02 魔物と王様。
あんな大蛇モンスターと迷わず戦うなんて、この世界では普通なのか!?
突然の戦闘態勢に私は内心ひやひやしながら、セレナさんの腰に回す腕を締め付けて振り落とされないようにした。
すると大蛇モンスターの尻尾で、青年が吹っ飛ばされる。
木をへし折るほどの威力。青年は呻いて倒れた。
「わ、私が見てきます!」
「気を付けて」
セレナさんは大蛇のモンスターと戦いに行く。私は避難する口実が出来たので、白馬から飛び降りた。大蛇のモンスターから離れて、青年の元に駆け寄る。
黒い衣服が破けて、そこから血が溢れていた。大出血ではないけれど、そこを止血することが先決だろうと思い、まず青年のマントを剥いだ。
マントを丸めて、胸の怪我を抑え込む。
「うっ……?」
青年が顔を上げる。顔に模様があった。模様というより、刺青だろうか。
でもあり得る? 黄金に煌めく刺青なんて。金箔を貼っているのだろうか。
顔の右半分に染み込むように広がったそれが、とても綺麗に見えた。
瞳はアーモンド型で、黄金色に縁取られている。その瞳を見て、狼を連想したのは、どうしてだろうか。
「!」
黄金色に縁取られた瞳が、大きく見開いた。
私を見ているのではない、私の後ろだ。
「クチナ!!!」
セレナさんの声を聞いたと同時に振り返ると、大口を開けた大蛇のモンスターがこっちに向かってきていた。大きくて鋭利な二つの牙が見える口が、と青年を食べようとしたのだ。
地面の上をくねくねと猛突進で進み、がぶりと噛み付く。
刃が振り下ろされるように、牙が突き刺さる。
ーーーーところだった。
私は驚きつつも、咄嗟に牙を掴み、足で下唇を踏み付けて閉じないようにしたのだ。私を一飲み出来そうな巨大な大蛇のモンスターの力に、普通は敵わない。そのはずなのに、私は押さえ込むことが出来た。
「っ……!!」
でもそう長くは耐えられそうにない。
腕が震え出しそう。どうするべきか考えようとはした。
でも先に行動していたのだ。
掴んだ牙を、意図も簡単に引き抜いた。
きっと痛みで身を引いたモンスターが私を解放したその瞬間、私を映した左目に引き抜いた大きな牙を突き刺す。手が食い込むほど深く。
モンスターは、どしんっと地面に倒れた。
よく見れば、モンスターの背には弓矢が刺さっている。
しかし、トドメを刺したのは、間違いなく私の一突きだろう。
弓矢を放ったであろうセレナさん達に目を向ける。
馬から降りていた彼女達は、呆気にとられた様子で右手が血で濡れた私を見ていた。
明らかにーーーー私の身体、おかしい。
変わってしまっている。そう確信した。
「えっと……怪我人! 手当てしてください!」
「あっ! はい!」
怪我人がいることを忘れかけたけれど、振り返って膝をつく。
青年も驚いた表情で、私のことを見ていた。
やめて、そんな目で見ないで!
真っ先に駆け寄ったリリカさんが、手当てをしてくれるみたいだ。
「ーー“癒しを”ーー」
そう唱えると、翳した手が仄かに光を放つ。
リーンリーンと鈴の音も聞こえる。
癒しの魔法だろうか。私は目を輝かせてその光を見つめた。
魔法を拝めた! 魔法!
ふと気付く。リリカさんの目が泳いでいる。私の視線に戸惑っているわけではない。青年の黄金の模様が気になるようだ。
しかし凝視することは許さないと言わんばかりに、青年が睨んでいる。治療をしてくれている相手だと言うのに、リリカさんをギロリと睨み付けていた。
「……もういい。ぅっ」
傷が塞がるなり、青年は立ち上がる。でも小さく呻いたので、まだ完治はしていないだろう。マントを羽織り直して、頭まで深く被り歩き出す。
「待て。ダンベラー国の者だろう? 我々も向かうところだ。馬に乗っていい」
「余計な世話だっ」
歩き去ろうとする青年を止めたセレナさんの言葉に、そう冷たく返す青年。
フラフラなのに。人付き合いが嫌いなタイプなのだろうか。
「でも、そんな身体じゃ倒れてしまうかも」
私は青年のところまで歩み寄って、顔を覗いた。ブーツを履いた私より、頭一つ分くらい背の高い。
セレナさんを睨んでいた青年の表情は、途端に困惑のものに変わる。
私という存在に戸惑っているような反応。
やめてくれ、私も当惑しているんだ。あんなことが出来てしまって。
それにしても、顔や首にある黄金はやっぱり綺麗だ。ついつい見つめてしまうと、青年は居心地悪そうに目を背ける。
「私達……」
言ってもいいものなのか、セレナさんに視線を寄越す。
セレナさんは頷いて、話す許可をくれた。
「占い師ナリリに会いに来たんです」
「ナリリに……?」
「知り合いですか?」
どうやら知っている仲のようだ。
マントの下の青年の表情は、怪訝なものに変わる。私ではなく、セレナさんをまた睨み付けた。
「エルフ族が……なんの用だ?」
「精霊樹の前に召喚された異なる世界の者である彼女を見極めてもらいに来た」
「精霊樹が……人を召喚……?」
さらに顔をしかめて、青年は私に目を戻す。
私は笑みを無理に作ってみた。
青年が身を引いて目を背ける。
ちょ、引かないで!!
「……先に、行って、話を通してやる」
青年はマントを掴み、顔を隠すように深く被り直すと、その辺を彷徨いていた白馬を一頭捕まえた。そのまま許可を取ることなく、駆け出してしまう。
「なんて無礼な男」
エルマさんが他の白馬を捕まえながら、思ったことを正直に口にした。
確かに無礼だ。助けた礼も言わなかった。
「リリカさん、彼を癒してくれてありがとうございます」
「クチナさんがお礼を言うことじゃ……」
邪険にされたリリカさんは、特に怒った様子はない。
「それにあたしのことはリリカだけでいいですよ」
「いいのですか? ……歳上、ですよね」
「ええ、多分」
ニコッとするリリカは、別に年功序列は気にしないタイプみたいだ。
「自分もどうぞ、エルマと呼んでください。それにしてもすごいですね、異世界の人間は……」
「いや……私も戸惑っているんですけど……」
エルマが言いながら歩み寄り、横たわる大蛇のモンスターを見る。
私も笑みを引きつらせながら、モンスターに目を向けた。
「やっぱり、私、精霊樹に力をもらったのかもしれません」
「「「……」」」
予想だけれど、それを口にしたら、意味深に注目をされる。
え、何、まずいことなの? ん!?
「行きましょう。もうすぐです」
セレナさんは先に白馬に跨ると、私に手を差し出した。
その手を掴むと軽々と後ろに乗せられる。
エルマとリリカが同じ白馬に乗ったところで、また風のように走り出した。
セレナさんの言葉の通り、すぐに到着する。
五メートルはありそうな分厚い壁に囲まれていて、門があった。門番らしき鎧をつけた人が三人立っている。壁の上の監視塔にもいた。厳重だという印象を抱く。それもそうだ。あんな巨大なモンスターが侵入なんてしてきたら、大ごとになる。
「ウノスの里から来た。先程、この国の者を助け、話を通してくれると言われたが?」
セレナさんは高圧的な態度で、門番に問う。
あの里、ウノスって言うのか。
「話には聞いています。どうぞ、お通りください」
あっさりと入国許可が降りてしまった。
ウノスの里のエルフ族は信頼されているのか、それともさっきの青年のおかげなのだろうか。
入れ違いに何人かが国を出ていく。馬に荷車を引いていた。荷車の上には何もない。不思議がって見ていたけれど、目の前のセレナさんが降りた。私に手を貸してくれたので、私もスタンと降り立つ。
足元は煉瓦が敷き詰められた道になっていた。
顔を上げれば、煉瓦の建物が並ぶ街並みがある。
オレンジから白という明るい色の壁の建物は、赤みの強い茶色の瓦の屋根だ。
なんだか私が好きな海外の田舎の街並みに思えて、見ていることが楽しくなった。
このまま眺めながら、占い師の元に行く。そう思っていたけれど、前方から何やら重圧を感じた。
「ウノスの里のエルフ族の諸君、ようこそ。ダンベラー国へ」
そう笑いかけてきたのは、小柄な青年だった。
多分、私とそう変わらない身長。しかし、威圧感をヒシヒシと伝わる。
にこやかに笑う顔は、まだ幼い少年みたいなものなのに、奇妙だ。この小柄な青年はなんなんだろう。わからない。
紫色の髪は一つに束ねて、左肩に垂らした髪型。瞳はつぶらな黒色。
丈の短い黒の上着を着て、中に白いワイシャツ。ぶかっとしたデザインの黒いズボンとブーツを履いている。
セレナさんに向けていた黒い瞳は、私に移った。
正体不明な青年を見て戸惑う私を、じっと見据える。
「ダンベラー国王」
セレナさんがそう口にして、青年に頭を下げた。
「こ、国王!?」
私がギョッとしていれば、青年が率いている男性達から敵意が放たれる。
私は慌てて口を両手で塞いだ。私の反応がよほど気に入らないらしく、睨み付けてくる。
いやだって、国王直々に出迎えてくるなんて思わないじゃないか。普通は予測も出来ないだろ。なんて心の中だけで言い訳をする。
しかも名前が国名とは、一体全体どういうことだ?
「あはは、こんなんでもこの小さな国の頭だよ。こらこら、お嬢さんを睨むな、お前ら」
「はい、ダン様」
周りの睨みをやめさせたダンベラー王。
慕われているんだなぁ、と思う。
カリスマ性というやつだろうか。それが彼にはあるのだろう。
「ルーシウスから聞いた。アイツが危ないところを助けてくれたそうだな。礼を言う、ありがとう」
「礼には及びません。窮地を救ったのは、このクチナという者です」
あの青年、ルーシウスという名前だったのか。
セレナさんから紹介をされてしまい、私は威圧感ある青年と向き合うことになった。
「精霊樹が召喚した人間だってことも聞いた。クチナか。俺のことはダンでいいぜ」
「えっと、どうも、クチナです。ダン国王陛下……?」
「そうじゃなくて、ただのダンで」
「いえ……」
笑いかけてくれるダンベラー王に手を差し出されたから、恐る恐ると両手で触れる。
触れたら、周りの男性達に手を切り落とされるんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。
けれども、触れて気が付く。
「とても……お強いダン国王陛下を呼び捨てなんて、出来ません」
「お? わかる?」
ギュッと握り締められた手。それから感じるのは、多分彼の強さなんだと思う。威圧感も重圧も、見た目に反して、とてつもなく強いからなのだろう。
「俺もわかるぜ。精霊樹の気配ってやつかな。半日くらい前に、精霊樹の方で雷が落ちた。クチナが原因か?」
「えっと、そのようです。雷とともに現れました」
「なぁ! 頼むから、呼び捨てしてくれよ。クチナ」
「えっ」
なんでこの人、こんなにこだわるのだろうか。
不敬だって、断罪されない? あなたが大丈夫でも、周りは違うのでは?
「頼むよー、クチナ」
未だに手を握ったまま、腰を折ったダン国王陛下は上目遣いをしてきた。
上目遣いという攻撃を仕掛けてきただと!?
国王陛下なのに!? とてつもなく強いのに!? とんでもないやつだ!
「わ、わかりました……ダン」
「言葉遣いも軽いものでいいよ、タメ口でいこうぜ」
要求多いな、この国王陛下!
「わかったよ、ダン」
「それでいい。ナリリに会うんだろ? 案内する」
「……国王なのに? 出迎えてくれた上に案内なんて、どうしてそこまでしてくれるの?」
「精霊樹について聞いてない?」
ダンは手を引くと、そっと離して、歩き出した。
「教えていません……。里の長、レイデシオ様の指示で、占い師ナリリに見定めてもらいに来ました」
答えるのは、セレナさん。
背中をそっと押してくれる彼女と一緒に、ダンについていく。
「レイデシオは元気ー?」なんてダンは他愛ないことのように訊く。
ぞろぞろとダンの……きっと親衛隊か何かだろう人達が、私達を取り囲むように歩くものだから、街の人々は避けていく。
「先ずは、精霊樹の話をしてやるよ。簡単に言えば、精霊樹は命の源だ」
「命の源……」
「そう! ここら一帯の生命の源だと言われている、偉大な樹だ」
振り返ってダンは、両手を広げて見せた。
私は足元を見てしまう。馬で半日もかかった距離だが、ここまで精霊樹の影響力があるというのか。それはそれは、偉大だ。
「精霊が宿っているとも言われているが、実際精霊を見た者はいない。俺は拝んだことないが、エルフの話じゃあ、木の葉も落ちない神々しい白い大木だそうだな」
「あーもう神々しいのなんのって、神秘的で美しかったよ! でも葉っぱが落ちてきて、私に触れた途端ふわーって光って消えちゃった!」
「へぇ」
ダンがニヤついた顔を向けて、頭の後ろに腕を組む。
「その精霊樹の葉っぱを食べた者は不老不死になると言い伝えがある」
「ふ、不老不死!?」
驚いて声を上げてしまった。
ダンが吹いてしまう。
「でまかせです。精霊樹に触れる者は、弾かれてしまいますので」
セレナさんは威厳とした口調で、言い伝えを否定した。
「あ、なるほど。それでセレナさん達は、不老不死になれるでまかせを鵜呑みにする輩から、守るためにいるんですね」
「はい、それもあります」
精霊樹に近付けさせないために、セレナさんの部隊がいるのだろう。
「部隊は一つだけじゃないぜ。精霊樹の周りにはエルフ族の里が三つあってな。えっと確か満月が満ちる度に順番で警護してるんだろう?」
「はい。その通りです」
「へぇ、三つのエルフの里……」
美しい妖精エルフが守る精霊樹、か。
月の周期で交代しているのも、中世風ファンタジー世界ならではって感じでいい。
「あ、ナリリの店に着いた。どうぞ、入って入って」
ダンが入るよう促したのは、白い塗装の建物。
親衛隊の二人が、扉を開いてくれる。
入るのは、私に付き添うセレナさん。
ワンルームの空間には、テーブルがポツンと置いてあった。
白く塗られた丸テーブルの上に、水晶玉。占い師っぽいと思ったのも束の間だ。
その水晶の向こう側に、女の子がいる。
首を傾けて、水晶越しではなく直接見てみた。
黒髪で頭のてっぺんにお団子にしている。瞳も真っ黒だ。長い睫毛で、ぱっちりしている。白い頬が僅かに桃色に染まっていて、顔立ちの可愛い女の子だ。
店番の女の子だろうか。
「こんにちは、クチナ様」
にっこりと微笑む女の子が、私の名前を呼んだ。
「なんで私の名前……」
「わたくしがナリリです」
「うえ!?」
占い師ってなんだか老婆のイメージだったから、それを裏切られて私は奇声を上げてしまった。
「ご、ごめんなさい。もっとこう、老人のイメージをしていたので、びっくりしました。驚いてごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。ダン様も入られたらいかがですか?」
「おっ、いいの? やったね」
入り口に凭れていたダンが、ステップして中に入る。
それを見た私は、テーブルの向こうの占い師ナリリに目を戻す。
パタン、と扉が閉じられた音を耳にする。
明かりは窓から差し込む陽と、壁の上にある燭台。その燭台は電気のように明るいものだった。
「ダン様は本当にお気楽でいいですね」
にっこり、とダンに向かって笑う占い師ナリリ。
「配下が優秀だから、俺はすることもないんだ」
また頭の後ろに腕を組んだダンは、軽く笑い退ける。
「聞いていないでしょう? クチナ様」
「何を、でしょう?」
「ダン様が魔王だってことを、です」
出てきた単語に私は目を見開いたが、理解には遅れてしまった。
右横に立つダンは視線が同じくらいの高さにあって、ニッカリと笑みを向けられる。その口から覗くのは、八重歯というより犬歯のように鋭く尖っていた。
「ま、魔物の王様なの!?」
「あっれー? それも聞いてないの? そう、俺は魔物の王様。魔王だ」
ダンがおちゃらけた様子で、頬を引っ張り牙を見せ付ける。
「俺はヴァンパイアだ」
驚愕のあまり、絶句した。