第12話 幸せの陰に潜む悪夢――その1
ク、クリスマスなんて……うわぁぁぁ!!!
「早く綺麗なお花を咲かせてね~」
少女から奏でられる、溢れださんばかりの嬉しさを乗せた鼻歌が、小さな庭に慎ましげに木霊する。
少女に世話されている花々は、ジョウロからの水と彼女の気持ちを一心に浴びて、御機嫌麗しそうに揺れていた。
季節からすれば薄ら寒い気候の中でも、いつもと変わらぬ日差しが大地を照らしてくれるおかげで身体の芯は温かい。
「さってと、次はお野菜をみてあげなくちゃ!」
水が空になったジョウロを花壇の脇に置くと、そう意気込んで袖を捲りあげる少女――キアラ・キンヴァースは、神聖アークレイム教国領ルー・カルズマで小さな宿屋を営む夫婦の一人娘だ
容姿は端麗、気だてが良く、家事は全てにおいて万能。性格は明るく、前向きでありながら、困った人をみると放っておけないという世話焼きな一面も。さらには客商売を営みながらも、客に向けられる花のような笑顔は素のものとくる。
アークレイム領内では比較的大きな街に分類されるこのルー・カルズマの中でも、5本指に入るほどの人気を誇る看板娘であった。
その人柄ゆえかいつも笑みを絶やさないキアラではあったが、そんな彼女を知る誰の目から見ても、ここ二日間はかなり上機嫌だった。
「もうそろそろ衣替えの季節かしら」
手が悴むとまではいかないものの、長袖の衣類が手放せなくなってきた寒空の下でそう呟くキアラの笑顔は、見る人から見れば太陽の如き輝きを放っている。
「雲が高いわぁ」
そう呟きながら、太陽の日差しの眩しさに目を細めつつ、緩やかに漂う綿飴のような白雲に手を伸ばすキアラ。
「キアラ、いるかい?」
「あ、お父さん。どうしたの?」
そこへ現れた、初老の男性――キアラの父ハウゼルは、娘の満面の笑みに思わず相好を崩しながらも要件を伝える。
「調味料が色々と底を尽きそうだから買ってきてもらえないか? 畑の面倒なら私がみておくから」
「なら、早速買い物に行ってくるね。ついでだからルーケンスさんのところに寄ってもいい?」
頼み事に素直に応じてくれたキアラだったが、ここで甘えたような表情をみせる。
その意味を察したハウゼルは嬉しいような寂しいような……当人にしかわかりえない複雑な感情を苦笑いで隠しながら頷いた。
「それは構わないが、あまり作業の邪魔をするんじゃないぞ?」
「だーいじょーぶっ! 邪魔なんかしたら結局私達に返ってくるんだもん。それくらいわかってるわ」
上機嫌なところにさらに"別"の嬉しさが合わさり、放っておけば街中でスキップしそうな勢いの娘を窘めつつ、買ってくる物が記されたメモを渡すハウゼル。
「そうか、ならいいが。あまり浮かれすぎて転ぶんじゃないぞ? 気を付けてな」
「も~! 子供じゃないんだからね?いってきます!」
そんな父親に頬を紅くして怒りながらも、やはり笑みは崩れないキアラは元気よく出掛けて行った。
――そして、そんな娘の帰りを待つ宿屋の夫婦に届けられた一つの紙袋。その中には娘が買い揃えたらしい調味料の類と一枚の手紙が入っていた。
【お前達の娘は預かった。返してほしければ、金貨を100枚入れた袋を持って西表通りにある酒場アルテンツの一番奥の席に、日暮れから1時間後に来い。もし下手に騒いでみろ?娘は二度とお前の元へは帰らなくなるぞ】
◆◆◆
父に頼まれた買い物の品を納めた紙袋を抱えながら、キアラは上機嫌な足取りで"とある場所"に向かった。
その場所とは、優秀な建築士であるルーケンスがいる場所であり、新しい我が家兼宿屋が建つ敷地のことで、キアラにとっては恋人に会える場所であると同時に、新しい我が家が建築されていく様子を見れるという二重の楽しみが待つ場所である。
――キアラがここのところ上機嫌だった理由は、新しい宿屋を建てるという念願の夢をようやく叶えることができたからであった。
そのことを重々自覚しつつも緩む頬を直すことができないキアラは、通行人(主に男)が思わず振り向くような笑顔を垂れ流しつつ、小走りで歩を進める。
そして、愛しの彼と我が家の姿を目にした途端に大声で呼びかけた。
「ルーケンスさーん!! こんにちはー!」
突然の大声に彼女の近くを通っていた通行人が思わずギョッとした表情をみせるが、キアラは構わずルーケンスの傍まで駆け寄った。
人に対して細かな気遣いができるキアラにしては非常に珍しいことであるが、周りが見えなくなるくらい嬉しいらしく、その視線はルーケンスを定めたまま全く動かない。
「やぁ、キアラ。随分と機嫌が良さそうだね」
「だって、あなたと新しいお家に会えるのがとても嬉しいんだもん!」
「ふふ、そうかい? 僕も君の期待に応えられるよう、精一杯努力させてもらうよ」
「ふあ……」
朗らかな表情を浮かべるルーケンスの大きな手が、キアラの頭を撫でる。
キアラは顔を真っ赤にしながらもされるがまま大人しくなった。
「昼間っからみせつけてくれますねー、ルーケンスさん。俺達は空気ですかー?」
「俺の頭も撫でてくださいよー」
「お前の坊主頭なんて誰も撫でたくねぇだろうよ」
「は、ははは……」
仕事仲間からの明るい野次に若干照れくさそうに頬を掻いて誤魔化すルーケンス。
作業はまだ骨組の段階に入ったばかりで全体像はまだ曖昧だが、それ故に期待は無限に広がっていく。
建築士としてこの街では有名な彼が直々に手掛けるこの建物は、さぞや素敵な宿屋となって生まれくることだろう。
そんな将来の我が家と、未だに頬の赤みが消えていない愛しの彼を見つめながら、キアラは幸せそうに微笑んだ。
◆◆◆
――それからしばらく新しい家が作られていく様子を眺めたあと、キアラは父親に注意されたとおり、ルーケンスの邪魔をしては悪いということで家に帰る旨を伝えた。
「もう行くのかい?」
「あまり長居してもルーケンスさんの邪魔になるだけだし、宿屋の仕事もしないといけないから」
「邪魔なんてことはないけど……確かに仕事を放っておくのは良くないね。わかった、気を付けて帰るんだよ? ハウゼルさんにもよろしく伝えておいて」
「うん! ルーケンスさんもお仕事頑張ってね! 次来るときは何か差し入れ持ってくるから」
「期待して待ってる」
ルーケンスに手を振ってみせたキアラは、紙袋を抱え直すと行きよりもゆっくりとした足取りで帰路につく。
そして、しばらく歩き、家までの近道である人気のない細道に差し掛かかったところで、前から男が歩いてくるのを視認した。
その男はあまり身なりが良いとはいえず、キアラを見つめながらニヤけているようにも見える。
そのことに本能的な恐怖を覚えたキアラは来た道を引き返そうと後ずさり、そこで――
「騒ぐな」
「――ッ!?」
突然後ろから誰かに抱きつかれ、口元に湿った布を当てられた。
随分前から誰かにつけられていたらしく、前から近寄ってくる男は動揺する素振りすらみせないことから、どうやら後ろの男の仲間のようだ。
「んー!? んんー!!」
言葉に言い表せない程の恐怖と焦燥感に後押しされ、なんとか逃げようとキアラは必死にもがいてみせるが、後ろから無理矢理抑えつけてくる腕は力強く、どうにもならない。
「大人しくしろ」
「んーーっ!!」
そうこうしているうちに、布に染み込んでいた薬品が浸透してきたらしく、視界が徐々にボヤけ、身体に力が入らなくなってくる。
(ルーケン……ス……さん……助け――)
少女の切実な心の声は誰にも届くことなく、意識は闇の淵へと落ちていった。
――それからどれだけの時間が過ぎていったのだろうか。
「ん……っ!」
冷たい何かが頬に当たり、まどろんでいた意識が徐々に覚醒へと向かう。
「ここは……?」
なかなか回転を始めない頭を振りつつ、キアラは自分の身と周囲を見渡した。
全面を岩肌に囲まれ、鉄柵で入口を塞がれている。どうやら牢獄らしき部屋に放り込まれているらしい。
首と両腕には鎖を繋がれており、一定以上歩くことができないように制限されている。逃亡させない為の予防策だろう。一応、牢獄の隅から隅まで移動できるだけの余裕はあるようだ。
幸いというべきか、それ以外に何かされた形跡はない。
「そういえば……思い出してきた。ルーケンスさんと別れて近道の細道に入ったとき、いきなり後ろから男の人に……」
口元に無理矢理布を当てたられた途端に意識が遠のいてしまったことを思い出し、自分が賊に誘拐されてしまったのだと頭の隅で理解した。
何の為に自分を拉致したのか。身代金目当て、それとも単純に身体が目当てだろうか。いや、その両方と考えた方がしっくりくる。
身の毛もよだつ想像に底知れぬ恐怖を抱いたキアラの脳裏に「なんとかこの場所から脱出しないと……」――そんな無謀な思考が、今にも破裂しそうな焦燥感に背中を押されて浮上する。
「くぅっ……!」
キアラは牢獄の外の様子を確認しようと鉄柵に手を伸ばした。
金属が擦れ合う耳障りな重い音がどうにか保っている平常心を乱し、天井から落ちてくる水滴の音が無意味に恐怖を増長させる。
そんな極限の状態でも、キアラはどうにか鉄柵まで歩み寄り、外の様子を確認した。
周囲は不気味な程に薄暗く、所々に照明を設置して視点を確保しているが、それも申し訳程度でしかなく、はっきり言って明かり不足この上ない。
個人で松明を持ち歩かなければ、歩くことさえままならないだろう。
もしかしたら、何かしらの対策なのかもしれないが、今のキアラにとっては最早どうでもいいことだった。
鎖は頑丈で外せそうにないし、鉄柵は古びているものの女の腕力でどうにかできるような代物ではない。仮にこの2つをどうにかできたとしても、明かりがなければ歩くこともできないのだ。
そもそも、脱獄したところで、この洞窟の構造がわからない以上、余程の幸運に恵まれない限りいずれ掴まってしまうだろう。
そこまで考えが至ったキアラに、奈落の底より深い絶望が圧し掛かる。
彼女は一歩、二歩と鉄柵から離れると、その場に力無くぺたんと座りこんだ。
そのまま両膝を両腕で抱え込み、その隙間に頭を埋める。
「お父さん……お母さん……ルーケンスさん……」
最愛の両親に、自分を妹のように可愛がってくれる建築士のルーケンス。彼らの笑顔が脳裏を過っては、消えていく。
そして……。
「ソーイチさん……セフィーアさん……」
とある傭兵達を叩きのめしたことで巷でも密かに噂になっている、漆黒の衣に身を包んだ冒険者とそのパートナーである絶世の蒼髪美女を思い出し――
「どうか助けてください……」
藁にも縋る想いで、一抹の望みをポツリと呟いた。
◆◆◆
「ところで、今後の方針なんだけど――」
「ん?」
聡一の魔法に対する素質云々の話に決着がつき、その後特にすることもなく食堂でのんびりと過ごしていた頃、思い出したかのように聡一が口を開いた。
セフィーアは新しく淹れてもらった紅茶を喉に流し、一息ついたところで小首を傾げる。
「いや、この街に滞在して結構経つじゃん? だから、そろそろ新しい街に行ってみるのはどうかと思ってさ。俺も元の世界に帰る方法とか色々と情報得たいし」
「あぁ……そのことだけど、もう次の目的地の候補は考えてあるの」
聡一が己の意思を告げると、セフィーアは納得したように頷いた。どうやら、彼女自身もそろそろ次の目的地に移動することを考えていたようだ。
「その候補って?」
「聖都リシティア。神聖アークレイム教国の首都」
聖都リシティアとは、アークレイムの首都だけあって、教国領土の中では最大の面積を誇る美しい街である。
女神を信奉する宗教国家だけあって、街の中でも緑が目立つ趣のある都だ。なかでも首都中央に建てられた大図書館は大陸でも随一を誇る情報量を誇っており、それに因んだ特殊な研究機関も存在するほどだ。
「なるほど、確かに首都なら情報を集めやすいかもね。個人的にも町並みとか興味あるし。うん、俺は賛成だよ」
「ん。ちなみに距離としてはここから大体2日程度のところね。でも、今回はすぐ直行ってワケじゃなくて、観光がてら途中で他の街にも寄っていきたいの……ダメ?」
窺うようなセフィーアの上目使いが聡一に向けられる。
――どうせ急いだところでほぼどうしようもない旅なのだ。それなら楽しくこの世界を周りたい。
そう思った聡一は是非も無く頷いた。
「文句なーし」
「なら決まり。それじゃ今のうちに準備を整えて、明日の朝にでも出発しましょうか」
「りょーかい」
パッと表情を明るくさせてそう述べたセフィーアは例の魔術鞄を出現させると、中から羊皮紙と羽ペンとインクで満たされた小瓶を取り出し、早速何やらメモを書き始める。
どうやら買い足す必要がある物を確認し、忘れないように書き留めているようだ。
そういう細かいコトは基本的に面倒なので一切実行しない聡一は、セフィーアのマメな姿勢にこっそりと感心した。
ちなみに蛇足だが、このスペースバッグという名称はとある冒険者が神様の啓示を聞いたとかいう噂が元らしい――曰く、「ア スペース ワープ マジック バッグ。略してスペースバッグ……センス?なにそれおいしいの?」という声だったらしいが、嘘か真かは定かではない。
ただ、センスのあるなしはともかく、単純に[鞄]としか呼ばれなかったこの魔術鞄を示す際の単語としては非常に有用だとかで、結果として冒険者達の間ではこの[スペースバッグ]という名称が爆発的に広まった。
「――ところで、聖都まで2日って話だけど……」
インクを付け、さらさらと羊皮紙に文字を書いていくセフィーアの姿をなんとなく眺めながら、聡一は口を開く。
「それってピノに乗っての話だよね?」
「そうだけど?」
彼の方には顔を向けず、ひたすら右手に握った羽ペンを動かしながらセフィーアは肯定する。
そんな彼女をみながら、聡一は――ペンを動かしている最中の彼女の耳に息を吹きつけたら、あの羊皮紙に書かれている文字はどれだけ歪になるのだろうか?などと、ひじょ~~~にくだらないコトを考えつつ、言った。
「ここから首都まで馬車に頼ったらどれくらい掛かったりする?」
「んー……大体2週間~3週間くらい必要かも」
「なるほど。そう考えると実は結構遠いよなぁ。幻獣チート恐るべし」
その一言を最後に押し黙る聡一。他に聞きたいことも特に無く、セフィーアの作業が終わるのをじっと待つことにした。
しかし、暇というものは万人に退屈を促す。そして人はそれを払拭せんが為に時として思いがけぬ行動に出てしまうもの。
聡一もその例に洩れず、なんとか暇を潰そうと思考を捻り、先ほどの会話の中で漠然とイメージした行動を実行してみようという結論に至った。
一度決断してしまえば行動は早い。
聡一は羊皮紙から視線を動かさないセフィーアを確認しながら、気配を消してそっと椅子から立ち上がる。
ターゲットのセフィーアは黙々とメモ書きに集中している為に全く気付かない。
そのことにほくそ笑みながら、聡一は足音を消して注意深く彼女の後ろに回り込み――
「フゥ~……」
無防備な彼女の耳元へ息を吹きかけた。
「ひぅッ!?」
可愛い悲鳴と共に仰け反る身体に合わせて、羽ペンが強引に右へ一閃される。
「――ちょっ!いきなり何す…………」
突然の出来事に頬を真っ赤に染めたセフィーアは聡一を怒鳴りつけようと顔を上げる前に、黒一文字横一線(急遽命名)された羊皮紙の哀れな姿に気がつき、無言のままそっと羽ペンをテーブルに置いた。
「………………」
それと同時に形容し難いオーラが彼女の身体から立ち上り始め、そこで初めて聡一は自らが犯した取り返しのつかない過ちを悟った。
「あ……その……ちょっとした出来心というか、冗談のつもりだったんだけど……」
聡一が掠れた声で弁明するも、セフィーアは答えない。
その威圧感といったら尋常ではなく、ズゴゴゴゴなんて地面が鳴動しそうな擬音が幻聴として聞こえてくるほどである。
そして、唐突に立ち上がったセフィーアはごく自然な動作で聡一の頭を鷲掴むと……。
「――この、ばかぁッ!!」
――ゴッ!!と壮絶なヘッドバットをお見舞いした。
「あがぁ!!?」
恐怖で硬直していた聡一は額に痛烈なクリーンヒットを貰い、床を転がるようにして悶絶した。
「ふんっ」
頬を染めつつ、鼻を鳴らしてそっぽを向いたセフィーアは、少々乱暴な感じで椅子に座り直すと、再びメモを書き留める作業を再開する。
無論、床でのたうつ聡一は放置である。
――そこへ扉を蹴飛ばすような勢いで初老の男性が現れた。
突然、食堂内に響いた轟音にビクッと肩を震わせて驚いたセフィーアは、思わず手を止めて振り返る。
聡一も額を痛そうに押さえながら、なんとか立ち上がって闖入者に顔を向けた。ただし、彼の場合はとっくに気配を掴んでいたらしく、セフィーアのように驚いた反応を見せることはない。
闖入者もとい宿屋の主ハウゼルは、食堂の隅のテーブルを陣取っている聡一とセフィーアの姿を見つけると、他のテーブルを蹴倒しながら駆け寄ってくる。
その鬼気迫る様子に若干引いた2人は、何か彼の気に障ることでもしただろうか?と互いに顔を見合わせた。
しかし、2人の目の前まで近寄ってきたハウゼルの行動は2人の想像の斜め上をいくもので……。
「お二人を冒険者と見込んでのお願いでございます! どうか……どうか私の娘をお救いください!!」
「「――はい??」」
怒涛の勢いで土下座する彼に聡一とセフィーアは一瞬呆けたような表情を浮かべると、再びお互いの顔を見合せて首を傾げた。
◆◆◆
それから3人は食堂から場所を移し、ハウゼルの私室に向かう。
そこで事のあらましを聞いた聡一とセフィーアは、問題の手紙の内容を確認し、頭を悩ませた。
「白昼に堂々と女の子を攫うとはね。"その手の仕事"には手慣れてる連中か」
「その可能性は高いかも。難民達の問題で常に自警団が見回りしてるこの街で、誰にも事を露見されずに人一人誘拐してみせる手際の良さは組織的にもそれなりのレベルと見るべき」
重苦しい空気の中で、淡々と意見を交わしていく聡一とセフィーア。
ハウゼルはそんな2人の会話をテーブルに肘をついて頭を両手で抱えながら、俯いて聞いていた。
外から監視されないように予め部屋のカーテンは閉じてもらってあるので、ハウゼルが他人に助けを求めたと知られる心配はない。
「身代金の金貨100枚って白金貨5枚分だよね? そんな額を今日中に持ってこいとか不可能でしょ。ていうか、なんでわざわざ嵩張る金貨を指定するんだ?」
「白金貨なんて価値こそ最上級だけど、一般市場じゃ利用価値はほぼ皆無だもの。そもそも貴族ですら安易に扱える代物じゃないのに、そこらへんのゴロツキ風情が見せびらかしたりしたら、どうやって入手したのか普通は怪しまれる。それを警戒して金貨で要求してるのよ」
「なるほど。ちなみに、平民の月収っていくらくらい?」
「えっと、せいぜい白銀貨30枚前後ってところ」
「年収でも金貨7枚程度か。約14年分の賃金……こりゃ参ったなぁ」
セフィーアの説明に納得した聡一だったが、その表情はさらに曇っていく。
「そうね。こんな大金をどうやって入手すればいいのやら……。下級貴族ですら一日で用意するのは難しいかもしれないのに、平民にこれを要求するなんてとんだ無茶振りだわ」
「いや、確かにそれもあるけどさ。俺が言いたいのは、こいつらはキアラさんを返すつもりなんて毛頭ないんだなってことで……」
その言葉を口にした瞬間、項垂れて震えていたハウゼルが猛烈な勢いで顔を上げる。
「なっ!? そ、それはどういうことですかっ!!?」
「――っと! ハウゼルさん、どうか落ち着いてください」
テーブルから身を乗り出さんばかりに詰め寄るハウゼルをなんとか宥め、聡一は言葉を続けた。
「よく考えてもみてください。これだけの事を真昼間からしてのけた誘拐犯の頭が、金貨100枚なんて大金をごく普通の宿屋の主が一日で用意できるなんて本気で考えてるハズがありません。つまり――」
「つまり、金は毟れるだけ毟るけど、キアラさんについては適当な文句をつけて返さない……ってこと?」
「そーゆうコト」
的確に自分の言いたいことを述べて見せたセフィーアに、聡一は肩をすくめて頷いた。
「ならば、金貨100枚全額を用意しても、キアラが無事に戻ってくる可能性は……?」
「残念ですが、その可能性はかなり薄いでしょう。もし俺が誘拐犯の頭なら、仮に貴方が全額きっちり持ってきたとしても「娘に会わせてやる」だの理由をつけて街の外の適当な場所に向かわせたあと、待ち伏せさせていた仲間に殺させるくらいの策は用意します。その方が、その後の始末なども楽ですから」
「そ……そんな……。な、なら、やはり教団兵に通報するべきなのでしょうか……」
「それはやめておいた方が賢明かもしれません。俺なら、教団兵や自警団の動きを探らせる為に人員を何人か配置しておきますから。何かあればすぐ報復できるように」
「………………ッ」
容赦のない聡一の意見に絶望したハウゼルは、床に掌と膝をついて俯いた。
その一部始終を黙ってみていたセフィーアは優しくハウゼルの肩に手を置きながら、聡一に窘めるような視線を投げかける。
「ソーイチ、いくらなんでもハッキリ言い過ぎ。もう少し言葉を柔らかくしてもいいハズよ?あなたが言ったのは、あくまで"そういう可能性がある"っていう話なんだから」
「………………」
セフィーアは、憔悴し切ったハウゼルの様子に同情の眼差しを向ける。
しかし、聡一はハウゼルを慰めることはせず、地面に膝をつき、落ち込む彼に視線を合わせた。
「ところで、そのルーケンスさんという方はどんな人なんですか?」
「ソーイチ? いきなり何を…………ん…………」
唐突に何を言い出すのかと戸惑うセフィーアを珍しく厳しい視線で黙らせると、聡一は質問を続ける。
「教えてください」
「……ルーケンスはこの街の建築士で、キアラの恋人です。実直で誠実な性格ですよ。物腰も柔らかく、彼を慕っている人は大勢いますが……それが何か?」
「その人は信用に値する人物ですか?」
「……は?」
呆けたように口を開けたまま何も答えないハウゼルに対し、聡一は同じ質問を繰り返す。
「その人は信用に値する人物ですか?」
「ま、まさか、彼をこの件に関わらせるおつもりですか!?」
「えぇ。人手は一人でも多いほうがいいですから」
それで彼が何を言いたいのか察したハウゼルは思わず声を荒げるが、聡一はいっそ冷淡といえるほどの無表情で返した。
「し、しかし…………いえ、わかりました。私は何をすればいいのでしょうか?」
聡一の考えに大いに反対の意見を唱えたかったが、ハウゼルは口を噤んでその先を促す。
この件について助力を求めたのは他ならぬハウゼルであり、彼自身は何も妙案が浮かんでいないので、聡一に従う他ないのだ。
何よりも愛娘の命が掛かっている。キアラを救う為ならば、とハウゼルは覚悟を決めた。
「話が早くて助かります。では、今から言う物を早急に用意してください。まず――」
ハウゼルの覚悟を決めた表情に満足した聡一は、己が考えた作戦の説明を交えつつ、いくつか欲しい物を要求した。
《マジメなあとがき》
おまたせして申し訳ありませんでした!orz
ていうか、まさかのランキング8位なんて……あ、ありえない……。
何故にこんな駄作が……?
ともあれ、この作品に目を通してくれた全ての皆様に感謝を!
ちなみに、スペースバッグという名称は最弱なる斬賊様の案を採用させていただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。
それと、少し早めですが……メ、メリークリ……ス……マスッッ!!
_|\○_ <……うわぁぁぁん!!