第二十四章 最初で最後の手紙
核ミサイルが爆発して、五千万体の津波ゾンビが消滅してから五時間ほどが経って、上空のキノコ雲が消えたころになると、その場所にコハクが現れる。
ちなみに、それほど時間が経つまで、コハクがその場所に近付かなかったのは、いくら再生能力が強力な吸血鬼でも、月明かりの下に残るキノコ雲が見えているうちは、そこに近付くのを本能的に怖れてしまったからだろう。
そして、その場所にもともとあったはずの、ほら穴をふさいだのは、コハクが支配する軍事施設の無人航空機の仕業だったに違いない。
つまり、ぼくとスミレとユキの三人が津波ゾンビを誘導している間に、コハクは自分が支配する軍人たちを使って、ぼくたちが逃げ込むはずだったほら穴を、無人航空機のミサイルで攻撃させて、それをふさいでしまった訳だ。
ところで、なぜ、コハクがそんな事をしたのかは、本当のところは、ぼくにも分からない。
コハクは、ぼくのような吸血鬼がいると、自分の好きにできないと感じたのか、それとも、ぼくが嫌うような何かをやろうとしていて、それを、ぼくに邪魔されるとでも思ったのか………。
でも、その時のコハクが何を考えていたのかは、今の、ぼくにとっては、もうどうでもいい事だ。
なぜなら、これから先、ぼくとコハクが生きて出会う事は、もうないはずだからだ。
そして、ほら穴があった場所の前まで来たコハクは、核爆発によって全ての植物が燃え尽きて、地面がむき出しになった山の中で、そこから少し離れたところにある、溶けた金属の大きな箱を見付けるだろう。
それは、ぼくが、ほら穴の隠れ家の中から出して、地面の中に埋めておいた冷蔵庫だ。
それで、その冷蔵庫を見付けたコハクは、それを開けずにはいられないはずだ。
なぜなら、まさかとは思っても、ぼくが、その中に隠れて生き延びてはいないという事を、実際に、その目で確認しない訳にはいかないからだ。
だけど、もちろんコハクは用心深いから、そこに罠が仕掛けられていても大丈夫なように、遠くからワイヤーを絡めて、その冷蔵庫を倒して開けるだろう。
そして、コハクは、核爆発の熱で溶けたその冷蔵庫の中に、一枚の大きな金属の板が入っているのを見付けるはずだ。
それで、その金属の板には、ぼくが釘で引っかいた文章が書かれているので、コハクは必ずそれを読むだろう(ちなみに、吸血鬼の力なら、金属の板に釘で文字を書く事なんて、紙に字を書くように簡単にできる)
そこに書かれているのは、こんな文章だ。
「やあ、コハク。お前がこの文章を読んでいるという事は、もう、ぼくは、お前とは二度と会えないところにいるという事だ。だから、これは、ぼくからお前への最初で最後の手紙になる」
それを読んで、コハクは、ちょっとドキっとするだろう。
なぜなら、ぼくが、そんな文章を残したという事は、コハクが裏切るかもしれない可能性を、あらかじめ想定していたという事になるからだ。
「けれど、コハク、お前がこの文章を読む事になって残念だよ。ぼくとしては、これから先もずっと、お前とは協力していきたかったからね。ぼくの考えた人間養殖計画も、お前が協力してくれれば、ずっと速く進められたはずなんだ。だから、ぼくは最後まで、お前が裏切らない方の可能性に賭けて、行動する事にしたんだよ」
そして、その文章はさらに続く。
「でも、実は、ぼくも、一つだけコハクに秘密にしていた事があるんだ。それは前に、ぼくが人狼軍人の罠にかかって身体を燃やされた時に、お前が、ぼくの身体をマントで包んで、その炎を消してくれた事があっただろ? あの時に、ぼくは、こっそりお前のマントに、GPS発信機を付けておいたんだ」
そのGPS発信機は、ぼくたちが制圧した方の軍事施設にいた軍人たちが、捕まえた奴隷たちに付けていたのと同じもので、そこの倉庫にいくつもあったから、ぼくは、何かに使えるだろうと思って常に持ち歩いていた訳だ。
そして、それを読んだコハクは、自分のマントを調べて、そのすその裏側に小さなGPS発信機が付けられているのを見付けて、それをつぶすはずだ。
「という訳で、それからはずっと、お前の位置を軍事施設の女たちに監視させていたんだ。だから、お前が核ミサイルの基地に作戦の打ち合わせに行った時点で、そこの位置は、もう、ぼくたちにも分かったんだよ」
さすがにコハクも、そこまで読んだら、そろそろ自分が、すでに何かの罠にはまっているのかもしれない事に気が付くだろう。
「ところで、コハク、そこにあったほら穴は、ぼくが、隠れ家に改造したものだから、吸血鬼にとって必要のない水なんかは、たくわえていなかった。それなのに、ぼくとスミレの家族や、その友人たちがそこで生きてこられたのは、その近くに川が流れていて、そこで水を汲んでいたからだ」
すると、コハクは、その文章が書かれた金属の板を持ったまま、月明かりの下で、核爆発の熱で蒸発してしまった川の跡を探し始めるはずだ。
「それから、その川をたどって行くと滝があるんだけど、一般的に、滝が流れ落ちた先の水の下には、滝壺という深い穴があるという事は、お前も知っているよね?」
それを読みながら、川の跡をたどって行ったコハクは、蒸発してしまった滝の跡に深い穴があいているのと、その底に水が溜まっているのを見付けるだろう。
「その滝は、核爆発の中心からは五キロほど離れているし、山の陰になるから、ひょっとしたら滝壺の底の方の水は、核爆発の熱でも蒸発せずに残って、そこに隠れれば、ぼくたち吸血鬼なら生き延びられるかもしれない」
それで、コハクは、滝壺の深い穴の底にまだ残っている水に飛び込んで、その深さが、ぼくたち三人を隠すのに十分な事を知るはずだ。
「そうやって、もしも、ぼくたちが生き延びられたなら、核爆発が終わった後で、すぐに、お前が支配している核ミサイルの基地の方へ行って、そこからお前が出て来るのを待つつもりだ。そして、ぼくたちが死んだと思って油断しているお前が出て行った後で、なんとか、そこに侵入して、中にいる軍人たちを脅そうと思っている」
なにしろ、こっちには、十才の身体で成長が止まっているスミレがいるから、泣きまねをさせて中にいる軍人たちを外におびき出すなんて簡単な事なんだ。
それで、そこまで読んだコハクは、急いで、その文章が書かれた金属の板を捨てて、音速で逃げ出すだろうけれど、ぼくは、自分が制圧した方の軍事施設にいる女たちからの連絡を受けて、コハクに付けてあったGPS発信機の信号が、ほら穴があった場所から十分ほどの距離まで近付いた時点で、すでに核ミサイルを発射させている。
ちなみに、その場所へ十三分四十二秒で着弾する核ミサイルを、三分以上も遅らせて発射したのは、万に一つでも、コハクがその場所に到着する前に、核ミサイルが着弾してしまう事を避けたかったからだ。
そして、だからこそ、核ミサイルが着弾するより早く到着するであろうコハクが、その場所になるべく長く留まるように、ぼくは、金属の板に文章を書いて、それを冷蔵庫の中に隠しておいたのだ。
という訳で、コハクが音速で逃げようとした時には、もう、そこに核ミサイルが着弾して、コハクの身体は一瞬で消滅するだろう。
そして、その時、ぼくたちは、夜明けが近付いて東の空が明るくなってきた地平線の端に、小さな閃光が現れるのを見る。
ピカッ!
それは、五時間ほど前に津波ゾンビを消滅させた核ミサイルと、全く同じ位置に着弾した、二発目の核ミサイルの爆発だ。
ただし、ぼくたちがいる場所は、その場所から千キロ以上も離れているから、その閃光の他は、音も聞こえないし爆発の衝撃波も伝わってこない。
そして、その遠くの小さな閃光を見ながら、ユキが言う。
「アニキ、あの女はちゃんと死んだんでしょうか?」
「コハクが爆心地にいれば死体は残らないから、確認する事はできないな……。だけど、滝壺に残っていた水も、二回目の核爆発で完全に蒸発するはずだから、コハクが生き延びる可能性はほとんどないはずだ……」
「もう、あんな女の事なんか、どうでもいいわ。それよりも、これで、津波ゾンビもいなくなったんだから、あんたの考えた人間養殖計画を進められる訳でしょう? まずは、何から始めるの?」
「………まず、この世界に生き残っている人間を、できるだけ多く集めようと思う。軍事施設にある装甲車を使って地道に街を周れば、人間たちもきっと出てくるはずだ。それで、とりあえず、ぼくとスミレとユキの三人が、人間を殺さなくても毎月必要な量の血を吸えるように、三百人くらいを集めたい」
「アニキ、あと、あの女が支配していた軍事施設はどうするんですか?」
「前に人狼軍人がいたところの軍人たちは、奴隷狩りなんて事をしていたんだから、全員を殺してしまおうと思う。他の人間たちを無駄に殺すような人間は、ぼくの計画の邪魔になるだけだからな」
ちなみに、ぼくたちは、さっきの核ミサイルを発射させた後で、その軍事施設にいた軍人たちの全員を殺しておいた。
なにしろ、核ミサイルのパスコードを知る人間なんて生かしておいたら、後々で危険だからね。
「けれど、あの女が支配していた軍事施設は、全部で四つあったんでしょう? 私たちが場所を知っているのは、前に人狼軍人がいたところと、核ミサイルの基地の二つだけだから、あと二つは場所が分からないわ」
「無人航空機とかがある方の軍事施設だな………。そっちは、とりあえず放っておこう。ぼくだって、奴隷狩りをしたり、核ミサイルのパスコードを知っていたりするような、危険なヤツでない限り、軍人だからというだけで殺すつもりはないからね。それでも、ぼくたちのものになる軍事施設は、もともと、制圧していたところと合わせて三つになるから、なんとか三百人の人間を生活させる事はできるはずだ」
「アニキ、それから、人間たちの食料も生産しないといけませんね。三つの軍事施設に大量の食料がたくわえてあるでしょうが、三百人もの人間を集めたら、三~四年もすればなくなってしまうでしょうからね」
「それも、もちろん考えてある。ゾンビは人間しか喰わないから、軍事施設の地上の敷地で、農作物や家畜を育てようと思うんだ。まずは育てるのが簡単な、じゃがいもと、とうもろこしを栽培させよう。とうもろこしからは油も採れるから、それで人間たちにフライドポテトを食べさせられる」
「あと、鶏を育てればフライドチキンも食べさせられるわ! それと、豚もたくさん育てて、ハムやソーセージもじゃんじゃん作らせましょう! フライドポテトと、フライドチキンと、ハムやソーセージを毎日食べさせれば、きっと人間たちは、みんな、まるまると太るわよ!」
「………アニキ、スミレさん、そんなものばかり食べさせていたら、人間たちは、みんな早死にしちゃいますよ……」
「いいんだよ、すぐ死んでも! ちゃんと繁殖さえしてくれれば! そもそも老人の血はマズいから、とにかく太って、子供を作って、早く死んでくれた方が、ぼくたち吸血鬼にとっては都合がいいんだよ! ユキ、お前は吸血鬼になったばかりだから、まだ分からないかもしれないけれど、そのうち分かる! でも、もちろん、ぼくとスミレの家族や、クロとツキヨには、ちゃんとしたものを食べさせるから心配するな!」
「はあ………そうですか……」
こうして、二週間前に高速道路で六体のゾンビを倒して、一人の人間の血を吸いながら考えた、ぼくの人間養殖計画が、ようやく進み出す。
もちろん、これからも、きっと、いろいろな問題にぶつかって、なにかと苦労もするだろうけれど、スミレとユキが手伝ってくれれば、なんとかなるだろう。
それに、あと四ヶ月半もすれば、人間の八倍の速さで成長する人狼のクロは三才になるし、ツキヨも六才になるから、五人で力を合わせれば、たいていの問題は解決できるはずだ。
そうやって、人間養殖計画が順調に進んで百年も経てば、昔のような人間が繁栄する社会が復活して、ぼくたち吸血鬼や人狼も安心して生きられるようになるに違いない。
そう信じて、ぼくたち三人は、ぼくとスミレの家族やクロとツキヨが待つ軍事施設へ帰るために、音速で走り出す。
ドン!
そして、ぼくたちは、崩壊した世界の、朝日が昇り始めた荒野を走って行く。
完。