第60話 団体戦決勝試合――閉幕
構えた大盾に衝撃が奔る。
戦斧の重く強烈な痛撃がファスティオの左腕に容赦のない痛みを自覚させる。
ビリビリと痺れる左腕を意識しながらも、そんなことはおくびにも出さない。
壮年の男が繰り出した一撃の合間を縫って、長剣を構えた少年が斬り掛かってくるが、ファスティオはそれを身を逸らして躱した。
相手の剣筋を瞬時に見切り、必要最小限の動きで回避せしめてこその流麗な体捌きだ。
ファスティオの重装備を鑑みて、真っ向からの斬り合いは不得手だと思い込んでいた少年は忌々しそうに舌打ちする。
「ちぃっ! 重装の癖に何て器用に動きやがるんだ!」
果敢に挑んでくる少年を盾にするように、細かく立ち位置を調整して戦斧の男の動きを抑えつつ、少年の影から躍り出てくる短剣を持った少女を槍の穂先で牽制する。
三人を一人で相手取り、一分の隙も晒さないその姿は堅実にして華麗。
観客席で息を呑むことすら忘れている観衆は勿論、十傑と畏れられるSSランカーでさえ感嘆の声を漏らした。
それでも互いの隙を埋め合うようにして、果敢に攻撃を繰り出す三人の猛者。
攻撃する手を一瞬足りとも緩めない器用な連携攻撃の前に、さしものファスティオもじりじりと後退させられる。
しかし、それでも攻め手が変わるほんの僅かな隙を逃さず、大盾を翳した体当たりを敢行しては下がった歩数だけ相手を押し戻した。
「ぐっ……!」
短剣の少女が前に出て攻撃を繰り出してくる刹那に狙いを済まし、ファスティオは渾身の力で盾をぶち当てる。
リーチが極端に短い武器を扱うが故に最も敵に接近しなければいけなかった少女は、ファスティオのシールドバッシュの直撃を受けて思わず踏鞴を踏んだ。
鋭い一撃を受けて、ぐらりと傾く視界。
ファスティオは大きな隙を曝した少女に向けてトドメを刺そうと槍を構えるが、そこに割って入るように戦斧の男が襲い掛かってきた。
迫り来る戦斧を受け流し、槍で薙ぎ払うように反撃を加えるが、相手も相応の手練れである。ファスティオの一撃も男には届かない。
手に汗握る攻防の最中、戦斧の男がファスティオを相手取っている間に、長剣を持つ少年が少女の肩を支える。
「立てるか?」
「ごめんなさい、私は大丈夫」
ふらつく足を踏ん張り、自力で立つ少女を横目で眺めながら、ファスティオと対峙する戦斧の男は素早く決断した。
目の前の槍使いはたった20秒で崩せるほど生易しい相手ではない――そう確信した戦斧の男は目配せし、短剣の少女をバトルフィールドの外へ退避するように指示する。
「了解」
少女は瞬間的に頷き返し、躊躇うことなく背を向けて、戦場から退避を始めた。
ファスティオが咄嗟に追撃を仕掛けようとするが、それを黙って見ているほど戦斧の男も長剣の少年も愚鈍ではない。
息の合った見事な動作でファスティオの前に立ち塞がりつつ、少女の退路を確保する。
それを見届けた少女は、後は振り返ることすらせずに一目散に場外へ向かって走った。
仲間が自分の背中を必ず守ってくれるという信頼があればこその、一切の無駄が省かれた全力逃走だ。
「……フッ」
唐突に、ファスティオが小さく笑った。勝利を確信したかのような、強かな笑みだ。
その笑みの理由が思い至らない戦斧の男と少年は怪訝な表情を浮かべるが、その顔は瞬く間に凍り付いていく。
「アルタァァァァ!!! 避けろおおおおお!!!」
「え……?」
少年の絶叫。
ここまで必死な声で自分の名前が呼ばれるとは露程も想定していなかった少女は、無意識のうちに振り返ってしまった。
驚愕に見開かれた少女の瞳を、蒼い巨鳥の影が覆った。
◆◆◆
高く、高く、二匹の燦爛たる幻獣は大空を舞い踊る。
地上での人間同士の攻防が小さな点に見える程の高空を飛翔し、相手の死角を攻め合う様は神話の世界を具現化したかのように神々しい。
時折、無数の煌めく白光が宙を切り裂くが、それはラスターンがばら撒いた自らの羽だ。
硬質化させた羽を飛ばし、敵を切り刻まんとする凶器である。
その射程は存外に長大であり、下手に地上向けて放たれてしまっては味方に甚大な被害を出しかねない。
セフィーアは己の幻獣ピノを傷付けられないように立ち回らせつつ、味方への被害を出さないように懸命にラスターンへ攻撃を仕掛けていた。
今、ラスターンは主人の意志ではなく己の自由意志で動いている。
だからこそ、こうまで戦局を拮抗させることができていた。
仮にエリシアがラスターンを操っていた場合、勝負の行方はわからなかっただろう。
だが――
「これで、私達の、勝ちッ!!」
戦線から離脱していく短剣の少女の背中を睨み据えたセフィーアが、腕を大きく振って短剣の少女を指し示す。
その勇姿はさながら、戦場に降り立つ戦乙女のように壮麗で美しかった。
「来てっ! ピノ!!」
その刹那、呼び戻されたピノが全身から光の粒子を吹き散らし、瞬時にしてセフィーアの前に顕現する。
主の再召喚に応えたピノは、そのまま脇目も振らずに短剣の少女へ向かって猛進した。
地面すれすれを高速で低空飛行する巨大な蒼き鳥の威容は、相対する者の背筋を震わせた。
「なんですって!?」
エリシアが悲鳴染みた声をあげ、咄嗟にラスターンの特殊技で迎撃を図るが、それは叶わない。
「……射程外?」
呆然と上空を見上げたエリシアは、己の幻獣が豆粒よりも小さな影として空を漂っていることを知り、愕然とした。
(まさか、彼女は最初からこれを狙っていたというの!?)
「くっ……ラスターン!!」
エリシアも慌ててラスターンを再召喚という形で呼び戻すが、その行動は余りにも手遅れ過ぎた。
ピノは勢いを緩めず、短剣の少女を跳ね飛ばす。
その巨体に圧倒された少女は抵抗する間もなく"バトルフィールド上"を転がり、意識を失った。
数瞬遅れて追いついたラスターンがピノに体当たりする形で彼の巨体を強引に押し留めるものの……時すでに遅し。
「――あぅっ!」
幻獣が負ったダメージは主人に精神的な負荷となって襲い掛かる。
ラスターンの一撃を喰らったピノが苦しげに呻き、続いてセフィーアが心臓の辺りを抑えて膝を付いた。
だが、意識を失うほどではない。
セフィーアは脂汗を流しながらも、ピノを送還した。
瞬きする間にラスターンの足元から蒼い巨鳥が消え去ったことを視認したエリシアは、怒りに燃える瞳でセフィーアを睨み付ける。
エリシア陣営の煙玉の効果はあと数秒もすれば消えて無くなる。しかし、この場には合わせて6人が居残ってしまっていた。
誰かをバトルフィールドの外へと脱出させようと咄嗟に周囲を見渡すが、カラーゾーンに据え置かなければならない女魔術師を除いて、皆、バトルフィールドの中心付近に集中してしまっている。
今からでは、到底間に合わない。
煙玉の発動中は意識を失ったメンバーの回収もされない為、煙が消えた瞬間にエリシア達はルール違反で失格を言い渡されるだろう。
「ならば、せめて――!!」
最後の足掻きとばかりに、エリシアはラスターンをセフィーアへ向けて突撃させる。
しかしながら、それすらも計算のうちだったのか。
セフィーアは苦しげに胸を抑えながらも強気な笑みを浮かべると、懐から煙玉を取り出して、思い切り地面に叩き付けた。
彼女の周りに煙がゆっくりと充満していく。
(……やられた)
煙玉の効果発動中は、チームリーダーを含めた自陣のメンバーの配置を自由に入れ替えることができる。
その間はカラーゾーンの制限も消える為、チームリーダーとして配置されていたセフィーアを倒してもリーダー撃破とは見做されない。
聡一達がセフィーアを倒されてもチームリーダーの交代を行わず、カラーゾーン内に彼女を残したままでいれば、そのままエリシア陣営の勝利となるだろう。だが、そもそもそんなことはありえないし、セフィーア陣営の煙玉の効果が消えるより先にエリシア陣営がルール違反で敗れるほうが早い。
どう足掻いたところで自分達の"詰み"だ。
それでも尚、エリシアはラスターンの突撃を押し通そうと意地を張る。
「せめて一撃!」
勝利に繋がることがなくとも、せめて一矢報いる。
その想いだけを胸に、エリシアは眼前のセフィーアを見据えた。
「――させるわけないだろ」
突如として、未だに燃え盛る炎の中からそんな台詞が聞こえたかと思いきや、空間に一筋の閃が奔った。
動揺するように激しく揺らめいた炎獄の檻を強引に切り破り、その身を焔に焼かれながらも聡一がエリシアの前に躍り出る。
驚愕に目を剥くエリシアは、喉の奥に溜まった唾すら呑み込めない。
この瞬間、彼女は己の敗北を悟った。
聡一は地面が陥没するほどの勢いで一歩踏み出すと、エリシアの動体視力を上回る速度でバトルフィールドを疾駆し、長剣の柄を彼女の腹深くにめり込ませた。
「かはっ……!?」
肺の中から空気が絞り出され、激しい痛みによって呼吸が止められる。
悔しげに表情を歪ませたエリシアが聡一の腕の中で力尽きるのと同時に、セフィーアにあと半歩のところまで近づいていたラスターンが虚空へ掻き消えた。
――後に残された光の粒子と荒れ狂う風圧が、セフィーアの蒼い髪を靡かせる。
彼女の表情は小動もしていなかった。
暴れる髪を手で抑えながら、セフィーアは聡一へと目を向ける。
聡一もエリシアをそっと地面に横たえると、振り返るようにしてセフィーアへ視線を移した。
互いの心で通じ合うように、柔らかな微笑を浮かべて。
そして、エリシア陣営の煙玉の効果が完全に消失する。
『白薔薇旅団、バトルフィールド上の人数制限逸脱により失格! よって、決勝戦の優勝チームは5人の愉快な仲間達に決定しました!!』
盛大に沸き立つ観客席から様々な色の花弁が遠慮なく撒かれた。
大会の最後を締める団体戦の決勝戦では、その試合が終了すると同時に、運営によって事前に用意された花弁を撒いて大会の勝者を祝福する風習があるのだ。
激しい闘いによって傷付いた選手達を慰めるが如く、優しく吹いた爽やかな風に乗って、色とりどりの花弁が闘技場を彩る。
白薔薇旅団の面子は惨憺たる有り様だった。
最初から最後まで立っていたのは魔闘士である禿頭の巨漢デレクのみであり、後は全員が戦闘不能に陥っていた。
フェルミを集中して狙っていた女魔術師も魔力切れを起こして倒れ伏しており、起き上がる様子はない。
デレクは気絶した女魔術師をその腕に抱くと、真っ直ぐに出口へと向かっていった。
ユウとフェルミはその様子を黙って眺めながら、疲れたように深く息を吐く。
それがあまりにも綺麗に揃うものだから、2人は思わず失笑した。
一方で、途中参戦組の面々もデレクに続いてバトルフィールドを後にする。
無念極まる表情で涙を流す少年の肩を抱き、戦斧を肩に携えた壮年の男は去り際にファスティオを一瞥した。
その視線を受け、ファスティオは胸に手を当てて一礼する。
「素晴らしい戦いだった」
「そちらこそ、見事な戦いぶりだった。優勝おめでとう」
互いに悔恨はない。
敗者としての惨めさを一切感じさせない堂々とした足取りで、壮年の男は少年と共に舞台を降りていく。
事実、彼らに敗者としての陰鬱な雰囲気は微塵もなかった。
それも当然だろう。白薔薇旅団の面々には観客席から惜しみない拍手が贈られているのだから。
この場においては誰一人として、彼らを負け犬だと蔑む輩はいない。
健闘を称える賞賛を浴びながらも医療班に回収されていくエリシア達を最後まで見送った聡一達は、誰が何を言うでもなくバトルフィールドの中心に集結していた。
祝福の花吹雪が舞い散る中で、しっかりと円を組んで全員が顔を見合わせると、
「「「「「――俺(私)達の、勝利だぁぁあああ!!!」」」」」
両隣に立つ仲間の手を取り合って、その喜びを爆発させた。
5人の両腕が天高く突き上がり、勝ち鬨の雄叫びが陽光輝く青空へと散っていく。
そんな彼らのノリに合わせるように、観客席の歓声も一際大きくなった。
大勢の人々の感情の波に揺られて、闘技場が震えた。
ここに、第189回アンレンデ武芸大会団体戦の幕が落ちる。
苦節5年。やっと終わりました。
長い。長過ぎる。
ここまで来るのに、いったいどれほどの読者様をお待たせしてしまったのか……。
ラノベにおいて、バトルシーンに集団戦の描写がない理由がよく分かりました。
仲間と敵が絡み合うような戦闘シーンを書きたいと思い立ってしまったのが、そもそもの過ちだったようです。
難しすぎます。