第45話 トップランカー
『決まったぁぁぁ! この歴史的瞬間を刮目をせよ! アンレンデ武芸大会個人戦優勝者は冒険者ランクF-、ソーイチ・オノクラ氏に決定だぁぁッ!!』
しばらくの沈黙のあと、少しずつ歓声と拍手が聞こえ始める。それから――
『いやああ! 私のベルナス様がー!?』
『しかし、倒れても倒れても起き上る姿には感動したな。Sランクの名は伊達じゃなかったぜ! ナイスファイトー!』
『でもさ、なんか様子がおかしくなかったか? 奇声とかあげてたし……』
『決勝の舞台に興奮してただけだろ』
『……そういう問題か? あれ』
地面に大の字に倒れたまま、ピクピクと痙攣するベルナスへ向けられた悲鳴と労いの声が送られる中で、医療班とギルドナイトが彼を運んで行った。
……負傷者を運ぶにしては、周囲を囲むギルドナイトがいやに多い。恐らくは、素直に医務室に搬送されることはないだろう。
まぁなんにせよ、これでようやく問題の一つが解決したワケである。肩の荷が軽くなったのを感じ、聡一はホッと安堵の溜息を吐く。
ここで誰かの強い視線を感じ、ふとそっちに視線を向けた瞬間、沸き立つ観客達を落ち着かせるように司会者が再び声を張り上げた。
『さて、個人戦優勝者のソーイチ・オノクラ氏にはエキシビジョンマッチの参加資格が授与されます! さぁ、彼は果たしてどのランカーを選ぶのでしょうか!?』
「――……は?」
突然の展開に理解が追い付かず、目を点にする聡一。
それもそのハズ、聡一は個人戦優勝者に義務付けられるエキシビジョンマッチの説明を受けていないのだから、当然の反応だ。
聡一の冒険者ランクと見た目からエキシビジョンマッチの説明を省いた、ギルド職員側のさりげない職務怠慢の結果である。
高まる興奮をなんとか抑え込み、徐々に静まっていく観客席。その一連の様子に、聡一は冷汗を禁じえなかった。
「い、いったい何が……――っ!」
その時、圧倒的な存在感を内包した視線を感じ取り、聡一は反射的に振り向いた。
そして、視線の先に憶えのある人物を発見し、閉口した。
名工のオーダーメイドと思われる王族専用の椅子に勝るとも劣らない豪奢な椅子に座った9人のSSランカー達。その中で、唯一人だけが椅子から立ち上がって聡一を見下ろしていた。
ラベンダーの良い香りを彷彿とさせる鮮やかな紫色の髪に、白銀の瞳。何よりも、未だに瞳に焼き付いて色褪せない、戦士としての超絶的な技量……忘れられるワケがない。彼女は以前、危うく暗殺されかけた自分の危機を救った、第二の命の恩人である。
「彼女は確か……」
聡一の表情が、徐々に驚きの色に染められていく。
『ん? 彼は何を見て……お、おいマジかよ、あれを見ろ!!』
視力の良い男性の観客が聡一の視線を追って、声を震わせる。
慌てふためく男性の様子を怪訝に思った周囲の観客達が、一斉に彼が指差す方向を見つめた――そして、動揺が津波のように広がっていった。
各国の重鎮が犇く来賓席も、若干ざわつきながら興味津々といった様子で事の成行きを見守っている。
『な、なんとアリア様が椅子からお立ちになってますね……何かあったのでしょうか?』
司会者も彼女の突然の行動に戸惑いを隠せないようで、恐る恐る実況を入れている。
そんな彼らの疑問に答えるように、アリアは静かに口を開いた。
「――……彼は、私のもの」
決して大きな声を発したワケではない。しかし、王族席の次に高い位置に設置された観覧席から放たれたその声音には、万人を沈黙させるだけの底知れぬ圧迫感があった。
Fランカーが歴史ある武芸大会個人戦の優勝を飾るという前代未聞の展開に沸き立っていた観衆が、今は死人のように押し黙っている。
会場全体が重苦しい沈黙に支配されていく。
冒険者ギルド最強のトップランカー、アリア・ベクティム。その発言一つで、大国すらも揺るがす人物。
あの日、彼女が別れ際に残した台詞は……
――簡単なコト。ソーイチが"本戦"を全部勝ち抜いてくればいいだけ
「なるほど、こういう意味だったのか」
聡一は遥か高みから自分を見下ろす美女が以前言っていた台詞を思い出し、苦笑した。
「……」
「……」
氷柱を連想させる怜悧な瞳が聡一の視線を貫く。それに対し、聡一は挑発するように酷薄な笑みを浮かべてみせた。
アリアの隣に茫然と佇むことしかできない少年――彼女にとって唯一人の愛弟子であるスタリオンは、アリアと聡一双方の視線の中に含まれた壮絶なまでの闘気にただ圧倒されていた。
(2人ともなんて威圧感なんだろう……。まるで身体に重く圧し掛かるようなプレッシャー……あ、足が震えて動かない――ッ!)
背筋を舐めるように流れ落ちる冷汗に、不快感を感じる余裕もない。
だが、それはスタリオンだけに限った話ではない。会場に居合わせた観衆全員が、生唾を飲み込むことすらできなかった。
そんな一種の極限状態ともいえる雰囲気に支配された会場内の中で、ギルドランクナンバー2であるハール・ギャレットが静かに口を開く。
腕を組み、堂々と椅子の背もたれに身体を預けるその姿は、まさしく歴戦の強者特有の落ち着きを感じさせる。
「アリア、お前が挑戦者の相手をするつもりか?」
「……」
アリアは答えない。顔の向きは聡一に向けられたまま、横目でハールを見つめるその眼差しだけが、ハッキリとした肯定を訴えていた。
「我々のうち誰と闘うかは挑戦者に選択権がある。それを忘れたワケではあるまい?」
「……」
「それでも譲るつもりはないのか」
「……」
挑戦者が自らの対戦相手としてSSランカーを指名する――それも大会の醍醐味であり、外すことはできない伝統行事だ。
それを無理矢理捻じ曲げようとしているトップランカーを窘める意味も含めた確認だったのだが、アリアの瞳は既にハールになく、聡一を捉えて離さない。
「……やれやれ。これでまた前代未聞が一つ増えたな」
彼女の意志が決して曲がらないことを悟ったハールは軽く溜息を吐くと、2人のプレッシャーに圧倒されて口が開けないでいる司会者の代わりに堂々と宣言した。
「逆指名により、大会優勝者の対戦相手はギルドランク1、アリア・ベクティムに決定した! 今から2時間の休憩の後、恒例のエキシビジョンマッチを開始する!」
トップランカーによる挑戦者への異例の逆指名。その事実をようやく飲み込むことができた観衆は、喉が張り裂けんばかりの歓声をあげた。
200年以上の歴史を誇る武術大会において、初めて遭遇する事態に会場はさも爆発しかねない程の興奮に包まれる。
その様子をハールは目を細めて眺めた。
(我儘を言うのが俺であれば、こうすんなりとはいくまい)
仮に逆指名をしたのがハールであれば、他のランカーが黙ってはいなかっただろう。
だが、相手がトップランカーとなると、途端に誰も何も言えなくなる。
そもそも、感情の起伏に乏しいアリアが愛弟子のスタリオンが関係する事柄以外の"何か"に興味を示すことなどほとんどない為、こういった事態が起こると、誰もが驚愕のあまり異議を唱える機会を失ってしまう……といったほうが正しいかもしれない。
とにかく、1と2を隔てる壁はそれほどまでに厚いのだ。
ランク1だからこそ許される横暴。
ハールは若干の羨ましさを込めた眼差しでアリアを見つめたあと、挑戦者と闘うチャンスを失ったことに対する無念さを、胸の内から呼吸に混ぜてゆっくりと吐き出した。
そんなハールの気持ちなど知る由もない聡一は、かつてない熱気を帯び始めた会場の騒ぎを背にして控室へと足を向けた。
自らの靴音の反響を耳にしながら、光が届かない薄暗い通路を通り抜ける。
夜はなかなかの恐怖スポットになりそうだ――そんなことを頭の片隅で思いながら、聡一は皆と合流するべく若干急ぎ足で中央ホールへと向かった。
時刻は正午半。まさしくお昼時である。早くしなければ、周辺の食事処は午後のエクストラマッチ観戦に備えて腹ごしらえを済ませようとする民衆で溢れてしまうだろう。
腹が減っては戦はできぬ――それを嫌というほど知っている聡一は、空腹から不満を訴えるお腹を撫でつつ、セフィーア達と予め決めておいた集合場所へと急いだ。
◆◆◆
闘技場内に用意されたSSランカーの為の個室にて、ギルド最強の冒険者であるアリアとその愛弟子であるスタリオンは、優雅な昼食をとっていた。
ギルドお抱えの調理師が腕によりを掛けて作った料理の数々を味わいながら、スタリオンは若干興奮気味に敬愛する師匠に話しかける。
「師匠! 僕、精一杯師匠のこと応援しますね!」
「……」
アリアは黙々と料理を咀嚼しながらも、眩しいまでの笑顔をみせる愛弟子に対してこくっと頷いてみせた。
基本的に小食であるアリアは、ほぼ必ずと言っていいほど料理を残す。そんな彼女が出された料理を完食する勢いで食べている時点で、スタリオンは己の師匠が珍しく"本気"になっていることを理解していた。
「それにしても珍しいですね。師匠が他人に興味を抱くなんて」
「……」
アリアは答えない。だが、師匠は極端に無口なだけで、自分の話をちゃんと聞いてくれていることを知っているスタリオンは、特に気にせず話を続けた。
「でも、師匠が気になってる理由、分かる気がします。あの人、相当強そうですもん。僕も最初から最後まであの人が放つプレッシャーに気押されっぱなしでしたし。こんなの久々です」
ギルドランクFというランクの低さに釣り合わなさ過ぎる今大会優勝者の強さは、同じ男として尊敬に値する。
さすがに師匠を負かすとは思えないが、それでも自分の目標となり得る人物であることには間違いなかった。
「……確かにそれもある」
そんなことを考えていたスタリオンは、アリアの含みのある発言に対し疑問を抱いた。
「それも? ってことは他に何か理由があるんですか?」
「……彼からは……今までに感じたことのない"匂い"がする」
武芸大会個人戦予選日――暗殺者達の巧みな襲撃から助けた彼が、大会優勝者になって自分に会いに来たという現実。
あの日、別れ際に「待ってる」と口にはしたものの、まさか本当にエキシビジョンマッチで彼と再会することになるとは思っていなかった。
「感じたことのない"匂い"ですか? 言いたいことは何となく理解できますが、何か言葉おかしくありません?」
「……ぶぅ」
拗ねたように頬を膨らませるアリアにときめきつつ、スタリオンは師匠が興味を示す男と自分も手合わせしてみたいと心から思った。
「それにしても、師匠が羨ましいです。僕も一度あの人と剣を合わせてみたいなぁ」
「……スタンも彼に興味があるの?」
「はい! 手合わせとまではいかなくとも、ぜひ一度お話を伺ってみたいです」
「……そう。なら、試合が終わったら……時間があるか聞いてみる」
「――! ありがとうございますッ! 師匠!」
「……どういたしまして」
愛しい弟子の笑顔に癒されつつ、アリアは後に控えるエキシビジョンマッチに備えて食事を再開した。
彼は強い。目を合わせただけで、背筋に電流が奔るほど。
相手が人だろうと、魔物だろうと、剣や魔法を扱うようになってから一度として本気を出したことがない――否、出させてもらえなかった自分が、生まれて初めて本気を出せるかもしれない相手だ。……父や祖父との木剣同士の訓練を除いて、の話だが。
「……彼と剣を交えるのが本当に楽しみ」
愛弟子の成長を見守るのとはまた違う嬉しさがアリアの胸中を満たしていく。
だが、それと同時に不安に思う気持ちもあった。
過去、彼女が"期待"を寄せた冒険者がいなかったワケではない。しかし、アリアはその悉くに失望させられてきたのだ。
胸中に様々な想いを秘めながら、アリアはぽつりと言葉を零す。
「……願わくば、彼の実力が"本物"たらんことを」
――私の孤独にどうか終止符を。
◆◆◆
薄暗い廊下に硬い靴音が響く。
二つの足音が向かう先には、ベルナス・フォン・アビゲインが収容されている闘技場の医務室がある。
『奴の容態はどうだ?』
『手酷くやられています。最低でも1ヶ月の間は身動き一つできないでしょう』
冷徹な雰囲気を持つ若い男の問いに、部下である女性が簡潔に答えた。
――2人はギルド騎士らしい装備を身に付けているが、他のギルド騎士に比べてその配色が明らかに違う。普段見かけるギルド騎士の紺色と違い、彼らが身に付けている装備の配色は暗い灰色だった。
灰色は、一般には公にされていない諜報部の色。彼らは、課せられた任務達成の為には如何なる手段も犠牲も厭わない。
他のギルド騎士からも恐れられる冒険者ギルドの暗部……規約違反を犯した冒険者の粛清を担当しているのも、諜報部である。
『意識のほうは?』
『薬の反動かはわかりませんが、一向に回復する兆しがみえません。現在、優秀な治癒魔道士複数人による治療を施していますが……』
予想はしていたが、芳しくない結果に女性は渋い顔を見せた。
だが、男は顔色一つ変えずに言葉を続ける。
『奴にはラース・オルガン氏の遺体の件、それからブースト・ピルの出処について口を割って貰わねばならん。多少強引な手を使ってでも叩き起こす』
『了解しました、隊長』
医務室の前に着いた諜報部の2人は、ベルナスを尋問する為に扉を開け――
『――そんな!?』
『脱走か。やってくれたな』
床に血溜まりを作って事切れている治癒魔道士達の亡骸に言葉を失った。
壁には魔道士達の血がべっとりとこびり付いており、その凄惨さを物語っていた。
……ベッドで寝ているハズのベルナスの姿はなく、木箱に収めていた彼の装備も無くなっている。
『ギルド本部に緊急連絡だ。至急、アンレンデの各ゲートを封鎖するよう要請しろ。あの身体では、そう遠くに逃げることもできまい』
『はっ!』
遺体を一瞥し、走り去る女性。
残された男は冷たく目を細めたあと、医務室から踵を返す。
――この瞬間、ベルナス・フォン・アビゲインは冒険者の資格を失い、殺人犯として指名手配された。