第23話 食欲が減退する晩餐会
目が痛くなるような白い壁に大理石の床、天井には落ちてきたら即死は免れないであろう豪奢なシャンデリア。白いペンキで塗装された長テーブルの端々には蝋燭が灯され、木製の椅子に敷かれた柔らかいクッションが尻を包み込んでくれる。
落ち着かないらしく、どこかソワソワしているユウとは対照的に、セフィーアは慣れた動作で脇に佇む女性の神官に紅茶の催促をしていた。
ここは神聖アークレイム教国首都リシティアの中心にある聖霊殿の一室である。
教皇直々の勅命ということで、半ば脅迫紛いな一言と共に御呼ばれされた聡一達は渋々ながら定刻どおりにこの場を訪れていた。
名指しでお呼ばれされた当人である聡一は本気で教皇との面会をドタキャンしようかと画策していたのだが、セフィーアとユウが宿屋の窓からこっそりと逃走を謀る聡一を見逃すハズもなく、引き摺るようにして連れてきたという経緯は後々酒の席の笑い話の種になってくれるに違いない。
そして、そんな彼らを案内すべく聖霊殿の門前に現れた近衛衛士に連れられ、席に着いた聡一達の目の前に並べられたのは目を見張るような豪勢な食事の数々だった。
ただ、目を丸くしていたのは聡一とユウだけであり、セフィーアは特に反応を見せたりはしなかった。こういう食事の席には慣れているのだろう。
各々が席に着いてしばらくしたところで、聡一達が入ってきた扉とは別の扉が開かれた。
そこから姿を現したのは、煌びやかなローブと顔を隠す為に作られたらしい被り物を身に纏った一人の人間と、どことなく機械的な冷たさを感じさせる女性だった。
その脇を固めるように2人の男が従っている。腰には剣帯が備えられていることから、護衛の衛士だろう。一人は屈強な体格、短く逆立った白髪にゴツゴツとした岩のような顔立ち、その身に纏う鋭利な雰囲気から、十中八九隊長若しくは副隊長クラスの人物だと予測できる。だが、もう一人は筋肉質というよりも聡一に近い細身の体格の持ち主であり、サラサラの金髪に蒼い瞳からして一見すれば優男な風貌なのだが、常に薄く笑みを浮かべているその表情は少し不気味である。何を考えてるのかわかりにくいタイプの人間だ。
思考が読めない相手ほど怖気を誘うものはない。「わぁ、イケメンだぁ……」というユウの台詞は華麗にスルーし、聡一は真っ先に細身の男を警戒対象として認識した。ちなみに、決してそのイケメンぶりに嫉妬したワケではない。決してだ。
聡一の視線を感じ取ったイケメン衛士は、にこりと愛想良く微笑んでみせる。勿論、聡一の警戒は理解しているだろう。喰えない男だと内心で舌打ちをしつつ、聡一もお返しとばかりに"微笑んで"会釈してみせた。
「本日は急な呼び立てにも関わらずお越しいただき、感謝の意を表します」
室内を澄んだ声が静かに響く。聡一はイケメン衛士から視線を外し、声を発した主へと顔を向けた。
「私はアレイド・ステイシア・レーデンバーグ。神聖アークレイム教国の教皇を務めさせていただいています。お顔をお見せできず申し訳ないのですが、これも宗教上の規則でして。どうかご理解いただきますよう。そして私の隣にいるのが――」
「イリーナ・ラドミレンです。アレイド様より司教枢機卿の役を命ぜられております。以後、お見知りおきを」
教皇に促され、簡潔に自己紹介をするイリーナ。冷たい雰囲気を纏う女性だ。その美麗な顔立ちが、彼女の怜悧な印象をさらに強固にしているのかもしれない。
「さて、今宵は勝手ながらささやかな夕食を用意致しました。お話は食事をとりながらでも……」
それから食事が始まり、ところどころでグリアズ撃退を労う教皇の言葉が挟まれる。
被り物越しに食事をとるのはさすがに不作法だと考えているのか、アレイドは一切の皿に手をつけない。イリーナはそんな主に気を使うこともなく黙々と食事をとっているが、その様子はまさしく作業といった言葉が思い浮かぶほどに機械的だった。
これほど美味しくない晩餐もないだろう。
それはともかく、国のトップとナンバー2がどこの馬の骨とも知れない冒険者を来賓に迎えるという今日の会合は、少々きな臭いものがある。いくら来賓側に災害クラス兼要注意指定の魔物を撃退したという功績があったとしても、だ。
つまり、多少強引にでも"国のトップが直々にしたい話がある"ということだろう。
聡一は教皇の思惑を既に察している為、手早く話を終わらせて宿に帰りたいという思いしかなかった。近衛2人の聡一の一挙一動を見逃すまいとする視線も鬱陶しい。
(はぁ……メンド)
悟られないように溜息を吐く。とてもではないが、料理に手を付ける気になどなれるハズもなかった。自称グルメを気取る聡一だったが、いくら目の前の料理が魅力的でも、それを楽しめない食事に価値はない。
(それにしても、教皇の声、どこかで聞いたことあるような……)
若干ゲンナリしながらそんなことを考えていると、一向にナイフとフォークを持とうとしない聡一に対し、教皇が不思議そうに声をかけた。
「おや……お気に召しませんか? どれもウチの料理長が腕によりをかけて作った自慢の一品なのですが……」
「テーブルマナーに疎いもので」
教皇に対する礼儀が感じられない聡一の言い草に、屈強な近衛衛士がピクリと眉を顰める。だが、当の教皇は気にした素振りも見せず、被り物の奥でクスクスと笑いながら言った。
「マナーのことはお気になさらず、好きなように食べてくださって結構ですよ。私も堅苦しいのは好きではありませんし。ふふっ、そういう意味ではそちらの女性の食べっぷりは非常に好感が持てますね」
「ふぇ?」
どうやら自分のことを指されたらしいと悟ったユウは、もぐもぐと料理を租借しながら首を傾げてみせた。
はっきり言って女性らしくない品の無さだが、そこは育ってきた環境の問題もあるのでどうしようもない。
それよりも、必死に料理を口に運ぶユウの姿は木の実を口の中に詰め込むリスを連想させる。その愛らしくもどこか間の抜けた姿に、聡一は思わず飲んでいた水を吹き出しかけてしまった。
小さく咳き込む聡一をさりげなく半目で睨みながら、セフィーアは一旦ナイフとフォークを皿の上に置くと、教皇に対して口を開く。
「ところで陛下、今日はどのようなお話があって我々をこの場へ呼び寄せたのですか?」
「もう少し食事を楽しんでからでも遅くはないと思うのですが……まぁ彼もあまり居心地が良くなさそうですし、本題に入りましょうか」
聡一はそれまで仮初ながらも存在していた和やかな空気が一瞬で霧散したような気がした。
イリーナも機械的な食事の手を休めて、聡一達の方に顔を向ける。
「正式の場ではないですし、まだるっこしい前置きは必要ありませんよね? 単刀直入に言いましょう――貴方達を私直属の近衛衛士として引き入れたいと思っています。どうでしょうか?」
被り物越しからも伝わってくる真剣な眼差しが主に聡一を見据えてくる。
予想通りの展開に聡一はうんざりした気分になった。
――どうするかなど考えるまでもない。
◆◆◆
「う~む……清々しいまでにバッサリと切り捨てられてしまいましたね」
アレイドは聡一達が去っていった扉を見つめながら、残念そうに呟いた。
「ふん。冒険者風情にアレイド様の御心が理解できるハズもありますまい。私は寧ろこれで良かったと思っています」
アレイドの右脇に従う屈強な男、神聖アークレイム教国神殿騎士団を率いる騎士団長ギリアム・アーベスターは教皇に対して物怖じしない態度で言った。
「彼らの動向を監視しますか?」
イリーナはすぐに諜報班の人員を呼び出せるように準備するが、それをアレイドが制止する。
「それはやめておきましょう。家出中とはいえ、監視対象には皇国のお姫様も入ってしまいます。監視がバレたらさすがに面倒は避けれませんからね」
「わかりました。……というよりも、彼女の正体を知っていながら我々の側にスカウトするのは如何なものかと。下手をしたら国交の断絶に繋がります」
「まぁそのへんはなるようになれって感じでスルーするつもりでした。はっきり言って、皇国との関係維持よりも彼女の幻操士、及び治癒魔道士としての"能力"の方がよほど魅力的ですし」
きっぱりと言い切るアレイド。イリーナは自分の主の思考についていけず、重々しく溜息を吐いた。
「でも、このまま何もしないで放置しておくのも勿体ない話だと思いますけどね。やっぱり、何かしら弱みを見つけてでも強引に引き入れるべきですよ。見た限り、彼の腕は相当なものに見受けられました。控え目に評価しても、僕やギリアムさんを抑えるだけの技量はあると思います。二刀使いの女性も見た目とは裏腹になかなかの腕の持ち主のようですし、彼らさえ手に入れば、状況次第では帝国に対しての【切り札】になると思うのですが」
ギリアムとは反対側、アレイドの左脇に付き従う優男風の男、教皇直属の近衛衛士隊長であるエスターク・シュバルツは、テーブルの上に手付かずで残された料理を自前の皿に盛りながら言った。
「おい、教皇の御前――……」
仮にも教皇の前であまりに不遜なその態度にギリアムは注意を促そうとするが、アレイドは全く気にする素振りをみせないばかりか、自らも被り物を脱ぎ捨て、エスタークに遅れをとるまいと残った料理の処理に勤しむ始末である。
「そうは言っても振られてしまったのは事実ですし、今更どうこう言っても始まりません。とりあえずは彼らの旅路に女神アストレア様のご加護があるようお祈りしつつ、我々は目の前にある料理を片付けてしまいましょう。気合を入れて作った料理をほとんど食べてもらえなかったと知ったら、料理長が泣いてしまいます」
教国のトップが残飯処理をするという眼前の光景に若干呆れつつ、ギリアムも渋々と皿を手に取った。