第30話 冒険者の街<アンレンデ>
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします
馬の嘶き、蹄が地面を鳴らす音。
様々な馬車が街中を行き交い、石で均一に整えられた道に跡を残していく。
食べ物やらその他諸々を扱う商人が客引きの為に張り上げる声は皆決まって、安い、上質、手に入るのは今だけといった謳い文句。
ちょっと道角で立ち止まって知人同士で談笑を楽しむ住民、昼間から酔っ払い同士の罵り合いで剣呑な雰囲気を露呈する酒場等々。
それらを霞ませるかの如く、所狭しと立ち並ぶ武器、防具、魔装具、装飾品の露天商の数々が目を楽しませる。
そればかりか、一獲千金の宝の地図、歴史に名を残す勇者の遺物といった如何にも怪しげな代物まで取り扱ってる商人すらいるのだから、感心するやら呆れるやらで眺めていて飽きない。
なかにはそういう商品を巡って、その場で簡単なオークションまで始めている連中もおり、今まで立ち寄ってきた街や村とは一味違った雰囲気と活気で溢れていた。
何より、道を往来する人々の大半が冒険者という光景も、他国では見れない独特の景観といえるだろう。
生を謳歌する人々の活力が、快活な声音に乗って街全体に響き渡る。
――ここは神聖アークレイム教国とミネベア連邦共和国、双方の領地を取り入れて作られた冒険者ギルドが管轄する世界で唯一の自治区、アンレンデ。
リベヌ村を出発し、道中何事もなくこの地に辿り着いた聡一達は馬車と馬を公共の駐車場に預け、たくさんの冒険者に混じって通りを歩いていた。
「予想以上に賑やかね」
街の雰囲気に圧倒されたセフィーアが感心したように呟く。聡一も声には出さないが、激しく同意見だった。
「今のアンレンデは武芸大会前で人が集まってるからな。普段以上の賑わいを見せるのも当然だろう」
「武芸大会?」
聞き慣れない単語を発するファスティオに聡一は眉を顰める。それをフォローするようにフェルミが補足を加えた。
「武芸大会とは、専用の大闘技場で開催される催し物のことです。大会にエントリーした冒険者同士が闘技場を舞台に戦い、互いに優勝を目指します。試合形式には個人戦と団体戦があり、個人戦は一対一、団体戦は1チーム最大8人まで。2年に一度しか開催しない行事というだけあって、有能な冒険者の勇士を一目見ようと毎回この時期は凄く賑わうのですよ」
なるほど、と聡一は納得する。聖都リシティアでユウが言っていたお祭りとはこのことだったらしい。ふとユウに目を向けると、視線を感じた彼女が聡一を見やり、ウィンクをしてみせた。
苦笑しつつ、聡一は肩を竦める。
「んじゃ、皆で観戦する為に今のうちに席の予約でもしにいく?」
「え? ソーちゃんはエントリーしないの?」
「するワケないじゃん。メンドーだし」
ユウの戸惑うような声に何を言ってるんだと呆れてみせた聡一は、そこで周囲と自分との間にある空気の温度差に気付いた。
「――え?」
「え?」
「え?」
「え?」
「む?」
最後の「む?」は明らかに場の空気を読めてない発言と見做してスルーする。
「いやいや、大会に参加なんてするワケないでしょーよ。俺、観戦する方が好きだし」
「……えー」
「えーじゃない」
「ぶぅ」
「頬膨らませてもダメ」
「私、ソーイチさんのカッコイイ姿が見たいです!」
「煽ててもダメなもんはダメ。ていうかなんでファスティオには何も言わんの?」
ユウ、セフィーア、フェルミの順番に拒否した聡一は矛先を向けるようにファスティオへと話を振る。
聡一のSOSを見て取ったファスティオは苦笑しながら皆の顔を見回す。
「ひとまずエントリーのことは置いておくとして――武芸大会の話で盛り上がるのもいいが、まずは宿を確保しないか?」
「ですよねー。俺もそれを言おうと思ってたんだよ」
しれっとした顔で堂々と言い切る聡一を若干冷めた瞳で見つめながら、一行は空いている宿へと歩を向ける。
「でも、今だからこそ宿屋はどこもいっぱいかもね~。泊まる場所を見つけられなかった人の為に、公共の公園が期間限定で無料解放されてるくらいだし」
「そこに自前のテント張って寝泊まりするってこと?」
「いえーす」
セフィーアの問いにユウは少しテンション高めに答える。祭りを控えた街の楽しそうな雰囲気に当てられたのかもしれない。
だが、言ってることに間違いはないようで、そこかしこに見受けられる宿屋兼任の店はその悉くが【満室】の札を掲げている。儲かってますよー!という店側の歓喜の意がこちらまで伝わってくるようだ。
「それでは、まずは宿屋を探す。泊まれる宿屋がなかったら公園でテントを張る場所を確保する。そしたら近場の宿屋で風呂だけ利用させて貰えるように交渉するという流れでよろしいですか?」
上手く纏めたフェルミの提案に皆が頷き、適当な宿屋に向けて多くの人間がごった返す通りを歩き出す。
しかし、目に付く宿屋はどこもかしこも満室の札が掲げられており、5人で泊まれそうな場所はなかなか見つからない。
宿は諦めて公園に向かおうかと皆が考え始めた矢先、一際視力が高い聡一が満室の札が掛かっていない宿屋を見つけた。その大きく壮麗な外観からして、宿屋というよりもホテルと呼称した方がしっくりくる。
「あ、あっちの大きいホテルなら部屋空いてるかもよ」
「行ってみましょう」
セフィーアの声に従ってホテルに辿り着いた一行は、この世界では珍しくガラス張りの大扉を開けるとロビーを抜けてカウンターを目指す。
どうやらこのホテルは自治区の役員が直接運営しているらしい。内装は豪華な雰囲気を演出しつつも出しゃばり過ぎない程度に抑えられ、数々の調度品や大きなシャンデリアによって整えられていた。
如何にも高級ホテルといった雰囲気である。
「いらっしゃいませ。グランドホテル・アンレンデへようこそ」
業務用のスーツを着込んだ男性スタッフに丁寧な仕草で出迎えられ、聡一は内心で緊張した。
それはユウとフェルミも同じらしく、きょろきょろと室内を物珍しそうに見回しては、お互いを見合わせるといった行為を繰り返している。傍目から見ても全く落ち着きがない。
セフィーアは皇国公爵家の御姫様なのでさすがに慣れているようだが、意外なのはファスティオだ。
ポーカーフェイスで緊張を誤魔化している様子もなく、本当にこういった場に慣れている節が見受けられる。
その事を不思議に思いながらも、聡一は深く気にせずにカウンターの前に立ったセフィーアを見守った。
「5人分の個室をとりたいのだけど、空いてる?」
『申し訳ございません。当ホテルの個室は全て満室となっております』
「まぁこの時期だし仕方ないわよね……。なら、女3人男2人でそれぞれ泊まることはできる?」
『誠に申し訳ございません。実のところ、空いているお部屋は6人用の大部屋1つのみとなっておりまして……』
そう言って男性スタッフは入り口の方を向く。彼の視線の先には【満室】の立て札を抱えた別のスタッフが待機しており、こちらの様子を見守りながら立て札を掲げるタイミングを見計らっていた。
「あら……それは想定外――どうする?」
振り返って皆の意見を仰ぐセフィーアは、自分はここでも構わないと語尾に付け加える。
独断で断らないことから、6人一部屋でも公園で野宿するよりはマシと考えているようだ。背に腹は代えられないといったところか。
「いや年頃の男女が相部屋ってのはさすがに――」
色々と無理があると言おうとした聡一の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
「あたしは問題ないよー」
「――あれ?」
ユウの楽しそうな声に聡一は首を傾げる。
「私もセフィーアさんがここでいいと言われるのなら文句はありませんが……」
「――あれ?」
フェルミはどこか咽喉に物が詰まったような言い方をするが、それは男女一緒云々の件ではなく、皆の宿代を纏めて払うつもりでいるセフィーアに遠慮しているだけらしい。
見るからに一泊の値段が高そうなホテルなので、彼女の気持ちは大いに理解できる。
「俺もここで構わないぞ」
「――あれ?」
何も問題はないと態度で現しているファスティオに「いやお前は男なんだから少しは気にしろよ」と心の中で突っ込んだ聡一は、自分だけが相部屋に躊躇しているという現実に首を捻った。
「なにこれ、おかしくね? え、おかしいのは俺……?」
「なにブツブツ言ってるの。で、ソーイチはどうしたい?」
「いや……皆がここでいいって言うなら俺も特に反対はしないケド……」
「決まりね――部屋の用意をお願い。宿泊期間は1週間。宿泊費は前払いで」
『畏まりました』
頷いたスタッフは手早く羊皮紙をカウンター下から取り出すと、羽ペンを添えてセフィーアに差し出す。
『ここに代表者様のお名前をご記入ください』
「ん」
ペンを取ったセフィーアはさらさらと流れるような手付きで名前を書き込んでいく。
それを見守っていた聡一はふと背後からこちらに足を向けてくる気配を捉えるがとりあえず無視した。
近づいてくる気配がセフィーアを意識していることまで掴んでいたが、殺気などの類はなかったので敢えて気にしないことにしたのだ。
今にして思えば、フードを被った後ろ姿にも関わらず何故相手がセフィーアを意識していたのか、そこを勘繰るべきだった。
「はい、これ――キャッ!?」
「どきな」
「「「「――ッ!?」」」」
羊皮紙を差し出そうとしたセフィーアを乱暴に突き飛ばした闖入者の男は羽ペンを取ると、ガリガリとセフィーアの名前を線で潰し、そのすぐ上の欄に自分の名前を書き込んでいく。
長く逆立った茶髪に髪と同じ色の瞳、相手を無意味に威圧する鋭い眼つきが特徴的な男であり、腰に片手剣を携えている。
使い古された軽装鎧に刻まれた細かな傷が、踏んできた場数の多さを分かりやすく教えてくれていた。
不意打ちのように突き飛ばされ、堪らずよろけるセフィーアを咄嗟に抱き留める聡一。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
何故自分が突き飛ばされたのか理解できず、縋る様な眼差しで聡一を見つめるセフィーア。
脅える彼女の姿を視界に捉え、聡一は瞳にゾッとするような冷たい光を湛えていく。
「ちょっと! いきなりなんてことするのよっ!!」
あまりに非常識な光景に茫然としていたユウはすぐさま我を取り戻すと、礼儀知らずな闖入者を思い切り睨みつけた。
ファスティオが身を乗り出し、フェルミはセフィーアの横に付く。
「――あ? なに? なんか文句あんの?」
闖入者の男は両脇に娼婦のような格好をした若い女2人を侍らせ、その胸を人目も憚らずに揉みしだきながら、不遜な態度で聡一達を蔑視する。
道徳という文字に唾を吐きかけるような行為に思わず周囲の人間の表情が歪む。
「セフィに謝れ! それから紙を返せ! 先に部屋を契約したのは私達なんだから!」
「何言ってんだよ、コイツが提出する前にこうやって上書きしてやったろーが。だから部屋の権利は俺様のモンだ」
「こ、この……ッ!」
激昂したユウは腰の剣に手を添える。それを見て闖入者の男は嫌味を上乗せした汚らしい笑みを浮かべた。
それからセフィーア、ユウ、フェルミの順番に、下卑た瞳で上から下へじっとりとした視線を流す。
「テメェら揃ってフード被ってっからよくわかんなかったけどよ、よく見りゃかなりの……いや、滅多にお目にかかれねぇ上玉じゃねぇか。特に俺様が突き飛ばしたそこの蒼い髪の女、マジ好みだぜ――よし! そこの女3人、俺様と一緒に来な。これから部屋でたっぷり可愛がってやるからよ。勿論、朝までな」
――全身を隅から隅まで舐め回されるような気持ちの悪い視線。
これまでに感じたことのない嫌悪感と寒気と吐き気を覚えたセフィーア達は、生理的な恐怖から慌てて聡一とファスティオの後ろに隠れた。
男の視線を阻むように、聡一とファスティオは一歩前に出る。
「あ? んだテメェら。邪魔だ、どけ」
「どくワケねぇだろ、このボケが」
珍しく汚い口調で男を罵倒する聡一に皆一瞬驚いた表情を見せるが、彼の瞳にいつもとは違う不気味な光が宿っていることに気付くことなく、すぐに視線を男に戻す。
「ほぉ? この俺様に対して随分ナめた口利きやがるじゃねぇかよ。テメェ、誰に喧嘩売ってんのかわかってんのか?」
「知るか」
「おいおいおい! 俺様のことを知らないなんて、テメェはとんだ無知だな! まぁいい、せっかくだから教えといてやる。俺様の名前はロシーグ・バンデストリ、A-ランクのボ・ウ・ケ・ン・シャ・サ・マだ。よーく覚えとけ」
自尊心たっぷりの大仰な仕草で自分の正体を明かすロシーグ。遠巻きに聡一達を観察していた周囲の野次馬達は、Aランクという言葉を耳にした途端に顔色を真っ青に変色させていく。
Aランク冒険者といえば、ギルドに登録されている冒険者でも1割に満たない超一流の実力者である。
ギルドにとっては非常に貴重な戦力となり、国にとっては非常に脅威的な存在である為、件のランクにいる冒険者が多少の問題事を起こしても、双方から黙認されるというのは有名な話だ。
伊達や酔狂、ましてや運頼りでなれるランクではない。
しかし、聡一は目の前の愚劣な冒険者を全く脅威として捉えていなかった。
ロシーグの立ち振る舞いや歩き方、呼吸の仕方等から、実力は自分には程遠く、ユウとファスティオにも大きく劣る――と持ち前の観察眼でとっくに看破していた。
Aランクという高位の次元にありながら、自分と相手との実力差を理解できていない。否、自分の優位を信じて疑わず、敵を見ようともしていない。
その慢心が彼の実力を大きく貶めているのだろう。
「世の中にはああいうのもいるんだねぇ……」
「典型的な井の中の蛙という奴だな」
それを理解した聡一は相手にするのも馬鹿らしくなり、ファスティオに視線を送る。
ファスティオもロシーグの実力を見切り、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「あいつ、大して強くないクセに自尊心強すぎぃ……」
ユウも実力で自分が負けることはないと悟っていたようで、ポツリとそんな言葉を漏らす。
ただ、女の身としては紛れもない恐怖の対象らしく、自らの腕で抱き締める身体は細かく震えていた。
「んで、そこの黒いの。テメェは俺様に対して随分な態度をとってくれやがったな。本来なら死刑だが、そこの女共を素直に置いていくっつーなら今回だけは特別に見逃してやってもいいぜ?」
「寝言は永眠してからほざきな」
売り言葉に買い言葉、背筋が寒くなるような応酬に野次馬達がその場から一歩遠ざかる。
それと同時にロシーグの顔から笑みが消えた。
「……おい、二度は言わねぇぞ。そこのデカイのもだ。とっとと女を置いて失せろ」
十分に殺気の篭った台詞が静まり返ったロビーに木霊する。
聡一は額に青筋を浮かべているロシーグに向けてニヤリと強気な笑みを返すと、くるりと背を向けて固まっているセフィーア、ユウ、フェルミの3人に向かって歩き出した。
突然の謎の行動に理解が追いつかない3人はきょとんとした顔を見せるが、聡一は気にせずに大袈裟な歩調でずんずん近づいていく。
そして、そのまま纏めて抱き締めた。
「「「――~~ッ!!?」」」
大勢の観衆の前でぎゅーっと抱き締められた女性陣は当然の如く顔を真っ赤に染めるが、どうやら聡一の目的をちゃんと理解したようで、抵抗せずにされるがままを貫いた。
その様子をファスティオは面白そうに眺めるだけで、勿論止めようとはしない。
数秒間、女性特有の柔らかい感触と香りを3人分纏めて堪能した聡一は彼女達をそっと解放すると、再びくるりと身を翻し、唖然としているロシーグに余裕の笑みを向けた。内心で「役得役得! うほほーい!」などと興奮していたのは死んでも秘密である。
「この3人は俺の女だ。お前のような男の出来損ないに触らせるワケにはいかねぇんだよ」
「……テ、テメェぇぇ」
聡一は、犬歯を剥き出しにして殺気を垂れ流すロシーグに向けて左手を前に差し出し、中指を立てながらくいくいっと自分の方に折り曲げる。
「欲しけりゃ力づくで奪ってみな」
「――コロス」
ボソッと暗い声が聞こえると同時に一筋の銀光が聡一の首目掛けて迸った。
ぴぃっと鋭く空気を切りながら迫る"銀色の線"。
それを聡一は軽く屈んで攻撃を避ける。ロシーグの殺気の膨れ具合と呼吸を完全に読んでいた為、自慢の反射神経を駆使するまでもなかった。
そして、反射神経と同じく常軌を逸した動体視力は常人には線すら見えないロシーグの武器の全貌を完全に把握するが、如何せん聡一は件の武器に関する知識を持ち合わせておらず、言葉にしようがなかった。
云わば鞭独特の撓りと剣の刃を合体させたような武器――分かり易く説明すれば、無駄に細く長い剣が鞭のように撓る代物だと考えればいい。
ただし、刃そのものが鞭のように撓るというワケではない。
細いワイヤーによって繋がれた一つ一つの小さな刃が規則正しく整列し、一見すれば少し凸凹した普通の剣のようにも見える。
だが、実際は状況に応じて刃を分離させることで、予想だにしない軌道を持って相手を斬り裂くという奇怪で邪な剣である。
通常の剣のように用いることもできれば、ワイヤーの操作で刃を分離させて、その殺傷範囲を何倍にも広めることができ、さらには鞭のように相手を絡め捕ったりもできる万能武器だ。
聡一の元いた世界には存在しなかった、完全にファンタジーの中の産物。どういう仕掛けになっているのかなど見当もつかない。
「ぶっちゃけオーバーテクノロジーだろこれ……」
聡一の独白は誰の耳にも届くことはなく、代わりに耳障りな奇声がロビーを支配する。
「偶然とはいえ、まさかお前如きが俺様の鞭剣の一撃をかわすとは思わなかったぜ。カカカッ! これであと数十秒は生きられるなぁおい! どうだ! 嬉しいか!?」
頭を引っ掻かれるような不快感に顔を顰めつつ、聡一はロシーグの技量を秘かに評価していた。
鞭剣の熟練度――彼の扱い方は決して一朝一夕で身に付く技術ではない。それこそ、血反吐を地面にぶちまけるような訓練を積んできたのだと容易に理解できる。
こんな性格でなければ、一冒険者として尊敬と称賛の念を送りたいところだった。
だが、現実は違う。聡一は頭の隅の生温い思考を切り捨てると、じっとロシーグと己の間合いを計った。
予測不能とまではいわないが、奇怪な軌道をもって襲いくる刃先はなかなか厄介だ。熟練の剣士でも初見で無傷のまま対処するのは難しいだろう。
だが、どんなに特殊な武器でもそれぞれ"特性"と"弱点"いうものが存在する。
「ま、正当防衛成立ってことでいいよな」
聡一は口の端を僅かに歪めてツヴァイハンダーに手を掛ける。
騒ぎを起こしたあとの対策はどうしようかと一瞬だけ頭を悩ませるが、瑣末な問題だとして、考えることを放棄した。
肩を下げての疾走体勢に入り、ふっと息を止めたその瞬間――
『そこまでです!』
鋭い声が静まり返ったロビーに響き渡る。
その場の全員が何事かと声がした方向へ視線を向けると、カウンターのすぐ左脇にある2階へ続く階段の折り返しスペースに一人の青年が立っていた。
青年はキラキラと輝く金髪に透き通るような碧眼を持ち合わせた文字通りの美丈夫であった。
チェインメイルの上に白銀と金色の装飾を施された金属鎧、鞘に収められたブロードソードと思われる大型の剣――如何にも女受けしそうな白馬の王子様だ。
「あ? ――テメェは確か……ちっ」
ロシーグは階上の美丈夫を知っているようで、忌々しそうに舌打ちすると、鞭剣を鞘に収めた。
「しゃあねぇな、予定変更だ。どっかの路地裏で一発ヤッてから適当な宿捜すぞ」
「えーヤダ~」
「ロシーグ様ったら、とんだエッチなんだからぁ~」
ごねながらも楽しそうにじゃれ付く痴女2人を連れてホテルを出ていったロシーグを周囲は沈黙のまま見送り、その姿が見えなくなってから野次馬達はようやくホッと一息吐いて解散していった。
残された聡一達は何ともいえない面持ちで互いの顔を見合わせると、疲れたように溜息を吐く。
「――最低……」
その際にポツリと零された台詞が誰のモノだったかは関係ない。それはここにいる面子全員の心の声と同義だったのだから。
「大変な目に遭われましたね。御気の毒に」
靴音を鳴らしながら先程の青年が声を掛けてくる。
並びの良い白い歯を輝かせながら、実に爽やかな笑みを浮かべていた。「絶対に気の毒に思ってないだろ」と聡一が小さくツッコミを入れてしまったことは本人には内緒だ。
「事態の収拾にお力添え頂き、感謝申し上げます」
セフィーアが礼を述べて小さく頭を下げ、次いで横に並んでいたユウとフェルミも頭を下げる。フェルミは持ち前の律義さから、ユウは完全にノリだという違いはあるが。
「お気になさらず。美しいレディ達を護るのは男の役目ですから」
そう言うや否や、青年は膝を折って屈むと3人の手の甲にそれぞれ口づけしていく。
予想だにしなかった行動にユウとフェルミは目を丸くした。セフィーアだけは慣れているようで、大した反応は見せなかったが。
信じられない光景を見た聡一は、驚愕のあまり思わずひそひそ声でファスティオに話しかける。
「すげー……あの人、初対面の女の子相手に何の臆面もなくチューしちゃったよ」
「そうだな。あの立ち振る舞いを見るに、恐らく貴族なのだろう。現役か元は知らんが」
「何で見ただけでわかるのさ? ただ気取ってるだけのイケメン兄ちゃんってだけかもしれないでしょうよ」
「イケメンという言葉の意味はわからんが、あの洗練された動きは素人の見よう見真似の域を超えている。十中八九、間違いないと思うぞ」
「ファスティオも誰かの手にチューしたことあるん?」
「片手で数えられる程度だが、一応はな。さすがに誰彼構わず口づけられる程の気概は持ち合わせていない」
「なるほどなるほど、ファスティオも貴族の出なんだ。もしかして結構位高い?」
「……ふっ、少し喋り過ぎたか。まぁ少なくとも今の俺は貴族などではなく、ただの一冒険者に過ぎんよ」
聡一とファスティオがそんな会話を繰り広げている間に、青年との話を切り上げたセフィーアが再びカウンターに赴き、宿泊の手続きを再開する。
青年はセフィーアの後ろ姿を数秒眺めると、視線を聡一に移した。
「…………」
「?」
青年は聡一を品定めするように少しの間じっと見つめていたが、しばらくして軽く会釈すると背を向けてホテルの外へと向かっていった。
「えへへー。手の甲にキスされちゃったぁ~」
そのことに聡一が疑問を抱く間もなく、ユウがてこてこと歩いてきた。その顔には満足気な笑みが張り付いている。
「よかったねぇ」
どうでもよさそうに相槌を打つ聡一に、ユウは満足気な笑みをにんまりとした嫌らしい笑みに変更すると、舞台役者のような仕草で言った。
「あれれぇ? 今さっき私達の事を『この3人は俺の女だ』なんて豪語してたクセに、嫉妬の一つもみせてくれないなんて、あたし悲しいなぁ」
「ちょ! あれはあくまでも相手を逆上させるための小芝居で――」
「あははっ冗談だって! ソーちゃんってこういう攻め方に弱いんだね。可愛い!」
「むきぃ!」
顔を真っ赤にして地団太を踏む聡一を見て楽しそうに笑うユウ。
「あまりソーイチさんをからかっては可哀想ですよ、ユウさん」
「わかってる。気分を上げるためにちょっとふざけただけ。あぁ~……それにしても、さっきの奴にはもう二度と会いたくないわぁ」
「同感です。こう言ってはアレですが、あまりお近づきになりたくないタイプの男性でした」
先程のやり取りを思い出し、渋い顔をする2人に聡一は意地の悪い笑みを向ける。
「そういうこと言ってると、また会うことになっちゃうぞ~」
「それはどういう意味ですか?」
「言葉には言霊っていう不思議な力が宿っていてね、声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えるって信じられてるんだぜぃ」
「そんな話は聞いたことありませんが……」
「ま! 確かに嘘くさいっちゃ嘘くさいケドさ。とにかく、もうあいつのことは忘れよう。これだけ広い街だし、あっちから出向いてこない限りまた会うなんて偶然はないでしょ」
行動範囲が狭いと鉢合わせてしまう可能性もあるが、この時期は通りに多くの人が往来している。ロシーグの気配を覚えた聡一は、先に見つかる前に人混みに紛れて相手との遭遇を回避する自信があった。
それでもユウは浮かない顔をする。
「なんかあっちから出向いてきそうな気もするケド。セフィのこといたく気に入ってたみたいだし」
「大丈夫。その時は容赦しないから」
聡一はしれっと言い切った。
「ソーちゃんってセフィのことになると性格変わるよね……」
「何言ってんのさ。対象がユウだったとしても俺がやることは変わんないって。俺の大切な人に手出しをさせるつもりは毛頭ない」
「え……?」
さり気ないカミングアウトに目を丸くするユウ。聡一は自身が口走ってしまった言葉の意味を深くは自覚していないので、特に様子は変わらない。
「ん? どうしたユウ、顔赤いよ? 熱でもあるんじゃ――」
「な、なんでもないよ! うん!」
そっと掌を伸ばしてくる聡一から逃げるようにユウは距離を取る。聡一は少し傷ついたような顔をしたが、すぐに気を取り直した。
そこへそわそわとした様子のフェルミが思い切ったように声をあげる。
「あ、あの! 仮に私がさっきの男に言い寄られた場合は……?」
「愚問です。指一本触れさせない」
「――!」
パアッと嬉しそうに表情を輝かせるフェルミの様子にユウは軽く舌打ちする。
実際のところ、好意云々を別にして、フェルミは聡一の大切な人という枠に自分もいるという事実を純粋に喜んでいただけなのだが……。
聡一は普段とは違う彼女達の様子に首を傾げるが、特に気にすることはなかった。空気は読めても、こういう事に関しては破滅的に察しが悪い男である。
「――部屋、とれたんですけど?」
場の空気がどんどん可笑しな方向に傾き始めた時、手続きを済ませたセフィーアが静かに言葉を紡いだ。
ホテルのスタッフに新しく用意された羊皮紙に必要事項を書き込んでる間も、全ての会話を聞いていたのだろう。ルームキーを指でくるくる回す彼女の顔は笑っていたが、目だけは全く笑っていなかった。
「「「………………」」」
「え? なにこの空気?」
自分の不用意な発言が原因とも知らず、聡一はとぼけた事をのたまう。
「……若いな」
ファスティオだけはそんな彼女等から一歩離れたところで苦笑するのだった。
◆◆◆
思い掛けないハプニングに見舞われつつも、どうにかこうにか当分の宿を確保した一行は早速宛がわれた部屋に足を踏み入れた。
室内は予想以上に広々としており、想像に反して聡一のいた時代にもありそうな洒落た雰囲気の内装だった。
「きゃっほー! わぁ! ふかふかだぁ……」
と、子供がはしゃぐような声をあげて真っ先にベッドにダイブしたのはユウ。
「きゃ、きゃっほぉ! わぁ、ふかふかですぅ……」
それに続いてフェルミもベッドに頭からダイブする。遠慮がちだったが、しっかりと実行するあたり意外と子供っぽいところがあるようだ。
「やっぱ和室はないか……」
「和室?」
「いや、こっちの話」
純血の日本人である聡一は和室がないことに少し気落ちする。この大陸に和室など存在するワケがないのだが、部屋の内装が現代の高級ホテルに通じる部分があるので、頭では否定しつつも心が期待してしまったのだ。
「それにしてもエレベーターがあるなんて思わなかった。ちょっとビックリだ」
「そうだよねぇ。あたしも初めて見たよ~」
聡一の驚きとユウの驚きは方向性が違うのだが、2人は互いに頷き合った。
聡一達が滞在することになる部屋はホテルの5階にあり、ここに来るまでは魔法を動力とするエレベーターを利用した。色々な魔法の式を組み込んだ素材を複数組み合わせて使用することで、エレベーターとしての機能を維持しているらしい。
ちなみにこのホテルは1階から3階までが個室部屋で、4階から5階が多人数部屋になっている。最上階の6階はVIP専用らしく、一般客の立ち入りは禁止されていた。
「リビングにダイニング、ベランダ……個室風呂まで用意されているのか。かなり豪華だな」
6人が一度に入ってもまだ余裕がありそうな浴槽には、何かしらの動物の顔を模したらしい蛇口から常にお湯が供給されており、いつでも入浴できるようになっていた。ホテル側のサービスなのか数種類のハーブや柑橘系の果物がぷかぷかと浮いている。
それだけではなく、別室に簡易なサウナルームも用意されており、脇に小さな水風呂すら設置されている。
街の方を向いている壁と天井はガラス張りになっており、5階という高さも相俟って解放感が半端ない。
「このベッドルーム、格納されてる仕切り戸を使えば簡単な個室も作れるみたいね」
ベッドルームの入り口を上と見做し、左右に3つずつ配置されているベッドの壁にはそれぞれ木の引き戸が格納されており、天井には細長い金属の棒に巻かれた布が設置されている。
天井の布は、邪魔にならないようベッド脇に備え付けられた紐を操作することで、地面間近まで降ろせるように調整されているようだ。
リビングにはシックな黒塗りのテーブルを囲うようにして大きな皮のソファが配置され、ゆったりとくつろげるように配慮されている。
ダイニングの脇には数種類のドリンク、アルコール類を備えた小さな冷蔵庫があり、テーブルにはサービスの果物やお菓子が供えられ、いつでも自由に飲食できるようになっていた。
ガーデニングが施されたベランダでは、小さな庭園気分を味わえる。大きなテーブルに人数分の椅子もあることから、その気になればベランダで食事をとることも可能なようだ。
まさに至れり尽くせりである。
「これでVIP専用じゃないとか、上の階の部屋はいったいどうなってんだろ」
「部屋の広さと調度品やら細かな部分の質が違うだけで、ここと大して変わらないみたいよ」
「え? そうなの?」
聡一はスペースバッグを弄りつつ、セフィーアと何気なく会話しながら外套やら上着を脱ぎ、装いを身軽にしていく。
「なんでもこの部屋、上の階にVIPルームを企画する為の試作部屋だったらしいの。値段は変わらないけど、他の多人数部屋より色々と充実してるんですって」
「へぇ、ようするに当たり部屋ってことか」
「そういうコト」
自分が使うベッドの脇のハンガーに冒険服を丁寧に掛けていく聡一。
一通りやるべき作業を済ませた彼は替えの衣服をおもむろに手に取ると、ニヤリと口の端を歪めて、一目散に風呂場へとダッシュした。
「一番風呂は俺のモノだーっ!」
「「「――ッ!?」」」
聡一の叫びにハッとしたセフィーア、ユウ、フェルミは慌てて自分達も替えの衣服を手に取って風呂場へ走る。その時の彼女達は、揃って頭の上に某伝説の傭兵が敵兵に発見されたときの!マークを浮かべていた。
「せこいわよソーイチ!」
「ずるい! そういうのは普通女の子が先でしょー!」
「一番風呂は渡しませんっ!」
――その後、彼らの間で壮絶な一番風呂争奪戦が繰り広げられたのはいうまでもない。