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幻操士英雄譚  作者: ふんわり卵焼き屍人
~冒険者の街アンレンデ~
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第47話  エキシビジョンマッチ

『とうとうやって参りました! 前代未聞尽くしのエキシビジョンマッチ! 恥ずかしながら私、鳥肌が治まりませんッ!!』


 昂る興奮を解き放つように、司会者はマイクを握って口角泡を飛ばしながら叫ぶ。それに感化され、観客達の期待も沸騰したやかんのようにヒートアップしていった。


『飯で腹は膨れたか!? 食休みは済ませたか!? 試合中の手洗いなんて末代までの恥になるぞッ! さあ両選手の入場だぁー!!』


 爆裂する歓声と拍手の高波。赤コーナーの控室から出てきた聡一はツヴァイハンダーを抜き身のまま右手に持ち、身軽な装いで堂々とバトルフィールドの中央へ歩いていく。


『赤ゲートオープン! Fランクながら、最早その実力を疑う者はこの場において誰もいない! 黒衣の剣士、ソーイチ・オノクラアァァッ!! 』


 今までの対戦でもずっと着用していた外套とフードマフラーを脱ぎ、背中の鞘も外していることから、これまでとは気合の質がまるで違うことが容易に理解できた。


『青ゲートオープン!! 我らが最強のアイドル、アリア・ベクティムウゥーッ!!』


 そして、観客の興奮と緊張が最高潮に達した時、青コーナーの影からゆっくりと姿を現すのは、現時点でのギルド登録人数10万人超の頂点――<殺劇の竜姫>アリア・ベクティム。


 空気が割れるような歓声の嵐が、一瞬のうちに静まり返った。


 ――闘技場全体が震えているような、途方もない存在感。


 この際、二つ名が中二病なんて無粋な事は言わない。

 これが自分と同じ"人間というカテゴリーに分類されている生物"が醸し出しているのかと思うと、聡一は鳥肌が治まらなかった。


 彼女がバトルフィールドに足を踏み入れたその瞬間から、この場は何人たりとも邪魔立てすること許されぬ、2人の男女だけの空間となった。


 バトルフィールドの中心にて、少し離れた間合いからお互いに武器の切っ先を相手に向ける。

 アリアが手に持つ武器は、実戦的ながらも凝った装飾の長剣(ロングソード)だ。一般的な片手、両手兼用のブロードソード程には野太くないが、柄は女性の片手でもしっかりと持てるように工夫されており、それでいて両手で持てるように長さを調整されていた。

 刃の鋼色がそこらの官給品に比べて大分くすんでいるようだが、血や油の染みとはまた別モノのようであり、興味をそそる。


『言葉は無用! あとは剣で語るのみっ! 第189回アンレンデ武芸大会個人戦エキシビジョンマッチ、始めえぇぇッ!!』


 司会者の声が闘技場内で木霊するより早く、鋼と鋼が激しく打ち鳴らされた。


 2人の動作を目で捉えることができた人間はほんの一握り。スタートダッシュを決めるように一気に間合いを詰めた聡一が横薙ぎに仕掛け、後手に回ったアリアが長剣によって防いだのだ。


 闘技場に轟いた剣戟の余波――剣圧が風となってバトルフィールドを包み込む。


 聡一は手元の余韻が消える前に大きく後ろへ跳躍する。しかし、それを見切っていたアリアはぴったりと影のように追従した。

 一歩踏み出していた右足を聡一が引くと同時に、大剣を受け止めていたアリアが右足一歩踏み込むという、恐るべき"読み"である。


 アリアは女性特有の柔らかい身のこなしで難なく聡一の懐に入ると、剣の切っ先を真横に滑らせるようにして胴を斬りにかかる。


 ツヴァイハンダーとロングソードの攻撃範囲は大きく異なる。アリアの間合いに入ってしまった時点で、大剣を持つ聡一には何もできない。さらに言えば、後ろに跳んでいる最中という不安定な体勢の為、足を地面に付けて踏ん張ることも許されないのだ。


 だが、聡一は慌てることなく右胸に備え付けていた短剣を左手で抜くと、自らの右脇腹に滑り込ませた。


 短剣と長剣が激しく打ち鳴らされ、火花が飛び散る。


 大剣と短剣という歪な組み合わせ……互いの重量バランスに問題があり過ぎる二刀流を軽々と成してみせた聡一の技量に、アリアは思わず薄く笑みを浮かべた。


 跳躍の間の僅かな浮遊時間が終わり、互いの足が地面に付いた瞬間、アリアは長剣で短剣を抑えたまま、体当たりするように聡一との間合いをさらに詰める。


 相手の動きを阻害する為に身体を密着させようとしたところで、アリアは身体を軽く屈ませて頭の位置を下げた。瞬きする暇もなく、先程まで頭が存在していた場所を大剣の刃が数本の前髪を道連れにして過ぎ去っていく。


 想定通りの斬撃だったとはいえ、片手で大剣を軽々と操る聡一の膂力は計り知れない。女の身体で力比べなどしてしまったら、目も当てられない結果になるであろうことは簡単に想像がついた。


 そんなアリアの思考を読んだかのように、聡一は強気な笑みを見せる。


 その手にはどういうワケか、先程の大剣が握られていない。


「――ッ!」


 次の瞬間、聡一の真後ろで大剣が床を転がる音が聞こえ、それに合わせた掌底が唸りをあげて飛んできた。


 視覚では情報を得られない位置から響く、乾いた金属音。どんな剛の者であれ、刹那の瞬間だけは意識をそちらに持っていかれるだろう。

 繰り出された一撃は強引ながらも、相手の意表を突く絶妙なタイミングだ。

 噛み合っている刃同士を離さないように心掛けながらも、左足を軸にその場で身体を回転させ、遠心力を上手く左腕と連動させている。


 その恐ろしいほどの体捌きに、アリアは戦慄を禁じえなかった。


 防御しようにも手段がない。

 唯一の武装である長剣は、聡一の短剣を抑えたままである。


(……仕切り直し)


 躊躇なく即決したアリアは、一度間合いを調整する為に大きく後ろへ跳躍した。

 次の瞬間、下顎すれすれの位置を聡一の拳が過った……格闘も得意であるという情報を事前に得ていなければ、もしかすると掠るなりしていた可能性もある。


「……」


 アリアは黙考する。


 反撃が不可能だったというワケではない。

 後退せずに、その場で長剣を引くようにして半歩分立ち位置を移動させていれば、短剣を持つ手に力を加えている聡一の体勢を崩せていただろう。そこから反撃に転じることも可能だった。

 だが、それでも聡一はこちらに対し、奇抜な方法でカウンターを返してくるような気がしたのだ。

 予想の斜め上の行動を平気でとってくる彼に対し、中途半端な行動は命取りになる。


「あれ? せっかく隙見せてたのに、かかってこないの?」


 後退したアリアを無理に追う事はせず、聡一は短剣を持った左手をだらりと地面に下げたまま、不敵に笑った。

 

 短剣と長剣では、断然長剣が有利である。

 聡一にはまだ体術も残されているが、メインウェポンである大剣を失った今の彼よりは、アリアの方にアドバンテージが傾いていることは間違いない。


 ……にも関わらず、あの自信はいったいどこからくるのか。


「……大剣を失った割には……妙に自信たっぷり」

「ブラフかもよ?」


 まるで緊張感のない軽い口調で聡一はのたまう。だが、アリアはその言葉を信用する気にはなれなかった。

 あの笑みはブラフなどではないと、自分を今の地位まで押し上げた"勘"が囁いてくる。


「……そうは思えない」


 相手の次の出方を探る為、どんな些細な行動も見逃さないよう見に徹するアリア。その眼は獲物を捕捉した鷹のような光を湛えている。


 激しい攻防から一転、お互いに動こうとしない状況に観客達が生唾を呑む中で、聡一はどこか諦めたように軽く肩を竦めた。


「そっか。じゃあ仕方ない――」


 聡一は不敵な笑みを消すと、空いていた右手で何かを手繰り掴むような動作を見せた。そのまま、右腕を全開まで伸ばして、大きく横に薙ぐように振り回す。


「なっ!」

「――ッ!」


 強烈な悪寒を覚えたアリアは瞬時にその場から飛び退いた。そんな彼女の直感はまさしく神掛かっているといっても過言ではないだろう。

 背筋が寒くなるような重い音が鼓膜を揺らし、それと同時に聡一の真後ろで転がっていたハズの大剣がアリアの横腹目掛けて迸る。


 その時に見えた、太陽の光に反射する長い糸のような物は……。


「……鋼糸(こうし)を柄尻に結んで……繋げてあるの?」

「御明察」


 間髪入れずに、聡一が陣風のように疾走する。鋼糸を思い切り引っ張り、強引にツヴァイハンダーを自分の胸元まで引き寄せると、右手で柄を捕らえた。


 そのまま一足飛びで間合いを詰め、淀みのない動作で大剣を右上に振るう。


 ――馬鹿馬鹿しいまでの力が込められた一撃。まともに受け止めたら長剣は当然、身体も一緒に持っていかれるだろう。

 刃から柄を伝って襲い来る衝撃が、アリアの無表情をほんの僅かに歪ませる。


(……手が痛い)


 この瞬間、アリアは自分のアドバンテージが消えたことを――否、最初から自分は優位な立場になかったのだと認識させられた。


 相手に余裕が無くなったことを"剣"で感じ取り、ここぞとばかりに次々と斬撃を繋げる聡一。


 通常、剣と剣の闘いにおいて、長時間打ち合うことは稀である。特に聡一やアリアといった超一流の技量を持つ者程、打ち合いや鍔迫り合いといった彼我の実力が肉薄している事でしか生まれない状況とは無縁になる。


 ――だからこそ、心が躍る。


 乾いた空に響く重厚な剣戟の合奏。それは闘技場で舞う2人の男女にとって、この世に存在するどんな楽器よりも心を酔わせる、甘美な音色だった。


 しかし、状況とは常に変化していくものである。いつまでも決定打のない生温い打ち合いに興じている2人ではない。


(ここで……崩す!)


 アリアは冷静に聡一の動きを読み、必要最小限の力で刃を受け流すと、逆に斬り返す。


「おっと!」


 首元目掛けて迫りくる剣に対し、聡一は左手に持った短剣で受け止めた。


「……」

「……」


 一瞬にも満たない視線の交錯。


 ちょっとした仕切り直しのつもりなのか、互いに示し合わせたかのように後ろへ跳躍し、2人は間合いを大きく空ける。


 聡一は着地と同時に左手の短剣を閃かせると、すっぱりと鋼糸を断ち切った。最強の冒険者を相手に同じ策をキープし続けるのはさすがに無謀すぎると踏んだらしい。

 確かに、いつまでも手首と大剣を鋼糸で結び合わせているのは危険だろう。鋼糸に拘っていれば、いずれその執着を逆手に取られることは間違いない。


 その思い切りの良さの一部始終を眺めていたアリアは、心の底から思った。

 楽しい。これこそ、自分が待ち望んでいた時間だ……と。


 そして改めて、自分が今まさに相対している冒険者の強さを理解する。純粋な戦闘技術も然る事乍ら、決断力と判断力、大胆さを押し通すその胆力も凄まじい。


「……強い」


 未だ嘗て、これほどの手合いに出会ったことなど、ただの一度もなかった。自分から指名しておいて何だが、こんなにも満ち足りた充足感を味わえるとは思わなかった。


 まさか、聡一が全く同じ事を考えているなど露程も考えていないアリアは、花の蕾が咲くように小さく笑った。


 ――その様子を闘技場のSSランカー専用の席からじっと見守るハール・ギャレットは、今まで一度として見た事がなかったトップランカーの笑顔に驚愕した。


「まさか、あのアリアが人前で二度も笑みを浮かべるとは……」


 ふと見ると、他のSSランカー達も皆一様に唖然としている。


「アリア様の剣をあぁも易々と凌いでみせるとは……彼の戦闘技術は驚嘆に値しますね」

「そうだな」


 いつの間にかハールの横に並んでいたのは、序列5位に席を置いている女冒険者だ。アリアの強さに憧れ、必死に腕を磨き、ここまで昇り詰めてきた秀才である。


「ハール様はこの試合、どう見ますか?」

「さて、な。俺には何とも言えん。ただ――」

「ただ?」

「面白くなるのはこれからだ……とだけ言っておこう」


 ――まだアリアは本来の実力の半分も出していない。それはあの挑戦者も同じだろうが、さて……。ここから先、どう彼女の攻撃を凌ぎ、反撃してみせるのやら。


 鋼糸で大剣を操るなんて奇策をやってのけた彼のことだ。本気を出した彼女を相手にしても、あっさり負けるとは思えない。


 それはスタリオンを見ても分かる。

 日がな一日、片時も離れることなくアリアと一緒にいるあの少年だからこそ、彼女の強さは誰よりも理解している立場にある。そんな彼が、師匠と相対している挑戦者に尊敬の眼差しを送っているのだ……序列2位のハールには、ただの一度も見せた事のない輝いた表情を。


 団体戦の前座に過ぎない個人戦が、これほどまで盛り上がったのは何時以来だろうか?


 そんなことを考えるハールの目の前で、再び聡一とアリアがぶつかり合った。


 大剣を左脇に添えて弾丸のように疾走する聡一と、そんな彼を不動の姿勢で待ち構えるアリア。

 そんな彼女の態度に嫌な空気の流れを感じた聡一は、若干手を緩めて剣閃を奔らせた。

 魔法に詳しい人間なら、この"嫌な空気の流れ"を的確に言葉にすることができただろう。

 事実、戦術魔法を行使できるユウとフェルミは焦ったように表情を強張らせた。

 

 ――流動する視界の端で、アリアが唇の端を持ち上げたのは次の瞬間である。


「つッ!?」


 余裕のない呻き声。

 聡一は慌てながら、地面を滑る様にして無理矢理屈むと、体勢の変化を利用して大剣の軌道を強引に下に逸らし、そのままアリアの足を斬り払う。

 跳ぶことで聡一の一撃を避けたアリアは、電流迸る長剣を聡一に当てにかかった。

 そうはさせまいと、聡一は腰の後ろ――多機能ベルトに収納していたスローイングナイフを1本、彼女の胸元目掛けて投擲する。


 上半身を大きく反らしてナイフを避けている間に聡一は転がる様にして距離をとり、体勢を立て直す。

 その額と頬には幾筋か冷汗が垂れていた。


「……魔法使えない割には……勘がいい」


 長剣を斜めに構え、顔の前に掲げるアリア。凶悪に迸る紫電の光が、彼女の顔を不気味に彩った。


「危ないなぁ。喰らってたら意識どころか魂まで昇天するところだった」

「……貴方なら……避けると確信していた」

「お褒めに預かり、嬉しいこってす」

「……別に褒めてない」

「褒めてないのっ!? 今の会話って普通に褒められたと受け取ってもいい流れだよね!?」


 そんなコントを繰り広げながら、聡一は滅多に使わない頭をフル回転させて対策を考えていた。はっきり言って、これは非常に厄介である。


 剣越しなど関係ない。触れたらお終いなのだから。


「……攻め辛い?」

「とっても」

「……じゃあ、ずっとこのままでいく」

「ひどいっ!!」


 話はお終いだと言わんばかりに、その場から掻き消えるような速度で聡一に突き進んでくるアリア。一気に間合いを詰め、懐に潜り込んでくる。


「ちっ!」


 思わず舌打ちした聡一は大剣は持ってても邪魔だと判断したのか、地面に思い切り突き立てた。そのまま半歩だけ身体を横にずらし、アリアの一刀を避ける。

 線でしか見えない彼女の斬撃を紙一重で回避しながら、時折大きくバックステップしつつ、バトルフィールドを移動するようにして逃げ続ける。


「……ちょこまかと……大人しく観念する。……今なら優しくしてあげるから」

「そいつは大いに魅力的だけど、まだまだ試合はこれからだよー。トップランカー殿」

「……?」


 アリアはきょとんとした顔で小首を傾げる。


「ま、簡単にいえばこういうことだよっと!」


 アリアが長剣を振り下ろした一瞬の隙を見計らい、聡一は渾身の脚力で後方に跳躍すると、いつの間にか地面に垂れていた鋼糸を思い切り引っ張った。


「――んっ……!」

「うひょ!」


 大剣の柄に"繋がれたまま"の鋼糸がピンと引き延ばされ、アリアは逃げる間もなく己の両腕ごと身体を締め付けられた。その際、何重にも巻き付いた鋼糸がアリアの身体に艶めかしく食い込んだワケであり……これ以上は誰かさん達からの殺意の波動が気になるのでやめておこう。

 つまりどういうことなのかといえば、要するに大剣の柄に巻き付けてあった鋼糸を切ったように見せかけただけで、実際には切ってなどいなかったのである。


 聡一は素早く鋼糸を収めたブレスレットを外すと、輪の中心に短剣の刃を通してから、地面に突き刺して固定した。


「……大剣を地面に突き立てたのは……私を捕縛する為?」

「イグザクトリィ!」

「……何言ってるのかわからない」

「その通りって意味さ」


 聡一が物に触れていないこの状況では電撃も意味を成さず、いくらアリアでも腕を縛られて手首しか動かせない状態で鋼糸を切断することなど不可能であった。


「……貴方、本当に強い」


 アリアにとっては絶体絶命の危機(ピンチ)、聡一にとっては最大最高の好機(チャンス)

 この機を見逃すなど、底無しの馬鹿でも有り得ない。


「……でも」


 アリアの腹部に鉄拳を見舞い、意識を手放させようと目論んだ聡一は地面を蹴る。


「……ちょっと経験不足」


 不吉な一言。


 ――次の瞬間、アリアの周囲を囲むように展開された円形状の爆炎が、聡一を包み込んだ。


 轟音が闘技場を揺らし、熱波が観客の顔を叩きつける。


 一番前の席に座っていた数千人が一斉に悲鳴をあげる中で、セフィーアは顔を真っ青に染めた。


「ソーイチッ!!?」


 絶叫して飛び出そうとするセフィーアを横からユウとフェルミが必死に押さえつける。


「セフィ、落ち着いて!!」

「落ち着いてください! ソーイチさんなら、きっと大丈夫ですから!」


 ここで飛び出してしまえば、試合中に乱入者が現れたとして強制的に試合が中断されてしまう。そうなれば、聡一の健闘の全てが無駄になってしまうのだ。


「嫌ッ! お願いだから離しッ――……?」


 焦げ臭い黒煙が晴れ、バトルフィールドの様子が明らかになっていく。その中心より少し離れた場所で、大の字になって転がってる聡一の姿を発見し、全ての観客が息を呑んだ。


 今の今まで試合に気を取られていた司会者が焦ったように口を開く。


『おぉっとこれは!? ソーイチ選手が倒れているうぅぅッ!! 爆炎に炙られて意識を失ったかーーー!!?』

「――おい! 早く医療班を呼べッ!」


 慌てて審判が様子を見ようとバトルフィールドに飛び出すが、その前に聡一が身体をバネにして跳ね起きた。


「っつー……あぁ痛い痛い……死ぬかと思った」

「き、君……大丈夫なのか?」

「ういっす!」

「そ、そうか……よし、試合続行!!」


 そう大きな声で宣言した審判は大急ぎでバトルフィールドから脱出していった。この場に留まっては、命が幾つあっても足りないと判断したのだろう。


『なんとソーイチ選手、ピンピンしています! 試合継続に問題はないようです!』


 司会者のどこか安堵したような実況に、観客達からも別の意味で張り詰めていた空気が消えた。


「――よ……よかったぁ……」

「よしよし」


 へなへなと座り込むセフィーアを抱き締め、ユウは再びバトルフィールドへと視線を移した。


 そこには先程の戦術魔法で鋼糸を焼き千切ったらしいアリアが平然と立っていた。熱風吹き荒れる舞台の上で、ラベンダー色の髪を靡かせるその姿はまさしく戦乙女然とした気迫が漂っている。


 ……スローイングナイフが突き刺さった左腕を庇う仕草が、それに拍車をかけていた。


「……あんな状況でナイフを投擲してくるは思わなかった。……あと少し鋼糸が切れるのが遅かったら……利き腕を駄目にされてるとこ」


 アリアは無表情のまま、躊躇いもせずに刺さったナイフを引き抜くと、ポイッと無造作に放り捨てる。

 こぷっと生々しい音をたてて流れる鮮血と、深紅に染め上げられていく彼女の細い腕が、見ていて痛々しい。


「お互い様さ。まさか地面に魔法を仕込んでるなんて思わなかったよ。俺が魔道士と闘り合ったことないって、いつから気付いてた?」

「……んー……ヒミツ」

「そっか。ヒミツなら仕方ない」


 口から垂れる血を袖で拭きながら、聡一はいたずらっぽく笑い、地面に突き立っていた大剣を引き抜いた。


 両者の目が細められ、再び互いに剣を突き出す。


 そして、鋭く瞳が見開かれるのと同時に、アリアが右腕一本で長剣を振るった。その剣先から猛る狂うような氷塊が生み出され、地面を氷漬けにしながら聡一を襲う。

 一流の魔道士でも防ぎ切れるかわからない……速さもあれば範囲も広い、強力な戦術魔法。普通なら一瞬で勝負が着くような大技を、聡一は得意の縮地法――これまで一度も使わなかった体術を駆使して避けて避けて避けまくる。


 聡一もアリアも、加減などまるで考えていない戦い方だ。


 これでは埒が明かないと悟ったアリアは剣身に大型の竜巻を圧縮したような風を生み出すと、それを振るった。

 上質なタイルによって整えられた地面を乱暴に引き剥がしながら迫る真空の刃を、聡一は自らの気を巡らせたツヴァイハンダーにて正面から真っ二つに切り裂く。

 行き場を失って荒れ狂う轟風が、闘技場内を縦横無尽に駆け巡る。


 飛び散る細かな砂粒が飛礫のように観客達を襲うが、しかし、誰一人としてバトルフィールドから目を逸らそうとはしない。……既に人間の域を超えているのではないかと錯覚させる超人同士の戦いに、この場にいる観客の悉くが魅了されていた。


「……魔法を切り裂くなんて非常識。……ずるい」

「こっちからすれば、魔法を使ってくるなんてずるいって話だよ」


 まるでゲーム中に相手のズルを咎めるかのような気楽な口調に思わず苦笑したくなるが、荒れに荒れたバトルフィールドの惨状を見ると、浮かびかけた笑顔もそのまま凍る。


「……これならどう?」


 そんな一言と共に、アリアの周囲の空気が歪んだ。その正体は空気の密度が低くなったことによる、光の屈折現象である。

 溢れ出す魔力の密度の濃さは、それだけで耐性のない人間を溺れさせることができるかもしれない。口にするのも馬鹿馬鹿しい程の強大な力の奔流が、聡一の前髪を激しく嬲った。

 これほどの戦術魔法を行使できる人間が、世界に何人いるというのか――魔道士として生計を立てている者が目の前の光景を直視すれば、己の凡庸さをさぞ呪うことだろう。事実、会場にいる魔道士風の人間は、その何れもが、どこか諦観したような生気の無い瞳を晒していた。


 その魔法の正体は――


「……これなら、避けようがない」


 全てを灰にする青白い炎と、全てを薙ぎ払う暴風を合わせた絶技。天に轟く神の怒りにも等しいそれを聡一は茫然と見つめた。


「阻止しようにも、熱くて近づけないとか……ないわぁ。アリアは熱くないのか? つーか、これ絶対死ぬって」


 ぴりぴりと肌を刺す熱波と悪寒が、背筋に冷汗を流させた。


 これはまずい。凄くまずい。崖の淵に立たされたような恐怖が全身の筋肉を萎縮させる。

 仮にこの魔法をまともに喰らったとすれば、骨も残さず蒸発するだろう。決して、殺し厳禁の大会で発動させていい魔法ではない。


 とはいえ――


(策がないワケじゃ、ないんだよなぁ……。でも、もし俺の想像通りにいかなかったら、間違いなく炭になるし……)


 何より、成功したとしても後で絶対確実100%言語道断問答無用でセフィーアに怒られる。そして、この能力を他人に知られてしまうということは、これから先の旅が非常にやり辛くなるという意味でもあるのだ。

 しかし、今が自身の可能性を確かめる絶好の機会でもあるのは覆しようのない事実であり、これを逃してしまえば、次にこういうシチュエーションに恵まれるのは大分先になってしまうだろうことは間違いない。というよりも、巡ってくるかすら怪しい。


「……降参するなら、今のうち」

「トップランカー殿――いや、アリア。君はこの試合の結末に、そんなつまらないオチを持ってくるつもりなのか?」

「………………これ受けたら、間違いなく死ぬ。……それでもいいの?」

「死ぬって……大会ルールは完全に無視ですか」


 肌が焼け爛れるように熱いのに、見るだけで寒気がする大魔法。圧倒的な力。覆しようのない死の宣告。

 こんな凄い魔法を簡単に行使できるアリアが羨ましくて堪らない。


 ……だからこそ。


(ごめん、セフィーア。ごめん、ユウ。ごめん、フェルミ。ごめん、ファスティオ。俺、やっぱ自分の力を試したいです)


 皆がいる席に向けて、少しだけ振り返る。


 そこには顔を強張らせて聡一を見守る、大切な仲間達の姿があった。


「ダメですソーイチさんッ!! その魔法は本当に洒落になってません!!」


 聡一の顔色から何かを察したらしいフェルミが、これまでにないほど焦った顔で叫ぶ。


「もうやめてソーちゃん! いくらなんでも死んじゃうってばぁッ!!」


 目に涙を溜めて懇願するユウに対し、聡一は軽く微笑む。


「………………」


 ファスティオもこれまでにないくらい険しい顔をしている。だが、それでも聡一に向けて小さく頷くと、腕を組んで静観の姿勢を示した。

 どのような結果であれ、最後まで見守ってくれるようだ。ここらへんは男同士、通じ合えるものがあるに違いない。


「……ダメ」


 か細く呟かれた小さな声を意図的に無視するように、聡一は視線を戻してアリアの瞳を真っ向から睨みつける。


「こいよアリア……! 真っ向から受け止めてやる!」

「……そう。さようなら、ソーイチ」


 無慈悲な別れの言葉と一緒に、避ける術も防ぐ術もない神の業火が放たれ、聡一の視界を埋め尽くした。


 それをじっと見つめ、冷汗を大量に流しながら不敵に笑う。


 ――死を塗り潰してみせる。


 聡一は地面に大剣を突き刺すと、徐に両手を顔面より少し上に掲げた。


 ヒントはあの時――ルー・カルズマでの宿屋にて言われたセフィーアの台詞。


 『――問題はあなたが魔法を行使できないことじゃなくて、魔力を"分解"し吸収してしまうという体質なの――』


 あの時の彼女は、分解し吸収するのは魔力と言っただけであって、魔法とは一言も言っていない。

 されど、魔法の根源が合成した魔力である以上、理論上は決して不可能ではないハズだ。……正直、理論も何も魔法のことなど全く理解などしていないのだが。


(……俺ならできる! 俺ならできる! 師匠との修行のときだって、いつも行き当たりばったりだったじゃないか! 大丈夫だ、自信を持て! 御野倉聡一っ!!)


 それでも、聡一は自分を鼓舞するように叫ぶ。


「俺はもう……泣いて脅えることしかできなかった、昔の自分とは違うんだあぁぁぁッッ!!」


 容赦なく命を狩りに来る蒼い炎。その色にふとセフィーアの蒼い髪を連想し、聡一は死の色に輝く光の中で静かに笑った。

 セフィーアの可憐で少し冷たい手から直接送られた魔力の感触は、今でも覚えている。

 

 こんな時まで彼女の姿を思い浮かべてしまうとは、自分も大概である。




 ――あぁ……何かわかった気がする。もしかして、俺は……。




 全ての生きとし生けるものを平等に煉獄へ誘う炎が、聡一の肉体を容赦なく焼き尽くす――


「嫌ああぁぁぁッ!!」


 万人の心を深く抉る、セフィーアの悲痛な絶叫が闘技場に木霊した。


 バトルフィールドの半分以上が猛火に覆われ、さながら地獄のような光景が皆の眼前に広がる。

 ハールはそれをどこか冷めた眼差しで眺めつつ、額に手を当てて俯いた。


「アリアめ……これからのギルドを担うかもしれん貴重な人材を殺しおって。これでは何の為のルールかわからんではないか……」

「彼も魔法が使える立場であったならと思うと……悔やまれますね」


 序列五位の女冒険者も口惜しそうに顔を歪める。


「……貴方に出会えたことは忘れない」


 その場から背を向け、バトルフィールドから退出しようと歩き始めるアリア。その背が、ぴたりと硬直したのは次の瞬間だった。




「――マジ傷付くんで、人を勝手に殺すのはやめてもらえませんかねぇ?」




 どこかもがき苦しむように暴れ狂う炎の隙間から、凄惨な笑みを顔面に張り付けた聡一が姿を現す。

 身体を吹き飛ばされないように必死で踏ん張りながらも、両手を前に翳し、ひたすら魔法を吸収していく。

 彼の周りに舞い落ちる火の粉――奇跡の一幕のように美しい輝きを身に纏うその姿は、まるで炎を司る現人神の如く、ただただ神々しかった。


「……嘘……なんで……?」


 アリアは魂が抜けたように茫然と呟きながら、頭のどこかの冷静な部分で自問する。

 

 ――私は生まれてからかつて、こんな声を出したことがあっただろうか?


 答えは否。


「……貴方は……本当に強いのね」


 自然と唇の端が持ち上がる。

 こんなに強い人と出会えた幸せ――今はただそれだけを噛み締めた。


『バカな……なんだあれは……』

『こんなことが……!』

『…………信じられん。あれは本当に我々と同じ人間か?』


 ハールを含めた全てのSSランカーが、驚愕を露わにする……否、この闘技場にいる全ての人間が目の前で起こっている出来事に我が目を疑っていた。


 それはユウ、フェルミ、ファスティオも同様である。無論、セフィーアも驚くには驚いていたが、彼女だけはその方向が皆と違っていた。

 聡一の特異体質を予め知っていたセフィーアは、その体質を戦闘に上手く利用してみせた彼の類稀なるセンスに唖然としているのだ。


「ソーちゃんっていったい何者なの……?」


 ユウのそんな呟きが漏れるのも仕方ないことだろう。こんなことができるのはこの広い世界でも唯一人、聡一だけしか存在しないに違いない。化け物と罵られても致し方ない御技である。

 それでも、セフィーアは鼻を啜りながら、堂々と胸を張って言った。


「――ソーイチは私の護衛。それ以上でもそれ以下でもない」


 ◆◆◆


 闘技場内が騒然とする最中。アリアの渾身の大魔法を全て吸収してみせた聡一は荒く息を吐き、片膝をついて自分の両手を見つめた。


 白煙をあげて、異様な臭いを醸し出す両手。触覚は既になく、あるのは文字通り焼けるような激痛のみ。きっと、グローブを外せば、見るに堪えない惨状を露呈してくれるに違いない。


 だが、それでもこの両手はまだ動く。まだ、動くのだ。


「ま、これも授業料ってね……」


 冷や汗ではなく、脂汗を大量に流しながら、眼前に立つアリアを睨む。


「……あの魔法は私の本気だった」

「言われなくても肌で感じたよ」


 どこか嬉しそうに告げるアリアに対し、苦笑しながら肩を竦める聡一。そこにあるのは、お互いを認め合った者同士が紡ぐ特有の空気だった。


「……私の愛剣の能力……これを"人に向けて"解放するのは初めて」


 そう静かに口にしたアリアの長剣の剣身――鈍い鋼色だったそれが、血のように真っ赤に変色していく。

 恐らく、これがアリアの愛剣の本来の姿……。


「それはそれは。光栄の極みにございます」

「……うん。誇って」

「……あいよ」


 聡一は屈していた膝に活を入れると、震える足取りでツヴァイハンダーを手に取る。


 ――ぬるり。


 手の感覚が全くないので断言はできないが、言葉にするとこんな感じだろうか。グローブの中で手が滑っているようだ。十中八九、掌の皮がまるまる摺り剥けたに違いない。だが、そんなことはお構いなしに大剣を振り上げる。


 いつの間にか、先程まであった激痛も消えている。これは正直よろしくない事態だ。


「……私も腕から血が抜けて……あまり余裕がない。……だから、これで最後」

「異議なし」


 聡一は自身が一番得意とする構え――すなわち居合いを模した構えをとる。

 対するアリアは右肩を少し前に出し、だらりと両腕を地面に下げ、両手で持つ長剣の剣先を左足より後ろへ。

 互いに一撃必殺を信条とする構えである。

 これで勝負を終わらせる……そんな絶対の覚悟があった。


 不動の剣士2人の闘気と殺気が入り混じり、微風となって闘技場を包み込む。

 お互い十分に離れているハズなのに、既に抜き身の刃を相手の首元に突き付けているかの如く、凍てついた空気を感じるのは、きっと気のせいではないだろう。


 そして、全ての人間が固唾を呑んで見守る中で、数秒か、数分かは定かではないが、睨み合っていた聡一の姿が唐突に消えた。

 アリアはその場で迎え撃つ姿勢をとっている。


 縮地から繋げる斬撃の間合いはツヴァイハンダーの方が圧倒的に広い。

 勝負は一瞬――聡一は躊躇いなく大剣を振るい……そして、己の負けを悟った。


 まるで豆腐のように抵抗なく切断されていく鋼の剣が瞼に焼き付けられていく。


 ゼロコンマのゆっくりとした時間の流れが終わり、気が付くと剣身が半分以下にまで断ち切られ、聡一の首元ギリギリのところで赤い刃が停止していた。


「……これが私の愛剣<メディルネージュ>の……真の力」

「MVSですね、わかります」


 力を失い、地面に倒れ込もうとする聡一の身体をアリアが柔らかく受け止める。


「……本当に楽しかった。……次はソーイチが一番得意な武器で……戦ってほしい」

「…………バレてた?」

「……バレバレ」


 小さく微笑んだアリアに微笑み返そうとする聡一。


「そいつは申し訳――ゲホッ!!」


 しかし、代わりに口から出てきた大量の赤黒い血がアリアの上半身を汚す。

 吐血は内臓器官を大きく損傷している証拠だ。


「うぅ……ごめ……服……汚し……」

「……気にしなくていい」


 服を汚してしまったことに弱々しく謝罪する聡一をそっと地面に寝かせると、アリアは彼の頭を膝の上に乗せて膝枕の体勢とる。


 アリアが発動させたトラップ型の戦術魔法――本来は大型の魔物に対して、限定的に使用される魔法である。

 強固な魔物でさえ下手をすれば一撃で即死するような威力を誇るのだ。いくら手加減されていたとはいえ、人間が至近距離で喰らって無事でいられるほど生温い魔法ではない。

 咄嗟にその場から飛び退き、被弾時に一番被害を抑えられる姿勢をとっていなければ、今頃とっくにベッドの上だっただろう。


『勝負あり!! 熾烈! 苛烈! 激烈極まる一騎討ちを制したのは、我らが最強のアイドル! アリア・ベクティムだあぁぁぁッ!!!』


 大地が割れるような大歓声と拍手喝采で闘技場が包まれる。


 来賓席のお偉方が何やら慌しく動いていたが、今は気にする余裕もない。


 ただ、意識を失う直前……一人だけ来賓席に座ったまま、気味の悪い笑みを浮かべている青年と目が合った気がした。


(全力を出した勝負のあとに気を失う主人公……テンプレだなぁ。あ、この展開なんかデジャビュ?)


 ――そんな台詞を残し、聡一の意識は闇に溺れる。


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