第49話 個人戦が終わって
ここは聡一達が寝泊まりしている、グランドホテル・アンレンデの一室である。
アリアとの試合の後、重度の内臓損傷で倒れた聡一はセフィーアの治癒魔法により完治。同じく重度の火傷を負った両手もギルド直属の治癒魔道士達によって、後遺症を残すことなく治療された。
そして、翌日に目が覚め、搬送先の病院から退院する間際、念のために今日一日をベッドで安静に過ごすよう医師からキツく言い渡された聡一は――
今現在、ベッドの上で正座していた。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
静か過ぎて耳鳴りを錯覚するほどの静寂が、寝室を圧迫している。
沈黙が重石となり、背中に圧し掛かっているような息苦しさを覚えるが、それを口に出すことはない。否、出すことができない。
無言の中に含まれる、隠そうともしない女性陣の怒気が、まるでホテルの一室を震わせている気がしてならなかった。
いや、実際に震えているのは聡一の身体に他ならないのだが。
ちなみに、ファスティオは明日に控えた団体戦に備えて、鍛冶屋に預けていた長槍を引き取りに行っており、この場にはいない。
去り際に見せた合掌で聡一の心を深く抉っていくという置き土産を残し、出掛けてしまっている。
セフィーア、ユウ、フェルミ。いずれも絶世の美女という言葉で飾っても恥ずかしくない、類稀な美貌の持ち主達であるが、そんな彼女達は何をするでもなく、ただ無言のまま、鋭利な氷柱の如き眼差しで聡一をじっと見つめていた。
大陸最強の冒険者と堂々と渡り合った聡一が、臆病な子犬のように脅えているという状況を鑑みても、その恐怖の度合いは計り知れない。
……部屋の中は暑くもなければ寒くもない。室温は魔法の装置で最適の温度に調整されており、快適そのものだ。それなのに、先程から寒気と鳥肌が止まらないのは何故だろうと、聡一は現実から目を背けようと頭の中で自問自答を繰り返す。
(鬼、もとい阿修羅が3人。ははっワロタ……ワロタ……)
ぐるぐると脳裏を回り続ける意味不明の絶望感。
なんだか全てがどうでもよくなりかけたところで、セフィーアが唐突に口を開いた。
「ソーイチ」
「ヒイッ!? ――じゃなくて、ハイ……」
「なんで私達が怒っているのか、自覚してる?」
「え……えっと……」
今までセフィーアと旅をしてきた聡一だが、ここまで抑揚のない口調は聞いた事が無い。それだけに、未知の恐怖との遭遇は想像を絶する緊張を強いてくる。
だが、ここで心折られるワケにはいかない。聡一は精神的な自衛の意味も込めて――
「エキシビジョンマッチで負けちゃったから? サーセンてへぺろっ!」
冷静に考えて、既に精神に異常をきたしていたのだろう。
やっちまった。
……と頭を抱えて後悔してももう遅い。
「……あぁ……ソーイチ」
慈愛の籠った優しい声音で聡一の名前を呟いたセフィーアは、そっと自分の手を彼の頬に添える。ひんやりと冷たい手の感触に、聡一はカラカラの喉を少しでも潤そうと唾を呑んだ。
この場に第三者がいれば、室温が一気に零下にまで落ち込んだと錯覚したことだろう。
そして、セフィーアはゆっくりと頬を撫でながら、静かに言った。
「明日の団体戦は、あなたナシで挑まなくてはならないのね……本当に残念」
「申し訳ありませんでしたあああああ!!!」
命の危機にプライドも糞もない。ベッドの上で飛び跳ねてからフライング土下座をかます聡一の姿に、それまで黙っていたユウがぷぅっと頬を膨らませた。
「まったくもー! ソーちゃんはもっと空気を読むべき! あたしも、皆も、本当に……本当に心配したんだからね!?」
「面目次第もございません……」
土下座したまま頭を上げずに呟く聡一。
若干涙目で説教するユウに続くように、フェルミも眉を八の字に形作る。呆れを含んだ厳しい表情だ。
「ソーイチさんが気を失っている間に、貴方の特殊な体質についてはセフィから説明を受けました。しかし、いくらなんでも、あれだけの高等な戦術魔法を真正面から受け止めるなんて……無茶や無謀という言葉では収まりません。あんな向う見ずな行為は、ただの暴挙です!」
「返す言葉もございません……」
ひたすら低頭することしかできない大会優勝者の無様な姿に、セフィーアは一つ溜息を零す。
「頭を上げて」
「はい……」
言われたとおり、聡一は素直に顔を上げる。
そのまま恐る恐る視線を向けると、氷のような無表情で見下ろすセフィーアと目が合った。
「私は怒っている」
何の飾りもない、実に端的な一言が寝室に響く。
「反省して。次に今回のような無茶をしたら、絶対に許さない」
「……これからは気をつけます」
短いが、聡一は努めて真剣に返す。
絶対に許さない――彼女の言葉に茶化しは一切含まれていない。漠然とした表現だが、その裏に込められた真摯な想いに気がつかないほど、間抜けではないつもりだ。
しばしの無言が続き、互いに見つめ合うこと数秒。
「もう無茶はしない――とは言ってくれないのね……」
どこか諦めたような口調で呟くセフィーア。その瞬間、張り詰めた空気が軽くなった。
「もう……ホントにバカなんだから……」
「あてっ」
聡一の額にデコピンをお見舞いしたセフィーアは、ここで初めて苦笑を浮かべる。悪戯をしでかした我が子を叱る母親のような表情に、聡一は自分の胸が強く脈打ったような気がした。
そこへ、いつもの明るい雰囲気に戻ったユウが、おどけた態度で言葉を付け加える。
「本当に反省してね? セフィなんて、ソーちゃんが倒れた瞬間、一目散に飛び出したんだよ? いきなり観客席でピノを召喚するもんだから、周りで大騒ぎに――」
「ちょっ!?」
動揺するセフィーアを無視し、フェルミも可笑しそうに口元に手を当てながら同調する。
「そうですね。取り押さえにきたギルド騎士の人を『邪魔するな』の一言で黙らせてしまうところとか、圧巻でしたわ」
「まっ!?」
できれば秘密にしておきたかった己の行動を暴露され、顔を真っ赤に染めるセフィーア。そんな彼女を見ながら、聡一はきょとんとした顔で尋ねる。
「マジで?」
「……そんなはしたないコトしてないもん」
恥ずかしそうに目を伏せながら、尻すぼみに小さくなっていく声音からして事実なのだと直感する。
既に羞恥心で息絶え絶えのセフィーアだが、ユウとフェルミの弄りは止まる様子を見せない。
「セフィ可愛かったなぁ。担架を持った人が来ても、頑としてソーちゃん放そうとしなかったもんねー」
「あー! あー! そんなの覚えてない! 全然覚えてなーいっ! 事実無根! 発言の撤回を要求する!!」
「えっ、覚えてないのですか? なるほど、それだけ無我夢中だったんですね」
「このッ……! その減らず口、黙らせてやるんだからぁ!!」
聡一から見て正面のベッドでギャーギャー組んず解れつを繰り広げる美女三人。
暴れに暴れ、衣服が乱れてあられもない姿になっていく様を眺めながら、聡一はとても幸せな気分に浸った。主に目の保養的な意味で。
そんな時、この一室に近づいてくる2つの人の気配を捉え、無意識に目を向ける。基本的にルームサービスが2人でくることはないし、ファスティオが帰ってくるにしても一人増えているというのは不自然だ。
もしかしたら、以前に自分を狙ってきた襲撃者かもしれないとして、警戒を強める。
コンコン――
気配を捉えてたっぷり十数秒後、かなり控えめに扉をノックする音が聞こえてきた。女性陣は未だにベッドの上で仲良く遊んでおり、来客に気付いた様子はない。
「はいはーい。ちょっと待ってくださいねー」
彼女達が気付いていないのは都合がいい。
自分で対応することにした聡一はパジャマの上から紺色のガウンを羽織り、軽く身嗜みをチェックすると、テーブルに置いてあった果物ナイフを左手に隠し持った。
この扉に覗き穴の類はない。扉越しに相手の気配を探り、殺気の類がないことを確認してから、慎重に扉を開ける。
「どちら様ですか――あっ」
扉の先に立っていた人影。鮮やかな紫色の髪に刹那の間だけ目を奪われる。それからすぐに我に返り、思わず驚きの声をあげた。
「……こんにちは」
どこか照れ臭そうに、小さな声で呟いたアリアは聡一の左手――より正確にいえば、背中の後ろに隠している果物ナイフを見つめると、軽く首を傾げた。
「……警戒させた?」
「ん? あぁごめん。例の襲撃者の連中かと思って」
左手でくるくると果物ナイフを回して弄んでから、靴を収納している棚の上に置く。
「で、今日はどうしたの?」
「……貴方のお見舞いにきた。あと、それなりに重要な話があって」
「重要な話?」
「……うん」
アリアが自身の横に目を向ける。
そこには果物が詰まったバスケットを持った少年が立っていた。銀というよりは灰色に近い髪をした大人しそうな顔立ちだが、佇まいから感じ取れる実力はそこらの冒険者の比ではない。
丈が長い薄茶色のレザージャケットの上から多機能ベルトを通し、濃い灰色のボトムスに脛当てを仕込んである黒いブーツという出で立ちで、腰からロングソードを一本下げている。防具らしい防具を装備していないことから、聡一と同じく防御力よりも機動力を意識した装備のようだ。
「……スタン、挨拶して」
「す、すいません!」
何やら固まっているところをアリアに小突かれ、ハッと我に返った少年は慌てて姿勢を正した。
「コホンッ……お初にお目にかかります。アリア・ベクティムの弟子で、スタリオン・レイカーと申します。スタンと呼んでください」
緊張しているのだろうか。スタリオンと名乗った少年は、少しぎこちない態度で手に持ったバスケットを差し出してくる。
「これ、お見舞いの品です。どうぞ」
それを受け取った聡一は柔らかい笑顔を浮かべた。
「ありがとう。立ち話もなんだし、入って」
「……お邪魔します」
「お、お邪魔します!」
アリアとスタンをリビングへ案内した聡一は、未だに寝室で暴れている3人に呆れた眼差しを向ける。
「まだキャットファイトやってたのか……。おーい、お客さん来てるんだから、ちょっとは自重してよ」
「「「――え?」」」
今の今まで全く客の気配に気づいていなかったらしい。揃って頭に疑問符を浮かべる女性陣の服装はだらしなくはだけており、とてもではないが人前に出ていい格好ではなかった。
美女3人の艶めかしい姿を目撃してしまったスタンは、顔を真っ赤に染めながら咄嗟に目を背ける。
一方のアリアはさして興味も示さず、淡々と用意されたソファに腰掛けた。
「「「………………」」」
スタンの初心な反応で我に返ったセフィーア達が、改めて今の自分達のあられもない恰好を自覚し、悲鳴をあげて毛布の中に退避したのはどうでもいい話だ。
◆◆◆
リビングに居座る6人の男女。テーブルには人数分の紅茶が用意され、所在なさそうに湯気を立ち昇らせている。
先程の騒ぎのことがあるのだろう。室内にどこか気まずい空気が漂う中で、その空気の外にいる聡一とアリアがマイペースに会話を始めた。
「……身体の方は大丈夫?」
「うん、問題ないよ。今日一日は安静にしてろって言われてるけど、はっきり言って必要ないくらいには回復してる」
「……そう。よかった」
安堵としたように微笑むアリア。裏表のないその笑顔に惹きつけられそうになる自分を冷静に諌めながら、聡一は紅茶を口にする。
「あちっ――それで、重要な話っていうのは?」
「……まずはいい知らせ。今朝もぎたての新鮮な情報。ソーイチを殺そうとした襲撃犯……彼らを雇った人物の見当が付いた」
紅茶で喉を潤しながら、世間話でもしているかのような口調で語り始める。
いきなりの内容にセフィーア達は目を見開くが、聡一だけは特に何の反応も示さず、落ち着いた態度で言った。
「その人物って、もしかしてベルナス・フォン・アビゲインとかいう奴だったりしない?」
「「「――えっ!?」」」
身近というほど付き合いがあったワケでもないが、ホテルではロシーグとの争いを諌めてくれたベルナスである。Sランクという著名人にして、常に見せていた紳士的な態度もあり、ここで彼の名前が出てくるとは思ってもいなかったのだろう。
驚きを隠せないでいる3人とは対照的に、眉ひとつ動かさなかったアリアは、少し間を置いてからゆっくりと唇を動かす。
「……正解。どうしてわかったの?」
「試合の時に、ね。あいつの表情を見て、なんとなくそうなんじゃないかって思っただけ」
直前の不戦勝、試合中で見せた強烈な殺意、異常者としか思えない言動。そこにセフィーアの身柄の件が絡めば、確信とまではいかないものの、疑う余地くらいは生まれる。
「それにしても、どうやって調べたの? 何か決定的な証拠でも残ってたとか?」
「……生け捕りにした襲撃犯から情報を得ただけ」
「生け捕り? 逃げた2人のうちのどっちかを捕まえたってこと?」
「……違う。私が斬り倒した3人のうち、敢えて生かしておいた1人を取り調べた」
「んなっ!? ……あの状況下で生きていた奴がいたのか。てっきり、あの3人は全員殺したものだと思ってたよ」
「……全員殺してしまったら、情報が入手できなくなる。私はそんなに考えなしじゃない」
その生かしておいた男も危うく二度と目覚めないところだったのは、なんとなく伏せておくアリアであった。
「とにかく、これでソーイチさんが狙われることはないってことですよね?」
血生臭い話を終わらせたかったのか、フェルミが締めくくるように結論を述べる。
しかし、ここにきて、これまでポーカーフェイスを貫いていたアリアの表情が少しだけ硬くなった。
「……それがそうでもない」
「それってどういうこと?」
聞き捨てならない、とユウが真剣な表情で詰め寄る。
「……ソーイチとの試合の後、彼は闘技場の医務室に運ばれたんだけど――」
一旦言葉を切り、アリアは紅茶を一口飲む。そして、弟子を除く全員と目を合わせてから、再び言葉を紡いだ。
「うちの諜報部が身柄を回収しに出向いたときには既に、治療にあたっていた治癒魔道士達の死体しか残ってなかった……みたい」
「つまり、どこかに逃げたってこと?」
「……うん。自力で逃亡したのか、他人の力を借りたのかは今のところわかってないけど」
重苦しい空気がリビングを包みこんでいく。
「……昨日の時点でベルナスは冒険者の資格を凍結された。今は複数人の殺害容疑と禁制薬品使用及び所持の容疑、それから貴方の殺人未遂の容疑者として指名手配中」
「うわーお、より取り見取りだぜー」
「……さすがに街中で姿を見せるような馬鹿ではないと思うけど、一応用心して」
渋い顔を浮かべながら、聡一は肩を竦める。
試合中で垣間見た彼の狂気から察するに、恐らくベルナスと相見えるのはそう先のことではないだろう。
直接、自分と対峙するならまだ良し。だが、仲間に危害を及ぼそうとするなら、その時は……。
「心に留めておくよ」
いつ、どんな形で姿を現すかもわからない奴のことで、これ以上仲間達の気を揉ませたくなかった聡一は、軽く笑顔を見せながら言った。
「セフィ、猟奇犯罪者のお嫁さんにならなくて、本当に良かったね」
「……お願いだから、それ以上は勘弁してホントに」
真面目に呟くユウに対し、セフィーアはげっそりとした表情で自分の身体を抱く。
どうやら本気で参っているらしい。
それを察したユウはセフィーアを慰めるようにその肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「それにしても、セフィの操を守るついでに個人戦で軽々優勝しちゃうなんて、ソーちゃんは本当に凄いね! さすがは私のお婿さんだ!」
「お気になさらず。美しいレディ達を護るのは男の役目ですから」
ベルナスリスペクト。本人的にはキラッと輝く笑みを演出しながら、キザな台詞をのたまってみる。
「それって、ベルナスの真似?」
「うん」
「似合ってないし、なんかキモい」
「ちくしょう」
身も蓋もなかった。
「「……ぷふッ」」
「ちくしょう」
ついでにセフィーアとフェルミからも失笑という追い打ちを喰らった。
◆◆◆
「……これでベルナスについてのお話はお終い。次は大会の運営から頼まれた伝言を伝える」
「運営から? なんて?」
思わず聞き返す聡一に、アリアは頷いて応えた。
ここにきて運営が話題に出てくるとは思わなかっただけに、皆は首を傾げることしかできない。特にお小言を言われるような覚えはないのだから、当然だが。
それを承知しているアリアは、少し言いにくそうに口を開いた。
「……単刀直入に、ソーイチには団体戦出場を辞退してもらいたいって言ってた」
場の空気が一瞬だけ凍りつく。
アリアの台詞が本当なら、これは紛れもない違法な干渉だ。
「どういう意味? ソーイチに団体戦を辞退しろとか……運営がそんな話を持ちかけてくるなんて、大問題だと思うのだけど?」
「ちょいちょい、フィーアさんや。落ち着いて」
険呑な眼差しでアリアを睨みつけるセフィーアを、聡一が強引に遮る。
「別にアリアがそうしろって言ってきてるワケじゃないんだから。怒っても意味ないって」
「確かにそうだけど……」
「きっと相応の理由があるんだよ。最後まで話を聞いてから判断すればいいさ」
「……ん」
自分だけピリピリしても仕方ないと思い直したセフィーアは、浮かし掛けた腰を再びソファに落ち着かせる。
「それで、どうして運営側はソーイチさんに団体戦を辞退させたがっているのですか?」
「……個人戦優勝を果たしたソーイチが団体戦に出場すると……えと、団体戦の持ち味であるルールが生かせず……んと、観客が期待している――」
間を置かずに話を繋げたフェルミに対し、アリアは視線を斜め上に持っていきながら、言葉を整理しつつゆっくりと声に出していく。
どうやら、運営側から伝えられた言い訳を必死に思い出そうとしているらしい。
「――要するに、SSランカーとさえ渡り合えるソーイチさんが団体戦に出てしまうと、その実力差から、ある種の出来試合のように試合が進行してしまうことが予想されます。運営としては、それはどうしても避けたいのです」
「……そういうコト」
痺れを切らせたのか、今まで空気と化していたスタンが説明下手な己の師匠に苦笑しつつもフォローを入れる。
アリアは説明中に茶々を入れられたことが少しだけ気に食わないのか、ぷうっと頬を膨らませて弟子を睨んだ。
団体戦とは、冒険者個人の技量の他にチームとしての連携具合、敵チームを如何にして出し抜くかといった戦術も重要になる。
しかし、個人戦にてその圧倒的な実力を証明したソーイチの参戦は、このような様々な要素を全て台無しにしてしまうのだ。
本来ならば、このような取引きに応じる必要はない――というより、寧ろ応じてはいけないのだが、武芸大会とは冒険者のみならず、アンレンデを訪れる全ての人々の為の祭典である。
それは聡一も重々承知している。元々大会に参加する気はなかった彼からすれば、運営の要求を撥ね退ける理由もない。
だが、ここで団体戦の参加を辞退してしまうと、ユウを引き抜こうとしているエリシア・ミューディリクスとの闘いが厳しいものになることは確かだ。
いざとなれば強硬な手段でユウを守ることも視野に入れているが、できるなら、互いに怨恨を残さず穏便にエリシアを納得させたい。
それには、団体戦での決着が必要不可欠となる。
そこで聡一は、一つの妥協案を持ち掛けることにした。
「んと、とりあえず運営側の考えはわかった。でも、こっちにも事情が……」
「ソーちゃん……」
ユウが、複雑そうな表情で聡一を見つめる。
聡一は不安そうに揺らぐ彼女の瞳を軽く見つめ返すと、安心させるように軽くその頭を撫でながら言った。
「――どうしても勝たないといけない試合があるんだ。だから辞退はできない。でも、基本的にそのチームと当たる試合以外は、追加枠の指定位置に控えるなりして手を出さないようにする。それじゃ駄目かな?」
「わかった。それでいい」
「決断はやっ!?」
もっとごねられるものかと予想していたのだが、思いの外すんなり納得してくれたことに驚く。
「無理を言ってるのは私達の方だから。善処してもらえるだけでも嬉しい」
「……ごめん」
「ううん、いい」
彼女は小さく頷き、すっかり冷めてしまった紅茶を啜る。
これで話は終わりかと思いきや、アリアはちらりと横目で弟子のスタンを見た後、彼の頭に手を置いて再度口を開いた。
「……ソーイチ、一つ頼み事がある」
「うん? 内容にもよるけど、俺でよければ」
「……是非、この子と一度勝負して欲しい」
「勝負?」
「……そう、勝負」
アリアは真っ直ぐに聡一の双眸を見据えながら、言葉を続けた。
「何で俺? 他にも強い人ならたくさんいるでしょうに。お仲間のSSランカーとかさ」
「……ソーイチなら、この子がまだ知らない"領域"を見せてあげられると思うから。何より、スタンが貴方との勝負を望んでる」
聡一は、勝負を望んでいるという自分よりも年若な少年に視線を移す。
直接見つめられたスタンはびしっと背筋を伸ばし、緊張した面持ちで頭を下げた。
「お願いします!」
「うーん……」
正直に白状すると、試合に次ぐ試合に続き、さらには個人的な果たし合いもこなさなければならないというのは実に面倒臭いところである。しかし、わざわざ土産持参で見舞いにきてくれた彼らの頼みを無碍に断るのも忍びない。
……というワケで、無難な受け応えで回避することにした。
「まぁ殺し合いってワケじゃないなら、別に構わないけど」
「本当ですか!?」
「うん。ただ、今すぐってのは難しいかな。愛用してた武器が真っ二つにされちゃってね。ちゃんとしたヤツを手に入れるまで、しばらく待ってもらえる?」
「は、はい! 全然構いません!」
ガッツポーズを組んで歓喜乱舞するスタンに内心で軽く謝罪しながら、聡一はフェルミに紅茶のお代りを要求した。
◆◆◆
それからしばらく雑談したあと、アリア達はそろそろ帰る旨を伝えて、席を立つ。
玄関まで見送ることにした聡一は、扉から出て行こうとするアリアを直前で呼び止めた。
「アリア。一つ、運営に伝言を頼める?」
「……なに?」
「頼み事があるなら、トップランカー様を盾にしてないで、直接話に来い――って伝えておいて」
アリアは聡一の台詞を頭の中で吟味したあと、頷いた。
「……わかった、伝えておく。……でも、ソーイチは一つだけ勘違いしてる」
「え?」
「……今日ここ来たのは、ギルドから命令されたワケじゃなくて、紛れもない私の意志。……またね」
別れの言葉を残すと、踵を返して背中を見せる。
……だが、そのまま去るかと思いきや、なかなか足を動かそうとしない。
不思議に思った聡一が声を掛けようと手を伸ばすが、それより先にアリアが振り返り、どこか躊躇うような素振りを見せた。
「……ソーイチ。お願いが――」
「?」
「……ごめんなさい。やっぱり、何でもない」
「待った」
何かを言いかけたまま口を噤み、今度こそ出て行こうとする彼女の腕を聡一が掴んだ。
「そこまで言いかけたのなら、最後まで言ってみ? よっぽど無茶な要求じゃなければ、力になってあげられると思うよ」
「……」
言うべきか、言わざるべきか、内心で葛藤しているのだろう。軽く俯いたまま、なかなか口を開こうとしないアリアに対し、聡一は気まずそうに頭を掻いた。
強引に引き止めるべきではなかったのかもしれない。
「ごめん。嫌なら別に無理に話さなくても――」
「……本当に力になってくれるの?」
取り繕うように謝ろうとしたところで、アリアがもじもじと顔を上げる。
「あ、ああ。そのつもりだけど……」
その表情に若干の恐れのようなものがあることを悟った聡一は、至極真面目に頷いた。
「……じゃあ、言う」
「どうぞ」
「……あ、あのね……私、と――」
なけなしの勇気が振り絞るように、アリアは蚊の鳴くような小さな声で自分の意思を言葉に変えていく。その声音は恥ずかしさを堪えているようでもあり、答えに脅えているようにも思えた。
その余りに真剣な表情に気圧され、聡一はいったいどんなお願いをされるのだろう、と生唾を呑み込んだ。
そんな鬼気迫る雰囲気を醸し出す彼女の口から放たれた言葉は――
「……と、友達になってほしい」
「――へ?」
なんとも間の抜けた声がぽつりと呟かれる。
目を丸くして茫然とする聡一と、まるでげんこつが落とされるのを覚悟するような表情でぎゅっと目を瞑るアリア。
「………………」
「………………」
何時まで経っても返事はなく、無言が続く。
やはり、子供の頃と同じように断られてしまうのかと諦めかけたところで――
「ぶっ! あはははは!」
「――!?」
聡一の大爆笑がアリアの鼓膜を大いに刺激した。
「まさか、それを言う為だけにあんなに必死になってたの?」
「………………」
彼女の強張った顔が、どうしてここまで笑われているのか理解できないといった心情を浮き彫りにさせているようで、それがさらに笑いを誘う。
「あぁ、ごめんごめん。凄く深刻な顔してたから、いったいどんな厄介なお願いをされるのかと少しビビッてたんだけどさ。それが単に『友達になってほしい』だけとは思わなくって。なんというか、予想の斜め上だった。いやぁ、アリアはホント可愛いなぁ!」
ひとしきり笑った聡一は、目尻に浮かんだ涙を軽く拭いながらアリアの頭を撫で回す。
「喜んで友達にならせていただきますとも」
「………………」
前触れもなく笑われて、茫然と立ち竦む大陸最強の冒険者。
だが、囁かれた言葉の意味が脳内に浸透していくにつれて、その端正な顔に朱が帯びていく。
「……ほ、本当に?」
聡一は答えず、ただ明るい笑みを浮かべて頷くのみ。
でも、それで十分想いは伝わったようだ。
「嬉しい。ありがとう、ソーイチ」
――恐らく、実の家族ですら見た事が無いであろう満面の笑みが、彼女を美しく彩った。