第07話 刹那の出会いは悩みを打ち消す
初めて受けたギルドの依頼を達成してから既に一週間。
人に仇なす魔物を狩るコト自体には初めから躊躇いなどなかったが、全てを成し遂げた後に襲ってくる、生き物を殺したという罪悪感と吐き気にはまだ幾分か悩まされていた。
セフィーアは数をこなしていけばいずれ慣れるだろうと言っていたが、果たして……。
殺なければこちらが殺られる――という単純明快な思考のもとにいっその事開き直ることができれば……とも思う聡一だったが、そう簡単に割り切ることができれば苦労はない。
鬱陶しい小蟲などは平気で殺せるくせに、子犬やら子猫以上の大きさの生き物を殺して罪悪感を抱くとは、何と自分勝手な話なのか。
自らが生きる為に他者を淘汰するというのは、自然の摂理において当然ともいえる行為なのだろうが……それに慣れてくれない自分の順応力の低さには甚だ遺憾に思ってしまう。
実際、化け物としか形容できないような魔物を斬り殺しても何とも思わないくせに、少し人に近い形をした魔物を討っただけで罪悪感を抱くとは、偽善なんて言葉を使うことすらおこがましいただのエゴでしかない。
魔物を斬っただけでこんな調子では、この世界で否応なく人を殺してしまった時、いったい自分はどうなってしまうのか想像もつかなかった。
まぁ自分がどんな状況に陥ろうとも人の命を奪う真似だけはしないつもりだが。
そんなことをしてしまえば、それこそ元の世界に帰ることなどできなくなってしまうだろう。
「とにかく割り切るしかない……か」
聡一は宿屋で借り受けた自室のベッドに横になりながら、自分に言い聞かせるようにボソッと呟いた。
何よりも怖いのは、この世界に慣れてしまうことで元の世界の常識を再び享受できるかどうかだ。
「自分の価値観を見失わないように努力しないと……」
既に時刻は午後5時半。
今朝受けたギルドの依頼はとっくに終わらせており、夕飯まではまだしばらく時間がある。
「あぁもう!グダグダ考えるのは性に合わないってのに!」
じっとしていると、すぐにくだらない思考が頭を過り、そのまま強制ループに突入してしまう。
聡一は頭を抱えながらベッドの上を無意味にゴロゴロと転がりまくった。
融通が利かない自分の頭を蹴り飛ばしてゴミ箱にゴールインさせてやりたいが、そんなことをすれば何の変哲もない普通の宿屋で突如起こった奇天烈猟奇殺人事件としてお茶の間を騒がせてしまうことは明白なので自重しておく。
「はぁ……生殺与奪にある程度の自由があるだけでこんなにも頭を悩ませるものなのか……」
元の世界では悩むコト自体が場違いな事柄に胸を締め付けられる日々……さすがに辟易しそうになる。
答えは出ているのに割り切れない。そんなもどかしさがこれ以上ないほどに煩わしい。
自分にとってそう大した問題ではないことはわかっているのだが……魚の小骨が喉に刺さってなかなか取り除けないような感覚が――時折、思い出したようにチクリと刺激される苛立ちが鬱陶しかった。
「剣でも磨こうかな――」
暇を持て余していた聡一はとりあえず気を紛らわせる為に剣の手入れをしようと……して思い直した。
「いや、やっぱり外に出よう」
剣の手入れをする代わりに外をぶらつくことにする。
あまり意味もなく外へ出歩くという行為は好きではないのだが、ここは見慣れた地元ではなく異世界の街。気分転換には多少なりとも貢献してくれるハズだ。
「剣は……必要ないか。ちょっと散歩するだけだし、短剣1本あれば十分だよな」
短剣を納めたホルダーを胸に装着し、その上から外套を羽織って出掛ける準備をする。
ちらっとフードマフラーを一瞥して、一応首に巻いておくことにした。
ここの土地の気候は元の世界に比べて少し肌寒く、夜ともなればそれなりに風が冷たい。
準備を終えた聡一は隣の部屋の扉を数回軽くノックし、扉越しに出かけてくる旨を伝えた。
セフィーアは服を脱いでいる最中だったらしく、少し慌てた様子で「気を付けて」と言葉を返してきた。
それに苦笑しつつ、聡一は階段を降りてロビーと食堂を兼ねている一階へと足を向けた。
「あら、今からお出かけですか?」
一階へ着くと、この宿屋を切り盛りする夫婦の一人娘であるキアラがいた。どうやら帳簿を付けているようだ。
「えぇ、ちょっと気分転換に散歩でもしようかと思いまして」
顔もスタイルも良ければ気立ても良く、彼女目当てにこの宿を利用する人間は多い。
男の冒険者達の間では、朝方見送られる際の彼女の笑顔が堪らないとかで秘かなアイドルとして祭り上げてるとかなんとか。
それだけではなく、この宿屋は朝~昼間だけの間に限り軽食屋も営んでいて、その時間帯は男女問わず彼女の凝った料理目当てに客が押し寄せ、必ずといっていいほど席が埋め尽くされる。
その為、収入も他の宿屋に比べて圧倒的に多く、近々改装しようかとも考えているらしい。
「そうですか。お夕飯は7時からですので、なるべく遅くならないうちに帰ってきてくださいね?」
「わかりました」
「あ……ちょっと待ってください」
「なんですか?」
唐突に聡一を呼び止めたキアラはパタパタと駆け寄ると、ほっそりとした手で聡一の髪を軽く撫でた。
「ゴミついてましたよ?」
「あ、そうでしたか。ややや、お手数かけてすいません」
「いえいえ。では、いってらっしゃい。お気をつけて」
「いってきます」
営業用ではない素の笑みを浮かべて見送ってくれるキアラに、聡一は同じく笑みを浮かべながら軽く会釈して宿屋を後にした。
「うーむ、あんな魅力的な笑顔で見送られちゃあね。確かにクセになるのもわかるわ」
てくてくと当てもなく道を歩きながら、聡一はとりあえず夜の街の雰囲気を見て回ることにした。
◆◆◆
「そのハズがなんでこうなるかなぁ?」
「何ゴチャゴチャほざいてやがるテメェッ!! この落し前どうつけてくれるんだあぁん!?」
「あぁいやいや失礼。でもまぁ落し前をどうのこうの言う前に小さな子どもに暴力っていうのは感心できないよね」
「貴方達……大の大人が寄って集って子供を脅して恥ずかしくないんですか?」
大通りの隅々まで無遠慮に響き渡る威圧的な怒鳴り声。
それが強化された聴覚に響くのか、若干苛立たしげに耳を抑えながら抗議する聡一。
彼が庇うようにして立っているその後ろには、脅える小さな男の子が1人と、男の子を庇うように抱きしめながら必死にあやす若い女性が1人。
そして、聡一達を囲んでこれでもかと睨みを利かせてくる人相の悪い男達が7人。彼らは全員腰に剣やら短剣を挿して武装している。恐らくは同業者か、仕事の都合でここに滞在している傭兵風情といったところだろう。
露店を出していた主人達は、いらぬ火の粉が掛かる前に退散しようと早々に店を閉じてどこかへ消えてしまった。
周囲の人間も足早に通り過ぎるか、遠目に様子を見守るだけで何の行動も起こそうとはしない。
(黙って見てる暇があるなら、誰か一人くらい衛兵を呼ぼうとは思わないのかねぇ……)
あからさまに溜息を吐き、落胆を現す聡一。
そんな彼の態度に、神経を逆撫でされた悪漢達は次々に口汚い罵倒を浴びせてくる。
「何余裕そうに溜息なんかついてんだテメェ? あぁコラ? 殺すぞカスが」
「自分が置かれてる状況わかってんのか? ボケ」
聡一はこめかみを押さえながら、面倒臭そうに欠伸した。
――散歩に出て早10分。
ただ歩くだけでは勿体無いので、せっかくだから投擲用のナイフ及び色々な用途で役立つ鋼線でも売りに出されていれば購入しようかと露店が並ぶ大通りに歩を向けたのが運の尽き……いや、ここは偶然通りかかって良かったと思うべきだろう。
聡一が出くわした光景は、お使いを頼まれたらしい男の子に屈強そうな男達が寄って集って詰め寄る姿だった。
どうやら帰宅途中に男達の誰か一人にぶつかってしまったようで、それを理由に大人げないイチャモンを吹っ掛けているらしい。
「可哀想に……」
「あんな小さい子供を……」
影で縮こまるように様子を眺めながらも、子供が哀れだと嘆く大人達。
(なら助けてやれよッ!!)
そう心の中で毒づきながらも、屈強な男達が大勢で年端もいかない子供を力任せに怒鳴り付けるという行為を止めようと即座に動く聡一。
だが、そんな彼よりも先に飛び出してくる人影があった。
聡一より少し下か同い年といっただろう白いローブを身に纏った女性は真っ先に男の子に駆け寄ると、子供を守るように抱きしめながら、暗闇でも目立つ黄緑色の長髪を風に靡かせつつ悪漢達を睨みつけた。
その時に悪漢達が見せた下卑た笑みはしばらく忘れられそうにない。
そして、子供と女性を庇うように聡一が介入し、今に至るというワケである。
「人様にぶつかっておいて謝罪もナシなんてありえないだろう? だから俺達が教育し直してやろうっていうのによぉ~」
「あっ……!」
その際、男の子が買ったものであろう食糧が包まれた紙袋が無残にも踏みにじられた。
それを見てゲラゲラと仲間同士で笑い合う下種共。
(このクソ野郎共が……)
聡一の心に、全身の血が沸騰するような激しい怒りがふつふつと沸いてくる。
両親から預かった大切なお金で買った食べ物を台無しにされて悔し涙を浮かべる男の子は、決して泣くまいと唇を噛み締めながら、男達に抵抗するように喉を振り絞って叫んだ。
「ボ、ボク、ちゃんとごめんなさいって言ったもん!!」
「んだとゴラァアッ!? ぶっ殺すぞガキ!」
「ひぅッ」
恐らく子供がぶつかってしまったのはコイツなのだろう。下種の睨みに身を竦ませる男の子だったが、女性が殊更に強く抱きしめることで自分の存在を主張し、安心させた。
「大丈夫、怖がらなくていいからね?お姉ちゃんが守ってあげるから」
「……うん!」
しかし、それとは別に聡一は男の子に対して思わず感嘆の声を上げそうになっていた。
いくら自分を護ってくれる存在が現れたといっても、それまでに悪漢達から受けた恫喝は小さい子供の身ではトラウマにすらなりかねない恐怖があったハズだ。
そんな状況の中、屈強な大人の男7人を前に、自分の意思を主張できるその強さは驚嘆以外の何物でもない。
この子は将来大物になる――そんな確信ともいえる想いに突き動かされた聡一は言った。
「お前らみたいな屑に教育されるまでもなく、この子は立派に成長してるよ。社会のゴミはゴミらしく大人しく清掃されてろ。あぁいや……子供に暴力を振るわないだけゴミの方がまだマシかな?」
「ゴミ……だとぉ……ッッ!? このヤロウッ!!!」
「嘗めた口利きやがって……その身体切り刻んで野良犬の餌にしてやる」
己をバカにされ、激情に駆られる悪漢達。
各々の武器を構えて後先の考えなしに突進してくるが、その動きはどいつもこいつも隙だらけ。
(短剣を抜くまでもないね、こりゃ)
一応、場慣れしてる雰囲気はあるが、聡一の前では些細な問題にすら成り得ない。
「うらぁ!!」
威勢のいい掛け声と共に剣を振りかぶってくる悪漢その1。聡一は自前の脚力を駆使してその懐に飛び込むと、剣を持つ手首を鷲掴んで一気に捻る。
ゴギッと全身の毛が総立ちするような生々しい音をたて、その手首の持ち主である悪漢その1は堪らずに剣を落とした。
ぷらん……と、可笑しな方向に力無く垂れ下る自分の手首を見やった悪漢はその場に呆然と立ち尽くす。
「ぎッ!? ギィャアアアア!!!!」
しかし、聡一は既にその場にはおらず、早速二人目の掃討に取りかかっている。
背後から轟いてくる痛々しい絶叫など気にも留めず、短剣を持ったまま硬直しているノロマの背後に一瞬で回り込み、肘間接を極めた。
「こ、こいつぶぎぁッ!?」
その際、慌てて仲間を助け出そうとしたマヌケの喉元に痛烈な蹴りを放ち、その喉を潰すと同時に二人目の肘関節を逆に曲げてへし折る。
一瞬で3人を片付け、さらに、今更ながら慌てて距離を取ろうとする4人目の胸倉を掴んで引き寄せると、顎に掌底を撃ち込んで砕いた。
白目を剥きながら仰向けに倒れゆく雑魚は放置し、聡一はその脇に控えていた禿頭の男に向けて、寸勁により爆発的な威力を兼ねた肘鉄を腹部に叩き込む。
肘鉄をまともに喰らった男は汚物を撒き散らしながら外壁に叩きつけられて動かなくなった。
「マ……マジかよ……」
「ありえねぇ……」
まさしく瞬きのうちに仲間5人を地に沈められた悪漢達は、鬼神の如く立ち振舞う聡一の姿にこれ以上ないほど恐れ慄いた。
残り2人なった悪漢達は冷や汗を垂らしながらお互いの顔を見合わせて逃亡を謀る。
「コラー!! そこのバカ共何をしとるかぁああ!!」
「「――げっ!?」」
しかし、そこへ現れたルー・カルズマの自警団により、その策は脆くも崩れ去った。
今の状況を現すなら、前門の聡一、後門の自警団といったところか。
「くっ……くそったれがぁぁぁ!!」
最早逃げられないと知り、短剣を持った角刈り男がヤケクソ気味に突撃してきた。聡一の喉元に短剣を突き立てようと彼の間合いに踏み込んでくる。
しかし、聡一は避ける動きすら見せない。
(これは殺った!!)
そう確信した男はニヤリと暗い笑みを浮かべる。
しかし――
「なにか可笑しなことでもあった?」
必殺を確信した短剣は彼の喉元に突き刺さるどころか、まるで届きもしていなかった。
聡一はそれこそ淡々と、突き出された短剣を人差し指と中指で挟んで止めていたのだ。
「なっ……!?」
もしかしたら避けられるかもしれないと予想はしていたが、まさか指2本で正面から受け止められるとは夢にも思っていなかったのだろう。
いつの間にか増えている周囲の人間達からも息を呑む雰囲気が伝わってくる。
まさしく愕然といった面持ちで石像のように動けないでいる男に軽く溜息を吐いてみせた聡一は、パキンッ!と指の力だけで短剣の刃をへし折り、そのまま男の薄汚い顔面に痛烈な拳打を見舞った。
悲鳴をあげることも許されず、ノーバウンドで壁に叩きつけられた男は、泡を吹きながらズルズルと倒れ伏した。その隣には先ほど殴り飛ばされた禿頭の男が気を失っており、2人仲良く壊れた人形のように地へ転がるのだった。
「ひっ!? ひいぃぃぃぃ!」
最後に残された一人はとっくに戦意を喪失していたらしく、逃亡の構えに入っていた。……逃げ場など既にないというのに。
「――逃がすワケないだろ?」
無謀にも離脱を試みるバカの足を払い、盛大に転倒させる。
その際、利き足の足首を踏み砕いて逃亡を阻止した。
「ひぎぃぃぃッ!!?」
子供に平気で拳を振るおうとする下種共に遠慮してやる心意気など持ち合わせてはいない。
それに、この世界には治癒魔法という便利なモノが存在するのだ。骨の1本や2本そう大した問題でもないだろう。
「お前らがこの子に与えた傷はこんな軽いもんじゃない。それを忘れるなよ?」
蹲って呻き声をあげる悪漢7人を睥睨したあと、聡一は女性の腕に抱かれている男の子に振り返って、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ごめんね。怖がらせちゃったかな?」
目が合った男の子は一瞬だけビクッと身を震わせるが、先の件で聡一が悪い人ではないと理解したのか、女性の腕を離れて頭を下げる。
「あ、ありがとうございました」
「礼儀正しいんだね。とてもいい子だ」
聡一は慈愛に満ちた瞳で男の子の頭を撫でながら、懐から白銀貨を1枚取り出した。
「これで新しく食べ物を買ってくるといいよ」
「えっ!?あのこれ――」
「今日のことで何か面倒が起ったら《水面の小石亭》っていう宿屋を訪ねておいで」
そう言って立ち上がった聡一は最後まで男の子を抱きしめていた女性に顔を向けると、
「あとはお願いしますね」
「あ……はい……」
ニコッと笑みを残して、疾風のようにその場を走り去っていった。その際、囲うように展開している野次馬の群れを跳躍して飛び越えるという荒業を見せるが、それはどうでもいい話だ。
正当防衛とはいえ、悪漢達をそれなりに痛めつけてしまった聡一がこの場に残ってしまっては、詰め所まで連行されることは避けられない。
それを悟った女性は去りゆく聡一の背を最後まで見送ることなく、群衆を押し退け圧し退けようやく駆けつけてきた自警団員を足止めするように事情を説明し始めた。
ただ、男の子だけは聡一の背をその瞼に焼き付けるように最後まで見つめ続けた。
◆◆◆
――翌朝
朝食を食べ終え、ギルドの依頼を受けるために準備を進めているところへコンコンと軽快なノックが扉から聞こえた。
「ソーイチさん、貴方にお客様ですよ~。一階へいらしてくださいね」
「――? わかりました」
昨日の今日で思い当たる客といえば、あの男の子しかありえないだろう。
「まさか、例のバカ共に何か嫌がらせでも受けたのか?」
聡一は急いで私服から冒険用の服に着替えると、装備を整え、最後に両手剣を背負ってから一階へ降りた。
「あ! 昨日のお兄ちゃん!」
聡一の姿を見つけた男の子がパッと表情を明るくした。
そこには予想通り昨日の男の子がいて……さらには見慣れない女性が会釈してくる。雰囲気からして母親だろうか?
「今日はどうしたんだい?また恐いオジサン達から何かされた?」
「ううん。あの人達は自警団の人達がどっかへ連れてっちゃった。今日はお兄ちゃんにお礼を言いにきたの!」
「お礼?」
「昨日は助けてくれてありがとう! お兄ちゃん」
「あぁなるほどね。どういたしまして」
そこまで言って、ようやく男の子の後ろに控えていた女性が口を開いた。
「この子の母でございます。昨夜はこの子の危ないところを助けていただいたそうで……感謝の言葉もございません」
深々と頭を下げる母親を見て、聡一は鼻の頭を掻きながら照れ臭そうに言った。
「どうか頭を上げてください。俺は人として当然の事をしただけで……わざわざお礼を言われるような大層なコトはしてません」
「とんでもございません。貴方が通りかかってくれなかったらこの子は今頃どうなっていたか。それに白銀貨のような大金まで頂いてしまって……本当にありがとうございます」
「あぁいやその、ホントに大したことじゃないですから。そんなに畏まられても……」
「お兄ちゃん、これ返すね」
それでも頭を下げ続ける母親にどう対応したらいいか迷う聡一を見かねて、男の子が助け舟を出してくれた。賢い子である。
「――うん?」
その小さな掌に握られていたのは、白銀貨だった。
「あれ? 使わなかったのかい?」
「ううん。ちゃんと使ったよ?これはお父さんとお母さんに事情を話して新しく貰ってきたの」
「そっか」
素直で律儀な子だ。
そんな子と出会えたことを嬉しく思いながら、男の子の目線に合わせるようにしゃがみ、その頭を優しく撫でる。
この瞳の輝きが、心無い大人の手で暗く塗りつぶされずに済んで本当に良かったと安堵する。
聡一はくすぐったそうに顔を綻ばせる男の子から白銀貨を受け取って鞄の中へ仕舞うと、その中から新たな白銀貨を取り出し、少年の手に握らせた。
「これって……え?」
驚きを隠せない男の子に片目を瞑ってウィンクしてみせる。
「これは坊やへあげる俺からのお小遣い」
「でも……」
せっかくお金を返しに来たのに再び白銀貨を貰うのは忍びないらしく、男の子は母親に対して窺い立てるように顔を向けた。
しかし、母親が何か言うよりも先に、聡一が唇に人差し指を当てながら首を横に振る。
それを見て取った母親は恐縮して頭を下げ、柔らかい笑みを浮かべた。
「ほら、ちゃんとお兄さんにお礼を言いなさい」
「うん!」
母の了承を得た男の子は満面の笑みを顔に張り付けながら、元気良く言った。
「お兄ちゃんありがとう!」
そのまま、嬉しさを身体全体で表現するように聡一へと抱きついた。
「おっと! どういたしまして」
聡一は胸に飛び込んできた男の子を抱き留め、その頭を撫でる。我が子を愛でる父親の気分を堪能しつつ、自らの胸に温かなモノがゆっくりと広がっていく心地良さに身を委ねた。
今なら理解できる。親が子を自らの命に代えても護ろうとするその理由が。
「お兄ちゃんはこれからどこかへ出掛けるの?」
「うん。魔物を退治しにいかなくちゃいけないんだ」
将来を期待させる男の子の瞳が、じっと聡一を見つめる。
「頑張ってね。僕もお兄ちゃんみたいに強くなれるように頑張るから!」
「――ッ!」
純粋無垢な輝きを湛える瞳の中に自分の姿を見つけて、心にさざ波のような動揺が広がった。
「……うん、そうだね。坊やもいつか弱い人を自分の手で守れるくらい強くなるんだよ? 期待してる」
「うんッ!!」
最後に慈しみを込めてその小さな身体を抱きしめてから立ち上がった。正直なところかなり名残惜しいが、いつまでもこうしているワケにはいかない。
「それでは、私達はこれで失礼致します。この度は本当にありがとうございました」
母親は最後に心からの礼を込めて深くお辞儀すると、男の子の手を取って宿屋から退出する。
「お兄ちゃんバイバイ!」
去り際に元気良く手を振る男の子にそっと手を振り返して、その背を見送った。
パタン。と扉が閉められ、静寂が訪れる。
「――お人好し」
それと同時に背中から声を掛けられた聡一は、ふぅっと軽く息を吐いて振り返った。
「フィーアには敵わないって」
そこには壁に背を預けながら立つセフィーアの姿があった。足を交差させながら手を後ろに組み、顔にはどことなく苦笑を湛えている。
気配はずっと前から掴んでいたので、大して驚くこともない。
「いい顔ね……昨日までとは大違い」
「そうかな? ――うん、そうかもしれない」
「……」
聡一の晴れやかな表情から何かを悟ったセフィーアはただそっと微笑み返すだけで、それ以上は何も言わなかった。
「さてと! ギルドにいこっか」
「ん」
聡一は思う。
自分は、自分で思ってる以上に脆弱な人間だ。
魔物という、人々に害しか齎さない生き物を斬り捨てる……それだけで罪悪感に苦しみ、いつまでも悩み続ける始末なのだから。
でも……それでも、自分を目標にしてくれた男の子に恥をかかせないくらいには強くなってみせなくてはならない。
他の誰よりも自分を必要としている人が、目の前にいるのだから。
「お二人ともいってらっしゃい!」
「「いってきます」」
キアラに見送られ、聡一は宿屋の扉を開け放つ。
――眩しいばかりの光が、彼らを包み込んだ。
――ギルドに向かう道中
「およ?」
「どうしたの?」
「あちゃー……短剣忘れた。ちょっと取ってくる」
「……色々な意味で台無しね」