第32話 二人羽織はさすがに予想外
睨みつけるような三者の眼光がそれぞれ絡み合い、氷塊が砕けたような冷気を巻き散らす。
聡一と髪を逆立てた眼つきの鋭い男、そしてもう一人、金髪碧眼の乱入者。
それを取り囲むようにして、好奇心を隠そうともせずに様子を窺ってくる周囲の無関係な冒険者たち。
隣に佇むセフィーアは顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに俯きながらも聡一の外套の裾を掴んで離さない。
昨日といい、今日といい、何故こんなに人の注目を浴びる羽目になるのか。
聡一は心の底から叫びたくなった。俺は面倒が嫌いなんだ、と。
――ユウの暴走のおかげで武芸大会の団体戦にエントリーすることになった聡一達は、何だかんだ言って大会参加にそれほど抵抗があったワケでもなく、寧ろいい経験だとすんなり割り切って受付へと向かっていた。
チケットを買い求める人間が作る長蛇の列に比べて、参加受付へ足を運ぶ冒険者の数は圧倒的少数であり、聡一達は大して時間を掛けることもなく済みそうだと安心する。
受付前にあの男の姿を見かけるまでは。
「お?」
「げっ」
その男――A-ランクの冒険者であるロシーグは、セフィーアの姿を目にした途端に厭らしい笑みを浮かべる。
セフィーアは先程ユウがそうしたように、慌てて聡一の外套の下へと潜って我が身をその視線から守りにかかった。
――俺は袋に子を入れて護るカンガルーか。
聡一は心の中でひとりごちる。
「なんだよテメェら。ここは大会参加受付のテントだ。チケットの販売所はあっちだぜ?」
「ご親切にどうも。けど、生憎こっちも団体戦の受付に用があるもんでね」
いかにも邪魔だと言わんばかりの聡一の無表情に、ロシーグは意味深な笑みを返した。
「そうかい。ちっ、惜しいな。もし個人戦に挑むつもりだったなら、試合でボコボコするつもりだったのによ」
「それは残念だったな。んじゃ、そーゆーことで――」
「そうだ! いい事思いついたぞ!」
さも何かに閃いたように声を張り上げたロシーグの表情を見て、聡一は眉を顰めた。それは絶対に自分にとって良い事ではない、と。
ていうか、つい今さっき、似たような台詞を聞いてきたばかりのような。
「お前、あの蒼髪の女を賭けて俺様と勝負しろ」
「は?」
目を点にする聡一。この展開、まさしくデジャビュである。
「物分かり悪ぃ奴だな。だから、勝負して蒼髪の女の所有権を決めようぜっつってんだよ」
「……本人の意思は無視か?」
「あぁ、別に勝つ自信がないってんならやめてもいいんだぜ? ま! 俺様にあんだけの啖呵切った奴がまさか逃げるなんてことはしねぇと思うけどよ」
「人の話聞けよ……。てか、そんな安い挑発に乗るとでも「その勝負、受けて立つ!」ってセフィーアさん? 今時、二人羽織なんて流行りませんよ? ……いきなりどうしたん?」
聡一の身体の脇からにょきっと生えてきた白い腕が、人差し指を突き付けてロシーグを挑発する。
らしくない彼女の行動に困惑しながらも聡一がそれを指摘すると、セフィーアは黙ったままイヤイヤするように首を左右に振った。頭を背中に押し付けられ、グリグリと撫でられる感触はマッサージのようであり、それなりに気持ちがいい。
先のユウの件といい、なんだか病み付きになってしまいそうだ。
だが、これで逃げ道がなくなってしまったのも事実である。
聡一はどこか諦観した表情で頬を掻いた。
「はははっ威勢がいいじゃねぇか! 決まりだ!」
「あー……ごほん。んで? 今この場で決着つけるのか?」
「焦るな焦るな。ほれ、この通り俺様は大会参加者の肩章を付けちまってるからよ、ここで争うワケにゃいかんのよ」
「――?」
ロシ-グはそう言って肩を少し下げ、右肩に付けた赤い肩章を見せびらかす。
聡一が大会のルールを把握していないと知っているユウはすかさず駆け寄り、小さな声でフォローした。
「あの赤い肩章は個人戦にエントリーした証なの。あれを付けてる人に少しでもちょっかい掛けたら、ギルドから酷い厳罰を貰っちゃうんだよ。勿論、本人から仕掛けるのもアウト」
「あぁ~なるへそ……運営側もよく考えてるなぁ」
事情を把握した聡一はつまらなそうな顔をしながら、しっしっと手を振ってロシーグを追い払う。
「カカカッ! 言われずとも帰るっつーの。んじゃ、さっさと登録済ませるこった――」
『その話、僕も一枚噛ませてほしいな』
「あん?」
予想だにしない方向からの声に訝しむロシーグ。
ハッとしたように野次馬達が割れ、あっという間に一つの道が作られる。
そこには、昨日、ロシーグとの一触即発の状況を一喝して止めてみせた、例の金髪碧眼の元貴族らしい冒険者が立っていた。
ずっと会話を聞いていたらしく、説明は不要とばかりに、白い歯を輝かせながら余裕の笑顔を見せつけてくる。
少しウザイかもしれない、と聡一は内心で評価を下した。
「え? 誰が来たの?」
セフィーアは自らが隠れる外套の隙間――聡一の胸のあたりから頭だけをぴょこっと出し、乱入者の顔を確認しようと視線を巡らせる。
その瞳が焦りと困惑の色に彩られるまで、さほど時間は掛からなかった。
「やぁ、おはよう」
「あ……おはようございます――ってちょ!?」
何でこうなるの!?――とでも言いたげに表情を歪めるセフィーア。それはこっちの台詞だと、聡一は天に向かって慟哭したい衝動に駆られる。ていうか、セフィーアが二人羽織で調子に乗らなければこんなことにはならなかった。
「貴女のせいでしょうが。いいから、ちょっと引っ込んでなさい」
「わぷっ」
外套を無理矢理上から被せ、顔を隠させる。
セフィーアは申し訳なさそうにすごすごと中から出てくると、聡一の後ろに回って外套の裾をきゅっと掴む。
その肩をユウが軽く叩き、「――なかま」とのたまっていたが、それはスルーした。
「昨日はどーも」
「お気になさらず。レディを救うのは紳士の努めですから」
「はぁ……。で、今更ですが貴方は?」
「これは申し遅れました。僕の名前はベルナス・フォン・アビゲイン。一応、世間に少しは名が知られていると自負している一介の冒険者です」
さりげなく自己紹介の裏に含まれた、『お前よりは優れている』という挑発に、聡一はぴくっと眉の端を微動させる。
この男、どうやら見た目と性格が一致しているというワケではないらしい。
「――ベルナスっ!? うわ、こりゃ面倒だね……」
剣呑な雰囲気を発し始めた聡一の横でユウが口に手を当てて驚いている。彼女の顔色から察するに、「世間に少しは名が知られていると自負している」という彼の台詞は伊達ではないようだ。
「あいつって有名なの?」
「ベルナス・フォン・アビゲイン、滅多にいないS-ランクの冒険者。ちょっと前にモータルグルームっていう名付きの竜種をたった一人で討伐したとかで、ギルドから二つ名を貰ったって話」
セフィーアが小さな声で説明する。その顔には焦燥の色が濃く浮き出ていた。
「ふーん」
「……なんか大して脅威に思ってなかったり?」
「ん、まぁね」
「まぁグリアズ相手に平気でタイマン張ってみせたソーちゃんだし、あまり気にする必要もないのかなぁ」
興味なさそうに頷く聡一に、ユウは呆れたように呟く。内心では一女剣士として、自分より高みにいる聡一を羨ましく思っていたりするのだが、今はどうでもいいことだ。
「で、ベルナスさん。一枚噛ませてほしいってのはいったいどういう?」
「そのままの意味ですよ。彼女を貰い受ける権利争奪戦に是非僕も加えてほしい」
そう言いながら、ベルナスが聡一の後ろにいるセフィーアへと視線を送った瞬間、背中越しに息を呑む気配が伝わってくる。
まるで雨霰のように降ってくる厄介事の数に、聡一は思わず泣きたくなった。
今日だけで2回、女性の身柄を賭けて戦うことを約束させられるなど、聡一の人生の中でも前代未聞の出来事である。
しかし、そんな心情など億尾にも出さず、表面上だけでも冷静を取り繕ってみせるのはさすがといったところか。
そこへ、突然の割り込みが気に食わないらしいロシーグが犬歯を剥きだしてベルナスを威嚇し始める。
「部外者はすっこんでろよ」
「部外者とはまた随分な言い草ですね。この方達からすれば貴方も十分部外者だと思いますが?」
「……あ?」
「まぁそんなことはどうでもいい。僕としても、ここで引くワケにはいきませんので悪しからず」
「へぇ、上等じゃねぇか」
ロシーグとベルナスは互いに火に油を注ぐような形で、舌戦をヒートアップさせていく。
「私は物ではありませんッ!!」
勝手に商品にされているセフィーアが堪らず絶叫するが、2人は聞いちゃいない。
彼らの視界にはギャラリーどころか彼女の姿すら入っていないのだろう。
『ははっ今年の武芸大会は見応え十分だな!』
『おい、どっちが勝つか一つ賭けようぜ!』
『いいねぇ! その話ノッたぜ!』
それに触発されるように野次馬兼ギャラリーの冒険者達も勝手に盛り上がっていく。
セフィーアといえば、何を言っても無駄だと悟ったのか、なんとも居辛そうな面持ちで周囲の喧騒を見守っている――聡一の外套の裾を握ったまま。
聡一からすれば、このまま皆を連れてこっそり退出しても良かったのだが、そうすると後がさらに面倒なことになりそうだったので、ひとまずは様子見に徹した。
「――ならば、僕は闘技場にて君を地面に這い蹲らせ、そのあとで華麗に彼女を貰い受けることにしましょうか。……そのチャンスが巡ってくるかは時の運ですけどね」
「ハッ! できもしねぇことを言うもんじゃねぇぞ」
S-ランクを相手に、A-ランクのロシーグがどうしてあそこまで強気になれるのかはわからないが、とりあえず小うるさい悶着は治まったらしい。今は相手を牽制するように睨み合っているだけだ。大会登録済みの冒険者に手を出す……それがどれほどの不利益を招くかは双方とも重々承知しているのだろう。
矛を収めたところを見ると、さすがにこの場でバトルロワイヤルを繰り広げるつもりはないようだった。
ようやくまともに話が聞けそうだ。そう思った聡一はベルナスを制するように口を開く。
「ところで、貴方がこの馬鹿騒ぎに割り込んでくる理由をまだ聞いていないのですが?」
「……おっと、これは失礼しました」
まるで、聡一がこの場にいることを"今思い出した"ような口振りに、聡一とファスティオを除く女性陣が顔を顰めた。
ベルナスの傲岸不遜、慇懃無礼な態度に嫌気が差しているのは傍目から見ても十分に明らかである。
「単純な話ですよ。所謂一目惚れです」
彼女達の怒気を孕んだ視線を嫌というほど感じているだろうに、それを気にする素振りすらみせず、ベルナスは柔らかく言い放った。
「はい?」
セフィーアが「堂々と何言っちゃってるの、この人?」と、可哀想な人を見る目でベルナスを見つめる。
「昨日、彼女に初めて声を掛けたときから、その群を抜いた美しさに魅了されてしまいましてね。ぜひもう一度お会いしたいと願っていたのですよ。そしたら、こんな公衆の面前で貴方達が火花を散らしているではありませんか。その理由がセフィーア嬢を巡ってのことだというのですから、これは僕も混ぜて頂かなくては! と、そう思った次第です」
まるで運命の女性に出会えた今日という幸運を噛み締めるように、舞台役者さながらの爽やかな笑みを浮かべるベルナス。
周囲の冒険者達……主に女性から、嬌声にも似た熱い吐息が漏れる。
金髪碧眼の美丈夫というのは、何をしても絵になるものだから性質が悪い――そんな嫉妬めいた思考を頭の隅に追い払いつつ、聡一は罪人を値踏みする冷酷な処刑人のように目を細めた。
一目惚れ? 笑わせるな。お前のその目付きは恋に焦がれる人間のソレじゃない。
――幼少の頃から培ってきた聡一の観察眼は、ベルナスの台詞と態度に含まれた嘘を冷徹に見抜いていた。
「人が誰かに恋をする……それに理由が必要ですか?」
「………………」
尤もらしいことを仰々しくのたまいながら、ベルナスがこちらに歩み寄ってくる。その青い眼に捉えるのは、困惑したセフィーアの姿――。
「…………やだ」
セフィーアは右手を聡一の外套から上着に移し、心細げに握ってくる。
いつからだろう。いつも毅然としていた彼女が、こうも人前で動揺する姿を見せるようになったのは。
――心が軋みをあげる。
「愛しの君よ。僕が勝った暁には、どうか祝福の口づけを……」
背中がむず痒くなるようなキザな台詞を呟き、屈んでセフィーアの手を取ろうとする。
本人の意思などまるで関係なく、自分の都合のいいように舞台を整えていく第三者の傲慢さ。それを煽る周囲の有象無象。
加えて――
『なにあの女? せっかくベルナス様に目を掛けていただいてるっていうのに、あの態度、うざくない?』
『ホントよね。なんかずっとフード被りっぱなしで気味悪いし』
『死ねばいいのに』
『大会登録してないようだし、隙みて襲っちゃおうか?』
『やめときなさいよ。どっちにしろバレたらあとが面倒じゃん、それ』
ひそひそと、声音を抑えて。されどセフィーアの耳にはしっかりと届くように放たれた、小虫のように集る女冒険者達からの悪辣な罵声。
それらが全て自分に集約しているのなら、まだ我慢できた。だが、彼女達の標的は聡一が護ると誓った女性……彼にとって掛け替えのない命の恩人である。
場の雰囲気に酔ったギャラリーからの散々な言われようは、身体能力はともかく、精神的にはただの一青年でしかない聡一にかなりのストレスを蓄積させた。
「――すぅ……はぁ……」
溶岩のように熱を持って猛り狂う怒りを鎮めるように、聡一は深く呼吸を繰り返す。
フードで顔を隠しておいてよかったと再びながら思った。フードがなければ、今頃、頬をヒクヒクと歪ませたブサイク面を衆目に惜しげもなく晒しているところだった。
「「………………」」
後ろを振り返れば、ユウとフェルミが彼らのやり取りを眺めつつ、怒りを押し殺すように沈黙している――俯くセフィーアを庇うように抱き締めながら。
ファスティオに至っては何やら意味深な顔で頷くと、肩と首を回し始めた。明らかに準備運動だ。
ぎゅっと上着を握る手に力が込められたのを感じ、聡一の中で何かが切れた。
――ファック、もう我慢の限界だ。
「その御手に、僕は勝利を誓い――ッ!?」
慌てて後方に飛び退るベルナス。その瞬間、彼がいた場所に大剣が突き刺さる。
突然の剣閃にセフィーアはビクリと肩を震わせ、ユウ達も目を見開いた。
それに続いてファスティオがランスを引き抜くと、大盾の平たい尻を思い切り地面に打ちつける。
――地面を震わせる衝撃と乱暴な金属音が耳朶を叩く。
時間が止まったように、周囲の息遣いが消えて無くなった。
「いい加減、鬱陶しいんだよ!!」
怒気を乗せた聡一の恫喝に慄き、周囲の冒険者達は一歩その身を後退させた。
「勝手にごちゃごちゃと盛り上がりやがって……聞こえよがしの陰口とか、学のない馬鹿餓鬼かテメェらはッ! つーか、セフィーアは誰にも渡さねぇって昨日言っただろうがッ!!」
『――ッ!』
「「……ほぉ」」
思わず唾を飲み込む野次馬の群れ。
頬を直に叩くような裂帛の気合に、ベルナスとロシーグは意外そうに眉の端を上げる。
――強風が吹き荒れ、聡一のフードが脱げる。
ロシーグとベルナスは、その瞳に一瞬、紅光を見たような気がした。
「お前らの自己中心的な思考は気に食わねぇけど、フィーアの為なら決闘だろうが何だろうが全部受けて立ってやるよ――だから、とっとと失せろ」
「……よろしい。貴方のその顔を恥辱に歪ませることができる大会当日を、楽しみに待つとしましょう」
「へへっ! 衆目の前でそんだけ大見得切ったんだ、失望させんなよ?」
片や忌々しそうに散っていく有象無象の冒険者達と、片や楽しそうに退散していく2人の冒険者には見向きもせず、もうこの場に用はないと言わんばかりに聡一は仲間すらその場に置いて受付へと歩いていく。
慌てて追いすがるセフィーア達だったが、聡一はしばらく無言で歩き続けたあと、唐突にその場にしゃがんで頭を抱えた。
「そ、ソーちゃん?」
「ソーイチさん!?」
「どうしたっ!」
焦ったように声を掛けて、体調を心配するユウ、フェルミ、ファスティオの3人だったが、聡一から返ってきた一言に思わず拍子抜けした。
「やっちまった。恥ずい。もう死にたい」
「「「…………ぷっ」」」
「貴方達、他人事だからって笑ったね? 笑いやがりましたね? 許さんっ!」
「「「頑張れ」」」
「おいぃぃ?」
叫ぶ聡一に、失笑する3人……他愛もない仲間達のふざけ合い。
「………………」
そんな彼らのじゃれ合いに加わることなく、皆から数歩後ろに離れて佇むセフィーアは、秘かな自慢の一つである翡翠色の瞳を潤ませつつ頬を朱に染め、切なげに聡一を見つめていた。
――そんな彼女の眼差しに、彼が気付くことはない。