第11話 魔道士の素質――その3
「準備はいい?」
セフィーアは聡一の手を握ると、自分の指を絡めながらそっと握った。
曰く、ただ手を握るよりも、より密接に重ねた方が相手に魔力を送りやすいらしい。
ただ手を握るだけの動作なのに、女性らしい色気が垣間見えるのは彼の精神衛生上あまりよろしくないところだが、そうした方が事がより円滑に進むというのならば受け入れなければならない。
聡一はほっそりとした彼女の手を見つめながら、脳裏に蔓延る邪念を努めて無視しつつ、身体の力を抜いて来たる魔力に備える。
「完了っす」
「ん。じゃあこれから流すけど、絶対に私の集中を乱すようなマネはやめて。下手するとあなたの命がなくなるから」
「肝に銘じとくよ」
静かに目を閉じたセフィーアは、意識を集中させて先程から体内に循環させていた天然魔力を掌に集中させる。
そのことで魔力が脈動し、淡い緑色の光を伴い始めた。
ここからは神経を尖らせなければならない。
個体魔力を流した時とは違い、微細な調整をしながら少しずつ天然魔力を流し込む作業は必要以上の集中力を必要とする。
誤って大量に天然魔力を流してしまえば、聡一の身体どころか、下手をすれば命すら危ぶまれる事態に陥ってしまう可能性があるのだ。
万が一にも調節を誤らないように細心の注意を心がけながら、セフィーアはゆっくりと聡一の掌に天然魔力を送り込んだ。
「……どう?」
「んー……特にこれといって何も」
「そう」
セフィーアの個体魔力を流し込まれたときは気泡を注入された感覚に近かったが、今回は水っぽいゼリーを直接流し込まれているような感じだ。それが身体を巡るうちに溶けていき、心臓あたりで完全に消える。
慣れない感覚に少し戸惑いは覚えるものの、これといった不快感も無く、特に問題はない。
「それじゃ少しずつ量を増やしていくけど、いい?」
「いつでもどうぞん」
聡一の余裕のある態度に安堵しつつ、セフィーアは丁寧に送る量を調節しながら少しずつ天然魔力を増やしていく。
いわば、水道の蛇口を少しずつ捻って出る水の勢いを増していくような感じであり、その水に対し聡一は溶けるゼリーのような印象を抱いているというのが表現としては一番近いかもしれない。
「いい? ほんの少しでも気分が悪くなったらすぐに教えてよ?」
「わかってる」
セフィーアは再度聡一に忠告し、聡一も素直に頷いた。
それに満足したセフィーアは遠慮なく天然魔力を送り続ける――
「ソーイチ、大丈夫?」
「ハッハッハ。全然平気っすよ! 俺を具合悪くさせたら大したモンっすよ!」
普段冷静な彼女がこれほどまでに聡一の身体を気遣ったことなど一度も無く、暗にそれだけ危険な行為であるということが伺える。
心配そうに体調の具合を訪ねてくるセフィーアに、聡一は敢えてテンション高めで答えた。
「そう。ならいいけど。身体の内側に"何か"が溜まってきた感じはする?」
「いや、そういう感じはしないかな」
「………………」
だが、いつまで経っても聡一は特に何の反応も示すことなく、時間だけが過ぎていく。
そして、魔道士の平均的な許容量に到達し、さらに2倍、3倍と増えていき、とうとうセフィーアの天然魔力許容量すら追い抜いたところで、抽出した天然魔力の底が尽きてしまった。
(まさかの展開ね……)
セフィーアは聡一の並みはずれた素質に内心で驚嘆しつつ、まさか個体魔力の総量だけでなく、天然魔力の耐性まで追い抜かれるとは思わなかっただけに、ショックを隠せなかった。
(天然魔力の耐性にもそれなりに優れてるっていう自負はあったんだけどな……)
これでも、個体魔力、天然魔力耐性、共に魔道士の平均値を桁違いに上回るセフィーアは、彼女を囲んでいた周囲の人間から100年に一人の逸材と騒がれていた程であり、天輪十二貴族の中では最高の治癒魔道士としても知られている。
その自分を優に超える魔道士の資質を聡一が持っている。そのことが嬉しくもあり、同時に悔しくもあったのだが――
「終わった」
「おぉ。どんな感じ?」
「残念だけど、私の力量じゃソーイチの底を調べることはできなかった。まぁ少なくとも素質は私以上あるから安心して」
「なんと! これで俺が戦術向きだったら、まさしく歌って踊れる冒険者になれるワケですね! わかります!」
「ソーイチのニュアンスってたまに凄く分かり難い……」
意味が掴み辛い台詞をのたまいながら嬉しさを全面に表す聡一。
「送った天然魔力を回収するから、もうしばらく手は離さないで」
「おういえー」
魔法が使える、と現役魔道士のお墨付きを貰った彼は言われるがまま大人しくなった……顔に満面の笑みを貼り付けて。
そんなわかりやすい彼に苦笑しながら、セフィーアは残った作業を進めることにした。
――しかし、問題というのは予想だにしないタイミングで現れるもので……。
「え? ……なにこれ」
和やかな雰囲気から一転して、少し慌てたようなセフィーアの口調が聡一の耳朶を叩く。
それから、再び天然魔力を抽出し始める彼女に対して「また何か問題でもあったの?」と尋ねる前に――
「ちょっと確かめたいことがあるから、悪いけどしばらくこのままじっとしてて」
そう言うが早いか、セフィーアは握った掌から再び天然魔力を聡一に送り始める。
――嫌な予感がする。
二人はほぼ同時にそう思った。意味合いは双方で少し違うが……。
「……オーライ」
掌から流れてくる天然魔力は先程までと全く変わらず、水っぽいゼリーが身体を巡って心臓あたりで完全に消えてしまうといった感覚だ。
ただ、少し違うのは、身体の中に残った"何か"が再び掌を通じてセフィーアに流れていくという点。
2分程度この作業を続けていたセフィーアは、不意に魔力の流れを止めると、そっと聡一の手を離して呆れたような態度でこう言った。
「ソーイチ、あなたってホントに……どこまで規格外なの?」
「あー……すみませんつい」
状況がイマイチ理解できていない聡一だったが、とりあえず謝罪しておいた。
◆◆◆
セフィーアは食堂を見回し、自分たち以外に人気がないことを確認すると、若干声のトーンを低くして言った。
「結論から言って、聡一は魔法を使うことができないってコトがわかったの」
「……まぁそんな予感はしてましたよ、えぇ」
諭すようなセフィーアの台詞に、聡一は残念そうに項垂れながら答えた。
セフィーア以上だと思われていた天然魔力の耐性なのだが、実のところ、聡一は送られてくる天然魔力をずっと蓄積していたのではなく、"分解"して吸収していたのだ。
分解され、その大半を吸収された天然魔力は、他の魔力を反射する性質だけを残し、ただの魔力の搾りカスとして聡一の身体から霧散していたのである。
天然魔力を回収しようとしたセフィーアは、聡一の身体に全く天然魔力が蓄積されていないことを知り、個体魔力を送った際の違和感と重ね合わせた。
そして、個体魔力の総量を調べたときと同じように、コーティングした天然魔力を聡一の身体に循環させ、魔力の変質具合を確かめた。
結果は、個体魔力を流した時と全く同じだった。
「とりあえず私の推論としては、ソーイチは身体に取り入れた魔力を分別なく分解して、自分の個体魔力に変換させてしまう体質らしい、ということくらいしかわからないけど……」
「その心は?」
「節操がない」
「……おーあーるぜっと」
自分で振ったクセに、セフィーアのさりげない毒舌に凹む聡一。
「あなたの言葉の意味がよくわからないのは一先ず置いといて……。強い毒性を持つ天然魔力を吸収してしまうあたり、許容できないってワケではないと思うの。でも、蓄積できないという意味ではそこらの一般人と何等変わりない。天然魔力を蓄積させることができないってことは、自らの個体魔力と融合させて構成魔力を作ることができないって意味だから」
「その心は?」
「無能と天才は紙一重」
「一部単語が違うけど、どっちにしろ酷いっていう……おーあーるぜっと」
魔力を感覚で操る程度なら訓練すれば可能だろうが、魔法を行使することは永久に不可能という事実は不変であり、魔力のみを操ったところで何の価値もないので、結局のところ、聡一はただのバカでかい魔力タンクでしかないのだ。
「まぁソーイチは魔法が使えないっていう事実はどうでもいいとして――」
「――え?」
「………………私が悪かったから、そんな泣きそうな顔してないでまずは聞いて。問題はあなたが魔法を行使できないことじゃなくて、魔力を分解し吸収してしまうという体質なの。私の持てる知識を掻き集めても……他人の個体魔力ならいざ知らず、天然魔力すら自らの個体魔力に変換してしまう人間なんて知らないし、今まで読み漁ってきたどの魔法書の文献にもそのような記述は存在しなかった。……私が何を言いたいのかわかる?」
テーブルを支えに頬杖を突きながら目を細めるセフィーアの思わせぶりな態度に促され、聡一は己の考えを纏めてみる。
「んーと、ようするに俺は貴重な存在ってこと?」
「その通り。それじゃあ、もしソーイチが今まで見たこともないような不思議な動物を見つけたとして、そのあとはどう行動する?」
見たこともないような不思議な動物というワードから、元の世界で一時期噂になったツチノコを連想した聡一は、しばらく悩んだ挙句、答えを出した。
「見なかったことにする」
「………………」
「だって下手に追いまわして噛まれたりしたらイヤだし」
聡一の予想外の答えに一瞬唖然としたセフィーアは、すぐに我を取り戻すと、額を抑えながら言葉を続けた。
「……例えを変えるわ。もし、その動物を捕まえれば多大な報奨金が貰えるとして、お金に貪欲な人間が偶然見つけたらどうなると思う?」
「そりゃ捕まえて売り飛ばす――あ……」
世にも珍しい動物が人間に捕えられた場合、その末路は色々と想像できるが……少なくともまともな結末にはならないということだけは断言できる。
「そういうコト」
顔を顰めてみせる聡一に、セフィーアは片目を瞑って頷いた。
ようするに、もし聡一の特異体質が世間に露見すれば、例の希少動物に限りなく近い末路が大手を振って歓迎してくれるという意味である。
ようやく合点がいったらしい聡一は、セフィーアの言わんとする言葉の意味を理解すると「いやーん」と気色悪い悲鳴をあげながら、自ら身体を抱き締めるようにして震えてみせた。
最も、その動作は例外なく演技染みており、本気で身の危険を案じているというワケではないらしい。
まぁ顔が少し引き攣っているのは、さすがに演技ではなさそうだが。
「面倒事にならない為にも、魔法の件については色々と自重してよ?」
「はーい先生」
緊張感の欠片もない返事に、彼は本当に事の重大さを把握しているのか不安になるセフィーアだったが、当人があまり気にしてないのに、自分だけ気に病むのも滑稽な話なので、セフィーアもこれ以上は気にしないことにした。そもそも、そう簡単にボロが出る類の問題でもないので、魔法に関する話題に気を配るよう心掛ければ、さほど苦労はないだろう。
「それにしても天然魔力が分解されると最終的には個体魔力になるなんて知らなかった。そもそも魔力を分解するなんて、理論的に考えて人間の身体じゃ不可能なハズなのに……」
気を取り直したセフィーアは、カップに残っていた紅茶を一気に飲み干すと、己の考えを纏めるかのようにブツブツと独り言を呟き始める。
そんな彼女に、聡一は少し寂しげな笑顔を浮かべながらこう言った。
「それはたぶん、俺がこの世界の住人じゃないからだと思うよ」