第62話 敗者と勝者のデート――その1
閉会式が終わり、闘技場を後にしてしばらく経った頃。
聡一はホテルの一室に引き篭もり、一人でワインのグラスを傾けていた。他の面子は締めのパレードを見物する為に大通りへ出向いている。
一躍有名人になってしまったというのに、よくもまぁ人前に堂々と顔を出す気になるものだ、とグラスを呷りながらぼんやりと考える。
疲れた。短い間に色んな事が起こり過ぎた。
濃密過ぎる日々を駆け抜けて、ようやく手にした安寧に聡一は肩の力を抜く。
これでようやく一息吐ける。そんな思いがコールタールのような疲労感となって圧し掛かってくる。
つまみとして提供されたスモークサーモンとクリームチーズのクラッカー乗せを頬張り、束の間の自由を満喫する。
ここ最近はこうやって一人になる機会が中々なかったような気がする。
何をやっていても、気が付けば仲間達が隣にいた。
聡一は、自分は孤独を好む性格だと認識している。
勿論、誰かと一緒にいるのが嫌だとかそういう話ではない。
決して気取っているわけではなく、常に誰かと一緒にいると疲れてしまう性質なのだ。
――ずっと、そう思っていたのだが。
気が付けば、今、この場に誰もいないことを寂しく感じている自分がいる。
元の世界で一人暮らししていた頃は、一度もそんな風に考えたことはなかったのに。
それだけ、
セフィーアが。
ユウが。
フェルミが。
ファスティオが。
仲間達が寄り添ってくれたという証なのだろう。自覚はないが、聡一自身も彼女達に寄り添っていたのかもしれない。
「こんなことなら、俺も付いていけばよかったかな……」
4人は今頃どうしているのだろう。
パレードが始まる時刻はまだしばらく先だ。
いっそ今からでも追い掛けようかと考えたが、彼女達がどこにいるのか知らないので断念した。
グラスに残ったワインを一気に飲み干すと、再び寂寥感に襲われる。
こんな気持ちになるのは初めてだ。
「どうにも落ち着かないな……」
ホテルに辿り着くまでは、一人でゆっくりしたくて堪らなかったのに。
一人になった途端、寂しくて誰かと一緒にいたくなる。
何となく外に出掛けたくなって、聡一は服を着替え始めた。
人ごみは苦手だ。なるべく人が集中してる場所は避けつつ、屋台でも冷やかそうと考える。
運が良ければ、皆と合流できるかもしれない。
「ま、そんなに都合良くはいかないと思うケド」
自分に言い聞かせるように独り言ちながら、聡一は出掛ける準備を終えた。
さて、外に出ようかと外套を羽織ったその時――
「ん?」
ふと、誰かが近寄ってくる気配を捉える。
しばらくして、玄関の扉が控え目にノックされた。
「どちら様?」
聡一は首を傾げつつ、玄関まで赴き、扉越しに声を掛けた。
「……あの、アリアです」
「アリア?」
何故、彼女がここに。何か問題でも起こったのだろうか。
疑問に思った聡一が扉を開けると、そこには確かにアリアが立っていた。
「あ、こんばんは……」
「こんばんは。どうしたの? こんな時間に」
「その、ね……えっと……」
ほんのりと頬を染めるアリアは聡一の顔を見ては視線を逸らし、もじもじと何かを言いたそうに口を開いては閉じるを繰り返している。
その様子から火急の用ではなさそうだと判断した聡一は、自分に会いに来てくれたアリアに対して嬉しさを覚えた。
流石に鈍感な聡一でも、彼女が何を言おうとしているのかは理解できる。
ならば、ここは男の自分から誘うべきだろう。
「アリア、暇なら俺と一緒にパレード観に行かない?」
「――! うん!」
自分が言おうとしていた台詞を先に言われたアリアは一瞬だけ驚いたように目を丸くするが、すぐに嬉しそうに表情を綻ばせると、勢いよく頷いた。
その花を咲かせたような満面の笑みに、聡一の心臓がドキリと強く脈動する。
「よ、よし! そうと決まれば早速行こうか!」
「あっ……」
若干どもりつつ、部屋を出た聡一は胸の高鳴りを誤魔化すようにアリアの手を取って外を目指した。
彼女の頬がさらに赤みを増したことには、全く気付くことなく。
◆◆◆
「ひえー凄い人だかりだな、これ!」
「……パレードは武芸大会最後のイベントだから。試合を観戦できなかった人は特に、このパレードだけは絶対に見ようとするの」
「なるほど。大勢の人が通りに押し掛けるのも当然ってことか」
逸れないように手を繋いだまま、人の波を縫うようにして歩を進める聡一とアリア。
極限まで気配を消し、擦れ違う人々に己の印象を残さないように気を配りつつ、パレードが始まる時間まで幾つかの出店を冷やかしていく。
そうしなければ、あっという間に周囲の人々に取り囲まれてしまうことは確実なので。これでも聡一とアリアは有名人であるからして。
まるで芸能人のお忍びデートのような様相になってしまうのは致し方ない。
「アリア、何か食べたい物とかある?」
「ソーイチが食べたいと思う物が食べたい」
「……そういう男を動揺させるような台詞は禁止です!」
「――? よくわからないけど、ごめんね?」
「くっそ! この天然具合、強敵過ぎるだろ!?」
ちょこんと首を傾けるアリア。これでも彼女は壮絶なまでに端整な容姿を誇る美少女である。
何気ない仕草ひとつひとつがいちいち絵になり、聡一の男心を掻き乱す。
女慣れしていない彼にとって、アリアは天敵にも等しい魅力を伴った存在だった。
本人にその気はないのだろうが、すっかりアリアのペースに呑まれている。
とにかく、少し落ち着きたい。
切実にそう願った聡一は腰を休めるのに丁度いい場所を探してきょろきょろと辺りを見回し、
「あっ! 揚げたこ焼きだ! アリア、あれ食べよう!」
「うん」
『揚げたこ焼き』を扱う店を見つけて瞳を輝かせた。
揚げたこ焼きは聡一の大好物である。身体が勝手に屋台へと吸い込まれていく。
「おっちゃん! 揚げたこ焼き頂戴!」
「あいよっ!」
ノリノリで熱々の揚げたこ焼きを購入した聡一は屋台の近くに設置されたベンチに腰掛け、隣にアリアを座らせた。
「くぅー! このソースの香りが堪らん!」
「美味しそうだね」
「でしょ? 半分ずつに分けて食べようか」
串は二本入っていたので、一本をアリアに渡し、残りの一本を聡一が貰った。
早速、たこ焼きを串でぶっ刺し、熱々を頬張る。
「あ、あふいあふい! でもうまひ!」
「ほんと、美味しいね」
外はカリッと、中はふわっと。
猫舌故に舌の上で暴れる熱さは辛いが、それでも幸せそうな顔で揚げたこ焼きを咀嚼する聡一。
そんな彼の様子を横目で見つめながら、アリアも楽しげな笑みを浮かべて揚げたこ焼きを食べ始める。
(……不思議)
普段食べている料理に比べれば、何てことはない味なのに。
どうして、こんなにも美味しく感じるのだろう。
どれだけ思考を巡らせたところで、答えは出ない。そんな疑問を胸に抱くアリアは、恐らく人生で初めて心の底から楽しいと思える時間を謳歌する。
その時、ふと彼女の眼にとある光景が映った。
通りを挟んで、向かい側のベンチに座るカップルがクレープを片手に談笑している。しかし、問題はそこではない。
アリアが目を奪われたのは、男が女に、女が男に互いのクレープを食べさせ合っている点である。
全身を雷に打たれたような衝撃がアリアを襲った。
ちらっと揚げたこ焼きが入ったパックを見やれば、ちょうど半分の数が残されていた。
この時、何故自分がこのような暴挙に出たかは今でもわからない――と、後に顔を紅くして語る彼女が何をしようとしているのか。
答えは簡単。
「……ソーイチ、あーん」
「ほあっ!?」
串に刺した揚げたこ焼きをソーイチの口元に寄せるアリア。彼女の突然の行動に変な奇声をあげて固まる聡一。
額に浮かぶ汗を自覚しつつ、聡一は苦し紛れに呟く。
「い、いやぁ……揚げたこ焼きめっちゃ熱いし、流石に辛いかなぁ……」
「じゃあ、ふーふーしてあげる。ふー……ふー…はい、あーん」
「……」
「あーん」
アリアの無垢な瞳が聡一の双眸を射貫く。
「あ、あーん」
淡い期待に揺れる彼女の心を理解してしまった聡一は、細やかな抵抗心すら奪われて、差し出された揚げたこ焼きを大人しく口に運んだ。
今、自分の顔面はきっとこの揚げたこ焼きより熱を持っているに違いない――そう確信しつつ、必死に平静を装いながら口の中の物を咀嚼する。
嬉しくも恥ずかしい初体験に聡一の頭はパンク寸前である。悲しいかな、これが彼の限界であった。
そこへ、くいくいっと袖を引っ張られる感触が。
引っ張られた方向を見やれば、アリアが何かを待ち望んでいるような眼差しを聡一に向けていた。
彼女が何を求めているのかは、最早語るまでもない。
もうどうにもなあれ! 頭の中で何かが吹っ切れた聡一は躊躇うことなく揚げたこ焼きを串に刺す。
「アリア、あーん」
「あーん」
本当に嬉しそうな表情で揚げたこ焼きを頬張るアリアを眺めて、自然と聡一の顔も綻んだ。
――その後、アリアの無言の催促もあって互いに揚げたこ焼きを食べさせ合った2人は、満足気に腹を擦ったところでふと周囲が静まり返っていることに気付く。
「うん?」
何かあったのかと辺りを見回せば、その場にいる全員が唖然とした表情で聡一とアリアに注目しているではないか。
遅れて異変に気付いたアリアが「あっ」と可愛らしい声を上げた。
「気配、消せてない……」
「……oh」
思わず、といった感じに間抜けな声を漏らす。
揚げたこ焼きを食べさせ合うという羞恥と歓喜の果てに、聡一とアリアの双方が気配消しを怠ってしまったようだ。
つまりこれは、武芸大会優勝者と十傑最強が仲睦まじく揚げたこ焼きを食べさせ合っているシーンを大勢の人々に目撃されてしまったという意味で。
「……」
「――?」
声一つ聞こえない静寂な空間の中で、聡一は無言でアリアを抱き上げた。
お姫様抱っこの形でゴミ箱の前まで連れていかれたアリアは、きょとんと頭に疑問符を浮かべる。
「アリア、パックをゴミ箱にぽいして」
「ぽい」
ゴミはゴミ箱に。無事に空のパックを処理した聡一はふぅっと息を吐く。
「じゃ、行こうか」
「うん」
ぎゅっとアリアが聡一の首に腕を回す。
聡一は驚異的な跳躍力をもって家屋の屋根に飛び乗り、目にも留まらぬ速さで通りから脱出した。
我を取り戻した人々が大騒ぎするのは、2人が通りから姿を消してしばらく経ってからのことだった。
長らくお待たせしました。
現時点で既に投稿済みである新作の構想を纏めていたら、いつの間にか三か月半が経過していました。
時間の流れが早過ぎて頭が追い付きません。