召喚
新興住宅街に夕暮れが迫っていた。
薄暗くなってきた街角を学校帰りらしいセーラー服の少女が、悠々と歩く。
スカートは長く。学生鞄は薄く何も入っていない。
完全に○○病を発症しているのだろう。靴が工事現場でよく見る爪先に金属の入った安全靴だ。
その靴で蹴られれば、負傷するような代物だ。
毒グモが赤い色で相手に警告する様に、少女は黒く重そうなその靴で、寄らば斬ると警告を発していた。
肩に掛かるくらいの茶色みがかった黒髪。ストレートな髪の間から、切れ長の印象的な目が覗く。
少女は面白くなさそうにチラリと視線を走らせると、その先に電柱の陰に青年が一人立っている。
青年の方は、少女に関心を示している様子はない。
一心に『藤』という表札のかかった住宅の三階を見つめている。
少女は黙って、ゆっくりと別の場所へ視線を動かす。
やはり、建物の陰にモジモジとした様子の少年が立っている。
見つめているのは、やはり同じ場所だ。
関心無さそうに少女は行き過ぎ、彼等の視線の先の住宅に入っていった。
「ただいま」
「おかえり。ミサキ」
キッチンの方から、母親、妙子が言った。
上の階から人の降りてくる音がする。
降りてきた絶世の美少女でミサキの妹の花凛。
中学二年生である。
ツインテールに結んだ髪の毛は、濡れたように黒く輝いていて毛先だけが緩やかにカールしているし、瞳は躍動感のあるキラキラとした光を宿した黒曜石。
白薔薇を思わせる白い肌に、サクランボの唇。
子供から女に変わるまでのスッキリとした肢体。
それ以上に彼女を際立たせているのは、そのオーラである。
思春期の危うげで、眩しくて、透明な雰囲気を纏っていた。
「姉さん。おかえり。帰ったばかりで悪いんだけど……。ポテチ、買うのについて来て!」
ミサキが呆れて、押し黙った。
そして、外を指さす。一呼吸おいて口を開いた。
「今日も来てるよ。それも、二人も。花凛。ポテチならアタシが買ってきてあげるけど?」
花凛はその愛らしい頬を膨らました。
「だってェ。たまには、ヒンヤリした外の空気を吸ってみたいのよ」
「それって、挑発じゃない?」
「他人の行動なんて制御できないし、付き纏ってなんて頼んでない。無視してくれていいから、煩わせないでって言いたい。それに、姉さんと私なら、二人ぐらいは熨せるでしょ」
美しすぎる容姿と裏腹に花凛は過激な事をサラリと言った。
花凛は小さい時から、美しすぎた。
周りは何時だってチヤホヤする。そして、束縛する。
自分の自由は、その腕っぷしで獲得してきた。
「それを言うなら、二人なら逃げ切れるにしてくれる? それに、彼等、ただ、ついて来るだけでしょう?」
嫌そうにミサキが訂正する。
「そうとも言える。逃げ切れる……、それでも良いわ。決まりね」
花凛は、手を打ってにっこりと花びらを振りまくように華やかに笑った。
コンビニの自動扉が開いて、花凛とミサキが出てくる。
ミサキは少し離れた道路に目を向けて溜息を吐いた。
「ついて来るだけと言っても、影じゃあるまいし、不気味」
「プレゼントを持って来たら、さすがにダッシュよね。姉さん! 走って!」
花凛に促されてミサキは走り出した。
青年が持ってきている物が、プレゼントとは限らない。
青年が内ポケットから何かを取り出したのを横目で見て、いつも逃げるのに使っている道に向かって走る。
その道は先が行き止まりになっていて、行き止まりの塀を乗り越えると、空き家の庭に飛び降りる事が出来る
近所の人間だから知っている事情だ。
多分、ついてきている彼等は知らないはず、知らない塀を乗り越えるのを躊躇する事を期待する。逃げる時間が稼げればよかった。
先を走っている花凛が目的の角を曲がる。
「きゃっ」と、小さな叫び声がする。
「花凛?」
ミサキは慌てて角を曲がる。
道路に輝く魔法陣のような不思議な模様が浮き出ている。
模様の真ん中で花凛の足の下が、ひと際、輝いていて、その光の中に花凛が呑み込まれそうになっていた。
「!?」
ミサキは立ち竦んだ。
何が起こっているのかわからなかった。
幻でも見ているのかと、後から駆けつけてきた青年と少年を見た。
二人も立ち竦んで、顔を引き攣らしている。
「アンタ達……」
ミサキは自分が何を言おうとしているのかわからなかった。
アンタ達にもコレが見えるの? と言おうとしているのか、何とかしなさいよ! と言おうとしているのか分からなかったが、呻き声としてこぼれ出た。
青年も少年も事実を打ち消そうとするように、首を振り後退る。
「うわぁぁ!」
青年が叫ぶと、それが合図の様に二人とも逃げ出した。
ミサキは、花凛を振り返る。
花凛は光の柱に驚いて、竦んでいる様に見えた。
ミサキは意を決して、光を突き抜ける勢いで飛び込んで、花凛を押し出し、自分も飛び出すつもりでいた。
花凛を弾き出したところで、何かが完了した。
光は硬質な薄い壁に変化していた。
呪いなのか魔法なのか、ミサキの立っていた魔法陣が光の柱になって、次の瞬間消え去った。
魔法陣もミサキも跡形なく消えていた。
「姉さん!」
薄闇の中、呆然とする花凛とポテチだけが街角に残された。