第58話 団体戦決勝試合――その6
ビリビリと腹を揺さぶる声音が闘技場内で反響し、ある種の暴力性を持った音がフィールド上にいる人間の耳朶を打った。
言い換えれば、音の爆弾といったところだろうか。しかし、さすがに大声程度で隙を露呈するほど脆弱な者はいない。敵味方問わず、皆一様に顔を顰めているだけだ――ただ一人を除いて。
「フフン」
突き出された槍を素手で掴み取ったまま、にんまりと笑みを浮かべている聡一。そして、槍を突き出した姿勢のまま、引き寄せられた格好で固まっていたレクティスが、唐突に地に膝を着く。
そのまま壊れた人形のように崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなった。
「まさか――」
地面に突っ伏したまま動かないレクティスを視界に納めたケリーが、掠れた声で呟いた。
たかが大声程度で、白薔薇旅団における近接戦最強の男がこうも呆気なく倒されるなど、普通では考えられなかった。否、想像すらしていなかったといっていい。
目の前の光景が信じられず、半ば開いた口を閉じる事も忘れるケリーは、まさしく棒立ち状態。見る者が見れば、呆れて失笑を漏らすだろう。
敵を目の前にして我を忘れるとは、彼女も自分同様にまだまだ甘い。そう思いながら、聡一は槍を捨てた。
「レク――かはっ……!?」
震える声が槍使いの名前を紡ぐよりも早く、縮地で間合いに踏み込んだ聡一の肘が、無防備な彼女の腹部にめり込む。
微動だにできなかったケリーは肺から無理矢理空気を絞り出され、苦しそうに呻いた。
鎧越しにも拘わらず、内臓を直接殴られたような衝撃は、これまで味わったことのない苦痛を齎す。
「うぇ……ぐっ……」
よろよろと必死に耐えようと踏ん張るケリーだったが、やがて力尽きたように白目をむいて倒れる。
一瞬だ。ほんの一瞬で、形勢が一気に聡一達へと傾いた。
目まぐるしく変化していくフィールドの様子に、闘技場内が一気に熱を帯びていく。
「そんなっ!?」
「私を前に余所見とは余裕だね」
一連の様子を目の当たりにし、言葉を詰まらせるエリシアにユウの容赦ない二刀の斬撃が迫る。
心理的劣勢どころか、このままでは確実に敗北するという焦りが、エリシアの判断力を鈍くする。
元々、エリシアの得意武器は弓だ。正面からの近接戦闘ではユウには及ぶべくもない。聡一の負傷と負担の増加、それに伴う焦燥感に身を焦がしたユウが冷静さを失っていたからこそ、ここまで打ち合うことができたのだ。以前は習得していなかった戦術魔法という切り札が、ユウの動揺に一役買ってくれたことも大きい。
「……ぐっ!」
ユウの怒涛の連撃を受け、とうとう捌き切れなくなった一撃がエリシアの脇腹を激しく叩く。肋骨が砕ける感触と襲い来る耐え難い激痛がエリシアの美麗な顔を歪ませた。剣の腹だから良いものの、刃を立てられていたら、内臓まで達している致命傷を負っていたことだろう。
(これが実戦じゃなくて良かった)
痛む脇腹を抑えつつ、エリシアは大きく後退してユウから距離を取る。
審判の風魔法で身体を浮かされ、迅速に回収されていく仲間二人の哀れな姿を視界に納めつつ、必死に頭を回転させる。
要の前衛を失った今、既に戦線は瓦解したも同然だ。エリシア自身も負傷し、呼吸する度に脇腹が激しく痛む。これ以上の近接戦など以ての外、満足に弓を構えられるかすら怪しい。
(一度下がって、魔法での援護に切り替えるしかない……けど、ちょっと厳しいかしら)
激痛で足元が覚束無い。剣士を相手にこの調子では、後方へ下がる前に打ち倒されてしまうだろう。
ユウも今が絶好の好機と見たらしく、エリシアにトドメを刺そうと、さらに一歩踏み込む為に軸足に力を込めた瞬間だった。
『お嬢様あああああ!!』
「ユウ! 下がれッ!!」
実に男らしい低音で名前を叫ばれたとエリシアと、聡一の鋭い声に反応したユウが、同時に後方へ跳躍する。
その中間辺りへ、ローブを羽織った禿頭の巨漢が舞い降りた……という表現は、大きく凹んだ地面の惨状からして適切ではないかもしれない。
まるで投石機から放たれた巨石のように山なりに飛んできた彼が、ユウの頭上から拳を突き出したのだ。戦術魔法で圧縮した風を纏わせていたらしい巨漢の拳打は硬い地面を派手に抉り、もうもうと遠慮のない土埃を生み出している。恐らく、直撃させるのではなく、その余波で吹き飛ばすのが目的だったのだろう。威力としては十分に相手を戦闘不能に追い込めるものだが、見た目ほど殺傷能力が大きいわけでもない。直撃すれば話は別だが。
「ふぬぅぅぅぅ」
威嚇する猛獣のような低い声で唸りつつ、油断なく立ち上がった巨漢は拳を構えてユウの眼前に立ちはだかる。頭部にタトゥーを彫り、額から頬にかけて左目をなぞるように大きな斬り傷を残す容貌は、誇張なしに凶悪そのものだ。細い女性の腰回りほどもある腕の筋肉は、それだけで相対する者を威圧する。不運にも夜の街角で出会ってしまったなら、気の弱い者でなくとも悲鳴をあげてしまうかもしれない。
「僭越ながら、貴公の相手は私が務めさせていただこう」
「粗野な顔立ちとは裏腹に、なんて紳士的な物言い……!」
ユウはぎょっとした表情で巨漢を凝視する。無残にもタイルを剥がされ、土を曝け出しているフィールドにちらりと視線を送り、一筋のしょっぱい水滴を額に滲ませた。
その間に、エリシアは自陣カラゾーンのギリギリまで後退し、苦しそうに片膝をつく。
「ごめんなさい。任せましたわ、デレク」
だが、その手が懐に伸び、一枚の巧魔紙を取り出すまでの動作に淀みはない。次の瞬間には、紙に込められた魔力が解放され、ボロボロと朽ちていった。
エリシアは痛みなど忘れたかのように力強く立ち上がり、愛用の弓を構え、矢を番える。その顔には小憎らしい笑みが浮かんでいた。
「ちょっ今の巧魔紙ってまさか……治癒魔法!? せっかく追い詰めたのにぃぃぃ!」
まるで、凌ぎを削って追い詰めた対戦相手に、あと一歩のところで逆転負けを喫した格闘ゲーマーのような実に悔しそうに叫び声がユウの喉から絞り出される。
しかし、そのふざけた態度とは裏腹に、標的をエリシアから筋肉巨漢に移したユウは瞳に冷酷な光を宿す。そして、一切の前触れなく、どこまでも速く力強い斬撃を繰り出した。
――ギィン!
硬い衝撃がユウの掌に伝わり、痺れるような鈍痛が両腕を巡る。
腕の骨を遠慮なく叩き折るつもりで薙いだ一撃が、何か硬質な物体に阻まれたらしい。
『ふん』
デレクと呼ばれた魔道士の男はしてやったりといった顔で笑う。
男の肌蹴たローブの袖から覗くのは、鋼の厚さが2cmはあろうかという手甲だった。片腕だけで優に10kgは超えているかもしれない。物理攻撃を弾き、いなすことに特化させているのだろう。表面は光沢ができるほど、実に滑らかに仕上げられている。
常人なら持ち上げるだけでも一苦労しそうなそれを軽々と扱う筋力――魔道士に似つかわしくない筋肉質な肉体を保持している理由がようやく判明し、ユウは苦々しげに後ずさる。
このデレクという男は、魔道士というよりも肉弾的な近接戦を得意とする格闘家らしい。戦術魔法と格闘術を組み合わせて闘う、云わば魔闘士と呼ばれる存在だろう。
元来、冒険者の中で魔闘士を名乗る人間は非常に少ない。生身の肉体に戦術魔法を纏わせる行為は、剣や槍などの物体に魔法を付与させるよりも高度な技術を要するからだ。構成魔力に組み込む式に、ほんの少しでも"穴"があれば、そのまま四肢を失いかねない危険性を孕んでいるためである。
そもそも、並大抵の努力では、格闘術も魔法も中途半端のまま終わってしまうのが魔闘士の短所である。それこそ、魔法の行使を日常生活の一環とするくらいに鍛練しなければ、為し得る事は不可能だろう。
すなわち、魔闘士として大成するには、格闘術の他にも魔道士としての確かな腕が必要なのである。
さすがに、それらを全てを補っている人間は極僅かだろうが、目の前の男がそれに準じている冒険者であることは間違いない。
ある意味では、エリシアよりも強敵だ。
(ったくもう! エリシアといい、この大男といい……魔法使えるなら、大人しく魔道士やっとけっつーの!)
自分も剣士でありながら戦術魔法を扱えることを棚に上げ、ユウは愚痴るようにデレクを睨み据えた。
「ふんっ!」
斬撃のお返しだとばかりにデレクの巨腕が眼前に迫る。空気を巻き込んで呻る拳は、当たればそれだけで意識を根こそぎ持っていかれるだろう。
ユウは頭を大きく後ろに仰け反らせて、なんとか回避する。
視界の端で、敵のチームリーダーである魔道士の女が戦術魔法を構築している姿が映り、内心で舌打ちした。
ちりちりと頬を擦る悪寒と、ユウのこれまで培われてきた直感が魔道士の女の標的が自分であることを確信させる。
どのような魔法を撃ってくるのかはわからない。だが、確実に狩る気概であるということだけは理解できる。何れにせよ、生半可な威力ではあるまい。
早く潰さなければ、己の身が危うい。
ユウは掌に力を入れ、気合いを入れ直すようにしっかりと剣を構え直した。