第41話 お酒は程々に
時刻は日暮れ。
大会初日の試合が全て終了し、第一グループと第二グループの覇者の誕生を見届けた観客達は、思い思いに残された時間を過ごす――といっても、武芸大会は即ち"祭り"と同義であるからして、普段と比べれば出店の数も桁違いであり、素直に帰宅する者は少ない。
遥々遠方から駆け付けた行商人達が持ち込んだ珍しい商品、地方の珍味及び酒類等が並ぶ店が立ち並ぶ大通りには、見るべき物、舌を唸らせる逸品などが所狭しと陳列されているのだ。それをスルーできる者など、そうはいないだろう。
――そんな中、グランドホテルアンレンデのとある一室では、例に漏れず酒盛りが行われていた。
「いやー天晴れ! さすがソーちゃん、余裕の第一グループ制覇だね!」
ぷはーッ!と、少し頬を赤く染めているユウが空になったジョッキを豪快にテーブルに叩きつける。ご機嫌におかわりを注ぐその姿は、まるで親父そのものだ。
テーブルには出店で購入した串焼き、ホテルのオーナーから無料で差し出された摘み類とお酒が無造作に置かれている。
「聡一がグループを制覇した時、投票券が盛大に舞い散った光景は大いに見物だった。たぶん、この先一生忘れられないだろうな」
ファスティオもユウに釣られたのかは定かではないが、中身がたっぷりと入った酒瓶を美味そうにラッパ飲みする。普段はニヒルでクールな彼だが、酒を飲む姿はかなりワイルドだった。男らしさここに極まるといった感じだろうか。元貴族らしくない行為だが、そこは世間の荒波に揉まれた結果なのかもしれない。
「その後、強盗や詐欺師達がわんさか沸いて出てきた時はさすがに参りましたけど……」
その時の光景を思い出し、フェルミは困ったように笑いながら、クリームチーズを乗せたクラッカーを摘まんだ。
投票券の換金は第二グループの覇者が決まり、初日の武芸大会閉幕後に行われる。東西南北の計四カ所に設置されている換金所において、第一グループの投票券を持つ者は東と西の換金所にて換金することになっていた。
ちなみに、投票券の購入は1人につき1枚まで。第一グループか第二グループのどちらかの覇者を選ぶ仕組みになっているので、第一と第二両方の覇者を当ててウハウハ!なんて真似はできないようになっている。
そのようなルールの元、見事に第一グループの覇者を当てた一行は、西の換金所に出向いたのだが……。
第一グループの当選者は10人にも満たなかった。この数値は第二グループの当選者に比べて、1/20以下であり、歴代の第一グループ当選者の中でもずば抜けて少ない。
だが、その分当選額の上がり幅は半端ではなく、遊び半分で白銀貨を1枚でも賭けていた者は飛び上がって喜ぶ程だ。
セフィーアは皆の金を全て回収し、それらを纏めて賭け金にした後、当選後は仲良く5等分に分配するという制約のもとで代表して投票券を1枚購入する方法を取った。
その額、賭けた当初で実に白金貨3枚、金貨41枚、白銀貨89枚である。支払い時、受付係がそれだけで目を回したというのに、それが38.8倍にまで膨れ上がった結果……どうなるかなど、言うまでもない。
世の中には、汚さや卑劣さいう点で、それはそれは秀でた人間が数多く存在する。
彼らはどういうワケか、金の匂いに非常に敏感であり、どこからともなく情報を仕入れてはそれを強奪しようと目論むものである。
人が最低限持つべき倫理に唾を吐きかけるような糞虫にも劣る彼らが、みすみす垂涎の獲物を逃すハズがなかった。
セフィーア達は、運営側の配慮でわざわざ別室に通されてから当選金を受け取り、裏口から会場を後にしたものの、強奪を目論む者達がその程度で諦めるような殊勝な性格をしているワケもなく――
「他人の物を横から暴力で奪おうとは、不届き千万であるっ!」
エンジンが掛かってきたらしいユウが、何故か演説口調で喚き始めた。
「結果的には何もなかったのだし、今更気にする必要もないだろう」
「うむ! 同意である!」
ニヒルな笑みを浮かべるファスティオにユウが大袈裟な態度で頷いた。それから、互いの手に持ったジョッキと瓶を打ち合い、一気に飲み干しにかかる。
「それにしても、生きてるうちにこんな大金を手にする日がくるなんて……夢にも思いませんでした。これで故郷の兄弟達に楽をさせてあげられると思うと――」
ワインを一口飲んだあと、感極まったように呟いたフェルミはおいおいと泣き出してしまう。彼女はこれまで酒を口にしてはいなかったハズだが……。
「うらー! 泣いてんじゃねぇ! 涙の塩味は酒でとことん薄めるのであるっ!」
「は、はいッ!」
「俺も付き合うぞ」
赤ら顔と泣き顔とニヒル顔の3人が仲良く酒を煽る姿はまさしく――
「……なんというカオス」
目の前のどんちゃん騒ぎを黙って見つめていた聡一は、エール酒が入ったコップを静かに傾けつつ、誰に聞かせるでもなくポツリと呟いた。
聡一はまだ二十歳になっていないものの、この世界には酒に関する法律などなく、自分の好きなように飲んでいた。そもそも今時の若者よろしく、元の世界でも二十歳未満で酒を嗜んでいた身であるが故、そういう面でいえばこの世界の環境は天国ともいえよう。
――とはいえ。
「お酒は二十歳になってから」
「――? そんな話聞いたことないけど、誰が決めたの?」
聡一の独り言を聞いていたらしいセフィーアが小首を傾げてくる。
「俺がいた世界の偉い人」
「へぇ、どうしてそんな法律を?」
セフィーアは興味深そうに呟きながら、少しずつ酒を咽喉に流す。
相変わらず、彼女のコップを両手で持ちながらちびちびと中身を飲む癖は変わっていない。
大貴族の令嬢らしくない仕草だが、目の前の元貴族も似たようなものなので、案外この世界の貴族というのはそこまで礼儀作法に煩くないのだろうか――などと聡一は勝手に想像する。
「耐性とか成長の問題とか色々あるらしいけど、詳しくは俺も知らなかったり」
「自分の世界のことなのに?」
「まぁ俺は勉強熱心な性格じゃなかったからね。試験の前日に毎回一夜漬けするようなタイプだし。法律に関して、興味なんて微塵も沸かなかったな」
どこか遠くを見つめる聡一の姿を横目で見つめるセフィーアは、少し意外そうな色を瞳に浮かべながら、静かに口を開いた。
「ソーイチが自分のことを話すなんて、珍しい」
「ん? あー……酒に酔ってるんだよ」
柄にもないことを言った、と聡一は照れ臭そうな苦笑いを浮かべる。
セフィーアはコップに残った酒に目を落とし、手持無沙汰に中身を揺らす。
「やっぱり、元の世界に帰りたい?」
「そりゃまぁ帰りたいさ」
「――そう……よね」
どことなく寂しそうに微笑むセフィーアの様子に、今度は聡一が首を傾げた。
「どうした? ひょっとして気分でも悪い?」
「なんでもないの、ごめんなさい。お酒が入ったせいで少し眠くなっただけ」
心配そうに気遣ってくる聡一に、セフィーアは大丈夫だと首を振った。
それから、真新しい酒の瓶を手に取ると、空になっている聡一のコップに注ぐ。
「今日はお疲れ様。でも、明後日の試合が本番なんだから、しっかり頑張ってね?」
「いやはや、大貴族のお嬢様にお酌してもらえるとは恐悦至極。不肖、私ソーイチ・オノクラは明後日の個人戦に全身全霊をもって臨む所存であります――ぷはーッ! 美女に注いでもらった酒は格別だぜぇ!!」
沈んだ空気を払うように、敢えてふざけ合いながら酒を嗜む聡一とセフィーア。そこに暴走した3人が加わってくるまで、大して時間は掛からなかった。
「くらっ! お前たちは何をくぁwせdrftgyふじこlp!」
「ユウは『お前たちは何を2人だけでいい雰囲気になってやがる!』と申しております」
「通訳かよッ!?」
何を言っているのか定かではないユウの台詞を代弁するフェルミに、聡一は叫ぶようにツッコミを入れる。
「ほら、お前も飲めソーイチ。このテキーラは格別だ」
「ちょっおまっそれっテキーラじゃなくて調理用オイル! どこから持ってきおごぼぼぼぼぼぼ――」
「――ソーイチ!?……ひ、ひぃ!」
オイル瓶を強引に口に突っ込まれ、どんどん青い顔になっていく聡一を目の当たりにし、セフィーアはどうしようもない恐怖に駆られて寝室に退散しようと試みる……が、それを許容する程、酔っ払い達は甘くなかった。
「はっはっは! どこに行○×△■@$&*?」
「ユウは『はっはっは! どこに行こうというのかね?』と、申しております」
「それどこの大佐あがごぼぼぼぼb」
果敢にもツッコミを入れようと足掻く聡一の口に、新たなオイル瓶が捻じ込まれる。
セフィーアは尻餅を付き、人智を超えた凶悪な魔物に為す術無く脅える少女の如く、震えながらも必死に後退った。
「セフィにはくぁwせdrftgyふじこlp!!」
「ユウは『セフィにはこのワイン瓶の一気飲みを命ずる!!』と、申しております」
「や、やめて……私、あまりお酒は強くないの……い、いやっ助けてソーイチ! あ、あぁぁっ、いやああぁぁぁッ!!!」
――後に、この日を聡一とセフィーアは「……悪夢だった」と、虚ろな目をして語ることになる。
◆◆◆
聡一達が宿泊するグランドホテル・アンレンデのとある一室。
他のどの部屋よりも豪華に飾られたその室内で、1人の男が焦燥から己の爪を噛んでいた。
その人物の名は……ベルナス・フォン・アビゲイン。
「くそっ――なんなんだアイツは!? あのミーレ・レルクルを武器も使わずに倒すなんて……」
ベルナスは忌々しそうに、尚且つ、これ以上ないほど冷汗を掻きながら無様に喚き散らした。
だが、彼の焦りも尤もだろう。過去の武芸大会にて、ベルナスはミーレ・レルクルに手も足も出ずに打ちのめされた苦い経験がある。その彼女を文字通り圧倒せしめた聡一は、つまるところ実力的に自身よりも上位にあると証明してみせたのだ。
送った刺客からの情報から、それなりに実力を有する人物だとは思っていたが、まさかこれ程とは――ベルナスは想定外の事態に困窮する。
罷り間違っても、自分が聡一に勝つことはない……その現実を思い知らされた。
事前に毒でも何でも、身体能力に影響を及ぼすような薬でも盛れば話は別だが……さすがに出来もしないことを実行しようと考える程、ベルナスの頭は馬鹿を極めてはいなかった。
「どうする……どうする……?」
いくら考えても打開策が浮かばない。このままでは、野望が果たせない。
ただ纏まらない思考だけが空回りし、時間が無駄に過ぎていく。
――こうなったら。
追い詰められたベルナスの頭に浮かんだのは、策ともいえない愚考中の愚考。
「ブーストピル……あれを早く入手しなければ……」
メルキュリオ大陸にて禁制に指定されている薬物の名を口にしたベルナスは、それを手に入れる為に早速行動を始めた。
――彼の瞳に、壊れかけの不気味な光が宿る。
「ソーちゃんの! もっといいトコみてみた~い!」
「うごごご……ぶはぁっ!ダイジョブダイジョbおろろろrrr」