第19話 悪鬼の足音――その1
――刀はガキが軽々しく持つもんじゃねぇんだよ。帰りな
――ヤダ
――ヤダって……つまらん駄々こねてないでさっさと家に帰れ。こちとらお前の相手をしてられるほど暇じゃねぇ
――教えてくれるまで帰らない
――あのなぁ……
――帰らない
――ここは道場でもなんでもねぇ、ただ広くて古臭いボロ屋敷だ。門下生を募集してるワケでもないし、俺としても面倒なのは真っ平ご免なんだよ。つーか、なんで剣術を覚えたいんだお前は?
――強くなりたいから
――強くなってどうするんだ
――いつも家に来て暴れていくあいつらを倒す
――あー……例の奴らか。……ちっ、仕方ねぇなぁもう!隣人の好だ、あいつらのことは俺がなんとかしてやる。男の約束だ。だから大人しく家に帰れ
――ヤダ
――なんでだよ……めんどい奴だなぁお前……
「ん……」
薄っすらと瞼を開けた先に広がるのは見慣れない天井であり、鼻の先にふんわりと香る毛布の匂いは完全に自分の知ったものではなかった。
ここはどこだろうと数秒の間思考し、ようやく今自分のいる場所は神聖アークレイム教国首都、聖都リシティアに存在する一宿屋の一室であることを思い出す。
聡一は寝惚け眼のまま身体を横に向け、枕元に置いていたソーラー電池式の腕時計を手に取った。
時刻は午前7時の少し前あたりであり、もうそろそろセフィーアが起こしにくる時間帯だ。
身体は一も二も無く二度寝しようと再びベッドに横になりたがっているが、せっかく丁度いい時間に目覚めたというのに、それを無為にするのも勿体ない話である。
聡一は頭をふらふらと不規則に揺らしながら、眠い目を擦りつつベッドから身体を起こした。
そして、こちらの世界で買った寝巻き用のシャツを脱ごうとしたところで、開き過ぎた首の袖口から自身の左肩が見っとも無く露出している様を知り、
「……他人から見たらこれってせくすぃなのかな?」
などと非常にくだらない疑問を盛大な欠伸で謀殺した。
普段着用している黒衣は宿の主に洗濯を頼んである為、今は所持していない。
その代用として、セフィーアに新しく購入してもらった衣服に肌を通すことにした。
これらは聖都までの道中に立ち寄った街で購入したものであり、その店の店員が聡一に合うとして持ってきたものを、さらにセフィーアが吟味して直接お墨付きを頂いた代物だ。これで似合っていないということは、さすがにないだろう。
替えの効かない元の世界の衣服の代わりとして、これからよくお世話になりそうだ。
それにいざとなったら仕立て屋に元の世界の服を持っていって、そのデザインを元にオーダーメイドで作らせればいいだけの話だ――というのはセフィーアの弁で、聡一は考え付きもしなかったのだが、一応そういう案もあることにはあるのであった……ブルジョワ思考過ぎる感じは否めないが。
「むぅ……どうにも着心地がイマイチだなぁ」
聡一は着慣れない衣服に若干不安そうな顔を見せるが、すぐに気を取り直すと顔を洗う為に宿の庭にある井戸に向かった。
井戸の周りには数人の宿泊客が思い思いに井戸から桶に水を汲み、布を濡らして顔を拭いていた。
季節は本格的に冬に移行しつつあるらしく、朝方は特に冷え込んでいる。吐いた息が若干の白みを帯びているほどだ。
肌を刺すような冷気に身震いしてから、聡一も井戸へと身を寄せる。
目が合った客に軽く会釈してから、宿屋が用意した複数ある手桶の1つ拝借すると、井戸から冷水を汲み上げて手桶に移した。
聡一は乾いた布を首に掛けると、手で水を掬って一気に顔に掛ける。
それを何度か繰り返しているうちに、昔、白砂が敷き詰められた広い庭の中央で、息も絶え絶えに仰向けに倒れ伏す自分に遠慮なくぶっ掛けられる冷水の感触を思い出した。
(……あんな夢を見たせいかな)
濡れた前髪から水滴が一滴地面に落ち、冷風がぼんやりと冴えない頭を研ぎ澄ませていく。
「あの……大丈夫ですか?」
1分弱、こうしていただろうか。突然女性に声を掛けられ、ほぼ瞑想状態にあった意識が無理矢理覚醒させられる。
聡一が顔を上げると、先程会釈した若い女性が心配そうな表情で顔色を覗き込んでいた。
「え? あぁ、すみません……大丈夫です。俺って凄く寝覚めが悪くて、冷水被った状態でしばらく放置してないと、目が覚めないんですよ」
「そうなのですか……大変ですね。では、私はお先に失礼します」
「はい。お気遣い頂きありがとうございました」
聡一は軽く頭を下げて立ち去る女性を見送ったあと、周りに人がいないのを確認してから掌で両頬を強く叩いた。
乾燥した空気の中を小気味よい音が駆け巡る。
もう何度か冷水を顔に掛けて意識を覚醒させ、しっかりと水滴を拭ってから宿の中へと戻った。
身支度を整えようと割り当てられた自室に戻る途中で、ちょうど起きてきたらしいセフィーアと出くわした。
「あら、おはよう。珍しく早いのね」
「まぁね」
簡素ながらもしっかりと編み込まれているらしいベージュ色の寝巻きの上に、白いカーディガンを羽織っている。
聡一は温かそうな彼女を抱き締めてゆたんぽ代わりにしたい衝動に駆られたが、後が怖いので思い直した。
「ソーイチが私より早く起きるなんて、今日は雪かしら?」
「失敬な、俺だって早起きの一つや二つくらい余裕っすよ。……ホントだよ?」
「はいはい。私はこれから顔洗ってくるから、先に朝食食べてて」
子供の可愛い強がりを受け流す大人のように、クスクスと小さく笑みを零すセフィーア。
彼女の余裕になんとなく悔しさを感じた聡一は、両腕で身体を抱きながら小さく身震いしつつ真横を通り過ぎていく彼女の首筋に両手を当てた――ちなみに、冷水に浸していた聡一の両手は氷のように冷たい。
「ひゃぁっ!? ――……ッ!!」
可愛い悲鳴が廊下を木霊し、数瞬の間を置いてそのあとを鈍い打撃音が追従する。
若干頬を紅くさせて立ち去るセフィーアを見送りながら、尻を押えて床に突っ伏す聡一は軽く涙目のままぽつりと呟いた。
「さて、今日は何の仕事を貰おうかな」
――平和といえば、まぁ平和といえるであろう朝の一幕であった。
◆◆◆
鬱蒼と茂る木々の中を駆ける一人の人間とそれに追い縋る複数の影。
雑草を踏み潰し、草木を掻き分ける音がいくつも重なり、不快な雑音となって森の中を巡る。
"一匹"の追跡者が木々の合間を縫って、手に持っていた片手サイズの斧を投擲した。
聡一は空気を切り裂く音と共に飛来してくる片手斧をつまらなそうに一目見やり、左胸に装備していた全長30センチ程のナイフを引き抜いて叩き落とす。
そして、自分に牙を剥いた敵の懐に一瞬で潜り込んだ。
聡一と相対していた敵、第三者の目からすれば、彼がまさしくその場から霞の如く消え失せたように思えたことだろう。
擦れ違い様に首を切断された敵は、何故自分の意思に反して視界が暗転するのか理解することもできずに絶命した。
眼前の敵を斬り伏せながら森の中を突風のように駆け抜ける聡一は、裾が綻んだ黒い外套を靡かせて外敵を翻弄していた。
木々の根がそこかしこに張り巡らされ、非常に足場が悪い森の中を苦もなく駆け抜け、或いは木の幹を蹴って空中を疾走する。
弓矢を持った敵は必死に狙いを定めて矢を放つもそれが当たることはなく、近接武器を持った敵は聡一を目視した次の瞬間には斬り伏せられていた。
追跡者の一群は、自分達が獲物とみなした存在に恐怖を抱き始めた。
しかし、彼らにとっての敵は聡一だけではない。
明後日の方向から突如発せられた、耳障りな仲間の絶叫に追跡者の何匹かがギョッとして振り返る。
そこには、奮戦虚しく蒼き巨鳥の爪で次々と引き裂かれていく仲間達の姿があった。
引き裂かれた傷口から無残に血を噴出させて息絶える仲間の死体を呆然と見つめ、ふと、巨鳥の背に跨る紺色のフードを目深に被った少女に視線を送る。
そして、フードの奥にある冷たい眼差しを意識した瞬間、その追跡者は後ろから迫っていた聡一に上半身と下半身を分断された。
この森を縄張りにしていた聡一達の"敵"であるゴブリン達は、自分達のテリトリーに現れた人間の手強さに焦っていた。
昨日まではこんなことなかったのに――そう内心で呟きながら、ゴブリン達は武器を手に震えていた。
森の中に住む獣を狙った猟師を集団で襲い、ついでに猟師が討ち取った獣も頂く。そのように日々の糧を得ながら生活していた。自分達の縄張りを示す為に、殺した獣の首を掲げておくことも忘れない。
それの何がいけなかったのか。自分達は自分達の命の糧を得るために行動していただけだったのに……。
そして、また一人仲間が殺され、生き残っている数はとうとう本来の4分の一まで減らしてしまった。
正直、人間を嘗めている部分はあった。人間とは臆病で脆弱な存在。彼らはそのように認識していた。
だが、その結果がこれでは――
そう歯噛みしながら、ゴブリンのリーダーは森の奥から歩み寄ってくる聡一を睨み殺さんばかりの勢いで凝視する。
フードマフラーで顔を隠し、漆黒の外套に身を包んだその容姿は、まさしく人間の言葉でいう死神そのものだ。
そう考えていた時、離れたところから再び仲間の悲鳴を耳にした。
幅広の両手剣から血を滴らせ、ゆっくりと近寄ってくる聡一の姿をその目に焼き付けながら、ゴブリンは自分以外の仲間全員が殺されたことを悟る。
全身が震え、背を向けて逃げ出したい衝動に駆られる。
しかし、『ひ弱な人間如きに殺されてたまるか!』その強烈な想い――生への執念から、奇声をあげながら斧を振りかぶって突進する道をゴブリンは選んでしまった。素直に武器を捨てて逃げ出していれば、聡一は追わないつもりだったことなど露知らず……。
そして、振り下ろそうとした斧が聡一に届く前に、ゴブリンは上空から滑降してきた蒼き巨鳥の足爪で頭を鷲掴みされた挙句、トマトのように粉砕された。
頭を無くして痙攣しながら倒れ伏す亡骸を眺めながら、聡一は僅かに溜息を吐き、鞄に仕舞っていた血拭き用の布でこびり付いた血と脂を拭い取った。
それから、戦闘の際は邪魔なので鞄の中に放り込んでいる鞘を取り出し、剣を納める。
「今ので最後みたいね。もう周囲にゴブリンの姿は見えないわ」
「んじゃ、これで依頼完遂だね……帰ろっか」
「ん」
聖都から西にあるキルルカの森で依頼を果たした聡一とセフィーアは、蒼い巨鳥――幻獣ピノの背に乗って森をあとにした。
地上よりも幾分か冷たい風に頬を撫でられながら、束の間見れる地上の美しい風景を鑑賞する。
そして、森を抜けたピノが街道沿いに街を目指そうとしたとき――
「何だろうあれ?」
「――?」
聡一が指し示した先で、3台の大型貨物馬車とそれに追い縋る集団……その数約30人がそれぞれ馬に乗って街道を走っていた。
よく見ると、馬車を護衛するように5人の人間が馬に乗って並走している。馬車と集団の壁になるつもりらしい。
その物々しい雰囲気は、どう解釈しても双方共に友好的であるようには思えない。
「あれ……どう思う?」
「ソーイチの考えてる通りじゃない?」
「やっぱり?」
つまりは、盗賊団とそれに追われる旅商人のグループが派手な追いかけっこを繰り広げているのだ。
しかし、壁になっている護衛は5人。対して盗賊団は30人強。随分と数の差が大きい。追いつかれれば、護衛側は為す術無く全滅の憂き目を見るだろう。
「護衛側にも盗賊側にも魔術師はいないみたい」
「こりゃ護衛側が圧倒的に劣勢だね……さぁてどうするべきかなぁ……」
面倒事が嫌いな聡一はこのまま放置して帰宅する……という手も考えた。
だが――
「まぁ一応助けが必要か聞いてみようか」
そう言いながら、頭に被っていたフードマフラーを首に巻いて掛け直す。
面倒くさそうな態度をしてる割には、決断に要した時間は2秒にも満たない程度だった。
「……そう言うと思った」
まだ短い期間だが、共に行動していてある程度聡一の性格を把握していたセフィーアは、苦笑しながらピノを降下させる。
天空を舞う蒼い巨鳥は、速度を増しながら馬車の一団へと滑降していった。
◆◆◆
行商人の護衛を引き受けた冒険者達はとても焦っていた。
隣国であるミネベアのとある街からわざわざ野を越え山を越え、やっとアークレイム領土まで辿り着き、ようやく目的地の聖都まであと一歩というところで盗賊団に見つかってしまったのだ。
隣町との間に隔たる山を降りたところで襲撃され、なんとかここまで逃げてきたものの……護衛に雇われた冒険者の数は5人、あちらの盗賊団は少なく見積もっても30人以上、まともに戦えば瞬く間に囲まれて全滅してしまうだろう。
さらに、向こうの足は馬で、こちらは大型の馬車3台。このまま逃げ続けるにしても、じきに追いつかれるのは目に見えていた。
かといって、足の遅い対象を護りながらの戦闘では圧倒的に不利になる。しかし、仮に馬車を先に逃がして迎撃に転じたとしても、盗賊側が必要最低限の人数で護衛を足止めしつつ残り全ての人員を馬車に向かわせてしまえば、それだけで為す術が無くなってしまうのも事実だ。
まさしく八方塞がりな状況に頭を抱えているところへ現れたのが――
「な、なんだアレは!?」
「幻操士だとッ!? まさか盗賊共の仲間か!?」
突然、上空から降下してきた蒼い巨鳥に思わず慄く護衛達。魔物に関する知識を漁り、ピノを一瞬で幻獣だと断定したところはさすがといえるだろう。
「くそっ! 迎撃する――」
弓を扱う冒険者が咄嗟に矢を構えたところで、
「助けは必要ですかあー?」
護衛達の馬と並走するように滑空する巨鳥……その背に乗った剣士から発せられた何とも気の抜けた問いに、その場にいた全員が呆気に取られた。
「……助けは必要ないみたいですね」
「ん」
返事がない事に一抹の寂しさを覚えた聡一はセフィーアにその意を伝え、再び空へ上昇しようとする。
それを見た護衛達は見捨てられては敵わんと慌てて引き留めた。
「助けが必要でーすっ!!」
「おぉ?」
聡一に向けて叫び返したのはベルトの両側にロングソードとレイピアを携えた赤茶髪の女の子だった。綺麗に整った顔立ちに、セフィーアに負けず劣らずの豊かなバスト。肩口あたりで切り揃えられた、少し外側に跳ね気味なボブカットが特徴的だ。金色の眼といい、なんだか猫を連想させる。
「……一度でいいからあの豊満な胸の中に顔を埋めてみたいでででッ!!」
「こんな状況でバカなコト言ってんなバカ」
思わず本音を漏らす聡一に、彼の耳朶を思い切り抓りながら冷やかな視線を送るセフィーア。少し口が悪くなっているのは気にしてはいけない。
一方、剣士の女の子は、馬を巧みに操りながら聡一とセフィーアの全身をその金色の瞳で眺めていた。
「私は冒険者のユウ! 貴方達は!?」
「あう〜……俺は聡一、こっちはセフィーア。君と同じく冒険者だよ……新米だけどね」
「そう、よろしく!」
声が風に流されて消えないように声を張るユウは、耳を痛そうに擦りながらも余裕綽々な態度を崩さない聡一を針のような鋭い眼差しで値踏みする。
聡一の方は、雰囲気からして冒険慣れしていないというのは嘘ではないだろうが、その背に携える長大な両手剣はその姿にとても馴染んでいた。それだけで、彼が武器に"振り回されていない"と推し量るには十分だ。
セフィーアの方は、その無表情から何を考えているのかは読み取れないが、少なくともこちらに加勢してくれる意思はあるらしい。大陸全土でも希少な幻操士がこちらに味方してくれるというのはとても心強い。
「馬車がこの速度だから、あたし達はもうじき追いつかれる! だから、せめて先制攻撃されて足並みを乱されないうちにこっちから仕掛けようと思うの!」
「りょーかい。んじゃ一足先に仕掛けて敵の注意を惹きつけるから、その隙に接敵してね」
「わかった!」
そう言うや否や上空に飛び去る聡一達を見やり、ユウは自分と同じく雇われた護衛の冒険者達に叫んだ。
「さあ! 皆行くよ!」
旅商人の馬車3台を先に行かせると、護衛の冒険者達は速度を落として馬を反転させる。
「冒険者嘗めたらどういう目に遭うか……たっぷり教えてあげようじゃない!」
5頭の馬は騎手の気合に応えるように地を駆け、冒険者達は勇ましい雄叫びをあげながらそれぞれの武器を構えた。
◆◆◆
盗賊達は数多の戦利品を抱えて自分らのアジトへと帰る途中だった。
アジトの近くの街道を行商人の馬車の一団が通るという情報を耳にし、盗賊団員総出で略奪に励んだ結果だ。
馬には既に今日の戦果をこれでもかというほど積んでおり、しばらくは遊んで暮らせる程の稼ぎがあった。
しかし、帰りがけに偶然別の旅商人の馬車の一団を見つけた彼らは、頭で考えるより先に自らの欲に忠実に行動した。
略奪品を積んでいたせいで馬が機動力を欠いた状態だった為、追いつくのは遅くなったが、それでも街まではまだ十分な距離があり、確実に仕留めることができると踏んでいた。
そして、もう少しで弓の射程範囲内に捉えることができるところまで追い詰めた瞬間――
「ぐあっ!?」
突如として蒼い巨鳥が頭上に舞い降り、そこから一人の人間が飛び降りてきたのだ。
悲鳴と共に馬から蹴り落とされた盗賊の一人が地面を転がりながら遠ざかっていく中で、男は不敵な笑みを浮かべていた。
裾が綻んだ黒い外套に身を包み、同じく黒色のフードマフラーを首に巻き、革鎧もプレートメイルも装備していないその男は長大な両手剣を手に携えつつ、かつて仲間が乗っていた馬の上に衣服と同じ黒色の髪を靡かせながら立っている。
単刀直入にいうと、盗賊達は油断していた。
誰もがその光景に目を奪われて呆然としている中で、黒衣の男は別の馬に跳躍し、その馬に乗っていた仲間をまた一人蹴り落とす。
――そこでようやく我に返った盗賊達は反撃に転じた。
「人の命を奪って糧にしてるんだ。自分達も命を奪われるのは当然……ってくらいの覚悟はあるよね?」
武器を抜き放ち、必死に応戦しようとする盗賊達を冷めた眼で見つめながら、聡一は容赦なく彼らを馬から蹴り落としていった。
弓やボウガンを持つ盗賊が慌てて矢を構えるが、馬の背を蹴って跳躍し、他の盗賊達を盾にするように縦横無尽に動き回る聡一に上手く狙いを定められない。
そうしている間にも一人、二人、三人、四人――次々と落馬していく仲間達は、ボロ雑巾のように無様に大地を転がっていく。
それらを見て、盗賊達が落馬に備えて馬の速度を緩めた瞬間だった。
「ハアッ!」
「ぎゃッ!?」
タイミングを見計らっていた行商人の護衛達が一斉に牙を剥いたのだ。
先頭を走る馬に乗ったユウが、ベルトに吊るされていたロングソードとレイピアを抜き放ち、すれ違う盗賊達を次々と切り刻んでいく。
他の冒険者達も彼女に負けじと己が武器を振るった。
そして、冒険者達に目を向けた盗賊を聡一が蹴り飛ばす。
「馬から降りろ! 奴らを囲め!」
完全に仕掛けるタイミングを逸し、混乱の極みにある部下達に指示を飛ばす盗賊団の頭目。それを聞いた盗賊達は次々に馬から降りて冒険者達を囲もうと行動するが――
「そう簡単に――」
「囲ませるもんですか!」
盗賊団の行動にいち早く反応した聡一とユウは馬から飛び降りると、未だ指揮が乱れている盗賊達を次々に叩き、或いは斬り伏せていった。
他の冒険者達もそれに倣って馬上戦から地上戦へと移行し始める。
そんな折、順調に敵を倒していたユウの前に4人の盗賊が立ちはだかった。
「この女ぁ……あまり調子に乗るんじゃねぇぞ」
「俺たちがたっぷり可愛がってやるぜ」
仲間を倒され、怒りに燃える彼らはじりじりと間合いを詰めてくる。1対多数の優勢を武器に強気になっているのだ。
しかし、ユウはそんな盗賊達を黙って見据えながら、嘲笑だけを返す。
「死ねやぁ!!」
一斉に襲い掛かってくる盗賊達相手に、ユウは華麗な剣技で立ち回った。
斬りかかってくる盗賊の剣を左手のレイピアで自分の右側に受け流し、体制を崩させたところへ脇腹に膝蹴りを叩き込む。
そして、別の盗賊から間髪入れずに振るわれた横薙ぎの斬撃をしゃがんで避け、その手首をロングソードで斬りつけた。
激痛から剣を手放して右手首を押える盗賊の顎をサマーソルトで蹴り上げ、後ろから左右同時に斬りかかってきた盗賊二人を素早い身のこなしで剣が振るわれる前に斬り伏せる。
そして、最初に脇腹を蹴られて蹲っていた兵士が立ち上がる頃には三人いた仲間は皆地に転がっており、それを目の当たりにした盗賊も逆上して剣をがむしゃらに振り回す……が、無様に剣を弾き飛ばされたあと、突進の勢いを乗せた肘鉄を喉に喰らって昏倒した。
それを横目で見ていた聡一はユウの技量に感嘆を覚えながら、盗賊の横っ腹に長剣の腹を叩き込む。
ボールのようにふっ飛ばされた盗賊は、仲間を数人巻き込んでようやく止まった。
脇から半ばヤケクソ気味に飛びかかってきた盗賊の腹をミドルキックで蹴り飛ばし、愛剣を真上へ放り投げ、その直後に後ろから短剣を突き出してきた別の盗賊の顎に裏拳をぶち込む。そのままごく自然な動作でタイミング良く落ちてきたツヴァイハンダーの柄を掴み、剣の腹で前から突進してきた盗賊の頭部を叩いた。
聡一は目を回して昏倒する盗賊を見やりながら、つまらなそうに溜息を一つ。
そして、その視線を部下達の後ろで控えていた盗賊団の頭目に向ける。
聡一の眼差しを受け、頭目が恐怖に喉を詰まらせた頃には、30人以上いた盗賊は7人にまで数を減らしていた。
「畜生……退却だッ!!」
このままでは全滅の憂き目を見ると悟った盗賊団の頭目は愛馬に飛び乗り、屈辱に顔を歪めながら撤退を宣言した。
それを聞いた盗賊達は我先にと馬に跨り、大慌てでその場から逃げだした。
「逃がすかッ!!」
「深追いはダメ!」
ユウが追撃を試みようとした仲間の冒険者を諫める。
そして、悔しそうに舌打ちをした冒険者が向けるその視線の先で、上空から滑空してきた蒼い巨鳥がトドメとばかりに逃げ去る盗賊団を蹴散らした。
「あ……」
「これは酷い」
「はいはい。あんなのはどうでもいいから怪我した人いたら教えて」
巨鳥の体当たりを受けて地に転がる盗賊達に合掌する冒険者達の後ろから、セフィーアが声をかける。
「あれ?いつの間にピノから降りてたの?」
「今さっき」
聡一の問いに、怪我を負った冒険者を治癒性魔法で治療しながらセフィーアは端的に答えた。
「最後にイイとこ取りですか。案外ちゃっかりしてるなぁ」
「うるさい」
苦笑する聡一に、淡々とした表情を崩さないセフィーア。そんな二人のやり取りにようやく"終わった"という実感が周囲に満ちていき、皆の緊張が解かれていく。
そんな二人の元に、愛剣に付着した血糊を拭い終わったユウが近寄ってきた。
「確かソーイチとセフィーアだったよね? 加勢してくれて本当にありがとう。貴方達がいなかったら、今頃護衛の任務は失敗してたかも」
「「どういたしまして」」
一方は微笑み、もう一方は興味なさそうに。
二人同時に言葉を紡ぐその様子にユウはクスッと笑みを零した。見る者の心を穏やかにさせる、温かな魅力を伴った笑みだった。
「ところで……ソーイチって見かけによらず強いね。剣を握って結構経つ?」
「まぁそれなりに。この剣に関してはそれほど得意ってワケでもないんだけど」
ツヴァイハンダーが得意な武器というワケではないと聞いて、ユウはその可愛らしい目を丸くする。
「得意武器でもないのにアレだけ巧みに扱うなんて……」
剣の腕には相応の自信がある彼女から見ても、聡一の両手剣を扱う技量は十分に一流といえる領域に達していると断言できた。なのに、自分が認めたその腕が"それほど得意でもない"と否定されれば誰でも驚くだろう。
「俺のことはともかく、ユウさん……って言ったっけ?」
「ユウでいいよ」
「んじゃ遠慮なく。ユウの剣の腕もなかなかだったよ」
「そりゃそうだよ。アタシ、ちっちゃい頃から剣握ってるもん」
このくらい、と掌を地面と平行にかざして幼少のころを表現するユウ。
端正な容姿と相俟ってその姿はどこか子供っぽく、それゆえに可愛かった。
「俺も大体それくらいから刀握ってたかな〜」
「カタナ……?」
「あっ、えと……俺が生まれた国で使用されてた武器だよ。この大陸にはないみたいだけどね」
どこか懐かしい気分に浸りながら、聡一は元の世界に想いを馳せた。
「あ、やっぱりソーイチってこの大陸の生まれじゃないんだ?見たことない髪の色してるもんね」
「そゆこと」
この世界とは別の世界から来ました!と気軽に言えないことにもどかしさを覚える聡一の内心など露知らず。そんな彼に興味を持ったユウはゆっくりと傍に歩み寄ると、この世界では他に類を見ない黒髪をそっと撫でた。
「わぁ! ソーイチの髪サラサラだ~! 手入れとかしてるの?」
「いや? 特に何もしてないよ?」
「何ですとー!?」
聡一はユウが突然自分に触れてきたことに動揺しながらも、必死にそれを押し隠して平静を装う。
そして、何やらカルチャーショックを受けているユウだったが――
「うー! 何もしてないのにこんなにサラサラなんて許せない! 不公平過ぎる!」
「おぉう!?」
次の瞬間、聡一に覆い被さるように襲い掛かり、じゃれついた。どうやら聡一のことを気に入ったようで、その瞳はキラキラと輝かせている。その雰囲気はどこか猫のようであり、遠慮がない。
一方の聡一はといえば、セフィーアと同等並に豊満な胸を身体に押し当てられ、「むふっ」と鼻の下を伸ばしていた。
「………………」
そんな彼らの様子を呆れたように眺めるセフィーアは、冒険者の治療を終え、ピノを召喚する。
そして、聡一に帰ることを告げようと振り返った瞬間――その表情が凍りついた。
「……フィーア?」
顔色を失うセフィーアの異常に真っ先に気付いた聡一がセフィーアに声をかけるが、彼女は何も答えない。
「どうしたのさ?」
ガタガタと震え始めるセフィーアにさすがの聡一も焦り始める。しかし、よく見ると、他の皆も"とある一点"を見つめたまま氷像のように硬直していた。
さっきまで騒いでいたユウも全く同じだ。
いったいなにが……?皆が魂を抜かれたように呆然と見つめるその先に、嫌な予感を覚えたその時――
ぞくり。
全身の毛という毛が逆立つような、強烈な気配を背後から感じた。
まるで焼き鏝を頚椎に直接押し当てられているような、痛みさえ伴うこの殺気は他でもない自分に向けられている。
それを理解した聡一は激しく鼓動する胸を落ち着かせ、慎重に呼吸を整えた。
そして、意を決して振り返る。
そこにいたのは……全身を覆う漆黒の甲冑、そして、死神を思わせる漆黒の外套を羽織った騎士によく似た"何か"。
「悪鬼……グリアズ……」
青褪めた唇から震える声音で紡がれる名前。
クラスSS-。災害レベルにしてギルドから要注意指定されている魔物が、そこにいた。