第二章 新しい子供
美女一号の血を吸い終わった、ぼくは、バイザーを上げた状態のフルフェイスのヘルメットを再び被ってから、死体となった美女一号の首をちゃんと刀で切断しておく。
スパッ!
それは、人間が死んだら、その死体が後でゾンビに喰われてもゾンビ化しないように、必ずその首を切断しておくのが、今の世界での誰もが守るべき約束事だからだ。
そして、ぼくは刀を背中のさやに収めると、その刀と腰の短刀をさやごと身体から外して床に置いて、ぼくによって首と片腕を切断された美女一号の死体の横にしゃがんで、腕時計のアラームを設定してから、エレベーターシャフトの内側の壁にもたれて眠って、太陽が完全に沈むのを待つ。
その後、何時間も経ってからアラームで目を覚ました、ぼくは、アラームの設定を解除して、床に置いてあった刀と短刀を背中と腰に装着して、エレベーターシャフトの中に組んである鉄骨を足場にしながら跳んで、その高層ビルの屋上へと登る。
そして、夜だから、太陽の光を浴びて顔が黒焦げになって死ぬ心配がない、ぼくは、ヘルメットのバイザーを上げたまま高層ビルの屋上からその街を見わたす。
この今の世界は、電気の供給が完全に止まって、夜になると全てが闇に包まれてしまうけれど、人間の活動がほとんどなくなってから都会でも空気がきれいなので、星の光がとても明るくて、吸血鬼のぼくの眼ならはるか遠くまではっきりと見える。
それで、ぼくはその夜の街を見わたしながら、今の世界で人間が安心して暮らせる人間養殖計画に適した場所とは、どんな場所だろうかと考える。
この今の世界に発生しているゾンビは、吸血鬼のぼくの能力にも匹敵する、驚異的な身体能力を持っているから、さっき、ぼくがこの屋上まで登って来たように、垂直な壁も簡単に登って来られる。
そのため、どんなに高い塀で周りを囲んでも、どんなに高い建物の上に逃げても、この世界のゾンビは防げないのだ。
だから、もしも本気で、この世界のゾンビを防ごうと思ったら、出入口をバリケードでふさいだ地下にでも閉じこもるしかないのだが、そんな場所では食料を生産できないから、人間を長期的に繁殖させる事は不可能だろう。
そんな事をぼんやりと考えながら、街のあちこちを観察していた、ぼくは、このビルの下の道路に、人間を求めてゆっくりと徘徊する何体ものゾンビがいるのを見つける。
この世界のゾンビは感覚も鋭いので、何か大きな音でも出してしまえば、たとえ高層ビルの屋上にいても発見されて、音速でここまで登って来られるかもしれない。
それで、今日の昼間に六体のゾンビと戦って、その時に捕まえた人間から三週間ぶりに血を吸って、十分に満ち足りていた、ぼくは、今夜はもう戦いたくなかったので、そのゾンビたちを刺激する事がないように、屋上の端からゆっくりと後ずさる。
ところが、そこで、ぼくは、その屋上にいくつもの鉢植えが並んでいる事に初めて気が付く。
それは、トマトや大豆などの人間の食料となる植物の鉢植えで、ちゃんと手入れがされて周りの雑草も抜き取られていたので、人間が今もここで暮らしている事が分かった。
だから、ぼくは、ゆっくりと周りを見回して、さっき、ぼくが、この屋上まで登って来る時に使った、エレベーターシャフトがある建物の陰に、二人の人間が隠れているのを発見する。
その人間の一人は、筋肉質の大男で、建物の陰に隠れてライフルを構えて立っている。
そして、もう一人は女で、その男の後ろに隠れて、同じくライフルを構えてしゃがんでいるようだけど、前に立つ男が大きいのでその姿はよく見えない。
それから、その二人が持つライフルには暗視スコープが取付けられているみたいで、その二人には、ぼくの姿がはっきりと見えているようだ。
この時、ぼくは、何もせずに、そこから逃げる事もできたんだけど、このぼくが自分の事を銃で狙う生意気な人間に対して、何もせずに逃げる訳がないよね。
それで、ぼくは、下の道路にいるゾンビたちには気付かれたくなかったので、大きな音が出る衝撃波は発生させないように、音速よりは遅く、でも、人間には絶対に反応できない速さで走り出すと、その男に一気に近付いて刀を抜き(今の、ぼくはお腹がいっぱいなので、人間の血を吸う必要がないから、その人間たちは、ゾンビウィルスが付着した刀で斬っても構わないのだ)そして、その首と銃を持つ腕をほぼ同時に切断する。
スパッ! スパッ!
さらに、ぼくは、刀を持っているのとは反対の手で、まだ空中にある、その男が持っていた銃をつかんで、音がしないように気を付けて床に置きながら、そのまま流れるように動いて、その男の背後でしゃがんでいる女の首と銃を持つ腕も切断しようとする。
だけど、ぼくは、そうする寸前に、その女の身体の状態に気が付いてその動きを止めてしまう。
それは、その女が妊娠していたからだ。
その時、ぼくの頭は、ずっと自分の身体に対して、その女を斬れと命令していたけれど、ぼくの身体は、それに対して全く反応できず、その隙にその女が銃を撃ってしまう。
バン!
その弾は、見事にぼくの心臓を貫通して背中を抜け、ぼくは、その激痛に顔をしかめるけれど、吸血鬼には強力な再生能力があるので、その傷は瞬時にふさがって痛みも消えて、それで、ぼくは再び素早く動いて刀をさやに収めると、両手を使って、その女を傷付けないように、その手から銃を奪い取って、その銃も静かに床に置く。
すると、その時、地上でゾンビたちが音速を出した時の衝撃波の音がいくつも鳴り響く。
ドン! ドン! ドン! ドン!
そのゾンビたちは、もちろん、この場所を目指して動き出したはずだから、ぼくは、すぐにこの屋上から逃げ出さなければいけない。
けれど、ぼくは、それでもまだ動けなかった。
それは、ぼくが、その女が妊娠しているのを見た瞬間に、うっかり、これから生まれてくるであろう、その子供の事を考えてしまったからだ。
そして、ぼくにとっては、その女など、どうでも良い存在だけど、その女の身体の中にいる子供の事を考えてしまった、ぼくは、どうしても、その子供だけは見捨てられなくなってしまったのだ。
それで、ぼくは、その女を抱きかかえて逃げようかとも、一瞬、考えてみたけれど、音速を出せば、その女の身体の中の子供が、無事で済むとは思えなかったので、それはすぐにあきらめる。
でも、そうすると、もう、その女の身体の中の子供を守るためにできる事は、ぼくが、ここで全てのゾンビを倒す事しかない(ところで、どうでも良い事だけど、その女も一応美女だったので、これ以降、その女の事は美女三号と呼ぶ事にする)
それから、すぐに、最初のゾンビが屋上に現れて、ぼくは、そいつを見つけるのと同時に音速で走り出して、その衝撃波で空気が振動する。
ドン!
そして、走りながら再び刀を抜いた、ぼくは、そのゾンビの首を一瞬で切断する。
スパッ!
だけど、その後、三体のゾンビが屋上の三方向から同時に現れて、それぞれが美女三号がいる場所にまっすぐ向かって行く。
それは、そのゾンビたちが、美女三号が銃を撃った時の音を聞いて、その場所を目指しているからだ。
それで、本来ならば、ぼくは、美女三号から離れずに戦わなければいけなかったんだけど、今まで何かを守るために戦うなんて、ほとんどした事がなかった、ぼくは、そんな事にはぜんぜん気が付かなかったんだ。
という訳で、ちゃんと考えもせずに動き出してしまった、間抜けな、ぼくは、必死に走って戻って、なんとか二体のゾンビの首は美女三号が襲われる前に切断する。
スパッ! スパッ!
けれど、その時、最後のゾンビが美女三号の首すじを噛んでしまう。
がぶっ!
それから、一瞬遅れて、ぼくは、そのゾンビの頭の上半分を切断する。
スパッ!
そして、ぼくは、すぐに刀をさやに収めると、両手を使って死んだゾンビを無理やり引き剥がすんだけど、ゾンビは強く噛んでいたので、その時に美女三号の首の肉が、ごっそりとちぎれてしまう。
ぶちっぶちっ!
でも、その傷口は、すでにゾンビ化が始まって腐り始めていたので、本来ならば、そこから大量にふき出すはずの血も、ほとんど出ず、もう美女三号は絶対に助からないと分かる。
ただし、美女三号の身体からは、すぐにゾンビを引き剥がしたので、体内に入ったゾンビウィルスは少なく、それが身体の中の子供に届くまでには、まだわずかだが時間の猶予があるはずだ。
だから、ぼくは腰のさやから短刀を抜く。
ところで、その時、ぼくの手は震えていたけれど、それは、ぼくが十四才の時に吸血鬼になって以来、初めての事かもしれない。
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R15の範囲を超える部分の、描写を省略。
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そうやって、ぼくが、片方の手を首の下に入れて、頭がぐらつかないように支えながら、もう片方の手をお尻の下に入れて両手で取り出すと、その子供はようやく泣き出す。
それで、ぼくは、一旦、その泣いている子供を床にそっと置くと、再び刀を抜いて、もう上半身のほとんどがゾンビ化している美女三号の首を切断する。
スパッ!
それから、ぼくは刀をさやに収めて、持っていた釣り糸で、子供のへその緒を血が流れ出ないようにきつく縛り、その少し先の方を短刀で切る。
そして、ぼくは短刀を腰のさやに収めてから、泣き続ける子供を両手でしっかりと抱き上げながら、美女三号と男が残した荷物を探すために、建物の中へと向かう。
それは、この子供を育てるのに必要となる物を、美女三号と男がこの建物の中に、ちゃんと用意しているはずだからだ。
それと、早くお湯を沸かしてこの子供の身体を洗わないと、その臭いで、ぼくが死んでしまいそうだ。
こうして、ぼくは、ゾンビによって崩壊した、こんな世界で、新しい子供を手に入れてしまったのだ。