19. 破滅の時、だけど
どうして、こんな大事なことを忘れていたんだろう。
魔法省でレヴォルに会っていたこと。
それに、魔法省にいる時私はもう自分が悪役だと気がついていた。
それなのに、綺麗さっぱりレヴォルのことだけ忘れているなんておかしい。
私は真っすぐにこちらを見つめるレヴォルを見つめる。
ルビーのように赤い瞳は寂しげに揺れている。
……どれだけ待たせてしまったのだろう。どれだけ辛い思いをさせていたのだろう。
レヴォルはこんな悪役な私をずっと好きでい続けてくれたのに、私はすっかり忘れて何度も拒んでしまった。
伝えたいことはたくさんあるけれど、とにかく今は一番大事なことを伝えなければ。
そう、口を開きかけた時。
「本当に、全部思い出しちゃったのね」
聞こえた声の方を向きレヴォルは私を庇うように立つ。
私はレヴォルの背から声の主を伺う。
ピンクの髪、琥珀色の瞳。
一瞬信じられなくて目を擦る。だけど何度擦っても変わらない。
そこにいたのはマーガレット。
悪い笑みをたたえてこちらへと歩み寄ってくる。
「マーガレット、どうして…………」
そう疑問を零し、私はマーガレットの方へと歩み出た。しかし、凍りつきそうな目を向けられた。私が止まったのはその理由だけじゃない。
彼女が見せつけているものに見覚えがあったからだ。
「ビビを拐ったのは、あなただったのね……」
マーガレットが檻に入れて私たちに突きつけていたのは白猫のビビ。エリスも私たちも大切にしている猫。
なぜ彼女がそんなことをする必要があるのだろうと私は困惑の眼差しを向ける。
「あなたがきちんと悪役をこなしてくれないからこうなっているのよ」
マーガレットは呆れまじりにそう言ってビビが入った檻を地面にゆっくり置いた。
「途中まではよかったのに。急にいい人になっちゃって。ジェードも、私が一番大好きなレヴォル様まで奪って!」
叫びにも聞こえるマーガレットの文句を聞きながら、私は未だ困惑し続けていた。
マーガレットは、きっと自分がヒロインだと気づいている。私が悪役だということも。
彼女が私が前世の記憶があるからこそ破滅要因を避けているというのに気がついているかはわからないけれど……どちらにせよ彼女にそのことを伝えるメリットはない。
「びっくりしたわ。本来登場しないはずのレヴォル様とあなたが魔法省で会っているなんてね。だからね、記憶を消してしまうことにしたの。あなたが研究していた黒魔法を使ってね」
「記憶を……消した?」
私は、マーガレットに記憶を消されていたの……?
正直、考えられなかったが、彼女の言っていることが本当なら私がレヴォルのことや一度思い出していたはずの前世のことまで忘れてしまっていたのも納得できる。
だけど、それ以上に黒魔法でそんな恐ろしいことができてしまうのかと恐怖でいっぱいになった。
「続編も始まっていると思って学園へ来てみればあなたとレヴォル様は仲睦まじそうにしているから……! 彼の隣は私よ、そうでしょう!?」
マーガレットは半狂乱になっているように見えた。
レヴォルは黙ったままマーガレットを睨み付け、時折私を心配するように見つめる。
それがますます彼女をおかしくさせているのか、彼女の怒りはヒートアップしていく。
マーガレットはビビが入っている檻を持ち上げる。
「この猫は、死ぬとゲームオーバーになるって知ってた?」
そうだった。白猫のビビが常にヒロインのそばにいたのはビビが死んでしまうとゲームは終わってしまうからだ。それほどゲームに欠かせない存在だったのだ。
プレイヤーが魔力をあげたりビビのお世話を必死になってやっていたのはおそらくこの最終イベントに備えて……マーガレットはそれを知っているからビビを拐ったのね。
「……君はビビを殺して、俺やアクアやみんなの記憶も消してしまおうとしているんですね」
静かにそう告げたのはレヴォル。いつもと違う重い雰囲気に私はびくりと体を揺らした。
マーガレットはきゅるんと効果音がつきそうなほど体をくねくねさせて「私の方がいいですよ」と微笑んだ。
「もう一度、今度は私とあなたが出会うところからやり直しましょう」
マーガレットがふふと笑った。言動はすっかり私よりも悪役じみてしまっているのに笑顔はヒロインのそれのままだ。
レヴォルはマーガレットをじっと見つめていたが、やがて吹き出すように笑ってから言い放つ。
「俺はアクア以外を選ぶつもりはありませんから。それに……あなたみたいな女性は大嫌いです」
私はその力強い言葉にどきりとしてしまう。
マーガレットはレヴォルの声をしっかり聞いたのかは分からないけれど、すっかり心酔してしまっているようだった。
「レヴォル様、本当かっこいいわ……じゃあ、あなたには悪役にちゃんと戻ってもらわないとね!」
マーガレットが私に走り込んでくる。私は咄嗟に交わそうとしたが、ぬかるんだ地面に足を取られ、マーガレットに腕を掴まれてしまった。
まずい。
確か記憶を忘れさせる黒魔法は、目を合わせることで発生した。だけどこの状況で目を瞑るなんて……!
必死に顔を逸らし続けていると。
突然すごい豪風が私とマーガレットの間へ割り込んできた。
「アクア! 大丈夫か!?」
声のした方を見るとみんながこちらへと駆け寄ってくるのが見えた。どうやらこの風を発生させたのはレオンのようだった。
「続編の攻略キャラたち……」とマーガレットが見入っている隙をついて私は掴まれていた腕を振り払って距離を取る。
「この人がビビを拐ったの……?」
エリスは若干の怒りを交えながらも、必死に状況を把握しているようだった。
マーガレットはエリスをじっと見つめると手を差し伸べた。
「あなたはヒロインなのに……私と一緒にやり直しましょう?」
まるで、ゲームでアクアがエリスに黒魔法を使うよう言っていたシーンみたい。
そうぼんやりと思いながら、私はエリスを見守っていた。
「…………ぜ」
「何? はっきり言って頂戴」
「絶対お断りです!!」
森中に響き渡るような声でエリスはそう叫んだ。
さすがのマーガレットも近距離で叫ばれて少し怯んだように見える。
「アクア先生を傷つけていたあなたなんて大っ嫌い! ビビも……返してもらいます!」
エリスはすごい剣幕でそう言い切ると、どこかに向かって合図するように頷いた。すると、いつの間にかマーガレットの後ろに回り込んでいたアスールが檻を拾い上げた。
「猫を傷つけるなんて最低ですね」
アスールは蔑むようにマーガレットを見る。
檻を地面に置いておいたマーガレットがいけないのだけど……マーガレットは酷く喚き散らす。
「ちょっと返しなさい! ……きゃあっ!」
「うるさいんだけど。黙ってくれないかな」
マーガレットの周りに雷が落とされた。冷たく言い放ったのはテラ。いつものおちゃらけた雰囲気とは大違いだけど、それが余計に怖さを増大させている。
「さっきから悪役だのヒロインだのうるさいけれど……どう見てもあなたが悪役でしょう」
ノーマンが吐き捨てるようにそう言う。おそらくゲームだと理解しているわけではないだろうが思わず頷いてしまいそうになる。
「アクア先生を傷つけるのが悪ですわ! この前も言いましたが……あなたはどこまで自分勝手なんです!?」
アンバーが食いかかるようにそう言うとマーガレットは「ぐ……」と顔を歪ませた。
私、みんなにすごい助けられてる……
思わず泣きそうになりながら私はなんとかマーガレットを止める方法を考えていた。
すると。
「アクア先生! ビビが光ってるんですが……!」
突然聞こえてきたエリスの声に私が慌ててそちらを向くと檻から出たビビが青い光を纏っていた。
「今ビビと協力すれば、君も一時的に魔法が使えるかも知れない。俺も手伝います」
エリスはビビを抱きしめ、レヴォルがそれにサポートする様に寄り添う。
……待って待って。これはアクアが破滅したシーンだ!
破滅を回避したのね……ってそんな喜びに浸っている場合じゃないわ!
「待って! 私も手伝うわ!」
エリスとレヴォルの2人で魔法を発生させてしまうとマーガレットは消えてしまう。アクアがそうだったように。マーガレットのことが好き……というわけではないけれど、消してしまうのはいけない。
だったら、私がなんとかしなきゃ。
大丈夫、私は魔法省トップの実力を誇る実力者なんだから!
私はエリスの隣に立ち、ビビを抱きしめる手を力強く握った。エリスはほっとしたように微笑み、レヴォルも大きく頷く。
魔法が勢いよく発射された。
まっすぐマーガレットに向かって光は進む。
「待って待って待って…………!」
マーガレットは慌ててふためく。
私の魔法が正確なら、きっともうすぐ……!
そう思ったのとほぼ同時に、水が光を覆った。勢い良く突き進んでいた光は、私の水魔法と混ざり合って威力を落とす。
私は上手くそれを操ろうと手を力いっぱい振りかざした。それでも持っていかれてしまいそうになる。
「一緒に、やろう」
レヴォルは私の手を握りしめる。私は頷いて、レヴォルの手を握り返した。途端に威力が半減したような気がした。
直撃はさせない。上手くこの魔法を操って……!
イメージを作り上げて、私はその通りに魔法を操った。
「…………え?」
目をぎゅっと瞑って死を覚悟していたのか、マーガレットは間抜けな声を上げた。
マーガレットの手首には魔法の手枷がはめられていた。水も伴ってしなやかに動くものの、決して壊れることはない。
「黒魔法を使ったのはいけないことだわ。だから、反省して頂戴ね」
私がそう言うとマーガレットはヒロインらしくもない歪みまくった表情を見せた。
レヴォルは私の手を握ったまま、マーガレットに歩み寄る。
そして、にっこりと美しい笑みを浮かべた。
「俺とアクアを引き剥がそうだなんて、金輪際考えない方がいいですよ?」
これには、マーガレットも少し怯えたような顔でコクコクと頷いた。
次回完結します!




