第57話 団体戦決勝試合――その5
聡一は背後で仲間達が息を呑むのを意識し、内心で顔を曇らせた。
(しまった……また皆に心配かけちゃったか……)
あれだけ説教を喰らったのに、このザマである。もしかしたら、試合後にはまた辛い正座タイムが待っているかもしれない。
(ま、その時はその時ってことで……うぅ、気持ち悪い)
肩の傷口から溢れ出す血がインナーに染み込んでいき、痛みよりも先になんともいえぬ気持ち悪さに鳥肌が立つ。
それだけ流れている血の量が多いのだろう。ピンチというほど焦っているわけでもないが、少々厄介なことになったのは確かだ。
(近接戦で翻弄されるなんて、俺もやっぱり未熟だ。……こりゃ参ったね)
時折、痙攣したように震える右腕と手放してしまった剣を一瞥し、聡一は己の不覚を自嘲した。
槍使いの一撃を見計らい、投擲ナイフの柄に手を掛けた、あの一瞬――まるでこちらの意図を事前に察知したかのように、急に動きに緩急を付けられ、物の見事に反撃のタイミングを逸してしまったのだ。おかげで無駄な傷を負うだけに終わり、無様にも手持ちの武器まで取り落とす始末である。
相手の利き腕を奪うつもりが、逆に奪われるとは情けないにも程がある。胸の内に溜まっていく不甲斐無さを吐き出すように、そっと溜息を吐いた。
(まぁ、種が見えただけでも良しとするか)
片腕分の代金というほどでもないが、先程の攻防において、槍使いの動きに対してこれまで感じてきた違和感の正体はほぼ看破できたといっていい。
種が割れた手品ほどつまらないものはない。既に槍使いを無力化する手段も考え付いている。鍔迫りの間合いまで"近くに寄る"ことができれば、恐らくそのまま相手を無力化できるはずだ。
問題はどうやってその状況まで持っていくかだが、それを考え付く前に、ユウが牽制していたはずの女剣士が槍使いの横に並んだ。
「援護するわ、レクティス」
「ケリーですか。あの二刀剣士の相手はよろしいので?」
「エリシア様が直々にお相手しているし、問題ないでしょう」
敵との間合いに気を付けつつ、聡一はちらりと彼らよりも奥に視線を向ける。そこには、エリシアと高度な近接戦を繰り広げているユウの後ろ姿が見て取れた。さすがに女剣士を牽制しつつ、エリシアを相手にするのは厳しかったようだ。
(心理的にはエリシアが優勢みたいだな)
女剣士を通してしまったことで聡一の負担が増えたことを気にしているらしく、ユウの体捌きには若干の焦りが垣間見える。集中力も乱れ気味で、あのままではいずれ隙を突かれるだろう。
だが、エリシアが近接戦に興じている間は、ユウが敵の魔法に曝される心配はまずない。さすがに向こうの魔道士も、フレンドリーファイアの危険を押してまで戦術魔法をぶっ放すような真似はしないと聡一は踏んでいた。
(さっさとこっちを片付けて、ユウを安心させてあげますかねぇ)
ユウは類稀な実力を持つ魔法剣士だ。普段のペースを取り戻せば、決して遅れは取らないことを知っている。エリシアの実力を鑑みても、だ。
魔法剣士と魔法弓師の熾烈な斬り合いを黙って見つめながら、聡一は徐に投擲ナイフを頭上に投げる。
次の瞬間、頭上に発生した雷撃が轟音を伴ってナイフに直撃した。一撃のもとに聡一を戦闘不能に追い込むはずだった紫電は、対象に何の効果も示せないまま呆気なく消滅する。
『嘘!?』
不意打ちの戦術魔法をいとも簡単に無効化された――その事実に、魔法を放った張本人である女魔道士が驚愕の表情で凍りつく。どうやら完全に勝ったと思っていたらしい。
(悪いけど、文字通り身体で覚えちゃってるんだよねぇ。魔道士の殺気は、さ)
魔道士が魔法を行使する際に放つ独特の殺気は、アリアとの熾烈な戦闘を経て、比喩なしに骨身に染みているのだ。忘れようと思っても忘れられるものではないあの壮絶な経験が、聡一を一回りほど成長させていた。
アリアが作りだした蒼い炎の渦を思い出し、ブルッと身震いする聡一。本人に自覚はないが、若干トラウマになりつつあるようだ。
背筋を這う寒気を振り払うように、聡一は腰に残されていたもう一本の剣を鞘から引き抜く。
「腕を1本奪ったくらいで、調子に乗ってもらっちゃ困る」
左手に持った漆黒の剣を構え、槍使いと女剣士を見据える。
右手が使えないなら、左手と足を使えばいいじゃない――心の内でそう呟きながら、さらに言葉を繋げた。
「あとさ……俺の仲間をあまり見縊るなよ?」
エリシアを信頼している――言い換えれば、ユウの実力を甘く見ている女剣士の言葉が癇に障ったのだろう。ほんの少しばかりの苛立ちを酷薄な笑みに乗せ、聡一は何度か軽く剣を振り、剣の重みを掌に馴染ませる。
利き手が使えなくなったときの為に、日頃から左手で武器を扱う鍛練も欠かさなかったのが幸いといったところか。ハンデとなっていることは間違いないが、この世界における身体能力の向上を加味すれば、左手一本でも打ち合えないことはない。
(槍使いを速攻で潰す)
そうすれば、残る前衛は女剣士1人だけだ。そのまま聡一が相手をするか、後ろのファスティオ達に任せるかは相手側の出方次第だが、いずれにせよ<白薔薇旅団>を切り崩す足掛かりにはなるだろう。
背後では既にセフィーアが治癒魔法の構築に入っており、右腕が回復するのも時間の問題といえる。そうなれば、最早何も危惧することはない。
◆◆◆
「「………………」」
聡一の殺気に気圧され、槍使いのレクティスと女剣士のケリーが僅かに怯むが、瞬時に持ち直す。2人とて、その道のプロフェッショナルだ。積み重ねてきた経験の厚みは、聡一など足元にも及ばない。戦いの駆け引きに関しては、明らかにレクティスとケリーの方が上といえよう。
そもそも、これまでの試合で2人が一度も壇上に立たなかったのは、彼らの戦い方を聡一達に学習されないようエリシアが配慮した結果である。
リーダーであるエリシアはレクティスとケリーのコンビならば、聡一にも対抗できる切り札として、今の今まで大切に温存していたのだ。
白薔薇旅団の虎の子として、満を持して最後の試合に臨んだ2人としては、何としても結果を残さねばらない。
ここまできて、仲間達の期待を裏切る未来など考えたくもなかった。
「……ケリー」
「……えぇ」
2人はどちらともなく視線を合わせ、ほどなく逸らす……一瞬で互いの意思疎通を図れるからこそ、彼らは凄腕パーティとして世間でその名を馳せているのであろう。
ケリーは聡一よりも後ろ――カラーゾ-ンで治癒魔法を構築しているセフィーアに目をやった。
遠距離からの治癒という高度な魔法の構築に多少手こずっているようだが、何れにせよ時間が無い。治癒魔法が完成されてしまっては、貴重な好機も水泡に帰す。
――彼の片腕が使えないうちに、一気にケリをつけなくてはならない。
この結論に達したのが先か、足が動いたのが先か。レクティスとケリーが同時に駆けた。
左右から聡一を挟むべく、まさしく阿吽の呼吸ともいうべき絶妙なタイミングで立ち位置を変え、すれ違うように交差しながら猪突の勢いで突撃する。
だが、それよりも早く動いたのは聡一だった。
ケリーの軌道を先読みし、手にしていた剣を思い切り投げつける。狙いは丁度両膝の付け根あたり――盾で防御するにしろ、避けるにしろ、最も面倒な部位である。
「――っ!?」
人外染みた膂力で投擲された長剣が高速で刃を回転させて、恐ろしい風切り音を奏でつつ飛翔してくる。万が一にも直撃すれば、脚など簡単に切断されてしまうだろう。
慌てて足を止め、腰を低く降ろすケリー。脳裏に響く警鐘に急かされるように、素早く盾を構えて防御の姿勢をとった。
短剣ならまだしも、その化け物染みた膂力で投擲された長剣を受け流せる程の達者な腕は、残念ながらケリーには備わっていない。これがSランクの実力者であるミーレ・レルクルなら、足を止めることすらなく、軽く受け流せたのであろうが、ケリーはAに近いBランクの冒険者である。あまりにも腕の差があり過ぎる彼女と比べるのは酷というものだ。
ケリーは歯噛みしつつも、足を止めざるを得なかった。
ガギンッ!!
まるで力自慢の大男が全力を振り絞って振り被った大剣を直にガードしたかのような、強烈な衝撃が腕を通して肩まで伝わる。
長剣が盾に弾かれ、明後日の方向――エリシアとユウがいる方角に飛んでいくが、それを目で追える程の余裕は無い。
(ただの投擲でこの重さは……彼は本当に人間ですか……)
びりびりと痺れるような痛みを訴える左腕に力を入れ直し、改めて聡一に向き直ったところで――
「はあああああッ!!!!」
突如として、鼓膜を喰い破るかのような大音声が闘技場を揺らした。