第四章 実は人狼
ぼくの本当の子供である、スミレは、外見は吸血鬼になった時の十才のままだけど、吸血鬼の能力は年令や体格には左右されず、ぼくと同じだけの能力を持っているので、十体以上のゾンビに囲まれた今の状況でも、ひるむ事なくゾンビの攻撃をうまく避けつつ、その隙を見つけてはゾンビの首を切断していく。
スパッ! スパッ! スパッ!
そのスミレが使う、鎖でつながれた二本の斧は、それを投げる事で、ぼくが使う刀よりも、ずっと遠くのゾンビも攻撃できるのだけれど、それを戻すまでに隙ができるので、スミレは、一本の斧を投げて遠くのゾンビの首を切断している時は、もう一本の斧をしっかりと手に持って、それで近付いてきたゾンビの首を切断していた。
スパッ! スパッ!
それと、スミレが肩に担いでいる人間の男だけれど、それは、体力が落ちた時に血を吸うための、予備の燃料タンクとしての役割だけでなく、スミレの軽い十才のままの身体が、投げた斧に引っ張られてバランスを崩さないようにするための、重りとしての役割もあるようだ。
そして、音速で動く、たくさんのゾンビを相手に戦うには、こちらも同じ速さで動き続けないと、すぐに捕まってしまうので、スミレは絶対に立ち止まらず、常に高速で移動しながらゾンビの首を切断し続ける。
スパッ! スパッ! スパッ!
さらに、スミレは、あえてバランスを保つのが難しいビルの垂直な壁面を、移動しながら戦う事で、ゾンビが攻撃しにくい状況を作って、その状況でバランスを崩したゾンビの首を、余裕を持って切断していた。
スパッ! スパッ!
ただ、さすがに、この戦い方は、自分の能力を過信しすぎていて、ちょっと危険すぎないかと、ぼくは心配になるが、そんな心配をよそに、スミレは全てのゾンビの首を自分一人で切断してしまう。
スパッ! スパッ! スパッ! スパッ!
それから、スミレは、肩に担いでいた人間の男の位置をずらしつつ、二つの斧を背中に装着しながら、あるビルの屋上に降りると、今はまだ夜明けまで時間があって、しばらくは太陽の光を浴びる心配がないからヘルメットを脱ぐ。
ぼくが、以前、最後にスミレを見たのは、この世界にゾンビが発生するより、さらに前の事だから、その姿を見るのは本当に久しぶりで、その身体は十才の時のままだけど、髪は、ぼくが最後に見た時よりかなり長く伸びていた(ただし、吸血鬼の髪は、身体の傷を再生するのと同じ要領で、自分で強く意識すれば、いつでも伸ばせるから、その髪の長さが、ぼくと会っていなかった時間の長さと一致している訳ではない)
そして、スミレは、ヘルメットを脇に抱えて、肩に担いだ人間の男の位置を調整しつつ、背中の斧の一つに触れながら、ぼくに言う。
「ちゃんと、顔を見せて」
それで、ぼくはバカだから、自分の子供のその言葉を怪しまずに、簡単にヘルメットを脱いでしまって、その動作中にヘルメットがぼくの眼を隠した瞬間に投げられたスミレの斧で、首を切断されてしまう。
スパッ!
そのまま、ぼくは、ぐるぐると回転する景色を見ながら、自分の首の切断面から大量の血がふき出すのを感じて、意識がもうろうとする。
ブシュー!
吸血鬼の再生能力は、銃弾による傷のような、身体の部位を失わない傷なら、瞬時に再生するのだけれど、身体を切断されて、大きな部位を失ってしまった場合は、その傷口の再生は遅い。
なぜなら、吸血鬼は、身体を切断されても、その切断された部位を素早く拾って、傷口につなぎ合わせれば、それを一瞬で接合できるので、そうするのを待つためだ。
でも、それは、切断された部位が腕や脚なら、自分で拾って接合できるという事であって、今のように首を切断された場合は、その首を自分で拾おうにも、もう身体は言う事を聞かないから、この待ち時間は全く無意味だ。
それで、床に転がる頭だけになった、ぼくは、他にする事もないので、同じように床に転がる自分のヘルメットと、その手前に広がっていく自分の血だまりを、ぼんやりと見つめる。
それから、ようやく首の切断面の皮膚が再生されて血の流出が止まった頃(だけど、こうなると、もう、この首は元々の自分の身体と接合できない)ぼくは髪を引っ張られて、その頭をスミレの顔の高さにまで持ち上げられて話しかけられる。
「よく私の前に姿を現す度胸があったわね! クソジジイ!」
ぼくは、多くの血を失ってうまく働かない頭を使って、一生懸命考えるけれど、首を切断されるほど自分の子供を怒らせた憶えはなかったので、その事を素直に言おうとするのだけれど、頭だけになって肺に空気を溜められないので、その声は小さくかすれてしまう。
「……スミレに……殺されるような事を……ぼくが何か……したのか?……」
「母さんと私を、十年間も放っておいた事。私を吸血鬼にした事。母さんを救わなかった事。その三つのどれもが、私にとって、あんたを殺す理由になるわ! だから、あんたは私に三回殺されても文句は言えないのよ!」
「……前に説明したとおり……ぼくはスミレのお母さんが……妊娠していた事を……知らなかった……その事を知らずに……自分が吸血鬼になってしまったら……会いに行ける訳がないだろ?……」
今から十何年も前、十四才の時の、ぼくは、その時に付き合っていたスミレの母親を、妊娠させてしまったようだが、そんな事は全く知らないまま、その一ヶ月後に、ある吸血鬼に血を吸われて、自分も吸血鬼にされてしまったのだ。
そして、吸血鬼になって、一般社会にいられなくなった、ぼくは、人間だった時の知り合いに会っても迷惑だろうと思ったから、それ以降は、そういった人間とは誰とも会わないようにした訳だ(これは間違ってないよね?)
もちろん、それでも、ぼくと付き合っていた人が、ぼくの子供を妊娠していたと、もしも、その時に知っていたのなら、ぼくは、その人を放っておかなかっただろう(実は、これについては全く自信がないのだけれど、今、そう思っている事をスミレに知られるのだけは、絶対に避けねばならない)
「……そして……スミレと、スミレのお母さんが……入院しているのを、見た時……二人が助かるとは……とても思えなかったから……ぼくが、二人を……吸血鬼にしようとしたのは……当然だろう?……」
自分が吸血鬼になってから九ヶ月後にスミレが生まれた事も、全く知らなかった、ぼくは、それから十年以上が経った、ある日に、大混乱になっていたある病院で、すでに十才になっていたスミレに初めて会ったんだ。
その時の、その病院は、ある出来事があって、大勢のけが人の治療が廊下どころか駐車場でも行われているような状態で、助かる見込みのなかった重傷者は、特別な部屋に集められて完全に放っておかれていた。
そして、吸血鬼である、ぼくは、その日の夜に強い血の匂いに誘われて、用もないのに、ふらふらと、その病院まで来てしまい、無意識にそこで最も血の匂いが強かったその重傷者の部屋に入ってしまって、スミレの母親に気が付いたのだ。
それで、絶対に助からないと思われる、その人が、自分が昔付き合っていた人だと思い出した、ぼくは、そこにあった書類を見て、その隣で同じような状態で寝かされていた少女が、その人の子供だと知って、とっさに二人の命を救うために、二人を吸血鬼にしようと思った訳だ。
吸血鬼は、自分の牙で体内の毒を注入する事で、人間を吸血鬼にするのだけれど、人間がその毒に適応する確率は、ものすごく低くて、ほとんどの人間はその毒に適応できずに死んでしまう。
それで、ぼくが噛んだ二人のうち、たまたまスミレは、運良くその毒に適応して吸血鬼になって生き延びる事ができたのだけど、スミレの母親にはその運がなかったのだ。
そして、吸血鬼になって、全身の傷が再生された後も、なかなか目を覚まさなかったスミレは、そのまま放っておけば、朝になって太陽の光を浴びた瞬間に黒焦げになって死んでしまうし、もうどうせ一般社会で生活させる訳にはいかなかったので、ぼくは眠ったままのスミレを抱いて、自分の隠れ家に連れて帰った訳だ(この行為は、一般社会的には犯罪だろうけど、命を救うためだからしょうがない)
それから、ぼくは、自分の隠れ家に帰る途中で記憶をたどって、昔に付き合っていたスミレの母親の家を探して、そこでスミレの服とか生活に必要と思われる、いろいろな物を勝手に持ち出したのだけれど、その時に、まぎれ込んだ書類の中に、スミレの遺伝子検査をしたものがあって、それで、ぼくは、スミレが、ぼくの遺伝子を受け継いだ、ぼくの本当の子供である事を知ったのだ。
どうやら、スミレの母親は、ぼくの家の部屋に残された髪の毛か何かで遺伝子検査をして、ぼくがスミレの父親だと証明して、それによって、ぼくの両親からスミレの養育費を受け取っていたようなのだ(ぼくみたいな男と付き合っていたにしては、しっかりした人だよね)
そして、ぼくは、自分の隠れ家で目が覚めてから、ずっと暴れ続けたスミレに(暴れる吸血鬼というのは本当にやっかいなのだけど)外見は十四才のままの吸血鬼のぼくが、スミレの本当の父親らしい事や、命を救うためにスミレを吸血鬼にするしかなかった事や、スミレの母親は救えなかった事をちゃんと説明して、それからスミレに、吸血鬼として生きていくにはどうすれば良いのかをいろいろと教えたのだ。
ところが、それから三ヶ月ほど経った、ある日を最後に、スミレは、ぼくの前から姿を消してしまって、それで今までずっと会っていなかったという訳だ。
そのスミレが、今のぼくに言う。
「あんたの言い訳なんて聞きたくないわ! それに私は、吸血鬼になってまで生き延びたくはなかったのよ! もちろん母さんがいっしょに生きていてくれたのなら話は別だけど!」
まあ、ぼくにも、スミレのその気持ちは分からない事もない。
十年間も自分を放っておいた父親が突然現れて、自分を吸血鬼にした上に、お母さんは死んだけど、吸血鬼であるお父さんが新しい生き方を教えてあげるから安心しなさい、なんて言われても、普通は納得できないよね。
だけど、それでもスミレは、ぼくが連れ帰った最初の日に、暴れているうちに偶然外に飛び出してしまって、太陽の光を浴びて死にかけてからは、その恐怖で三ヶ月間だけはおとなしく、ぼくの言う事を聞いていたんだ。
けれど、ぼくからある程度の知識を得て、一人で生きていけるだけの自信を持ったスミレは、そうなると、もう、ぼくの顔など見たくもなくて、姿を消してしまったようだ。
「あんたには三ヶ月だけど世話になった恩があるから、あんたの隠れ家から出て行った時は、何もせずにおとなしく出て行ったのよ! でも、こんなふうに、外で無神経に付きまとわれたりしたら、もう私には、あんたを殺すのを我慢する理由なんてないわ! 分かったか! クソジジイ!」
こうして、今ごろ、やっと、スミレから、これまでどう思われていたのかを知った、ぼくだけど、でもまだ死にたくなかったので、なんとかスミレを説得して生き延びようとする。
「……スミレが……ぼくを許せない事は……分かった……だけど、もしも、ぼくを……助けてくれるなら……この世界を変える……すばらしい計画……人間養殖計画の事を……教えてやる……」
「そんな計画なんて、どうでも良いわ」
スミレは、簡単にそう言って、ぼくの頭を床に投げ、それで床に転がった、ぼくは、そろそろ、この頭の中にある少ない血で生き続けるのは限界に近いと感じて、今ごろお腹をすかせて泣いているであろう、クロだけは助けなければと、最後の言葉をしぼり出す。
「……生まれたばかりの……人間の子供が……この街の……ある高層ビルの……最上階にいる……………」
その、ぼくの言葉に反応して近付いて来たスミレは、しゃがんで、ぼくの頭に顔を寄せてたずねる。
「何よ、子供って?」
「……ゾンビに噛まれた女から……ぼくが取り出した……まだ、生まれて、一週間……その子を……助けてあげてくれ…………………………」
それから先は、もう話す力もなく、スミレも何も言わないので、もうダメかと思い始めていたら、ぼくの横に何かが置かれて、その次の瞬間に頭を持ち上げられた、ぼくは、その顔を何かに押し付けられる。
その何かは、スミレが肩に担いでいた人間の男の首の部分だった。
それで、ぼくは、夢中でその男の首を噛んで、ものすごい勢いで血を飲み続けて、失った身体を再生させる。
吸血鬼は、もしも切断された部位を拾って接合するのが間に合わなかった場合でも、その後で人間の血を吸えば、吸った血の量の分だけ失った身体を再生する事ができるのだ。
ただし、ぼくの十四才のままの小柄な身体でも、首から下の身体を全て再生するには、大人の人間が二人と半分くらい必要だから、その時その人間の男から吸えた血で再生できたのは、上半身と片腕だけだった。
それでも、上半身が再生できて肺で呼吸ができるようになった、ぼくは、普通に話せるようになる。
「スミレ、ぼくの首から下の身体もいっしょに運んでくれ。その身体が着ているライダースーツやブーツや手袋と、その身体に装備されている刀や短刀も回収したいから。あと、ぼくのヘルメット……」
そう言っている途中で、ぼくはスミレに首をつかまれて、のどに斧の刃を当てられる。
「今、何て言った?」
「すみません。どうか、ぼくの身体も、いっしょに運んでください。ヘルメットもお願いします」
それで、スミレは、ぼくから手を離すと、ぼくの横に転がっている、さっき、ぼくが血を吸った人間の男の死体が、後でゾンビに喰われてもゾンビ化しないように、その首を切断する。
スパッ!
それから、ぼくは、上半身と片腕しかないままスミレに運ばれて、なんとかクロが待つ部屋へと帰る事ができる。
そして、そこに来て、泣いているクロを抱いたスミレは、さすがにその時ばかりは、ぼくの指示に逆らう事なく、不器用ながらもクロの世話を忠実にこなしていく。
でも、それから、しばらくして、再び眠ったクロをベビーベッドに寝かせたスミレは、クロを起こさないように小声で、ぼくに言う。
「ところで、あんた、この子の事を人間の子供って言ってなかった? でも、この子、人狼の子供でしょう?」
「え?」
その時になって初めて、ぼくは、自分が手に入れたその新しい子供が、実は人狼の子供だった事を知ったのだ。