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烏の死

 ――俺が死ぬまでにリディオスのようになっておけば、成り代わりやすいんじゃねぇの?


 何故そんなことをするのか、と聞けばシークは久しぶりの口調でアスの質問に答えた。切れた口の端が気になるのか、ぼそぼそと小声だった。

 口の他に何かをぶつけたような傷も前髪から覗いていた。当然その傷をシークは知っていて、アスに聞かれても本当のことは答えないだろう。


 アスはそれなりに町の噂に詳しい。葬儀場は久しぶりに合う人間たちが噂話に花を咲かせる場所だ。知りたくなくても耳に入ってくる。

 シークの母親が、シークに彼の父親の影を見ているというのは本当のようだ。恋しくもあるが憎くもある、愛憎半ばと、まあそういったところだろうか。


 初めて会ったときはただの悪ガキだと思っていたが、シークはこの数年で見違えるように変わった。元々高かった背は更に伸びて、ただ背が高いだけだった体つきはちゃんとバランスの取れた男らしい体になった。顔立ちは悪くはなかったが、髪を染めたせいか表情が明るく見えるようになって、これはまあモテるだろうとアスでさえ思う。その上でリディオスを真似た優しい口調と物腰。完璧だ。


 跡取り息子が完璧なら普通は問題はないが、あまりに父親と違うと母親は戸惑うのだろうか。以前の口の悪さはシークが好んでそうしていたわけではなかったのかもしれないと思うと、アスは複雑な気持ちになった。流石にこれは違うといい。



 薪を割る手を休めて、シークが斧を杖にして体を預ける。

 最近はシークも顔に怪我をすることもなくなった。ハーブを選り分けながらぼうっとシークを見ていたアスにふわりとシークが微笑みかける。見たこともないくせに、笑い方が本当に似てきた。


「どうしたの? 疲れた?」

「疲れたのはお前だろう。休憩にするか」

「あと少しで終わるから、その後でいいかな。アスはもう家に入ってなよ。風が出てきたよ」


 シークがアスの身の回りの、男手が必要なことを手伝ってくれるのは、彼自身が言い出したことだ。リディオスもしてくれていたが、アスはそれをシークに言ったことはない。男ならこういうことをするだろうと思ってしてくれているのだろうが、その時の言葉のひとつひとつが懐かしくて既視感に心が震えた。


 ――風が出てきたよ。


 リディオスもそうやってアスに暖かいところにいろと言っていた。


「あと少しとはどのくらいだ?」

「うーん。お湯を沸かしてハーブ茶を入れてくれたら、そのくらいの時間だよ」


 穏やかな日常を思い出す一コマ。アスは何かをこらえるように唇を噛む。シークから引き剥がすように目を伏せて家に戻った。


 湯を沸かしている間、アスはシークの好きなレモングラスの茶葉を出し、甘みの少ないお菓子を用意する。リディオスの好みはラベンダーのお茶と甘い菓子。勿論好みは聞かれたが、これはシークには黙っていた。

 心持ちお茶が冷めただろうかという頃、シークが家に入ってきた。


「入れ直そうかと思っていたところだよ」

「先に飲んでいてくれてもよかったのに」


 カップを持ったシークの指先は少しささくれている。薪割りなどしなくてもいい身分のはずなのに、どうしてこういうことになってしまったのだろう。

「アス?」

「あ、いや。指が荒れてるなって」

「ああ、別に。――でもアスが気にするなら、何とかしないとな」

 探るようにアスをかすめた視線は、シーク本来のものだ。少しほっとした。その様子に気づいたのか、シークがいつもはしない意地の悪い笑みを一瞬浮かべた。


「少し忙しくなりそうで、ここに来れる日が減りそうなんだ」

 月が変わる頃までだけどと続けて、カップを置いた。シークはアスの頬に手を添える。

「これ以上減ってしまうと、心配で仕事が手に付かないんじゃないかな」

「……心にもないことを」

「本当だよ。アスが心変わりをしてしまうんじゃないかと思って」


 この意味は違う。アスが他の死体を見つけてしまうのではという心配だ。


「――お前を信じているよ」

「うん。信じて」

 これからキスでもするのではというくらいにうっとりと微笑んでから、シークはアスから手を離した。


「こんなことは、リディオスは言わない」

「わからないよ? ――もう二度と君と離れたくないだろうし」


 何故か不安がじわりとアスの胸に広がった。

 そんなアスの不安に気づかない様子でシークは窓を見る。


「……今日は烏を見ないね」

「朝は来たぞ」

 シークは焼き菓子を半分残した。

「口に合わなかったか?」

「そういうわけじゃないよ。美味しいよ。でも今はお腹いっぱいかな。残りは烏にあげて」


 ゆっくりとお茶の時間を楽しんでからシークは立ち上がって、割った薪を片付けたら帰ると言った。日が短くなってくると長く森にはいられなくなる。冬眠前の動物たちの気が立ってきて、滅多にない事故が起こることもあるからだ。


 アスが仕事部屋にいると壁の一部でごそごそと音がした。シークが薪を積んでいるのだった。

 寒くなってくると小枝では足りなくなる。アスの家は森の入口から近いため、しっかりした木がほしいとなると森の奥の方へ行かなくてはいけない。冬になると木こりから木を買うが、薪の状態にしてもらうとなると余計にお金がかかるのは構わないが、すぐには手に入らないのには困っていた。シークが薪を作ってくれるのは本当に助かる。


 音がしなくなったのにシークが戻ってこない。不審に思ってアスは家の外に出る。


「シーク?」

 もう帰ってしまったのだろうか。まさか。シークはアスに何も言わず帰ることはない。


「シーク? どこだ!?」


 念のためと、アスは薪を積んでいる場所を覗き込むがシークの姿はない。家の周りには畑の横に小さな道具入れがあるだけで、他に建物などはない。周囲の森にでも入らない限り、ここから消えるなどありえない。

 アスはきょろきょろと周りを見回し、森から戻ってくるシークの姿を見てほっと胸をなでおろした。


「そんなところに……」


 思わず子供のように大きく手を振ってしまい、我に返ってアスは腕を下ろす。からかわれるかと思って座りの悪い思いをしていたが、近づいてくるシークの顔は硬い。


「どう……」


 どうしたんだ、と最後まで言うことはできなかった。シークは両手に黒いものを抱えていた。


「どうしていいのかわからなくて……」

 声にも表情にも感情というものが抜け落ちている。

「見たらアスが悲しむと思って、埋めようと……でも、ずっと姿を見せなかったら、それで」

 くしゃりとシークの顔がゆがむ。

「じゃなくて……斧を片付けようとしてたら、森の方で音がして。見に行ったら、こいつが落ちてて、どっこも血が出てねぇのに動かなくて」

「――」

「どうしようかと、考えてしまって……」


 この烏は死体に別の魂を入れて、生き返った烏だった。烏ではない別の鳥だったのに、上手く馴染んでもう四年くらい生きている。

 四年も生きたと喜ぶべきか。四年しか生きられなかったと悲しむべきか。アスにはわからない。


「アス……!」

 烏に触れたアスに、シークが押し殺した悲鳴のような声を上げる。烏の体は死体のように冷たい。魂の気配はなかった。繋がってもいなかった。

「俺……」

 泣きそうな顔をしているシークにアスは手をのばす。俯く頭を何度か撫でてやった。


「ありがとう。この子の二度目の死を悼んでくれたんだな」


 アスの心をざわつかせるシークはそこにはなく、会った頃のような幼い少年がそこにいた。


「……じゃない」

「怖くなったのか?」


 俺が死体になってやる、など気軽に言ったことを後悔しているとシークが言っても、アスは怒る気はない。アスは無理矢理彼の命を奪ってまでもリディオスを生き返らせたいわけじゃない。いらない命だというなら好きにすればいいが、シークの年でそれを決めるのはまだ早いと思っていた。


 まだシークはそれほど多くの死に触れていないのだ。


 ふるふると首を横に振ったシークの口から出た言葉は、アスには意外なものだった。


「そうじゃねぇよ。俺はちゃんとその日に死んでやるよ。そうじゃなくて、あいつも長くは生きられないって思ったら……アスは、それでいいのかよ」

「それは承知しているよ。それに私のほうが早く死ぬかもしれないしな」


 金色の髪が今は何故か茶色に見えた。アスは何度もシークの頭を撫でる。


「あんたはいい子だね」

「違う」

 シークは烏の死体を投げ捨てて、アスに飛びついた。アスの背中に回った腕がぎゅうとアスを締め付ける。


「あんたは、あいつに一瞬でも会えたらいいのかよ」

「そうだね……言えなかった言葉を言ってやりたいんだ。そうして、抱きしめてもらいたいんだ」


 アスを好きだと言ってくれたリディオスに、自分も好きだと伝えたい。ずっと好きだったと伝えたい。そして嘘をついていたことを謝って、あと少しだけ自分と一緒にいてくれないかと。もう彼は知っているだろうけれど、自分の口から伝えたい。


 自分勝手な、魂を穢すような所業を、きっと彼は許してはくれないだろうけれど。


「……アス?」


 ――どうしよう。気づいてしまった。


 許してくれなくてもいい、と思う気持ちが揺らいでいた。かつてのアスはそれでもいいと思っていた。すがれるものが、温かいものが、彼の腕しか知らなかったから。


「アス、どうしたんだよ?」


 もし許してくれなかったら。許せないことだと言われたら。普通はそうだ。死のことわりから外れて、この世に戻ってくるのだ。何が起こるのかわからない。

 それでもいい。それでも彼の気持ちを全部受け止めて、それが至福だと思って――思うことができると。ずっとそう思っていた。


「……だよな。やっぱり嫌だよな」

 シークが腕の力を緩めて、アスの頭を撫でる。アスがシークにしていたような子供をあやすような手付きではなかった。


 違う。


 リディオスは気づくだろう。それでも愛していると言うのだろうか――自分を。


「大丈夫、大丈夫だよ。アス」


 優しい声。リディオスの声はどんな声だっただろう。アスはもう思い出せなかった。シークの顔を見上げると、少し驚いたふうに目を瞬いて、シークは目を細めて微笑んだ。


「怖くないよ」


 ――ああ。震えているのか。


「俺が――僕が守るよ。アス」


 シークはアスのこめかみにキスを落とした。

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