第16話 幸せの影に潜む悪夢――その5
「……アジトの入り口はここのようですね」
ルーケンスは緊張を滲ませた硬い声で言った。
「そのようね」
セフィーアは持っていたランプの明かりを若干弱めながら同意する。
無事に賊のアジトを発見した2人は聡一の到着を待ちつつ、近くの茂みに隠れながら周囲を警戒していた。
馬は隠し道前の山道脇に待機させている。
山の中は既に魔物や山賊のテリトリーなので、馬が襲われても自力で逃げ出せるように、縄は敢えて緩めて木に繋いである。
「あの中にキアラが……!」
「気持ちはわかるけど、今は堪えてルーケンスさん。下手に突入しても多勢に無勢、貴方程度の腕じゃ簡単に殺されてしまう」
「……わかっています」
「そう、ならいいけど」
今にも飛び出していきそうな危なげな気配を漂わせるルーケンスを宥めながら、しきりに空を見上げるセフィーア。
「彼もタイミング的にはそろそろ到着してもいいと思うのですが……――ッ!?」
そうルーケンスが呟いたとき、僅かながら地面を照らしていた月明かりが唐突に遮られた。
それがどういう意味か即座に理解したセフィーアは静かに目を瞑り、唇を薄く笑みの形に模りながら言った。
「噂をすれば……ね。ちょうど来たみたい」
そして、巨大な影がセフィーア達の上に覆い被さり、圧倒的な風圧と共に颯爽と蒼き巨鳥が夜空から舞い降りる。
「――おまたせ」
「ん」
巨鳥の背中に乗った漆黒の青年が、自分を見上げる2人に向けて不敵な笑みを浮かべつつ、心の中で「……決まった」と呟くが――
「ソーイチさん! 連絡係の男はどうしたのですか!?」
「いや、そんな切羽詰った顔しなくても大丈夫ですよ。殴って気絶させたあと、縄でふん縛って、西門の門番をしていた教団兵の元に預けてきましたから。ちゃんと事情も説明して」
鬼気迫る表情で詰め寄ってくるルーケンスに思わずタジタジになってしまう聡一。
色々と台無しである。
フードマフラーも首にかけなおしてあるので、その情けない表情も丸見えだったりするのだから救われない。
「そ……そうですか……。よかった」
連絡係の件が無事に済んだことに対してホッと胸を撫で下ろすルーケンス。その様子を見たセフィーアはどこか誇らしげに言った。
「だから言ったでしょう? ソーイチはちゃんとやってくれるって」
「えぇ。貴女の言うとおりでした」
胸を張るセフィーアに微笑み返しながら、ルーケンスは頷いてみせる。
しかし、それを聞き咎めた聡一は怪訝な表情を見せた。
「あれ? あれあれ? もしかしてルーケンスさん、俺が失敗するとでも思ってたの?」
「あ、あはは……いやはや、決してそういうワケではないんですよ?ただ……その、心配で。すいません」
「んー……まぁルーケンスさんの心境からすれば仕方ないっちゃ仕方ないかねぇ……」
信頼されていなかったことに、どこか寂しいというか虚しいというか、何ともいえない複雑な気分になりながらも、彼の立場と気持ちを考えると何も言えなくなってしまう。
そんな気まずい雰囲気になりかけている彼らを見かねたセフィーアは、手を叩いて2人の意識を自分に集中させた。
「そんなことは今更どうでもいいから。ソーイチも合流したんだし、さっさと囚われのお姫様を助けてあげましょ」
「そうですね。早くアジトに突入しましょう!」
街中の賊を片付け、街の外の賊を片付け、残るはキアラの救出のみ。もうしばらくすれば、ハウゼルさんの通報を受けた教団兵の援軍も到着する手筈になっている。
最後の仕上げだと意気込み、息巻くルーケンス。
そんな中で、聡一だけが冷たく目の色を変えた。
「りょーかい――って景気良く言っておきたいところだったけど、どうやらその必要はないみたいだね」
「ん?」
セフィーアが不思議そうな顔をする中で、聡一が向ける視線の先、闇が支配する洞窟の中から3人の人影が姿を現す。
「キアラッ!!!」
「ルーケンスさん!? それに……ソーイチさんにセフィーアさんも……」
そう、1人は誘拐犯達に攫われ、人質となっていたキアラだった。
しかし、残りの2人――喧嘩ならともかく"戦い"には素人のルーケンスをしても、そこら雑魚には到底為し得ない雰囲気を漂わせていることくらいは理解できるほどの威圧感を醸し出している男女はいったい何者なのか。
男の方は右側の額から左側の頬にかけて裂傷の跡、短髪を逆立てたそのヘアースタイル、聡一と比べて10cm以上は差がある長身、細身ながら鍛え上げられた体躯が特徴的であり、残りの女性は色素が薄い茶髪を後ろで結ったヘアースタイル、切れ長の瞳、冷たい雰囲気ながらも非常に壮麗な顔立ちが魅力的である。
「我らが隠れ家にようこそ――って言いたいところだが……一般人にここを知られちまった以上、放棄するしかねぇよなこりゃ……」
「だから言ったではないですか。入れる団員はちゃんと選ばないと、いつか面倒な事になるって」
ボリボリと頭を掻きながら面倒臭そうな表情をする男。
それに小言を返しながらもピッタリと男の斜め後ろに付き従う女。
2人が纏う雰囲気に殺気や闘気の類は感じられない。
「そうだな……これからは団員の選定はティアに一任するわ」
「早くそうしてくれればいいものを……アシュレイはいつも判断が遅すぎます」
「そういうなよ。その分、戦場ではきっちり指揮してるだろ?」
「部下をきっちり指揮するのは傭兵団の頭として当然です」
「容赦ねぇなホント」
男は身体のラインにピッチリと沿う黒いタンクトップに、深緑色のボトムス、濃い茶色のブーツとフィンガーレスグローブという装い……身に付けている防具は軽装であり、肩、肘、膝小僧にプロテクターを装着している以外では、心臓部分だけを覆うような胸当て?を身に付けているだけで、他に防具らしい防具を身に付けていなかった。
それだけならばまだいい。ただ、問題なのはその背に背負っている大剣だ。
男が背負っている武器は、元の世界で見た中華包丁……あれの極大バージョンと言っても差支えないだろう――刃の幅が30cm強もあり、刃に沿う形で先端に一本の小さな棘とも角とも区別がつかない部分を除けば、の話だが。
ただ、大型の武器によくありがちな手入れの怠慢などは見受けられないので、それ相応に愛用しているということはわかる。
「「――…………ッ!」」
「んで、あんたら2人はただの乳繰り合いを見せにきただけなのかな?」
その武器のあまりの出鱈目さに"呑まれる"セフィーアとルーケンスを尻目に、聡一だけは気怠るそうな態度を全身で表現しながら言った。
そう言われて改めて自分達の目的を思い出したのか、2人の男女は一旦会話を中断すると、軽く咳払いしながら聡一達に目線を合わせる。
「あー……その、なんだ……一応自己紹介をしておくと、俺はアシュレイ、隣にいるのがリベルティア。まぁ俺達は俗に言う傭兵団を率いている身だ。今回はお前さん達の邪魔をしにきたワケじゃないっつーか、寧ろ逆っつーか……ようはこの子をそっちへ返しにきたってことさ――ほら、いきな」
「あ……はい……」
男に軽く背中を押され、おずおずと戸惑いながらもルーケンスの元に駆け寄るキアラ。
ルーケンスとセフィーアが睨み付けるようにして警戒する中で、聡一だけは拍子抜けしたような顔を見せつつ特に何も反応をみせない。
「――キアラ!」
「――ルーケンスさん!」
そして、ルーケンスが胸に飛び込んできたキアラを抱きとめる光景の隣で、セフィーアは警戒心も剥き出しに尋ねた。
「どういうつもり?」
「別に、どうも。ただ、部下が犯した不始末の尻拭いをしているだけです」
それに対し、口を開こうとしたアシュレイより先に、脇にいたリベルティアが淡々とした口調で答えた。
「簡潔に述べます。此度は部下の身勝手に巻き込んでしまい、真に申し訳ありませんでした。私達は今後一切貴方達に干渉は致しません。部下にもさせません。どうぞ、安心してお帰りください」
「賊にしては随分と殊勝なのね――で、そのような戯言を信用しろと?」
「そこらへんの判断はご自由にどうぞ」
「………………」
主の闘志に反応したらしく、ピノがセフィーアを庇う様に身体を前に出し、リベルティアを威嚇する。
リベルティアも薄手のコートの懐に手を入れ、いつでも応戦できるように身構えた。
――2人の女性を中心に氷のような空気が張り詰めていく。
そんな空気を肌で感じ取った聡一とアシュレイは一瞬だけ互いに目配せすると、それぞれ自分ののパートナーを諌める。
「フィーア、やめときなって」
「ティア、お前もだ。もう干渉しねぇって話なのにいきなり身構えるなよ」
「「………………」」
窘められた2人は互いに睨み合いながらも、とりあえず矛を収めた。
「ま、そんなワケだ。今更信じろってーのも無理な話だとは思うが、俺達はお前さん達に危害を加えるつもりはねぇんだよ」
「あんたらがそう言うなら、こっちも文句はない――」
アシュレイの言葉に嘘がないことを悟った聡一は、キアラも確保したし、もうこの場に用はないとして話を纏めようとする。
「一方的に話を進めるな! お前達のせいでキアラがどんな思いをしたと思っている!!」
「………………」
だが、そうすんなりとは納得できない者が1人いるらしく、聡一はセフィーアと顔を見合わせたあと、苦笑しながら肩を竦めた。
「ル、ルーケンスさん! 私のことはいいですから。結局何もされませんでしたし、この人達も何もしないって言ってるんだから、もう街に帰りましょう?」
「だが……!」
「今この場で事を荒立てて、本当に仕返しされたらどうするんですか? 私はそんなの嫌です!」
「……君がそこまで言うなら」
キアラの有無を言わせない威圧感。
かつてない彼女の強い口調に圧倒され、何とか自分を納得させたルーケンスは渋々と引き下がる。
「どうするの?」と、視線で指示を請うセフィーアに聡一は軽く苦笑しながら答えた。
「目的は果たしたし、帰りますか」
最後にこの一言で場を締めくくり、どこか納得いかなそうな表情を見せるセフィーアとルーケンスの背を押しながら、聡一は帰途に着こうとする。
だが、そんな彼の背に向けて、アシュレイは言った。
「あー……でも、そこの黒い兄ちゃんはちょっと待ってくんねぇかな」
突然呼び止められた聡一は、面倒臭そうな表情を顔面に貼り付けながら振り返ってみせた。
「少しばかり話があるから残ってもらいたいんだよ」
穏やかな声だったが、嫌とは言わせないと彼の目が物語っている。
ここで彼を無視したとしても、すんなり帰してはくれそうにない。何らかの方法でこの場に留まらせるだろう。
それを察した聡一は疲れたように一つ溜息を吐くと、ルーケンス達に背中を向けながら言った。
「ルーケンスさん達は先に帰っててください」
「し、しかし!」
「心配いりませんよ。早く宿に帰って、ハウゼルさんを安心させてあげてください」
「わ……わかりました」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったルーケンスは自分達だけ先に脱するのは気が引けたようだが、今は聡一の穏やかな声を信じてこの場をあとにする。
だが、セフィーアだけはいつまで経っても動こうとしないので、見かねた聡一は困ったように言葉を付け足した。
「フィーアも先に帰ってていいよ?」
「私も残る」
「でも、君までここに残っちゃルーケンスさん達が……」
「あの人達にはピノをつけるから大丈夫。だから私も残る」
「……オーライ」
アシュレイがどういう理由で呼び止めたのか見当がついているのだろう。セフィーアは強い眼差しで聡一を見つめたまま、引き下がろうとしなかった。
そんな彼女の頑なな態度に、聡一は思わず苦笑した。
そして、セフィーアの命令によりピノが飛び立った瞬間を見計らって、アシュレイは口を開く。
「さってと……まぁ話ってのも単純な話さ――お前さん、随分と俺の部下達を可愛がってくれたようだな?」
「――だから?」
特に何の表情も見せない聡一の反応は予想外だったのか、アシュレイは少し困惑したような顔をしながら言葉を続けた。
「いやいや、だから?じゃなくて。お前さんほどの腕なら、もっと穏便に済ますこともできたんじゃないか?」
「子供に平気で暴力を振るおうとするろくでなし相手に、穏便に済ませなくちゃならない要素がどこにあると?」
「ま、それも御尤もなんだがな。しかし、お前さんのおかげでこっちは色々と手痛い出費を払うことになっちまったってのも事実なんだよ」
「あんたが大事なのは金か、部下か、ハッキリさせなって」
呆れたような口調の聡一に、横で頷くセフィーア。それに対して一瞬リベルティアの眉が吊り上がった気がしたが、特に気にはしない。
「どっちも大事とだけ答えておこうか」
「なら、これからはちゃんと部下を躾けておきましょうね」
「言われずともそうさせてもらうぜ。こっちも余計な面倒事はご免だからな」
「ふむ。で、話はこれで終わり?」
「いや、まだだ」
もう帰りたいんだけど……と態度で示す聡一を尻目に、ここでアシュレイが纏う雰囲気ががらりと変わる。
「自業自得とはいえ、こっちはお前さんにメンツを潰されたも同然だからな。それなりのケジメは付けさせてもらうが、恨むなよ?」
そう一方的に言い終えると同時に片刃の大剣を引き抜いたアシュレイは、そのまま峰部分を肩に乗せて不敵に笑った。
「なら、最初からそう言いなよ。まどろっこしい人だな」
聡一もこうなることは分かりきっていたらしく、軽く首を鳴らしながらツヴァイハンダーを抜き放つ。
「こいつは通称【肉斬り包丁】っつてな、武器自体の頑丈さも自慢の一つなんだが、何よりもこのサイズにしては切れ味がそれなりに凄ぇんだぜ? 重すぎるのがちっとばかし玉に瑕だが……って、そんなことはどうでもいいか。まぁ殺すつもりはねぇから安心してくれていい。ただし、骨の4~5本は覚悟してもらうがな」
「………………」
何とも理不尽な私闘だ――と、聡一とセフィーアは同時に思うのだった。
◆◆◆
白い輝きが幾筋もの線となって闇夜を舞う。
僅かな月明かりだけが照明となる僅かばかりの空間の中で、それは舞い踊るように閃いた。
それは幻想的な美しさと圧倒的な破壊力を伴って、観客を魅了する。
――今宵は舞闘会
観客は2人の美女と、欠けた月に、無数の星々のみ。
「こいつはたまげた。ある程度はできるものと考えちゃいたが、まさかここまでとはな」
最初の一撃で相手の武器をへし折る算段だったアシュレイは、その尽くを華麗に受け流してみせる聡一に舌を巻いていた。
互いに重量級の武器を用いながらも、一つ瞬きする間に幾度となく打ち合わされる剣戟。
ぶつかり合う刃と刃の悲鳴が2人の美女の鼓膜に突き刺さる。セフィーアとリベルティアは顔を顰めながらもそれに耐えた。
「それをいうなら、そんな超重量の凶器を平然と振り回せるあんたの筋力のほうが驚きだよ」
そんなことをのたまいながら、アシュレイが織り成す肉斬り包丁の薙ぎ払いを聡一は咄嗟にしゃがんで避ける。
――その凶悪な風圧だけで、臆病な者なら失神してしまうだろう。
断頭台の如き刃が頭上を通り過ぎ、アシュレイの胴体ががら空きになる。聡一はその瞬間を狙い、ツヴァイハンダーの剣身を跳ね上げた。狙うは肉斬り包丁を持つ彼の利き腕の手首である。
しかし、アシュレイは咄嗟に手を離して剣を手放すと、そのまま身体を捻り、聡一の顔面に向けて蹴りを放った。
「甘ぇよ!」
「……ちっ」
聡一が放った剣の腹による打撃は肉斬り包丁の柄を虚しく叩くだけに終わり、目論見が外れたことに舌打ちしながらカウンターで繰り出された蹴撃を仰け反って回避した。
そのまま後方転回しながら相手との距離を取り、隙の無い動作で長剣を構えなおす。
アシュレイはといえば、聡一が離れた瞬間を見計らい、大剣を回収していた。
互いに相手の出方を探り合い、じりじりと間合いを詰めていく。
――剣身が長すぎる剣というのは、その重量も然ることながら、攻撃方法も自ずと限定され、耐久性の面でもどうしても問題が出やすく、非常に扱いにくい代物である。
今、聡一が扱っているツヴァイハンダーなどその最たる例であり、少し扱い方を誤れば容易く折れてしまう。とはいっても、彼が持っているのは最高級品であり、切れ味、耐久性共に同じクラス長剣の中では最高峰なのだが。
それでも、長大さにおいて負けず劣らずのアシュレイが扱う大剣は、耐久性の面で圧倒的優位に立っているといえる。
ただし、幅30cm強、肉厚3cmという規格外の太さにおいて、その重量の半端の無さは閉口の一文字に限る。
軽く見積もっても、聡一の体重を軽く超えていることは間違いない。
そのような色物武器を軽々と振るってみせるアシュレイの膂力には、さすがの聡一も驚きを隠せなかった。
彼の斬撃を正面から受け止めてしまえば、聡一のツヴァイハンダーなど容易くへし折られてしまうだろう。
(とはいえ、いくらでもやりようはあるんだけど、どうにもなぁ……)
「来ないならこっちからいくぜ?」
思案に耽る聡一との間合いを、アシュレイは超重量の武器を担いでいるとは思えないような恐ろしい速さで一気に詰める。
「――ッ!」
濃縮された闘気を刃に乗せながら、袈裟懸けに振り下ろされる肉斬り包丁。
聡一はツヴァイハンダーの刃先を斜め下に構えて、暴力的な圧力を無理矢理受け流した。
金属と金属が互いの身を激しく削り合い、火花となって闇に舞い散る。
聡一はアシュレイが振り下ろした大剣を持ち上げようとしたところを、長剣の根元を利用して右手だけで無理矢理押さえ込み、空いた左手でその顎に掌底を放った。
しかし、アシュレイは即座に顎を引いて回避すると、両腕に渾身の力を込めて、聡一ごと肉斬り包丁を振り上げた。
「のわっ!?」
「もらったぁッ!!」
為す術無く空中に放り投げられた聡一は身体を捻って体勢を立て直し地面に着地するが、そこを狙ったアシュレイが大剣を唐竹割りのように豪快に振り下ろす。
その踏み込み速度、重さは尋常ではなく、聡一は咄嗟に後ろに跳躍して避けるが、叩き割られた地面から跳ねる小石がまるで散弾のように襲ってきた。
顔面に飛んできた小石を咄嗟に顔を逸らして避けるが、避け切れなかった一つが頬を掠り、裂けた傷口からつつーっと血が垂れた。
「――ソーイチッ!?」
「………………」
思わず叫ぶセフィーアには応えず、聡一はこの世界で負った初めての傷を心のどこかで感慨深く思いながら、それを親指で拭い、軽く舐める。
――この男は強い
素直にそう思った。
知らず笑みが零れる。
その瞬間、溢れ出した闘気が周りの草木をざわめかせた。
木々で眠りについていた鳥達が慌てて跳ね起き、我先にとその場から逃げ出す。
「――ん?」
「……?」
周囲の空気の変化を敏感に感じ取ったアシュレイとリベルティアが、怪訝な顔を見せる。
「…………ソーイチ?」
顔の上から半分は影になっているのでその表情はよく見えないが、セフィーアには、今の聡一がまるで違う人間になってしまったかのような錯覚を覚えた。
背中を奔った電流のような寒気は、きっと気のせいではないだろう。
――闇に隠された彼の瞳孔が、紅く光ったような気がした
突如、聡一の姿が掻き消える。
「うおぉっ!?」
剣閃はおろか身体のこなしすら見えない速度で繰り出された斬撃を直感だけで辛うじて防いだアシュレイは、表情を強張らせて肉斬り包丁を振るい、聡一を突き放した。
その轟力で身体ごと振り飛ばされた先にあるのは大木。だが、聡一は空中で姿勢を整えると、思い切り幹を蹴って再びアシュレイに向けて突撃する。
「――ッ!」
骨の髄を刺激するような恐怖が、アシュレイを手加減なしの迎撃に走らせた。
ぶつかり合う白刃の剣閃。
そして、激しい刃撃の響きのあと、実に呆気なく肉斬り包丁の分厚い刃が真っ二つに切断された。
「なんだとッ!?」
「――アシュレイ!!」
甲高い音ともに超重の刃が空へと舞う。
長年愛用してきた唯一無二の武器を一瞬のうちに失い動揺するアシュレイの隙を逃さず、聡一は返す刃でその首を跳ね落とす――ことは、さすがにしなかった。
時が止まったかのように全ての動きが停止し、乾いた風だけが吹き荒ぶ。
「別にこの人を殺すつもりなんてありませんって。だから矢をこっちに向けないでほしいんですけど?」
長剣の刃をアシュレイの首筋に当てたまま、聡一が視線だけをリベルティアに向けた。
「………………」
「――!?」
彼女の手にはいつの間にか長弓が握られていた。
聡一の一言でそれに気付いたセフィーアは慌てて2人の間に割り込むと「横から手は出させない!」と言外に語るように、フライパンを構えてリベルティアの前に立ち塞がった…………本人からすればいたって大真面目なのだろうが、第三者からするとなかなかに滑稽な光景である。
聡一とアシュレイに比べてあまりにも"可愛らしすぎる"闘気が、よりシュールさを際立たせているのも問題だろう。
「……フィーア、奇襲ならともかく、正面切っての睨み合いでフライパンはないでしょ」
「武器らしい武器がこれしかないんだもん」
「いや、それ武器じゃないから。調理器具だから」
「……ぶぅ」
何が気に入らないのかぷくっと頬を膨らませるセフィーアに柔らかく笑いかけた聡一は、纏っていた闘気を霧散させる。
――それまで肌を刺すように冷たかった空気が、幾分か温かみを取り戻した。
期せずしてフィーアの活躍により場の緊張が解れたところで、聡一はツヴァイハンダーを鞘に収めた。
それを見て、リベルティアも深く息を吐きながら弓を降ろす。
2人が武器を下ろすタイミングを見計らっていたのか、アシュレイはさり気なく口を開く。
「いやぁ、お前さん強いな。正直見縊ってたぜ」
「まぁお互い本気出してない勝負だし、こんなもんだと思うけど」
「お前さん、名は?」
「ソーイチ」
「ソーイチ、お前をスカウトしたい。そこのお嬢ちゃんも幻操士みたいだし、一緒に俺の傭兵団に入らないか? 待遇は保障するぜ?」
「悪いけど、目的のある旅の最中だから。それに俺は冒険者だし」
「そうか、残念だ」
さして残念そうにもみえないが、面倒臭いので追求はしない。
「それじゃ、俺達はもう帰えるけど文句はないよね? それと、あと少しすればここに教団兵がやってくるハズだから、まぁ頑張って」
「言われずともそれくらい承知してるってーの。さっさと行きな」
「ん」
もうこの場に用はないと言わんばかりに背を向ける聡一とセフィーアを見送ったあと、アシュレイは頭を掻きながら思案した。
「それにしても、武器を無くしちまうなんて傭兵失格だな。新しい肉斬り包丁を作ってもらわねぇと商売できねぇし、手痛い出費だぜ」
「自業自得です。それで、一度帝都に戻りますか?」
「そうだな。隠れ家の場所も突き止められちまったし、しばらくはここを離れたほうがよさそうだ」
「なら、そのように手配します」
「あぁ。そうしてくれ――それにしても今日は楽しかったなぁ。次は手加減なしにソーイチと殺り合ってみたいもんだ」
「私としては、そういうことはあまりしてほしくないのですが」
「なんだなんだ、そんなに俺のことが心配か?」
「…………はい、心配です」
「ただの冗談なのに、そんなマジに瞳潤ませて言うなよ。襲いたくなっちまうだろーが」
「わ、私は別に構いませんけど……アシュレイさえよければ……」
「今の台詞、忘れんなよ? 今夜は寝かさねぇからな」