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テルトリュート  作者: 伊和春賀
3/7

第3話 一時の安寧

 頬が濡れている。外を見ると灰色の雲が空を覆っていた。

「雨か……」

 いつの間に、眠ってしまっていたようだ。


 部屋の隅、出口の方を見やると、力尽きたように横たわる少女がいる。自分がいつから眠っていたのかは覚えていない。少女がいつ眠ったのかもだ。


 昨夜は何もすることができず、横になっていた。そうしてあの日のことを考えていた。こんな状況でもあの日を思い返すのは、よっぽどあの日に、とりつかれてしまっているということに他ならない。

 本来ならば、もっと考えることがあるのだ。やはり、あの日のことを優先すべき思考と設定してしまう自分は要領が悪い。こんな自分が嫌になる。


 ここがどこであるのか。そんな初歩的な疑問をすっかり忘れていた。

 とはいえ、それは考えようがなかった。ここがどこにせよ、自分の持つ情報では対処のしようがないのは明白だった。少女が何か知っているかもしれないが、それを聞く機会は失われてしまったような気がする。


 それでも、この場所について考える必要があるだろう。学んできた知識が、何か役に立つかもしれない。無駄でも、役に立つことはあるのだ。昨日の地団駄のように。


 窓から見た景色からは、石造りの、それも古い建物であることが伺えた。外壁は所々はがれているし、何より、装飾の類が一つもない。凸凹だらけの黄土色の壁がその証拠だ。ヨーロッパにある、例えばノイシュヴァンシュタイン城のような華美な城ではなく、古城、あるいは廃墟の類であるようだ。どう考えても、日本式の城ではない。それ以上は流石にわからない。しかし――。

 そう考えると疑問が生じる。どうやってここに連れてこられたのか、ということだ。自分は明らかに昨日の朝、公園にいた。そして、この場所にも。まるで自分が瞬間移動でもしたかのようだ。いや、瞬間移動でもしないと無理だろう。自分の家の近所には、こんな古代の城のようなものはない。


とはいえ、公園にいるときと、この場所にいるときへの時間の流れがスムーズすぎる。何の切れ目がなく繋がっている。そこに何も違和感はなかった。

 残りの疑問はこの少女だ。銀髪碧眼のこの少女は、外国人なのだろうか? とはいえ、普通に会話が通じていた。それも日本語でだ。言葉が通じなければ首を絞められたまま、自分は死んでいたことだろう。

自分の知識では、現状を、どうにも理解できそうにはなかった。


「ん……」

 部屋の隅から声が聞こえる。少女は目を覚ましたようだ。少女は起きるや否やその場に座り直し、こちらをじっと見つめてくる。

「おはよう」

 と、とりあえず話しかける。反応はなかった。少女は、半目をこちらに向けるだけで、それ以上のことをしようとはしなかった。こういう時どうすればよいのか、わかるわけもなかった。


 雨はいっそう激しさを増し、窓際には水たまりさえできていた。


「君、まだいたの?」

 静寂を破るのは、再び少女の方だった。

「君は、何者なの?」

「何って……」

 昨日答えたこと以外の回答を少女は求めているようだ。しかし、自分の名が楡丘悠であること以外の回答を持ち合わせてはいなかった。


「自分は、楡丘悠だよ」

「それは昨日も聞いたよ」

 ため息交じりの声が、自分の胸に突き刺さる。だが、これ以外の答えは不可能だ。何せ、自分は希望する所属先に、拒否されたのだから。


「君は、君こそ一体、誰なんだ?」

「それに答える必要はあるの?」

「ある」

「どうして?」

「それは……」


 明確な理由などない。状況を理解するために知っておきたい情報と言ったところか。とにかく、なんでもいいから情報を集めたいだけだ。


「君はどうなんだ。こっちのことを聞く理由があるのか?」

「私は、君が敵か味方か見定めたい。それだけよ。私はまだ、君を疑っているわ」

「疑っているって、何をさ?」

「君が、異端派の仲間じゃないかってことよ」


 昨日の最後の会話にも、異端派という言葉が出てきていた。異端派とは何のことを指しているのか。その言葉に心当たりは当然ながら無い。少女は話を続けた。


「本当に、異端派じゃないの?」

「異端派、って何の事だよ」

「マルティス派の人達のことよ。黒いローブを着た……」


 少女は、自分との距離を開けたまま話し続ける。昨日よりは警戒を解いているものの、下手な発言をすれば、すぐにでも攻撃してきそうなものだった。


「少し、試してみようかしら」

 と、少女はボソッと言った。

「ちょっと、いいかしら?」

 反応する間もなく、少女は次の話に移った。少女の後ろに光球が漂っているような気がした。


「異端派の人達って哀れだと思わない? ほら、あの、神の言葉を読めなくなった人の群れのことよ。勝手に教典を改変して、新しい教典だ、とか言うのよ。いくら言葉が読めないからといって、自分達に都合のいいものを作るなんて、どこまで冒涜的なのかしら。いずれ、神の裁きを受けることになるのよ。哀れ、よね。本当に救いようがないわ。そう思わない?」

 と、なんだか小馬鹿にしてくるように言ってくるのだが、こちらにしてみると、何を言っているか、とんと分からなった。まあ、自分が困った時の神頼みしかしないかもしれないが、神という考えは、全然わからない。「突然、何言ってるんだ」と、思わず返してしまったほどだ。

「君、私が何を言ったのか理解してた?」

「さあ? てんで分からないよ」


 ダメだ。どんなに考えても分からない。何を言ってるのか、理解できない。少女の方も呆れたようにこちらを見ている。そんな顔をしたいのはこっちの方だ。


「本当に何も知らないのね」

「ああ、何にも知らないよ」

少し、投げやりになってきてしまった。人は、同じことを何度も繰り返すと嫌な気分になるものだ。

「それに、君こそ何を言い出したんだ? いきなり神とかさ」

「え?」

 話が見事に噛み合わない。噛み合わせが悪すぎて、口の中が血だらけになってしまいそうだ。


「君、本当に異端派じゃないのね?」

「異端派? 何だよそれ」

「マルティス派のことよ。知らないの?」

「知らない」


 聞いたことがない。世界史の授業でもそんな言葉は出てこなかった。


「そう……。主に誓って間違いないと言える?」

「その主っていうのも誰のことだよ」

「主はクレス様のことでしょう?」

「誰それ?」

「え……」


 クレス。聞いたことがない。日本史、世界史、その他諸々の授業と、グローバルなニュースの類のどれにも、クレスなんていう名前を見かけたことは無い気がする。あるとすれば、ギリシャ神話のヘラ『クレス』くらいか。まあ、それでも無さそうだが。


「君、クレス教徒じゃないの? え? え?」

「知らないよ。そんな宗教」

「うそ……。それじゃあ、君はまさか……、マーハ教徒か!」

「それも違うな。自分は――」


 こういう時、日本の宗教観だと回答に困る。無宗教というほど日常生活に宗教がないわけでもない。かといって、宗教に属してしている意識など毛頭ない。とはいえ、無神論者であるわけでもない。非常に曖昧だ。だからと言って、神道と言えば、何それ知らないと言われるのが関の山だ。まったく、西洋的な宗教観と日本の宗教観は全然違うのだから、それくらい知っておいてもらいたいものだ。しかし、この感覚を一神教で語る人達に伝えることは難しい。だから、こういう時の最善解は決まっている。それは……。


「仏教徒だ」

 こう言うことだ。仏教と言うのが、何だかんだで外国でも通用する、とテレビ番組で言っていた。

「ブッ教?」

「そう、仏教」

「何よ、それ」


 通じなかった。テレビ番組は当てにならないものだ、とどこかの雑誌に書いてあった。ああいうのは無駄な番組をやるばかりで、実益のあるものなんて天気予報くらいだ、と。これからは雑誌の方を信用しようと考えてみる。まあ、その雑誌は、翌週にはでかでかと訂正記事を載せていたのだが……。


「とにかく、あいつらの仲間じゃないのね。よく分かったわ。でも、ブッ教って言うのも聞いたことないわ」

「そんなわけないだろう。世界三大宗教の一つだよ?」

「何言ってるのよ。そんな宗教、聞いたことがないわ」


 どこまで行っても話は噛み合うことなく平行線。決して交わることがない。


「まさか、君、話をはぐらかそうとしているんじゃないでしょうね」

「そんなことは無い。君こそ、何か勘違いをしているんじゃないか?」

「なんですって、私がこんな簡単なことを間違えるはずはないわ」


 一瞬、昨日のような攻防が始まるかと思った。それほど、少女の語勢は強くなっている。


「他の宗派が隠れて何をしているかは知らないけれど、このドルニ国において、信仰が認められているのは正統なクレス教だけよ」

「ドルニ?」

「そうよ。まさか知らないの? この国の名前よ?」


 聞いたことがない国名だ。ドルニという国を、自分は聞いたことがない。いや、存在しないはずだ。地球上にある196の国々の中に、ドルニという国はないはずだ。


「呆れたわ。自分の居る国も知らないんて」

「いや、待ってくれ。ここは日本じゃないのか?」

「ニホン? どこにある国よ、それ。ミカラ大陸にでもあるの?」


 うすうす感じてはいた。ここが日本ではない可能性だ。日本ではないならば、ヨーロッパ辺りのどこかに、何故かいるのだと納得できたかもしれない。これも有り得ない話ではあるが、そうしないとどうにも話が合わないと思ったのだ。


 だが、話は違う。少女は、未知の宗教と未知の国家の名を挙げた。これが意味することは何か。ここがヨーロッパではない。アメリカでもない。アフリカとか、アジアでもない。では、どこだ。ここは一体、どこなのだろうか。


 その時、一つの答えが頭に浮かんだ。それはあまりにも非現実的で、それでいて今の状況に最も合致する答えだった。

 自分の身にそんなことが起こるとは思っていなかった。いや、地球上の誰もがそうは思うまい。こんなことが自分の身に降りかかるとは。

 

 異世界転移。ある日知らない世界に飛ばされる、そんな話だ。


 ここは自分の知る地球ではない。ここでようやく気付いたのだ。本来なら、この場所に来た時点で気づくべきだったのだろう。

 自分の身にこんなことが起こるとは思っていなかったのだ。あれは空想上の話で、それで、現実にはあり得なくて……。


 自分の手の甲を少しつねってみる。痛かった。本物の痛みを感じた。これが、今いるこの現実が、やはり夢ではないことを、痛みは教えてくれた。


「いきなり手をつねって、どうしたのよ」

「なんでもない。なんでもないんだ」


 少女の話を遮ってしまったが、気にすることなく、自分は話を続けた。


「ここは日本じゃなくて、ドルニって言う国なんだよな?」

「ええ、そうよ。当たり前じゃない」

「宗教はクレス教、でいいのか?」

「何よ、今更。そうよ、何当たり前のことを言ってるの」


 混乱してきた。ここは自分が知らない世界。自分のいた世界から飛ばされて、辿り着いた逃げ道。確か

に逃げ道が欲しかったが、こんな逃げ道は、望んでなどいない。


「本当にどうしたのよ」

「大丈夫。大丈夫だから」


 少女からでも分かるほどに、自分は冷静さを欠き始めていた。ここは違う世界で、知っている人間が一人もいなくて、それから――。


 目の前の少女が不思議そうにこちらを見ている。くりんとした青い目が、ここが異世界であることの裏付けのように思えてきた。


 でも、待てよ。ここが本当に異世界なら、どうして自分の居る世界に思いを馳せる必要があるのか。あの世界から捨てられた、というよりも、あの世界から逃れることができた、そう考えればいいんじゃないか。自分に課せられた義務を放棄しても、文句を宣う世間はもういないのだ。そう思うと、気が楽になった。が、これからどうなるのか、さっぱり分からなかった。


「心配させてごめんな。なんでもないんだ、本当に」

「それならいいわ。それで君は、外国人なの?」

「え、ああ。うん、そう。外国人。」


 ぎこちない回答になってしまったが、こう答えてしまった。本当に異世界転移したのなら、外国というよりも外界というほどの隔たりがあるのだが、そんなことを考えても仕方がない。


「なら、色々知らないのも納得がいくわ。ドルニ国民ではないのね」


 少女の後ろの白球は姿を消した。少女の態度に警戒の色はもうなかった。


「この国にいる以上、クレス教に改宗したほうがいいわ。弾圧されたくはないでしょう?」


 そう言うのだが、自分は宗教に関心がないうえ、そもそもクレス教が何たるかを知らない。仏教と答えたのは間違っていたのではないか。そうは思うが訂正はできそうになかった。

 とにかく、この話題は今、必要がなかった。さっさと切り上げて次の話題に移すのが得策だろう。


「まあ、その話はおいおい。で、こっちから質問してもいいかな」

絶対の書(アブソリュート)に何か書いてあったかな。ええと、こういう時は……」


 少女は話を聞いてはいなかった。宗教の話で頭がいっぱいのようだ。


「話を聞いてくれ」

「え? あ、はい? えっと、何の話をしてたっけ?」

「こっちから質問してもいいかってことだよ」

「ああ、そんなこと。いいよ、大丈夫だよ」

「君は誰なんだい?」

「ああ、そんなこと。そうよね。君が異端派じゃないなら、君も誘拐されたんだもんね。」


 少女は立ち上がり、服の裾の土を少し払ってからこういった。


「私の名はメイナ・ファルヴァニス。ファルヴァニス家の三女にして、国王陛下、ブルートロート12世に嫁ぎし姫君、ソフィアの妹だ」


 手を胸に当て、堂々と言い放つその様は、泥だらけの服には似合わなかった。


「君も聞いたことがあるでしょ? 世界にとどろくソフィア姉様の名を。絶世の美女とうたわれたソフィア姉様を。鳥に愛され、蝶に愛され、動くものすべてに愛された姉様を。肌は雪より白く、瞳は血よりも赤い。あの白銀の髪を振って歩く姿を見た者は、皆等しく魅了されたと言われるソフィア姉様を。私はその妹なんだよ。すごいでしょ」

「え、あ、ああ」


 よっぽどの有名人なのだろうが、残念ながらその名前を聞いたことは無い。それは自分が異世界の人間だからなのだが、それは伝えていないのだから仕方がない。


「あ、信じてないね。そうだよね。私、お姉様ほど、美しくないからなあ。」

「そんなことは無いよ。君は十分に美しいじゃないか。」


 何言っているんだ。これじゃあ口説き文句みたいじゃないか。とはいえ、この少女を美しいと形容できないとなると、地上にいるほとんどの人間を美しいとは言えなくなってしまう気はする。まあ、美しいというよりは、可愛いらしいという方が合いそうではあるが。


「ふふん。そうだよね」

 少女はどことなく嬉しそうだ。


「そういえば、君の名前はなんだっけ?」

「ああ、自分は、楡――」

 自己紹介が遮られた。

「待って。思い出してみる。確か……、ニーオッカユーだっけ?」

「違う。自分は楡丘悠だよ」

「ニレオカ・ユウ。ニレオカっていうのね。変わった名前ね」

「ニレオカは苗字だよ。ユウが名前」

「へえ、名前が後に来るのね。君は、やっぱり外国人なのね?」

「そう、外国人だよ。」


 こう思ってくれた方が、話が進めやすいだろう。色々と面倒だから、異世界から来たという突拍子もない説明はしない。


「どこの国の人なの?」

「日本だよ」

「ニホンかあ。さっきも言っていたけど、それはミカラ大陸にある国なの?」

「そうだよ」

 嘘も方便だ。とりあえず、この場はこう凌いでいくだけだ。それに、知らないとか、分からないとか言ったら、話がこじれる。

「それより、ここがどこだか見当はついているのかい?」

「それは――」


 ここで会話が急に止まった。時が止まったかのように、少女が急に固まってしまったのだ。

「ど、どうしたの」

 自分は少女に話しかけるが、反応はない。ただ、自分の後ろ、一点を指差しただけだ。

「き、貴様は――」


 少女はこちらを指差す。青い目はずっとこちらに向けられている。

「どうしたんだよ」

「君の後ろに」

 後ろ? 後ろには壁しかないはずだ。自分の目の前には、少女をはじいた出口がある。

自分は確認するために後ろを振り返ろうとした。


「ルネイタ=フローテス。壁に愚者を打ち付けよ!」


 後ろを振り返った瞬間、男の声が聞こえ、自分ははじき飛ばされた。何をされたのかよく分からなかった。全身を床に打ち付け、それによる痛みが身体を襲った。

 飛ばされた自分に、少女が歩み寄ってくる。自分に触れる少女の手が震えているのが伝わってきた。


 自分が飛ばされた瞬間に見えたのは、黒いローブに身を包んだ男の姿だった。


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