第54話 団体戦決勝試合――その2
試合の開始が宣言された直後、セフィーアとエリシアが同時に幻獣を呼び寄せた。
「ピノ!」
虚空から影が浮き出るように姿を現したセフィーアの蒼い巨鳥は、その大きな翼を羽ばたかせて大空へ飛翔していく。
まるで蒼い天衣が風に流され、空中で舞い踊っているかのような……そんな幻想的な光景の前に、観客達は呼吸も忘れて魅了されていた。
「ラスターン!」
ラスターンと呼ばれたエリシアの幻獣もまた、ピノの後を追う様に大空へ舞い上がっていく。同じ飛行タイプであるらしいそれは――
「あれは……もしかしてグリフォンか?」
元の世界においてお伽噺に出てくる伝説上の生物――グリフォン。
鷲の翼と上半身、獅子の下半身を持つ風貌を見れば、誰もが聡一の言葉は的を射ていると同意するだろう。
強靭な体躯に鋭い爪、そして見た目通りの猛々しい雰囲気からして、戦闘に特化した幻獣のようだ。正面からのぶつかり合いでは、恐らく歯が立つまい。ピノに勝ち目がないことは明らかである。
ピノの力では、地上にいる仲間を攻撃をさせないように相手を引き付けるだけで精一杯といったところか。
セフィーアも同じ結論に至ったようで、その顔には僅かながら険しさが滲んでいる。
ただ、見る限り、空中での速さと機動力ではピノに分があるらしい。その優位を生かすことができれば、或いは……。
聡一は頭を軽く左右に振り、余計な思考を払う。
部外者があれこれ考えても仕方がない。ピノのことはその主たるセフィーアに任せればいい。今は目の前の敵に集中しなければ。
白薔薇旅団の前衛である女剣士と槍使いは油断なく聡一達を警戒しながら、それぞれ懐から小さな紙を取り出した。
紙を胸の前に翳すように持ち、何やら一言呟く。その瞬間、紙が白く発光し、2人の闘気が一気に増大した。同時に、持っていた紙がボロボロと朽ちていく。
見た目では何も変わっていないように思えるが、明らかに何かが変わっている。
原因は間違いなくあの紙だろう。
いったい何があったのか。理解できない現象に、聡一は首を捻る。
「なんだあれ?」
「ブースト――身体能力を飛躍的に上昇させる治癒魔法の一種だよ。巧魔紙に刷られてたのを解放したみたい」
思わず口に出た疑問に、ユウが答えた。
「こうまし?」
「魔道士じゃない人間でも、一回だけ魔法を行使できる紙だよ。まぁ巧魔紙に刷られた魔法限定だけどね」
使い捨ての便利アイテムといったところだろうか。何れにせよ、魔法を使えない脳みそ筋肉タイプのアタッカー程、重宝する代物であることは間違いない。
「なにそれ超欲しい! その紙さえあれば、戦術の幅が一気に広まるじゃないですか!」
「あー……まぁそうなんだけどね、実はひとつ問題がありまして……」
聡一は新しい玩具を見つけた子供のように瞳を輝かせるが、一方のユウは少し困ったように言葉を濁す。
「問題?」
「うん……」
言いにくそうに苦笑を浮かべるユウの様子に妙な引っかかりを覚えた聡一は、そこで一つの疑問を覚えた。
(そういえば、今まで試合の中で、あの巧魔紙ってやつを使ってきたチームは一つもいなかったような……)
魔法を使えない人間が魔法を使える――それだけでいったいどれほどの戦力強化になることか。
例として、彼の軍事大国であるエルディエム帝国軍部が定めている正規の戦術魔道士の戦力は、一般歩兵10~20人分とされている。高位の実力者ともなれば、単純計算で歩兵三桁分にも匹敵するという。
さすがに紙切れ一枚で本職の魔道士と肩を並べられるとは思えないが、状況に合わせた巧魔紙を各種買い揃えておけば、いざという時に便利であることは間違いない――も関わらず、殺し以外は如何なる手段も是認されている団体戦において、これまでどのチームも巧魔紙を使用していないというのは明らかに不自然だ。
ならば、使いたくても使えない理由があるハズ。そこまで思考を巡らせた聡一の耳に、ユウの声が届く。
「単純に、滅多に市場に出回らないんだよねぇ……。巧魔紙って一枚作るのに凄く手間がかかるし、そもそも付与魔法に精通してる人じゃないと作れないから、運良く見つけたとしても目玉が飛び出るほど高いっていう……」
さらにいえば、容易に人を殺傷できる力を手に入れられるという見解から、一般人はおろか冒険者であろうとも巧魔紙の所持を禁じている国が多々ある程で、それらの事情が重なり、殊更入手が難しくなっている。
この事から、巧魔紙を持っている冒険者はほとんどいないのが現状だ。
一通り理解した聡一は、腕を組みながら大げさに頷く。
「思ってた以上に貴重な物なんだなぁ。てか、そんなものを惜しみなく使ってくるってことは――」
「それだけ本気ってことだ――ねッ!!」
――殺気。
鋭い風切り音に反応し、剣の柄を握ったユウの右腕が無造作に振るわれる。一筋の銀光が迸った後、両断された矢が地面に転がった。
聡一は矢が飛んできた方向を黙って見据える。
矢を放った本人であるエリシアは、薄らと冷たい笑みを浮かべながら、既に2本目の矢を番えていた。
「さすがにのんびりと会話し過ぎたか、反省反省。……てか、せっかく隙を見せてたあげてたんだから、遠慮せずにかかってくればよかったのに」
当然、カウンター狙いであるのはいうまでもないが。
さり気無く女剣士と槍使いに聞こえるように言いつつ、わざとらしく肩を竦めてみせる――勿論、挑発である。
しかし、女剣士と槍使いは表情を微動だにさせない。
白薔薇旅団側もずっと聡一達の試合を観察していたのだろう。軽薄な行動は即座に聡一の餌になると重々承知しているらしい。
「ふむ……」と感心したように軽く息を吐き、腰の後ろに下げた剣を抜いた聡一は、特に構えを見せることもなく、半ば脱力したように両腕を降ろす。
手に持つのは白銀の剣のみで、漆黒の剣は剣帯に収まったままだ。
2本の剣を持ち込んだからといって、バカ正直に2本とも使う必要はない。
無理して慣れない二刀流を演ずるよりは、多少なりともこなれたスタイルで戦う方が良いに決まっている。
「さて、ユウさんや。そろそろいきますか?」
「いっちゃいましょう!」
明るい声で同意するユウ。その気合いを表すように、右手と左手それぞれの剣の刃に激しい放電現象が生じる。
目を合わせ、互いに頷き合う聡一とユウ。
そして、既に迎撃の体勢を整えている敵前衛と数瞬の間だけ睨み合い、双方とも同じタイミングで飛び出した。
その光景を黙って眺めていたフェルミは、手に持つ杖を強く握り締めた。
聡一が女剣士を、ユウが槍使いを相手取るようだ。相手は身体能力を強化する魔法がかかっている。聡一ならばさして問題にはならないだろうが、ユウには少し厳しいかもしれない。
身体能力を強化する魔法は戦術魔法の中でもトップクラスの難易度を誇る魔法だ。その構築時間も相当なものとなる。
魔道士の負担を無くす為に、敢えて貴重な巧魔紙を使わせる――エリシアの判断には舌を巻くものがある。
こちらも前衛で頑張るユウと聡一に強化魔法をかけてあげたいところだが……フェルミはそう考えつつも実行はしなかった。否、正確にいえばできなかった。
相手側の戦術魔道士2名が、淡々と攻撃魔法を構築している。目標は言わずもがな、フェルミとセフィーアである。
一方はフェルミに、もう一方はセフィーアに狙いを定め、早期の決着を図るつもりのようだ。
いくらフェルミでも、それぞれ異なる属性の魔法を一遍に捌く事はできないと判断しての作戦だろう。
自分の身を守れば仲間がダメージを受け、仲間を庇えば自分がダメージを受けてしまう……相手からすれば、どう転んでも自分達に有利になるよう計算されている点からして、実によく考えられている。
優秀な人材が豊富だからこそ実行できる、少々贅沢な作戦であることは否めないが。
――しかし
「捌き切れないのなら、そもそも受けなければいいのです」
ニコッと微笑んだフェルミの周囲から、白煙が猛烈な勢いで噴出されていく。
それは試合開始前にも用いられたスモーク魔法と同一の魔法だった。
◆◆◆
「――スモークっ」
忌々しげに呟くエリシアの視界の先で、フェルミの笑顔が煙に包まれ消えていく。
攻撃魔法は対象範囲となる空間を認識し、標的を定めたうえで初めて有効な魔法となる。即ち、視覚から齎される情報がキーとなるのだ。
既に空間そのものは把握しているので、攻撃すること自体はできる。しかし、標的を視認できなければ、当然当てずっぽうで魔法を放つしかない。
広範囲に及ぶ高威力の魔法ならともかく、単体の標的を狙い撃つ小威力の魔法が、実質の目隠し状態で通用するワケもなく……。
あのフェルミという女魔道士は、対魔法戦においてリフレクトを防御の主流と考える魔道士の常識に囚われず、実に効率よく対処してみせたのだ。
しかも、笑いながら。大して集中することもなく、まるで呼吸でもするかのように、一瞬で。
その事実にエリシアは思わず戦慄する。
「なんということ……彼女は魔道士相手に戦い慣れている……!」
侮っていた。これまでの彼らの試合をしっかり観戦し、じっくり分析し、自分の中では十二分に評価していたつもりだった。だが、それでも足りなかったらしい。
まるでソーイチのように、彼女もまるで底が見えない存在だ。
煙の向こうで彼らが何をしているのかはわからないが、相手に時間を与えてやるワケにはいかない。手が出しにくくなる前に、あの邪魔な白煙を霧散させなくてはなるまい。
エリシアは矢尻を引き絞りながら、瞼を閉じる。
(集中……)
魔力を構成、式を構築し、魔力に組み込む。属性は風。矢に糸を巻き付けるイメージ。
そして、エリシアは瞼を開き、もうもうと立ち込む白煙の壁を見つめた。
「コソコソと隠れてないで、さっさと出てきてくださいまし!」
引き絞った弦を解放し、濃縮された魔力を滾らせる矢を穿つ。
地面を抉る轟音と共に、目標へ向かって飛翔する一筋の閃光――まるで白煙が自らの意志で矢を避けたかのように、隔たる白い壁に大きな風穴が開いた。