ご神託
ミサキは、チュウリップ部分を難なくキャッチした。
聖杯は温かく仄かな甘い香りを漂わせた。
何コレ? 温められた香油じゃない。火に油を注いで燃え上がるなんて、当然じゃない。
バカバカしい。呆れて顔を上げ辺りを見回す。
茫然と凝視する法王と頬を引き攣らせたラモスが目に入った。
民衆は水を打ったように静かだ。
そっかぁ。聖杯だもんね。壊れちゃまずいわ。と、さすがのミサキも思った。
「俺は知らんぞ! 神様事は神殿の用向き。法王! お前が謝っておけ!」
偉そうにラモス王は命じるが、法王はワナワナと震えて地面に崩れ落ちている。
ザワザワと民衆達も囁きはじめる。
「聖杯を壊すなど……、罰当たりな」
「これは凶事。きっと天罰が下る」
「私達……、どうなっちゃうの?」
不安が辺りを覆い始めた。
自分は聖剣士である。
国民の安寧に貢献しなければならないらしい。
ミサキはチューリップの中を覗き込んだ。
油は充分ある。
国家安泰? 王と法王があの状態で、神様に仲裁をお願いするのは、聞いてもらえそうな気がしない。もし、火に油を注いで断られたら、民衆の動揺はいかばかりか。
竜退治の成功? なんで? アタシが竜と戦う事が前提じゃない? 出来れば避けたい。
お願い事は、ただ一つ。
ミサキは、聖火に歩み寄る。
「悪竜退散!」
ミサキは高らかに叫んで、聖水(?)を聖火に振りかけた。
聖火は音をたてて、燃え盛った。
「悪の権化がいなくなる……」
誰かが呟いた。
「ともかく、当面の敵は回避できた」
「竜よりヒドイ事ってある?」
目前の凶事より、一縷の望みの方がずっといい。
民衆は竜がいなくなるという吉報に縋り付いた。
「聖剣士様ぁ! 頑張ってぇ!」
「悪竜退散!」
コロシアムに民衆の歓呼が鳴り響いた。
ラモス王がミサキに歩み寄る。
「竜退治を俺の聖剣士に残しておく心配りは褒めておこう」
ニヤリと笑って囁きかける。
「竜は退散しちゃうのよ。いない竜の退治なんてできるの?」
ミサキは、ツンと言い返した。
ラモスにとっては、ゴマメの歯軋り。笑いながら踵を返し、祭壇の供物をヒョイッと口に放り込み歩いて行く。
「国家安泰は……?」
法王が虚空に向かって小声で問いかけた。
神様からの返事はない。
香油を振りかけていないのだから当たり前だ。
ミサキは渋い顔で忠告した。
「まずは、人間同士で仲良くしようね」
「聖剣士様。お役目お疲れ様でした。皆も安堵いたしております。さすがでございます」
コンスタンスが、平伏した。
感性や思考が違いすぎる。
ミサキは次の仕事である聞き込みに出かけるために祭壇を降り始めた。
「お待ち下さい。聖剣士様。今宵は、聖剣士様を労う為に、異国より劇団が参っております。おくつろぎのご準備を」
そう告げる侍女にミサキは振り返った。
「悪い。今は異国にまで手が回らないわ。また、今度ね」
この国の神様がどんな神かは知らない。お願いを実行してくれれば、それで良し。
竜が出てきたときには、戦わなければならないのだ。
敵を知ることは大事である。
竜に遭遇したこの国の人に会うのが先決だった。
ミサキは、マントに風をはらませて街角を歩く。
人々は遠巻きだが、ヒソヒソ話は随分好意的になっている。
バルバロスの部下も遠巻きながら、ついて来る。
何事もなく城門をくぐる。
酒を飲んでいて記憶は怪しいが、見覚えのある居酒屋のオヤジが、満面の笑みで手を振ってくれる。
オヤジは、商売熱心なのか、一緒に食事をした気安さか歩み寄って来る。
この間の人々と、また、酒でも酌み交わしながら、竜について話しを聞きたいと、ミサキもそちらに向けて歩き出した。
乾いた土ぼこりが城壁の彼方に巻き起こった。
そこから蹄の音がする。
王が、又、何か文句言うために追いかけて来たのかと、目を向ける。
見ると、砂煙を巻き上げて、二頭の馬が駆けてくる。
乗っているのは、庶民。
質素な麻の服を着た筋肉マン。
見たことのない二人組だ。
ミサキは知り合いではない、王から使いでもなさそうなので、無関係と思って視線をはずした。
しかし、次の瞬間、両側から腕を抱えられて、ミサキの足は地面から離れていた。
遠くにバルバロスの部下が慌てふためく様子が見えた。