第50話 杖持ちの魔道士――その1
無名の低ランク冒険者が優勝を果たした武芸大会個人戦が終わり、一日の休みを挟んで迎えた武芸大会団体戦初日。個人戦と変わらず、数えるのも馬鹿らしくなるほどの大勢の観客達が闘技場を訪れていた。
試合の開始が待ち遠しい彼らは、退屈な待ち時間を潰す目的で、会話の話題に個人戦優勝を果たした無名の冒険者を持ち上げる。
長い冒険者ギルドの歴史の中でも、間違いなく3本指に入る最強のトップランカーと繰り広げた死闘の中で、手に汗握る攻防の末に最後の最後で武器の性能差により敗北を喫した漆黒の剣士。
ある者は彼の健闘を称賛し、ある者はトップランカーの貴重な膝枕を体験した彼を羨み、ある者は彼のSSランク入りを期待する。
エキシビジョンマッチの後、聡一は民衆の間で一躍人気者となっていた。
彼が今日の団体戦にも参加することを知っている観客達は、その勇姿を再び目に焼き付けることができるということで、期待に胸を膨らませていた。
しかし、中には小賢しくも試合開始前に聡一の姿を一目見ようと考える者もおり、同様の考えを持つ者達がホテルに大挙して押し寄せてきた結果、聡一達は朝からいらぬ苦労を強いられることになる。
集結した観客達の密集具合は、ホテルの警護についていたギルド騎士が闘技場までの壁役を買って出てくれる程であり、彼らがいなければ確実に予定時間内には辿り着けなかったと断言できるような規模であった。
事態を把握した運営は、聡一達を一般の観客席に置いておくと様々な混乱を招くと判断し、急遽隔離することを決定する。
裏で運営陣が緊急会議を開いているとは露知らず、道中をギルド騎士に護衛されてなんとか闘技場に辿り着いた彼らが、裏口からこっそりと招かれた席とは――
「いくらなんでも、一端の冒険者をSSランカー専用の席に同伴させるってのは色々とやり過ぎなんじゃ……」
闘技場の中で最も高い位置にある特等席からバトルフィールドを見下ろす聡一は、若干の困惑を言葉に交ぜながら呟いた。まだ開会前なので他のSSランカーは姿を見せていないが、それも時間の問題だろう。
「……やり過ぎなんてことはない」
「そうですよ。師匠とのエキシビジョンマッチ以来、ソーイチさんの活躍はアンレンデ住民の間で英雄譚になってるくらいなんですから。ホテル前で、その事実を目の当たりにしてるハズです」
ランカー達の椅子が設置されている場所よりも奥の位置、観客達からは見えないように配置されている複数のテーブルのうち、その1つを陣取るアリアとスタンが異口同音に口を揃えた。
「皆が皆、ソーちゃんに向かって突撃してくるんだもんねー。あれはちょっと怖かった」
「私は危うく押し潰されるところでした……」
余程疲れたのだろう。ユウとフェルミがテーブルに力無く突っ伏す。
「一応予想はしていたが、まさかあれほどの数が待ち伏せているとはな。宿泊先の情報は規制されているハズだが、いったいどこから漏れたのやら。とにかく、闘技場に入ったからといって油断はできん。一般席には近づかない方が賢明だろう」
「むぅ……」
なめくじのように潰れている美女2人を見やり、苦笑しながらファスティオは言うが、それでも納得がいかない聡一はしきりに首を傾げる。
「さすがにもう大丈夫だと思うけどなぁ。闘技場内にはギルド騎士がいっぱいいるんだし、そこまで警戒する必要はなくない?」
「まったく、どこまでも呑気な人……。そこまで言うなら、自分で確かめてみなさいな」
どうにも危機感が欠落している聡一に対し、セフィーアは軽く溜息を吐きながら提案する。
「確かめるって?」
「あそこに見える通路を歩いて往復してみなさい」
呆れた眼差しを隠そうともしないセフィーアは、バトルフィールドを観賞する為の窓枠から覗く、適当な通路を指差した。
「無事に帰ってこれたら、ホッペにキスでもしてあげる――ユウが」
「マジすか!? ちょっと行ってくる!! へっへっへ、こんなん余裕っすよ! 俺、帰ったらユウにチューしてもらうんだ! うおー!!」
「え? なんで私? ――って、もう行っちゃった。……大丈夫かな」
セフィーアの言葉を真に受けて、勢いよく飛び出していく聡一。あっという間に遠ざかっていく背中を見つめながら、ユウは心配そうな表情を浮かべる。
――そして、アリアやスタンを含めた皆の視線が通路に着いた聡一に集中する中で、悲劇は起こった。
「皆、警戒し過ぎだって。別に観客にバレたところで、騒ぎになんか――」
てくてくと調子良く通路を歩く聡一の姿が、人目に触れた途端。
『ねぇちょっと、あれってもしかして……』
『嘘!? ソーイチ様じゃないっ! きゃー!! こっち向いてぇーっ!!』
『おい見ろよ! あいつって個人戦で優勝した冒険者だぜ!?』
『マジかよ! こんな間近でお目にかかれるなんて、なんてツイてるんだ! 俺、サイン貰ってくる!』
人は人を呼び、興奮は大きな波紋のように伝染していく。
ぽけぽけと呑気な表情で通路を引き返そうとした聡一が徐々に近づいてくる多くの気配に気付き、ハッと振り返った時には既にどこにも逃げ場など無く……
「アッーーーーー!!!?」
津波のように押し寄せた観客達に、文字通りアッという間に飲み込まれていった。
「あ、ソーちゃん飲まれた」
「当然の結果ね」
「ソーイチさんは本当に面白い人です。うふっ」
「やれやれ」
「……ソーイチってアホの子?」
「いやいや! 談笑してないで早く助けてあげましょうよ!?」
聡一が、慌てて駆けつけたギルド騎士達による決死の行動で救出されたのは、たっぷり5分後のことであった。
◆◆◆
『これより、アンレンデ武芸大会団体戦、第一試合を開始致します! 赤ゲートオープン!』
メリハリのある司会者の声が合図となり、開門された鉄扉の奥から5人の冒険者が誇らしげにバトルフィールドへ歩いていく。その堂々たる様を観客達が歓声をあげて迎えた。
『チーム名【紅の魔剣】! 大会通算4度目の出場となるベテランチームだ! メンバーもC~Bランクで構成されている堅実な実力者揃い! 果たして、今回は如何なる活躍を見せてくれるのかー!!』
沸き立つ観客達に手を振りながら、バトルフィールド手前で配置の準備に入る紅の魔剣。男のみで構成された、むさ苦しいチームである。
一見すれば皆余裕の態度で挑んでいるようだが、よくよく観察してみると、その表情は一貫して硬く強張っていることがわかる。
頭上に浮かぶ映水球により、対戦相手チームにとんでもない化け物がいることを知っているからだ。
『青ゲートオープンッ! チーム名【5人の愉快な仲間達】の登場だー!!』
鼓膜を引っ掻くような錆びついた音が鉄扉から喧しく放たれた後、それぞれの武器と"お荷物"を抱えたセフィーア達が姿を現した。差し込む陽光に目が慣れず、辛そうに瞼を細めている。
『このチームには皆さんご存じ、個人戦優勝者であるソーイチ・オノクラ氏がエントリーしております! 果たして、【5人の愉快な仲間達】のチームワークはどれほどのも……の……』
団体戦の優勝候補として期待されているせいか、司会者の台詞にも随分と気合いが篭っていた。だが、セフィーア達の影を視認した途端、熱が冷めるように言葉が尻すぼみになっていく。
……そりゃそうだろう。最強のトップランカーと激戦を繰り広げた猛者が、意識を失ったまま仲間達に引き摺られているという情けない様を目の当たりにすれば、誰だって言葉を失うに違いない。
『………………』
紅の魔剣のメンバーだけではなく、闘技場にいる全ての観客の沈黙を誘う光景に、司会者は一筋の汗を流した。
『ど、どうやらソーイチ氏は体調が優れないようです。アリア様との死闘の後ですから、まだ本調子ではないのでしょう。あまり無理をなさらないでくださいね?』
さすがはこの祭典の司会を任されているだけはある。苦笑で顔を引き攣らせながら、咄嗟にフォローを入れてみせるその判断力は素晴らしいものがあった。
一方のセフィーア達は、言葉を失っている外野など気にも留めず、聡一を追加選手が待機する場所に横たえると、バトルフィールド前に整列する。
その様子を黙って眺めていた紅の魔剣は、ハッと我に返ると、勝機は自分達にあると強気な笑みを浮かべた。
『え、えー……何やらフライング気味にソーイチ氏が追加選手枠で待機させられていますが、気を取り直して! ごほん! これより30秒間、選手配置の為のスモークを散布します!』
本来は自陣の配置を相手に読ませない為、スモーク魔法が発動した後に選手を移動させるのが通例となっているのだが、どうやら無視しても特にお咎めはないらしい。そんなことをしても、そのチームが不利になるだけで、試合進行的には特に問題にならないからだろうか。そこらへんの事情は運営のみぞ知る。
『では、スモーク魔法発動!!』
ボシュッと白い煙がバトルフィールドを斜めに分断した。これでお互いの影は見えなくなり、敵の視線を気にすることなく、思い思いの配置につくことができる。
「じゃあ、後は打ち合わせどおりに」
そう言い残し、セフィーアはチームリーダーとして、カラーゾーンへ気だるげに歩いていく。
「は~い!」
「わかりました」
「承知した」
それを見届けた3人はしっかりと頷き合い、カラーゾーンに迫るギリギリの位置で固まるように陣取った。
その間、僅か10秒にも満たない展開の早さである。
「ソーちゃんをあのまま寝かせておくワケにもいかないし、速攻で片づけちゃおう! フェルミの魔法、信じてるからね」
「はい、お任せください」
ユウの力強い眼差しににっこりと笑みを返すフェルミからは相応の自信が見て取れた。
――セフィーア達にとって、この団体戦は初めてのパーティ戦闘となる。しかし、今の彼女達に緊張は欠片も見受けられない。
……それも当然といえば当然だろう。何故なら、彼らにとっては『未知数である自分達の連携具合を確かめる練習舞台』といった感覚でしかないのだから。
ファスティオやユウを中心としたこのチームは個々の実力も高く、パーティ構成も若干攻撃型に傾いてはいるが、非常にバランスが良い。何より、これは団体戦という"ただの試合"なので、自らの生死も関わらない。
気楽にやりこそすれ、彼女達が敵を恐れる理由など、どこにもないのだ。
どこぞの馬鹿がフィールドの外で寝ているのは、何とも度し難いところであるが。
『30秒経過! スモーク解除!』
司会者の宣言により、魔法で張られた煙幕が徐々に薄れていく。そして、互いの配置が明らかになった。
紅の魔剣サイドは戦術魔道士をリーダーに置き、剣士と槍使いを中央寄り、弓使いと拳闘士を外側寄りに布陣させて、バトルフィールドに広く散らばっている。個々の実力に自信がなければ真似できない各個撃破スタイルの陣形だ。
それに対して5人の愉快な仲間達――1人脱落中――は、ファスティオを先頭に置いて、ぎゅっと一箇所に纏まった密集陣形をとっているようだ。……カラーゾーンの範囲外ギリギリで。
試合が開始されるまではリーダー以外の選手がカラーゾーン内に入ることは許されない為、致し方なく外側で待機している――といった雰囲気である。試合が始まれば、すぐにでもカラーゾーン内のセフィーアと合流するだろう。
いったい何を仕出かすつもりなのか、紅の魔剣を含めた観客全員が疑問を抱いた。
『双方構え! ……始め!』
試合開始を告げる声が空に響き、一斉に動き出す2つのチーム。紅の魔剣サイドの戦術魔道士は、フェルミの攻撃魔法を警戒して、仲間に【リフレクト】という対魔法特化の防御魔法を順々に掛けていく。
『早くしてくれ!』
メンバーの1人が、動けないもどかしさから苛立ちの声をあげる。
リフレクトは立ち止っている相手にしか掛けられないので、最初は自由に動けないのだ。
さらには、構築時間はそれほど長くないものの、4人分ともなるとそれなりに時間をとられてしまうので、当然ながら、その間は連携して行動できない。
『慌てるな! 動けないのは向こうも同じだ』
だが、リフレクトは戦術魔法を扱う敵との戦闘では必須の対策であり、時間をとられるのは相手側も同じだろうと魔道士兼リーダーは考えていた。
『向こうはもう動いてるんだよ!』
『なんだと!?』
――しかし、彼の予想は見事に裏切られる。
フェルミは開始早々にカラゾーンに踏み込み、セフィーアのすぐ真後ろに陣取ると、攻撃魔法の構築にかかっていたのだ。
無防備の彼女を護るようにファスティオがどっしりと盾を翳し、その横でユウが構えた剣を交差させて防御の姿勢をとっている。
まるで彼女の魔法に全てが委ねられていると云わんばかりの、絶対死守の構えだ。
仲間への魔法対策を放棄する代わりに、リフレクトでも無視できない威力の攻性魔法を放つつもりなのだろうか。
『くっ読み違えたか! だが――』
紅の魔剣リーダーは厳しい表情を形作る……が、すぐに落ち着きを取り戻す。
『……よし、行け!』
ようやくリフレクトを全員分掛け終えたところで突撃を命じ、自らは仲間を援護する為に雷系列の攻性魔法の構築を始めた。
待ってましたと小躍りするように駈け出す仲間達を眺めながら、彼は不敵に笑う。
『杖持ち風情に破れる程、私の魔力は脆弱ではないぞ』
それはフェルミが"杖持ち"の魔道士であることを思い出したが故の自信であった。
通常、杖とは魔道士とも呼べないような素人中の素人が使用する装具であり、その効果は杖のサポートを得て素早く魔法を完成させるという代物だが、外部からの干渉による強引な補助はその魔道士本来の構築ペースを大きく乱し、完成させた魔法の効力を半分以下まで減退させてしまう。
その為、一般的な魔道士が杖に頼ることはない。逆に、杖を持つ魔道士は例外なく未熟者と認識されて、嘲笑される。
それを知っているからこそ、紅の魔剣リーダーは遠慮なく仲間を送り出したのである。分散させているので、大魔法で纏めて撃破される可能性はないし、そもそも彼女にそれだけの威力を保った攻撃魔法が作れるとも思えない。
しかも、相手側は何をトチ狂っているのか、纏めて吹き飛ばしてくださいといわんばかりの密集具合である。良い標的としか言いようがなかった。
数的な有利もあり、リーダーは楽に勝利できると確信して、ほくそ笑んだ。
『ふん。ソーイチ氏が飛び抜けて強いというだけで、仲間は大したことないらし……なんだ?』
唐突に台詞が途切れ、笑みが困惑の色に変わる。
「ファスティオ! ユウ! 固まって!」
「了解だ!」
「はいよーん」
弓使いの狙撃をファスティオが盾で対処している間に、ユウが軽い炎系列の攻撃魔法で牽制を行った後、彼の背中へと隠れたのだ。
そして、どういうワケかその腰にしがみ付いている。さらには、リーダーであるセフィーアも同じようにユウの腰にしがみ付き、これから訪れる"何か"から耐えるのような姿勢をとっているではないか。
『彼らはいったい何を……?』
払拭できない疑問が紅の魔剣メンバーを襲う。その疑問が警戒へと変わり、敵陣へと駆ける彼らの足を鈍くするまで大した時間は掛らなかった。
「――いきます!」
そうこうしている間に、フェルミの口から合図が発せられる。彼女は何かしらの魔法を放った後、そのままセフィーアの腰にしがみ付いた。
『あれは!?』
誰かの慌てた怒鳴り声の先で、風を纏った大きな球体がバトルフィールドの中央へゆっくりと降り立つ。
それが、圧縮に圧縮を重ねられた空気の塊であることを理解した瞬間――。