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幻操士英雄譚  作者: ふんわり卵焼き屍人
~冒険者の街アンレンデ~
38/69

 番外   あるA+とA-とS-の楽屋裏

 [side エリシア・ミューディリクス]


 エリシア・ミューディリクス。ランクA+の冒険者。ギルドが認定するパーティの中でもそれなりに人数が多く優秀な部類に入る<白薔薇旅団>のリーダーにして、誰もが振り返る貴婦人口調の美女である。


 昼食時――ギルド本部にある3つの食堂のうち、一番人が寄り付かない食堂にエリシアはいた。ここはAランク以上の冒険者とギルドの上級幹部クラスの人間だけが利用することを許されている、いわば高級レストランのようなものである。エリシアを除いたパーティの面々は最高でBランクの冒険者しかいないので、ここまでの御供は許されていない。


 仲間……というよりは部下、或いは弟子、また或いは従者。彼らの前では決して口にすることはないが、エリシアは唯一独りで気を休めることができる食事の時間と睡眠の時間を何よりも大切にしていた。


 お昼時だというのに閑散としている食堂を何気なく見回し、周囲にほとんど人がいないことを知るや否や、エリシアは和紙の障子を破る様に気の抜けた声を漏らしながら大きく伸びをする。


「んー……!」


 どういうワケか身内から神聖視されてしまっている彼女は、欠伸一つするだけでも人目を気にしなくてはならない。そのような空気は、本来、気楽を好むエリシアにとって窮屈で堪らなかった。


 別に自身は貴族の出身でもなければ、豪商の娘というワケでもない。元々は、今は亡き小国の領土の端で、細々と日々の生活を営んでいた村落の村娘である。

 周りの自然が豊かだったので、自給自足の生活にそれほど苦労はなかった。


 そんな村の唯一にして最大の特徴といえば、近隣の森林地帯からよく魔物が攻めてくるということと、それに関係して村人全員が幼少の頃から何かしら武術を学んで身体を鍛えているといったくらいしかない――村人の平均的な実力を冒険者で換算すれば、ランクE~Dはあるが。


 そのような少し特殊な環境で育ったエリシアが村を飛び出したことに深い理由はない。ただ世界を見て回りたかっただけである。


 村を飛び出し、冒険者になる前から行く先々で魔物退治を引き受け、感謝される。それを聞き付けた物好きが一緒に来たいと言い出し、その物好きを慕ってさらに物好きが増え、気付けば今のような状態になってしまっていた。


 だが、それだけではエリシアが仲間内から神聖視される理由にはならない。


 このような状況を招いてしまった一番の原因は、幼いながらに田舎者と野次られることを恥じ、貴族を真似て気取った口調を取っていたことだろう。

 彼らの「貴女は貴族様なのですか?」という質問に、曖昧に笑って誤魔化していたことも大きな要因に他ならず、出来る事なら当時の自分をぶん殴って口調を素に戻してやりたいとエリシアは常々後悔していた。


 まぁ要するに自業自得である。


 ただ勘違いしてもらっては困るのだが、エリシアは今の連れ達に別段不満を持っているワケではない。

 己の力量を理解し、自分に出来る事を完璧にこなしてくれる今のメンバー達はとても優秀だ。

 エリシアの少し無茶な要求にも笑って応え、何だかんだ言ってそれなりに長い付き合いになる仲間達には、相応の親愛の情を寄せている。

 そんな彼女が仲間達に望んでいることは至極単純で……普段の旅路で和気藹々と皆で語り合ったり、ふざけあったりしたい――ただ、それだけなのだ。


 エリシアは腐れ縁が所属していた先程のパーティを思い出し、嬉しさと羨ましさが混じった複雑な感情を抱いた。


 あのパーティはエリシアが憧れる関係をちゃんと築いていた。


「……あんな乙女の顔で怒ったユウは初めて見ましたわ」


 これまでユウに関して色のある話など何一つ聞いた事がなかったエリシアは、仄かな優しさを含めた笑みを浮かべる。


 過去の苦い経験から特定のパーティに与することがなかったユウが、自分の居場所を手に入れていた――その事実は、ユウが孤立する原因を作ってしまったエリシアからすれば非常に喜ばしいものである。


 それだけに気になるのは、ユウの新しい一面を開拓してくれた黒衣の青年……彼はいったい何者なのだろう。


 SSクラスにして要注意指定というあの悪名高いグリアズをたった一人で撃退したという話も聞き捨てならない。


 エリシアの眼からすれば、ただの地味な青年にしか見えなかったのだが、ユウが見栄だけで嘘を吐くとも思えなかった。


「彼を見極めるためにも、今回の武芸大会は丁度いい舞台ですわね――む! この若鳥のグリルはなかなか……」


 エリシアは幸せそうに鶏肉を頬張りながら、武芸大会へ想いを馳せるのだった。


 ◆◆◆


 [side ロシーグ・ヴァンデストリ]


 ロシーグ・ヴァンデストリ。ランクA-の冒険者。特定のパーティには所属していない、一匹狼気質の男である。

 欲しい物は力づくで手に入れる――を信条としているロシーグは、その強引且つ粗暴な性格から同業者からあまり好かれていない。口より先に手が出るとまでは言わないが、それでも十分に暴力的といえるような方法で物事を解決しようとする、彼の短気さ故の結果である。


 ホテルで起こした騒動から見ても、容易に察することができるだろう。


 そんな彼は今日の昼間、目を付けた美女をとある男から奪うという名目で勝負を吹っ掛けた。決着は武芸大会の場にて。途中、とんだ汚物も混入してしまったが、大体は自分の想定通りの展開に進んだので満足している。


 そして夕方。


 建物は真っ赤な夕日に彩られ、外で遊んでいた子供達は姿を消し、街が夜の雰囲気(カーテン)を纏いだす時間帯。

 街に滞在している大勢の冒険者達は、その日の疲れを癒す為に適当な呑み屋を探して徘徊し始める。


 故郷の村を出て早5年。ここアンレンデを拠点と定めて活動を始めて早3年。


 ロシーグはAランクという高ランクの冒険者なので、ギルドから無料で貸与された住居を持っている。しかし、当然といえば当然なのだが、日々の生活費までは負担してくれないので家事などは全て自分で行わなければならない。

 元々、早くに両親を亡くしてからは弟の世話を含めて家事などは全て自分でこなしていた為、一人暮らしで困ることは特になかった。


 ロシーグは家に帰るついでに夕食に使う食材を調達し行こうと、市場に出向く。


 その途中、屋台で売られていた肉まんを買い求める。


「よー、おっちゃん。商売繁盛してるか? 特製肉まん3つくれ」

「お! ロシーグさんじゃないか! 久々だな」


 ロシーグに気安く声を掛けられた屋台のオヤジは嬉しそうに相好を崩す。


「仕事でちっと遠くまで行っててよ。ついこの前帰ってきたんだ」

「そりゃお疲れさんだ。ほい、お待ち! 一個サービスしといたから、味わって食ってくれよ」

「あんがとよ、おっちゃん」


 代金を払い、ロシーグは早速手渡された紙袋から肉まんを一個取り出すと、景気良く頬張った。


 もんぐりもんぐり咀嚼しながら市場への道を進んでいく。道中で様々な人から明るく声を掛けられ、その都度笑みを見せて軽く手を振るロシーグ。その様子を鑑みるに、冒険者からは嫌われているロシーグだが、街の住民からはそうでもない……どころか、寧ろ好かれている様子すら見受けられる。

 

 この光景を聡一達が目撃していたら、果たしてどんな感想を抱いたであろうか。


 様々な人達から声を掛けられつつ市場に辿り着いたロシーグを待っていたのは、数多の商人達からの労いの言葉とお勧めの商品の宣伝だった。


 料理に一際強い拘りを持っているロシーグは既知の商人達の言葉に見事に釣られ、様々な食材を購入していく。

 そして、両手いっぱいに紙袋を抱えてから、"いつものように"「やべぇ……また買い過ぎちまった」などと呟くのだった。


 今日の夕食の献立を考えつつ、日持ちしない食材を使った料理を"いつものように"孤児院に届ける為に帰路につく。

 ロシーグの住居のすぐ近くにある孤児院はあまり金銭に余裕がないことは、近隣の住民達の間では周知の事実である。その為、孤児達の日々の食事に一品二品加えてあげようと何かしらの余り物を持っていくのは、当然となっていた。

 初めて食事を持っていった時、その目付きの鋭さから子供達どころか、同じく料理を持ち寄ったご近所の奥様方にまで脅えられたものだが、その一方的な蟠りが消え去るまで3日もかからなかったのは有名な話である。

 さて、今日はどんな料理を持っていって子供達を驚かせてやろうかと企て、くつくつと笑うロシーグの表情はまさに極悪人そのものなのだが、この近辺で彼を知らない人間は一人もいないので、特に不気味がられることはない。

 ロシーグの表情を見た人間が抱く感想は決まって、『あぁ、子供達に届ける料理の献立を考えてるんだな』であるからして。

 ちなみに、彼が持っていくのは決まって肉料理である。金銭に余裕がない孤児院で肉料理が出されることは誰かしらの誕生日を除いて他になく、育ち盛りの子供達にとってはまさしく御馳走なのだ。


 ――そこへ聞こえてきた少女の悲鳴と野太い男3人の怒鳴り声に、ロシーグの気分が害されるまで5秒もかからない。


 基本的にこの近辺を狩り場として不埒を働こうとする人間は存在しない。だからこそ、ロシーグは相手の男共が余所者であることを確信し、さらに苛立ちを募らせた。


「――や、やめてください!」


 声に涙を滲ませながら叫ぶおさげの少女の声。


「あぁ? こんなぼったくった値段で果物売ろうとしやがった分際で、偉そうな口叩いてんじゃねーぞ!」

「ちょっとこっちこいや。俺達に粗相働こうとした罰をその身体で払ってもらおうじゃねぇか」

「へっへっへ! まぁそう脅えんなよ、すぐに気持ち良くしてやるからさ」


 腰にそれぞれ武器を携えた男達はそれを理屈ではなく、下衆な感情で無理矢理捩じ伏せる。


「おら! こっちこい!」

「いやあッ!!」


 力任せに腕を掴まれ、3人がかりで路地裏に連れて行かれそうになる少女の瞳から涙が溢れる。

 さすがに洒落にならないと判断した商人達がそれぞれ棍棒やら包丁やらを手に冒険者達を取り囲もうとしたところで――


「おい、てめぇら……」

「あ? 誰だテ――ぶげっ」


 殺気の篭った低い声に振り向いた男が、顔面を抉るような右ストレートを叩き込まれて吹き飛ぶ。

 仲間の短い悲鳴に慌てて男達が振り向いた先に見た光景は、青筋を浮かべて佇んだロシーグと男達を囲むようにして連なった商人や住民達だった。その人数、20や30では済まない。


「な……なんだテメェらは……」

「お、俺達が冒険者だと知って……」


 只ならぬ事態に冷汗を流し始める男達に対して、ロシーグは冷めた声で一蹴した。


「知るかんなもん」


 遠慮ない蹴りが男の顔面を襲い、鼻血を撒き散らして地面を転がった。

 そもそも、ロシーグの肩に付いている肩章を見て"何も言わない"時点で、彼らが冒険者を騙った傭兵崩れであることは明白だ。


「――ひっ」


 一人残された男が顔を真っ青に染めてその場を逃げ出そうとするが、とっくに周囲を囲まれているので逃げ道はない。


「ここの住民に手を出したことをせいぜい後悔しやがれ」


 そんな台詞を残し、少女の手を取って囲みから立ち去るロシーグ。


 怒気を漲らせた商人と買い物客に迫られた男の悲鳴があがるのは、それからすぐのことだった。

 如何に相手が手練であろうと、何十人という大勢で囲んでしまえば手も足もでない――と教えたのは、他ならないロシーグである。

 住民達はそれを知ってからというもの、こうしてお互いに手を取り合って、何も知らずに近づいてくる不良を撃退するようになった。


「ロシーグさん、助けてくれてありがとうございました」


 助け出された少女はその頬を薄く朱色に染めながら丁寧に頭を下げる。


「おう。つーか、お前もこれで3度目だろ。いい加減、ああいう手合いに馴れろよな」

「……すみません」


 この場に聡一がいれば「どの口で今の台詞をほざくのか」と呆れるところだが、自分の行いは一先ず棚に上げてロシーグは少女の頭をわしゃわしゃと撫でまくった。


「あ、あうう」

「ほら、これやっから元気だしな。ついでに果物売ってくれ」

「……はい!」


 ロシーグから肉まんを手渡された少女は、代わりとばかりに指定された果物をせっせと袋に纏める。


「助けて頂いたので、お代は結構です」

「あ? 変な遠慮してんじゃねーよ。ほれ」

「あっ!」

「んじゃ、またなー」


 ロシーグは台の脇に銅貨を置いていくと、踵を返して立ち去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、少女は嬉しそうに肉まんに齧り付いた。


 ……3人の不良をとっちめたロシーグが鼻歌交じりに歩いていると、正面に荷車を引きながら買い物をしている1人の青年と2人の女性を見掛けた。

 その3人の顔に見覚えがあったロシーグは内心で己の不運を呪いながら、なるべく距離をとりつつ気付かないフリをして立ち去ろうとする。


「――兄さんっ!?」

「「え!?」」


 しかし、目敏い青年がロシーグを見事に発見し、荷車を放棄して追い縋った。その後を2人の女性も追いかける。


 とても面倒な事になったと悟ったロシーグは最後まで気付かない素振りのまま、足早に人混みに紛れようと画策するが、思いの外しつこかった青年――実弟に肩を掴まれ、仕方なく振り向いた。


「あ? 誰だ?」

「僕だよ兄さん! アスタルだよ!」


 実に5年ぶりの再会である。

 しばらく見てなかった弟はいつの間にか凛々しく成長していた。その後ろには元恋人である幼馴染のレーナとその妹であるマーヤもいる。姉の方は俯き、妹の方は少し脅えたような表情をしていた。


「何でここにいる?」

「何でって、市場に買い物に――」

「そうじゃねぇよ。俺はなんでお前達がアンレンデにいるのかって聞いてんだ」

「そんなの兄さんを追ってきたからに決まってるじゃないか!」


 感情に任せて叫ぶアスタルの腕をマーヤは強引に掴む。


「ちょっとアスタル! 落ち着いて」

「……ごめん」

「………………」


 吠える弟を鬱陶しげに見つめるロシーグだが、レーナとは絶対に目を合わそうとはしない。それを理解しているレーナは一歩離れたところで黙って佇んだ。


 それを察し、マーヤは姉の前に強引に割り込むようにしてロシーグに笑いかける。


「久しぶり、お兄ちゃん」

「おう。綺麗になったな」

「でしょ?」


 マーヤは自分に向けられたロシーグの自然な笑みを見て、内心でホッと胸を撫で下ろした。

 第一声の冷たい声音と素っ気ない態度から、てっきり嫌われているのかもしれないと不安になったが、そうではないらしい。

 それを察し、ようやく素の笑みを浮かべる。

 血は繋がっていなくとも、家族同然――自分の兄とすら思っていたロシーグに嫌われるのは絶対に嫌だと考えていただけに、心を占める安堵の大きさは計り知れない。


 アスタルはマーヤの頭を撫でる兄の眼を見据えながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「1年前くらい前にここに来て、貯めてた兄さんの仕送りを使って料理店を建てたんだ。そこで商いをしていれば、いつか兄さんに会えると思って……」

「そうか、そいつは大変そうだな」


 極めて淡白な反応。

 大して興味もなさそうなロシーグの態度に、アスタルは悲しそうに顔を歪めた。


 ――実のところ、ロシーグは弟達がアンレンデに来ていたことなど、とっくに知っていたりする。


 だからこそ、今まで見つからないように注意を払ってきた。

 兄を捜しているという青年が度々ギルドに顔を出していれば、嫌でも情報は入ってくる。だが、ギルドが個人情報を部外者に教えたりなどするハズもない。さらには、ロシーグは単独で行動するタイプの冒険者だったので、情報を持っている冒険者も全くいなかった。

 アスタルは人探しとして依頼なども出していたようだが、そういう地味で根気のいる仕事を引き受ける冒険者などほとんどいないし、いたところでロシーグはその冒険者に報酬金以上の金を渡して任務をわざと失敗させていた。勿論、ギルドの受付嬢には事前に話を通してあるので、依頼を受けた冒険者の名に傷が付くようなこともない。

 

 斯くして、とある理由から自分を探している弟達から逃げ続けてきたのだが、それも今日でお終いになってしまった。


「んじゃ、これで満足しただろ? あばよ」

「待ってよ兄さん! 話があるんだ」


 さっさと踵を返して家に帰ろうとする兄の肩を弟は再び掴む。


「俺にはねぇな。それに忙しいんだ。これから夕食を作らなきゃなんねぇ」

「じゃあ、これから僕の店で一緒に食べよう! まだディナー営業までは時間あるし――」

「ワリィけどパスだ。作るのは俺1人分だけってワケじゃねぇんだよ……腹を空かせてるガキ共がいる」


 気怠そうに頭を掻きながらそう告げたロシーグの爆弾発言にアスタルとマーヤは言葉を失った。

 それまでずっと俯いてたレーナといえば、その端正な顔を絶望一色に染め、信じられないと言外に叫ぶようにロシーグを見つめる。


「……兄さん、それってどういう意味だい?」

「人のプライベートを詮索しようとすんじゃねぇよタコ」


 そう言い捨て、ロシーグは再び踵を返した。アスタルは受けた衝撃の大きさに身動きが取れず、石のように固まったままだ。


「――……そんな、ロシーグ」

「なんでお前がそんな顔すんだよ。自分で"フッた"男の事情なんて今更どうでもいいだろうに」


 レーナから呟くように名前を囁かれたロシーグは忌々しげにそう吐き捨てると、今度こそ振り返らずに

その場を立ち去った。


 ……残された3人は茫然とその背を見送ることしかできなかった。


「荷車置いてきちゃったままだし、そろそろ帰ろうか」


 ロシーグが去ってから数分あまり、ようやく立ち直ったアスタルが静かに呟いた。

 見ていて痛々しい程に落ち込んでいるレーナの肩を抱きながら、マーヤは悲しげに頷く。

 アスタルとマーヤはこの5年間ずっとレーナが後悔し続けているのを真横で見てきたので、この結末には納得できない。しかし、家族として愛する兄が自分の幸せを見つけたのなら、弟と妹の身としては、それを素直に祝福してあげたい気持ちもある。

 

 気持ちの板挟みに悩みながら、アスタル達は肩を落として憮然と帰路につく。


「そんなに落ち込むんじゃないよ。見てるこっちの気が滅入ってくる」


 背中に声を掛けられ、3人は足を止めた。

 振り返った先には、野菜などを売っているおばちゃんが苦笑しながら立っていた。会話の一部始終を聞いていたのだろう。

 この店はロシーグのお気に入りの店であり、アスタル達も買い出しで野菜を買う時は決まってこの店を利用している。ついさっきもこの店で野菜を仕入れたばかりだ。


「……マールダさん」

「ったく、随分と元気を無くしちまったもんだ」


 弱々しく呟いたレーナに対し、マールダは顔を顰めた。


「あんた達が探してた兄っていうのがロシーグさんだってことは皆知ってたんだけど……教えないでくれって本人から堅く口止めされてたんだよ。黙ってて悪かったね」

「……いえ、気にしないでください」

「はぁ。重傷だねこりゃ――シャキシャキしな!」


 マールダは覇気のない弱々しい笑みを浮かべるアスタルとレーナに近づくと、その背中を叩いた。

 ばちーん!と市場にとてもいい音が響く。

 マーヤだけは難を逃れ、驚いたように口を押さえるだけに留まった。


「キャッ!?」

「なんで僕までッ!?」


 ニカっと笑ってみせたマールダは、痛そうに背中を擦る2人の頭を撫でながら言った。


「あんた達はウチの御得意様だから特別に教えてやるよ。ロシーグさんが言ってたガキ共ってのは孤児院の子供達のことさね」

「「「……え?」」」」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔のまま硬直する3人。

 マールダの隣の店で調味料を売っていた青年が苦笑しながら補足を入れる。


「ロシーグさんは孤児院の子供達にいつもお裾分けを持っていくんですよ。「食材買い過ぎて1人じゃ食い切れねぇから、ガキ共に手伝ってもらうんだ」とか言いながらね」

「「「………………」」」

「そういうこった。ロシーグさんの住所を教えるワケにはいかないけど、孤児院の場所なら問題ないだろう? 早く行って、待ち構えてやりな」


 押し黙るアスタル達を笑い飛ばしながら、マールダは孤児院の場所を記した紙を差し出した。


「――ありがとうございます!」


 レーナが孤児院までの地図を受け取る。


「僕は一度戻って店を閉めてくる。レーナとマーヤは荷車回収して孤児院に!」

「わかったわ」

「うん!」


 瞳に輝きを取り戻した3人は互いに頷き合うと、素早く行動を開始する。

 

 ――自分達から逃げ続けるロシーグに、きちんと話を聞いてもらう為に。


 ◆◆◆


 [side ベルナス・フォン・アビゲイン]


 ベルナス・フォン・アビゲイン。ランクS-の冒険者。クレスティア皇国の由緒正しい子爵の家系の四男である彼は、特に親からの束縛も期待も無く育ってきた。何の価値も見出せない自分、何の価値も見出そうとしない家族に絶望し、自棄になって家を飛び出して冒険者になった。


 幼少時代からその道では有名な師に剣術を教わっていたおかげで、冒険者になった当初から腕は良く、瞬く間にAランクへと昇り詰めた。

 

 そんな彼がギルドの依頼により募った仲間と出向いた山脈――皇国と帝国を分断している大陸で最も長い山脈の中央部でモータルグルームと遭遇するのは、聡一達と出会う半年程前まで遡る。

 モータルグルームとはSクラスに認定されている災害レベルかつ要注意指定の魔物であり、竜種に分類される凶悪な名付きのドラゴンである。全長20m以上という巨大な体躯を誇り、ただの体当たりが即死級の威力を持つのだから恐ろしい。

 竜種はそのどれもが強靭な生命力と戦闘力を秘めており、特に名付きと呼ばれるドラゴンは単騎で小国を滅ぼすとまで言われている非常に危険な存在だ。

 当時はランクA-であったベルナスを含め、Bランク3人にAランク1人という計4人しかいない混成パーティ如きにどうにかできるほど脆弱な相手ではない。


 だが、彼らが出会ったモータルグルームは既に死にかけていた。傷などは特に見当たらなかったので、恐らく老衰と思われる。


 依頼で指定された魔物を討伐にしにいく途中だった一行は、山の中腹で休んでいたモータルグルームを発見し、依頼遂行の妨げにもなると判断して狩ることに決める。


 慎重に作戦を練り、弱っているところへ完璧な奇襲を仕掛け、痛恨の先制攻撃を与えたにも関わらず、それでも反撃によるたった一発のブレスで仲間2人が焼き焦がされて死んだ。


 その後も懸命に闘うも追い詰められ、あわや全滅かと思われたその時、先に力尽きたのはモータルグルームの方だった。寿命が限界を迎えたらしい。


 大きな地響きをたてて倒れ込む様を眺めながら、生き残った喜びを分かち合うベルナスと戦術魔道士。


 彼のランクはB+だったので、これを報告すればランクA-になれると喜んだ。


 しかし、ベルナスはそこで考える。


 要注意指定の魔物を討伐した際のランクアップは1人なら三段階、2人以上なら一段階となる。

 ……この差は大きい。果てしなく、大きい。


 もし、こいつが死んで、生き残ったのが僕だけになれば……。


 ドス黒い欲望がベルナスを駆りたてる。


 気付いたときには、剣の腹で魔道士の頭を打っていた。


 昏倒する魔道士を引き摺り、ベルナスは切り立った崖から躊躇なく投げ落とす。


 これで邪魔者は消えた。


 仲間が全滅した理由を騙るのは簡単だ。


 2人は普通に焼き殺されたし、残りの一人はモータルグルームの尻尾に当たって吹き飛ばされたことにでもすればいい。高い場所から落ちたのだ、肉体の損壊は剣による打撲もドラゴンの尻尾も関係ないくらい酷いものになったハズだ。


 ……誰にも死因は特定できない。


 目撃者もいない。


 ……誰にも犯人はわからない。


 奈落のような暗さを湛えた笑みが、ベルナスをどこまでも黒く彩った。


 ――そんな経緯で晴れてSランクとなったベルナスは今現在、グランドホテル・アンレンデのVIPルームにて優雅なひと時を過ごしていた。


 Sランクの冒険者は様々な面で優遇され、その際に掛かる費用は全てギルドが負担するようになる。その待遇の良さは一国の大貴族にも劣らない。


 今の彼は金、名誉、地位、その全てを手中に収めていた。そして、今度は"女"を手に入れようと考えている。


 同じホテルに泊まっているクレスティア皇国天輪十二貴族にして、公爵家次期頭首であるセフィーア・アインス・ベルウィンド。


 ベルナスも皇国子爵の息子である。パーティの会場にて何回かその顔を拝見したことがあったからこそ、彼女の正体に気がついた。


 風の噂で家出して行方不明と聞いていたが、まさかあんなに堂々と自分の御身を衆目に晒しているとは思わなかった。


 ……それを可能にしているのは、周囲を囲んでいるパーティメンバー。とりわけ、あの黒衣の冒険者だろう。

 彼の頼られ方は、他のメンバーとは一線を画しているように見えた。


 次期頭首を追跡しているハズの私兵も一向に姿を見せないことから、彼に何度も撃退されていることは想像に難くない。


 もし自分が頭首にセフィーアの身柄を引き渡せば、ベルウィンド家に強い恩を売れること請け合いだ。


 彼女には既に婚約者がいるという話だが、その座を掠め取ることも可能になる。今の自分にはそこらの貴族には到底成しえない地位と名誉があるのだから。


 ――セフィーアは美しい。


 無限の蒼穹もしくは母なる大海を連想させる蒼い髪。見る角度によって微細に色変える、本物の宝石すら霞ませるような翡翠色の瞳。歴史に名を残す芸術家ですら呼吸を忘れ、創造の意欲を溶かされる容姿。


 その微笑は、女神の祝福。

 その抱擁は、安らぎと快楽の頂。

 その香りは、天上の花園。


 彼女を妻に娶ることができれば、世界中の遍く男共の嫉妬と羨望が自分の身を焦がすことだろう。


 そこまで想像したベルナスは一瞬身震いし、胸の内で猛る興奮を冷ますように白ワインを胃へ流し込んだ。


 セフィーアを手に入れることができるのならば、自分の地位も名誉も金も惜しまずに利用する。

 だが、その前に排除しなくてはならない障害がある。

 黒衣の冒険者――ランクF+の新米冒険者。名前はソーイチ・オノクラ。過去の経歴はその一切が不明。

 セフィーアに雇われた護衛にして懐刀ともいうべき存在を、確実に消さなくてはならない。


 武芸大会にて自分が負けるなどとは思っていないが、念には念を入れておくべきだろう。


 それで摘み取れるならよし、そうでなくても実力の程度は測れるというものだ。


 セフィーアは誰にも渡さない。自分だけの所有物にするのだと、ベルナスは笑った。


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