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11. 通常ルートの悪役令嬢の苦悩

 小鳥もさえずるような気持ち良い朝。

 私は恥ずかしさと若干の怒りで震えていた。



「……な、なんで私の部屋でしれっと寝てるんですか!?」



 当たり前のように私のベッドに横になっているレヴォルにそう叫ぶ。レヴォルはベッドから転がり落ちた私とは正反対にキョトンとしながら目をこすっている。


 倒れて運んでもらったの、とかなんで部屋に入れたんだ、とか何かされたのか、とか色んな考えがぐるぐると回り回って昨夜のことに思い至る。そして私の指は自然と唇を触っていた。



「アクアが朝から俺のこと感じてくれるなんて幸せですね」



 朝だというのに上気した顔。昨日はこの顔に流されてしまったんだ。

 もうその手にはのらない、と精一杯顔を背けていると、「俺はぐっすり眠る愛しい女性を襲う趣味はないので安心してくださいね」とおもむろにジャケットを羽織るレヴォルが視界の端に映った。そしていつのまにかレヴォルは私の後ろにいる。



「起きている君でないと……ね?」

「…………もう、出てってください!」



 ぞわぞわする耳を押さえ込んで私はドアへとレヴォルを押しこくる。その間もふふふと嬉しそうなレヴォルに私はいよいよ危機感を覚えたのだった。





 わああ、キスしちゃったキスしちゃったんだよね!?


 時差でことのやばさに気がついた私はなんとか唇の感触を忘れようと廊下をずんずん歩いていた。


 昨日の私を思いっきり殴りたい。なにムードに流されて破滅要因とキスしちゃってんの!

 いやいや、でも私が好きだって言ってるわけじゃないんだしエリスをいじめているわけでもないから大丈夫……でもゲームの強制力でダメなのかな……


 いやね、昨日のは日々のお礼っていうか!

 でもあの様子はゲームの中のヤンデレに近づいていっているような……


 そう頭を悩ませていたせいか、前方に気がつかず――私は誰かと正面衝突してしまった。



「ごめんなさ……って、え!?」



 お尻をさすりながら顔を上げ私はその思わぬ人物に目を丸くした。


 ドレスの裾を払いながら立ち上がる亜麻色の長い髪を持つスタイル抜群の女の子――アンバー・グランツ。


 通常ルートの悪役令嬢。まさか、こんな形で会えるなんて。



「すみません、アクア先生。私の不注意で……」



 そう顔をこちらへ向けたアンバーに私は思わずぎょっとした。

 泣きはらした目。化粧でも隠せないほど青ざめた肌。



「……ちょっとこっちへ来て」



 私は咄嗟にアンバーの手を引いて歩き出した。






 生成色の壁の休養室で漂う紅茶の香り。

 アンバーはベッドから体を起こしティーカップを膝上に乗せてさすっている。



「……気分は落ち着いた?」

「はい。御迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」



 アンバーは丁寧に深く頭を下げた。

 乙女ゲームで見た憧れすら覚えてしまう美しい令嬢が目の前にいる。そしてゲームの通り苦しげに顔を歪めている。



 目の腫れはすっかり引いている。

 これできっとあのイベントは起こらないはず……


 ヒロインとアンバーが初めて出会うのは物語中盤。突然アンバーはヒロインを罵り挙句噴水に突き落とす、という最悪の登場をするのだ。


 泣きはらした目――アンバーがヒロインをいじめるのはその目をしていたたった一回のみ。だから、もしかしたらそのイベントが発生してしまうのでは、と思ったのだ。

 しかし、ゲーム内では彼女がどうしてヒロインをいじめたのかはよくわからずじまいだったし、あとは気高い圧倒的な差のようなものを見せつけてくるだけだった。


 私はたくさんの疑問を浮かべながらもまずは1番大事なことを聞こうと口を開く。



「どうしてそんなに泣いていたのか、先生に教えてくれない?」



 私は優しく微笑みかける。アンバーの紫の瞳が戸惑うように揺れた。


 アンバーがヒロインをいじめに向かっていたということは通常ルートに進んでいる可能性が高い。そうしたら私だって破滅なんてしないで済む。

 だけど――この世界で誰も悪役になってほしくない。


 そう強く思っていると、アンバーがゆっくりと口を開いた。


 アンバーの口から語られたのは予想外すぎることばかりで、私は次第に顔を歪めていく。

 そして――ついに沸点に達した私は勢いよく椅子から立ち上がった。





「……それで、先生がわざわざ家へ何のご用でしょうか」



 向かいのソファーに腰掛け、あきらかに不機嫌そうな表情を浮かべているのはグランツ公爵夫人――アンバーの義理のお母様である。

 私は若干の怒りを覚えながらもなんとかひた隠し、アンバーは私の隣で俯いている。それから、威圧感が増すかな、という理由でレヴォルにも声をかけた。



「アンバーさんの件で伺わせていただきました」

「やはりうちの出来損ないが何かしたのですね」



 大きくため息をつく夫人にアンバーの体がびくりと跳ねる。私はそれをチラリとみて背をさすると彼女をまっすぐ見て声を上げた。



「本日伺ったのは貴方の教育方針を改善すべきだと思ったからです」

「私の? 一体なぜ」



 全く悪びれない様子にイライラしつつも私は大きく息を吸って続きを告げる。



「アンバーさんが当主様と別のご婦人の連れ子だということは伺いました。貴方は今もその怒りをアンバーさんにぶつけているのでしょう」



 アンバーはゲームで語られないのがおかしなくらいの話を私にした。


 愛する夫と愛人の子であるアンバーは義母にとっては妬みの対象でしかなかった。なんでも1番じゃないと気が済まない性格とその怒りも相まって、アンバーに冷たく厳しく接し、アンバーは煙たがられ生きてきたのだという。もちろん、父も見て見ぬふりなのだとアンバーは寂しげに言った。



「『あなたなんて出来損ないよりも特例で入学してきた平民の女の子の方がうんと優れているのではなくて?』そう言われて、辛さよりも怒りが込み上げました。その子がいなくなればいいと、その時は無性にそう思ったのです」



 そういうことだったのね……だからヒロインをいじめた時あんな辛そうな顔をしていたのか。


 そう納得したのと同時にアンバーが言った言葉に私までひどく傷ついてしまった。

 私の大事な生徒にそんなこと言うなんて許せない。

 だから何か言って可能なら一発殴りたいと、そう思って今この夫人と対峙している。



 私がかろうじて伯爵令嬢だと知ってか知らずか自分の方が立場が上だとふんぞりかえっている夫人に苛立ちは限界に達した。レヴォルは私たちの様子を真剣な眼差しで眺めている。



「あなたが公爵夫人だかなんだかしらないけど、私はアンバーの先生です! 傷ついている生徒を放っておくなんて私はできません! だから、考えを改めてください!」

「アクア先生……」



 アンバーがか細い声でそう呟いたのが聞こえた。しかし夫人は「失礼なやつね、つまみ出しなさい」と周りにいる使用人に指示している。


 かくなる上は……!


 私は大きく息を吸い込んで用意していたセリフを放つ。



「私は魔法省最高クラスとまで言われた魔法士よ! あなたなんて私に全く及ばない。もちろん、アンバーの方があなたより上よ!」



 自慢みたいになってしまうけれど事実は事実。アンバーの方が優れてるわ。夫人はビキビキと怒りをあらわにする。

 そして、大きく手を振り上げる――が、その手はレヴォルによって掴まれる。



「アクアの邪魔をしないでいただきたい」



 ナイス! と心の中で叫びながら私は魔法を使う構えをする。


 ――必殺 髪グチャトルネード!!


 そんな意味のわからない技名をドヤ顔で心の中で叫び、私は風魔法を夫人の頭に向けて発射した。

 そして、夫人の髪はみごとにぐちゃぐちゃのボッサボサになったのだ。



「いやああ、何よこれ! 最悪だわ!」

「最悪なのはこっちです! ちゃんとアンバーに謝ってください!」



 取り乱す夫人に私はそう追い討ちをかけるが夫人は聞く耳を持たない。するとレヴォルが口を開いた。



「あとは俺に任せてください。こう見えてもアガット侯爵家の当主なんですから。いろいろ探らせていただきますね」



 レヴォルは仮面のような笑顔を貼り付けるので夫人はすっかり震えあがってしまう。「あの、魔法の……?」と呟くがレヴォルの冷たい笑顔のおかげか黙るに徹したようだった。



「それと、アンバーさんのことも俺に任せてください。せっかく優秀なんですから魔法を生かせる仕事を探しますよ」

「それがいいわ! こんな居心地の悪い家に無理している必要はないのよ。ほら、私もね、家出てきた身だから。貴族の面倒くささとかなくて楽でいいわよ!」



 私とレヴォルがそう口々に言うとアンバーは「ありがとうございます」とはにかんだ。


 ひとまず、解決でいいかな。私の怒りが収まったわけじゃないけど、整えてある髪がぐちゃぐちゃになっているのは割と見応えがあった。




「……魔法省のことは覚えてるんですね」



 グランツ家を出てすぐ、レヴォルはそう呟いた。

 私はキョトンとしながらも頷いた。



「アクア先生、これお礼のお菓子です」

「こんなにいいの!? 嬉しいわあー! ありがとね、アンバー。いつでも私のこと頼ってね!」

「はい、そうさせていただきます!」


 きゃっきゃと私はアンバーから貰ったお菓子を頬張る。



「どうして、俺とのことだけ忘れてるんだ……」



 レヴォルの声は私たちの声にかき消されてしまい、私の耳に届くことはなかった。



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