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神様スイッチボックス  作者: 葦元狐雪
9/13

バスジャック36

 聞き憶えのある音が聞こえる。

その軽やかな音は、物心つく前から飽きるほど聞いてきた。

ホーム下の避難スペースで尻もちをついている男は、幼少期に祖母に連れられ、駅へ電車を見に行ったことを思い出していた。


 幼いころ、男はたくさんの人を乗せようとも顔色ひとつ変えない、そのたくましい姿に興奮し、憧れた。

銀色の輝く体に、一本の真っ直ぐな歪みのない赤い線が入れられた外観は、幼い男心を揺さぶり、さらに昂らせた。


「守ちゃん、電車好き?」


老女は、数え切れないほど多くの皺が刻まれた顔を、さらに皺を増やしながら、にっこりと笑いかけて

言う。


「うん! 電車好き! 僕、将来は電車になる!」


彼は濁りなく透き通るような瞳をキラキラと輝かせ、電車に目を向けたまま言う。

老女は「あらあら」と、また皺を増やしながら嬉しそうに言った。

駅員の吹き鳴らす笛がホームに響き渡り、おきまりのアナウンスが聞こえて来る。階段の方からは、何人か急いでいる人が目に入る。

空気を吐き出し、ドアが閉まる。銀色の鉄塊は、ゆっくりと動きだす。

しっかりと前方を見据えながら、金属の擦れる音を奏でながら進む姿を、老女は人差し指で差しながら言う。


「ほら、守ちゃん。電車さんにバイバイは?」


幼い日の男は電車の進む音に負けないよう、声を力一杯張り上げ、まるで今生の別れのように、別れの言葉を叫ぶ。


「電車さん! バイバイ! 僕、電車になるから! 絶対、絶対なるから!」


電車は、少年の覚悟に応えるかのように汽笛を鳴らし、スピードを上げながら、線路の彼方へ走り去って行った。


 男は、あの日と同じ銀色の車体に赤い線が入った電車が走り去っていくのを見ていた。

何気なく懐に手を入れてみると、拳銃を持っていないことが分かる。バスの中で落としたのだろうか。

電車が過ぎ去ると、向かいのホームには、下を向きながら携帯電話を見つめる人々が現れる。

階段の奥から次々とやって来る人々は、既に並んでいた人の後ろに立ち、勝手に列を形成していく。誰も不平不満を口にせず、律儀に並ぶ。それは誰も不思議に思うわけでもなく、はるか昔から受け継がれてきた、人間同士のいざこざを防ぐための先人の知恵なのだろうな、と勝手に考える。


 男はサングラスを外し、人差し指の側面で目蓋を擦る。

まだ誰もこちらには気づいてはいないようだ。皆、手元にある文明の利器に夢中で、周りの事は見えていない様子だった。

周囲をよく観察してみると、空は薄暗く、ホームにはスーツを着た人や、学校の制服を着た人が多くいることが分かる。

その人々を眺めていると、その集団の中にいる1人の、黒縁のメガネをかけたスーツ姿の男性と目があった。

男性はギョッとした顔を見せたが、まるで残虐超人顔負けの体格をした男を見ると、ばつが悪そうに目を伏せた。


 ふと、何の前触れもなく唐突に、男の目の前に幼い男の子が落ちてきた。

幼い男の子は落ちた痛みに顔を歪ませると、線路の上に座り、大声で泣き始めた。

なぜ、この男の子はわざわざ線路の上に座り込んでしまうのだろうか、と男は思った。

ほどなくして、


「危険ですから黄色い線より内側へおさがりください。間もなく18時45分発、□□行き、8両編成の列車が参ります。」


という、感情のない駅員の声がスピーカーから流れた。異変に気付いたホームにいる人々は、ざわつきだす。

線路からは、電車の走る音が聞こえ始めてきた。幼い男の子の泣き声は金切り声に近いものになり、その声に混じって、多くのシャッター音が聞こえる。

男は、アナウンスの告げた時間に違和感を感じる。

たしか、この時間はまだ自宅にいたはずだ。その後、駐在の警官から拳銃を奪い取り、バスジャックを決行した。

まるで映画の出来事のような、非常識な現象に脳が混乱する。果たして、本当にこれは現実なのだろうか、夢ではないのか。

苦悶の表情で視線を上げると、幼い男の子に向けてカメラを向ける人々が見えた。

しかし一体何を考えているのだ、あのホームにいる人々は。あの泣き噦る子供を助けよう、守ろうとは考えないのか?

男は、自身が口にした『助ける』という言葉にかつての友人の姿が脳裏に浮かぶ。

その辺に転がっていた小石を掴むと、力一杯握りしめた。


 タバコの火を消す無精髭の生えた痩せた男は、遠慮がちに言う。


「なあ、守。ちょっと相談があるんだがね」


「どうした。なんでも言ってみろよ」


守はジョッキに残ったビールを飲み干すと、テーブルの端にある呼び出しボタンを押す。


「非常に言いにくいんだけどねえ...借金の保証人になってくれないかな?」


「なんだそんなことか。どうした、何か欲しいものでもあるのか。マンションか?車か?」


守は太ましい片腕をテーブルの上に乗せて、前のめりに乗り出して言う。


「いや、そういうわけじゃないんだけどね...」


痩せた男は気まずそうに言うと、理由を話そうと口をもごもごと動かすが、その言葉はウイスキーに流し込まれた。


「まあ、お前のことだから何か特別な理由があるんだろうが。いいだろう! なってやるよ、保証人。その代わり、ここの代金はお前持ちってことでよろしくな! ああ、お姉さん、生・大1つちょうだい!」


「ははは。うん、恩にきるよ」


痩せた男は遠慮がちに笑うと、皿に盛られた枝豆に手を伸ばした。


 「谷口守さんですね? 早く借金返してよ」

早朝に鳴り響いたベルに叩き起こされ、まだ醒めない目を擦りながら玄関のドアを開けると、そこには金髪と銀髪の若い男が立っていた。


「借金? 何のことです?」


「あんた、こいつの保証人だろ? いいからとっとと金払ってくれよ」


「保証人...? あ」


守は以前、友人の借金の保証人になったことを思い出す。金髪の男が見せてきた書類には、友人と、自分の名前が記載されてあった。


「理解したならとっとと払ってくれ、な? こっちも、取り立てなんかしたくないわけよ。わかる? お兄さん」


金髪の男が困ったような顔で睨んでくる傍、銀髪の男は一言も発することなく、フランクフルトを食べ続けていた。


「わ、わかりました。なんとかお金は用意しますから。しかし、今すぐにというわけには...」


「ああ、いいよ。払ってくれるなら問題ない。でも、きっちり完済しろよ! それまでしつこく催促するぜ。いいな?」


「はい...」


力なく返事をすると、2人は守を一瞥し、アパートの階段へと向かう。

途中、銀髪の男は、フランクフルトに刺してあった棒を無造作に投げ捨てて行った。

男は、借用書に書いてある金額を見ると、力なく壁にもたれかかった。こんな額、どうすりゃいいんだよ。金利も暴利にもほどがある、返済は不可能だ。

守は携帯電話を取り出し、友人に電話をかけようと試みるが、女性の無機質な声が聞こえるだけであった。

非情な現実に絶望し、うなだれる男は黙々と考える。

これからの一生を借金返済のために費やすくらいなら、いっその事死ぬか、投獄された方がましだ。どうせやるなら、朝刊に一面載るくらいの事件がいいだろう。

そう決めた守は借用書を細かく破き、頭上へばら撒いた。紙吹雪舞う中、守の目は爛々と、怪しく輝いていた。


 突然、男の目の前に黒いスーツを着た男が飛び降りてきた。

砂利と靴底の擦れる音にハッとした男は、落ちてきたスーツの男を見る。

スーツの男は泣き噦る子供を抱きかかえると、子供をホームに向かって放り投げた。慣れないことをして肩を痛めたのか、肩を押さえるスーツの男の顔は、苦しそうに歪んでいる。

ホームからは、若い男が手を差し伸べている。その手へ掴りに行こうと足を動かすが、男の目の前で倒れてしまった。

電車の汽笛と、人々の悲鳴で鼓動が早くなり、呼吸が乱れる。

銀色の鉄塊は、金属音を出しながら、すぐそこまで迫っていた。

男は、目の前に倒れてきたスーツの男の襟首を掴むと、ホーム下の避難スペースへと引きずり込む。

人々の悲鳴と歓声が、駅全体を包み込んだ。

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