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婚約者の従兄弟

 それからシークはアスに会いに行く度に、リディオスの話をせがむようになった。容姿のことから話し方。アスとの出会い、アスとはどういう話をしたか、どういうところに行ったのか。アスが覚えているすべてを話させた。


 そして、一ヶ月後の自分の誕生日に、シークは髪を金色に染めた。






 清楚なピンクのワンピース。足首の少し上まであるスカートは少し古臭いが、却ってそれが年配者には好印象になる。少し赤みがかった金髪は緩やかにカールして肩下で踊り、化粧は控えめ。青い瞳は柔らかく細められている。

 彼女はきっと完璧な淑女になるのだろう。彼女――リリーはシークの婚約者だった。


「足元に気をつけてくださいね」

 リリーをエスコートするのはシークだ。穏やかで上品な物腰、優しくリリーを見つめる瞳は緑。髪は金色。二人が並ぶ様は少し大人向けの絵本の挿絵のようで、茶会に出席している女性たちからため息が漏れる。


「本当によかったことですこと」

「ほらね、奥様の――ね。父親の筋がちょっとアレでしょう? どんなふうに育つかと思えば」

「お勉強もとても優秀なんでしょう? ほら、旦那様はちょっと頼りないから」

「お血筋はすごくよろしいんでしょう? 名家だって聞いたわ」

「だからね、あっちのほうが駄目なんじゃないかしら。お二人の間にはお子は恵まれなくて――生まれてもこれだけ優秀なんだし、男の子だったりしてたら色々面倒な事になってそうよねえ」


 少しの事実に憶測がまじり、それはまるで真実かのように女達の間で消費されていく。

 下らないと思うが知るのは嫌いではない。ロシェは焼き菓子をかしましい噂話と一緒に飲み込む。ロシェはリリーの従兄弟だ。生まれ以外はとても評判のいい、彼女の婚約者を見るのは今日が初めてだった。あれならばリリーが頬を染めながら彼のことを語るのも無理もないと思った。


 従兄弟としては、リリーには幸せになってもらいたい。お互いの父と母はとても仲がよく、下には弟しかいないロシェにとっては四つ下の可愛い妹のような存在だ。自分の姉とは比べ物にならないほど可愛らしく可憐で純粋なリリーに、恋をしていないのが自分でも不思議なくらいだった。

 しかしだからこそ、あの男はよくないと思った。卒なくリリーを満たしてくれる良い伴侶になるだろう。だがリリーが幸せになれる気がしない。

 優しく微笑んでいるのにどこか虚な瞳は、リリーを見ていないのがわかった。


 出来すぎた素敵な婚約者。まるで人形のような。


 二人の世界を作っている『恋人たち』の元へ、一人の男が近づいた。あのお仕着せはアークロイドの執事だろうか。彼はシークに二言三言話すと踵を返した。伝言だろうかと思えば、シークはリリーをなだめるように手を取り、少しかがんで手の甲にキスを落とした。

 気障な仕草だが、様になっているのが憎らしい。執事の後を追うシークはそのまま母親の元へ行き、母親に合わせて微笑み、彼女の賓客と談笑し始めた。


「あら」

「ねえ、ご子息は例の男に似ているの?」

「どうなのかしら。でもあれくらい整っていないと馬丁ごときに恋はしないわよ」

「身分差の恋だったの? 私が聞いた話だと……」

「恋ってことにしといたほうが……ねぇ?」


 クスクス。クスクス。


 ロシェはこんな話をリリーの耳に入れたくはなかった。シークもこんな無自覚の悪意の中で育てば、あんな男になっても仕方がない。同情し、むしろあの程度で収まったのは奇跡だと感心した。それでも従姉妹を思うロシェとしては、この婚約を歓迎する気にはなれなかったが。


「リリー」

 浮かない顔で戻ってきたリリーを、ロシェは女性陣から離れたところへ誘導する。

「疲れただろ。甘いクリームの乗ったケーキでも持ってこようか?」

「そうね……」

 リリーの目は彼の母親の隣りにいるシークに注がれている。

「リリー」

「あ、ごめんなさい。のどが渇いたから……」


 ロシェは給仕を探す。ワゴンを押した給仕が近づいてきて、ロシェは手を上げた。給仕は二人の前に立ち止まって礼をした。

「紅茶を……」

「はい、お持ち致しました」

 給仕の告げた銘柄にリリーはふわりと笑みを浮かべた。ロシェを振り返って上気した顔で告げる。

「さっき、シーク様がおっしゃってたの。私が好きなのではないかと思って、今回ご用意してくださったのよ」

「……そう」

 ロシェは遠くのシークを見る。まるで母親に恋人かのように寄り添う一歳下の男を、心底気持ち悪いと思った。



 完璧すぎるシークの、どこか弱点はないものか。年相応の噂話でもないものか。そんなことが知りたくて、ロシェはわざわざ人を使ってまで彼を調べた。彼が母親と距離を取りたがっている様子だということは朗報だったが、実際それは上手くいっているようには見えなかった。

 結婚後は絶対にあの姑にいびられる。それをシークはどこまで庇えるだろう。どう考えてもこの結婚はうまくいきっこない。


 シークが頻繁に死霊使いの元へ訪れているという話は、大分後になってからロシェの元へもたらされた。不貞のネタかと思えば、そうではないらしい。どうやら彼は本当の父親のことについて知りたがっていると、そんな話だった。

 時間を作ってその死霊使いの住む森へ行ってみると、丁度美少女とシークが言葉を交わしているところだった。やっぱ浮気じゃないかとそのまま様子を見て、シークが立ち去ったところでロシェは少女が入って行った小屋の扉をノックした。


 別に恋人がいるのは構わない。あの境遇で本当に思い合う相手がいるというのなら、それが母親でなくてよかったと思ったくらいだ。

 ただ、リリーのためにその女をどうするつもりなのかは知りたい。遠目で見た限りでも美しい少女が、今のシークの本命であることは間違いないだろう。どう見ても裕福な家の娘ではなく、身分差の恋などとても許されるようには思えない。

 本当の父親のことを気にしているというのは嘘だ。嘘だとわかってもたらされた報告だ。報告が遅れたのも――きっと皆、彼に同情しているのだ。


 ロシェはシークに同情できない。シークに同情することはリリーを蔑ろにすることだ。


「はい」

 扉を開けて少女が顔を出す。黒髪がふわふわとウェーブを描いている。青い瞳はリリーのものよりもずっと鮮やかだ。肌の白い可憐な少女。だが身につけている衣服は酷く地味だ。


 少女はじっとロシェを見て言った。

「この辺りの方ではないようだな。道に迷ったか?」

 少女のものとは思えない言葉遣い。一瞬動揺したロシェに少女はにたりと笑う。

「取って食ったりはせんよ。森に一人住むのは死霊使いと決まっておる。葬儀の知らせでないのなら、迷い人だ」

「死霊使いの家?」

「そうだ」

 少女はロシェを押し出し、一緒に家を出た。


「――死霊使いは?」

 いや、彼女は今一人住むのは、と言った。

「あんた、が?」

「そうだ。年若い死霊使いを見るのは初めてか?」

 ロシェが住む町にいる死霊使いは四十過ぎの男だった。そういえば、あの男はロシェが子供の頃から同じ姿だ。


「ふむ。道に迷ったのではないのか。だったら私に何の用だ?」

 少女なのにもっと年上の女のような余裕のある態度。


「あいつ、ババ専かよ」

「? あいつ?」

 死霊使いは小首をかしげる。見た目通りの年ではないのだろうが、可愛い。


「――シーク」

 何故すぐにバレたと、ロシェは心臓をバクバクさせたが、少女の視線はロシェを飛び越えていた。


「アス、――その人は?」

 少し警戒するような声音。ロシェが振り返るとシークはロシェの顔を見て、薄い笑みを浮かべた。


「先日はどうも。リリーの従兄弟であるあなたがどうしてこんなところに?」

「シークの知り合いか」

「僕の婚約者の従兄弟殿だよ」

 話しながらシークはロシェとアスの間に立つ。シークは持っている籠の中をアスに見えるように傾けた。

「瓶が一つ残っていたけれど、これも返してしまっていいの?」

「あ。忘れていた。すまないな、シーク」

「どういたしまして」

 それが冗談めかした言い方だとわかるほど、二人は親しく話しているらしい。


「ふむ。そのシークの婚約者の従兄弟殿が、私に用ということは……そういうことだな」

「アス」

 シークが注ぐ心配げな視線。どうにもその視線には恋情は含まれていない。厄介なことにならないといいなぁくらいの若干呆れの混じった視線。


「あなたが心配するようなことは何もありません。ヒースネンのご令息殿」

「ロシェだ。ロシェでいい。お前もシークでいいな」

「私はアスだ。この町の死霊使いをやっている」

 アスに向き直り、ロシェは一番気になっていた質問をする。

「何歳だ?」

「私は今年で九十五歳になる」

「……うっわ、そらまた……」


 死霊使いは不老になる。少女が見た目通りの年齢ではないことはわかっていたが、そこまで高齢とはロシェは思わなかった。


「えー、何だ。こいつが生まれたときからの知り合いとかそんなのか?」

 こいつと言われたシークは少しムッとしたようだが、すぐに目を伏せて別の方向を見て誤魔化した。

「いいや、知り合ったのは最近だよ」

「僕が魂について興味があるので、色々と教わっているんです」

「ついでに私の世話もしてくれているよ。町からの届け物とかな」

 アスは瓶を揺らしてみせる。

「死者のお世話以外に、ハーブを使った香油とかも作っている」


「それだけ?」

 ロシェの問いに同じタイミングで二人は笑みを浮かべた。

「それだけです」

「それだけだよ」


 奇妙な感じだ。恋人といった雰囲気ではないが、単なる知り合いという感じとはまた違っている。

「……呪いの方法でも教わってるのか?」

「お前もか。死霊使いはそういうことはしない」

 ため息まじりにアスが吐き捨てる。


「シーク、お前そんなものが知りたいのか?」

「興味ないよ」

 じっと見ているロシェに気がついたのか、シークはロシェを睨むように笑いかける。

「僕にそうしてほしいですか? あなたの大事な従姉妹を守るために」


 シークはふうっとため息を付き、空になった籠を持ち直す。

「じゃあ、アス。僕は行くね」

「ああ、シーク。戻らせてすまなかったな」

「気にしないで。――着いてきてください。道案内します」


 ロシェが動かないでいると、シークは立ち止まった。ロシェが動くまで帰るつもりはないようで、仕方なくロシェはシークの後をついていく。

 恐らくこのままアスと話してもおそらく埒が明かない。老人特有ののらりくらりとした調子で嘘か本当かわからない言葉を重ねるのだろう。会ったのは先日の茶会が初めてで、そこでも殆ど話すことはなかったが、シークのほうが若い分つつけば色々とボロが出るように思えた。


 森を抜ける間、シークはずっと無言だった。社交的であるようだが大人しい、そういう印象と違わない。

 リリーによると、以前はもっと口数が少なくて少しぶっきらぼうだったのが、ある時を境に物腰がとても柔らかくなったという。ついこの間成人したばかりなのに、大人の男の人って感じがすると頬を赤らめながら言っていた。ロシェは惚気だと思って聞いていたが、確かに年の割には落ち着いている。


「このまま屋敷に帰るのか?」

「いえ、この籠を返すので一度町まで行きます」

 アークロイド家の屋敷は少し商業地区から離れたところにある。


「町まで戻れば、あとは大丈夫ですか?」

「え? ああ」

 口実を持ち出されロシェは一瞬困惑した。森の入口からここまで一本道で迷う道ではないのですっかり忘れていた。

 シークが言う道案内というのもアスから引き離す口実だ。彼女はともかくとして、シークはロシェとアスに話をされたくないようだ。


「お前さ、ああいうのがいいの?」

「――そういうのではないと伝えたつもりでしたが」

「いやー、だって可愛いだろ。あ、もう敬語とかいいから、普通に喋ってくれ」

「そうは言われましても」


 穏やかな言葉遣いからも拒絶が伝わる。やはりこちらのほうが崩しやすそうだ。


「リリーのことで来たってのはバレてるよな? 遊び相手くらいいるのは別にいいよ。お前も男なんだし。でも、母親ってのは――」

「何もありません」

 氷のような声でロシェにすべてを言わせず、否定する。

 シークが母親を快く思っていないのは本当のようだ。


 シークが大きくため息を吐き、ロシェを見ないで落ち着いた声で話し始めた。若干声が震えている。

「実のところを言うと、両親との仲は良くないんです。ですから、僕も本宅を出て、リリーと離れに住むことになりそうです。そのほうがお互い気が楽でしょう」

「本当にそれ、上手くいくの?」


 シークが足を止める。森の端まで来たようだ。


「上手くいきますよ。少なくとも、僕にとっては。――ここが町の入口です。失礼します」


 シークは会釈をして歩き出した。ロシェが着いてこないのを気にしないところを見ると、もうこれ以上話すことはないということだった。

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