第三章 本当の子供
吸血鬼の、ぼくが、新しい子供を手に入れた日から、なんとか無事に一週間が過ぎた。
ところで、どうでも良い事だけど、その子供は男の子だったので、ぼくが、まだ人間だった頃に好きだった犬と同じ、クロ(黒)という名前を付けた。
それで、クロといっしょに生活するようになってからの、ぼくは、二~三時間おきにミルクを飲んで、しばらくすると寝るという、生まれたばかりの子供の生活周期に合わせていたので、いつも寝不足だった。
そして、時々、自分はなんでこんな事をしているのだろうかと疑問に思って、クロを捨てて逃げたくなる時もあったけど、そういう時は、夜にクロが寝ている隙に遠くに行って、拡声器でゾンビを集めて、その首をとにかく切断した。
スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ! スパッ!
その後で、高層ビルの最上階の部屋に戻って、ヘルメットとライダースーツを脱いで(その最上階は、全ての窓を、何重もの遮光カーテンで完全にふさいでおいたので、たとえ昼でも、ぼくが、そこで太陽の光を浴びて焼け死ぬ事はない)それから、水のシャワーと石鹸で髪と身体を洗い、消毒用のアルコールで手を消毒してから、ぼくは、灯油コンロを使って大量のお湯を沸かす(今の世界では、電気の供給がなくて換気扇を回せないから、灯油コンロは屋上に通じる階段の横に設置して、クロが一酸化炭素中毒で死なないようにしてある)
そして、クロが泣き出したら、あらかじめ消毒しておいた哺乳瓶に、消毒しておいたスプーンで粉ミルクを入れて、そこに今沸かした熱いお湯を入れて、哺乳瓶を振ってミルクを溶かして、その哺乳瓶を水に浸けて(口の部分は浸けないように気を付けながら)冷まして、ちゃんとクロを抱きながらミルクをやる。
それから、クロがミルクを飲み終わったら、ベビーバスに残りのお湯を全て入れて、水を加えて温度を調節して、クロの服を脱がせて紙おむつを外して、その身体を石鹸など使わずにお湯だけで洗って、身体を拭いて新しい紙おむつと服を着せる。
そのまま、クロを抱いていると、しばらくすると眠るので、ベビーベッドに寝かせて、その隙に哺乳瓶とスプーンを洗って、専用の消毒液に浸けておいて、それからクロの服と、その身体を拭いたタオルを洗濯する。
この洗濯も電気がないので、全て手だけでやるのだけど、そうすると、洗うよりも、しぼる方が大変だという事に気が付く(ぼくは吸血鬼だから、人間よりもはるかに力があるので、そのくらい一瞬で終わるけど、人間にとってはかなり面倒な作業だろう)
こうして、とにかく子供を育てるためには、大量のきれいな水と、お湯を沸かすための燃料が必要なんだけど、クロの本当の親だった美女三号と男によって、このビルの屋上の貯水槽の元栓が閉められて、その水は最上階でしか使えないように細工されていたので、きれいな水の備えはまだかなりある。
あと、燃料の備えはあまりなかったけど、そっちは、ぼくが吸血鬼の機動力で、この周辺から集めまくったので今では問題ない。
それは、この世界で電気が供給されなくなってからはエレベーターが使えず、高層ビルの上の階層は登るのに手間がかかりすぎるので、ほとんどの物が略奪されずに残っていて、ぼくのような吸血鬼なら高速で移動して、それらを簡単に集められるからだ。
それと、ついでに乾電池も大量に集めたので、このビルの最上階は全ての部屋を太陽の光が入らないようにしてあるけれど、クロがいる部屋だけは、昼間の時間帯は照明をたくさん点けて、ちゃんと明るくしてある。
ところで、ぼくは以前に聞いた話で、昔あった神聖ローマ帝国という国の皇帝が、生まれた子供に一切話しかけなかったらどうなるのかを実験してみたら、その実験を受けた子供が全員死んでしまったという事を知っていたので、とにかくクロに話しかけるようにしていた。
でも、はっきり言って、生まれたばかりの子供に何を話せば良いのか、さっぱり分からなかったから、とにかく、ぼくが知っていたいろいろな物語をクロに話して聞かせたんだ。
ちなみに、その中でクロの反応が最も良かったのは、日本という国の昔の物語、ピーチマンの話だ。
「日本という、昔は貧しかった、ある国で、あるババアが、川を流れていた得体の知れない巨大な桃を、家に持って帰ってしまうんだ。すると、その桃の中から、人間の子供の形をした何かが出てきてしまって、普通に考えたら、そんなものは絶対に化け物だから、ぼくだったら、すぐに殺すのに、そのババアも、いっしょに暮らしていたジジイも頭がおかしくて、その化け物にピーチマンという狂った名前を付けて、なぜだか、いっしょに暮らすんだよ!」
「あぶ、ば、ば、ぶば」
「それで、そのババアとジジイが住んでいた家の近くに、いくつかの村があったんだけど、それらの村が、なぜか、ピーチマンが来た次の日から、たびたび鬼に襲われるようになって、たくさんのお金が奪われてしまうんだ。ところが、それから、しばらく経った、ある日、ピーチマンが、その鬼を倒したと言って、その鬼が集めていたお金を、ババアの家に持って帰って来る。それで、お人好しの村の人々は、そのピーチマンの話を信じて、鬼を倒してくれた事を感謝して、ピーチマンは、その持って帰ったお金で、その日から裕福に暮らしたというところで、このお話は終わるんだけど、これは、どう考えてもおかしいだろ!」
「ぶう、ぶ、うあ、ぶ」
「だって、そのピーチマンが持って帰ったお金が、鬼が集めていたお金だって言うのなら、それは、もともとの被害者である村の人々のお金だから、ちゃんと村の人々に全部返さないといけないはずだ!」
「あっぶ、あ、ぶあ」
「いや、確かに、村の人々からすれば、危険を冒して鬼を倒してくれたのなら、その日から、もう鬼に襲われる心配がなくなるから、それだけでも感謝したくなる気持ちは分かる。でも、この話には裏があるんだ!」
「う、ぶ、ば、ああ」
「実は、ピーチマンと鬼は、最初から共謀していて、それでピーチマンは、仲間だった鬼が村の人々から奪って集めた悪いお金を、その鬼を倒したふりをする事で、犯罪者を倒した正義の対価という、合法的なお金に変えてしまったんだ! そもそも、ピーチマンが鬼と戦ったところなんて、村の人々は誰も見ていないんだから、その話が本当かどうか、誰にも分からないだろう?」
「お、おぶ、ぶ、ぶばあ」
「だけど、この話には、まだ続きがある。その日の夜遅くに、鬼が、こっそりピーチマンが住んでいるババアとジジイの家に、お金の半分をもらいに行くんだけど、そこで鬼は、ピーチマンの罠に掛かって殺されてしまうんだ! けれど、その様子を、外の草やぶに隠れていた鬼の子供が見ていて、それで次の日から、鬼の子供の復讐が始まる訳だ!」
「あ、ぶう、ば、あ、ぶ」
「それから、ピーチマンは、用心棒として、イヌ、サル、キジ、という三人の化け物を雇うんだけど、鬼の子供は、イヌの腹を裂き、サルの目玉をえぐり、キジの皮を剥いで、その三人の死体を、ピーチマンが住んでいるババアとジジイの家に投げ込んで、それで、ついに家の外に出て来たピーチマンと、鬼の子供が対決する事になるんだ!」
「お、お、ぶぶ、ば」
「鬼の子供は、両手に装備した鉄のカギ爪で、ピーチマンに襲いかかろうとするけど、ピーチマンが振り回す、鎖につながった鉄球のせいで近寄れない。そこで鬼の子供は、戦いを止めるために家から出て来たジジイを人質にするんだけど、血も涙もないピーチマンの鉄球で、そのジジイごと、鬼の子供はつぶされてしまう。ところが、ひん死の鬼の子供は、とどめを刺そうとするピーチマンが自分に近付いたところで、身体に仕込んでいた火薬で自爆して、自分の命と引き換えにピーチマンの抹殺に成功するんだ!」
「うう、ばっ、ぶあば、ぶぶ」
「そして、その様子を見て、一人だけ生き残ったババアは笑う。なぜなら、ピーチマンに鬼を紹介して、二人に村の人々を襲う計画を持ちかけたのは、このババアだったからだ。こうしてババアは、関係者が全員死んだ後で、お金を一人占めにして、それから裕福に暮らしたんだ。ちなみに、今の日本に伝わっているピーチマンの話は、このババアの作り話だ」
「うぶ、ぶ、ぶ、うあ」
こんな感じで、ぼくは、クロが死んでしまわないように、毎日ちゃんと話しかけているから、クロは元気ですくすく育っている。
でも、ぼくは、そのクロの将来のためにも、そして吸血鬼である自分自身が生き延びるためにも、早く人間養殖計画を進めなければいけない。
それで、ぼくは、人間養殖計画に適した場所を探すために、クロが夜寝ている隙に、本屋とか図書館に行く事にした。
それは、ゾンビの発生によって世界が崩壊してからは、インターネットが使えず、何かを調べる場合は、現実世界に残っている本に頼るしかないからだ(今のぼくが、クロの世話をなんとかできているのも、クロの親である美女三号と男が残した、何冊もの育児書があるおかげだし)
だけど、たとえ本屋でも、建物の低い階にあるものは、人間を襲うゾンビと、そのゾンビに襲われる人間との大混乱があった時に、めちゃくちゃになっているので、ぼくは、建物の高い階にある本屋を探して、かなり遠くのビルまで行く。
そして、やっと見つけた比較的被害が少ない本屋で、ぼくは、多くの人間が暮らすために食料の自給自足が可能で、それと同時にゾンビも防ぎやすい場所がないか、いろいろな本を調べる(夜なので店の中は真っ暗だが、本を窓際まで運べば、星の光があるので、ぼくの吸血鬼の眼なら読む事ができる)
それで、ビルの窓際で、本を読んでいた、ぼくは、ふと窓の外を見た時に、遠くのビルの壁面を移動するゾンビの群れがいる事に気が付く。
それらのゾンビは、ビルの窓ガラスの端の部分に手足を突っ込んで、それを割ると同時に、その窓の外枠の部分に手足をかけて跳んで、垂直なビルの壁面を四足で走るかのように移動している。
それから、その群れの中心で、何かの金属が星の光を反射すると同時に、一体のゾンビが首を切断されて、その頭と身体が壁から落ちていく。
その光景を見た瞬間に、ぼくは本を捨てて窓を割って外に飛び出す。
バリン!
それから、ぼくは、そのゾンビたちと同じように、ビルの窓ガラスを割りながら、その外枠に手足をかけて垂直なビルの壁面を跳んで、そのゾンビの群れを追いかける。
バリン! バリン! バリン! バリン!
そうやって、そのゾンビの群れに、ある程度、近付いた、ぼくは、その中心でゾンビと戦っている何者かの姿を、しっかりと確認する。
それは、ぼくと同じように、フルフェイスのヘルメットを被り(今は夜だから、ぼくと同じようにバイザーは上げている)さらに、ライダースーツも、ぼくと同じように着ている、十才くらいの少女で、その服装を見ただけで、ぼくと同じ吸血鬼である事が簡単に予想できるけど、さらに、その持っている武器が、鎖でつながれた二本の斧という、とても個性的な物だった事から、その少女が自分の知っている吸血鬼だという事が、ぼくにはすぐに分かった。
そして、その少女は、その鎖でつながれた二本の斧で、息をするかのようにゾンビの首を次々と切断していく。
スパッ! スパッ! スパッ!
あと、その少女は、肩に人間の男を担いでいたけれど、それは別に、その男を助けようとしていた訳ではなく、体力が落ちた時に血を吸って回復するための、予備の燃料タンクのつもりだろう。
その担がれた男は、ダクトテープで頭をぐるぐる巻きにされて、鼻を除く目も口もふさがれて、同じテープで手足も縛られていた。
それは、ぼくが言うのもなんだけど、吸血鬼としては、とても賢いやり方だと思う。
けれど、ぼくが、そう思うのは、その少女に対して、ぼく自身が特別な感情を持っているせいかもしれない。
なぜなら、その少女、スミレ(菫)こそ、ぼくが吸血鬼になる、ほんの一ヶ月前にできて、ぼくが吸血鬼なってから九ヵ月後に生まれた、ぼくの本当の子供だったからだ。