18. あなただけを思って
俺は雨の中、柄にもなく泣きじゃくる愛しい女性をまっすぐに見つめている。
潤んだ青い瞳、泣いたせいかほんのり赤い鼻頭と頬。
俺は、あの日彼女と出会った日のことを思い出していた。
***
「ごめんなさい、こんな風に出会ったばかりの人の前で泣いてしまうなんて」
俺が初めて彼女を見たのはオルタンシア王国魔法省の中庭。
遠くから見ても美しい女性が、ベンチに座って泣いていたのが、とても放っておけなくて俺は声をかけた。
初めは、なぜ彼女が泣いているのか分からなくて、ベンチに座って泣く彼女に寄り添った。
ウィーン王国には珍しく魔力を持つ、優秀なアガット侯爵家の次期当主――俺は婚約者ももちろんいた。だけどその女性とは分かり合えるどころか、高価なプレゼントを頻繁にしなければ癇癪を起こすような女性だった。
もともと愛のない婚約。俺は次第に疲れていった。
そのしがらみから逃げるように俺はよく調査という名目で魔法省へ出向いた。
そこで何回か青い髪の女性を見かけていた。あの時泣いていたのが嘘だったみたいに誰よりも仕事をこなし、楽しそうに笑う姿に俺はいつしか見惚れてしまっていた。
「……また、泣いているんですね」
ある日、彼女はまたベンチで泣いていた。
青い瞳が俺を映しているのが嬉しくて、俺は彼女の細い手を握りしめていた。
「俺でよければ、話してください。あなたの気が晴れるまでずっと聞いていますから」
そう勢いよく告げれば、彼女は少し目を見開いて、それからゆっくりと話始めた。
「…………婚約者と上手くいっていなくて」
「婚約者? ……もしかしてあの金髪の騎士隊長だとかいう」
彼女にも婚約者がいることは知っていた。
魔法省トップの実力者、伯爵家の令嬢。婚約者がいない方がおかしい。それでもその事実はあまりいい気分にはならなかった。
「はい……私は、その、今まで周囲に厳しく接してきたので……だからジェード様も可愛らしい女性に惹かれてしまうのは仕方ないとは思うのですけれど」
たぶん彼女はマーガレットだとかいうピンクの髪の女性のことを言っているのだろうと思った。彼女とは違い1年前くらいから魔法省に入省した、やたら男性にとっついて回る女性だ。
「頑張って周りの方にも優しく接してはいるのですが……あまり受け入れてもらえなくて」
そう俯く彼女を見てから俺はこの様子を見ていた周囲の人々に目を向ける。チラチラと男性たちがこちらを気にしているようだった。彼女が嫌われているとは正直思えない。
「このままでは私は魔法省から追い出されてしまうかな……」
聞こえないよう言ったのか、わからなかったけれど彼女が傷ついていることは明白だった。
「……確かレヴォル様、ですよね」
「覚えていてくださったんですね」
「え、ええと、そんな感じです」
少しぎこちない返事だったけれど、それでも彼女が俺のことを認知していたというのがとても嬉しかった。
「レヴォル様は、お悩みとかはありませんか? 私ばかり聞いていだたいて……」
「そうですね…………ありますよ」
「聞きますよ!」
にこにこと屈託なく笑う彼女に、彼女がただ傷ついているだけの女性じゃないと気がついた。
その瞬間にそれまでのただの憧れが一瞬で好意に変わった。
俺は自然と家でのことや、婚約者のことを話していて気がつけば魔法省を訪れるごとに2人きりで話すのが恒例になっていた。
「婚約者のいる女性を好きになってしまったら、どうすればいいと思いますか」
ある日思い切ってそう尋ねた。
精一杯の告白のようなものだった。彼女は婚約しているし、なんだかんだ言ってジェードも彼女を手放す気はないようだった。
彼女は興味を示したようで、「そういう恋もいいわね」なんて言いながら考える仕草をする。
「お相手の女性に好きになってもらえるくらい、口説いて両思いになればいいと思うわ!」
「口説く…………」
「あ、もちろん、愛し合っている2人を卑劣な方法で引き裂くのはダメだと思うけれど」
彼女はジェードのことを好きではないだろうと思う。
彼女が傷ついて、悲しむくらいなら、俺が――
「じゃあ、迎えにきます。俺が、必ず」
「え?」
彼女はきょとんと不思議そうに首を傾げたが、俺は伝えられて満足していた。
侯爵家を継いで、婚約も解消しよう。そうしたら彼女を口説いて、好きにさせて迎えにくる。
そう思っていたのに。
次に魔法省に来た時、彼女はいなくなっていた。
親しげに寄り添うジェードとマーガレットを見て彼女はこの2人によって魔法省を追われたのだとすぐに確信した。
仕事をしている時の彼女は楽しそうで本当に生き生きとしていた。魔法省を追われて、辛くないだろうか。
そんな思いばかりよぎるのに、彼女の居場所はいっこうにつかめなくて、俺は思いを募らせたまま会えない日々が続いた。
もう一度彼女が魔法を楽しんで使えるような居場所を作れば――
そう思い立ったのは会えなくなってから1年経ったころ。俺は魔法省を調査していたころの情報を元に魔法学園を創ることにした。
そうして魔法学園を創り上げ、彼女もウィーン王国で暮らしていることを知った。
そうして思いを伝えようと、彼女と再会したのに。
彼女は俺を全く覚えていない、といったような対応をとった。それどころか、少し怯えているような節すらあった。
最後に会ってから2年は経過している。たまに会う程度だったし覚えていなくても無理はない。
傷つかなかった、と言ったら嘘になる。それでも俺の元で笑ってくれる彼女を見ているのが幸せだった。
一刻も早く彼女を自分のものにしたいけれど、彼女がまだそれを望んでいないならいくらでも待とう。
そう決意していたものの、彼女は日々生徒に好かれていくし、ジェードとマーガレットは現れるしで、俺は焦り、彼女を何度も傷つけてしまったと思う。
彼女に嫌われてしまうのも悲しいけれど、それでも俺はきちんとこの思いを伝えたい。
***
そう全てを伝えると彼女はしばらく目を瞬かせて、動揺した。
「俺は、ずっとアクアだけを思っていたんです。俺はアクアを愛しています」
そう言えば、彼女は頬を真っ赤に染めた。
俺はその頬にそっと触れる。
それから、真っ直ぐに彼女の青い瞳を見つめて返事を待った。




