと言っています」
「そうは参りません。我々は貴方のお父上様から、何としても館に連れ帰るようにとの命令を受けています」
どうやら彼らはセフィーアの父親の私兵のようで、彼女を連れ帰りにきただけらしいのだが――。
「ふざけないで。私はまだ世界を見終わっていません」
どうやらセフィーアにはまだ帰る気など更々ないらしく、それが原因で言い争ってるようだ。
「それは我々には関係のないことです」
「関係ないですって? 私に向かってそのような態度をとるとは、貴方達はそれでもアインスに仕える騎士ですか!?」
「仰られるとおりにございます。お嬢様」
彼らの態度を見る限り、セフィーアに服従するつもりは毛頭ないらしい。冷やかに自らの君主の娘を嘲笑うその姿は、とてもではないが真っ当な兵士の姿とは思えなかった。
「十日間も屋敷を離れてお父上を困らせたのです。もう充分でしょう?さぁ、我々と一緒に帰りましょう」
「離しなさい! ……離してッ!」
梃子でも動こうとしないセフィーアに業を煮やした兵士の一人が乱暴にセフィーアの腕を掴む。逃げられないようにかなりの力で鷲掴みにされているのか、その美麗な顔立ちが苦痛に歪んだ。
その一部始終見届けた聡一は、自身の脳が鉄を熱したかのように真っ赤に変色していくのを自覚しつつ、気付いた時には既に身体を動かしていた。
「いくらなんでもやることがテンプレ過ぎるだろうがッ!!」
ドンッ!!と、派手な土煙りを爆発させながら疾走する。
――しかし。
「ふぎゃっ!?」
「――ソーイチッ……!?」
熟練の剣士とて視認できるかわからない程のスピードで相手の懐に潜り込み、そのまま顔面から体当たりのような形で突っ込むと、物凄い勢いでそれなりに太い木の幹に激突した――セフィーアの腕を掴んでいた兵士もろとも。
泡を吹きながらズルズルと地べたに這いつくばる兵士を尻目に、情けない悲鳴を漏らした聡一は鞣革にぶち当てた顔面を涙目になりながら擦る。それもそれのハズ、彼自身、まさか最初の一足で間合いを詰んでしまうとは思いもしなかったのだから。
普通なら顔面が潰れていてもおかしくはない速度で突っ込んだにも関わらず、その端整な顔には傷一つ付かなかった彼の異常な頑丈さに誰一人として気付く者がいなかったのはどうでもいい話である。
聡一からすれば、走って距離を詰めたあと、横から相手の顔面に蹴りをお見舞いしつつ、その奥にいる相手の顎を掌底で打ち抜く算段だったのだが……その目論みは自身の想定外過ぎる身体能力で見事にご破算となってしまった。
(うー、むむむむ……この世界に来てからというものの、身体能力がかなり強化されたみたいだな……て、テンプレ〜!)
ピノの背に乗ろうとした際の異常な跳躍力、そして今回の異常な速度の疾走。元の世界にいた頃とは比較にならない。
聡一は自分の身体にどんな変化が起こっているのか、少しだけ怖くなったが――
(でも……今はありがたい)
自らを鼓舞するように強気な笑みを浮かべると、グッと力強く拳を握った。
正直なところ、まるで得体が知れないので少し不安だが、それでもこの力はこの先必ず役に立つと確信する。
自分の筋力がどれほど強化されたのか――完璧とはいかなくとも大体を把握できたのは大きなメリットだ。
慣れるまではもう少し時間がかかりそうだが、それも大した問題ではないだろう。鍛練などで自分の身体を酷使することに慣れている聡一は、自分の身体状況を把握することに慣れている。
「こいつ!?」
気付いた時には既に仲間が倒されたあとだっという現状に恐怖した兵士達は、すかさず剣やら短剣を抜きつつ聡一から距離をとった。
しかし、聡一とて仮にも本格的な武芸を少しばかり嗜んでいた者。距離をとられたところで、心の動揺が生んだ隙を見逃したりなどしない。
痛む鼻っ柱を抑えながら、ゆっくりと立ち上がって服についた埃を払う。
その動作から彼に余裕があることを悟った兵士達は、さらに警戒を強めた。
「そこで止まれ! 貴様、何者だッ!」
「我々をアインス近衛兵団の騎士と知っての狼藉か!?」
近衛という言葉に過剰な自信とプライドが含まれている。
それを悟った聡一はつまらなそうに目を細めた。
「知るワケないっつーの」
軽く首を鳴らし、一気に疾走して短剣を構えた兵士との距離を詰める。手持ちの武器と装備の具合、そして前衛二人に護られるように後ろに控えるその陣取りから、彼は魔法を使う後衛の兵士だと踏んだのだ。
「うがっ!?」
まさしく一瞬――疾風のように駆ける聡一に、為す術無く脇をすり抜けられた前衛の二人が慌てて振り返った先にみた光景は、首筋に手刀を受けて倒れ伏す仲間の姿だった。
「フィーア、おいで」
「……ッ!」
あまりに一瞬だった為に訳が分からず茫然としていたセフィーアだったが、聡一の手招きを見てすぐに我に返り、素早くその背に隠れた。
「さて、このまま素手の一般人に為す術無く全滅させられるか、己のプライドの為に戦略的撤退を選ぶか、好きな方を選んでくださいな」
聡一から隙を見い出せず、結局何もできなかった兵士達は、背に冷や汗を掻きながら舌打ちする。
「くそっ!」
「貴様、タダでは済まさんからな!」
手首を振りつつ、まるで旧知の知り合いにでも語りかけるような口調で微笑む聡一を前に、母国内でも指折りの私兵団と謳われた彼らはかつてない屈辱の元、気絶した仲間を抱えてその場から去っていった。
それをじっと見届けた聡一は、彼らの気配が完全に遠ざかったのを確認すると、その場に大の字になって横たわった。
「あー、しんどい」
あとには気怠そうにグダる聡一と戸惑うセフィーアのみが残された。
「怪我はない?」
「うん」
「そっか」
セフィーアは「よかった……」と安堵したように呟く聡一の隣にそっと腰掛ける。
「ソーイチ、その……」
その戦闘力を間近で瞼に焼き付けていた彼女は、躊躇いがちに口を開く。
「もしかして恐がらせちゃった?」
「ううん、そうじゃなくて……」
覇気がないセフィーアの声に聡一は怯えさせてしまったかと一瞬後悔したが、そうではないらしい。
「巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「なんだそんなことか。別に巻き込まれたなんて思ってないって。全部自分でやったことだし」
本当に済まなそうに頭を垂れるセフィーアに、聡一は特に気負った様子もなく答えた。
まぁ私兵団に目をつけられてしまった以上、厄介な事になってしまったのは事実だが。
「それにフィーアは命の恩人だしね。受けた恩はきっちり返すよ。あ、さすがに今ので返せたとは思ってないけど」
「……ん」
笑いながもきっぱりと言い放つ聡一に、セフィーアは静かに頷いた。
「それにしても――」
と、聡一は身を起こしながら、傲慢不遜な兵士達が去っていった方向を眺めた。
「フィーアってどこかの大貴族の令嬢なの?あいつら、"お嬢様"とか呼んでたけど」
「ん、それは……」
言いよどむセフィーアを横目で眺めながら、聡一は軽く溜息を吐いて再び地面に横になる。
草の青臭い匂いに鼻腔を刺激されつつ、視線の先で悠々と流れる雲を僅かに目で追った。聡一にとって、セフィーアが何者でどんな問題を抱えているのか、実は毛ほども興味はなかった。
だから、聡一は話の流れを叩き切るようにして話題を変える。
「実は失敗したんだ」
「え?」
彼にとって重要なのは、彼女が自分の命の恩人であるという事実のみ。
「幻操士の試練。惜しいところまでいったんだけどなぁ」
「……そう」
聡一が別の話に逸らしたことで、無理に素性を聞くつもりはないのだと悟ったセフィーアは、言葉には出さずとも内心で深く感謝した。
「さてと、さっさとここを離れようか。いつまでもここにいても仕方ないし、もしかしたらあいつらが懲りずに引き返してくるかもしれないしね」
「ん、近くに街がある。さすがに街中では派手に動けないハズだから、とりあえずそこへ」
「りょーかい」
服に付いた埃を払いながら立ち上がる聡一は、その手をセフィーアに向けて差し出した。
自分の父親の手……父に仕える臣下の手……それらなんかより余程信頼に足る"男の子"から差し出された掌をセフィーアはじっと見つめ、それから躊躇わずに手をとった。
温かい……。
そう小さく呟いた彼女の言葉は、強く吹きつけた風と木の葉を揺らす木々のざわめきによって掻き消される。
「ん? 何か言った?」
「何でもない」
聡一の手を借りて立ち上がったセフィーアは、ぷいっと顔を逸らすと一人で街の方角へと歩き出した。
「ちょっ! 待って!」
放置されては堪らんと慌てて追いかける聡一は、彼女が薄らと笑みを浮かべていることに最後まで気付かなかった。
「ところでさ――」
「ん?」
「幻操士が少ない理由、ようやくわかったよ」
「………………」
「そりゃ誰だって躊躇するよね。もし自分の幻獣の姿が醜かったら――って想像しちゃうとさ……」
「――見たの?」
「………………人様にお見せできるようなモノではありませんでした」
「だからといって、それだけでソーイチの価値が決まってしまうワケでもないと思うケド?」
「――そうだといいけどネ」