第六章 薬莢の上
奴隷を捕まえに来たそのヘリが、高度を上げて飛び去ろうとした時、ぼくは、自分のすぐ後ろにスミレが来ている事にようやく気が付く。
それで、スミレは、ぼくが高層ビルの部屋に置いたままにしていた刀を差し出しながら言う。
「今の世界には、もう善意のある人間なんて残ってなんかいないっていう事よ」
その言葉に対して、受け取った刀を背中に装着しながら、ぼくは答える。
「これから、ぼくは、あのヘリを追跡する」
吸血鬼の、ぼくにとっては、人間が同じ人間を奴隷にしようとも、それはその人間どうしの問題だから、どうでも良い事だ。
でも、あのヘリに乗っている軍人たちがした、戦う意志すら持たない人間たちを意味もなく無駄に殺すような行為は、食料となる人間にもっと増えてほしい、吸血鬼の、ぼくとしては、放ってはおけない事なのだ。
「それで、あのヘリの拠点となる場所を見つけたら、ぼくは、そこを支配している軍人たちの全員を抹殺して、そこにいる奴隷たちの全員を解放するつもりだ」
「そうね。あのヘリに乗っている連中は、私も気に入らないから、次にクロがミルクを飲む時間までの二時間ほどだけ、手伝ってあげるわ」
それから、ぼくとスミレは、そのヘリが遠くに離れるのを待ってから追跡を始める。
その時のヘリは、もう、かなり高度を上げて豆粒のようになって音も小さくなっていたので、その下にゾンビが集まる事もなかった。
そして、夜が明けてからは、ぼくもスミレも、ヘルメットのバイザーは閉じているから、今は、ぼくたちの身体の熱は完全に遮断されていて、赤外線で探知される事はない(吸血鬼の体温は、もともとかなり低いので、熱が閉じ込められた状態でも、ぼくが、それを不快に感じた事はなかった)
それに、そのヘリの速さは時速三百キロ程度なので、追跡するのに音速を出す必要もなく、ぼくたちの周りに衝撃波も発生しないから、ぼくたちが、そのヘリに気が付かれる事はないはずだ。
それで、そのヘリを追って時速三百キロで地上を走る、ぼくたちは、途中で何体かのゾンビとすれ違う事があったけれど、そんな時は、ぼくもスミレも、それを絶対に見逃さずに確実にその首を切断した。
スパッ! スパッ! スパッ!
そうやって街を抜け、やがて人家のない荒野に入って、追跡を始めた時から二十分ほどが経った頃に、ぼくとスミレは、何かの軍事施設を囲んでいる金網を越える(その金網は、ほとんどが引き裂かれて、もう侵入者を防ぐ役目は果たさなくなっていたが)
たぶん、そのヘリに乗っている軍人たちは、その先にある軍事施設の地下シェルターに隠れて暮らしているのだろう。
だけど、その軍人たちは、音速で動けるゾンビにいつ襲われるか分からないこの世界で、どうやってヘリを着陸させて、その地下シェルターの出入口までたどり着くつもりなのだろうか?
ぼくが、そう思っていると、地上のどこかで大音量のサイレンが鳴りだす。
それは、上空のヘリが、これから高度を下げたとしても、そのヘリの音よりもさらに大きいと思わせるもので、やがて、ぼくは、遠くを走る一台の装甲車を見つけ、そのサイレンの音がそこから出ている事に気が付く。
すると、その鳴り響くサイレンの音の中に、この周りでゾンビが音速を出した衝撃波の音が混じりだす。
ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
それで、ぼくとスミレは、その軍事施設の敷地内の、いくつもある車の残骸の一つの陰に隠れて、これからどうなるのか様子をうかがう事にする。
そのうちに、その装甲車はサイレンを鳴らし続けながら、高度を下げるヘリとは反対の方向に離れて行って、走って来たゾンビたちは全て、その装甲車の方を追いかけて行く。
そして、集まったゾンビたちは、その装甲車のそばに来ると、速度を落としながら次々と飛び掛かっていくけれど、さすがにその装甲は破れず、それにしがみ付いて暴れる事しかできない。
ガン! ガン! ガン! ガン! ガン!
それに対して、その装甲車は、車内から遠隔操作できる車体の上の大口径の機関銃を撃って、車体にしがみ付いているゾンビたちの頭を破壊していく。
ダダダ! ダダ! ダダダダ! ダダ!
そうやって、サイレンを鳴らし続けながら機関銃を撃つ、その装甲車が、全てのゾンビを引き付けている間に、あのヘリは無事に着陸して、そこから降りてきた軍人たちは、街で捕まえた三人の若い女の奴隷を連れて建物の一つに入って行く。
きっと、その建物の中に地下シェルターの出入口があるのだろう。
そして、それを見ていた、ぼくは、その建物の近くに、もう一台の装甲車が停めてある事に気が付く。
どうやら、この軍事施設では、二台の装甲車AとBを使って、そのどちらかに常に何人かの軍人を乗せておく事で、必要な時にゾンビを引き付ける事ができるようにしているようだ。
たぶん、その二台の装甲車の中には、どちらにも水や食料や携帯トイレが積んであって、乗っている軍人は六~八時間ごとに交代しているに違いない。
それで、その交代の手順は、おそらくこうだろう。
まず、Aの装甲車に軍人が乗っている状態で交代の時間になったら、その装甲車がサイレンを鳴らしながら地下シェルターがある建物からなるべく離れて、付近のゾンビたちを全て引き付ける。
その間に、地下シェルターから出て来た交代の軍人が、建物の近くに停めてあったBの装甲車に乗り込む。
そして今度は、Bの装甲車がサイレンを鳴らしながらそこから離れて、全てのゾンビを引き付けている間に、Aの装甲車が地下シェルターのある建物の近くに行って、それに乗っていた軍人が地下シェルターに隠れる。
これで、交代は完了だ。
この手順を使えば、どちらか一方の装甲車を整備したり、燃料や弾薬の補給をしたりする事もできる。
さらに、装甲車でゾンビを引き付けている間なら、ヘリの離着陸ができるだけでなく、この施設の敷地内で農作物を育てたり、鶏や豚のような家畜の世話をしたりする事もできるのかもしれない(ゾンビが喰うのは人間だけだから、外にある農作物や家畜が食われてしまう事はないのだ)
それに、ここは軍事施設で、かなりの量の燃料をたくわえているはずだから、装甲車の二台くらいなら、かなりの年月(ひょっとしたら十年くらい)動かし続けられるのではないだろうか。
だとすれば、この場所でなら、ぼくの考えた人間養殖計画を進められるのかもしれない。
もちろん、人間の血を吸っていればずっと生きていられる吸血鬼の、ぼくが、十年程度しか計画を続けられないこの場所で本当に満足する訳ではないけれど、まず、この場所で人間の養殖を始めて、それを続けながら、さらにもっと良い場所を探せば良いのだ。
だから、ぼくは、この場所にある全てのものを人間養殖計画に利用させてもらうために、それらをなるべく傷付けずに、ここを支配している軍人たちだけを抹殺しなければいけない。
そうやって、しばらく考え込んでいた、ぼくは、突然、何かがおかしい事に気が付く。
それは、あのヘリが着陸して、それに乗っていた人間たちが地下シェルターに入ったはずなのに、あの装甲車がまだサイレンを鳴らし続けているからだ。
今はもうゾンビを引き付ける必要がないのに、あの装甲車は、なぜ大きな音を出し続けるのだろうか?
そう思った瞬間に、ぼくたちが隠れていた車の残骸に、上空から大口径の機関銃の弾が、撃ち込まれて、ぼくもスミレもふっ飛ばされる。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!
そして、ぼくは、その銃弾によって再生してあった方の片腕を失って、両腕ともない状態になってしまう。
それでも、先に起き上がったスミレが、高速で動いて銃弾が降りそそぐ中で、ぼくの片腕を拾ってきてくれる(幸いスミレは銃弾の直撃は受けておらず、身体はどこも失っていない)
でも、今は昼間だから、太陽の光を浴びて、その腕の断面は黒焦げになってしまい、もう、ぼくの肩につなげて接合させる事ができなくなる。
そして、同じように、ぼくの肩の断面も、太陽の光を浴びて黒焦げになるので、ぼくは、その断面を押さえながら激痛でうめく(吸血鬼にとって、太陽の光で焼かれる痛みは、想像を絶するものなのだ)
それで、スミレは、その腕を捨てると、腰にぶら下げていたダクトテープを、ぼくの肩の断面に貼って、そこに太陽の光が当たらないようにしてくれてから、ぼくといっしょに音速で走り出して、それによって発生した衝撃波が周りの空気を震わせる。
ドン!
そして、ぼくとスミレは、地下シェルターがある建物まで走って、そこなら重火器での攻撃はできないだろうから、その陰に隠れる。
ただし、どうやらこの軍事施設には、あちこちに監視カメラが隠されているようなので、今の、ぼくたちの姿は、まだここの人間たちに見られたままだと考えなければいけない(その監視カメラは、ぼくが後で、この場所を人間養殖計画で使う時に必要だから、今は探さずに、このまま放っておく)
あと、今更ではあるけれど、注意すれば鳴り響くサイレンの音に混じって、上空を飛ぶヘリの音がかすかに聞こえる。
つまり、この軍事施設で飛ばしていたヘリは、一機ではなかった訳だ。
だけど、今の世界では、ヘリなんて滅多に飛んでいないから、ぼくもスミレも、まさかこの軍事施設で、二機のヘリを同時に飛ばしているなんて考えもしなかったんだ。
それで、たぶん、この軍事施設の中にいる軍人たちは、その二機目のヘリがここに戻って来たタイミングで、監視カメラの映像で、ぼくたちを発見して、その事を装甲車に連絡してサイレンを鳴らし続けさせて、ぼくたちが、そのヘリに気付かないようにした訳だ。
そして、スミレが、ぼくに言う。
「あんたも油断したわね。ここは一旦、逃げて出直す? あのヘリの速さなら逃げるのは簡単よ」
「このぼくが、人間ごときにやられっぱなしで逃げる訳がないだろ」
「でも、あのヘリが飛んでいる高さまでは、さすがに吸血鬼の脚で跳んでも届きそうにないわ。燃料が切れるまで待つの?」
「クロが起きる時間までに、あのヘリの燃料が切れる保証はないから、今すぐに、こちらから攻撃を仕掛ける。その方法はこうだ」
それから、ぼくは、吸血鬼の脚で跳んでも届かない高さにいるヘリに対して、どう攻撃するのかをスミレに説明する。
残念ながら、今の、ぼくには、両腕がないので、この攻撃はスミレにやらせるしかないからだ。
だけど、スミレは、その説明を聞いてうろたえる。
「そんなの、やった事ないわ!」
「人間の男を担いだまま、ビルの壁を走っていたスミレなら、簡単だろ! ぼくは、とにかく機関銃を撃ち続けさせるから、その弾が切れるまでに頼む! あと、あのヘリの中にも、たぶん奴隷となる人間が乗せられているはずだから、そいつらは、なるべく殺さずに、降ろしてやってくれ!」
そう言うと、ぼくは、スミレの返事を待たずに、その建物の陰から飛び出して、音速は出さずに、射撃手が見失わない程度の速さでヘリの下を走り回る。
すると、ぼくの思惑どおり、そのヘリの射撃手は、ひたすら機関銃を撃ちまくってくれて、両腕のない、ぼくの周りに銃弾が降りそそぐので、ぼくは、それに当たらないようにとにかく動きまくる。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!
そしてヘリは、ぼくの周りをぐるぐると旋回して、その機関銃からはき出された無数の薬莢が空中を舞って、らせんを描きながら地面へと落ちてくる。
そこへ、ようやく覚悟を決めたであろうスミレが、建物の陰から飛び出してこちらへ向かって来るが、そこから先のスミレの行動は、そのヘリに乗っていた人間たちには予想できなかっただろう。
なぜなら、スミレは、機関銃からはき出されて落ちてくる無数の薬莢の上を踏みながら、らせん階段を登るように空中を走って、一瞬でヘリのいる高さまで上がって行ったからだ。