17. 雨の中
「ビビがいないって……どういうこと?」
私は嫌に早くなる心臓を落ち着かせるようにゆっくり尋ねる。エリスは走ってここまできたのか、肩で息をしている。
「朝から、ずっといなくて……今まであんまり離れたことなかったから、それで不安になって……」
「ちゃんとビビが行きそうなところは探したんだね?」
ノーマンがそうエリスに声を掛けるとエリスは大きく何度も頷く。
「もうすぐ、天気も荒れてきてしまう。それまでになんとか探し出そう」
部屋の奥、私から少し離れたところでコーヒーを飲んでいたレヴォルは、すぐさま立ち上がり部屋にいる全員に声をかけた。
窓の外は黒く分厚い雲が空を覆い尽くしている。まもなく雨が降り出すだろう。
…………これじゃ、全くゲームの展開と一緒。
私はうっすらと心の中で呟き、やはりシナリオには抗えないのだと思い知る。
隠しルートの最大イベントにして、最終イベント。
そして――アクアの断罪イベント。
レヴォルを愛したものの、満たされないアクアはヒロインに嫉妬し、あろうことか先生なのに生徒をいじめる。
そして、ヒロインが大切にお世話しているビビを拐い、「レヴォルに近づいたらこの子がどうなっても知らないわよ」と脅すのだ。
そして強大な黒魔法でヒロインを飲み込もうとし――魔法を発現させたヒロインとレヴォルによりアクアが逆に消えてしまう――
ついに、きてしまったのね。
私は風でカタカタと音を立てる窓を眺めながら覚悟を決めるように呼吸を整えた。
あのイベントもこんな台風でも近づいているのかというくらいの暴風、大雨の中で行われていた。
あの時はクライマックスの雰囲気とただただ嫉妬に狂うアクアにイライラしたり、びしょ濡れになりながらも懸命にビビを探すヒロインを応援する気持ちでいっぱいだったけれど。
やられる側となると、違う緊張感が走る。
それでも、エリスたちと仲良くしたり、黒魔法を普段から使わないようにしていたのも全て無駄だったのかなと思うと悲しくなる。
エリスはレヴォルには興味がないとばかり思っていたけれど……やはりエリスはレヴォルにもよく懐いているし、私の観察不足ね。
いくら1人反省会をしたって意味はない。数時間後に、私は学園のはずれのほうにある森の中で破滅する運命なのだから。
ただ、疑問はある。
ビビを拐ったのが私ではないということだ。
私はこうしてみんなと生徒会室にいるわけだし、レヴォルだって今初めて知ったのだろうし。
……となると、誰がビビを拐ったの?
目の前にはどこを探したら、と慌てるエリスが映っている。
ゲームの中では直でそのイベントに移動するからなあ……今からこの広い学園中を探すのは時間もかかれば体力も必要だろう。
「森の方を、探してみましょう」
私は「大丈夫、必ず見つかるわ」と笑顔を作り、エリスの背中をさする。
エリスは少し安心したように頷いた。
この後消えてしまうとしても、エリスは私の大事な生徒だもの。悲しんでいる姿は見たくない。
学園のはずれのほうにある森は、終盤さながらの雰囲気がある。暗くて、寒くて少し怖い。雨は本格的に降り始めていて、足元もぬかるんできている。
「ビビー! 私よ、エリスだよ! いたら出てきてー!」
森に入ってすぐ、エリスが叫ぶ。私たちもつられるようにビビの名前を叫ぶ。
「本当にいるのか?」
「こんな暗いところにいるとは思えないな……」
「でもきちんと探してみよう」
「手分けして探そうか.......」
レオンやテラは不安げに辺りを見回し、ノーマンやアスールは的確に支持を出す。エリスたちは2人に分かれて探すらしい。
「私は、先生だし魔法も強いから、1人でも平気よ」
私はそう言い、背を向ける。「アクア先生なら大丈夫ですわね!」とアンバーの称賛する声に苦笑いを浮かべながら私は森の奥へと歩き始めた。
光魔法で足元は明るく照らされているものの、やはり吹き付ける雨風は冷たく、1人で歩くのは不安だった。
本当は、強がっただけ。
エリスが、レヴォルを選んでしまうのを見たくなかった。ゲームのシナリオ通りに進むなら、終盤の彼らは見ているこっちが目を覆いたくなるくらい甘ったるいから。
そんなことを考えて、私は情けないため息を吐き出した。
「これじゃ……ゲームの中の嫉妬したアクアと変わらないわね……」
きっと――私はレヴォルのことが好きだ。
優しくて頼もしくて、少しグイグイ迫ってきてくれるのにもドキドキして。
だけど私は何度も彼を拒んで、今もこうして避けてしまっている。もし本当に私を好きだったとしても愛想を尽かしてしまうのも当然だろう。
でも私はエリスもレオンもテラもノーマンもアスールもアンバーもビビもみんな大好きで。
願うなら、破滅なんてしたくない。生徒の成長を見届けたい。
ゲームとは全く一緒のシナリオというわけではないけれど、隠しルートを突き進んでいるのは間違いない。
「破滅、したくないなぁ…………」
そう呟くと、目からぽろぽろと涙が溢れ始めた。
手で拭っても、拭っても溢れてきて止められない。
両目を同時に拭おうとさしている傘の柄を小脇に挟もうとしたが――それは手から滑り落ちた。
もう、いいや。
そんな気分になって私は地面に転がった傘を眺めたまま立ち尽くした。
髪もドレスもどんどん濡れて水を吸って重くなっていく。ただ、潔く濡れてしまった方が少し気が楽になったような気さえした。
私はしばらく立ち尽くしたまま雨に打たれていた。
体が冷えてきた。私は蹲って目を瞑る。
――雨が、当たらなくなった。
どうしてだろうと目を開けると紺色の傘が差し出されていることに気がついた。
それから、ふわりとジャケットのようなものが背中にかけられた。
「俺のじゃ、嫌かもしれませんが」
雨に紛れていてもはっきり聞こえた。
私が振り返れないでいると、暖かいぬくもりに包まれた。
「ごめん、アクアを傷つけてしまうなんて俺は最低だ……嫌われても仕方ないかもしれないけれど、それでも俺は…………」




